はてなキーワード: 子宝とは
古今東西あらゆるフィクション・ノンフィクションを見てもどうやら仕方のないことらしい。諦めてはいるが、自分の身に起こっていることでもある。
世代的に専業主婦を選択せざるを得なかった母は、鬼のような教育ママとなり、莫大な金と時間をかけて小学生の娘に10つもの習い事をやらせ、中高は片道2時間の学校からの週6で塾に通う生活を6年、そして娘はノイローゼになりながらも無事1人で生活できるような賃金を稼ぐ社会人になった。手頃な恋人を見つけて二十代のうちに結婚し、有難いことに子宝にも恵まれて共働きで慎ましく生活している。
母に言わせると全て母のおかげである。昔は嫌な気持ちもしたものだが、まあそれで嫌な気持ちになるのは私くらいなので今はあまり気にならなくなった。それは良いのだが、私が「母の教育のおかげ」でこのような「いわゆる幸せ」な人生を送っていることがやっぱり母はどこか気に入らないようなのである。
私が小さい頃から、母は周囲の目線が母より私に集まるのを嫌がった。○○ちゃん(私)を連れて行くとみんなママそっちのけであなたを可愛がるからさみしくなっちゃう!とよく怒っていた。自分にも子供が産まれたらその感情が理解できるものと期待していたが、残念ながら今に至るまで理解できていない。誰かに娘が褒められるのもあまり好きではない。最終的にその娘を育てた自分に賞賛が向くように会話を続けているのを、私はいつも静かに聞いていた。小学校高学年くらいから、人数分無いものは母に優先的に渡したり選ばせたりしていたように思う。母が食べたいケーキを私が先に選んで取ってしまうと拗ねてしまうのだ。
父親に対しても、今思うとおよそ恋人として振る舞っていたように思う。父と母は手を組んで歩き、私はその後ろを歩くのが日常であった。両親の間には私の入れない空気があり、それが家庭としては一般的だと高校生の頃までは思っていた。父は娘から見ても気性の荒い人間であり、母のことは貶すし、弄る。母はそれに対してヤダヤダ!と幼児的なアクションで対応する。それが2人のコミュニケーションであった。私のことはほとんど空気のように触れられなかった。何かを相談した記憶もない。ちなみに父と私は日常会話すらぎこちないほど会話が成り立たない。母なしでは会話が成り立たないように家族が完成してしまったようだ。
困るのは、夫のことである。夫は父とは正反対の明るく気さくな人間であり、両親に、特に母に気に入られるまでにそう時間はかからなかった。そのうち母は私を抜いて夫と2人で会話をしたがるようになった。なるべくそのような時間のないように動いてはいるのだが、見事2人きりになった時にはやはり娘(私)の困ったところ、ダメなところを夫に愚痴っているようだ。その上夫が言った一言一言を拡大解釈し、今度は私と2人きりになった際に「夫くんがこんなこと言ってたわよ、あなたには中々言えないけどこんな不満もあんな不満もあるって」と吹聴。"夫くんのことはわたしが一番分かっているわ!"のような態度に呆れた顔しかできない。もちろん夫にはこのようなことに巻き込まれることに都度謝罪し、夫婦間での齟齬がない(=母が我々夫婦個人について不適切な解釈をしている)ことを確認する作業を行っている。ややこしいので勘弁して欲しい。娘の夫について母が娘にマウントをとってくるというのはかなり理解に苦しむ。
結局我々母娘の周囲にいる人間について、娘が母より優先されたり、注目を浴びたりすることがどうにも許せないようなのである。先にも書いたが、子供が産まれたらその感覚も理解できると思ったが、どうにもその気配がない。私は私より私の子どもが注目されて褒められている方が嬉しい。そのことに嫉妬の感情は全く出てこない。私の母の言い分もよく分かるという方は、その心理について、もしよければ教えて欲しいと思う。
なぜ中世の人々はこんな破廉恥な彫刻を作ったのか。主に2つの説がある。1つはやはり子授祈願だ。日本でも「子宝の石」やら「子授け岩」なんてものが各地にあるように、触れることで子宝を授かると期待する。これの根拠としては、彫像の陰部が特にすり減っているものが多いためだ。長い間、多くの人々が撫でてきたせいである。
