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はてなキーワード: キリスト教とは

2024-02-16

anond:20240216093402

キリスト教最初殉教者、聖ステファノ(花輪または王冠)由来で

伝統的に殉教した人は金の冠を授けられるとされる

黄金意味するオレオールが金の冠の意味使用されるようになって、その後後光とかの文脈で使われたりする

anond:20240214223308

この前キリスト教系のちょっと立場ある人の話聞いてたら、「多様性を認めないのも多様性」とか言っててだいぶビックリしたわ

anond:20240216093402

最初天使の輪表現創作者は宗教的意図をもっていたかもしれないけど、

後続では分かりやす表現方法だと単なるマネとして模倣表現されていった。

そうなった時点で宗教からは離反していて単なる記号になり果ててるんだよ。

キリスト教的な天使とは切り離され単なる無宗教の「天使の輪」という表現になり変わったの。

仏教由来の表現が一番身近で分かりやすいね

日本語の「世界」は仏教由来とされてるけど、当然99.9%の人はそんな意図をもってない、仏教から切り離されたワードになった。

知識」「塔」「分身

日常で使われる言葉仏教由来だったりするけど仏教用語なんて意識せず日常表現として元の用語から乖離していっただけ。

anond:20240216093402

日本での死者は古来から三角頭巾「天冠」だ

魂のように表現される場合、こっちが多く使われるはず

この表現で行く場合、足がない幽霊のように描かれる


これに対してキリスト教圏では霊に足があることが許される

死者をどの文化圏存在として【読み取ってもらうか】という記号として

天使の輪は秀逸だ

死後天使になるという事の現れとして、死者の魂は天使のように空に昇るが

それを途中でやめたような状態で、ありえないのかもしれない

だが、見る人には死者と分かり、キリスト教圏の死生観だと説明しなくても分かる

ドラゴンボールはその辺が和洋折衷していて、あれはもう鳥山ファンタジーとして見るのがいい

あの表現閻魔大王が出てくるから

一般的日本人伝統的価値から言えば「同性婚なんてとっとと認めればいいじゃん。別に誰も困らないし」程度のもののはずなのだが、何がなんでも反対してる人たちってやっぱキリスト教スパイなのかな。

天使の輪が死人を表す漫画表現になっているのって変だな

人が死んでも天使になるわけじゃない、キリスト教世界観においても

この表現を多用している一番有名な漫画はおそらくドラゴンボールだろう

どこかで発想の飛躍があったのかな

気になるねえ、ぐぐりましょうねえ

天使に限らず聖人などを描いた絵画にも、聖人の後ろに光が差す表現が用いられたのだとか

天使に限らないのであれば以降は天使の輪じゃなくヘイローとここでは書くようにしておこう、ブルーアーカイブ風の呼び方

発想としては仏教の後光と同じか

まだ足りない

天使聖人を描いた絵画???漫画表現の死者を表す記号としてのヘイロー、間に挟まるものを探さないと

なんかこれだ!って情報がなかなかヒットしないな

勘だけど風刺画が間に挟まる気がするんだよな

天使聖人を描いた絵画パロディで、天使を例えば政治家差し替え風刺画みたいなのがどっかにあるんじゃないか

それが転じて死者の頭上にヘイローを用いるのが一般化したとか?

うーん、あくま根拠のない憶測

こういうのは英語圏情報を探さないといけないな

一応、英語圏イラストで死者の頭上にヘイローがあるイラストはまあまああるっぽいが……

日本でもなんかドラゴンボール以前に死者の頭上にヘイローがある表現をした漫画いか

……手塚治虫がやってる気がする

あの人だいたい何でもやってるからな、あとで探すか

ってことはディズニー作品でもなんかあるような気がしてくるな

うーん、探し方が下手

wikipediaの「光輪 (宗教美術)」の「大衆文化における使用」の記述が少ないな

英語版だと……英語版の「Halo (religious iconography)」には大衆文化の項自体無いのか

うーんアメコミにもヘイロー使用あるかもだが、アメコミに詳しくない

調査頓挫する予感

ここまで調べたというメモ

なんかコレ!っていう本があれば読みたいんだが、この疑問をずばっと解決する文化史本は無いかもなあ

今週の『サチ録』、番外編15を読んだ結果

日記

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ポップカルチャー宗教序論」という論文を読んだ

こういう路線で調べていくのがよさそうか

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なぜ亡くなった人の頭上に「天使の輪」を描くようになったのでしょうかよろしく... - Yahoo!知恵袋

