はてなキーワード: 受益者負担とは
伊是名夏子氏のブログ・Twitterから話題になったJR東日本の車椅子乗車拒否問題。結局なんだかんだ言って有耶無耶になって終わった感があるので今更ながら考えたことを投稿。
事の顛末は以下の通り
改正バリアフリー法が施行された2021年4月1日。伊是名は来宮神社観光のため、宿泊施設や飲食店は予約した上で、友人・介助者・子供ら5名で電動車椅子で出発。JRは事前連絡せずに小田原駅で来宮駅下車をJRの係員に伝えた。しかし来宮駅は無人駅で階段しかないため、係員はバリアフリー化されている熱海駅下車を推奨した。伊是名は車椅子で乗車可能なタクシーは1ヶ月前からの予約が必須と主張し、バリアフリー法にのっとり対応するよう求めたが、利用者数3000人以下の来宮駅は同法対象ではないと説明を受ける。伊是名は次に障害者差別解消法を根拠に合理的配慮を求め、駅員3・4名を集めて電動車椅子を運ぶよう要求。急に人員を確保できないとするJR側と交渉中に、伊是名は新聞社数社に取材を要請。駅係員と1時間ほど交渉の末、熱海駅に向かった。小田原駅から連絡を受けていた熱海駅では特別の計らいで、駅長を含む係員4名が一行を急遽出迎え、来宮駅まで同行。階段降下時には、100キログラム超の電動車椅子を4名で手持ち運搬した。熱海駅長の教示で、復路は伊是名が事前連絡をおこない同様の措置がとられた。
〜引用ここまで〜
伊是名氏は宿泊施設・飲食店を予約している。なのになぜ移動手段についての事前連絡ができなかったのか。
伊是名氏の主張するとおり障害者にも自由に移動する権利は認められるべきである。ただ、バリアフリー対応のタクシーという代替の手段もあるわけで、伊是名氏は利用の1ヶ月以上前から予約が必要であるためこれを利用できないと自身から主張している。結局のところ、自身の不手際からくる旅行の行程の綻びをJR側に押し付けているだけにすぎない。問題提起のためにあえて準備をせずJRを利用しようとしたのであれば尚更たちが悪い。
交通事業者に駅バリアフリー化を求めるという気持ちもわかるがJR側が説明したように来宮駅はバリアフリー法の対象外である。JRは法に従って業務を行っているため責任の所在はここにはない。バリアフリーについて訴えかけるなら立法機関に対して行うべきだろう。
伊是名氏が主張した合理的配慮について。そもそも合理的配慮とは何か、内閣府作成のガイドブックより引用する。
〜以下引用〜
合理的配慮は、障害のある人から、社会の中にあるバリアを取り除くために何らかの対応を必要としているとの意志が伝えられたときに、負担が重すぎない範囲で対応すること(事業者においては、対応に努めること)が求められるものです。重すぎる負担があるときでも、障害のある人に、なぜ負担が重すぎるのか理由を説明し、別のやり方を提案することも含め、話し合い、理解を得るように努めることが大切です。
〜引用ここまで〜
合理的配慮というものは、義務ではないが、可能な限り対応しようという努力目標ということである。
今回の対応について、社民党が出した声明文に対しJ-CASTニュースの取材でJR東日本横浜支社は次のようにコメントしている
〜以下引用〜
当社では、お客さまのご要望を承りつつ、代替手段であるタクシーの手配や、可能な範囲での駅係員の手配による来宮駅での介助対応を行っており、『合理的配慮の提供』を行ったものと考えております。
〜引用ここまで〜
事業者側がどれだけ合理的配慮を行ったと主張しても、受け取る側が合理的配慮と感じていなければそれは合理的配慮ではないという考え方もできる。
この点は両者の言い分が理解できることであり今回の問題で一番難しいポイントだと思う。
今回熱海駅から係員4人が駆けつけて、100kgを超える電動車いすを運んだことは、合理的配慮の枠を超えた特別な計らいであったとされる。合理的配慮の枠を超えるということは、つまり負担がかなり重かったということである。
このような特別な計らいを目撃した身体障害者が同じ対応を主張し、これを認められなかった際に「伊是名氏は対応してもらえるのに私は対応してもらえないのは差別ではないか」という考えを持つことは容易に想像できる。かなり重い負担をかけて対応した上に、一度対応した手前これが当たり前になってしまうというのは事業者にとってはかなりしんどい。特別な計らいを当たり前にしようとする運動は、かえって他の身体障害者に対する合理的配慮の幅を狭めてしまう可能性がある。
