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2021-04-23

[]GeoGuessr日記3

無料版。シングルプレイヤーマップは「The World」。時間は無制限

1問目

ちょっと古びた住宅街。パッと見では日本かと思ったが、看板文字中国語

標識に「育徳路」「新吉路」と書いてある。その交差点が初期地点だ。

とりあえず大きな建物が見えるほうに進んでみる。

やはり住宅のつくりが日本に似ている。ちょっと親近感が湧く。

大通りに出た。これが「樹考路」というらしい。

すぐ近くの店名に「香港」と付く店が2軒、「台中」と付く店も2軒。

この街香港/台中なのか、それとも香港/台中本店があるチェーンだったりするのか。

とりあえず香港台中で「樹考路」を探してみるか。

香港の道は「〜〜街」とか「〜〜道」という名前が多いかもしれない。

「〜〜路」が多いのは圧倒的に台中だ。というわけで台中市に絞ろう。

道の名前けがヒントなので意外に手間取ったが、何とか「樹考路」を見つけた。

そこから辿って「育徳路」「新吉路」の交差点

誤差は14.1m。5000ptだった。

2問目

わりと広い道の交差点信号機そばアメリカ国旗が掲げられている。

間違いなくアメリカ国旗好きだなおい。

国道番号として「201A」と「2」が書いてある。もう少し進むと高速道路番号「95」。

アメリカはわかりやすくてよい。

高速道路95号線はアメリカ東海岸縦断する道のようで、

北東部まで辿っていくと国道2号線と並走するようなところがあった。

その周辺を探ってみると「201A」も発見

201A号線と2号線が交差する「ノリッジウォック」のあたりで解答ボタン

誤差は144.5m。5000ptだった。

3問目

南北に真っ直ぐに伸びた閑静な並木道。どこまでも森の中という感じ。

なにかの建物(表札などはない)の門前が初期地点だが、その他に建物があるようには思えない。

とりあえず北に向かって進んでみよう。

最初標識。出たぞ、キリル文字だ。「БОРОДИНСКОЕ」かな。

他の地名と照らし合わせて解読してみよう。

Бは「B」、Рが「R」、ゴルァの口が「D」、Иが「I」、Нが「N」、Сが「S」か。

というか「КОНДИНСКОЕ」という地名を見つけた。

これの読みが「コンジンスコエ」なので、БОРОДИНСКОЕは「ボロジンスコエ」と読むのだろう。

この「〜〜スコエ」という地名は他にも見られる。なにか「〜〜山」とか「〜〜川」みたいな意味なのかもしれない。

ロシア地名によくある「〜〜スク」の変形とか?

そしてロシア中南部あたりに集中している気がするのでボロジンスコエもそのあたりにあるかもしれない。

でもそれ以上は分からん

ロシア広すぎんよー。

北に進みまくっても何もなかったので出発点に戻って南へ行く。

あっさり小さな町(というか村?)があった。

その町の入口看板に「ATTENTION! ZONE OF THE BORDER CONTROL!」と英語で書いてある。

ロシア国旗が掲げられているのでやはりロシアなんだろうと思うが。

Border Controlというのは国境かなにかだろうか。国境付近?

ここらへんで諦めてロシア南部、オムスクのあたりで解答ボタンを押した。

うーん、ぜんぜん違った。

国境というのは合っていたが、南ではなく西、フィンランドとの国境付近だ。

サンクトペテルブルグの北西に「ボロジンスコエ」という町はあった。

残念。誤差は2675.1km。832ptだった。

ロシア広すぎんよー。

4問目

けっこう大きめの街。看板が多くて助かる。言語英語っぽくない。

「MERCAMA'S DOMINICANA」という店があったのでドミニカなのかな。

ドミニカってドミニカ国とドミニカ共和国と二つあるんだっけ?

道路標識があったが色褪せていてほぼ読めない。

大きな橋があった。やはり色褪せていて読みづらいが「REGRESA PRO…」と書かれた標識が見える。橋の名前だったらいいけど。

なんか大きめの胸像みたいなものが見えるな。「DR. JOSE FRANCISCO PEÑA GOMEZ」と書かれている。あとで調べてみるか。

うーん、だいぶ探したが案内標識のたぐいがない。街の名前がわからない。

看板の上のほうにちょろっと「SANTO DOMINGO ESTE」と書いてるんだよな。やはりドミニカなのか。

あと「SAN VICENTE DE PAUL」というのが道の名前らしい。

でもサント・ドミンゴエステサント・ドミンゴとは違う地区らしい?)に絞って探したけどそれらしい道や橋は見つからない…

諦めてサント・ドミンゴエステの真ん中で解答ボタンを押した。

誤差3.8km。4987pt。意外と惜しい。でもストビューの印象と地図がぜんぜん違うな。

「José Francisco Peña Gómez」さんはドミニカ共和国の有名な政治家で元サント・ドミンゴ市長だったらしい。

5問目

住宅街。見たこともない文字が見える。どこだここ。

大通りに出てみる。なんか急に日本語で「ねぎらーめん」って書いてある店があるぞ。

あと「づぼらや」の写真日本人の店なのか。「Negi Ramen Trang」とアルファベットで書いてある。

なんとなく東南アジアっぽいな。

ここのストリートビュー歩道視点なんだが。自転車で走ってる?

「Trang」という文字列をよく見かける。町の名前なのか?

看板に「ASIAN DELIGHT」「THAI TASTE」って書いてある。

タイだといいなあ。タイ語ってこんなんだっけ。

標識に「Trang City Hall」とある。やはり「Trang」という街なのでは。

地図で探してみるか。あった。タイ南部の町・トラン。

まっすぐ南北に走る広めの道からねぎらーめん」を探す…おお、見つけた。

解答ボタンを押す。誤差は5.7m。5000ptだった。

結果

トータルスコアは20819ptだった。ロシア問題がつらかったな。

2021-04-01

anond:20210331085945

サクラ並木の~♪ サライの空は~♪

哀しい程青く澄んで 胸が震えた~♪

サクラ吹雪の~♪ サライの空へ~♪

流れてゆく白い雲に 胸が震えた~♪

2021-03-23

こんにちは並木美智雄です。

最近は少しずつ暖かくなってきていますね。

しかし先日はマフラーを置いて出かけたところ、

から急に冷え込んできてあわや風邪をひくところでした(笑)

何事も、油断は禁物のようですね。

さて、次回のドラム猫ちゃん

鯉のぼりのぼった』

電話がつながらない』

『飲みかけの麦茶は誰のもの?』

の三本です。

来週もまたみてくださいね

2021-03-22

ドル

ハックニー馬[※1]のしっぽのような、巫戯《ふざ》けた楊《やなぎ》の並木《なみき》と陶製《とうせい》の白い空との下を、みじめな旅《たび》のガドルフは、力いっぱい、朝からつづけて歩いておりました。

 それにただ十六哩《マイル》だという次《つぎ》の町が、まだ一向《いっこう》見えても来なければ、けはいしませんでした。

(楊がまっ青に光ったり、ブリキの葉《は》に変《かわ》ったり、どこまで人をばかにするのだ。殊《こと》にその青いときは、まるで砒素《ひそ》をつかった下等《かとう》の顔料《えのぐ》[※2]のおもちゃじゃないか。)

 ガドルフはこんなことを考えながら、ぶりぶり憤《おこ》って歩きました。

 それに俄《にわ》かに雲が重《おも》くなったのです。

(卑《いや》しいニッケルの粉《こな》だ。淫《みだ》らな光だ。)

 その雲のどこからか、雷《かみなり》の一切れらしいものが、がたっと引きちぎったような音をたてました。

街道かいどう》のはずれが変《へん》に白くなる。あそこを人がやって来る。いややって来ない。あすこを犬がよこぎった。いやよこぎらない。畜生ちくしょう》。)

 ガドルフは、力いっぱい足を延《の》ばしながら思いました。

 そして間もなく、雨と黄昏《たそがれ》とがいっしょに襲《おそ》いかかったのです。

 実《じつ》にはげしい雷雨《らいう》になりました。いなびかりは、まるでこんな憐《あわ》れな旅のものなどを漂白《ひょうはく》してしまいそう、並木の青い葉がむしゃくしゃにむしられて、雨のつぶと一緒《いっしょ》に堅《かた》いみちを叩《たた》き、枝《えだ》までがガリガリ引き裂《さ》かれて降《ふ》りかかりました。

(もうすっかり法則《ほうそく》がこわれた。何もかもめちゃくちゃだ。これで、も一度《いちど》きちんと空がみがかれて、星座《せいざ》がめぐることなどはまあ夢《ゆめ》だ。夢でなけぁ霧《きり》だ。みずけむりさ。)

 ガドルフはあらんかぎりすねを延《の》ばしてあるきながら、並木のずうっと向《むこ》うの方のぼんやり白い水明りを見ました。

(あすこはさっき曖昧あいまい》な犬の居《い》たとこだ。あすこが少ぅしおれのたよりになるだけだ。)

