はてなキーワード: VIとは
(Qiitaのほうに2019年版があるので今はそちらを…。こちらは2015年版な感じです。)
Vimの外でもVim風の操作ができたりするのは彼らのおかげだ。
デフォルト、オプション、プラグイン、アドオン、様々な手段で提供されている。
Vimを使っている人でも使うかどうかは人それぞれだし、
どの程度Vimを再現できているのかも実装によってまちまちなのだが、
なんだかんだで有名どころのテキストエディタや統合開発環境では何らかの形で提供されることが多くなったように思う。
(一覧に無いものは私が知らないか忘れているだけなので、実際にはまだあると思う)
統合開発環境 | 名称 |
---|---|
Visual Studio | VsVim |
Xcode | XVim |
Eclipse | Vrapper |
NetBeans | jVi |
IntelliJ IDEA | IdeaVim |
MonoDevelop | Vi Mode |
Qt Creator | FakeVim |
テキストエディタ | 名称 |
Emacs | VIP |
Emacs | Viper |
Emacs | Evil |
Atom | Vim mode |
Atom | vim-mode-plus |
Sublime Text | Vintage |
Sublime Text | Vintageous |
Brackets | vimderbar |
Visual Studio Code | Vim |
Light Table | Vim |
ブラウザ | 名称 |
---|---|
Firefox | Vimperator |
Firefox | VimFx |
Firefox | Vimium |
Chrome | Vimium |
Chrome | Vrome |
Chrome | Vichrome |
Chrome | cVim |
Opera | VimOperate |
Opera | wasavi |
Safari | sVim |
Safari | vimari |
いくつかのコマンドでも。
コマンド | 分類 |
---|---|
bash | シェル |
zsh | シェル |
ksh | シェル |
tcsh | シェル |
yash | シェル |
tig | gitインターフェース |
less | ページャー |
cgdb | デバッガ |
LuaKit | Webブラウザ |
名称 | 操作 |
---|---|
jkで前後の項目に移動 | |
TweetDeck | jkで前後の項目に移動 |
jkで前後の項目に移動 | |
Google+ | jkで前後の項目に移動 |
Tumblr | jkで前後の項目に移動 |
GitHub | jkで前後の項目に移動 |
jkで前後の項目に移動 | |
Pixiv(複数投稿) | jkで前後の絵に移動 |
ニコニコ静画(漫画) | jkでスクロール |
ニコニコ静画(電子書籍) | hjklで前後のページに移動(wasdでも可) |
はてなブックマーク | jkで前後の項目に移動 |
ゲームも。
名称 | 操作 |
---|---|
nethack | hjklで上下左右に移動(yubnで斜め移動) |
> viのhjklは先行する何かの影響で実装された記憶があるので、操作が共通だからというだけで「viを忍ばせる」というのは言い過ぎではないかという気がする
> まして「vimを忍ばせる」というのは、ちょっとその、まあなんというか…
確かにVimではなくviの模倣だったりして無理があった…。hjklの大元を辿るとどこに辿り着くんだろう(ビル・ジョイの使っていたキーボードとは別?)
http://anond.hatelabo.jp/20151222002334の元増田だよ!
思いの外レスが付いてびっくりだよ!!スラドで見た時は流石にびっくりしたね!
適当に書きなぐったのでまあNeo****を害悪だとかなんとか言ったけど、まあちょっと言い過ぎたかなっては思ってる
でもね、初手からNeo****でプラグインを入れるのを勧める記事が溢れているのはやっぱり害悪だと思うな!
せめてなれてから(vimtutorを終わらせてから)入れるべきじゃないかな?