そもそも、バリアフリー化を求めるのは良いが財源はどこにあるのか。国からの補助もあるだろうが、交通事業者の出費も馬鹿にならない。
交通事業者の出費は主に運賃収入によって賄われる。バリアフリー設備は健常者(高齢者等を除く)にとっては必要のない設備である。必要のない設備を設置するために、運賃が上がるというのは健常者差別ではないだろうか。
基本的に身体障害者は、介助者1人を含めて運賃が半額となるケースが多い。受益者負担の原則に則るならば、ある程度運賃を上げてこれをバリアフリー化の財源とすればよいのではないかと考える。
○主張ばかりでは賛同は得られない
他の障害者から伊是名氏に対して否定的な意見が多く寄せられたという記事を見たが、主張ばかりする存在、丁重に扱わないと何を言われるかわからない存在になってしまうと受けられる合理的配慮の幅も更に狭まってしまう。
伊是名氏の言動には一方的な主張と問題提起を混同している節が見られ、この考えを改めない限りは社会から総スカンを喰らい続けることになるだろう。
福祉の負担を受益者負担にすると、高福祉で高コストな社会が出来上がるぞ。
施設のバリアフリー化で大学の授業料が+500万値上げとか、全駅(無人駅・地方の過疎地含む)バリアフリー化で運賃が山手線の運賃が高田馬場から新宿まで+5000円値上げとか
賃貸物件もバリアフリー化で最安値でも30万越えとかあらゆるものの価格が倍増するだろうね。
俺らが高齢者(60歳以上)になる頃には年金にも頼れない企業で継続雇用されるかもわからない転職で給与が上がる見込みもない
加えて、心身ともに健康であるとも限らず福祉の負担を受益者負担にした結果次第では福祉に頼る年齢になったら逆に利用料金の高額化で公共の交通機関の利用を諦めることになったり
その時代に稼ぎの悪い家庭に生まれた地方の子供は公共の交通機関が使えず学校にも通えない、障害があっても金がないと言う理由で高福祉な社会の保護外に追いやられる人が出てくるだろう。
仮に重度の障害でも金がなければ福祉を施した社会から弾かれる本末転倒な事態も出てくるだろう。(障碍者がみな金を持ってるとは限らないのだから)
俺はオリンピックに出す税金があるなら高福祉な社会にするために税金を使うべきだと思う。そして受益者負担で行くと社会的な分断がより一層広がると断言する。
死亡者割合をみていると死んでいるのは高齢者がほとんど。そのくせ、感染伝播をおこしている若者が~子供が~などと言って自粛を促し、新しい生活様式で統制しようとする年寄り偏重の日本政府の対応は受益者負担の原則から外れているように思う。いかにその根拠を示す。
前提として、コロナウイルスは決して収束はしない。ワクチンがたとえ開発されたとしても、(先日、香港で実証されたように)容易にウイルス株が変異していくため、罹患率や死亡率をどれだけ下げてもゼロにはできない。(インフルエンザの予防接種と同様である)コロナウイルスに特異的な治療法が見つかるかどうかは科学的に断言はできないが、当てにすることはできないため、この場では考えない。よって、人類はコロナウイルスと共存していくことになるのは必然である。
現時点における日本政府の対応は、2020年3月29日の基本的対処方針から読み取れば、医療崩壊を防ぐこと及びクラスター発生防止ひいては死亡率を下げることを重点に置いているとわかる。これによる死亡者は主に高齢者である。すなわち、その死亡者を減らす努力を行っている、その他世帯に対して、利益供与を行うべきであると言いたいのだ。でなければ、これは世代間格差のひとつだ、というそしりを免れないように思う。返される当てのない社会保障費を払わされている労働世代、その子供達こそがコロナウイルスの被害を一番受けているのだ。
報道や各種メディア、個人が様々な媒体で伝えているこのイベントに対して、私個人のごく私的な見解など、どうしようもない話の一部になるのだろうけれど、今年の事を書いてみる。
