はてなキーワード: 経済政策とは
ツイッターなどを見ていると、
菅官房長官を新しい首相に推薦している「経済政策に詳しい」人たちが多くてげんなりしている。
栗原裕一郎、田中秀臣、斉藤淳、山崎元、菊地誠、高橋洋一など。
言うまでもなく菅官房長官は、安倍政権における民主主義破壊の元凶である。
党内反対派を締め上げ、マスコミに圧力をかけ、記者の質問にはまともに答えようという姿勢もない。
記者会見での愚にもつかない詭弁の数々はいちいち取り上げるまでもない。
少しでも「リベラル」を自認している人であれば、支持を明言することなど自殺に等しい。
世界的に反グローバル経済のポピュリズムが吹き荒れているように、
社会主義体制が崩壊して30年がたち、資本主義経済と自由民主主義が対立する時代になってしまった。
香港の現状も、以前から財界や富裕層が中国共産党への全面支持に回っていることが主因である。
日本でも「経済政策の意識高い」人たちが、これまで安倍政権を気持ち悪いほど擁護し、
また左派・リベラル派の中にも、驚くべきことに「左派やリベラルも経済政策を勉強しろ」と説教して
再分配や社会保障を求める労働運動や社会運動を軽視する人たちが出てきた。
今の安保法制が憲法でできる限界、これ以上は憲法改正しないとできない、というのが安倍
集団的自衛権は国際法で認められた権利で、憲法で制限などされていない、というのが石破
1項2項はそのまま残し、3項以降に自衛隊に関する記述を追加する、というのが安倍
2項は削除した上で国防軍に関する記述をするべき、というのが石破
過去の戦争は侵略戦争だった、中国韓国には謝罪が必要、というのが石破
石破は靖国に参拝しないことを明言
移民政策に否定的、外国人材は出稼ぎの労働力として受け入れるのが安倍
移民政策に肯定的、永住を認め、日本人として受け入れるべき、というのが石破
安倍政権は確かに日本の民主主義やシステムの根幹を食い荒らした。だがそれは、全て「安倍政権を存続させるためには必要な犠牲」だった。この7年半、政官財こぞって「安倍政権を存続させるため」に一致して、他のあらゆる犠牲に目をつぶってきた。これは、安倍晋三個人と言う矮小な存在の為しうることではない。これは、集団的、無意識な組織的犯罪なのである。
では、なぜ彼らはかように凡庸な才の人間を必死になって支え続けたのか?
他のどの時代でも、こんなことはあり得なかったと思う。実際、最初に彼が政権を握ったとき、自民党への信頼は大きく傾き、人々には政権にNOを突き付けるだけの理性があった。二度目の政権、安倍が周到に用意をしてきたと評する人も多いが、お友達優遇で、偉そうなことを言う割には国家観もビジョンもなく、肝心な時には判断できず、取り巻きが失言やおそまつな対応で足をすくわれ死んだりする。何一つ変わっていない。変わったのは、それらを覆い隠して守ろうとした「世間」の方だ。
この7年半、すでに壊れかけていた日本は、やはり更に大きく壊れた。たとえばコロナ下で、防疫の基本中の基本であるデータがまともに取られていないことが判明したが、専門家をまともに活用できず、役に立たないマスクの配布に大量の金と人をつぎ込むようなこの政権下では、予測できることだった。少子化は進行し、二極化は進み、文化や社会を支えてきた「豊かな中間層」は死滅した。セーフティネットも、安定雇用もない社会に、「良識」の居場所は消えた。「復興は成し遂げた、事態はアンダーコントロール」とのまやかしの下に、復興予算は横流しされ、五輪というお祭り騒ぎに投入された。意見のできるまともな「官僚」は、自らの立場を去るか、命を落とした。
いま、私たちが生きている「令和の日本」の、それが実像である。
そして、この間、政権はひたすら「事実を取り繕う」ことに力を尽くした。きわめて凡庸な才の首相を掲げる彼らは、「事実を取り繕う」スペシャリストだった。この7年半、何度奇妙な「閣議決定」を我々は見せられたことだろう! あたかも小説「1984」における「真理省(政府の決定が真理である、と全ての過去の記録を改ざんして取り繕う省庁)」さながらだった。それも「安倍政権を守るため」だ。そのために、彼らは憲法解釈すら捻じ曲げた。なぜそんなことを? ……それは、事実を直視できなかったからだ、と私は思う。
安倍晋三を評するもっとも的確なワードは、しばしば政権を擁護するアンケートで聞かれた「ほかの人よりよさそう」という言葉だ。「よい」ではない。「よさそう」なのだ。安倍晋三は、他の人よりなんとなくよさそうだと思わせることに長けた人だった。それは、経済政策と人口政策の停滞・失敗で20年近い時間を無駄にした日本を、更に大震災、原発事故が襲って、もはや手の付けようがないと思われた時代に、人々を安心させるために必要な「モルヒネ」だった。「モルヒネ」は患者を麻痺させるだけで、基本的には病を治しはしない。だが、それほど危機的状況でもあったのだ。