 けれども間もなく全《まった》くの夜になりました。空のあっちでもこっちでも、雷《かなみり》が素敵《すてき》に大きな咆哮《ほうこう》をやり、電光のせわしいことはまるで夜の大空の意識《いしき》の明滅《めいめつ》のようでした。

 道はまるっきりコンクリート製《せい》の小川のようになってしまって、もう二十分と続《つづ》けて歩けそうにもありませんでした。

 その稲光《いなびか》りのそらぞらしい明りの中で、ガドルフは巨《おお》きなまっ黒な家が、道の左側《ひだりがわ》に建《た》っているのを見ました。

(この屋根《やね》は稜《かど》が五角で大きな黒電気石[※3]の頭のようだ。その黒いことは寒天《かんてん》だ。その寒天の中へ俺《おれ》ははいる。)

 ガドルフは大股《おおまた》に跳《は》ねて、その玄関《げんかん》にかけ込みました。

「今晩《こんばん》は。どなたかお出《い》でですか。今晩は。」

 家の中はまっ暗《くら》で、しんとして返事《へんじ》をするものもなく、そこらには厚《あつ》い敷物《しきもの》や着物《きもの》などが、くしゃくしゃ散《ち》らばっているようでした。

(みんなどこかへ遁《に》げたかな。噴火《ふんか》があるのか。噴火じゃない。ペストか。ペストじゃない。またおれはひとりで問答《もんどう》をやっている。あの曖昧な犬だ。とにかく廊下《ろうか》のはじででも、ぬれ着物をぬぎたいもんだ。)

 ガドルフは斯《こ》う頭の中でつぶやきまた唇《くちびる》で考えるようにしました。そのガドルフの頭と来たら、旧教会《きゅうきょうかい》の朝の鐘《かね》のようにガンガン鳴《な》っておりました。

 長靴《ながぐつ》を抱《だ》くようにして急《いそ》いで脱《と》って、少しびっこを引きながら、そのまっ暗なちらばった家にはね上って行きました。すぐ突《つ》きあたりの大きな室は、たしか階段かいだん》室らしく、射《さ》し込《こ》む稲光りが見せたのでした。

 その室の闇《やみ》の中で、ガドルフは眼《め》をつぶりながら、まず重い外套《がいとう》を脱《ぬ》ぎました。そのぬれ外套の袖《そで》を引っぱるとき、ガドルフは白い貝殻《かいがら》でこしらえあげた、昼の楊の木をありありと見ました。ガドルフは眼をあきました。

(うるさい。ブリキになったり貝殻になったり。しかしまたこんな桔梗《ききょう》いろの背景《はいけい》に、楊の舎利《しゃり》[※4]がりんと立つのは悪《わる》くない。)

 それは眼をあいてもしばらく消《き》えてしまいませんでした。

 ガドルフはそれからぬれた頭や、顔をさっぱりと拭《ぬぐ》って、はじめてほっと息《いき》をつきました。

 電光がすばやく射し込んで、床《ゆか》におろされて蟹《かに》のかたちになっている自分背嚢はいのう》をくっきり照《て》らしまっ黒な影《かげ》さえ落《おと》して行きました。

 ガドルフはしゃがんでくらやみの背嚢をつかみ、手探《てさぐ》りで開《ひら》いて、小さな器械《きかい》の類《たぐい》にさわってみました。

 それから少ししずかな心持《こころも》ちになって、足音をたてないように、そっと次の室にはいってみました。交《かわ》る交《がわ》るさまざまの色の電光が射し込んで、床に置《お》かれた石膏《せっこう》像《ぞう》や黒い寝台《しんだい》や引っくり返《かえ》った卓子《テーブル》やらを照らしました。

(ここは何かの寄宿舎《きしゅくしゃ》か。そうでなければ避病院《ひびょういん》か。とにかく二階にどうもまだ誰《だれ》か残《のこ》っているようだ。一ぺん見て来ないと安心あんしん》ができない。)

 ガドルフはしきいをまたいで、もとの階段室に帰り、それから一ぺん自分背嚢につまずいてから、二階に行こうと段《だん》に一つ足をかけた時、紫《むらさき》いろの電光が、ぐるぐるするほど明るくさし込んで来ましたので、ガドルフはぎくっと立ちどまり階段に落ちたまっ黒な自分の影とそれから窓《まど》の方を一緒《いっしょ》に見ました。

 その稲光りの硝子《ガラス》窓から、たしかに何か白いものが五つか六つ、だまってこっちをのぞいていました。

(丈《たけ》がよほど低《ひく》かったようだ。どこかの子供《こども》が俺のように、俄かの雷雨で遁げ込んだのかも知れない。それともやっぱりこの家の人たちが帰って来たのだろうか。どうだかさっぱりわからないのが本統《ほんとう》だ。とにかく窓を開いて挨拶あいさつ》しよう。)

 ガドルフはそっちへ進《すす》んで行ってガタピシの壊《こわ》れかかった窓を開きました。たちまち冷たい雨と風とが、ぱっとガドルフの顔をうちました。その風に半分声をとられながら、ガドルフは叮寧《ていねい》に云《い》いました。

「どなたですか。今晩《こんばん》は。どなたですか。今晩は。」

 向《むこ》うのぼんやり白いものは、かすかにうごいて返事もしませんでした。却《かえ》って注文《ちゅうもん》通《どお》りの電光が、そこら一面《いちめん》ひる間のようにしてくれたのです。

「ははは、百合ゆり》の花だ。なるほど。ご返事のないのも尤《もっと》もだ。」

 ガドルフの笑《わら》い声は、風といっしょに陰気《いんき》に階段をころげて昇《のぼ》って行きました。

 けれども窓の外では、いっぱいに咲いた白百合《しらゆり》が、十本ばかり息もつけない嵐《あらし》の中に、その稲妻《いなずま》の八分一秒《びょう》を、まるでかがやいてじっと立っていたのです。

 それからたちまち闇が戻《もど》されて眩《まぶ》しい花の姿《すがた》は消えましたので、ガドルフはせっかく一枚《まい》ぬれずに残ったフラン[※5]のシャツも、つめたい雨にあらわせながら、窓からそとにからだを出して、ほのかに揺《ゆ》らぐ花の影を、じっとみつめて次の電光を待《ま》っていました。

 間もなく次の電光は、明るくサッサッと閃《ひら》めいて、庭《にわ》は幻燈《げんとう》のように青く浮《うか》び、雨の粒《つぶ》は美《うつく》しい楕円形《だえんけい》の粒になって宙《ちゅう》に停《とど》まり、そしてガドルフのいとしい花は、まっ白にかっと瞋《いか》って立ちました。

(おれの恋《こい》は、いまあの百合の花なのだ。いまあの百合の花なのだ。砕《くだ》けるなよ。)

 それもほんの一瞬《いっしゅん》のこと、すぐに闇は青びかりを押《お》し戻《もど》し、花の像はぼんやりと白く大きくなり、みだれてゆらいで、時々は地面《じめん》までも屈《かが》んでいました。

 そしてガドルフは自分の熱《ほて》って痛《いた》む頭の奥《おく》の、青黝《あおぐろ》い斜面《しゃめん》の上に、すこしも動《うご》かずかがやいて立つ、もう一むれの貝細工《かいざいく》の百合を、もっとはっきり見ておりました。たしかにガドルフはこの二むれの百合を、一緒に息をこらして見つめていました。

 それもまた、ただしばらくのひまでした。

 たちまち次の電光は、マグネシアの焔《ほのお》よりももっと明るく、菫外線《きんがいせん》[※6]の誘惑《ゆうわく》を、力いっぱい含《ふく》みながら、まっすぐに地面に落ちて来ました。

 美しい百合の憤《いきどお》りは頂点《ちょうてん》に達《たっ》し、灼熱《しゃくねつ》の花弁《かべん》は雪よりも厳《いかめしく、ガドルフはその凛《りん》と張《は》る音さえ聴《き》いたと思いました。

 暗《やみ》が来たと思う間もなく、また稲妻が向うのぎざぎざの雲から北斎《ほくさい》の山下白雨のように赤く這《は》って来て、触《ふ》れない光の手をもって、百合を擦《かす》めて過ぎました。

 雨はますます烈《はげ》しくなり、かみなりはまるで空の爆破《ばくは》を企《くわだ》て出したよう、空がよくこんな暴《あば》れものを、じっと構《かま》わないでおくものだと、不思議《ふしぎ》なようにさえガドルフは思いました。

 その次の電光は、実に微《かす》かにあるかないかに閃《ひら》めきました。けれどもガドルフは、その風の微光《びこう》の中で、一本の百合が、多分とうとう華奢《きゃしゃ》なその幹《みき》を折《お》られて、花が鋭《するど》く地面に曲《まが》ってとどいてしまたことを察《さっ》しました。