あ、でも勘違いされないように言っておくけどLingrのみんなはちゃんとOSS活動やってて偉いなって思ってるよ!煽りじゃなく。
ほんとはだんまりしてるつもりだったけど、気になったコメントが有ったから返信するよ!
http://anond.hatelabo.jp/20151225003934
ただwとかiとか書いてある記事は不要、ないほうがマシっていう意見は変わらない
せめて先頭の方にvimtutorって書いてあればまあまだ許せるけどね
あとset -o viだけど、(ちなみにスラドでset -o viはbashでbashはニワカって書いてあってわろた)
set -o emacsのほうが使いやすいと思うよ。主観だけどねw
なんでかっていうとシェルではテキストオブジェクトを使えてうれしい時が少ないから。
あとDo one thing...はエディタにも当てはまると思うけどなあ。そんな否定することじゃないんじゃない?まスラドのみんなの意見も聞きたいとこだね!
まー結局誰がどう何を使おうといいんだけどね、昔からのvimユーザーとしてvim使いにあらずんばエンジニアにあらず(まあそこまでじゃないけど)、みたいな風潮がf*ckだと思う
(また主観がどうのとか言われると思うけど、実際のブコメとかでもそういうコメントあったからね、少なくとも俺以外もそう思ってる人は少なくないと思うよ
ここ2,3年くらい、Vimが妙に流行っている。はてブやqiitaでもVim関連のページが出れば大量にブクマがつくし、「俺はVim派だから」みたいな発言を大学だったりtwitterだったりでもみる。
しかしその実、世間に出回る「vim tips」みたいなのをみると、cやr,はたまたw,$,0,..など超がつくほど基本的なものしか載っていない。
なんでこんな常識的なものにこんなにブクマつくの???っていっつも驚く。
昔はvimに憧れるワナビーがブクマをつけてるのではないかと思っていたが、どうやら今のネット界隈では「vim派」と言って通ぶることが一種のステータス?になっているのではないかと思うようになった。
ちょっと前に流行ったvim pluginブームにもびっくりした。vimはあくまでもIDEなんていらないスクリプトを書いたり、CUIでエディットしたい時に使うものだろう。
ものには使いみちというものがある。文章、少なくとも日本語はVimに向かないし、Javaの開発ならeclipseですらvimよりよっぽど生産性が高い。
vimにpluginなど入れて喜んでいる一部の人達をみると、やはりvimで通ぶっているだけではないかと思えてしまう。
.vimrcは長けりゃいいっていうものではない。それがemacsに対するvimの美徳のひとつではなかったのか。
そもそも、vim人口が見かけ上増えているにもかかわらずemacs人口が増えていないのがおかしい。どうも最近のvim派の人たちはemacsをあまりうまく使えていないようである。(俺のまわりだけかもしれないが)
昔のhackerはエディタ戦争なんて言いながらもお互い両方のエディタを使えたものだ。大体がshellでset -o viなんてしたら使いづらくて仕方がない。shellはctrl-aで先頭に戻るし、ctrl-rで履歴検索をするものである。
そもそもエディタ戦争なんて洒落にすぎないんじゃないかと個人的には思っている。viとEmacsは基本教養である。どちらかしかできないのは文盲のようなものである。
vimvim言ってブクマしてるみなさん、vimtutorは起動したことありますか?Vim関連の記事を100個ブクマするよりよっぽど有用です。
Do one thing and do it wellって知ってますか?一つのプログラムでなんでもしたいならwordかVSで十分です。無理してviを使う必要はないです。
俺はまだLinuxを使い始めて10年くらいだけれど、エディタはvi(m)一筋だった。
何がいけなかったのだろうか。
あとviとvimがうんぬんというブコメありましたが、逆に今日びviとvimを使い分けることがあるんでしょうか…?
(もちろんインストール直後のdebianとかだとvim.tinyしか入ってないけど)
普通/usr/bin/viってvim.basicを指してることが多いと思います。もしvim.tinyを指していたらごめんなさい。
てかaliasなりupdate-alternativesみたいなの使われたほうがいいのでは…?
id:akanehara (増田はじめてだからよくわかんないけどブコメに返すのこれでいいの?)
