はてなキーワード: ながら見とは
一生やるつもりはない。
私は普段アニメでもドラマでも映画でも一人で(部屋で)見てキャーキャー言うタイプ。
だから応援上映のシステム自体はというかその発想はおかしくないし普通だと思う。
とにかく嫌なのは、応援上映での発声がパターン化したり大喜利化したりすること。
私は、その作品を私なりに見て私なりにキャーキャーしたいのであって、他人のキャーを押し付けられたくないのだ。
学校の先生の、私にとってクソ面白くない話にクラスメイトがお愛想で笑っているのを聞いてもさらに興ざめするだけ。
とは言え、今までの普通の上映でもプッと吹き出す程度のことはあっただろうし、それが心からのプッなら別にいい。
最悪なのが、ここでこういうコールを入れて笑いを取ってやろうみたいな面白くない人である。
私は実際見てないから詳しく知らないけど、そういう仕切りたがる人みたいなのツイッターで話題になったよね。
いや、お前のステージを見に来てるわけじゃねーよ。と。
それこそ、オタクのコール問題がどうこうなってるらしいが、結局、何をしに来たの?っていう話だと思う。
私の中では、やっぱり映画は黙って見たい。
実際、いつもポップコーン買って食べながら見てるけど、あれだけ「見る」ことだけ、ただインプットするだけに集中できる時間はないと思う。
私が映画自体そんなにホイホイ見られる環境にないからかもしれないけど、ただ「見る」だけ、その時間にお金払ってるんだから、その映画だけを見たい。
結局、別に、応援上映自体はどうぞご勝手に、なんだけど、応援上映こそが真で愛で正義で普通に見るのは人生損してる!みたいなのが嫌。
誰かに言いたいっていうよりは、自分に向けて確認しておきたいって意味で書いてる。
なんで書きたくなったかは、まあ簡単な話で、あゆはぴを見て想いが溢れてきたから。
世間的にも嵐がブレイクするちょっと前のこと、確か2005年とかぐらい。
それまでは邦楽バンドが好きで、ジャニーズはテレビで見ててカッコイイなあと見てるぐらいだった。
そんな私がどうして嵐にハマったか経緯は思い出せない。ただ気付いた時には大好きで、人生で初めてファンクラブに入った。
その頃、嵐の人気はまだまだで本人達の冠番組は関東ローカルだった気がする。
なのでネットで必死に動画を見たり、雑誌を買ったり、潤くんや相葉くんの劇を見に行ったら、大野くんのソロコンに行ったりした。本当に嵐一色で大好きだった。
ただ、あんまり長続きはしないかなとも思ってた。変わらずバンドも大好きだったし、ジャニーズ好きなのは今の若い時だけかなあとうっすら頭で思ってた。
その勘はドンピシャで、ファンクラブ更新の頃にはすっかり熱も引いていて、そのまま更新はしなかった。
かといって嫌いになったわけじゃなく、嵐がテレビに出れば欠かさず見ていたし、ドラマとかも可能な限りチェックしてた。
いわゆるお茶の間というのになった。
それから嵐の人気がどんどん出てきて、やっぱりカッコイイなあと思いつつ、嵐の快進撃を緩く見つめてた。
そんな緩いお茶の間ファンがまた今、嵐のライブDVDを見て泣きたくなるぐらいの幸せを感じるようになるなんて、思ってもみなかった。
最初は噂が出たんだなあぐらいにしか思ってなかったけど、暇だった私はファンの人の反応を興味本位で調べてみた。
その反応は様々だったけど、衝撃だったのは熱愛愚痴垢というのが存在することだった。今まで存在すら知らなかった垢にひどく驚いた。
普通は裏切られたと感じるなら離れればいいのに、わざわざ新しくアカウントを作成してまで彼らに対する想いを吐露するなんて。
それをする人達の気持ちは未だに理解はできないけれど、そうさせる嵐って、アイドルって凄い存在なんだなあと改めて再認識させられた。
そう認識してから再び嵐を見始めたら、以前より真剣にテレビ番組を見るようになってた。VSやしやがれを繰り返し見るようになったり、ファンの人のTwitterを見たりし始めた。
