海外に留学しても、出会うのはほとんど、「その国の中間より上の階級」の人たちだったりする。
だから、「実際に労働者としてくる人たち」と「現場で働く人たち」の軋轢を理解できない、あるいは低く見積もりすぎる。
文化の違いというのは、ケーキの切り方が違う人達と生活するのと同じレベルの負荷をかける。
外国に行くだけで、無能になってしまうし、能力の足りない人になってしまう。
そこを努力で越えるとか相手の文化リソースで越えるとか社会が悪いとか色々言うけれど、実際には膨大な経費が必要であるということを、体験として理解できない。
だって、留学して語学を学び文化を体験しに行く人たちと、本国では食えないから稼ぎに来た人達と文化資本が違いすぎるんだから。
という人たちのモチベーションはすごいが、同時に、受け入れる側も相当の努力がいる。
同じ言葉と文化で働くということは、想像以上に経費がかかるのだ。
多文化主義は、もっと経費がかかることを念頭に、もっと練り直されてより完成形になる途中なんだろうと思いたいが、どうなるかは予想がつかない。