思えば、なんとよくできた「モルヒネ」であったろう。右側からの追及には、いかにも保守じみた言動(だが彼は一度も8/15靖国参拝は行わなかった)、憲法改正の掛け声(7年半かけてできなかったということは、端的に言ってやる気がなかったのだ)でかわし、左側からの追及には、経済政策と厚顔さで対応した。あの厚顔なスマイルで「問題ない」「大丈夫」と言えば、私のようなヒネクレ者ではないまともな神経の人なら、一応「信じてみてもいいんじゃね?」と思うだろう。そして、この社会状況の中なら「思いたい」だろう。
もちろん「モルヒネ」は、それが効いている間に大手術をするためには、絶対必要だ。だから、安倍政権を支えた人が全て悪意100%でそれを行ったとは思わない。むしろ多くの人は、その根治的な大手術を成功させるために、安倍晋三という「モルヒネ」を利用しようという、善意でそれを行ったのではないかと推測する。だが、地球規模の気候変動と相次ぐ天災、消費税増税圧力、そして今回の世界的疫病の流行で、モルヒネの効果にも限界がきたようだ。
いま、我々の前に横たわっているのは、根治的治療も進まないうちに、手術中に次々とトラブルが発生し、かつモルヒネも限界量まで投与してしまった患者の体だ。安倍晋三は確かに何もしなかった。だが、7年半という時間を稼いだのは事実だ。その間に十分なことができず、時間切れを迎えてしまったのは我々だ。一人安倍晋三を責めても仕方ない。モルヒネの意志を論じたり、それが人体に多少の悪影響があったなどという議論をしても、正直意味がない、と私は思う。モルヒネはモルヒネだ。肝心なのは、モルヒネの効力にも限界がきたということ、そして、積み残した問題はどれ一つとして片ついていないということだ。
それでもこの日本という患者を生き延びさせようとするなら、もはや巨大な痛みに耐えながら手術を続行するか、無意味にモルヒネだけを乱打して死を待つか、それとも全く新しいイノベーションという奇跡にかけるか、しかない。少なくとも、次期総理が「安倍路線の継承」などと言い出したら、そんな政権は半年保たない。それぐらい待ったなしな状況ではある。
こんな時代に、泥をかぶる次の政権に同情する。だが、重ねて言えば、日本がそもそもこうなっているのは、別に安倍晋三一人の罪ではない。彼を支えてきた全ての人の罪だ。モルヒネが効いていた魔法の時間は終わり、いま、現実に向き合う時がきた。それは困難な時代だが、いつまでもこの事態に「安倍のせいだ」を叫んでも、これまたモルヒネ頼りに変わりはあるまい。そんな時間はなるべく少なくした方がいい、と私は思う。それよりも、「安倍がモルヒネであったこと」と「モルヒネが必要とされた状況」を認めた上で「モルヒネなしで今後どうするか」についての建設的議論を始めよう。今後、生き延びていくためには、その認識が早急に必要なのではないかと思う。
民主党政権で国民が嫌ほど思い知ったのは、馬鹿が3人連続して政権とるだけで、日本は完膚なきまで潰されるということだった。
菅は「政治主導」を謳って官僚からの断絶を宣言し、いざ原発事故が起こると誰にも頼れず迷走して日本を崩壊させた。
野田は尖閣国有化で日中関係を最悪に追い込み、中国国内の日本の全資産を喪失させた。
この3人が政権を取った後、日経平均は7400円まで下がった。
この期間に大学を卒業した人々は就職できずに多くは地獄の人生を歩んだ。
安倍首相を見て思う。「余計なことをせず経済政策に専念すれば、日本人は頑張って自分の道を見つける」。
日経平均は24000円まで戻った。
年間3万を超えていた自殺者は2万人以下まで下がった。
ただ、良くも悪くも日本人の同質性の高さは首相を保守的にした。
上が右と言えば国民みんなが右を向いてしまう国民性の中で、コロナ禍での政権の舵取りは非常に難しかっただろう。
都市と地方で環境が違いすぎる人口1億2千万の国を率いるリーダーが、できることが限られてる。
むしろ、地方自治体のリーダーシップこそが問われる状況であり、東京はやや株を上げた一方で、大阪の維新の威信は地に落ちた。
この国は、毎年、国民が頑張ることでGDP500兆円のお金が回る。
国はその1割の50兆円を頂いて、それで教育・福祉・公共事業で子どもを育てインフラを整備し国家共同体を運営する。
しかしもはや65歳以上の人口が4割近くになる今、若年層の所得から税金を取るのは限界に近い。
