はてなキーワード: スマートとは
日本は下品な金持ちが多すぎる、インスタに女性タレントとツーショットしたりこれ見よがしに「金持っています」「おれスゲーだろ」と主張する。
しまいには意識高い系(死語?)の本を出したり偏った定言までして弱者を罵倒する低俗な金持ちが多すぎる。
ビルゲイツみたいに慈善団体作ったりロナウドみたいに慈善事業したり慈善団体に寄付して対外イメージがソフトでスマートな金持ちが日本には少なすぎる。
貧乏だった男の子が起業で成功して全身を金のアクセサリーで包んだ姿をオシャレだと考え下品だと批難する人を「嫉妬」と言い放つ人ばかり。
本当の金持ちと成金は違うんだなと実感する、同じ金持ちでも被災地に億単位の寄付するお婆さんや芸能人やソフトバンクの社長の方がよっぽどスマートだ。
大雨、台風、地震、これから来るであろうもっと大きな地震、停電。ラジオが必要だと思った。
夏の終わりに、自宅パソコンが壊れた。テレビは元から無い。ここ1週間ほど家のWi-Fiの調子がおかしくて、スマホがあてにならない。だからradikoも無力。バッテリーは複数を常に充電満タンにしてるけど。
はてなを見ることもままならない夜もあった。Wi-Fiがダメだと通信料がかかる。
だからラジオを買いに行った。日々ニュースや天気予報を知ることができ、音の無いわたしの部屋で世界に通じる窓になる、スマートかつシンプルな端末としてのラジオを求めて。
で!買ってきた。5000円くらいの、わたしにとっていらん機能は付いてない、シンプルなやつを。シンプルな梱包を開けてACアダプターをつなぎ、シンプルにAMの周波数をチューニングしてる間、わたしは心の中で、うちに娯楽が来た!と叫んでいた。昭和初期かよ!とツッコミながら。
喫茶店でコーヒー2杯飲んだら、会計では3杯飲んだことになってた。
店に電話して、明日余計に払った分を受け取りにいくことになったわけだが。
そのとき、もし詫び料としてコーヒー無料券とかを店に差し出されたとしたら、
それをうまく断りたいのよ。
差分だけもらえりゃいい。
これからも、よく使うだろう店だし。お詫びとかもらうの気まずいじゃん。
店から差し出された時に、スマートな断り文句があったら教えてください。
★追記(というか結果)
愚かな俺の杞憂だった。
先方からは寸志のすの字も出ず、サラッと差額243円(コーヒー2杯目以降半額)だけ返してもらった。
高い。Appleの製品は高価であるのがいつものことであるが、今回の新iPhone Xシリーズはあまりにも高い。
他社のフラグシップ端末と比較すると、その値段設定は強気すぎる印象を覚え、そしてそれを非難する声があがるのは十分に理解できる。
ではAppleが訴求するプロダクトを体験するにはフラグシップ端末でなければならないのか?と言えば、おそらくそうではない。
注目すべきは新しいSoCの「A12 Bionic」がエントリー端末と思われるiPhone XRへ搭載されていることだ。
更に言ってしまえば今回の重要なテーマであると思われる「写真」に関しても「撮影後の被写体深度コントロール」や「スマートHDR」がiPhone XRには搭載されている。
様々なリークやApple Special Eventの段階では多くの人がどことなくiPhone XSが基準にあって、iPhone XS MaxやiPuone XRが派生したかのような印象を覚えたが、実際の3機種の機能を比較し共通項を洗い出し、もう一度Apple Special Eventを観ると「今回のAppleの基準はiPhone XRにあるのではないか?」と思えてくる。
より先進的な機能を求めるユーザへは確かにiPhone XSやiPhone XS Maxを訴求している。しかしスマートフォン端末ユーザの主要層は先進的な機能を求めているわけでなく、標準状態でより優れたスマートフォン端末を求めているのだ。
Appleはその標準状態でより優れたスマートフォン端末への回答としてiPhone XRを示した。
Android OS端末の通例に則れば価格設定は搭載されるSoC(≒処理能力)の差によって決定されることが多い。Googleも確かにAndroid Oneシリーズでそのようにしている。
しかし、Appleは単純に安くて処理能力の低く、標準的な状態であるのに使いにくい端末を否定した。
Appleはできるはずなのだ。過去のSoCであるA11やA10を搭載し、カメラもHDRに対応していない非常に安いスマートフォン端末の開発ができるはず。