いやね、俺はNeoなんちゃらとかなんちゃら.vimとかのプラグインが流行りまくってるのどうかと思うんよ。
vi使いたくてあんなゴタゴタした画面分割するならtmuxかscreenで別タブにシェル開けばいいしそのほうが拡張性高いじゃん…っていう。
それかVSなりIntelliJで(ちなみに俺はeclipse使います。微妙にdisったけど)
あとはSIGSTOP(てかSIGTSTPか)で止めるのもよい使い方だと思う。
とにかくこれからviなりunixを使い始める人達がああいう害悪に影響されてほしくない。Neoほげほげよりtmuxとかctrl-zのほうがのちのちず~~~っと役に立つから。
viが流行ること自体はいいと重います。emacsももっとはやって欲しいです。nanoは即update-alternatives --config editorするんで知りません
と思ったらなんかみなさんいろいろ考察してくださっていますが、今やviクラスタ≠unixクラスタなのか…
なんてこったい
TeXは確実にGUIのほうが使いやすいよ。俺はTeXstudioだけど、シェアウェア買ってる人もいるね。特に仕事道具にしてる人は。
vimじゃあPDFからジャンプとかできないから校正の時とか使いづらいことこの上ない
一理ある
問題はvim scriptはelispに劣ってるところだと思う。
言語プラットフォームとしてみたときやっぱりemacsには一日の長があるよ
なのにpluginとか言って喜んでるのはなんか違うと思うなあ。
あるサイトのタロット占いプログラム(それ自体はほぼ遊びで作られている)で占っていたら、今の自分を完全に見抜かれている気がして胸くそ悪さまで感じるので、引いたカードをさらして行く。
① IV. PENTACLES (金貨の4, ペンタクルの4) REVERSE
逆位置:執着。嫉妬。どん欲。吝嗇。保持。保管。
② Page of CUPS (聖杯の小姓) REVERSE
③ VI. PENTACLES (金貨の6, ペンタクルの6) REVERSE
1枚目を引いた時点で怖くて2枚目以降を引きたくなくなった。
2枚目も同じ気持ちになった。
3枚目で何故か妙に納得した。やっぱりこの指摘を信じて冷静に行動した方がいいんだろうか。ちなみに悩みは恋愛関係の陳腐なもの。
ちょっとした事情からシステムディスクの移設をしたところかなり躓いたので、備忘録的にメモ。
時代に逆行して個人的な書き物をする場所を一切持ってないのでお借りします。
以下、Linuxなりの最低限の知識があり、バイトオーダーもわかり、細かいところは勝手に補間できる人向け。
オフセット32256バイトを1048576バイトに調整する。
得てして非AFTからAFTという状況と思われる。
コピー元が壊れかけの時はやらないほうが吉。
「男はなにもしないで文句だけ言う」
みたいなコメントが並ぶんだが、嫁姑問題に疎いんだろうな、といつも思う。
それが悪いとは言わない。想像力が足りないとも思わない。
ちょっと想像して欲しいんだが、オマエさんが職人だったとするな。
壺を作るとか、漫画を描くとか、なんだったらiPhoneアプリ作るんでも良いよ。
で、ある日、「オマエの仕事に文句があるから、俺にやらせろ」ってヒトが入ってくる。
引き継ぎじゃ無いんだよ。廃業しろと迫るわけじゃない。ちょっと代われって感じ。
それさ、代わる?自分の神聖な作業場に他人が入ってきて、作業場使わせろって事だよ。
はてなーに伝わりやすそうな例で言うとさ、Emacsでやってたのに、目の前でviとか設定始めてんの。
男子厨房に入らずっていう意味じゃなくて、家のキッチンってものすごいパーソナルな作業場なのよ。
だれにでも使えるような、最大公約数的な配置になってたりしないの。そんな理由もないし。
そして、パーソナルな作業場を、他人に乱されることほど、癇に障ることって無いのよ。
同居とか、二世帯住宅で、世帯別にキッチンを作る必要性が強調されるのは、そこなの。
夫と舅がふたりともNゲージのマニアだから、趣味の棚は一つで良いわよね?って言われたら、エッてなるでしょ。
いくら趣味が同じだって行っても、同じだからこそ、共用にはしづらい。共用に出来ない。
たとえば、家族旅行に行くときの段取りが悪いから、次は私がやる、宿も抑えるし店の予約もする。
でもね、料理、日々の食事って、そうじゃない。
メシマズに対して、誰かが代わりに料理すれば良いっていうのは、つまり「毎日の食事担当を完全に代わる」必要があるのよ。
何回か、「こうやったら上手く出来るだろう」って言われても、意味が無いの。
キッチンが一つしか無い家庭で、メシマズが食事担当になってる時に、本人が更生する以外に手は無い。
例えば、各日で料理担当をするとかも、あんまり意味が無いと思う。
チームで仕事する為に、なんかルールとか規約が決まってる世界の話じゃないのよ。
凄く下品な言い方するとね、「オマエが奥さんを喜ばせられないのは、愛撫の仕方が悪い」って他人が奥さん触る感じ。
それさ、耐えられる?