もう1つの説が人魚に通じるものであり、こちらは「魔除け」を期待したものだという。その根拠は2つ。まずはシーラ・ナ・ギグの設置場所である。教会ではアーチの中央最上部、すなわち要石にあることが多い。これは魔除けとして一般的な位置であり、上で紹介したハドリアヌス神殿のメデューサもそうである。もう1つの根拠は、古来より女性が陰部を見せつける行為には、魔を払う効果があるとされているからだ。
Charles Dominique Joseph Eisen, Public domain, via Wikimedia Commons, Link
例えば古代エジプトでは、女性が陰部を畑に対して晒す風習があった。これによって畑から悪霊を追い出し、収穫が増えることを期待してのことだ。また、エジプト人はブバスティス祭では、舟が街に近づくと、女性たちは服を頭の上までまくりあげて陰部を晒したという。これを見たヘロドトスはカルチャーショックを受け、その行為に「アナ・スロマイ」と名付けた。
ヘロドトスは知らなかったようだが、アナ・スロマイがあるのはエジプトに限った話ではない。例えばカタルーニャには「女陰を見せれば海が鎮まる」ということわざがあり、漁師の妻が夫を海に送り出す際に陰部を海に見せるという習慣がある。ロシアの伝承では、若い女性がスカートをまくりあげることで、クマを追い払えるという。
わたしは知命をとうに過ぎた会社員です。3才年下の妻とは、学生時代に当時の趣味を通じて知り合い、それなりの紆余曲折を経て三十路前に結婚しました。彼女はある事情で、わたしとの結婚前に当時の職場を退職していたので、結婚と同時に専業主婦となりました。
わたしも妻も子供ができにくい体質で、わたしは子供にあまり執着がなかったのですが、妻は子供を欲しました。夫婦で数年間不妊治療に励み、その後子宝に恵まれました。当時まだ珍しかった育休を取得し、職場の近くに居を移したわたしは、専業主婦だった妻をできる限りサポートして、妻と力を合わせて一人娘を育ててきました。
40の声を聞くころから、妻は夜の生活を拒否するようになりました。面と向かって理由を聞いたことはありませんが、あるとき「そういう気分じゃない。その気になったらこちらからいうから」と苦笑交じりに拒絶されたことをよく覚えています。以来、今日に至るまで、妻との性交渉はありません。
同じころ、妻はMLMに嵌まり、その関係者と出歩くようになりました。時を同じくして、アロマセラピーやハンドマッサージなどの資格取得を始め、当時の当家の貯金の8割ほどを使い込みました。
事態が明るみに出たのは娘が中学に上がるころでした。説得が功を奏しMLMから足を洗った妻ですが、他に収入を確保する術はなく、使い込んだ金銭を返済することは叶いませんでした。わたしにできたのは、以来現在に至るまで、家計の一切を自分で管理することだけです。
妻は反省したそうです。MLMの仲間とは絶縁し、アロマやハンドマッサージは趣味の範囲(自分ができるパートの給与でまかなえる範囲)で今も続けています。特段の職業的スキルを持たない妻が稼げる給与はたかがしれており、彼女が自分の収入を家に入れたことはありません。
10年ほど前、仕事のストレスが原因でうつ病を発症しました。1年と少しの休職を含む長い通院を経て、先ごろやっと服薬を卒業しました。3年ほど前から始めた趣味を通じて、友人が増えました。自分の半分ほどの年頃から同年代まで、さまざまな人がいる、緩いつながりの集まりです。
そんなメンバーのひとりに恋をしました。利発で機転が利き、素敵な発想を披露する、だれにでも明るく優しく接する彼女を、本来の趣味の活動とは離れて、個人的に遊びに誘うようになりました。最初はダメ元だったのです。わたしのようなおじさんの誘いに応じてくれるはずがない、そう思っていました。ですが彼女は快く提案を受け入れてくれ、一緒に遊ぶのが楽しいと喜んでくれました。以来、個人的な付き合いが続いています。もちろん肉体的な関係などあろうはずもありません。博物館、展覧会、夕食会、日帰りの小旅行。手を繋ぐことさえ叶わない、中学生の初恋のような他愛のない付き合いです。それでもわたしは舞い上がりました。もしかしたらその人はわたしに特別な感情を抱いてくれているのかもしれない。