漫画記号表現としては昔からある定番スタイルですよね。 ディズニーアニメにも、ヨーロッパカートゥーン(cartoon)にも良く死者の記号として使われていますね。

http://www.cartoonstock.com/cartoonview.asp?catref=amc0009

ふーむ、やっぱり古くから定番なんだな

この回答者によるとディズニーでもやはり使用されていると

人間は死ぬと天使になりますか | ものみの塔 オンライン・ライブラリー

人間死ぬ天使になります

アリーロという,まだ7歳の幼い女の子が亡くなりました。悲しみに打ちひしがれた両親は,柩に横たわる白いドレス姿の娘を前に,ぼう然としています。慰めようとして,神父がこう言います。「神様は,天使をもうひとりお望みになって,アリーちゃんお召しになったのです。幼子の魂は,今ごろ,神様のみそば翼を広げて飛んでいますよ」。

死んだ人間の魂が天使になる,と信じている人は少なくありません。公式教理として教えられることはまれですが,映画テレビ連続ドラマでは,死んだ人が翼のある天使になって,生きている人を守る,という話がよく取り上げられます

あなたはいかがですか。愛する人が死後に天使になると考えておられますか。聖書は何と教えているでしょうか。では,天使本質について,また死んだ人の本当の状態について,聖書のものが何と述べているかを調べてみましょう。

うーん、「死んだ人間の魂が天使になる」という発想は無いわけではないのか

それが転じて天使ではない死者の霊魂的な何かの頭上にもヘイローが描かれるようになった?

ドラゴンボールの影響がどのくらい大きいか、気になるな

っていうかドラゴンボールつまみ食い的にしか読んだこともアニメを見たこともないんだよな

何より先に原作コミックを読んだほうがいいのかもしれん

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天使とは何か キューピッドキリスト悪魔

天使と人の文化史

ここら辺の本があるいは参考になるか

だいたい最終章は「現代における天使がどのような姿で描かれているか」みたいな話題から、そこに期待が出来る

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英語圏情報を探そうとしてもゲームの『HALO』ばっかり引っ掛かってやりにくいったらありゃしない

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そうだ、『トムとジェリー』で爆死したトムが雲の上でヘイローつけた状態で不満そうな顔してるってオチエピソードがあった気がする

ネズミ取り必勝法』か、これ大好き

プレゼントボックスに入ったトムが針でめった刺しにされるシーンは涙なしでは見られない

オチはやはり爆死で……天使になってるな、これ

やっぱり「死んだら天使になる」って発想がポップカルチャーである程度一般的に表現されていたようだ

翼とヘイローがあってハープを持っている

ネズミ取り必勝法』は1944年11月23日に公開

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ってことは

天使聖人を描いた絵画→死後に天使になる認識、またそれを表現したイラストアニメ天使ではなく単なる死者にもヘイローがつけられた

……か?

まだ足りないぞ

「死後に天使になる」って発想がどこから来たんだって

キリスト教教義だと死んでも天使になるわけじゃない、それはカトリックだろうがプロテスタントだろうがエホバだろうが他の何かであろうがだいたい同じだろう

ヘイローは聖なるもの加護を表すからどんな死者でもヘイローは頭上に表れる?

