はてなキーワード: 文化資本とは
学習指導要領が変わると学ぶ内容ややり方が変わるゆとり教育ぐらい変わる
最近では文春も週刊誌も黙って眺めているがかなり大きな変革である
今回の主題は「主体的・対話的で深い学び」。お分かりになるだろうか?
対話的というのは他の人との意見交換を経て自分の力にするということ。コミュ力
深い学び。よーわからんが、知識のネットワークかをしてエウレーカ!自分で様々なことから学びとること。
この改訂は30年前の受験戦争・学力偏重社会とは大きく離れて、
何が受けるかわからない時代。何がこの先生き残れるかわからない時代を生きていく力という点に重点を置かれている。
そんな時代に出身大学で出世が決まるなんてナンセンス。無論学閥は残っているので、学閥出身者の引き受けはありあえる。
入試も変わる。これからは共通テストの点数のみならず口頭試問やグループワークも入試に加わる。
どんどん大学の入社試験が降りてきている感じだが、そんな感じになるんだろう。
立身出世が自分の頑張りである学力だけでなく、地域の文化力、家庭の文化資本、学友の知的レベルにまで波及する恐ろしい時代なのである。
この場合に、階層の固定化というのはどう作用するのか?進学塾に行ける家庭は確かに強い。
はたまた、地域総ぐるみで教育にあたる文教都市が受験に強くなる「地域圏学力差」が生まれ、やはり東京のあたりが強くなるのか?
それはわからない。
私としては社会の人材育成の観点から行って、社会人になった人間が改めて自分の専門に近いユニバーシティやカレッジに通いやすいリカレントがしやすい社会であって、再挑戦・リベンジを後押ししてくれる社会になれば、日本社会としての強度も保たれるものと思う。以上、論考終わり。
海外に留学しても、出会うのはほとんど、「その国の中間より上の階級」の人たちだったりする。
だから、「実際に労働者としてくる人たち」と「現場で働く人たち」の軋轢を理解できない、あるいは低く見積もりすぎる。
文化の違いというのは、ケーキの切り方が違う人達と生活するのと同じレベルの負荷をかける。
外国に行くだけで、無能になってしまうし、能力の足りない人になってしまう。
そこを努力で越えるとか相手の文化リソースで越えるとか社会が悪いとか色々言うけれど、実際には膨大な経費が必要であるということを、体験として理解できない。
だって、留学して語学を学び文化を体験しに行く人たちと、本国では食えないから稼ぎに来た人達と文化資本が違いすぎるんだから。
という人たちのモチベーションはすごいが、同時に、受け入れる側も相当の努力がいる。
同じ言葉と文化で働くということは、想像以上に経費がかかるのだ。
多文化主義は、もっと経費がかかることを念頭に、もっと練り直されてより完成形になる途中なんだろうと思いたいが、どうなるかは予想がつかない。
上記は毒親云々では論外過ぎたので増田を分けたがこれに答えてね
文化教育資本の差とか脈々と受け継がれる判断価値基準や情報格差の話なんだよ。
たとえば職業選択ならつきあいのあった取引先の人知れず儲かってるとことか上位上流階層の仕事に就かせるように仕向けるんだよ。
一応、「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々(相対的貧困率)」とかいう謎の指標がある
さて冒頭に戻るんですけど、純粋に疑問。
って大変じゃない?
