はてなキーワード: 文化資本とは
気持ちは分かる気はするんだが、やる気なく生きる自由もあると思うんだ。○○を知らない、食べないなんて人生損してる、みたいな言説は増田も鬱陶しく思うんじゃないかな。
何かできるとしたら、ただ楽しそうにしていて欲しい。それで興味を持ったら聞いてくるだろうし、図書館や映画館での自分に合うコンテンツとの出会い方も、知りたければ聞いたり覚えていったりするんじゃないかな。親の文化資本に似たものを、多数の友人から少しずつ得ていったり、得なかったりする。
自分も本は好きだけれど、映画は友人が勧めてくれるものを観る程度。予告で気になるものがあると続けて観にいったりはするが、あまり定着しない。でも全く無いよりは、友人がいてこそ観たものもあるのは良かったと思う。その程度だし、その程度がいくつかあって幸福だと思う。
なんか何が言いたいか分からなくなってきた。増田の友人は増田がいて幸せな部分も影響を受けない部分もあって、それでいいんじゃないかな。
間違えたってええやん
そういう意味でギターソロは楽に思える反面、YouTube観てると若い人も子供でさえも上手いのな…
子供で異常に上手い人って絶対親が教えてるか親の影響なんだろうけど、文化資本感じるわ…
つらい…
小学校低学年の頃は「さんすうはかせ」とか呼ばれていたらしい()。でも他の科目は特にできるわけではなく特に国語がダメで漢字の書き取りテストでは0点を連発していた。実家も特に学はなく教育意識も文化資本も無い家だったのでそもそも勉強をするという概念自体を理解してなかったな。
小学校でいじめられまくって地元中学には通えそうになかったので私立中を受験したけど、勉強してなかったのでショボイ学校に入った。中学でも勉強なにそれだったので成績は下から10%くらいだった。でもなんかある時勉強してみようかなという気になってやってみたら上から10%くらいの成績になった。
高校はそのままエスカレーターで進学して、その頃成績がどうだったか覚えてないけど別に目立ってもなかったような気がする。でもその頃には数学とか物理に興味があったのでその辺の授業が始まったらそれらの科目の成績は外れ値になって学校内の定期テストの偏差値が確か90とか異常な数字が出るようになってたと思う(周りができなさすぎただけ)。
でも受験勉強っていうか受験周辺の空気全般が嫌いであんまやってなかったので普通に地方の旧帝大に行った。物理の偏差値なら70くらいはあったんじゃないか。興味あまり無かったから覚えてないけど。
横だけど是非とも聞きたいわ
元増田ではなく、増田(anond:20201211214709)に言ってるよ
文化教育資本の差とか脈々と受け継がれる判断価値基準や情報格差の話なんだよ。
たとえば職業選択ならつきあいのあった取引先の人知れず儲かってるとことか上位上流階層の仕事に就かせるように仕向けるんだよ。
一応、「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々(相対的貧困率)」とかいう謎の指標がある
さて冒頭に戻るんですけど、純粋に疑問。
「〇〇という本で読んだけどさあ」「あーウチ貧乏で本買えなかったからなあ」「あっはい(県立図書館でボロボロのを借りたんだが😅)」
みたいなことあって、うぜえなと思った
読書習慣には恵まれた家庭だったが(俺は残念ながら身に付かなかったが)、両親や兄弟が読むのはほぼほぼ図書館か図書室の本だったし金のあるなし関係なくね
言うならせめて「親がバカで本読む習慣なかったから読んでねンだわ」とか言ってくれればまだ納得できる
それにしたってティーンになってからの読書なんて本人が読むか読まないかだし、別に読書なんか娯楽の一つなんだから好きなら読んで嫌いなら読まなきゃいいだけの話だし、勝手にコンプを抱えて貧乏のせいにしてくるのはウザすぎる
学歴に格差が出るのはわかる。予備校とかいい学校とか金かかるもん。親の方針の影響も受けるし。知識とか読書量とかその辺はコンプがあるなら人のせいにしてないで大人になってから身につけりゃいいんでねえのと思った
主語デカなんだよな。公立中学が一体全国にどれだけあって、状態の差もどれだけあるんだと。
自分がいたXX年ごろの〇〇中は動物園、がまだ許容される限界だわ。(年代まで言わないと現在は教育機能していた場合、後輩への差別になるからな)
ちょっとそれるけど、同じ世代の都会民がSAP◯Xで偏差値チートやってるとか、ガキのころからプラレールやLEGOやシルバニアファミリーを求めるままに買い与えられ、休みはディズニーに美術館に海外旅行ってのが平均的で、時流に乗った職業選択や資産管理とかを普通に教えられるのが都会民のスタート地点だと思うと
隕石とか地震とか宇宙人とか、そういう(悲劇的だけど)映えるような、映画とかで描かれるような破滅じゃなくて、ほとんど誰も死なないでダサい形で東京が滅んで欲しい
インフラが寸断され、電気も水道も交通も全部ストップ つってもドカンとくるわけじゃないから、そんなに派手に人は死なない
でも地味〜に効いてくる 電柱とかが全部ナスに覆われて壊れるし、道路がガタガタで機材を運べないから復旧もできない バカでかいナスには除草剤も何も効かない 抜きにくいし、抜いてもすぐまた生えてくる
そういう状況になって、文化資本を享受してきた東京人たちが突如家なき子になるのを絶対に見たい
ゲラゲラ笑いながら東京に行って、ナスと記念撮影をして帰りたい
マジかよ完全にツルのイメージだった でも俺の巨大ナスは植物というよりはむしろ憎悪の具現だから、現実には縛られないんだよな
俺の妄想だからに決まってるだろ 東京、もっと言うと23区狙いのナスだから23区の外には生えないの
どうやって東京まで行くのか
……ヒッチハイク……?
