はてなキーワード: エログロとは
例えば、↓ちょうどこのトピックでリベラルと保守が大喧嘩してる。
〈18年前の女児刺傷容疑で逮捕〉「少女が腹部から血を流してると興奮する」男は過去、70件以上余罪も「死刑が怖かった」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shueisha.online/articles/-/252087
保守派
tune2011 ↓ 人の心配する前に自分のおつむのチェックをしてくれよ…。この稀有な欲望の異常者とこの間の生協学生が関連するというcinefukさんの主張には1ミリの根拠も科学性もない。感情ではなく理性で発言する様に出来ない?
リベラル派
Domino-R ↓オマエこそ本格的にぶっ壊れてるな。異常者とラベリングすればノーカンか? どうせ正常と異常の間に手前勝手に引いた分割線だろそれ。つかそれが違法かどうかにしか問題性を見いだせないか?
保守派
preciar こんなナチュラル異常者の犯行に、エロマンガが何の関係あるっつうんだよ?あからさまな関係妄想は病気だから頭の病院へ行け <上位コメ/女の子を刃物で刺すのは違法ですよ?
リベラル派
cinefuk ロリリョナ漫画を生協で買えるとアピールした学生の何処が悪い!の延長線にこれがあるのかも知れんのだよ。「合法」(禁止されない)と、「大手を振ってアピールできる」(世間からの許容、常識の範囲)には差がある
保守の皆さんね、エログロ変態漫画を擁護しようとしすぎて完全に変になってんのよ。
社会風紀の維持や犯罪予防というのは、本来は保守派の方がよっぽど大事にしてた価値観だと思ってたけど。
自分はロリと呼ばれる系統の絵柄が好きだけど、エログロは苦手だし、正直規制されてなくなってもなんの痛手もないしむしろ歓迎側の人間だ。
でも、創作は自由であるべきだと思うし、なんならこの話題でいつも思うのが何故ショタは挙げられないのかってところ。
それに実害のあるパパ活風俗の方は野放しにして、いわゆる男側のコンテンツばかり叩くような動きをしている人たちの意見には乗りたくない、というのもある。
リョナやグロ好きな人は気持ち悪い、関わりたくないもよくわかるし、ましてや創作とはいえ、ロリがそんな目に遭う描写は本当に耐えがたい。
だからメイドインアビスも正直苦手だなと思うことはある(でも話がとてもいいので読む)
気持ち悪いし不快な部分はあっても、それを全排除してはならないと、思ってる。
ただ、可愛いだけのロリが好きな自分にとって、こういう問題があがるたびになんだか悲しくなる
ロリ好きを一緒にまとめないで欲しいというのもあるし、お前らもショタやホモ好きでえぐいの書いてるじゃんという文句もある
というボヤき
セックス=エロいという先入観があるので忘れがちだが、セックスはやってることが結構グロい。人体の一部を人体に挿入するということもそうだし、挿入する場所の形もグロい。普段交わらせないはずの粘膜を交わらせているという事自体もかなりグロい。エログロなんて言葉があるけど、本来はグログロなのだ。グロの中から唯一特別視されている感情、それがエロ。
性欲というのはこのグロをグロと思わずエロに脳内変換し、良いものだと錯覚するためにあるように思われる。だからリョナという、グロさをエロさと思ってしまう性癖があるけれども、これは性欲のあり方からするとさほどおかしいことではないように思われる。性欲の出力が少し逸れればグロはエロに見える。
とすると、裏を返せば性欲のない人間にとってのエロはグロということにもなる。世の女性が環境型セクハラだのなんだのとポスターや広告にケチを付ける理由はこれで説明できないだろうか。要は男性に比べて性欲の少ない、あるいは性欲の出力が異なる女性にとって、掲示されるエロはグロであり、公共の場にグロを置くとは何事かということである。
グロを人目に晒すことの是非は、コミケ会場にヴィーガンがやってきて屠殺場の画像を掲示した時に議論された。良くないことだが見なければいい、しかし嫌でも目に入る場所に掲示するのは嫌がらせだという話に落ち着いた記憶がある。
なので女性の言うことも一理なくはない。しかし実際、じゃあどこからがダメなエロで、どこまでは良いエロなのかというのは非常に難しい。古来より芸術とはそのエロとグロの境界に挑戦してきたものと思われる。真に磨き上げられた芸術はもはやエロを通り越してエロスであり、エロの中から素晴らしいものだけを濾し取った純度の高い輝きを放つ。では誰が芸術を、真に磨き上げられたものだと判定するのだろうか?それは結局のところ、現代においては、女性たちの手に委ねられている。
なのでこの先も公式が発表するキャラクターや掲示物が公に相応しいか相応しくないかという議論は度々勃発するものと思われる。それは女性が社会における発言権を持ち、もはや芸術の判定者が男性だけではなくなったことに起因するためだ。ただ、仮にそれで公式が炎上したとしても、その公式に大きな罪があるかと言われればそうではないだろう。
なぜなら、エロはグロであり、純度の高いエロだけはエロスとして許され、エロなのかエロスなのかを判断する基準は各個人に委ねられているからだ。