労働者は、給与明細からひかれる所得税・年金・保険料に涙する。
自ら稼がず、ただひたすら貯蓄と年金を費消する老人たちから、国の運営に必要なお金を取る唯一の方法は消費税だ。
私は、「勤労所得からこれ以上のお金を奪わない」手段としての消費税増税に賛同する。
私は、国が余計なことさえしなければ、一人一人が、共同体の中で何をするのがベストかを考えて動く日本人を信じている。
空気を読む力は決して否定すべきでなく、国家レベルでは国の強みになる。
コロナ禍で煉獄の苦しみに悶える観光業・運輸業に、少しでもその他の人々からお金を回さなければいけない。
時期が悪いのも分かっている。
それでも、気を付けながらでも、人が動いてお金を動かさなければ、なんとしてもこの四半期の運転資金を回さなければ、
でも、分かっている人ほど、サイレントにならざるを得ない。理解することと、口に出すことは違うのだ。
だから、もしも、首相に我々のサイレントな支持が届かず、煩いマイノリティーに心を病んで職を辞する決意をしたのだとしたら、
単に「長い間、お疲れ様でした」という言葉だけでは伝えきれないこの思いを、
我々はなんとお詫び申し上ぐるのがいいのだろうか。
しかし、もしも安倍のように経済を重要視せず他の分野へ注力する首相や政党が政権を担っていたら日本はどうなっていたのだろうかと考えずには居られない
安倍はリーマンショックからの世界的な景気回復局面にたまたま首相だっただけ。安倍で務まるなら、森や鳩山級のあれな人でない限りは、誰が首相をやっても日本経済はいま程度にはなった。
答え出てるじゃん。旧民主党系で良いよ。枝野さんに首相やってもらいたいわ。経済政策のセンスは△だが、総合的には安倍とは比べるべくもないほどマシ。日本の民主主義を殺したくないなら、自民党以外の政党の政権担当能力が育つまで我慢だ。
実行力や経験値から、実際の政権運営を任せるには頼りなく思うが、
れいわや山本太郎現象の盛り上がりが、日本の反緊縮を象徴していることは確かだ
日本は右から左まで、既存の有力政党は軒並み経済政策がダメダメで、
明らかな富裕層優遇や財政再建至上主義という狂気、あるいは無関心という、それはそれはひどい状態だった
どんな屁理屈をくっつけようが、日本の経済政策がダメだったことは、失われた20年が実証している
山本太郎とれいわ新撰組は、これら状況に対する有力なカウンターとなる可能性を持っているのだが、
今回の大西つねきの除名処分にはつくづくがっかりしたり不安を感じさせられた
しかし大西がれいわ新撰組における有力な経済政策論者であったことは間違いない
れいわの反緊縮傾向をよく思わない敵対勢力、利害の相反する代議士や財務省に、
現在、野党支持者は、なぜ犯罪だらけ、説明責任も果たさない、一度決めた方針はテコでも買えない偏屈な安倍内閣と自民党が支持されているのか不思議そうにしている
私自身、先の参院選では、立憲民主の候補者と比例は共産党に入れたし、先日の都知事選でも宇都宮けんじに入れた。
この投票結果を見る限り、如何にも反自民、リベラル、左寄りの思想を持っている投票者だと思われるだろう。
ただ、自分の思想信条を考えると、自分の思想はどう見ても保守なのだ。
各論はおいといて、総論でいえば経済政策などを含め、自民党の方針に賛同できるところは多い(ただし自民の憲法案、お前だけはどう考えてもダメだ)
ではなぜ自民に入れないのかというと、公文書偽造や政治主導という名の法律を無視した行政のオペレーション、その能力欠如をもって
私は現在の安倍内閣(および自民党)にノーと言っている。あなたたちに私の代表になって欲しくないと思っている。
そして共産党に入れている理由は、共産党の政治腐敗の指摘能力がとても高い点を支持している。つまり、自民党のお目付役をするという点で国会に必要だと思っている。
ただ共産党が与党になり、国の舵取りをしてほしいなど、さらさら思っていない。そんな期待はしていないし、そもそも共産党の思想と私は相入れない。
ここで、いわゆるリベラル(曖昧な言葉だが、共産党から立憲民主くらいまでを含むとしよう)の支持者は、私のような投票行動をする無党派層をみて、
「ほら、やはり自民党にNOだ!」と興奮するかもしれない。しかし、申し訳ないことに、私(もしかしたら私たちが)が自民党にNOと言っているのは、
だから共産党や立憲民主が良い、と言いたいわけでは全くなく(ここ重要)
「公文書偽造や政治主導という名の法律を無視した行政のオペレーションをしない自民党的思想をもった党」が出てきて欲しいな、
もしくは現在の自民党がそのように変わってほしいな、と思っているに過ぎない。