わかっています。そんなはずはありません。親子ほども年の離れた、さしたる魅力もない中年、いや老人がばかなことを考えるな。自分でもそう思います。今の、親子のような、友人のようなふんわりした関係を、できるだけ長く続けることが、わたしにとっての最良の選択なのです。所詮は邪な、実らぬ恋です。
夫婦仲は悪くありません。ですが、わたしは妻を恨んでいます。10年以上、貞操義務を盾にわたしの性生活を奪い、台無しにした妻を、わたしは許すことができない。わたしが自分より二回りも年下の女性を、己の恋する人物として妻に紹介したら。妻はどんな顔で、わたしになにを言うだろうか。そのときわたしは、この積年の恨みを晴らすことができるのだろうか。もちろんそんなことをできるはずはない。わかっています。
🙋♂️「俺はロシア派だ!」
🙋♀️「私はロシヤ派!」
🙎♂️「えっなんで『ヤ』なの?」
🙋♀️「学校でそう習ったもん!」
🙎♂️「昔はね。年齢バレるよ」
🙎♀️「うるさい!あと、サイゼリヤもヤだし」
🙋♀️「うるさーい!とにかくロシヤなの!」
🙋♂️「でも普通はロシアだよ。ファイアーエムブレムと同じア」
🙎♀️「なんでゲームなの」
🙋♂️「あと、ダイアモンドと同じアだよ」
🙅♀️「ブー!ダイアモンドじゃないですー!ダイヤモンドですーっ!」
🙅♂️「それも古いから!年齢バレるよ」
🙎♀️「キーッ!あと、イアホンじゃなくてイヤホンでしょ?」
🙎♂️「た、確かに」
🙎♀️「うっ」
🙇♀️「うっうっうえーーん!!」
🙍♀️「もう別れる!」
🙇♂️「ごめん!調べたら、ロシアでもロシヤでもどっちでもOKだって。
でも、ロシア語では「россия」と書き、発音は「ロッシーヤ」だって!
だからヤの方が正しいのかも」
🙍♂️「うん、もうそれでいいよ。お腹減ったし食べに行こ?」
🙋♀️「じゃあロシヤにちなんで、ボルシチ食べよ!」
🙍♀️「あら、じゃあピロシキ?」
🙋♂️「それか、ビーフストロガノフかな」
🙆♀️「さんせーい!調べたら、バラライカっていう店があるよ」
🙋♂️「じゃあそこにしよう!」
💁♀️「あと、これ持っていこっと🪆」
🙋♂️「えっマトリョーシカ?持ってたの?」
🙍♂️「なんだろ?」
🙋♀️「マトリョーシカは、母という意味で、子宝や安産の象徴なの」
🙋♂️「えっということは・・・」
🙆♀️「ついに・・・できちゃった!」
🙆♂️「やったーー!!めでたい!!思わずコサックダンス🕺!!」
🙆♀️「今後ともよろしくね!」
🙆♂️「もちろん!今夜はウォッカを飲むぞー!」
(おしまい)
「人魚の肉を食すると不老不死・不老長寿となる」という物語は、八百比丘尼の伝説・昔話として有名でもあるし、仮にそれらを読んだり聞いたりしたことは無くても、高橋留美子の連作漫画『人魚の森』シリーズを読んだから何となく知っているという人も少なくない。
しかし、そもそも何故、人魚の肉を食したら不老不死・不老長寿となるのか?その理由というか説明については、知らない人も多いのではないだろうか。
これを書いている増田が、その理由らしきものについて書かれたものを最初に読んだのは、神話学者・大林太良の著書『神話の話』(講談社学術文庫)であった。この現物を、確かに所有しているはずなのに本棚や倉庫の中から見つけられないので、ここでは記憶を頼りに大林説を書き起こすが、もしも『神話の話』の現物を持っている人は、そちらを見た方が早い。図書館で探してもよい。
まず、八百比丘尼伝説の概要は、大同小異、以下のようなものである。「龍宮の主を助けた漁師が、龍宮に招待されて主から宴などの歓待を受け、家路につく際に主からの土産として、人魚の肉を貰い受ける。聞けば、それを食した人は、不老長寿となるという。家に持ち帰ったはいいものの、人魚の肉を食べるのに怖気づいた漁師は、いったん戸棚にそれを保管する。しかし、漁師の留守の間に、彼の娘が人魚の肉を食べてしまう。人魚の肉のことを父から聞かされるが後の祭り。はたして、娘は不老長寿となってしまう。父親である漁師も、娘が結婚した夫も、近所の人たちも、漁師の娘が愛した人たちは皆、寿命が尽きて世を去るが、彼女だけは不老長寿の若々しいまま、この世に取り残される。その孤独な境遇を嘆いた娘は、仏門に入るものの、その後も長く若々しいままで生き続け、とうとう八百比丘尼(八百歳の尼僧)と呼ばれるようになり、最後は洞窟の中に籠もり、人々の前から姿を消す」