食事担当でキッチンに立っている人間は、そう言うレベルでその場所を捉えてるの。
だから、メシマズの話題になった時のアドバイスとして、「代わりに作って味を見せたら良い」は完全に逆効果。
そりゃ、姑の飯がマズイからって、嫁が姑のキッチン使って飯作って舅が喜んだら、いびり倒しもするだろうと。
アノヒトの愛撫の方が良かったアナタの愛撫はもう嫌って奥さんから毎日言われてみ。アノヒトに憎悪以外湧く?
下手なブコメばっかり書いてんな、オレに代われって家族に言われてみ。
しかも家族の書いたブコメの時に限ってスターが付くの。それで家族得意げ。
そのアカウント、続ける気力、ある?耐えられる?
【追記】
ちょっと更新した(恋人と正義)。ちなみにタロットは詳しくない。
なんとなく。直感です。
II 女教皇 id:kutabirehateko
III 女帝 id:topisyu
IX 隠者 id:zaikabou
XII 吊された男 id:rlee1984
XVI 塔 id:cyberglass
XVII 星 id:kiya2015
edのコマンドはすべて1文字。行を挿入するときは"a"や"i"、行を削除するときは"d"。編集内容を保存するときは"w"、edを終了するときは"q"。edの人々は長いコマンド名にわずらわされずに暮らしていたんだ。
書き間違えた言葉を直したいこともあるよね。たとえば"history"を"fiction"に置き換えたいとき、edの人々は一つずつ"history"を探して書き換えるのではなく、s/history/fiction/gのように、置き換える言葉を線で区切って並べていたんだ。簡潔さを好むedの人々らしいしぐさだね。
edにはコマンドモードと編集モードがあったんだ。テキストを直接入力するときに使うのが編集モード。テキスト入力を終えるときは、"."1文字だけの行を入力するんだ。そうすることでコンピュータに編集モードの終了を伝えられるし、ユーザもピリオドを打つことでモードの切替を意識できる。edではそんな人と機械への気配りはあたりまえだったんだ。
edの人々が主に使っていたのはディスプレイではなく、ロール紙に1行ずつ印字するテレタイプ。
今の私たちには一見すると不便に思えるつくりも、edの人々にとっては紙と時間を節約する工夫の詰まったものだったんだね。
こういう記事が上がって
それへの反応
記事の最初のカッコの省略だけど、世界的に評価されて広く使われてるようなプロジェクトのコードを見ると、案外{}が省略されていたりしてそんなことは気にしてない。(たとえばlinux, apache, postgresql, mysql, chromium, netbeeans, eclipse, llvm, jruby, android)
で「こんなコードを書くヤツは夜道に気をつけろ」「八つ裂き」みたいな大げさな反応してるのって、どういうコードを書いてるかよく分からないような人たち。
自転車置き場の議論的な、素人でも分かりやすいポイントだからこのツッコミって人気あるのかね。
―――――↓見てないかもしれないけどブクマとかへの返信を追加―――――
2chあたりでコーディングスタイルの議論になったときは、俺様基準じゃなくて実際に成果を出してる人たちが採用してるコーディングスタイルを基準にしようぜってことで、誰もが認める成果を出しててソースを見れるオープンソースのコードを引き合いに出すことが多いんだけど、そうするとよくある反論が二つある。
みたいなの。
さすがにはてなやツイッターじゃ、前者のような「お前は20年前からタイムスリップしてきたのか」みたいな認識の人はいないみたいだけど後者のような人は何人もいるね。