私はそう思っている集団の中で、どちらかといえば「自民党のお目付役をする」役割の政党の議席を増やして欲しいと思って、立憲民主や共産党に入れたし、
同じ集団の中でも、まぁいろいろ不満はあるが、自民党以外は選択肢ないか〜と思っている人は自民党に入れているだろうし、
その役割をできるのは維新かなと思っている人は維新に入れているんだろう(これは驚愕だが、たぶん維新に入れている人は維新を第二自民党と解釈していると思う)
そもそも政権交代したときの民主党も、立憲民主ほど尖っておらず、第二自民党的な立ち位置だったように思う。
というか、国民はそう解釈していたはずだ。だからこそ、政権交代ができたんだし、間違っても左寄りの思想が支持されたわけではないと思う。
だから、いま無党派層よりの国民が求めているのは、「自民党っぽい思想だけど、自民党ほど腐敗しておらず、そこそこちゃんとした行政オペレーションができる党」であって、
一時期の小池百合子による希望の党旋風も、「自民党っぽい思想だけど、自民党ほど腐敗しておらず、そこそこちゃんとした行政オペレーションができる党」と期待したからだと思う。
あのとき百合子はいくつかのミスを犯したけど、うまくやっていれば、かなり早い段階で初の女性総理になれたんじゃないかな(私がそれを嬉しいと思うかどうかは別にして)
連合がずーっとどっちつかずに両方面倒見てたから、組合(せいじ)活動に熱心だった人たちは今年度の早いうちから知ってたんじゃないかなぁ。
合流自体はまぁ、これからは今までの失敗を反省しつつ頑張って。というところだけど、個人的にここは頼むわ!という点を書き記しておきたい。
まず、当時、民進党が割れたとき、枝野に何を期待したかだけれども、最初の頃の枝野の演説に現れていると思う。
民主党の悪い所を切り捨てて、正道な政治を主張しながら党勢を拡大してもらいたかった。
それが結局、旧民主党の幹部や、顔、保身の為に希望の党に走った有象無象を合流させて、旧民主党と同じく目指す方向がわからない党イメージになってしまった。
また、枝野本人の調整手腕の問題なのか、元々中道左派の性質だからなのかはわからないが、種々の問題に科学的ではないように感じる的外れな批判や、思ってたのと違う経済政策の主張が行われるようになってきた。
このあたり、先鋒となっていた蓮舫にこびりついたイメージ(あえてイメージと表現する)の問題も足を引っ張ったと思う。
この辺も変な層を吸収した弊害だろう。小池の排除の理論議論にさえ巻き込まれなければ切り捨てられただろうに。
なお、最近の経済に関する玉木の主張は極めて真っ当であり、政治とはなかなか難しいものと思う。
枝野も以前、支え合う社会という主張をしていて、お題目は良かったんだけどね。
結局、私は尖った中道の政党が欲しかったわけで、連合の傀儡が欲しかったわけではないんだわ。
そういったところを民主党にはわかった上で、内ゲバしてもいいので、真っ当な政治を目指してもらいたい。
がんばって。
http://komuro.blog.jp/archives/54814607.html
要約すると
日本の経済は凋落が著しいが、今回の都政選挙で小池が圧勝したことに象徴的なように、
日本人は現状維持の傾向が強固であるため、今後も経済政策が改善されない状況は続く。
しかし、自分はこうした状況には絶望しておらず、政治に期待せず、民間、個人レベルでやれることにはまだまだ可能性があると思う。
と、こういう内容だ。
上野千鶴子もそうだが、日本のメディア露出が多いリベラル系社会学者の本音とは、
貧乏人どもウゼェw俺らの目に入らないところで勝手に生きるなり死ぬなりしろ自己責任www
なんだな。ということをつくづく痛感するね。
個人レベルで可能性がとかふわっとしたこと言われても、具体的にどういう可能性なんですか?と聞かれれば、
身のあることは何も答えられないだろうし、
今や日本は20年、30年前の貯金を食い潰しているだけで、選択肢というのはどんどん狭まっていく一方だ。
宮台は援助交際女子高生の研究と終わりなき日常というタームに象徴される90年台末から2000年台初頭にかけての、
社会状況分析で名を挙げた人だが、自分のかつての仕事が、なんの意味もない言葉遊びに過ぎなかったという結果をどう考えているんだろうか。
今や誰も当時の宮台が提示したフレームワークを使用して思考している人間など誰もいない。
宮台真司本人さえ、自分の過去の仕事を捨て去っているようにみえる。
宮台真司が提示する現状分析など、常に、その時その場でのそれらしい思いつきにすぎない。ありがたがって拝聴している人間の気がしれない。