大林太良によれば、これと殆ど同じ内容の話が、朝鮮半島・平壌の仏教寺院の伝説として残るという。但し、日本の八百比丘尼物語には見られないディテールとして「結婚して夫を迎えたが、子宝に恵まれない」という描写が、朝鮮半島版の物語には有る。
つまり、人魚の肉を食することによる不老不死・不老長寿の獲得は、生殖能力を喪失するというトレードオフになっている。このような不老不死性と生殖能力のトレードオフは、八百比丘尼の物語にだけ見られることではないことを知っている人もいることだろう。
例えば日本神話では、人間の寿命に限りが有る理由として、ニニギノミコトがオオヤマツミノカミから娘の女神を嫁に迎える物語が語られる。オオヤマツミには二人の娘、姿形が麗しくないイワナガヒメ、姿形が麗しいコノハナサクヤヒメがいた。ニニギノミコトは、見た目を重視してコノハナサクヤヒメを選ぶが「イワナガヒメを選んでおけば、不老不死でいられたものを」とオオヤマツミノカミから言い渡される。花が咲き、実を成し、種を残して枯れる植物のように、こうして人は有限の寿命となった。岩石のような、長い年月が経過しても残るような不老不死性は、こうして人から失われた。
女性を差別・侮辱する古語として「うまずめ(=子を産まない・産めない女)」というものがあるが、これを漢字で書けば「石女」である。言うまでもなく、この言葉にはイワナガヒメ(岩石の女神)とコノハナサクヤヒメ(植物の女神)の嫁取り物語と同じ考え・物の見方が、素朴な形で反映されている。
昔の人たちが呪術的な発想として、生殖能力の有無と不老不死性を結び付けて考えたであろうという仮説自体は、現代人も自然と受け入れられるであろう。
問題は、何故、人魚のイメージと生殖能力の有無が結び付けられたか、その点が定かではないところである。これについて『神話の話』の中で大林太良は、一つの示唆として、中国の人・袁枚(えんばい)の残した『子不語(しふご)』という書物に収められた、次のような挿話を紹介する。
「袁枚の甥が、地方の役人として赴任する旅の途上で立ち寄った集落で、住人たちが騒いでいた。何があったのかと尋ねると、その集落に住む或る夫婦の妻の下半身が魚になってしまったという。彼女の証言によれば、昨夜は夫と同衾し(夫婦の夜の営みを行い)、眠りについた。夜更け、下半身がむず痒くて堪らず、手で搔いていた記憶があるが、疥癬のように皮膚がポロポロと剥がれ落ちる感触が有った。朝になり、彼女が目覚めた時には、下半身は鱗の有る魚のものになっていたとのことである。剥がれ落ちていたのは、どうやら鱗だったようである」
大林太良は、この『子不語』の挿話について、わざわざ夫との同衾について言及しているのは「下半身が魚になる前の女性は、二本の脚を開いて男性を迎え入れる性行為が可能であったが、下半身が魚になったことで、脚を開くこと、すなわち性行為が不可能な状態になった」と言っているのだと考える。そして、人魚の肉による生殖能力の喪失も、これと同じ発想なのではないかと言うのである。
個人的には、この大林太良説を初めて読んだ時は「ううん、ホンマかいな?」という半信半疑の感想であった。しかし『神話の話』を読んでから暫く経過した後、大林説を補助するような話を、別の学者の著作で見かけた。が、やはりこの著作も、本棚や倉庫で見つけられずにいた。それがつい最近、その本を古本屋で発見して再入手した。嬉しい。だから舞い上がって、ここで記念にメモを残そうと思い立ったわけである。
件の大林太良の説を補助する記述が載っていたのは、金関丈夫の著作『木馬と石牛』(岩波文庫)である。ちなみに、解説は大林太良その人である!