でもトムは爆死して天使になっとるじゃろがい

まだまだ調べないと納得できないな

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ひょっとしたら演劇ミュージカル側の文化関係している可能性もある

死者を表現する記号として頭の上にヘイローをのっけた衣装を着ていた……とか、あるかもしれない

一応留意して調べる事

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「池にコインを投げる風習はいから始まったのか?」みたいなテーマでおととい調べて日記書いたときは、その風習を有名にした「Three Coins in the Fountain」っていうアカデミー賞受賞作品を見つけたんだよな

これも同じパターン可能性がある

聖者記号としてではなく、単なる死者の記号としてヘイローを使った何らかのヒット作品があったので一般化したみたいなキッカケがひょっとしたらあるかもしれない

しかあんまりこの仮説に固執するのはよくないな、気長に探そう

あるとすれば19世紀後半以降くらいのはず

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そうか、調べるポイントが二つに分かれちゃったんだなあ

①「死後に天使になる」という考えの源流を辿るルート

漫画表現で死者が天使となった描写漫画表現で死者に(翼など他の天使的要素抜きで)ヘイローのみが付与される描写となった転換点を探すルート

こりゃ大変だ、いったん追加調査ここまで

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次にやる事

守護聖人絵画での描かれ方を確認する

→実は守護聖人の頭上にヘイローだけでなく、翼がはえているなどあったりするかどうか

:積んでるキリスト教入門みたいな本をさっさと読む

→なんもかんも体系的な知識が欠けているのが悪い

 →でもなー、自分の興味の向き先は「キリスト教教義はこういうものです」って知識じゃなくて「人々はキリスト教をこのように解釈して信仰していました」という知識なんだよなあ、基礎の勉強ってどうしても飽きちゃって

  →だとしても体系的な土台の知識が無いと何も始まらないだろ!

   →はい、おっしゃる通りです、すみません……

第一次世界大戦風刺画ヘイロー描写が無いか探す

第一次世界大戦1914年7月28日1918年11月11日、ちょうど探したい年代

キリスト教素養がない私がヘイロー描写を見たとき、それが宗教的な性質を持っているのかそれとも記号化したものなのかを区別できるのか?という点について考える

→やっぱり基礎の勉強しましょうね~

そもそもヘイローがあって翼があったらそれは天使とみなしていいのか?「天使」って何?「御使い」って何?何もわからない、調べる

→基礎(略

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②についてだが「ゲームドット絵キャラが死んだことを表現するのにヘイローが便利で、ドット絵で翼を描くのが大変だったから省略された」という仮説を思いついた

流石にお話として出来すぎな気がする、この仮説は最終的に棄却することになりそうだ

しかし調べるとっかかりとしては魅力的

ヘイロー関係ないけど「ゲーム戦闘不能をどう表現するか?」というテーマを調べるのめちゃくちゃ楽しそう

棺桶幽霊化、ヘイロー付与etc……

また別の機会に調べよう

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Heaven Cartoons」というジャンル風刺画があるらしい

画像検索してみるとなるほど確かに天国天使なんやかんやする種類の一コマ漫画

いつ頃から描かれているかちょっと調べてみたがなかなか難しい

Wikipediaの「カリカチュア」のページの「主な作家」の項に載ってる人の代表作を一つずつ見ていくしかない

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星新一アメリカ一コマ漫画蒐集してそれについてエッセイを書いた『進化した猿たち: The Best』をkindleで購入

これにアメリカ一コマ漫画挿絵掲載されて……いない!

権利関係問題のせいかほとんど掲載が無くなってしまっているようだ

しか天国ものについてのエッセイは変わらず掲載がある

数少ない挿絵の作者は……Sidney Harris

漫画家としてのキャリア1955年から

うーん、トムとジェリーのほうが時代が古い

もっと挿絵を見たいか挿絵が載ってる物理書籍のほうを読まないといけないなこれは

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Cartoon of the politics of the Second Empire (Bonapartiste Regime) directed by Napoleon III (Charles... | bridgeman images

やっとひとつ見つけた

ざっくり言うと政治家が天に召されている様子の風刺画1868年1869年?に描かれた、ってところか

翼があり、ヘイローもしっかり完備

トムとジェリー1944年よりだいぶ古い!