この条例は報道以上に効果があったと実際に現地にいると感じる。しかしこの条例は単に仮装者が羽目を外しすぎないようにするという印象とは異なり、数年来発生していたある問題を解決できたことが大きい。それは①酒の無許可販売②警備がなくなる深夜~早朝帯の乱痴気騒ぎ問題であった。
① 酒の無許可販売は2016年頃から見られるようになる。2018年のハロウィン当日には20名ほどの人が、テキーラやウオッカなどを販売していた。個人が勝手に販売する方が多いが、飲食店に雇われた売り子も、年齢など見境なく度数の高い酒を販売するのはよろしくなく、またルールなしの状況下では、酒の品質低下はもちろん、密造酒販売の可能性も発生する恐れがあるので、2019年に歯止めがかかったのはとても良かったことだった。
しかし2019年10月30日でも数名、31日当日では確認しただけで少なくとも5名が販売していた。仕入れたビールサーバーを背負い、仮装で隠した売り子は、マスコミのカメラの前で「規制の事実は知らなかった」と笑顔でのたまうずぶとさで、このような場でどうしても鬻ぎたい山師と企業は今後も出てくるだろう。
② 警備している警察官や警備員も人間なので、夕方から翌朝まで全力で雑踏警備を行うのは不可能である。大多数の方が帰宅した終電以降は警備人員もほぼ撤収するので、その時間帯に騒ぐ人々に酒を与えないという目的があった。2018年の軽トラックを横転させる事件は、深夜2時~3時に発生し、動画をよくよく見ると、トラックの周りで騒いでいる人は、誰も仮装をしていないという事が確認できる。毎年ネット上に上がる喧嘩の動画もそうだが、現地に行ったことのある人は「その喧嘩が起きている場所は、ハロウィンが発生している時間帯は人がすし詰めで、殴り合うだけのスペースはなく、これは人が少ない深夜に発生している」と直感として把握できるのだが、ネットや報道だけで情報を得て想像を膨らませている人々にとっては、四六時中喧嘩と乱痴気騒ぎが起きていると解釈になっている。
警察は「将棋倒し」への対策に苦心している。過去何人の人が圧死しているこの現象は、起伏が少ない渋谷の底である宇田川の上に集まった人々にも起こることで、仮に発生した場合は目も当てられない大惨事になる。2016年にホコ天を設置したのも、これが理由である。今年の警備は警察官と警備員が協力して、センター街に集まった人が撮影や雑談で滞留しないように、しつこく動くように声をかけ続けたことが大きな変化であった。結果は当日の19時までの人手であればこの方法が有効に機能していた(対応する人員の疲労は目に見えて明らかだったが)。当日に渋谷に集まる人々はすさまじく、19時には路上の収容人員がパンクしてしまい、そこから全てのホコ天が開く21時までは非常に苦痛な状況であった。
実は渋谷区としては、昨年の騒ぎがなければホコ天の先や、別にサテライト会場を用意し、混雑の分散や、「共感」という目的のために来た人々の一部マインドを消費に回すことを少しながらも実行に移せていた状況であったが、上記3点の安全のためと、マスコミのネガティブ方向への報道癖がついている状況下で、前進する対応が取れなかったのは彼らにとっても残念なことであっただろう。
ゴミ問題について毎年思うことを今回書こうと思う。今回はコンビニと名指しするが、自動販売機を除き、他にめぼしい外に持ち出せる飲料や食事を販売する店舗が見当たらないのにも関わらず、自店舗で出したゴミを回収させる為のゴミ箱を設置しない上に、
店舗の目の前で飲食した客が路上に落としたゴミを、「街が汚れたのはマナーのせい」で、
後始末を行政とボランティアに全て丸投げする納得できない状況が毎年続いている。
明け方でなく、ハロウィンのコアタイムにセンター街のコンビニの前で、コンビニから出たゴミを拾う警備員と、それを眺めるコンビニ従業員の様子をネットに上げてもいいぐらいである。普段から責任を全て若者と行政のせいにしている姿勢の店が一定数あるからの行動なのだろう。新しく出店しているケバブ屋やタピオカ屋にはあり、関係ないのにわざわざゴミ箱を出す店もあるので、そういう店の姿勢に客も合わせてやっているんだなと感じる。