この『木馬と石牛』に収められた「榻(しぢ)のはしがき」という論文が、人魚による不死性と生殖能力の喪失のイメージの結び付き仮説を補助するような記述を含むものである。この論文は何について書かれたものか、簡単に説明すれば、国文学におけるオナニー文学について論じたものである。これは、悪巫山戯で書いているのでも、嘘を書いているのでもない。本当のことである。初めて読んだ時は「お硬い岩波文庫で、こんな珍論文を読めるとは」と、かなり吃驚したものである。
本題に入ると、金関丈夫によれば、天明六年の自序がある東井春江による『譬喩尽(たとへづくし)』という俚諺(りげん)辞典の「い」の部には「一夢二千三肛四開(いちむにせんさんこうしかい)」という俚諺(ことわざ)が収められている。その意味は「性行為の中で快感が大きいものランキング・ベスト4」である。念のために言うと、男性の立場でのランキングである。4位の「開(かい)」が「女色すなわち男女の営み」を指す。この「榻のはしがき」の一節を初めて読んだ時「なるほど、『開(かい/ひらく)』の語と『男女の性行為』のイメージは、昔の人の頭の中では自然に結び付いていたのだなあ」と納得し、大林太良説も納得して受け入れられるようになったと、そういった次第である。
何?ベスト3の意味が知りたい?いちいち言わなくても、字を見れば薄々察しがつくだろうから細かい説明は書かない。なお、同「榻のはしがき」によれば、戦国時代頃に来日したポルトガル人宣教師たちが、布教活動を行うために編纂した日本初の日本語/ポルトガル語翻訳辞書『日葡辞書』には「Xenzuri」という単語が収録されているとのことである。
とりあえず『神話の話』も『木馬と石牛』も、どちらも非常に面白い本なので、機会があれば図書館などで探して一読することをお勧めする。
また、人魚の話に関しては、椿のモチーフなど海女文化が八百比丘尼伝承などにおける人魚のイメージに影響を与えた可能性の話、人魚の肉はフケツノカイ(キュウケツ[9つの穴]ノカイ)すなわちアワビのことではないかという可能性の話など、色々ほかにも面白そうな話が有るので、興味が有る人は調べてみることをお勧めする。
りゅうちぇる、インスタの投稿長々色々と書いてるけど結局何が言いたいか全く分からないよ。
『夫』であることは苦痛で、『父親』であることは苦痛ではないとは一体どういうワケ?
初めて好きになった「女性に子供を産んでもらったら、『夫』であることは苦痛になったことに気づいたってこと?
「21歳」で結婚する前に、全く性自認について、性的指向について自覚がなかったってこと?
初めて好きになった女性と結婚したら、自分のセクシュアリティは『シスジェンダー男性(産まれた時に割り当てられた体の性別と心の性別(性自認)が一致している状態)』『ヘテロセクシャル(異性愛者)」という自覚がハッキリして、一生やっていく「覚悟」も後からだんだんついてくると思っていたということ?