 そして全くその通り稲光りがまた新《あた》らしく落ちて来たときその気の毒《どく》ないちばん丈の高い花が、あまりの白い興奮《こうふん》に、とうとう自分を傷《きず》つけて、きらきら顫《ふる》うしのぶぐさの上に、だまって横《よこた》わるのを見たのです。

 ガドルフはまなこを庭から室の闇にそむけ、丁寧《ていねい》にがたがたの窓をしめて、背嚢のところに戻って来ました。

 そして背嚢からさな敷布《しきふ》をとり出してからだにまとい、寒《さむ》さにぶるぶるしながら階段にこしかげ、手を膝《ひざ》に組み眼をつむりました。

 それからまらずまたたちあがって、手さぐりで床《ゆか》をさがし、一枚の敷物《しきもの》を見つけて敷布の上にそれを着《き》ました。

 そして睡《ねむ》ろうと思ったのです。けれども電光があんまりせわしくガドルフのまぶたをかすめて過ぎ、飢《う》えとつかれとが一しょにがたがた湧《わ》きあがり、さっきからの熱った頭はまるで舞踏《ぶとう》のようでした。

(おれはいま何をとりたてて考える力もない。ただあの百合は折《お》れたのだ。おれの恋は砕けたのだ。)ガドルフは思いました。

 それから遠い幾山河《いくやまかわ》の人たちを、燈籠《とうろう》のように思い浮《うか》べたり、また雷の声をいつかそのなつかしい人たちの語《ことば》に聞いたり、また昼の楊がだんだん延びて白い空までとどいたり、いろいろなことをしているうちに、いつかとろとろ睡ろうとしました。そしてまた睡っていたのでしょう。

 ガドルフは、俄かにどんどんどんという音をききました。ばたんばたんという足踏《あしぶ》みの音、怒号《どごう》や潮罵《ちょうば》が烈《はげ》しく起《おこ》りました。

 そんな語はとても判《わか》りもしませんでした。ただその音は、たちまち格闘《かくとう》らしくなり、やがてずんずんドルフの頭の上にやって来て、二人の大きな男が、組み合ったりほぐれたり、けり合ったり撲《なぐ》り合ったり、烈しく烈しく叫《さけ》んで現《あら》われました。

 それは丁度《ちょうど》奇麗《きれい》に光る青い坂《さか》の上のように見えました。一人は闇の中に、ありありうかぶ豹《ひょう》の毛皮《けがわ》のだぶだぶの着物をつけ、一人は烏《からす》の王のように、まっ黒くなめらかによそおっていました。そしてガドルフはその青く光る坂の下に、小さくなってそれを見上げてる自分のかたちも見たのです。

 見る間に黒い方は咽喉《のど》をしめつけられて倒《たお》されました。けれどもすぐに跳ね返して立ちあがり、今度《こんど》はしたたかに豹の男のあごをけあげました。

 二人はも一度組みついて、やがてぐるぐる廻《まわ》って上になったり下になったり、どっちがどっちかわからず暴れてわめいて戦《たたか》ううちに、とうとうすてきに大きな音を立てて、引っ組んだまま坂をころげて落ちて来ました。

 ガドルフは急いでとび退《の》きました。それでもひどくつきあたられて倒れました。

 そしてガドルフは眼を開いたのです。がたがた寒さにふるえながら立ちあがりました。

 雷はちょうどいま落ちたらしく、ずうっと遠くで少しの音が思い出したように鳴《な》っているだけ、雨もやみ電光ばかりが空を亘《わた》って、雲の濃淡《のうたん》、空の地形図をはっきりと示し、また只《ただ》一本を除《のぞ》いて、嵐に勝《か》ちほこった百合の群《むれ》を、まっ白に照《て》らしました。

 ガドルフは手を強く延ばしたり、またちぢめたりしながら、いそがしく足ぶみをしました。

 窓の外の一本の木から、一つの雫《しずく》が見えていました。それは不思議にかすかな薔薇《ばら》いろをうつしていたのです。

(これは暁方《あけがた》の薔薇色《ばらいろ》ではない。南の蝎《さそり》の赤い光がうつったのだ。その証拠《しょうこ》にはまだ夜中にもならないのだ。雨さえ晴れたら出て行こう。街道の星あかりの中だ。次の町だってじきだろう。けれどもぬれ着物をまた引っかけて歩き出すのはずいぶんいやだ。いやだけれども仕方《しかた》ない。おれの百合は勝ったのだ。)

 ガドルフはしばらくの間、しんとして斯う考えました。

2021-02-26

「あたたかくなってきたので人が死ぬ話をしよう」

記憶が完全に薄れてしまう前に、弟の誕生日なので、時効と嘯いて、書き留めます

その日は、自動車教習の実技最終試験の日でした。

から教習所に向かい、どうにか車を運転し終え、「まあ多分受かっただろ」と思いながら確認したスマホには、親からの「家の鍵持ってる?」「なかったら裏の鍵開いてるから」「昼適当に食べて」といったようなLINEが届いていた記憶があります

「何かあったのかな」と思いつつも、家の鍵は持っていたのでそう返しておきました。

ちなみに実技試験ちゃん合格していました。

合格をその日のうちに伝えられたかはよく覚えていませんが、とにかく昼頃には終わっていたため、家に帰りました。家には誰もおらず、親に電話をすることにしました。

「■■(弟)、死んじゃった」

涙声で伝えられたその情報に、まず出たのは驚きでした。現実において

「え??????????本当????????マジで????????????????????」

ぐらいの勢いで叫んだのは、後にも先にもここぐらいでしょう、というような混乱でした。

弟は、私が寮にいる間に、突然家出をし、自殺未遂をし、保護されたあと病院施設に入り、メンタルケアを受け、進学も家から遠く離れた施設から通える高校に行って、また自殺未遂をしたりしていました。その間弟は、家族を完全にシャットアウトしており、1年半の間誰も会えていませんでした。

自殺未遂をしていたこから、それが成功したんだな、ということは簡単に察することができるはずなのですが、私は「次会ったとき『よう……5年ぶりだな……』って一言目に言お」などと考えていたぐらいには弟の死への願望を非現実的に捉えており、まさか本当に成功させるとは思ってもいませんでした。

なので、正直なところ「マジかよあの野郎ッ やりやがった」ぐらいの気持ちで報告を聞いていました。

親は「帰りはいつになるかわからない」というので、まあそれはそうと思いつつ、電話を切り、家に常備してあるパスタを食べました。パスタはいつも通り美味しかったので、美味しいなぁ、と思いました。

薄情な兄だと思われるでしょうが、1年半前以前から私はほとんど寮におり、弟と会うのは帰省した時の食卓ぐらいでした。弟は部活をしており、土日も練習するため学校に出ていたからです。そのため、「昔よく遊んだが、最近会っていなかった遠い親戚が死んだらしい」程度の質感でした。薄情ですね。

お昼を食べたあとは、前からたかった時をかける少女アニメを見ました。正直なところ特に面白くもなく、内容が記憶にありません。ただし、流石に内心ではそれなりにショックを受けておりまともに見られていなかった可能性もあるかと、内容を調べてみました。しかし、やはりつまらなそうでした。

(今回はつまらなかったわけですが)、美味しいご飯を食べることも、面白作品を摂ることも、生きている人間特権です。

実は死んでもそれらはできるのかもしれませんが、本筋から逸れてしまうのでやめます。ただし、死ぬことで人間活動に付随する空間の縛りがなくなるなら、死んだ方が楽しそうですね。

ともかく、それができなくなるのはもったいない選択だなぁ、と思いながら親の帰りを待っていました。

ゆっくり人生をしていけば違った世界を見られたかもしれないのに、その可能性を排除して不可逆の選択を選んだのは、私には理解できないことでした。得られたかもしれない幸せ放棄しているから。

ただまぁ、私はまだ人生幸せを感じる余地はあると思っているから、なんとなく幸せになれそうな方向を探して生きています。全力で死ぬよりなんとなく生きる方が簡単なので。

から、全力で死ぬ決断を下せた弟は、ある意味ですごいなぁとも思っています

から知ったことですが、弟の財布に入っていたレシートには死ぬ前日のものがあり、そこではたくさんのお菓子が買われていました。弟にとっては、それが世界で一番幸せな時に近づくための手段だったのかもしれません。最期の晩餐がそれであることを私は可哀想とは思いません。もったいないと思います

親が帰って来たのは17時半とかで、まあまあ早かったなと思いました。記憶は朧げですが、遺体は布団に包まれていた気がします。それを車から下ろすときに足を持ったのですが、まだ温かく、しか感触は確かに〝終わっていた〟ので「肉の塊だな」と思いました。死体に触るのはもちろん初めてでした。

仏壇のある部屋に遺体を置き、改めてそれを見ると、首には縄か何かで頸った跡がくっきりと残っており、顎の辺りまでが紫色に染まっていました。服装私服だったか既に死装束だったかいまいち覚えていません。私がファッションに興味がないからでしょう。ましてや死んでから洒落しても何もないです。