元々、紅白は毎年見ていたけれど、今回は相葉くんが単独で司会をするということでドキドキしながら見つめていた。
そういった諸々を見て、紅白を見終わった後にはすっかり嵐が大好きになっていた。
そこからは離れていた間の嵐を知るのに必死で、ライブDVDを買ったり、聞いていなかったアルバムを聞き込んだりした。
そんな嵐について知る中、国民的アイドルの彼らに対して、冷たい風を送る人達がいることも知った。
もちろん、私が知らない間に嵐とファンの間にも色々とあったんだと思う。
私なんかが何かを言えるような立場じゃないこともわかってる。
たた、離れてしまったり、嫌いになってしまったりした人達の意見の中で「今の嵐のどこが好きなの?」というのを見た。
それは昔から応援していて、今でも応援してる人に向けて言った言葉なんだろうけど、まるで今の嵐を見て新たにファンになる人がいないような口ぶりだった。
確かに今の嵐は昔からのファンの方が多くて、新規でファンになったり、出戻ったりする人は少ないかもしれない。
でも絶対数は少なくても、私みたいに今の嵐を好きになったりする人もいるんだよってことを、ネットの片隅でこっそり発信したくなった。
あゆはぴを見て、嵐の5人が歌ったり踊ったりしてる姿を見て、泣きたくなるぐらいの幸せを感じてた。
どこが好きなのかとか、何が好きなのかとか、理由はきちんと説明できない。
ただ、この好きだっていう気持ちを大切にして、これから5人を応援していきたいなって思う。
できたら、あのキラキラする空間の、光のひとつ、響き渡る歓声のひとつ、鳴り響く拍手のひとつになれたりしたら、とっても嬉しい。
先日の話。
都内の住宅地の中にある小さな公園に、これまた小さな池がある。
小さいがそれなりに色々な生き物が暮らしている。
公園の歩道と池の間には小さな石柱が等間隔に置かれていて、鎖や紐で繋がれ柵となっている。
柵の中に入らないで。池の中に入らないで。
そういう注意書きがあるにも関わらず、子供達はその中に入って遊び、生き物を取る。
とはいえ自分も子供の頃わりとわんぱくに遊んでいたし、理屈で動ける子供はいないので仕方が無いと思う。
だからその行いは、近くにいる大人である保護者が注意すればいい。
しかし、注意しない。
その上子供達は自分達が遊びに使っていたプラスチックのカップや道具を池の周りに置きっぱなしにしたり、中には池に投げ捨てる子供がいた。
これを見ても近くにいた保護者達は知らんぷり。
近くにいた老人がそれを見かねて捨てては駄目だよと注意をした(私はびびりな増田なのです。罵って下さい)。
子供達はその言葉をよく理解していないのか、下を向いていたら、保護者の一人がやってきて、
「余計なことを言うな」と老人を怒鳴り飛ばした。
そして老人が何か言葉を放つ前に、その保護者と子供達は住宅街に消えた。
池に忘れ物を残して。
ちなみにこの保護者達は所謂DQNな外見ではなく、ごく普通の大人達であった。子供達も何か障害を抱えている様子ではなく、普通の子達だった。
かわいそうな子供達。大人が叱らず、この子達は自分達でその過ちに気付く事が出きるのだろうか?
最近、ネットに投稿されてる少し様子のおかしい人の動画がニコニコの例のアレとかに投稿されて再生数伸びてたりする事が結構ある。
これ自体は無断転載はともかくとして元から全世界に対して発信してる物だし、笑い物にする目的で見たりするのも元から全世界に配信してるんだから別にいい思う。そうされるのが嫌なら最初からやらなきゃ良い話で。
twitterやらの垢特定だったりも全世界に配信してる物だし、特定されても文句は言えない。
特定されたら垢消ししたりするのは見せびらかしながら見ないでって言ってるようなもんだし問題外。
もし動画内で犯罪行為をやってるとかだったらまだ分からなくもない。
特に犯罪行為もしてない動画投稿者の個人情報特定して拡散してる人はどういう神経してるのかな?