なんか色々とあやふやな文章で、結局何が何だかわからないし誤魔化されてるような印象だよ。
「りゅうちぇるは『トランスジェンダー(MTF)』の『レズビアン』」
いろんな読み方できるんだけど、どんな読み方をしたとしても『りゅうちぇるは1人解放された』
って印象だよ。
「世界一と言ってくれる男性と21歳で結婚して、子宝にも恵まれ子供が3歳になった時に恋愛感情がなくなったと、ショッキングな事実を打ち明けられたが家族として同居し続ける」
って何が何だかわかんないよ。
これからもりゅうちぇるは『イクメンパパ』の肩書きを捨てずにタレントをやっていけるんだよね。
だれがそんな金にならない研究に金出すの?
若いうちに子供つくるだけならそのへんあるいてる普通の人間やレイプ犯罪者でも作れるよ。
研究しなくてもいいから金だして子宮だけかってきて代理母ってのをやってみてるけど
それでももっと金くれとかあれっきり生まれなかったから最後の子は私にくれとかなってトラブルになってんだよね~
学生に子供作らせない、作った学生は社会から全力ではじきだすという
朝子供が学バスのりさえすれば普通に給食だの教材くばられて教育うけて楽しく食っていける仕組み作ればよくね?
てか昭和では義務教育で充分だったのになんでこうなるまで平成令和をほっといたんだ。
平成令和の積み残しが多すぎる。
と男がA、B、自分しかいない場で発言したり、友人の結婚式に列席したときに
「あー、私も早く結婚したいなー。〇〇(自分)みたいに一人で暮らすとか無理だしww」
みたいにいじりとも言えないような事を言ってくるような人だった。
実際自分には彼女もいなかったし、お世辞こみでフツメンにようやく入れるレベルだと思っていたので流していた。
30歳を過ぎて周囲の結婚ラッシュが落ち着いた頃に別の結婚式で一緒になった時に
2次会だったか3次会で共通の友人から「ねぇ、〇〇(友人)ってどう思う?」と聞かれた。
要約すると「お前と付き合ってやってもいい」みたいな話だった。
何でそうなるの?と思ったけど「いやー、もったいないっす」と言って流した。
そっから2年くらいして幸運にも結婚できた。子宝にも恵まれ、家族で幸せに過ごしている。
彼女というと、地元に帰り、1人でマンションを買って、猫と一緒に暮らしている。
出産費用は全額後から戻ってくる(だから産院はその費用内ぎりぎりの値札を出しておいて無駄に夕食に誕生お祝いワインとかつけてくれる)
家庭で全員働いてたら保育園に入れる
病気になったら医療費無料(病院で黄色いカードを受診券と一緒に出すだけ)
そのあとはどこへなと放流すればいいよ
つかえない人材になっても自分が産んだせいじゃなくて社会がそういう風にそだてたんだから生活保護でもなんでもうけさせりゃいいの
なんか子供の製造責任を女のせいにする男社会では子育てが生きづらそうにみえるんだろうけど
どう子育てするかは自分の尺度で決めていい(他人まかせだって当然良い)
どうせおまえの子なんておまえの思うとおりにはならんよ
おまえだって親のおもうとおりには現状なってないわけだし
なるほど。結婚したけど結局は子宝に恵まれなかった場合はその結婚は無意味な結婚だったとのお考えなのですね。わかりました。
あなたと私の考えは大きく隔たっているようですね。
以上。
それよりも、子供が出来ようが出来まいが、結婚している男女間には貞操義務が生じるので、性行為の相手として法的に独占することになるが、結婚していないとそれが無い。また、結婚している男女間では正当な理由なく性行為を拒み続けることは不法行為とみなされ裁判離婚における離婚原因となり得るが、結婚していないとそれが無い。このように婚姻制度は性行為に関する義務を生じさせる。
・・・ それはわかるが、そういうのを「子供を持つための制度」「子供を持たないなら意味がない」と言えるのかい? それじゃあ、結婚したけど結局は子宝に恵まれなかった場合は、その結婚には意味がないということかい?