依存先を複数用意することを上手くやれるのって、相当な文化資本とか人脈とか、かなりの「持つ者」にしかできないワケで、「持たざる者」にとっては、やっと依存先を発見すると砂漠の中のオアシスをみつけたかのようにそこにドップリ浸かってしまいがちなのでは?わたしですが・・・
ソシャゲ課金しすぎて破産したり、アイドル声優がご報告したらCDを割るファンがいたり(耳が痛いですが)、奥さんに家事や身の回りを依存しきっていて亡くなってしまったらなにも生活できなくなる昭和おじさんとか、ギャンブル依存症、アルコール依存症、いろいろあるけど。
一つの物ごとに大きく依存しすぎていて、そこからハブられてしまって途方に暮れてるんですけど、いま。その依存先の固め方が甘かった。
まだ自分は、反省して長期的な見直しができるような精神状態じゃないんですけども。緊急避難的に休まなきゃならない状態。とてもつかれてる。
phaさんの書いたどこかの本だったか、なんか書いてあったきがする。
「一人で一生できる依存先」「みんなでできる依存先」「一時的で、何年かでなくなる依存先」みたいに、異なる性質毎に分散依存しておくのが堅いよね。みたいな。違ったかな。どこかで聞いたと思う。誰にも壊されないプライベートで堅い精神的依存先を所有したいよね、それは自己肯定感とイコールかも知れないけども。それを持たざる者は多いので、外に依存先を求めるざるを得ず、人生が不安定になる。
たとえばオンラインサービスの類はいつかはサービス終了があるんで、そのつもりでいなきゃダメだ。しかし、たとえば非電源系ゲームだとか、オフラインで動くゲーム機だとかは半永久的に遊べるかもしれない。バブルシステム基板のグラディウスなんかは危ういですが。
諸行無常。
その点、伝統宗教は優秀だよな。少なくとも自分の人生が終わるまでの期間は存在しつづける期待値が高いもの。まあ、まずサービス終了することは無いでしょうね。そういう安心感がある。
自己防衛。当然だよね。VTuberなんか(人生を賭けた精神的依存先として)あてにしちゃダメ。あてにしちゃうから文句が出る。
発電を核、水、火、風、光、などに分散して安定性を増すのと同じで、人生の依存先も複数用意しないと安定しない。
収入源を会社だけじゃなくて副業にも確保するとかね。それができている人はかなり少ないでしょうけれども。
CD-RやDVD-Rも経年劣化で読み出しできなくなる、むしろプレスROMディスクですら危ういんですよね。だから数年毎に物理的に変えながらHDDバックアップ、というほうが堅いでしょうね。"ハード"ディスクだけに。
「稼がなくていい」だけなら「資本」だけで十分だけど
自称・日本の貧困男性の言う、日本の貧困や職業選択について教えてください><
文化教育資本の差とか脈々と受け継がれる判断価値基準や情報格差の話なんだよ。
たとえば職業選択ならつきあいのあった取引先の人知れず儲かってるとことか上位上流階層の仕事に就かせるように仕向けるんだよ。
一応、「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々(相対的貧困率)」とかいう謎の指標がある
さて冒頭に戻るんですけど、純粋に疑問。
東大生も地方の公立出身の人がそれなりにいっぱいいてだな、似たような気持ちを抱えながら必死に頑張っておるよ。むしろ都内超有名進学校出身のボケーっとしたボンボンどもよりハングリー精神が大きくて彼らより成功することも多いくらい。でも都内超有名進学校出身かつやる気に溢れた奴らとの文化資本の違いに喉が締め付けられる気持ちになることはある。つまり東大に入ったからと増田が持っているような気持ちがなくなるというわけではない。
うちは夫婦はともに30代で地方県庁所在地出身の私と、横浜市出身のパートナーの構成だけど、
子供の教育、学費の積立や習い事について話し合っていくなかで、
彼が与えられてきた教育や、その周辺の学ぶことに関する環境が、
ものすごく!圧倒的に!自分の実家より上だったことを早々に気づいて驚愕した……。
(なお、どちらの実家も教育については「できるだけのことはしてあげたい」という前向きな家庭)
というか、東京近郊の教育に関するリテラシーや文化資本の豊かさ…レベチすぎ……。
都会の子が小学校3~4年生から塾に行ってるなんて30歳になるまで知らなかったよ…
塾なんて早くても中学になってから行くものだったよ…小学生は公文式くらいだよ…
私は個別指導塾入れてもらったけど、同じクラスでそこまでしたらもってるのも私くらいだって驚かれるくらいよ…
あと東大をはじめとしたトップ大学に進学する子が、中学受験→都内私立中高一貫校のルートをたどる人が爆裂多いなんてのも知らなかった…
あと、塾のレベルもね!!SAPIXも鉄緑会もSEGも…そんなのあるの!?
地方には!?そんな塾がめちゃ選べて!?エリート養成塾みたいなのがあるなんて!?想像もつかないよ!?
習い事の種類だって数だって、ぜんぜん違う。え?勝負は未就学児の時代から始まっていた…だと!?
そもそも地方勢には塾や習い事を精査するなんて文化がねぇ!母数が少なすぎて選択肢は3択くらいだからだ!