今年の特徴は「ダイバーシティ」である。昨年は日本のあらゆる立場の人々が集まるヤミ鍋状態と表現したが、今年はその鍋にラグビーW杯の観戦に来た欧米の観光客が大量に押し寄せた、日本文化にリスペクトしてわざわざ来日したわけでない欧米文化圏の人、更に増え続けるアジア系技能実習生と、中国の大型連休が重なり、当日でも3割~4割は外国人の様相で、欧米文化における「ハロウィン」なる文化と日本の「はろうぃん」、アジア圏の方々が更に解釈した「ハロウィンのようなもの」の3つ巴の衝突が起きた。記号に頼らない私の考えるハロウィンの仮装だらけである。
ギャラリーも酒が入っていないので、それでも人が多いが、仮装した人同士で盛り上がる場に割り込んで、観光欲を満たす行為は多少減ったように見られる。
コスプレは、衣装やメイクを作りこみ、撮影による仕上げにより、世界観を作り上げる一連の行為とした場合、仮装は世俗における一瞬のなりきり、又は社会を風刺していく行為で、その出自がかなり違う点を理解したい。
参加した人々を傍観する人々
カラーギャングの時代から街の浄化作戦を街頭で行ってきた商店街からすれば、深夜に“ボボボ”とやってくるヤンキーは「またかよ」という気持ちだろうし、当時精力的に活動していた方々の年齢問題もあるだろうから、マスコミに叫ぶ気持ちはわかる。ヤンキーも、地域社会に受け入れられず、持っている力と金を余らせている上に、承認欲求が人一倍強いので、入り込める余地があれば求められなくてもやってくる。しかしヤンキー同士のコミュニティが強固な為、仲間を差し置いて仮装している集団に入れないし、クラブに行って踊ることもできないジレンマがある。さっさとコミュニティ変えろとしか言えない。パンチラスポットでパンチラを見ているような、下半身の欲求で来ている輩と存在感がどっこいなのに気づいていない。
ネットや報道で分かったフリをしている人々も厄介である。2018年に渋谷区へ来た抗議数百件の内、ほとんどが区民でない人の抗議であったという報道が示すように、自分の知らないところで楽しそうにやっている人を嫉妬する傍観者も多くいる、ニューヨークやロンドンと同列にして問題を語っているような国際的な街と、あなたが住んでいる町が同じでないのは当たり前で、そこで起きているイレギュラーな問題を必死に解決している人と、その大小様々な果実を受け取っている人をあざ笑っても、仕方がない。芸能界の恋愛事情に一喜一憂するぐらい不毛な事柄である。
現地にいると、さも当然のように、さまざまな人種・民族が、さまざまな年齢・性別が、
さまざまな社会的背景を持つ人が、それぞれの文化背景を元に、又はそれらから開放されるための仮装をしている。
資本主義が求めるダイバーシティである、(金をより稼ぐために)優秀な様々な立場の人が活躍(生産)できる都市ではないかもしれないが、実はその概念が最も実現できている環境がいまの渋谷ハロウィンにあるのは非常に面白いことである。都市は、生き物のように変化していき、日本の首都である東京でさえ、不意に訪れた雑踏の流れ、物事の速さに追いつけず、傍観者を大量に生み出しているのはとても味わい深い。
2019年7月下旬現在、多くの山小屋の現場で重大な異変が起こっている。営業物資、生活物資が突如として届かなくなったのだ。数年前から主要なヘリコプター会社のA社やN社が山小屋の物資輸送から事実上の撤退を示唆し、大幅値上げや契約拒否などに踏み切っていることは問題として顕在化していたが、
相応の金を払え。
おわり
utorigen "離島のフェリー便と同じ構図かと思う" 生活と娯楽を同じにしないでほしい。やりたい人たちで金を出しあえばいいよ。
一般人の山登りは娯楽かも知れないが、様々な調査で登る人もいるのは忘れないように
こういう奴に限って自分の好きなものがピンチになると公費投入を叫ぶ(偏見)興味のある人は過去発言を漁ってみたら面白いと思う
shinagaki 鍋割山荘方式で、物資にicタグつけたのを登山口に置いておいて、登山客に運んでもらう、売れたらレベニューシェアを分配とか
QJV97FCr 一部の小屋は過剰なサービスに対して料金が安すぎるからな。しっかり取るべきものを取れば半端な高齢者も寄り付かず遭難も減るんじゃなかろうか。
サービスが安すぎるからな←うん 取るべきものを取れば半端な高齢者も寄り付かず←金のない高齢者は半端な高齢者だった?!
いるよなー人が伏せ字にしているものを勝手に穴埋めしちゃうやつ。
うーn
これは
💩
vs
💩
出典
正しく受益者負担が出来ているのね、という印象。