だがAppleはそれをしない。それはAppleの役目ではないから。Appleの役目は次の標準を世界に示すことだから。
次の世界はiPhone XRを標準として、iPhone XRが最低限として、iPhone XRが当たり前として、何とか安くiPhone XRを作るための知恵を絞る。
読んだ
水商売の女の子と「店で」それなりに楽しくお話しできて脈あるかも?と思ってしまったおっさんの話だ。
まぁふつうに考えれば仕事だよ脈なんかねーよという意見がマジョリティというのはわかる。
興味深いのは、増田のトラバでは多少肯定的(うじうじしてねーで当たって砕けろよも含む)があるのに対して、
ブコメはほとんどが否定的コメントだった。idの出る出ないはあると思うが、クラスタの違いというのもあるのかな。
マカの方がインテリが多いイメージだが、そういうやつは失敗をおそれて、当たって砕けるみたいな挑戦の仕方を知らないのかなと思った。
相手の真意なんてわからんのだから、特に恋愛市場では必要な方法だとおもうけどな。
あと、こういうニヒル系でスマートな遊び方しかしないようなハイスペが多いから、俺みたいなのに棚ぼたが落ちてくるのかなとも思った。
あとあれだ、ガールズバーの時点で無いとかその手のコメントしてる奴って、なぜその価値観で生きてるのにこの長文読んだ?読んでないとしてもなんでわざわざブコメした?って思った。
あなたは多分もとの話の上司と同じ発想の持ち主だと思うけど、同じ給料をもらう同じ社員なら、男性が女性を「守る」ように行動しなくてはならない理由って、何?
逆に言えば、そういう「女性は守られるべき存在」という発想からは、「男性と女性を同じ扱いにしよう」という考えは普通出てこないわけだよね。それよりも「女性の方が給料安くても仕方ないやん?(だって男性が女性を守ってあげてるのだから)」とか「女性は出世できなくても仕方ないやん?(だって男性に守られてやっと一人前なのだから)」という考えになるのが必然でしょ?
そういう人には、たぶん男女雇用機会均等のスローガンも「(男性が女性を守ってあげているけど)女性のおちんぎんや待遇も男性と同じにして『あげる』よ!(だって男は寛大で我慢しゃなきゃだから!)」みたいに見えていて、実際心の中ではそう思ってるのだと思う。そういう人が見ている世界は、たとえば野生動物の世界(たとえばマンドリルの群れがライオンに襲われたら、雌や子供を屈強な雄が取り囲んでサークルを作る。雄は種だけまいてあとは死ぬための個体。)と同じなのだ。もちろん、近代以前にはまだある程度そういうワイルドライフな世界が人間社会にもかなりな程度残存していて、その時代にはその考えは別に間違っていなかったわけなんだけど。
けれども文明化された社会においては、そういう雄ホルモンの影響は、残念なことに徐々に生存のための必要性から遠いものになりつつある。現代社会でのサバイバルに必要なのは、必ずしも男性ホルモンによるムキムキの身体ではなく、人間社会と政治的関係性を高度なコミュニケーション力でこなせるスマートな頭脳や見目麗しい身体であって、それらを武器に雄も雌も同じレベルで種内競争を繰り広げている。男性ホルモンが無意味化し、更に男性女性が同じフィールドで競争する時代になったせいで、「男は女を守るもの」というタイプの古い社会通念は、そのリアリティを加速度的に失いつつある。それが現代という時代だ。
ちなみに、現代のいい年の人々がミソジニーやミサンドリーをこじらせる根底には、そういう「古い道徳を捨てたつもりでまだ自由になっていない」ことがある。そういう人は、いっそ「古い道徳」の人ばっかりで集まってコミュニティを作って、その中だけで暮らした方がいいんじゃないか。その方が幸せに暮らせるんじゃないかと思うんだけどね。
夏の甲子園“投手ぶっ壊しコロシアム”の解体方法──スポーツとしては時代遅れ、教育としてもデタラメ
ピッチスマートでは17~18歳は105球を上限とされているが、100球ちょっとで9回を完投できることはさほどない。よって継投を余儀なくされる。そうすると、2番手投手の力が劣るチームは不利となる。
ただ、日程に余裕をもたせる提案も、抜本的な解決にはほど遠い。そもそもトーナメント戦で一発勝負であることが、野球というスポーツにはそぐわない。プロスポーツで優勝者の勝率がもっとも低いのは、6割程度の野球だと言われている。10回やって4回負けるチームが優勝する。これは試合数の多さも関係しているが、運に左右される傾向があることも意味している。高校野球ファンとプロ野球ファンがかならずしも重ならないのはこのためだ。