高度なコードを書いてる人とITドカタのコーディングルールは違うってなんなんだろうね。
「高度なコードを書いてる人は低レベルなケアレスミスなんてしない、だからカッコを省略しても平気なんだ、レベルの低い連中はケアレスミスをするからカッコが必要なんだ」って認識なのかね。
まあたしかに「viは一晩で書かれた」みたいにハッカーが複雑なコードを一気に書きあげてバグがなかったみたいな伝説ってあるけど、素人じゃないんだからそういうハッカーのイメージで高度な人たちをとらえるのはやめよう。
集中力が高度でケアレスミスをしないとか、今どきのソフト開発の「高度」はそういう意味じゃありません。
高度なソフトを開発している人たちは、おおむね読みやすさや保守性にセンシティブです。そのらのSIerなんかに比べたらはるかに。
で、そういう人たちが、カッコを書くか書かないかなんてどうでもいいって認識だからカッコを省くコードが書かれてるんです。
昔ハンガリアン記法がコードの質を高めると信じられてたときとか、if (100 == n) のように比較で定数を左にもってくるのが流行ったときも、そういう流儀の人たちは自分らは安全側に倒してるから正義だって信じて主張を全然曲げなかったですね。
http://www.j-comi.jp/book/comic/45521
何の予備知識もなくただのレトロゲー漫画だと思って読んで深い感銘をうけたので感想を書く。(※ネタバレ含む)
1979年からのゲームにまつわる著者の少年時代のエピソードを細かい小ネタ解説を交えて
進んでいく前半パートは気楽に楽しく読めた。
細かい文字が多く読みにくい部分はあるものの、スペースインベーダーを模したおもちゃの詳細な解説は読み応えがあるし、
近所のゲームコーナーのヒーローおじさんやお金持ちの男の子などしんみりさせるエピソードなどは
自分より一回り上の世代ではあるが共感とノスタルジーを感じた。
旧友が岡山弁丸出しでMZ-700のゲーム内容を語るシーンなどのギャグセンスは秀逸であり一気に登場人物に
感情移入してしまうが、その後急に内輪ノリでお友達がゼビウスについて語りだしてしまうのは突き放された印象でちょっと興ざめ。
レトロゲーム史の記録にこだわらず少年時代のノスタルジー漫画として割り切ったほうが、読ませる筆力がありそうである。
そのあたりから徐々に自伝的色合いを増し、第10話から話が急展開してゲームからアニメへ主人公の興味が移ってしまう。
3年間アニメ制作に情熱を燃やし尽くした筆者を待っていたのは、「まんが道」における「連続原稿落とし事件」並みの絶望であった。
努力はした、けれども能力が足りなかった。でもみんなで頑張ったんだからよかったじゃないか。
そんな自己欺瞞を「オネアミスの翼」に粉々に打ち砕かれるシーンには胸を打たれる。
「どれだけ熱意があっても、どれだけ精魂を傾けても、クズはクズだ。ぼくはこの時はじめてそれを学んだ」
この後、この挫折をバネに著者がゲーム業界で成功していれば、ゲーム版「まんが道」といってもいい希望に満ちた素晴らしい物語になっただろう。
だがその後モノローグはこう続く
「そして、それは最初であって決して最後ではないことをぼくはこの後何度も思い知らされることになる」
アニメフェスティバルで手塚治虫に会って、一生かかっても恩返ししたかったのだというエピソードのあと、
現在の著者近況に戻って物語は終わる。希望はなかった。ただ傍観者としてゲーム業界の進歩を眺めているというようなラストだった。
おそらくこれはまだ続きを書くつもりなのだと思う。
気になったので著者のその後について調べてみた。
大学在学中に漫画家デビューしたものの売れずその後セガに入社、現在はフリーライターとのことである。