居住地によるアクセシビリティ格差が拡大してるってだれかがコメントしてたけど、これはガチ寄りのガチ。。。
文化資本の圧倒的な違いがどんどん開いていってるし、なによりも怖いのは、地方勢にはそれが可視化されていないってこと。
知らされない間にドンドンドンドン置いていかれてる。たぶん国は知ってて置いてってる。
今この瞬間もさ、「捨てられてる」言うの分かるくらい、本当に格差についてつまびらかにせず放置されてる。
これ読んでると、地方出身の私、保護者や子供に配り歩きたくなってくる、
そんで、みんなー!!!気づいて!!って言いたい。
"私は東京に生まれて彼らと同じ環境にいれば東大に合格できた。"
これは本当だよね、きっと、本当にそうだと思うよ。きっとすごく悔しいよね。
子供の教育につい話し合うようになってから、夫婦で2人で地方に旅行に行き、
離島とか山村とか風光明媚な土地に立ち寄ると「綺麗だね」と言いながら、教育格差について思い馳せることが多い。
「こういうところに生まれたら、遺伝子的にすごく頭のいい子が望んでも東大に行くのはすごくハードルが高いだろうね」って話して…悲しくなる。
不公平は人生につきものだけど、それでも地方と都会のこの教育格差はあまりにも不正義じゃない???って思う。
逆に言うと都会勢は下駄履きすぎじゃない???ってことなんだけど。
でも、もちろんその人達の努力を否定するつもりはないんだけどさ。
ただあまりに悲しいんだよ、「勉強したい、学びたい」と思ったりした、素質のある一生懸命な子供が、ただど田舎に生まれた、ってだけで圧倒的に救われないことが。
私は頭が良くないし増田みたいな努力家じゃないから、自分がマシだったはずなんて言うつもりないけど、
ぶっちゃけ厳しいと思うなあ
周りも親も勉強の価値をまともに認めてない環境に置かれて、それでも頑張れる人間なんてそういやしないよ
いるかいないかで言えばそりゃいるだろうけど、インフラだけ整えてやったところで、まとまった数が拾い上げられるとは到底思えない
極端な話、端末を配って回線を整えてやったところで、どうせソシャゲに使われるのがオチだ
それがわかっているから、みんな結局そっち方面に出す税金はケチりたい
「金も文化資本はないが頭とやる気だけはある」なんて、大概空想上の生き物でしょ
そんなふた昔前ぐらいの貧乏苦学生のイメージからいつまでも進歩しないから、この手の議論っていっつも的外れになるんだよ
そりゃまあ、「やる気のない奴に働きかけるのは無駄」と言われりゃそれまでだけどさ
もし自分が10年遅く生まれていて、インターネットとの接点がLINEとTwitterだったら、都会にしかない色々な概念を知っていただろうかと考えてしまった
「インターネットは怖いところです」、「身元を知らない人は怖い人です」と教える教育の中、Twitterで知らない人とフォロー関係を広げることは出来ていたのだろうか
自分のオタク的なアイデンティティを作った色々なアニメ、例えば上京への憧れ(NHKへようこそ!)や大学進学するきっかけ(四畳半神話大系)なんかも、匿名掲示板のおすすめから見たものではなかっただろうか
そう考えると、インターネットが広くなると同時に、インターネットに触れる人間の視野はどんどん狭くなっていっているのかもしれないと思ってしまった
でっかい箱物作ってモノ集めてそこにわざわざ人間が移動して見るってバカバカしくないか?
縄文土器の360度映像とかモナリザの4K写真アップすればいいだろ どうせ見るだけなんだから
学芸員の解説もプロが映像編集してクオリティの高いものをYoutubeにでもアップすれば一回ですむよね 何度も何度も同じ話をするために人間雇うとかアホすぎ
そんな施設にアクセスすることもできない貧乏人や田舎者が払った税金が都会の文化資本豊かなエリートや暇なジジババのために使われるのは逆再分配
どうしても生で見なきゃ臨場感がないとかいう贅沢な人は税金ではなく民営化して自分の金で楽しんでください
図書館も小学校の図書室レベルの所蔵しかないド田舎と日本で出版された書籍の全てが納められる国会図書館に行ける東京とでは格差ありすぎだし全部ぶっ潰して電子書籍化したデータをインターネットで見られるようにしたほうがいい
公共の福祉とかなんかの特例で著作権なんて無視してスマホから見られるようにすれば、地方民や貧乏人、忙しい社畜にとっては今よりはるかに文化や知識にアクセスできるようになる。しかもローコストで。
これで困るのはリアルの箱物に文化や知識を閉じ込めておかないと税金で飯が食えない役人や学芸員、そして都会の施設にアクセスできるという特権を失ってしまうエリートぐらい。
金持ち個人のコレクションではなく国が集めて国民に公開するというのはその時代にとっては画期的ですばらしいことだったんだろうけどさぁ、いつでもどこでもインターネットで簡単に情報にアクセスできる現代では、その美術館だとか博物館自体が文化・知識の牢獄になってるんだよね
あと大学も原則すべての授業をYoutubeにアップするよう義務づけよう。国立大学はもちろん私立も膨大な助成金で経営してるところはすべて公開すべき
さすがにYoutubeで学位を付与できるわけないから大学を潰せとは言わないけど
ついでに田舎者や不登校引きこもりのためにスタディサプリみたいな感じで小中高や予備校の授業もアップしよう 東京でお受験して超進学校に通ってる子供が受ける教育と治安の悪い地域の公立動物園は全然同じじゃないしな