親は泣いてるし、同居している祖母ももちろん泣いていました。私は涙も出てこないし、なんなら別に悲しくもなく、「へー死んだんだ」ぐらいの兄としては最悪な所感を以てその場にいました。流石に酷すぎるだろ、とも思いますが、勝手に死んだ弟如きのために感情を曲げて自分に嘘をつくのは嫌でした。

整理してて思ったんですが、マジで弟のことほんとになんとも思ってないですね。ぶっちゃけ弟のことはあんまりきじゃなかったです。ポケモンカードの強カード全部捨てられたり、買った本勝手に読まれしかも折り目つけて返されたり、DSソフト勝手にやられたり、いろいろありました。悪い思い出が。

ただ、一度距離感をとって、年をとって、互いに価値観確立して、その上でゆっくり話せば、あのときの最悪な話も思い出話になると漠然と思っていました。私は、自殺未遂も含めた弟の哲学について知りたかったし、弟が何を考えていたのか知りたかった。

それももったいないな、と思います

遺書はなく、スマホデータは消されており、わずかにカウンセラーさんと弟の友達から漏れでる情報によると、「自分に生きている価値はない」「消えるしかない」などと考えていたらしいです。

それはつまらない考え方だ、と私は思うのですが、それに至るまでの積もる話も、私は何も知りません。

独りで考えて、独りで完結して、そんな生き方自分もするのでしょうがさらに独りで死を実行して独りで死ぬのは、流石にどこかネジが外れていたような感じはしています。私が寮にいる間に、いろいろとあったようです。実は私のことも恨んでいるのかもしれません。私には私のことしかわかりません。

弟は朝を食べたあと、9時ぐらいに首を吊り、そのまま1時間ぐらい発見されなかったようです。春休みだったので無理もないですね、見つけた施設の人はさぞ驚いたと思います事故物件作りやがって……と私は思いました。

しかもどうやら発見時は舌が口から出ていたらしく、なかなかグロみがあったそう。

私が教官監視されながら車を走らせているときに、弟の生命活動が終わっていたのは、後から知るとちょっと面白いなと思いました。何が面白いのかは自分にも説明できませんが、「世界のどこかで人が死んでいる」という実感なのかもしれません。解像度が高くなって、知らない感覚を知れたという。

もう記憶があまりないです。呆然としすぎての方ではなく、興味がない方の記憶の無さだと思います。親の親戚も来て、もう片方の祖父祖母も来て、皆泣いていて、自分は二階でいつも通りインターネットをしていました。それこそが私の正しさでした。

葬儀家族葬で、これは本当に何も覚えていません。

あっという間に出棺の日が来たらしいです。棺には、一つの他愛もないメッセージを書いた紙を入れました。「また会おうぜ」、みたいなやつです。

火葬場に向かう川沿いの道に、満開の桜が並木となって咲き誇っていました。親がずっと覚えておこうと言いました。私もあれは確かに綺麗だと思いました。

いよいよ焼くときになって、最後に何か、というタイミングで、親が膝から崩れ落ちすがり付いて哭いているのを見て、弟に「何やってんだよ」という気持ちが沸きました。

結局私は今まで泣けていません。これからもないかもしれません。

ともかく、人が一人死んだ、そういうお話でした。

2021-02-17

anond:20210217214520

孤独が恐ろしかたから。

二十代に、広い部屋に引っ越したわけ。元々都営住宅だったのかな?そんな雰囲気の、築50年くらいの、一応マンションだったか。5階建てで、ファミリータイプ間取りで、窓がやたら大きかった。角部屋、2面採光、周りに高い建物がないから朝から夕方まで日当たりが良い。カーテンが好きじゃなくて、周りの視線もあるんだか無いんだか気にならなかったから、窓に何も付けずに過ごした。朝は朝日で目が覚めて、夜は電気をつけないでおくと遠くの高速道路の光がチカチカと光った。敷地内に本当に立派なイチョウ並木があって、歩いているだけで壮大な景色の中にいるようだった。

で、そんな部屋の中で夜、ソファベットに横たわって目を閉じると、眠れない。疲れていても眠れない。仕事が忙しい時も、暇で早く帰ってきたときも、すっかり眠れない。会社の同期も結婚し始めてなんとなく連絡を取る頻度が落ちて、夜に連絡するのも憚られた。そうして考え事をしていると、夜が本当に長い。誰とも話さず、誰のことも考えず、じっとスマホを眺めている時間がどんどん長くなる。夜が空けて、窓の外が明るくなって、周りから生活の音が聞こえてくる。ファミリータイプから家族が多かったんだろうね、みんな早起きしてご飯の支度をしたり、遠くで働いてるパパかな、6時前には家を出ていく人もいる。

晴れると、遠くに富士山が見えたりするんだ。ずっとそういう景色を眺めて、家族の朝の気配を感じながら。サイコー孤独だと思った。

2021-01-31

pixivR-18小説を書かれている作品数が少ないデレマスアイドル

流石に190人全員調べる気にはならないので、『少なそう』な人に限って調べてみた。

※2021/01/31 17:00頃の時点

※少ない順。10作品下の人限定

※ヘレン、ライラケイトクラリスは『名前 アイドルマスター』での検索

順位名前作品
1太田0
2井村雪菜1
2間中美里1
2松原早耶1
5キャシー・グラハム2
5大西里子2
5長富蓮実2
5北川真尋2
5野々村そら2
10村松さくら3
10丹羽仁美3
12楊菲菲4
12愛野4
12上田鈴帆4
12伊集院4
16奥山沙織5
16瀬名詩織5
16仙崎恵磨5
16大原みちる5
16土屋亜子5
16矢口美羽5
22松山久美子6
22杉坂海6
22斉藤洋6
22赤西梨華6
22沢田麻理菜6
27栗原ネネ7
27月宮雅7
27首藤葵7
27小松伊吹7
27西川保奈美7
32ヘレン8
32古澤頼子8
32榊原里美8
32持田亜里沙8
32小室千奈美8
32真鍋いつき8
38岸部彩華9
38江上椿9
38浜川愛結奈9
41衛藤美紗希10
41吉岡沙紀10
41桐野アヤ10
41浅野風香10
41涼宮星花10


[短評]

ゼロがいるのも意外だが、それがアッキーの飼い主こと太田優なのも意外。

・声つきで一番少ないのは上田鈴帆(4作品)。次点はおそらく上条春菜(11作品)

クラリスさんは31作品。やはりセッ○ラリスさんだったか(違)

・あざとみんこと榊原里美や、16歳としては不相応な色気があることに定評のある西川保奈美がここにいるのは意外では?

伊集院惠は表では4作品となっているが、ロマンティック・ツアーズ(相馬夏美 / 伊集院惠 / 並木芽衣子 / 江上椿のユニット)4部作を夏美芽衣子、椿まで書いて惠を書かずにエタっている人がいるので実質1作品

大石泉(26)、土屋亜子(5)、村松さくら(3)というニューウェーブ格差が……。

・ちなみに多い方は渋谷凛(495)、新田美波(410)、鷺沢文香(400)、島村卯月(398)あたりだと思う。

2020-11-27

長巻を抜きたる君はほほえみつ銀杏並木金色のなか

2020-11-18

誕生日、だれもおぼえててくれなかった。自分自分プレゼントを買うこともわすれた。でも、ある建物写真を撮った。はるか昔、私が高校に入った時、吹奏楽部の一員としてこけらおとしに出演した建物。あれから歳月はながれた。銀杏並木は大きく育ち夕日のなか空も道も金色をなしていた。

2020-10-24

今年は大学が静かだ

僕の通っている大学は、キャンパス観光地化している。犬の散歩をしている近隣住民保育園から幼児カートに乗せてきて広場で遊ばせる保育士たち、向学のためか見学していく中高生、そして観光目的に入ってくる大量の人間(なぜか中国人が多い)…正直辟易していた。研究で気が立っている時にキャンパス観光客で混雑しているとイライラするし、食堂は混んで使いにくいし(なお11:30~13:30は学外者は食堂を使ってはいけないというルールができて多少良くなった)、大学生にインタビューしてみようみたいな課題でも課されているのか中高生に話しかけられるし、なんといってもうるさい。幼児観光客のきゃあきゃあ言う声が教室まで入ってきてうるさかった。

しかし今年は大学がとても静かだ。新型コロナウイルス感染症対策のため、3月中旬から学外者のキャンパス立ち入りが禁止されて、キャンパスに入ってくるのは教職員学生大学病院の利用者が少し、ほんのたまに通行人だけになった。混雑はないし、観光客に道を聞かれることもなくなったし、とても良い。もっと大学生協は食堂の客の入りが悪くなり、お土産が売れなくなって経営がめちゃくちゃ大変らしいが。これから銀杏並木が見頃を迎えるが、例年なら人でごった返すところがおそらく学生が数人歩くだけになり、黄色銀杏ゆっくり眺め写真に収めることができるだろう。楽しみだ。