一発勝負の勝ち抜きトーナメントだと、強いチームの思わぬ不調や弱小チームのまぐれなんかで、弱小チームが勝って強豪チームが負ける番狂わせが起きることがある。それを嫌って、長期的な勝ち負けの記録を積み重ねて成績を決めよう、というのがリーグ戦だ。
この2つはどちらが悪いわけでもなく、単なる設計思想の違いである。実力が明らかに格下の相手に偶然が重なってたまたま負けてしまったばかりに大会敗退を余儀なくされた強豪からすればリーグ戦の方がありがたいだろうし、わざわざスタジアムまで足を運んでチケット代を払ったのにやる気のない消化試合を見せられた観客からすればトーナメント戦のドラマ性に魅力を感じることだろう(サッカーW杯のポーランド戦は記憶に新しい)。
そう、選手層が薄いチームにとって有利なのはトーナメント戦であり、選手層が厚いチームにとって有利なのはリーグ戦なのだ。
別にどちらを支持しようともそれ自体では何の問題でもないが、継投制限をするなら選手層が薄いチームにとって不利になる、という主張と、トーナメント批判を同一人物が同じ記事で行っているのは理解に苦しむ。
球数制限を課し、リーグ戦を導入したならば、選手の健康は守られるかもしれないが、選手層の厚い私立高がますます有利になり、甲子園に出てくるのは「プロ部活」ばかりになるだろう。
逆に球数制限を課さず、トーナメント方式を維持するならば、選手には大きな負担がかかるかもしれないが、選手層が薄くとも一発逆転の目があることになり、「昭和の野球」が勝ち進む余地が生まれてくるだろう。今回の金石農業のように。
球数制限も試合方式も、それぞれは独立したオプションのように見えるかもしれないし、実際ある種の人にとってはそうだろう。それは、どのようなチームが有利になるのが望ましいのか、という視点を持たない人だ。その視点を持たないならば両者は別々のオプションとして扱って美味しいとこ取りをして何ら問題あるまい。
しかし、「選手の獲得や育成にお金をかけられる私立高ばかりが有利になるのが本当に望ましいのか」という問いを立てるならば話は別だ。そのような視点から語ろうとするならば、球数制限と試合方式は切り離せないセット販売だ。
もしも「球数制限を課し、リーグ戦を導入」というセットを購入すると決めたなら、自動的に言うべきことも決まるはずだ。「プロ部活が有利になってしまうという批判があるが、それは仕方ない。都市部の私立高が勝ち進み、地方の公立校が早々に敗退するような制度を支持する」
なのに、そのセットを購入すると表明しておきながら、選手層の薄い学校には酷だ、なんて同じ記事で言うのは理解できない。都会のスマートな自由主義か、田舎の泥臭い平等主義か、どちらを支持するのかハッキリしてほしい。
タイトルにはデパコスと書いたが、自分はブランドショップや百貨店、ジュエリーショップ……所謂「少し敷居が高いお店」に入って買い物ができない。
ひどく場違いな気がして恥ずかしくてたまらなくなる。相応に容姿に気を使っていても、その場にいるといたたまれなくなってしまう。お店の人にパッと話しかけて欲しいものをスマートに変える友人を本当に尊敬している。
自意識過剰なのは承知しているが、どうすれば克服できるのだろうか。オシャレすることは大好きだし、もっと自分に自信をつけることができれば、一歩踏み出せるのかな。
ズキズキとした後頭部の痛みで、目が覚めた。
部屋にも服にも見覚えがない…。
あわてて、昨日の記憶を探ってみても、なぜ、ここにいるのか思い出せない。
会社の忘年会の帰り、自宅の最寄り駅までは覚えているが、そこからの記憶がない。
記憶が飛ぶほど飲んだわけでもないのに…。
連絡もなしに朝帰りとは、妻にどれだけ怒られるか…と心配し、携帯を探したところで、手荷物がないことに気付いた。
昨晩、転んで頭でも打って病院に運ばれたのか?
とりあえず、看護師さんを探そう。
そう思って部屋から出ようとしたが、ドアが開かない。
鍵がかかっている…?
混乱しているうちに、人工音声のアナウンスが室内に響き渡る。
「この部屋からは、ダジャレで10万スターを集めないと出られません。
繰り返します。この部屋からは、ダジャレで10万スターを集めないと出られません。」
一体、何を言っているんだ…?