しかし余談だけれど死後4年後たってから風刺画が描かれていて不思議

なんか「天使になる」ってのは語弊があって「昇天するとき天使と同じ装いをする」という言い方の方が正確なのかもしれない

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トムとジェリー以前のオールカートゥーンを片っ端から観ているが、天に召されるシーン自体全然見つけることができていない

ところでチャップリンの『キッド』に天使が登場するシーンがあった

翼だけ背中にあってヘイローなし

実写映画も調べる範囲に含まないといけないか

オールカートゥーンの本当に初期の初期は紙の漫画をそのまま映像化したようなやつだったから、漫画文脈だと思うんだけどな……

うーん、難航している いよいよ調査が行き詰まりそうだ

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マーク・トウェイン天国建設の旅』という論文を見つけたが、これは読む価値がありそうだ

天国観の変遷について言及がある

絵やイラストとして描かれていなくても天国に行くとヘイローと翼とハープが通行証かのように与えられる認識は当時の人々視点で昔からあったようだ

18~19世紀文学作品天国描写しているものを探すべきだな

ここらへんは先行研究論文を探しやすそうだ

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Elizabeth Stuart Phelps Wardという人が書いた『The Gates Ajar』という宗教小説アメリカ1868年刊行されめちゃくちゃ売れたらしい

当時の人々の天国観に影響ありそうに見える

その小説で語られた天国観は

In contrast with traditions of Calvinism, Phelps's version of heaven is corporeal where the dead have "spiritual bodies", live in houses, raise families, and participate in various activities.

カルヴァン主義伝統とは対照的に、フェルプス天国は、死者が「霊的な身体」を持ち、家に住み、家族を養い、さまざまな活動に参加する身体的なものである

とのこと(『The Gates Ajar』のwikipedia英ページより引用しdeepl翻訳

うーむ、おぼろげに流れが見えてきた気がする

カルヴァン主義の事よく知らないからそこは調べないといけない

マーク・トウェイン天国建設の旅』という論文序文あたりに19世紀半ば以降に天国もの小説流行ったみたいなことが書いてあったが、その一因はこの小説な気がする

なぜ流行たかというと南北戦争の影響やろなあ

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そういえばこの日記メモには記述をしていなかったが、宗教美術におけるヘイロー写実主義の高まりによって19世紀までにほとんど衰退しているらしい

なので宗教美術において死者(例えば聖人殉職者など)にヘイローが描かれたものがあったとしても、カートゥーンヘイロー描写がその影響を受けているとはちょっと考えにくいのではないか

一度断絶しているのでは?という疑問を持っている

ヘイロー描写は一度衰退し、再び風刺画カートゥーンなどで記号として便利なので復活したという前提で調べている

あー、いや……この前提本当に大丈夫か?自信ないな

記号として復活させたとしても参照元は必ずあるわけで

19世紀アメリカで人々が見ることが出来た美術絵画はどのようなものだったのか?というのがわからないと正確なことは言えないな……

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自分確認した限り、カートゥーンアニメで「死んだら天使の装いをして天に召される」表現をやった一番古いものは『トムとジェリー』の『ネズミ取り必勝法

オールカートゥーンを全て総ざらいして確認したわけではないかもっと古いのがあってもおかしくはない(アカデミー短編アニメ賞受賞作品すらすべて確認できていない)

キャラ死ぬ描写そもそも全然ねーんだわ

トムとジェリーがどんだけ過激なことやってるかって話ですよ

幽霊は沢山出てくるんだけどねえ

ネズミ取り必勝法』はアカデミー賞とる程度には人気だったので、カートゥーンにおける元祖でなかったとしてもビジュアルイメージ固定に大きく貢献したといっていいか

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キリスト教教義では死者は天使になるわけではない、という認識があった(今でもそうではある)