2020-10-15

区民センター住民票を取りに行ったついでに、区の歴史を展示するコーナーに寄って、壁に展示してある古い写真パネルを見た。こういう自治体の地味な歴史展示コーナーがけっこう好きだ。見たことのない写真とかが飾ってあるから

家の近所の風景だという戦前写真を見たら、辺り一面の田園地帯で、牧場があって牛の放牧をやっていたらしい。今は家がぎっしり並ぶ住宅地になっているので、想像もつかない。なんかこう、広々とした田園風景高度成長期ぐらいからどんどん消えていく予感を感じる度に、現代自分でもちょっと胸が苦しくなる。

その隣の写真道路拡張工事をやっている写真で、昭和時代漫画に出てくるような土方の格好の人たちがたくさん働いていた。この通りは昔はもっと細くて柳並木があるだけで、ほとんど何もなかったらしい。今は車が一日中飛び交う幹線道路になっていて、通り沿いにはオフィスビルサラリーマン向けの飲食店が並んでいる。

そうなんだよな、となんだか一人で納得した。東京高度成長期には、車のための道路を作る事が都市計画の要で正義だったんだろう。人は道の端っこを歩くように追いやられて。でも当時は車そのものがかっこよくて、国を発展させる未来のものに映っていたから、誰も人間ことなど気にしなかったのだろう。

今はどうかというと、なんとなく親しみが感じられないな、よそよそしくて、元気がなくて、歩きにくいなと感じる街は、太い車道が中心に走っている街だ。戦後都市計画どおりに作られた、車中心の街。逆に、なんだか感じがよくて、人がゆっくり歩いていて、オメガラーメンみたいに個性的な小さな店が出店する余地があるような街は、高度成長期の開発に取り残されて、古い街並みがそのまま残ったまま、店の新陳代謝が進んだところだったりする。

この流れが変わることはあるのかな、車中心の街作りになってしまった街が、人が歩きやすいように作り変えられることは。当面はないだろうな、と思いながら小さなため息をついて区民センターを出た。外を出たら曇り空で肌寒くて、なんだか元気が欲しくなったから、あの小さな商店街に行ってラーメンでも食べようと思った。

2020-09-13

実際新アニは興業のためにも「今見てほしい人」に心地よく書き換えるべきではあるよね。別にそれが嫌なら原作や旧アニを見りゃいいわけで。

てか深夜アニメなんかららぽーとに置いてあるマンスジスカート献血車に置いてある巨乳アヘ顔アニメ女とちがって全然「嫌だから見ない」を実行できる案件だしな。何がそんなに気に入らんのかわからん

俺は新アニのキャラデザ声優も受け付けないので見てません。いまだにビデオテープに録画した旧アニを擦り切れるまで見てます

あと、「フレデリカユリアン家事押し付けずに、できないなりに家事に参加するヤン」と「女体化並木瞬」を同一視する奴はアスペだと思っちゃうね。

2020-07-24

久しぶりに小旅行した

本当は近くの郵便局に行くだけだった。

でも、久しぶりに午前中から外に出たし、

残った仕事も結局夜中もするし急ぎでも無いかと、携帯PCだけ持って遠出した。

知らない道路を突き進んで、道路標識だけを頼りに知ってる街まで車を飛ばした。

知らない風景

畑の土臭さ

並木道の青臭さ

久しぶりに部屋と近所以外の匂いを嗅いで、扇風機以外の風を感じた。

遠出しても良いんだとか、仕事を忘れて笑っても良いんだとか、当たり前の事を思ってしまった。

街についてから色々回った。

たまたま試読出来るキン肉マン二世の究極タッグトーナメント編を読んで頑張りたい気持ちになった。

リサイクルショップで昔はやった巡音ルカのタヌルカのデスクトップフィギュアが200円位だったから、可愛すぎて衝動買いしてしまった。

はなまるうどんの温玉冷やうどんとかしわ天を勢いよく食べた。

何かちょっとリフレッシュたかも。

2020-02-09

あなたの咽喉に嵐はあるが こういう命のせとぎわに 智恵子はもとの智

その昔、Yahoo!チャットがあって、自分で部屋作って、まだチャットとゆうツールも目新しくて、

そこで色んな知らない人と話してた。話がつまらない人はつまらない。

僕はそこで、その女の子との付き合い方が分からないとゆう恋愛問題一方的に話してて、

そこに「こんにちはー」とか「おじゃましますね」とか入ってくる人が居て、

その人、女性片思いに身悶えてて、二人して「辛いですよねー」と愚痴ってた。

片方から見れば「メール書けばいいじゃんj」とか「聞かなきゃわからないじゃん」みたいなことだけど、

自分相手には嫌われたくない。ふたりして「なんで相手わからんのだ!」と憤慨してた。

「あえないとさみしー」とか。「待たされるのは辛い」とか。

あるとき彼女いじめられる日が来るなら、そのときはめちゃめちゅ仕返ししたい」みたいなことを書いて、

「私も爆発したい!」とその人は書いた。一瞬見逃そうかなと思ったけど、

好きな相手に報われない同士なら、何か色んな問題がないように思えた。

それにこれは明らかに僕を誘っている言葉だ。

今日とか暇ですか」「うん」「お茶でも飲みませんか」「そうね」「待ち合わせは」「新宿甲州街道カフェで」

2時間後にはカフェの前に立っていて、テーブルに座って本を読む髪の長い女性に気がついた。

その時僕は30歳で、彼女は明らかに年上の女性だった。歳を聞いたけど教えてくれなくて、

でも10際は離れてないだろう。離れててもいいが。いまこの歳になって、

彼女が35歳だったか40歳だったかからないけれど、年下の男子を狙えてたのかな。

その時それを知っていたなら、年上女性もっと意識しただろうけど、30歳が若い男性だなんて考えてなかったか

彼女シャツデニムのロングスカートソバージュ、お化粧なしの、おとなしめの人だった。

自動車で来たというのでついていくと、ベンツCクラスだった。

甲州街道並木道を少し走って、ニフティなつい!)のシスオペしてたかとかの話になって、

「行き先はホテルでいいのよね』「はい」と西の方のラブホに向かうのであった(僕は西はわからん)。

部屋に入って、テーブルに向かい合って座り込んでため息ついて、

ちょっと省略)

雰囲気も何もないけど「横に行ってもいいですか」「うん」

横に座ったを合図に二人はディープキスをするのであった。

片方がそんな気じゃないのに舌入れられるときもあるが、

このときは僕も、きっと彼女もそうするもので間違ってないとゆう、シンクロニシティ

彼女は素足でロングコートがなくなるとショーツは黒だった。そうそ彼女は痩せ型。

ブラも脱がしてショーツも脱がそうとすると「恥ずかしい。。君も脱いで」と脱がされて、

自分テント貼ってるトランクスが恥ずかしかったけど、こういうときはいつも、

「これから恥ずかしいことをするんですものね」と恥ずかしさに向かうことに、、

やはり「わー」とか「大きー」とか「かたいー」とか言われてて、

彼女はぺちゃぱいだったけど、ちっぱい好きの僕は「可愛い胸。可愛い顔のなんとかさん!」と返信し、

ありがとう//」と。遠慮しないのが大人の女性っぽかった。

彼女にしたいふうにしてもいいですか」「いいよ」との返事をもらったので、

いつものおなにーの妄想ときに考えるような女の子むちゃくちゃにしたい気持ちけが先走るけど、

それでもこの人は好きな人でないしマイナスにまで行かないくらいにどうでも良かったから。

やりたいことしたけどなにもできなくて強く抱きしめたり自分勝手にキスしてくびすじなめてべたべたにしたり、

あ、もうおまんこさわったれ。と手をのばしたら、上品エロ漫画みたいに濡れていたのであった。

僕のちんこもびんびんで恥ずかしいが。女子は興奮したときの外見的変化がないけど、乳首が立ってたら指摘しよう。

男子射精して5分後くらいにもうびんびんのときがあるけど、あれは「もう一回やりたい!」ってことじゃないからね!