セガガガ(2001年、セガ) - 原案・美術設計・プロデュース
ASTRO BOY・鉄腕アトム -アトムハートの秘密-(2003年、セガ) - ディレクション・シナリオ・背景グラフィック
ガンスタースーパーヒーローズ(2005年、セガ) - ディレクション・シナリオ・背景グラフィック
ブラック・ジャック 火の鳥編(2006年、セガ) - ディレクション・シナリオ
サンダーフォースVI(2008年、セガ) - 企画原案・美術設計・プロデュース
セガガガはセガファンには有名な内輪ネタゲーであり、この人はやはり内輪ネタで本領を発揮するタイプなのかと思われる。
クソゲーとも言われているようだが情熱だけで独善的に突っ走る著者の性格がまだうまく作用したケースなのではないだろうか。
ASTRO BOY・鉄腕アトム -アトムハートの秘密-は、火の鳥アトム編を補完するGBAの名作として手塚ファンに語り継がれている。
この実績を持って手塚治虫への恩返し云々というエピソードにつながってくるのだろう。
どの程度関わったのかはわからないが、これが現在のところ著者のゲーム業界におけるハイライトと言えそうである。
そして最新のキャリアがあの伝説のクソゲー、シリーズファンから存在を抹消されているサンダーフォースVIであったことを知って
とてもフクザツな気分になった。情熱だけで独善的に突っ走った結果手に負えなくなり、誰も喜ばない作品が出来上がって
「仕方なかったのだ、これはこれでよかったのだ」と自己欺瞞するしかなくなるという高校時代のエピソードとぴったり重なる。
ちょうどこのゲームをリリースしたあとにこのパートを執筆していたというのだから著者自身それを痛感していたことだろう。
思うにゾルゲ市蔵氏は才能豊かな人である。絵も上手いし、曲がりなりにも高校生で二十数分というアニメを完成させている。
自伝をこれだけ客観的で読み応えのある物語に仕上げる才能は相当なものである。
センスが無いのか、悪趣味なのか、思い込みが激しいのか、高校時代のエピソードとサンダーフォースⅥに関しては
情熱を発揮する初期の段階で方向性を間違えていたと思えてならない。
そのようなタイプは大勢のスタッフを引っ張ってプロデュースしていくゲーム制作の仕事が向いていないのでは、とも思える。
もっとも、このマンガも絶版になったうえJコミ無料公開してもそんなに閲覧数が伸びていないので、
漫画家のほうが向いているとも一概にはいえないのであるが、なんとか自分の才能を活かせる表現形態を見つけて欲しい。
わかる。viどころかemacsだって使いたくありません!あんな変態キーバインド
せめてgeditくらいないと何もするきにならないわー。
今ってよく分からんけどvisudoとか設定書き換え系のコマンドに、何故かデフォルトでnanoが採用されてるケースが多いんだよね。
何故か、と言うかそういう設定にしてるからでしょ。
変えたきゃ変えればいい。
vim覚えろなんてことはないし、てか、古いところだとviしか入ってないのもあるわけで。
vim-tinyとかいみわからん物を使うのはどうかと思うけど。
何が言いたいのか分からないが、サーバー的な所で作業する、ってのはファイル編集なんてのは別にメインじゃないんですが?
その中で、さくっとファイル開いてちょちょっと編集するのにViとかが便利だった、って話で、軽いから。
今やサーバーとは言ってもある程度余裕あるし、それこそVimが普通に入ってるし、Emacsだって余裕だろうし。
てか、NetbeansはJavaだけじゃないっすか、便利なの。
Java使わない時には何にもいみないじゃないっすか。
Cとかメインの人でNetbeansな人ってほとんど居ないでしょ。知らないけど。