19世紀半ばにスピリチュアル小説流行り、人々の天国観を変えた

→それは死後に霊的な体を持った死者が天国で現世と同じような生活を営むものだった

→死後に天使のような装いになる認識が生まれ

たまたま印刷技術の発展とタイミングが同じで新聞挿絵風刺画漫画などで聖人でもなんでもない普通の人の死者の絵が多く描かれるようになった

→死者に天使の装いをさせた風刺画、紙の漫画カートゥーンアニメビジュアルイメージが固定される(この時点ではヘイローと翼はセット、あくま天使など聖なる魂的な存在専門用語を適切に使う自信が無いので曖昧表現)と同じ装い)

日本キリスト教文脈無視された記号的な描写がされ、ヘイローのみで死者を表す記号表現となる

……という流れだという仮説を立てることが出来た

うーん、自信ない

18世紀以前に普通の死者も天に召されるとき天使と同じ装いをするという認識があった」と言える材料を見つけることができていない

印刷技術が生まれる以前だと絵画にそこらへんの人が天に召される絵なんて描かれないんだよなあ

探すとすれば厳格な宗教者が教義通りに書いた本でなく、人々を慰撫する目的教義からすれば不正確な内容が書かれた本みたいなのがあればあるいは……(というか、それが『The Gates Ajar』なのよ)

また、『The Gates Ajar』などの天国観を変えるイベントによって死者が天使の装いをするようになった、とある程度の自信をもって言えるような材料は正直見つけることができていない

しかし、とりあえず一定レベルで納得は出来たからこの疑問はクローズ

18世紀19世紀の米英のキリスト教史を調べないともうちょっと正確な認識ができるのだろうけれど、それは今後の宿題だな

西洋世界文化史キリスト教歴史は不可分だから体系的に勉強したい

2024-02-14

コインを池に投げ入れる風習歴史はどのようなものなのだろう

その謎を解明するため調査隊はインターネットの奥地へと向かった

その結果、英語圏歴史解説YouTubeチャンネル発見した

Why Do We Throw Coins in Fountains?

動画字幕の書き起こしをChatGPTに翻訳&要約してもらった

毎年、世界中私たちは噴水から井戸さらにはテーマパーク乗り物まで、コインであらゆるものを飾ります私たち幸運を求めて、願いが叶うことを望んでいます場合によっては、ローマで誰かと結婚するためにもコインを投げます。この伝統時代を超えて広まり、その起源古代ローマにまでさかのぼますローマ公務員であるガイウス・カエキリウス(別名:プリニウス・ユニオル)が書いた手紙によれば、人々は清潔な泉に感謝の意を表す形で贈り物を投げ込むようになりました。当時、清潔な水は非常に貴重であり、神々への感謝の印としてコインを投げる習慣が広まりました。この伝統は今でも続いており、ローマトレヴィ噴水が特に有名です。また、映画「Three Coins in the Fountain」でもこの伝統が取り上げられ、ロマンティクコメディの要素として広まりました。噴水に投げられるコインは、都市観光地収益の一部として寄付されることもあります

要約の結果、元動画が言っている内容とちょっと違う文意になっている箇所があるな……

あいいや、元動画見ればわかるし

しか歴史解説YouTubeチャンネルの内容をを鵜呑みにするのはちょっと気が進まない

調べるとっかかりとしては役に立つんだけどね

あと、この解説アジア圏のコイン投げについての観点がまるっと抜けている

中国人は願掛けとしてなにかとコインを投げ入れるらしい

その投げ入れる対象対象は池に限らない

中国人が願掛けとして飛行機ジェットエンジンに向かってコインを投げ入れようとした、というニュースがあるくらいだ

すなわち、現代の池へのコイン投げの風習は二つの源流があるはずだ

ひとつ西洋起源、小プリニウスが書き記したそれであり、コインを投げ入れて願い事をするヨーロッパ民間伝承「Wishing well(「願いの井戸」と訳すべきか)」を経由してトレヴィの泉に辿り着くルート

もうひとつアジア圏のいわゆる願掛け目的のいわゆる「賽銭」を辿るルート

二つに分ける意味はあるのか……?