数時間の混乱の後、俺は、この狂ったアナウンスが、どうやら本気だと悟りはじめた。
部屋でどんなに大声を張り上げても反応はなく、施錠されたドアを開ける方法は見当たらない。
外部に連絡を取る方法もない。
部屋の隅にあったノートパソコンは、かろうじてネットに繋がる。
しかし、アクセスできるのは、はてブ関係のページ(ご丁寧にも、俺のはてブアカウントでログイン済みだ。)とブクマされたページだけ。
webメールのログインや、ブコメ以外の書き込みなどはできなかった。
設定の裏をかけば、他のページに行ったり、助けを求めたりできるのかもしれないが、ITに疎い俺にはどうしようもない。
この狂人が理性に目覚める可能性や、警察がこの場所を発見する可能性にかけるよりも、スターを集める方が良さそうだ。
そう思い始めたのは、数回の食事(ドアについた郵便受けのような小窓から支給された)と、数え切れないほどの脱出のための悪あがきを終えたあとだった。
試しに何日かブコメをしてみると、いくつか分かったことがあった。
第一。ブコメで助けを求めようとしても、コメントは反映されない。
第二。ダジャレでスターをもらうと、その日の夜に、パソコン上に表示された数字が減る。
最初は、100000と表示されていたから、解放までに獲得すべきスターの数ということだろう。
それ以外の時間は、暇を持て余した。
政治関係の過激なコメントでスターを荒稼ぎしようとしたが、その試みは無駄に終わった。
その他、ありとあらゆる抜け道を試してみたが、全て徒労だった。
結局、地道にダジャレをブコメしてスターをもらうしかないようだ。
考えないようにしてはいたが、1週間も経つと、10万スターという数字の途方もなさに直面せざるを得なくなる。
1日に数十スターというペースでは、10万に達するのはいつになることか…。
数を撃つにしても、限度がある。
やりすぎて、垢バンされれば、それで終わりだ。
妻は、子どもは、一体どうしているだろうか…。
仕事はどうなっただろうか…。
焦りをつのらせた俺は、効率よくスターを集める方法を考え始めた。
監禁されて数ヶ月。
ダジャレブコメにつくスターの数は、大まかにいって、ダジャレの完成度とブコメの閲覧者数に依存する。
どんなにスゴいダジャレでも、数人しか見なければ、多数のスターは望めない。
ブコメにおけるダジャレの完成度は、①困難性、②新規性、③内容関連性で構成される。
①困難性とは、そのダジャレを思い付くのが困難な度合いだ。
濁音・半濁音・促音・長音符を無視せずともダジャレが成り立つ方が、高度でもある。
例えば、「布団がふっとんだ」より、「アルミ缶の上にあるみかん」の方が難しい。
②新規性は、既に人口に膾炙しているダジャレでないか、の基準である。
また、イカ関連のダジャレはイカ娘などで使い尽くされているので新規性が低い、といった具合である。
③内容関連性とは、そのダジャレが、ブクマ先の内容にどれだけ関連しているか、というものだ。
どんなに困難で新規性のあるダジャレでも、ブクマ先と無関係では、閲覧者に感銘を与えられない。
ダジャレがなくても完全なマジレスとして成り立つような内容が理想的といえるだろう。
スターを集めるには、ダジャレの完成度を上げつつ、ブコメの閲覧者数を増やすことが重要だった。
ダジャレの完成度をあげるに、絶対に必要なもの。それは、語彙力。
ダメ元で、「ダジャレのために辞書をくれ」とブコメしたら、コメントは反映されなかったが、食事と共に広辞苑が差し入れられた。
同様に、Wikipediaや韻検索サイトへのアクセスも認めさせ、語彙力のアップに努めた。
振り返ってみれば、ダジャレのためを装って、脱出のための道具を調達することも出来たのかもしれないが、この頃にはもう、破壊による脱出など頭になくなっていた。
ブコメの閲覧者数をあげるには、ホッテントリに入るページをブクマすること、早期に人気のコメントに入ること、お気に入られ数を増やすが重要だ。
ブクマが伸びるページを早い段階で見極めて、ダジャレをねじ込む必要がある。
また、お気に入りに入れてもらうには、ダジャレブクマカとしてのブランディングが必要だ。
暇を持て余してもマジレスすることはやめて、ダジャレブクマしかしないことに決めた。
そのうち、俺は、尊敬するジェイ氏と並び、ダジャレブクマカとして認知されていった。
ネットができる時間をフルにダジャレのために使えることも重要だ。
昼の集中のためには、栄養ドリンクとスマートドラッグを差し入れさせた。
もはや俺は、ダジャレのために全てを注いでいた。
やがて、そのときは来た。
扉が開く重厚な音のみが部屋に響いた。
自由の身になったということだろう。
しかし、そこでふと考える。
妻子の世話も面倒くさいし、
室外に行ったら、ブコメの質が維持できない。