またーりとピロートークのときもびんびんになるときもあるけど、やりたいわけじゃないから。

でもときに「またもうおっきくなったの?」「君だからかな(おなにーのあとでもです)」の流れになる時があるけど、

その先は「立たなくなる」じゃなくて「経つけど痛くてなかなかいかなくなって、いってもなにもでない」が正解。

女子は何回でもいける、はそうだけど、股関節が痛くなるとか、トイレ行きたいとか、「休憩しましょう」になるよね。

つづく

2020-01-09

整形もしてないのに非モテを嘆くのは甘え

2019-09-15

投票所のお兄さんに、ありがとう

たま~に、面白おかしく読んでるんだけど、ちょっと聞いてほしいことがあったので、初めて投稿してみる。

今日は、市議会議員選挙投票に行ってきた。

転居して数年、この地では期日前か不在者投票ばかりだったけど、今日初めて投票日に投票所へ行った。

初秋の朝7時過ぎ、始めて通る田舎道を自転車で向かった。

住宅街から一歩出ると、すぐに田畑が広がっていて果樹や稲が色づき、気温も風もちょうど良く、とても気持ちがいい。

投票所になっている某学校の正門にはすぐ着いたが、案内はなかった。

ふと横を見ると、矢印のみのプラカードが、自分が来たのとは反対方から見える位置に貼ってある。

こちから来ることは想定していないらしいと苦笑いになりながら門をくぐれば、ハナミズキ並木が続き、突き当りにやっと校舎があった。

おかしなことに、校舎の出入り口は閉まったままで、案内もない。

ほとんど人がいないので、尋ねることもままならず。

校舎前広場のてんでばらばらに停めてある車に年配者が一人二人、乗り込もうとしているくらいだった。

自転車をぐるりと引き返すと、校舎の向こうから人が来た。

校舎を回りこむと体育館があり、そこが投票所のようだった。

急ごしらえの車いすスロープが、道半ばまで突き出ている。

特養か何かの施設が近くにあるから、きっとそこから投票に来るんだろう。

案内くらい設置しろよと、うんざりしながら自転車を停めていると、姿が見えたらしい正面にいるスタッフ達が大きな声で挨拶をしてきた。

ここで返しておけば、気持ちの切り替えが出来たのだろうと今は思うし、そうしたほうがいいとはわかっていた。

が、選挙運営に対してうんざりしていることはこれだけではなかったので、その元気な声にかえってイラつき、結果、無視してしまった。

最初から明らかに不機嫌な相手対応するのは、嫌なものだ。

そして、自分ミスではないことのクレームを受け取るのは、その立場コミットしていないと難しい。

一番最初に来場者に対応し入場券を受け取るそのスタッフは、完全にはコミットしていないようだった。

投票所がどこにあるかわかりにくいことを伝えると、半ばおじさんのおにいさんは一応謝ったが、すぐに意味がわかったらしく、後ろに座っている人たちに案内がどうのと話し始めた。

イライラが収まらないまま私は、とっとと投票を済ませ、さっさと体育館を出た。

すると、さっきのおにーさんが、プラカード数枚とガムテを手に会場を出て行き、フェンスカードを貼り始めた。

仕事早っ!っていうか、何そのプラカード

投票入口」と矢印が、書かれている。

…あるなら、何故、貼っておかない?

最初、そっちの校舎かと思ったんですよ」

「あ、あっちにも貼っておきます

いや、ソレ、ちゃう

地元民だけが来るわけじゃありませんよ!」

そう投げつけて、別の意味で気分が悪かった。

この兄さまは、悪いのは自分じゃないって態度が見え見えだけど、きちんと仕事をしてくれている。

しかしたら、案内を貼っていないということに異議があり、だからこそ、すぐに設置に動いたのかもしれない。

しかも、人件費抑制のために休日出勤させられている非正規職員選挙バイトかもしれない(空調の無い投票所で何度かバイトしていた知り合いがいるが、相当きついらしい)。

これからは、もっとましな言い方や態度で指摘し、改善を求めよう。

とっくに落ち着いた今は、これを書きながらそう思っている。

実は、いつもそう思うんだが、難しい。

だっておかしいじゃん。

この市は県庁所在地だが、高齢化率は日本の平均を超えている。

衰退が明らかなこんな地方都市で、IJUターン・住みやすい街作り、または地域市民の声をとか、そういうニュアンスのことを言わない候補者は、ほとんどいないだろう(今公報を数えてみたら13%もいたけど)。

その、足元の、選挙で、一見さんお断りかい

案内は最初から設置しなくてもいいと指示したのは選挙管理委員会なのか、現場判断なのか。

その理由根拠は何か。

それからもう一つ選挙運営に対して言いたいことは、入場券だけでなく公報も送れ!ということ。

今はネットで見れるけど、それでも、pdfだよ?

何十人もの候補者、見にくいんだよ?

ネットはなく、新聞もとらず、置いてある施設まで取りにも行けない人はどうする?

投票所で見ろと?

でも、あの投票所にそんなスペースあったっけ?

あったら、ごめん。

実際、それもあって私はこれまで、なるべく期日前投票をするようにしてきたけど、おかしくね?

選挙のたびに思う。送れない理由があるなら教えてほしい。

投票所に初めて行く人をないがしろにするのも候補を知らせないのも、多様性選挙権等々どの方向から見ても、改善必要だろーよ。

他にも選挙では、これまで色々ほんとに、はあ?というようなことがたくさんあったけど、とりあえず今回はこの辺で終わりにしとく。

というわけで、今日選挙のあるところでまだ行ってない人達、是非投票に行ってください。

もうあんまり時間ないけど、20時まで大丈夫文章書くのに時間かかっちゃった)。

2019-05-15

慶応卒は馬鹿な女にはものすげーハイスペだと思われる

顔がいいだけのスイーツ(笑)女子釣ってパコパコするにはコスパいい

国立落ちた鬱屈した掃き溜めと、見栄っ張りな金コネアホの子しかいない大学だったがなあ

俺はチヤホヤされなくてもいいか一橋に行きたかった、あの並木道を通りたかったよ

弟は中堅の国立医学部ではない)すらうかんなかった

それでも入れるんだよなあ私立ってのは。しょせんその程度なんだよ慶応なんて

全然したことないのにな。奥さんにするなら国立出身ジェネラリストがいい

別に難関国立じゃなくていい。センター用のために多くの科目勉強して一定以上に成績そろえた安心感

2019-04-15

時には昔の話をしようか煽りなれたなじみのこの村

マロニエ並木が夕べに見えてた

2019-04-07

今日ブレイド回を見ました

もともと文章書くのが下手な上に思ったまま書いたので読みにくいけどごめん

記憶も怪しいから間違ってるとかあるかも

ネタバレあり

バトルファイトジョーカー勝利した場合(=ジョーカー以外のアンデッド封印された場合)世界破滅が始まるって設定で、最後の一人になってしまった始(=ジョーカー)と世界を助けるために、アンデッドになりかけてた剣崎もジョーカーになることで世界破滅を止めたのが15年くらい前。

ずっと会えないけど、剣崎が始の写真集を持って元気に旅してる姿を聞けるドラマCDが4年前(もう4年前!?)。

まりここまでブレイド最終回を変えずに来たわけよ(ディケイドはしらん)。

ドラマCDだって剣崎と始の決意と覚悟無駄にしないようにしてた。だから2人は想いあってても会えないし、悲しいけどそれがブレイドの結末というか結果の後の世界線だったわけよ

今回2人がバトルファイトから解放されて嫌なわけじゃないけど嫌な気持ちも少しある

嫌な気持ちがその2人の決意はなんだったの?っていう夢オチに近い感覚と、なんでジオウで?ってとこかな

剣崎と始が会えないのはつらい。これはオタク気持ちだけどブレイド最終回見た人ならそう思うと思うんよ。あんなん泣くやん。剣崎が緑の血を流したとこからもう生きていけんわ。つらすぎ。

でもそれが剣崎が選ばざるを得なかったというかこれしかなかったから選んだ結果やったんよ。セルゲームでこれしか思いつかないって言ってセルと瞬間移動した悟空みたいな。それはちょっと違うか。

からこそオタクはそれを受け入れたしドラマCDでその決意がまだ続いてるのが悲しいけど嬉しくなったのよ。

でもそれが終わってしまったんよ今日

なんでジオウでってのが、本編で大量のダークローチであふれてて本当に世界が終わってしま絶望感みたいなのを剣崎が全て背負って止めたのに、新しいフォームでどうにかなってしまったのが剣崎と始の15年間はなんだったんだ…ってなったとこかな。徒労感というか。

この3人に救われたと考えればいいのかもしれないけれど、ゲスト解決してもらったっていうのが…もちろん本編の地続きストーリーはすごい嬉しかった(ディ…)。でもやっぱりブレイド問題ブレイドの人たちで解決してほしかったなっていうわがままがある。これは俺たちの問題なんだって剣崎が言ってたけど、本当にそうなんだよなって思った。

2人が救われたのは嬉しいけど、一視聴者として大好きだったブレイドという話の結末が終わってしまったのが悲しい

まって!?本当になんで終わってしまったん…永遠に見続けていた外苑のシーン……森のシーン……ティターン回のレモン……tbkさんとmrmtさんの❤️と♠️の指輪(それは違う)

2人がジョーカーである限り終わらないと思っていたブレイドが終わった日

追記

ツイッター見たら最終回!2人が救われた!って喜んでるツイートめっちゃ見るんだけど、いや確かに救われたのは嬉しいけど、でも、でも…って感じ。始が銀杏並木で剣崎の幻影を見た後の表情、明らかにちゃんと前を向いてるやん。最終回の時点では2人の問題ジョーカーから会えないってとこだけやと思う(記憶曖昧)し、ドラマCDでもそこは増えなかったと思う(記憶曖昧)