最近の実例を上げるならゆうたを超えるとして話題のXXハンターことゆうき。
もちろん発言も態度も一切擁護できないし、話題になるのも当然とも思うし、twitter特定されるのも含めて自業自得としか思えない。正直(自称)中3でアレってどうなのよ。
しかし、どう考えても個人情報特定はおかしい。確かに態度最悪だしマナーもなってないし発言の数々もネタにされても仕方ないと思う。でも少なくとも動画内で犯罪行為はしてないし、その意味で言えば個人情報特定してる方が犯罪だしよっぽどアレ。
こういう事言うと必ず「ネットリテラシーも分からないのが悪い」って輩が出てくるけど、ネットリテラシーが分からない奴の個人情報を特定していい理由にはならないからね?
個人情報特定したりそれ拡散して楽しんでる奴はこの「ゆうき」と同レベルだと思うよ?相手の事を馬鹿にする、自分のしてる行為はおかしいかどうか考えない、常に「自分ルール」を押し付ける。多人数で、しかも恐らく年齢高い層も参加してる分余程たちが悪いわ。
別に元から上がってる物を動画サイトとかで晒し上げる分には元から全世界に発信されてる物だから良いと思うけど、個人情報特定は明らかにやり過ぎだし、ゆうきなんかよりも犯罪行為に及んでる分悪いわ。
少し前に友人が『ゴースト・イン・ザ・シェル』の映画が見たいというので、それに付き合って見てきた。
原作の攻殻機動隊は自分は全く知らないし、原作を知らないのに原作の実写版を見たってつまらんだろと思って渋々付き合ったものの、まあ面白かったよ。原作を知らんから、公安9課のポジションがよくわからんとか、原作由来のネタがちっともわからんってのももちろんあるけど、終盤の真相が明らかになる辺りは素直にわくわくしながら見られた。
でもこの映画、やたらと評判が悪いのが悲しい。大抵はアニメ映画版と絡めての論評になっていて、アニメ映画版は素晴らしいけど、実写版はダメ、みたいな感じで。そんなに酷評するような内容でもなかったと思うんだがな……。
自分はアニメや漫画の実写版映画はそれなりに好きで、どうしようもないゴミ映画でも最悪原作を知ってれば、原作をどこまで再現しているか(またはどこまで破壊しているか)ということを確認できる楽しさがあるんです。そういう意味では、知らない原作の実写版を見るのは好きじゃないけども、今回に限って言えば知らない方が良かったのかもなーと思う。妙なバイアスが掛からずに素直に楽しめたしね。
Amazonプライムに加入していると、Amazonプライムビデオというサービスが使える。
Amazonプライムで配信している映画、ドラマなどは見放題という、暇つぶしには最適なサービスだ。
そこに「バチェラージャパン」という独占配信番組があるのだが、先週末に放送が終了したので、感想を書いてみようと思う(盛大なネタバレあり)
「バチェラージャパン」はもともと海外で放送している同名の企画番組を日本に輸入したものらしい。
企画内容を端的に説明すると、バチェラーと呼ばれる超絶ハイスペックの独身男性一名が、
数十名の年齢も経歴もバラバラな女性たちと各地のリゾートやら保養地でイチャコラしながら、
毎週「ローズセレモニー」という儀式で脱落者を選び、最終的に残った一名と運命の婚約を果たすというものだ。
一応やらせなしのそのままの男女のドラマが繰り広げられるということで、いわゆるリアリティー番組と言われるジャンルとして喧伝していたらしい。
番組の内容的に、上品と言えるものではないので敬遠する人も多いと思うが、個人的には毎週楽しく見ていた。
番組の前半は恋愛番組というよりむしろ、女性同士の心理戦、サスペンス要素が強く、
場を仕切る女性や、泣き出す女性など、女性の内面に迫るのではなく、キャラの関係性を際立たせた構成で、
いや、こいつ番組の都合上残してるだろ、みたいなツッコミを入れながら見るのが楽しかった。
後半になるにつれ、当然と言えば当然だが残った女性一人一人の人格がフィーチャーされ、よりドラマ的な演出が増えていった。
しかしながら本人が本気で言っているのかわからないような、自分から落とされるような発言をしたりして、