エログロ規制の激しいyoutubeだが、医療教育啓蒙を目的とした内容の場合には乳首や性器や内臓の露出が許される
ママは搾乳しなければ乳腺が詰まって最悪死ぬので、搾乳器の使い方は医療・健康についての啓蒙動画扱い
自前の顔を出している動画もある一方、AIによって顔だけすげ替えている動画も多い
モデルが誰かわからない習合的美女顔ばかりだったが、最近は露骨に特定芸能人の顔をした搾乳動画が増えてきた
芦田愛菜の顔をした制服姿の女が搾乳する動画、児童ポルノの類にしか見えない
ハンドルを動かすたびに器具に芦田愛菜の乳首が吸い込まれ、繰り返すうちに乳首が屹立して尖っていく姿が18歳未満でも合法的に見れてしまう
こんなの絶対に許されないだろ
https://x.com/OKina001/status/1753070468167549421
「エヴァショック」とでも言うべきものが確かに90年代後半にはあって、滅茶苦茶大雑把に言うと画像のような項目が「エヴァ大ヒットの要因」と勘違いした人たちがそういう作品を山ほど作ってしまった時期があった。
全部でなくとも大部分当てはまる作品すら思いつかない。
リヴァイアス、ラーゼフォンなどがエヴァショック作品として挙げられているが、どちらも前向きな終わり方をしている。少なくともエヴァのようなカタストロフではない。主人公も暗くないし。
そもそも「知らんよ」と言ったはずのガオガイガーこそエヴァから抜けてなくないか?(特にファイナル)
あと8番は劇場版ナデシコと抜けたはずのガオガイガー(ファイナル)だけでは?
それこそ青年漫画はどうなるよ。あばれブン屋とかの猿漫画読んでみろよ。
やるとしたら、若手を留学させてる最新のデータの伴った作品づくりの手法を学ばせる、若手に作品を作らせる、クソ代理店やエージェンシー黙らせて金だけ出させる。期間を人間が働くにあたりリーズナブルな労働時間と休暇をいれる。倫理観がまともな医者とカウンセラーを常備させる。とかかな。ケータリングを外部のタニマチから出させるように営業かけるとかもあるか。おっさん好みのエログロも徹底的に潰してるよね。こういう事に政府が長期で資金を投入して空気づくりをするなら日本のドラマの質は上がると思うよ。レベルの高い一部の俳優の無理で成立させているような作品ばかりできつい。日本の作品。
そのガキどもはグロい肉食って育ってるし体内にグロい臓器持ってるだろ?
お前の好き嫌いを主張するのにガキを盾にするなよ
何でも隠せばいいってものじゃない
ヴィーガンになる必要などないが、肉を食うのにグロは拒絶するのはきれいなところだけ拾いたい卑しい性根だ
グロ肉と向き合った上で食うか、グロ肉と向き合った上で拒絶するか、そのどちらかであるべきだ
そんなんだから魚の切身が海を泳いでる絵を描くようなガキが出てくる
子供を産め少子化が大変だ、そう言いながらエロを隠すフェミとお前らは変わらない
セックスしなきゃ子供は生まれない、セックスをもっと押し出すべき
街を歩けば裸の女の写真が出てくる、ananのイケメンがもっと過激化する、それくらいじゃないといけない
Euphoriaというエロゲーがあって、一見悪趣味なエログロ重視ゲーにしか見えないのだけれど、これがどうして名作で、シナリオも音楽もずば抜けて良いんですね。特に主題歌の「楽園の扉」はエロゲーソング屈指の名曲だと思う。ただぱっと見の印象ではそうは見えない。エロアニメ化していることもあって単なるエロゲーなんだろうなと思っていた(ついでに言えばこの作品のエロはケツからぬいぐるみ排出したりとギャグにしか思えない)。それがやることにしたのは、確かSAWっぽい作品として名前が挙がっていたから(そうでもなかったが)と、腹黒ヒロインを挙げるスレみたいなのでヒロインの一人が紹介されていたからだったと思う。
で、その腹黒ヒロイン(?)が最高で、それまで作中で主人公が大事に思っていると散々描写されている(まあ裏はあるのだけど)にも関わらず、主人公に対して「あなたのこと大嫌いだった」と告げるのがもう本当に良かったし、最後のセリフも主人公に対する「ファックユー」だったのがただただ良すぎる。Euphoriaはミナシゴノシゴトというソシャゲとコラボしていてそのキャラも出ているけど、ここでも主人公に対し「言ったでしょう。わたし、あなたのことが大嫌いなのよ」と言い放っていて一貫していて素晴らしいと思いました。
このキャラの場合はネタバレを知ったうえでだったのでそうでもないけど、主人公が大切に思い、愛しんでいるヒロインがその思いを「裏切る」というのはインパクトがあるし、それによって主人公の想像の範疇を超えたよくわからないキャラになることで、人間性に深みが出て魅力的に思えるのかもしれない。などと考えたりもするけど、純粋に男が女に拒絶される構図が好きなだけかもしれない。スヴィドリガイロフの自殺とか大好きだし。
日本の漫画がエログロがOKなのは、昭和の頃に永井豪や集英社が圧力に負けなかったからと言われてるけど、アニメキャラのキャンペーンや女性の撮影会も今潰されてたら未来はないんじゃないか。
表自界隈はもう自棄になってるわ
とか言い始めてるからな
あれもう引っ込みつかなくなってるんだぜ
「無修正裸」とか「吐き気を催すグロ」を公共に掲示できないと保護できない人権?