2人の悲しみ付け足しすぎてない…?いや記憶違いだったら恥ずかしいかあん言及せんとこ

ブレイドという作品と結末が本当に好きだったから受け入れられないのかな

追記追記

ツイッターエンディングが4つに増えたって書かれてて救われた。違う世界線で考えればいいのね。私は最終回ドラマCD世界が好きだけど、2人が解放される世界もあってもいい。納得。

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2019-01-12

ブギーポップは口笛を吹かない」あるいは「木村明雄の消失

アニメブギーポップは笑わない」1〜3話および原作ライトノベルブギーポップは笑わない』の内容に触れています

TVアニメブギーポップは笑わない」が放送中だ。ほぼ20年前にスタートしたラノベ原作であり、アニメ自体は二作目だが、原作の内容に沿ったアニメ化は今回が初めてとなる。

さて、そんなアニメブギーポップの「ブギーポップは笑わない」(原作シリーズ一作目)編が、最新の第三話で完結となった。平均的なラノベアニメ化としては、原作1巻を3話で消化というのは、極端に速いペースというわけでもない。それでも、もともとが5話で構成された原作を3話に再構成する上で、大小さまざまな省略・変更が発生することは避けられなかった。

そのうち、特に目についた二つの変更点について、思うところを少し書いてみる。

「君と星空を」&木村明雄

上で述べたように、原作ブギーポップは笑わない』は5つのエピソード構成された物語となっている。一話にそれぞれ主人公視点人物)が設定されており、一つの事件複数人間の目から見ることで立体的な世界が立ち上がってくる、といったような、今となっては(当時でも?)さほど珍しくはない仕掛けだ。

原作構成及び各話の主人公はこうなっている。

ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム


これがアニメでは、

ねこういう形に変換されている。話数単位で大雑把に見れば、各パートの分量はともかく原作の流れを大枠では引き継いだ構成と言えるだろう。

ただひとつ原作第四話がその主人公存在ごと抜け落ちている点を除いて。

原作第四話は、木村明雄という男子高校卒業後(事件から二年後)に、当時「失踪」した紙木城直子と過ごした日々のことを回想する、という内容になっている。

木村は、紙木城の交際相手の一人(アニメでははっきりと描かれないが原作の紙木城は木村田中を含めて複数の男と付き合っている)であり、事件にはあくま彼女を通して間接的にしか関与していない。紙木城から保護したエコーズについての話も聞くことになるが、何かのたとえ話だとばかり思っていた。

紙木城の失踪後、色々あったもの普通高校卒業普通大学生として普通生活していた彼の元に一通の手紙が届くことで高校時代記憶が蘇り……という、1話竹田と同じかそれ以上に青春小説的な色合いが濃く、いわゆる「一般人」の目線から見た章となっている。

アニメ化にあたって、章はともかく仮にも原作主人公の一人を丸ごとカットするのはあまり乱暴に思えるが、ここには一応それなりに納得できる理由がある。

第一に、事件の真の姿あるいはその存在すら知らないまま全てが終わってしまっていた、という木村明雄の立場は、程度の違いこそあれ竹田啓司(一話)や末真和子(二話)と重複している。一人一人に見える現実には限りがあるというテーマを示すためには、この二話だけで既に必要最低限のノルマは達成していると言えなくもない。

第二に、竹田と末真は以後の巻でも登場している(末真は準レギュラーに近い)が、二人と違って木村明雄は今のところ少なくともブギーポップシリーズ内では再登場しておらず、カットしても今後の展開に特に影響がない。

第三。エコーズの素性に関する情報は、原作では第四話で木村が紙木城から話を聞くという形で最初に明かされる。物語の本筋との関係においては四話の存在価値と言ってもよい部分だが、アニメでは2話後半、紙木城と凪の会話でほぼ同じ内容が補完されている。これは、原作でもそのようなやり取りがあったと事件後に凪の口から語られていたものであり(木村自分にだけ話してくれたと思い込んでいたが)、オリジナル展開というより変則的原作再現に近い。木村カットしてもそういう軽度の改変で済む部分なのだ

驚くべきことに原作『笑わない』には、凪と紙木城が親友であるという情報こそあるが、二人が直接会話するシーンは存在しない。にもかかわらず、読者にはちゃん彼女らが親友同士に感じられていたというのは小説マジックというほかないが、ともあれ、今アニメで凪と紙木城の会話が追加されたこ自体ファンにとって喜ばしくさえある。

これらの理由から、『笑わない』をTVアニメ3話分に収めるために章と主人公をどうしても一つ削らなければならないとすれば、やはり第四話と木村妥当ということになるだろう。アニメスタッフ判断は間違っていない。

間違ってはいないのだが。

口笛

原作において、ブギーポップというキャラクターはいくつかの記号によって構成されている(もちろんその全てが記号還元され得るというわけではない)

都市伝説死神世界の敵の敵、黒い帽子と黒いマントと黒いルージュ、ワイヤー、そして口笛。

ブギーポップは、常にというわけではないが誰かの前に姿を現す時、特に世界の敵と向かい合う瞬間には、なぜか「ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲を口笛で吹きながら登場する、ということになっている。

過去メディア展開でも、多くの場合はこの口笛が再現されてきた。

実写映画はあらすじの時点で「口笛を吹く死神」と紹介されているし、旧アニメファントム)ではブギーポップ登場時の口笛はもちろん、次回予告のBGMとしてオリジナルアレンジマイスタージンガーが毎回使われ、最終回ではテルミンバージョン???)すら流れるという充実ぶり。

メインの使用キャラクターではなくサポートキャラとしての出演に過ぎない、格闘ゲーム電撃文庫 FIGHTING CLIMAX」でさえ、ブギーポップはやはり口笛を吹いて登場している(実際にプレイしているわけではないので又聞きだが、そのせいで攻撃判定の発生が遅いとかなんとか)

このように、「マイスタージンガー」「口笛」はこれまで原作の内外で、ブギーポップというキャラクター作品象徴する、代名詞と言ってもいい扱いをされてきた。

原作『笑わない』では、ブギーポップは二度口笛を吹いている。一度目は、一話の竹田屋上で会話をしている時。

第一話 浪漫の騎士 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

ブギーポップが口笛を吹き始めた。明るく、アップテンポな曲で、しかも呼吸に緩急があってすっごく上手だったが、しかし口笛なので、やっぱりそれはどこか寂しげだった。

 そして、藤花は口笛が吹けないことを思い出した。

うまいんだな。なんて曲だい?」

「〝ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲さ」

「なんだいそれ」

ワーグナーって大昔のやかましロマンチストがつくった、一番派手な曲だよ」

二度目は五話終盤、早乙女を失って荒れ狂うマンティコアに追われる新刻の前に姿を現す時。

第五話 ハートブレイカー 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

 恐怖のあまり、私はついにおかしくなった、と思った。

 幻聴が聞こえだしたのだ。

 現実にはあり得ないほど不自然な曲が、目の前の並木の植え込みから聞こえてきたのだ。

 それは口笛であった。

 しかも、口笛にはまるで似合わない曲、ワーグナーの〝ニュルンベルクのマイスタージンガーなのだった。

いずれも、古くからの読者には印象深いシーンだろう。

しかし、今アニメの「笑わない」編ではこれらの口笛演奏存在しない。ブギーポップは、一度も口笛を吹かなかったのだ。

これも木村同様に尺の都合なのだろうか?

マイスタージンガーといえば、あの、ふぁーふぁーふぁふぁーという力強いイントロが印象的な曲だ。口笛でいうと、ぴーひょーろろーとなる。最低限この、ぴーひょーろろーさえ吹いてくれれば、少なくとも原作読者には「あの口笛」だと一発で分かるし、初見視聴者にも、ブギーポップというのは口笛を吹くキャラらしいということだけはなんとなく伝わっていただろう。

前回のアニメや電撃FC使用された口笛バージョンマイスタージンガーで、ぴーひょーろろーの部分の所要時間確認してみると、せいぜい2〜3秒というところだった。2、3秒。もちろん1秒24コマで動くアニメ世界での2、3秒は、日常的な感覚のそれよりも遥かに長い時間ではあるのだろう。だが本当に、今回のアニメ「笑わない」編は、ぴーひょーろろーを挿入するだけの余裕が一切存在しないほどに緊密な内容だったのだろうか。

どうしても時間が足りないなら、いっそセリフを喋りながら同時に口笛を吹かせてもよかったのではないかブギーポップというのは、そのぐらいの物理法則を超えた無茶も読者視聴者笑って許してもらえるような、良くも悪くも異質なキャラだったはずなのだが。口笛のためにそこまで冒険するほどの価値はない、と判断されたのか。

これが、今回のアニメではブギーポップは口笛を吹かない存在として設定されているということなのか、それともあくまで「笑わない」編だけの変更なのかはまだ分からない。次回からの「VSイマジネーター」編ではしれっとぴーひょろ吹き始めたりする可能性もある。しかし仮にそうなるとしても、「笑わない」で口笛を吹かなかったという事実は、もはや取り返しがつかないのだ。