食う
俺は田舎の出身で、big4と呼ばれるコンサル会社を経て今はフリーランスとして仕事を受けている。高級派遣と揶揄されるが、月単価100万は優に超えるのでアラサーとしてはまあまあ稼いでる方だろう。
そんな俺は大学から東京で暮らしているが、一度東京で生活してしまうと田舎に帰る気がなくなってしまった。それは東京の持つ以下3つの魅力が大きいように思う。
基本的に家事は自分ではほとんどしない。家事代行サービスを利用するからだ。最近利用し始めたが、水回りを中心に2時間6,000円ほどで見違えるほど綺麗になる。基本的には土曜の午前に頼むことが多い。寝てる間に部屋が綺麗になるのは極めて費用対効果が高い。
AmazonフレッシュやUberEATSも便利なサービスだ。Amazonフレッシュは利用エリアが限定されることから、エリア内で部屋を探したぐらいだ。今の家に住んで2年ほどだが、その間スーパーでの買い物をしたのは数回ほど。基本的に夕食は自炊するようにしているにも関わらずだ。
②遊ぶ場所に困らない
博物館や美術館といった文化資本へ容易にアクセスできるのも大きな魅力だ。国立科学博物館は、頻繁に展示内容が変わり、何度行っても飽きない。
大型の本屋がいくつもあるのもいい。特にお気に入りは新宿の紀伊國屋書店本店だ。店内を歩くだけでも新しい発見がある。本を買ってから地下のレストラン街でカレーを食べながら本を読む時間は至福のときだ。
基本的に飲食店のレベルが高いというのも東京の魅力だろう。日本全国ないしは全世界の美味しい物が東京にはある。秋葉原のちゃばらはアンテナショップの集まりだが、ハズレがない。イギリスで食べたフィッシュアンドチップスよりHUBの方が美味い。
③人間の質が高い
最後の理由については、完全に主観によるものになるが田舎出身の自分にとって、高校までの地元の交友関係と大学以降の東京の交友関係では人種が全く異なることを感じている。地元の人間は社会的ルールを守らない人間があまりにも多いのだ。なぜ万引きを平気でするのか、なぜ免許証を携帯せずに飲酒運転を平気でするのか。その神経が俺には理解できない。そして口を開けばギャンブルの話と同級生同士でヤッた話を永遠にするわけだ。お互い結婚しているにも関わらずだ。
東京で出会った人間達はそんなことは無かった。万引きも飲酒運転はダメな事だと理解している。結婚をしていれば、他の異性とヤッてはいけないことを理解している。地元にいる時は自分の感覚がおかしいのでは無いかと感じるが、東京にいると自分の感覚は間違ってないと実感出来るのだ。
3つ上げたが、正直3つめの理由が全てのようにも思う。地元の人間で今でも交友関係があるのは、同じように東京に出てきている人間だけだ。
そして自分の観測範囲の中ではある程度優秀な人間は皆東京に出てきているように思えてならない。地方にいる人間は人材の質が低いのではないかと感じてしまうのだ。
東京から田舎へ転勤となったエントリーが最近話題のようだ。田舎から東京へ来た人間、少なくとも俺にとって東京は極めて魅力的な都市である。コンサルならびにフリーランスとして働いているのも、全国転勤の必要が無いというのも理由のひとつだ。将来子供を持つことになった時に東京で子育てをしたいからだ。自分の子供には自分が地元で接してきたような人間達と接することなく人生を歩んで欲しいのだ。
在宅勤務とVRChatのために実家を出てアパートを借りたんだけど、夜がびっくりするぐらい静かだ。
ある増田のいう「東京」が立川や八王子だとすれば、生活様式上はここも「東京」である。通行手形が求められるようだが。
大きな駅に直結でうるさいし変な訪問も多いしボイスチャットでの世迷言を家族に聞かれたくないしで、
実家を出て、一軒家と雑木林に囲まれて静かなアパートに居を移した。
聞こえるのはお隣さんの入出庫の音、子供が路上で遊ぶ声、灯油の曳き売りぐらいだ。
ただし夜になるとこうした人気すらなくなるのが驚いた。
何か物音を立てても闇に吸い込まれるような、「しん」という擬態語が似つかわしい空気を初めて覚えた。
なにせ21時には周りの家々の電気が消えるのだ。この文をしたためている23時半の今はとうに寝ているのだろう。
我を張ろうとも張ったそばから闇に吸い取られていくようなそういう不安がある。
ある増田も幼いころから人の多いところで育ったから、そういう心地なんだろう。
その心地をベースに文化資本へのアプローチ難度の高い点が上積みされてああいう独房で遠吠えするような増田文学が成り立ったのだろうと推量する。