駆け引きと言える場面もなく、正直言ってだんだん飽きてきてしまった。
最終的には、ゆるふわ系で22歳の高学歴女性が最後の一人となり、運命の女性としてバチェラーに選ばれる。
大方の予想も覆されることもなく、平和にシーズン1(シーズン2もあるらしい)は終わりを迎えた。
さて、そんなバチェラージャパンだったわけだが、非常に示唆に富む番組であったように思う。
超絶スペックの男性を多くの女性が奪い合う形式は、現代の婚活市場を正しくそのまま可視化しているし、
最終的に選ばれる女性が、若くて美しく、そして何より高学歴であったことは非常に現実的な結末であるように見えた。
(35歳のバチェラーはロリコンだ何だと非難を浴びているが、彼にとって極めて合理的な選択だったのだろう)
そして何よりバチェラージャパンが象徴的なのは、参加者の多くの女性が、一時的とはいえバチェラーに選ばれる経験をし、
その夢のような世界に身を置くことができる点だ。
(低スペックの男性が可視化されない=その場に存在しないことも極めて現実的である)
退場していく多くの女性たちが、その事に自覚的で、バチェラーに感謝を示し去っていくシーンが多くみられ、印象的であった。
そして現実でもそんな逆シンデレラのような状況に多くの女性が陥っている。
そこから現実に向き合い、現実的な結婚をすることに大きなハードルがあることは、容易に想像がつくだろう。
もちろん、同窓生や身近な関係者の中から相手を見つけ、社会人数年目には結婚するという、極めて牧歌的な結婚を果たしている者も当然多い。
しかし、多くの男女はそのタイミングを逃し、いわゆる婚活市場と呼ばれる泥沼に足を突っ込まざるを得ない状況になっている。
(男性は多くの女性にとって自分が可視化されない現実に、女性は向上することのない生活水準にそれぞれ向き合わなければならない)
婚姻関係と出産が大きく結びついている日本では、この問題は避けては通れない。
低所得者の増加や育児環境の未整備など、社会的な要因も当然重要だが、根本的な男女間の価値観はやはり考える必要があるだろう。
そう、バチェラージャパンは、「逃げ恥」のような現代的な理想の恋愛を見せるのではなく、現代的な現実の恋愛を見せるという意味で、
繰り返されているテーマであるがゆえに、2017年の生きたサンプルとして、バチェラージャパンを是非様々な方に見ていただきたいのである。(おわり)
今はもう会社都合で転勤になってしまったが、当時川崎(最寄りの駅で言うとJR南武線の矢野口~稲田堤の間)に住んでいて
通勤路は表通りの府中街道沿いか南武線近くの二ヶ領用水沿いの道を使っていた。
4月になると二ヶ領用水沿いにある桜は見頃になり、自転車を漕ぎながら見るのもよいが
休日には家から会社のあるところ、さらに登戸方面まで徒歩で散歩するのが春の楽しみの一つだった。
稲田堤駅から少し歩いたところ、焼き鳥屋が入口になっている裏通りにある団子屋(会社の帰りによく割引弁当を買っていた)で
団子を買い、それを持って散歩に行った。用水路沿いにはところどころに腰掛けがあったのでそこに座って花見団子と洒落込んでいた。
用水路のせせらぎの音と桜の花、そして鴨や鯉などの生物を見ると安らかな気分になれた。
金曜日にプロ野球が開幕して、われらが阪神タイガースはマツダスタジアムでカープと三連戦を戦った。
試合の内容自体は最悪で、あと140試合残して早々に阪神が終戦したことを悟ったんだけど、一方で巷で評判の悪いDAZNが意外といい感じのサービスだったことに気づかされた。
DAZNの話の前に簡単にプロ野球のネット中継事情について触れておきたい。
地上波で野球の試合が殆ど放送されなくなって、一般層には野球観戦の敷居が高くなったけれど、近年ではスポナビライブをはじめネット中継が充実していて、ファンからしてみると、逆に以前よりひいき球団の試合を観戦するのは簡単になってきている。ただ、カープ主催のゲームは去年までネット中継がなく、都民である私が阪神対広島@マツダを観戦するためには近所のネカフェでスカパーを視聴するしかなかった。もっとも、昨年の広島戦はトラウマ量産機だったので視聴環境が整ってないことが逆に幸運だったとも言える。