うーん

どうだろう

いか

あるということにして調べよう

映画「Three Coins in the Fountain」がもしも存在しなければ、西欧圏でコイン投げの風習は廃れていたかもしれない

しかしその映画があろうとなかろうとアジア圏の人々はコインを投げて願掛けする風習を続けていたであろう……気がする

であれば二つは分けて考えた方がわかりやすいんじゃないか

仮定仮定を重ねていくぅ

あとで二つに分けて考える意味は無かった時点で考えを改めればいい、ということにしておこう

RedditやQuoraでも「なんで中国人って池や川にコイン投げるの?」みたいなトピックが立てられいるのを確認した

(そしてそれに対する回答は「コイン投げの風習世界中にありますよ」というもの質問者が知りたい内容とはちょっとずれている気もする)

キリスト教教会に併設されている池にコインが投げ入れられて困った」みたいなスレもたっていた

そうだよね、非キリスト教的な風習だよね

一神教根付くとこういった民間信仰は排斥されるということか

というわけでイスラム教ユダヤ教コイン投げによる願掛けがどう認識されているかもぐぐりましょうね

イスラム教は……情報が全く出てこない

ユダヤ教はなんか出てきた

ラビに「願いを込めて願いの井戸コインを投げることは何か悪いことですか?」とユダヤ教教義に反していないか質問する内容のサイトが引っ掛かった

解釈によってはセーフだけどあんまり推奨しない、みたいな空気感の回答だな

コイン……つまり金属製硬貨のみが投げ入れられるのか?という疑問もある

貝製の通貨貝貨を池に投げ入れるみたいな文化がある地域いかな~

パプアニューギニア現在貝貨を使っている人々がいるみたいだが、願掛けとして貝貨を投げるみたいな記述は見つけることが出来なかった

古代中国だと賽銭貝貨を使っていたらしいけれど

パプアニューギニアのなんかでっかい噴水のストリートビューを探して金属コインの他に貝貨が沈んでないか探してみてもいいかもしれない

まあおそらく無さそう

お葬式貝貨精霊に扮した人に向かって投げるみたいなことはやるらしいんだけど…

そもそも何で調べ始めたかって「海外……例えばアメリカでは合格祈願の願掛けとかするのかな?」と思って

ぐぐった結果は「願掛けしない」というもの、まじかー

教会でお祈りとかする人もいるにはいるけど、願掛けするくらいなら勉強しましょうねみたいな考えをするってなんかのブログに書いてあった

例えばかつ丼みたいな勝負飯食べたりお守りを買ったりみたいな風習もないっぽい

いやー……そうはいっても欧米人だって水にコイン投げて願い事するじゃん?池にコイン投げて合格祈願とかしないの?

と思って調べ始めたがなかなか調べるのが楽しいテーマだった

そこらじゅうに願掛けスポットが大量にある日本が特異、ということだろうか

まあまあ、結論を急ぐことはない

もうちょっと調べましょうね

賽銭トレヴィの泉を一括りにして包括的投げ銭文化について論じた論文をまだ見つけることが出来ていない

こんな面白そうなテーマ絶対先行研究あるって

投げ銭に限らず「迷信」というテーマで調べてもいいかもしれないな

……といった感じで調べた内容を一旦メモ

日記

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そうだ、キリスト教には守護聖人という概念があるじゃないか