要らねぇよ
これに反対する奴はこういうのか?
動物の死骸
町中に掲示するのは
奪われてはならない天与の権利であり
控えめに言って頭オカシイよな
いやさ
根拠も調査も何もなしに「屠殺画像のほうが宇崎ちゃんポスターより過激!」ほんとアホしかいないわ
宇崎ちゃんポスターごときで動物屠殺の写真と同レベルのダメージを受ける人ってどれくらいいるの?「エログロ画像」と過剰に一般化して糞味噌一緒にせずに、個々の案件で判断したい話
ツイフェミはいつも「私は動物屠殺の写真でものすごく精神的ダメージを受けたから、他の人たちもみんなダメージを受けるはず!」という自分のお気持ちを "どれくらいいるの?" なんてふわっとしたワードで誤魔化す手法使ってるけど、ツイフェミ以外の人にはもうバレてるんだわ
それを隠蔽しようとするのは女にブルカを被せるアホなイスラム教徒と同じ、過激な嫌悪から生まれる奇習
インド人や香港人は市場で鶏を殺しているがなんともない(牛殺しや豚殺しをやらないのは残酷とかではなく、狭い市場で大型動物は手に負えないというだけ。豚公開解体ショーは普通にやってる)
遅ればせながらミッドサマー見ました、ディレクターカット版。まぁ夏休みだからね。せっかく見たわけだから、感想をどこかに違法投棄したかった。
だった。
とにかく「共感」という感情の働きをグロテスクに、狂気的に描写している。下馬評を聞いて、カルト村にやってきたよそ者が現地のネーチャンとパコパコした後に、愉快な仲間と共にグロ処刑されるよ!って話だと思っていたので、なんか予想と違う角度からの露悪的な表現に、自室の椅子から転げ落ちてしまった。劇場で見なくてよかった。ありがとうamazon prime。
本作の主人公であるところのダニー、これがまた悲劇的人物で、双極性障害の妹がダニー以外の家族を巻き込んで無理心中してしまうという、壮絶な背景を抱えている(ルックバックであれこれ言われた我が国ではできそうもない設定だ)。さらに言えば、彼女自身もパニック障害持ちと、かなり苦難の人生を歩んでいる。
そんな彼女にも、理解のある彼くんこと、クリスチャンがいます……と思いきや、このクリスチャンは理解ある彼くんになるにしては力不足。作中冒頭でもダニーの電話に辟易としている様子が描写されている。ダニーが不安になるたびに電話がかかってくるので嫌になったんでしょうね。
また、クリスチャン自身もダニーの誕生日を忘れてしまっていたり、自分の旅行の計画を彼女に伝えてなかったりと、純粋に彼力が足りてない部分も描写されている。
そんな彼の落ち度をダニーが非難して謝らせ、ダニーはそこからさらに追撃(本当に心から謝ってる?攻撃)をかまし、そしてクリスチャンに非難され返して慌ててダニーが謝るという場面がある。
そんな彼女の前に現れるのがペレ。この物語はペレに誘われてホルガ村に来たクリスチャンとダニーとその仲間たちが、ダニーを除いて村の生贄にされる話であるから、彼は物語的には黒幕、あるいは元凶である。
そんなペレは、作中でダニーに対し「自分も同じ境遇(家族を失った)だから」と彼女の悲しみに寄り添おうとする。
……と思いきや、不思議なことに彼は作中一度もチンポを出さない[^2]と、いまいち意図がわからないキャラクターとなっている。なんなら誕生日を忘れたクリスチャンをフォローしたのもペレだ。NTR男だとしたら敵に塩もいいところだ。
そんな彼の動機も、作中中盤に明かされる。自身が家族を失った悲しみをコミューン(ホルガ村)に支えてもらったと。だから同じようにダニーもホルガ村で支え合えると。
つまり宗教である。男が女に寄るとき、その理由はセックスか宗教か金の3択だ。こいつも例外ではなかった……というのはさておき、動機だけ見ると善性寄りに思える。
作中でダニーたちが訪れるホルガ村。ホラー作品の類型に漏れず、この村は姥捨てからスピリチュアル儀式、人身御供までを幅広くこなす、分かりやすいキリスト文化圏外のエログロホラーカルト村だった。