少し長くなったが、そんな感じで去年までネットと無縁だった広島東洋カープの主催試合が今年からDAZNで配信されている。開幕戦は何としてもリアルタイムで観戦したかったので、DAZNの評判の悪さは重々承知の上で、先週から無料体験に入った。
見る前のDAZNの配信の印象は、①ラグがひどい②画面が新井③途中で中継が止まるといった感じだったけど、結論から言うと個人的には①~③のどれも気にならず、快適に観戦することが出来た。楽しい試合ではなかったけれど。
確かにラグはあるのでTwitterやなんjで実況しながら見るのには向かないけれどせいぜい30秒程度だし、PC上で見る分には画面もきれいで白球がちゃんと追えた。フリーズはたまにあるもののF5で解決。これは私が普段見ている阪神タイガース主催の「虎テレ」と似たようなもんなので取り立てて言うほどではない。
マイナス面がなかった、ということを強調してきたが、それに加えて「虎テレ」に比べて明らかに優位な点も見つかった。解説者の質である。一般にネット中継における解説者の質はひどい。ギャラの問題もあるのだろうが、地上波やCSに上澄みを取られた搾りかすのような、精神論と結果論しか語れない元プロ野球選手ばかりが幅を利かせている。安かろう悪かろうなのでしょうがない部分ではあるのだが、その点DAZNで見た今回の3連戦はいずれも地上波やCSで実績のある「まともな」解説者を起用していた。野球はサッカーなどほかのスポーツと違って「間」が非常に多い。その分解説及び実況の話術が中継をダレさせないためには必須なのだ。これはとてもユーザーフレンドリーなお金の使い方で非常に好感が持てた。
一方で、インターフェイスが貧弱であること、球速表示が出ないことなど不満点もあったのでそこは直してもらいたいところ。
ただ、全体として野球のネット中継の中では、DAZNはかなりクオリティが高いということが分かった。先月のJリーグ開幕のごたごたでだいぶ世間的な印象が悪いDAZNだが、少なくともいち野球ファンとしては、結構いいサービスじゃないの?という印象を受けた。ほかのスポーツファンがどう思っているかは分からないけど、イメージで叩くべきものではないと思う。
それが生まれつきの性質であるかの様に言われ、他人から羨ましがられる事がとても多い。
それが私はちょっと悲しい。
片付けをちゃんとする様にしつけるの、結構大変だったんだけどな……。
自己満足の為に、ここに私が子供達に片付けをさせる為にした事やしなかった事を書いていく。(超長い)
あまり誰かの助けになったり参考になったりはしないのだろうな。
何故かというと、上の子が生まれたばかりの頃は家にあまり物が無かったから。従って片付ける必要が生じなかった。
支援センターには、自分で使ったものは自分で片付けるというルールがあるから、親の私としても子供が中々やる気出さないからといって妥協する事は出来ないし。
あまり経済的に余裕があるとは言えないのだが、専業主婦となった。時間に追われないで子供の相手出来るのって気が楽でいい。
まだ腰が据わって間もない子のおててに使った積み木を持たせて「さぁ、お片付けしましょうね~」と声をかけ、抱っこで積み木箱の所まで連れて行き、子の手を取って積み木を箱に入れさせる。という感じ。はたから見れば赤ちゃん使っておままごとをしている様だったろう。
見られたら「ママがやってくれるのが当然」と学習されるだろうから。ソースはない。
既存の歌でも良かった気がする。
私自身が幼稚園児だった時、担任の先生が片付けの時間中ずっと「おかたづけ~おかたづけ~、さぁさみんなでおかたづけ~」とリズミカルに手を叩きながら歌っていたので、それを真似た。
ちなみに小さい子供は「おかたづけ」と発音出来ないし聞き取れもしないっぽかったので私は自作おかたづけのうたを「ナイナイあそびのうた」と呼んでるし、歌詞でも「おかたづけ」という単語の代用として「ナイナイ」という単語を使っている。余談だけど中国語で「ナイナイ」といえばおっぱいの事だと聞いた事があるのだが、本当だろうか。