太宰府天満宮菅原道真公のような受験学問を司る守護聖人にお祈りするみたいな風習があるかどうかを調べること

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全然みつからんな、受験生が守護聖人にお祈りみたいな話

なんか守護聖人がどのようなものか、みたいな認識根本からずれているのかもしれない

いい加減体系的にキリスト教勉強しなきゃ立ちいかなくなってきたのかもしれない

ズタボロに消耗させられた人間は最終的にキリスト教的な価値観にほだされ致命的なディスカウントを受ける

2024-02-13

anond:20240212181851

つか欧米安楽死云々は自殺禁忌とするキリスト教価値観が深く関係しているという点を前提とするべきだろ

あれをそのまんま日本に当てはめてもチグハグになるだけ

anond:20240213101743

すぐに思いつくのは、イスラム教国。イスラム法適用している国では自殺違法で罰せられるね。

自殺した人間火葬になる。火葬にされることはイスラム教で死者に対する罰として強烈なやつ。犯罪者扱いなので有形無形の遺族に対する罰もあるね。

ちなみに宗教的にはキリスト教ユダヤ教でも自殺禁止

余談

自殺者数は宗教的自殺禁止とされている国で少ないと言われているんだが、これは、宗教戒律自殺を思いとどまらせている、と言うわけではなく、宗教的タブーから自殺であっても事故として処理されているのではないかと言う指摘もある。

また、安楽死合法としたいというのも、こういった宗教的タブーが関わっているから。自殺は駄目だと言われていたが安楽死OKとなったことで、潜在的自殺願望者が一気に自殺に走ったのではと言う話もある。何しろ安楽死合法化した一部の国では日本自殺率なんて目じゃないくら安楽死が行われているとかかなりキツい状況。

2024-02-11

キリスト教世界宗教になってちょっと姿勢を正したけど

イスラム教とかユダヤ教って未だに「異教徒は殺す。改宗するなら奴隷として生きる権利をやる」って奴らだからなー。

正直、主要な生息地域原油生産地から注目せざるを得ないけど、未来永劫勝手に殺し合ってろと思わなくもない。

2024-02-09

任豚も大概だけど、艦豚も相当…

あいつら自分の信じる宗教以外は弾圧排除・鏖殺すべき邪教と考えているから、本当口が汚いし、行動も汚い。

おまけに身内で固まって内輪で盛り上がってればいいのに、宗教戦争よろしく他人土地侵略して放火していくからなおのこと性質が悪い。

キリスト教かよ。

2024-02-07

anond:20240207191119

一応ちゃんと聞いてみる俺。

大きな古時計」(英: My Grandfather's Clock)は、1876年ヘンリー・クレイ・ワークによって作詞作曲されたアメリカの歌です。この歌は、作者がイギリスヨークシャーにあるジョージホテルで見た大きな床置き時計に触発されて作られたと言われています。歌の内容は、祖父時計とその所有者との長い関係を描いており、祖父が亡くなった時に時計も止まったというストーリーが語られます

この歌の歌詞テーマには、明確なキリスト教の影響を指摘する要素は含まれていないようです。むしろ人生の経過、愛、喪失といった普遍的テーマを扱っています。ただし、19世紀においては、日常生活の多くの側面がキリスト教の教えや価値観に影響を受けていたため、広い意味文化的背景としての宗教的影響は否定できないかもしれません。

しかし、この歌が作られた背景や歌詞の内容から直接的にキリスト教の教えや象徴を反映しているわけではなく、むしろ個人人生時間の流れ、そして人と物の関係に焦点を当てた作品と考えられます

天国へ昇るおじいさんが、一緒に止まった時計とお別れってことは

はいあなたの言う通りこの歌には時計擬人化したような比喩がみうけらます。つまり、この作詞者は時計を魂、あるいはそれに類似したものを持った存在として表現していると考えてよいでしょう。キリスト教の影響が見受けられますので、当然、魂は主の待ち受ける天国で祝福を受けるか、地獄へ落ちろ。ただしこれは独自見解の入った解釈であり、作詞者の本来意図とは異なっている可能性もあります

2024-02-06

キリスト教初心者なんだけど、とりあえず教会に行ってみたいならどこに行けばいいの。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%88%E6%95%99%E6%B4%BE%E4%B8%80%E8%A6%A7

カトリックプロテスタントがあるらしいけど、プロテスタントだけでもなんでこんないっぱいあんの。

その点神社って立ち寄りやすいよな。手を叩いてお辞儀すりゃいいんでしょ。二礼二拍手一礼だっけ。

2024-02-05

anond:20240205164309

部分的にそうだと思う

ネトゲMMO、短時間に消費する漫画(縦長漫画等)、男性アイドル産業等の中心は中韓に移った

 

