福沢諭吉は真面目なフェミニストだから大酒飲みではあったが全く女遊びはしなかった
諭吉は1歳で父親を亡くし、金は藩が出してくれたが母親が1人で苦労して5人兄弟を育ててくれたのがフェミになった一因だろう
キリスト教は女性蔑視の教えを含むからと否定しているが、キリスト教国に見られる一夫一妻は理想であるという
彼は「一夫一婦・偕老同穴(かいろうどうけつ)」と唱え、妾を持たず夫妻は一対となって生涯共にいるべきだと主張した
明治維新後は一時期より妾を持つことがブームとなり、妾を持つ=古い慣習、ではなく「自由恋愛、むしろリベラル」な雰囲気さえあったが逆らっていた
蓄妾(ちくしょう)届けという響きがやばい制度などにも反対表明していた
当時は妻のことは名前で呼び捨てするのが普通だったが「お錦(きん)さん」とさん付けだった
本人の性格もあったかもしれないが、お錦さんの家の方が金持ちでありいわゆる下方婚してくれたので頭が上がらなかった説も
諭吉はフグが好きだったけどお錦さんがフグ毒で死ぬかも知れねえだろと禁じたから食わなくなったとか
それでもお錦さんの方が10歳ぐらい若いし(実質16歳で結婚したことになる)、当時の当たり前のこととしてお錦さんは諭吉を玄関まで送迎したりしていたが、
諭吉はフェミなので外出など1人でできるからそんなことやらんでよいと止めさせたという
夫妻の間には子供が9人
9人もいたらスケベではあるかもしれない
育児にかなり熱心であり、毎日9人に別の小話を書きしたためて読ませた