原作未読者の中には、口笛が無いとなにか物語の展開に支障が出るのか?という疑問を持った人もいるかもしれない。たしかに、どうしても口笛が無ければ成立しないという場面は、原作にもほとんどない。もちろん口笛自体に、特殊振動波か何かで敵の脳に直接揺さぶりをかける、などという実用的な効果存在するわけもない。はっきり言ってしまえば、口笛は基本的雰囲気づくりの賑やかしでしかないということになる。

その意味では、削る必要はないが削ったところでどうということはない要素だったのだ、とも言える。

言えるのだが。

昔語り+α

ここで唐突に昔の話をする。

ブギーポップがちょうど一度目のアニメ化や実写映画化をしていた頃のこと。とある個人サイトにて、「実写映画になるっていうから読んでみたけど単なる化け物退治の話だった」というような『笑わない』の感想を見かけた。当時の自分シリーズ純粋ファンだったので、そのあまりにも大雑把なまとめ方に、大雑把にまとめてんじゃねーわよ!と素朴に憤慨したものだ。

しかし、今にして思えばあの感想示唆である複数視点による眩惑を取り払った一本の話として『笑わない』の本筋だけを眺めてみれば、それはたしかに「単なる化け物退治」の話でしかないのだ。

では、自分を含めた多くの読者に『笑わない』を「単なる化け物退治」ではないと感じさせた、「本筋」以外の部分とはなんだったのか。それは、自分の進路について語る竹田とそれを半ば無責任肯定してくれるブギーポップであり、

第一話 浪漫の騎士 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

「へえ、君は受験しないのかい

「うん。親父の知り合いでデザイン事務所をやってる人がいて、ずっとバイトしてたんだけど、その人が〝おまえは見込みがある。センスを感じる〟とか褒めてくれてさ、大学なんか行かずに俺のところに来いって言うんで」

「すごいじゃないか親方に見込まれ職人ってヤツだな」

“対決”を望んで走る末真であり、

第二話 炎の魔女、帰る 3 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

(そうよ──中途半端はもううんざりよ!)

 霧間凪はほんとうに魔女なのかも知れない。でも、それこそ望むところだった。

「No One Lives Forever」を口ずさむ早乙女であり、

第三話 世に永遠に生くる者なし 5 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

「……誰も、誰も、誰も、誰も、誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も………」

新刻の意志の強さを賞賛するブギーポップであり、

第五話 ハートブレイカー 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

しかし、新刻敬──君の意志の強さは見事だ。君のような人がいるから、世界はかろうじてマシなレベルを保っている。世界に代わって感謝するよ」

そして、木村であり口笛であり、そういった一見取るに足りない枝葉こそが作品の印象を形成していたのではないか

枝葉とは言うものの、ひたすら枝と葉を切り落として純化していった先にあるのは、ただ一本の幹だけがまっすぐ天を突く寒々しい樹の姿だ。口笛や木村が本筋に不必要だというなら、ブギーポップあんな格好をしている必要別にない。『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女存在していなかったともいうし、この巻に限って言えばブギーポップだって無くても成立しそうな内容だ(シリーズ全体で見てもブギーポップ世界設定の中で異物として浮き続けていている)。必要不要物差し物語を測れば究極的には、そもそもアニメ化する“必要”とは……?原作が書かれる“必要”はあったのか……?という不毛なところにまで踏み込みかねない。

ブギーポップというシリーズは、ことに『笑わない』は、この「剪定」の影響を大きく受けやす作品であるように思う。本筋に関わらない細部が、作品本質とは思いがけなく深く結びついてるかもしれない、という面倒くささがある。アニメ側にとっては、原作の味を再現するためにどこを切ってどこを残すべきなのか、という判断が非常に難しい題材だったのではないか

いや、ブギーポップに限らずどんな作品であっても、ファンアニメ化や映画化などのメディア展開のたびに、アレがないと○○本来の良さが失われてしまう!と感じてはいるのだろうけど。

まとめ

木村明雄の省略に関しては、大きな変更ではあるし非常に残念ではあるが、三話という尺を考えれば致し方ない(そもそも『笑わない』を三話でというタイト過ぎる構成の是非はともかく)

口笛に関しては、小さい部分かもしれないが逆にそんな小さいところを敢えて削る意味が分からないし、監督でもシリーズ構成でもプロデューサーでもいいので早めに誰かに何らかの説明をしてもらいたい。

ということになる。

原作から変えること自体は、いい。メディアの違いに加えて、予算時間など様々な制約もある以上、どうしたって変えざるを得ないところは出てくるだろう。だが、その変更に意図というか大げさに言うと「思想」があまり感じられないのはちょっと困る。原作から変えてまで実現したかたこととは何なのか。

前回のアニメ、「ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom」は、初アニメ化にもかかわらず『笑わない』のオリジナル後日談という暴挙とすら言える内容となっており、それだけにとどまらず「霧間凪一人称が『オレ』じゃない」など、原作からの変更点がいくつか存在した。当然、原作ファンから評価も当時はあまり良くないものが多かった。

しかし、ファントムというアニメからは、これが作りたい、こうした方が面白いはずだ、という意志は強く感じられた。原作からの変更点自体に納得できるかどうかはともかく、そういう姿勢を打ち出されればこちらも、へぇ……あなた達はこういう画面も話も異常に暗いアニメがカッコイイと思ってるんだ?「オレ」女はリアルじゃないって?へーえええええ……?と正面から受けて立つことができるというものだ(こめかみに血管浮き上がらせつつ)

今のところ、今回のアニメブギーポップは、原作読者の目から見ても決して悪い出来ではない。悪くはないのだが、どうも、どこに芯があるのか分かりにくいアニメ化となっているように見える。

公式が「アクションファンタジー」と銘打っているということは、「笑わない」編では終盤に集中して存在する程度だったアクション部分が徐々に増えていく、これからエピソードが本番ということなのかもしれない。たしかに、最初に公開されたPVでもアクション描写はひときわ光っていた。

次の4話からは、原作では上下巻の大がかりなエピソード「VSイマジネーター」編が始まる。そこでは、このアニメと思いきりVSできることを願っている。

追記

”『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女が存在していなかったともいうし” へえ  それどこ情報? - maturiのコメント / はてなブックマーク

”『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女存在していなかったともいうし” へえ  それどこ情報

電子版『笑わない』新規書き下ろし「後書き」。プロト版のタイトルは、「エコーズ──人喰いの谺」だって

2019-01-07

anond:20140329194102

並木道を歩けば黄昏の空にささいな事もはるか昔の様に思えるけど寄り添う君が一つ微笑む度に僕は僕である事に気が付くんだよ頼りがいのある男には見えないかもしれないけどそれでも君を守りたいって思うんだよ

2019-01-06

薔薇かな🌹

会いに行くよ

並木を抜けて

歌を歌って

手にはいっぱいの

花を抱えて

らるらりら

anond:20190106004940

2018-11-01

anond:20181101163921

大阪に何度か行ったことあるけど、大きな公園は少ないし、ひたすらコンクリートモルタルの街並みが続く。街路樹のある通りも東京に比べて少ない。

グーグルマップの上空写真確認しても、東京に比べて緑の部分が少なすぎる。

果たしてそうかな? 東京の目抜き通りである銀座中央通りと、大阪の目抜き通りである御堂筋とを比較してみれば、イチョウ並木が2キロ以上に渡って綺麗に整備されている御堂筋の方が緑豊かなストリートだと思うよ。

街路樹のある通りと言ったけど、大阪街路樹のある通りは、堺筋御堂筋四ツ橋筋、なにわ筋天神橋筋天満橋筋上町筋・・・普通に街路樹が整備されている通りばかりだけど?

東京大阪も緑地帯密度は同じくらいだと思うよ。東京都心である銀座京橋日本橋東京駅の一帯の中では、緑地帯らしい緑地帯なんてないよ。

難波駅前のアール・デコ精華小学校を、そのまま緑豊かな文化施設転用すればよかったものを、文化のぶの字も知らない行政が取り壊した挙句、地権で揉めて何年も>更地のまま、やっと出来たのは家電量販店パチンコよりはマシだけど、それにしても大阪凋落を見てるようで辛い。

アルマーニ制服採用して話題になった銀座の泰明小学校(同じく戦前アール・デコ建築)とは対照的というか、なんか悲しくなるね。

廃校現在も供用されている学校を同列に論じられても・・・

大阪で言えば、中之島大阪市役所。あれがもし建て直さずに残っていれば、その後の文化行政も変わったかもしれない。過去の栄光をどんどん馬鹿みたいに目先の金>と利便性で塗り替えていって、京都神戸に下に見られる都市に堕ちていく大阪。いつまで東京を追いかけてるつもりなのか。

東京だって有楽町にあった旧東京都庁を取り壊して、今は無印良品の店になっちゃったじゃん。

流石に大阪京都神戸から下に見られるというのは笑い話でしょ。

鉄道網や高速道路国道網は全部大阪から放射状に伸びる仕組みになっているし、京都神戸大阪ベッドタウンの一つでしかない。

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