長期連載のじっくり読ませる漫画や、買い切り型の大作コンシュマーゲームとかはまだ頑張れてる

 

後、この間、セガちょっとボヤを出して可視化されたけど、海外日本ゲーム愛好家は、

ポリコレ的、キリスト教価値観に反する、なんでもありの、悪く言えば古めの価値観日本的と捉えている節がある

そう言う層の望むものを出せば、コアで熱心で金払いのいいゲーム市場が見つかるかも知れないなとも思ってる

2024-02-01

anond:20240201190734

例えば北東アジアだけ見ても、中韓北日全部、国民倫理観を育てることに失敗して、圧政で押さえつけてるだけで、やっぱり有色人種欧米白人のもとで正統派キリスト教価値観を導入して社会改革する必要があるよね。

欧米とかキリスト教圏では養子もらって育てるのが結構普通の事として行われているらしいけど

自分遺伝子が全く入っていない子供なんて育てる気にならなくね?

費用だってかなりかかるのに

2024-01-29

anond:20240129173305

福沢諭吉は真面目なフェミニストから大酒飲みではあったが全く女遊びはしなかった

28歳(実質26歳)で結婚するまで童貞だった

諭吉は1歳で父親を亡くし、金は藩が出してくれたが母親が1人で苦労して5人兄弟を育ててくれたのがフェミになった一因だろう

キリスト教女性蔑視の教えを含むから否定しているが、キリスト教国に見られる一夫一妻は理想であるという

彼は「一夫一婦・偕老同穴(かいろうどうけつ)」と唱え、妾を持たず夫妻は一対となって生涯共にいるべきだと主張した

妾を持つことは「獣欲の奴隷であるとした

明治維新後は一時期より妾を持つことがブームとなり、妾を持つ=古い慣習、ではなく「自由恋愛、むしろリベラル」な雰囲気さえあったが逆らっていた

蓄妾(ちくしょう)届けという響きがやばい制度などにも反対表明していた

当時は妻のことは名前呼び捨てするのが普通だったが「お錦(きん)さん」とさん付けだった

本人の性格もあったかもしれないが、お錦さんの家の方が金持ちでありいわゆる下方婚してくれたので頭が上がらなかった説も

諭吉フグが好きだったけどお錦さんがフグ毒で死ぬかも知れねえだろと禁じたから食わなくなったとか

それでもお錦さんの方が10歳ぐらい若いし(実質16歳で結婚したことになる)、当時の当たり前のこととしてお錦さんは諭吉玄関まで送迎したりしていたが、

諭吉フェミなので外出など1人でできるからそんなことやらんでよいと止めさせたという

夫妻の間には子供が9人

9人もいたらスケベではあるかもしれない

育児にかなり熱心であり、毎日9人に別の小話を書きしたためて読ませた

諭吉は「女性参政権の話は置いといて、まず女性が自活できるよう働ける環境もっと必要だよね」的な発言をして

参政権を後回しとはアンフェだろ」と炎上したり、

娼婦は「人外人」として徹底的に恥ずべきものだと扱ってまともな仕事転職させろ、と言って炎上したりもした

2024-01-28

キリスト教聖書などを下敷きにした物語

はっきりわからないレベルでもいい。オタク考察した結果そういう説が出てるレベルOK

媒体アニメor漫画がいい。


その昔、エヴァめちゃくちゃハマってたんだけど

最近始めてジョジョ6部(ストーンオーシャン)見てドハマリした。

1〜6部アニメ見たけど、6部が一番好き。

結局キリスト教モチーフにされちゃうと、読み解きが楽しいんだと思う。ゾクゾクする。

全ての要素に何かが隠されているのではないか!?と血眼になってアニメ一気に3周してしまった。これから4週目見る。


テーマも壮大になるので話もおもしろい。

そういう物語もっと見たい。

おすすめがあったら教えてほしい。


進撃の巨人北欧神話だけどあれもとても面白かった。

七つの大罪は脱落した。

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