ここまでは典型的な因習村といったところだが、ホルガ村にはホラー作品としては珍しい要素がある。
どういうことかというと
など。ホラー因習村としてはユニークな表現だ。そして、これこそがペレの言っていた「家族を失った悲しみをコミューンで支えてもらった」の真相である。この村は、とにかく村民同士で共感し合って、悲しみを乗り越えるようだ。
そして、紆余曲折あったダニーはホルガ村に迎え入れられ、紆余曲折あって知らん女とスピリチュアルセックス儀式をしていたクリスチャンを生贄に捧げることを決意したのであった。燃えるクリスチャンを遠目に眺めながらダニーはニッコリスマイルを浮かべて映画は幕を閉じる。
ここから先は物語の中では描かれず、それぞれの解釈に委ねられている。故に、自分も己の解釈を述べることにする。
ホルガ村で行われている、この共感メソッド。その目的は、個人が抱えるには重すぎる苦痛をコミューン全員が共有・分配することで苦痛を乗り越えることにある。また、協力して苦難を乗り越えることからコミューン内の結束力を高める効果もあるだろうし、感情の共有を徹底すれば「村民同士で共感しない感情については村として承認しない」という仕組みを作ることができる。これぞまさに共産主義的な支配に他ならない。
現に、姥捨の場面では「こんなことおかしい」と叫ぶ余所者の感情には一切共感せず、しかし村に迎え入れられたダニーの嗚咽には共感してみせた。このように、村をあげた共感の儀式は、その他の共感しない感情を排除する効果がある。カルト式の集団運営に一役買っているのだ。
双極性障害の妹から連絡が絶えた不安に共感して欲しい、この不気味な村から早く抜け出したい、そういった感情への共感を、ダニーはクリスチャンに求めてきた。しかしクリスチャンはそれを受け止め切ることができず、ダニーはそれに不満を感じていた。
そして、共感に対する内なる欲求をペレに見透かされたからこそ、ペレはダニーがホルガ村に来ると知ったすぐ側から、ダニーに寄り添い始めたのだ。村人が「ペレの見る目は確か」と言ったのは、そういうところを指しての言葉だろう。
しかしながら、ずっと笑顔の戻らなかったダニーが、スピリチュアルメイポールを通じて村の女性と心を通わせ、恋人を失う悲しみを共有することでやっと笑顔を取り戻すという展開からは、ホルガ村を迎え入れたことそのものが幸か不幸かは判断がし辛くはある。
人は誰しも自分の感情に共感してもらいたいものだ。しかしながら、共感を他人に問答無用で押し付け、そして押し付けられることを選んだコミューンの行き着く先がエログロカルト村というのも、寓意を感じずにはいられない描写だ。
なにより、ダニーのような、恋人に感情労働を押し付ける女がそのようなコミューンに適合するという描写が、そのような人間の行き着く先は地獄であると暗に示しているようでならない。
現代ではエコーチェンバー効果という言葉を聞くことも珍しくなくなってきた。思想の似通った者同士が通じ合い、かくして狂気は産まれるのだというストーリーは、思い返せば現実でもよく見る構図であった。
もし、この映画から得られる教訓があるとくれば、それは「共感のしすぎ、求めすぎ」は狂気を招くということではないだろうか。
是非とも身に覚えのあるメンヘラ女の諸氏におかれては、このことを胸の片隅にでも置きながら、周囲への配慮を怠らずにいてくれれば幸いである[^3]。
---
[^1]: このように書くと、パニック障害なのだから仕方ないじゃないか、差別だなどと書かれるかもしれないが、そもそも恋人は無料セラピストではないのだ。クリスチャン自身もダニーを支えきれないことを自覚し、別れ話を持ちかけようともしているのに、単純にクリスチャンをクズ男扱いして死んで当然扱いする感想記事があり、あまりにもあまりにもであったので、ささやかな抵抗として、このように駄文をゴミ捨て場に投げ捨てている。
[^2]: ちなみにクリスチャンはチンポを見せている。
[^3]: 決して私怨ではない。