2020-11-02

多文化主義は、文化の違いを越える経費を安く見積もりすぎた。

テレビに映るのって、アレ、エリート外国人だよね。

海外留学しても、出会うのはほとんど、「その国の中間より上の階級」の人たちだったりする。

から、「実際に労働者としてくる人たち」と「現場で働く人たち」の軋轢理解できない、あるいは低く見積もりすぎる。

ケーキを切れない非行少年たちという本が話題だったけれど、

文化の違いというのは、ケーキの切り方が違う人達生活するのと同じレベルの負荷をかける。

外国に行くだけで、無能になってしまうし、能力の足りない人になってしまう。

そこを努力で越えるとか相手文化リソースで越えるとか社会が悪いとか色々言うけれど、実際には膨大な経費が必要であるということを、体験として理解できない。

だって留学して語学を学び文化体験しに行く人たちと、本国では食えないから稼ぎに来た人達文化資本が違いすぎるんだから

「ここで5年間肉体労働したら、家が本国で建てられる」

「ここで5年間肉体労働したら、商売本国でできる」

という人たちのモチベーションはすごいが、同時に、受け入れる側も相当の努力がいる。

同じ言葉文化で働くということは、想像以上に経費がかかるのだ。

多文化主義は、もっと経費がかかることを念頭に、もっと練り直されてより完成形になる途中なんだろうと思いたいが、どうなるかは予想がつかない。

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