ちょっと恥ずかしいが、支援センターや児童館など人前でも自作おかたづけのうたを歌ってた。
ママが「ナイナイあそびのうた」を歌い出したら片付けして帰る合図。
子供が歩ける様になりなり、自分でオモチャを持ち運ぶ事が出来る様になると、片付けの最中に子供が急にやる気を無くしたり別の事に気を取られたりするということが起こる様になった。なので手拍子と掛け声で子供の意識をお片付けに引き戻す必要があった。
ナイナイ!(パンパンパン
ナイナイ!(パンパンパン
ナイナイ!(パンパンパン
( ゚∀゚)o彡°
( ゚∀゚)o彡°
( ゚∀゚)o彡°
「片付けなさい!」と叱ると泣いて愚図るだけだが、こうしてエールを送ると不思議と頑張る子供達。
そうそう、初期から「片付けましょうね~」と声かけはしていたのだが、子供達は「片付けをする」という言葉の意味を中々覚えなかった。上の子は年中さんになってやっと、「これ片付けてね~」だけでも動く様になった。
・指示は具体的に
繰り返すが子供は「片付けて」と言われてもその意味することがわからない。
「片付ける」という単語の意味を覚えて貰う為に、まず子供に聞き取り易く発音しやすい「ナイナイ(無い無い)」を用い「ナイナイしようね~」と声をかけ、「お片付けしようね~」に移行していったが、それを言っただけでは子供はどうしたらいいのか分からないので、
「○ちゃん(子)がおててに持ってるこの積み木を、この箱にポンしてね」
などと指示する。
(「入れてね」じゃ分からないみたいだったので「ポン!」と投げ入れるのを実演してみせ「ポンする」を覚えさせた)
・一人で片付けさせない
一歳位の子供に自主性は期待出来ないと私は思う。なので子供と一緒に私も片付けをした。
子供が途中で嫌がったら、
「大丈夫!ぜったいできるよ!」
と言いつつ(子供にというより私自身への言い聞かせである)、手に積み木を握らせて、手を繋いで積み木箱まで子供と行き、子供手を取り積み木を箱に入れさせた。
ナイナイ( ゚∀゚)o彡°
ナイナイ( ゚∀゚)o彡°
ナイナイ( ゚∀゚)o彡°
と励ましながら見守っていた。
すると、しばしば面倒見の良い保育士さんやよその子の保護者さんが「あっいいですよ~わたしがやります~」と片付けてくれようとする事があるのだけれど、すかさず
「ありがとうございます。でも子供にやらせて下さい」
とお願いした。相手に怪訝な表情をされたら「うちの子、今、何でも自分でやりたいお年頃なんです~☆ミ」と言うと、皆気持ちよく納得してくれる。
・やりとげたらめっちゃ誉めまくった。
「すごーい!」
「全部出来たね!」
「パーフェクトだよ!」
などなど。
しかし
「さすが女の子だね~」
「お姉ちゃんだもんね~」
とは言わない。片付けは女がするものだと思われない様にしたいから。
あと「お姉ちゃんだもんね~」と言われると上の子は嫌な顔をする。下の子の姉という立場を負担に思うらしい。
でも、
「さすが○ちゃん!もう○歳のお姉さんだもんね!」
というと、逆に誇らしげな顔をして喜ぶ。「大人のお姉さんみたいだね!」も有効な誉め言葉だった。
「ありがとう、本当に助かったよ!」
今まではテレビで録画した番組をテレビで見ていたのだが、やはりPCで再生したくなってきた。
正座して見るような作品ならばテレビでそのまま見て問題はないのだが、ながら見をしたくなるような作品だとPCの画面で見ながら同時にPCで別のことをやれた方が色々と捗るから。
いざそう思って調べると意外とこの需要を満たせるような機械がない。
PCにTVチューナーを付けようとも考えたが、サウンドカードとの干渉や録画設定の構築が面倒くさそうだし、なにより夜中にPCを付けっぱなしにする必要があるのが個人的に嫌なのでやめた(家のPCはちょっと煩いし家はワンルームなのでPCを起動していると寝にくいのだ)。
ネットで検索するとブルーレイに焼けばいいという意見が多いがそうではない。