はてなキーワード: 起承転結とは
わかりやすい。
要点のみが的確に書いてあることはもちろん、どんなポンコツが読んでもスッとアタマに入ってくるように、起承転結が正しく順序立てて書かれている。
見やすい。
時に図解で表され、その図もフリーハンドながら直線・曲線が実に美しく、言葉で書かれるとそれを理解するのに5分はかかるところをわずか3秒で把握できる代物になっている。
取っつきやすい。
たった10センチ平方メートルの小さなメモ用紙に、ぎゅうぎゅうに書かれるでもなく、スキマがあるわけでもなく、程よい行間、程よい図間が保たれたまますべての紙面を使用しており、渡された瞬間に「おっ」と興味を沸き立てさせられる。
これをリアルタイムで初聞の相手に事柄を説明しながら、サラサラと目の前で10分程度で書き上げていく。
メモ紙一枚ごときで、自分のノーミソと相手の頭脳の格の違いを見せつけられているようで、とても嫌な気持ちになる。
例えば同じことを2~3日の時間とパワポを与えられても、自分には到底できそうにない。
なんだよ、この差は。
って小さい頃から大人になっても聞くときは聞くこのセリフ。2時間しか寝てなくても元気な俺すごくね?っていうやつ。すごいねって言われたいんだろうなってやつ。それをまさか自分が素で言ってしまうとは。
ここまでですでに文章が変かもしれない。読みづらいかもしれない。変換とか言葉の選びがおかしいかもしれない。
でも許してほしい。なんたって自分は24時間のうち2時間しか寝られなくて、それがもう5日くらい続いてる。
気分は最高。眠気はないし、体も動くし、日常生活ができる。
でも実際は寝てない。24時間のうちの2時間しか寝てない。それが5日間だから、120時間のうち10時間しか寝てなくて、110時間ずっと脳がぐるぐる回ってる。計算違ったらごめん。あと小泉構文だよねこれ、ごめんね。
気分は晴れやかだけど、思考力や判断力が鈍いってもんじゃない。なんだろう、例えを出したいけど思いつかない。例えを考えようとこの入力画面から視線を外した瞬間、ここに書いている文章が頭からすっぽ抜ける。思考の記憶が何秒も保たない。常に自分の過去の書き起こしとの対話。
この5日間、何百回も同じワードを検索して何百回も同じサイトを読んでいる気がする。気がするだけかもしれないけど。この文章さっきも読んだな、って思いながら、繰り返し繰り返し同じページを読んでいる。なんだろう、これ意味分かんない。
横になって部屋を真っ暗にして布団をかぶっても眠れない。先月までの自分は、部屋の電気をつけたままでも布団がめちゃくちゃでも、横になってしまえば「あー、もう寝るー」って10時間も寝られていたのに、今はその真逆だ。寝溜めだったのかな?でも「寝溜め」ってたしか否定されてたよね?
今日も全然ねれずに、こうやって書いている。24時間のうちの2時間しか寝れないと書いたけど決まった時間に眠気が来るわけではなくて、運が悪いと40時間位連続で起きてる。もうどこを起算として24時間なのかちょっと分からなくなってる。
日記のアプリをインストールして、食事と風呂と睡眠を記録している。睡眠は睡眠アプリを使ってる。
じゃないと今日が何日で、いつ最後にご飯食べて風呂入って、何時から起きているのかさっぱりわからない。人間として生き物としてどうよ。社会性の欠片どころか本能すらも失ってる?
いま鏡見たらわらっちゃうくらい目の下のクマがひどかった。外に出れないなこれ、ゾンビのなりかけだと言われても納得する。
自分の中では起承転結を考えて書いたつもりだったけど読む人にとってはそうじゃないよね。
ごめんね、読んでくれてありがとう。
教えて下さい。タイトルのとおりです。
ボーイミーツガール、ラブコメ、NLのジャンルでお願いします。
第1話でふとした出来事がきっかけで出逢った2人が、話数を追うごとに困難や苦悩を乗り越えて愛を深めていくお話。
そして、起承転結の「転」と「結」のあいだに、主人公、あるいはヒロインのどちらかの記憶から相手の情報が消えてしまう、もしくは何者かによって消されてしまうお話。
冴えない主人公はようやく彼女との幸せな日常を掴んだのに、一瞬にして、彼女と出逢う前の空虚な日常に逆戻りしてしまうような。
あるとき、彼女の面影を残すものをみたとき、涙が溢れてきて、しかしその理由が自分でも全くわからず困惑してしまうような描写があると非常に良いです。
「最後は愛の力で記憶を取り戻し、一生幸せに暮らしましたとさエンド」でも、「結局記憶を取り戻すことはなく、影から彼or彼女を切なく見守るエンド」でもなんでもいいので教えて下さい。
…はい、「おねがい☆ティーチャー」を見ました。
11話、ラストのポッキーのシーンでぐちゃぐちゃになりました。
「どこからか声が聞こえたような気がした。でも、その声が誰なのか、僕にはわからなくて。ただ、涙があふれるだけで」
他に展開が似ているアニメでは、
・涼宮ハルヒの消失(パラレルワールドに移動して別の記憶を持ったヒロインに出逢う)
いつの日か報いを受けてほしい。
一見普通に見えて、こりゃ関わったら大変だという人、初めてだったので書き留めておく。
(コロナ以前)
お気に入りの部下は、遅刻、居眠り→不問「最近頑張っているから疲れているのかな?」
気に入らない部下、居眠り→「やる気が無いなら帰れ!ほらっ!帰れよ!」
みんな「美味しいね。幹事イイお店見つけたね!」と話している中、
事業部長「いや、いまいちだね。。もっと美味しいお店教えてやるよ。○○ってお店でどうのこうの…」
みんな「……」
アンガーマネジメントを学んで欲しい。
叱責されている本人はもとより、これを聞かされている社員も、モチベーション下がりまくるのでホント止めてほしい。。
「私をこのように怒らせる、大声を上げさせるのは、お前のせい。お前が私をそうさせているんだ!」って言ってたのを聞いたよ。
けれど、誰も止められる人が居ない。
私は運よく隣のフロアに移ったけれど、隣から例の声が聞こえてくると、あー、またやってるわー、とテンション下がる。
ああーーーー、なんか書いてて嫌な気分になった!
このコロナ禍、大変だけど、テレワークになってフロアに怒鳴り声が響かなくなったのは良かった。
web会議で、切れてた、叱責してたとの話はまだ聞いていない。
いつの日か報いを受けてほしい。
いやいやキミ。
証拠として残しておくけどさ
少しずつ少しずつ読者の予想を外していって最後に意外な結末に至る。 つまり起・転・転・転・転・転・転・結みたいな構成が好ま...
つまり起承転結を述べたがってるわけだから、その理解に対する無理解の瑕疵は当然指摘されるわけだ。
で、次にどんでん返しを転として理解してるのはコロン解説(以下コロンちゃん)の方なので。
コロンちゃんがどんでん返しを転と勘違いしてるから丁寧に解説してあげただけなんだけど。
何いってんのキミは?
今読み直してきたけど冒頭でアメリカバレなんてミリもなかったな。
そして溶けたの件。溶けた現象と家族の何かが溶けた、例えばわだかまりが溶けたなどという比喩があればむしろ好評価点だった。
それもないとなるとよほど平坦な脳みそで簡単だろうなという感じ。
「転ばっかりで結がない」はふーん、君はそうよんだんだね、としか。
悪いけどこれは明確に目が悪いと想う。
正確に言えば起承転結を理解してないから、そういう無理解な結論で勝利したつもりになる。
はっきり言ってキャッチボールになってないんだよね。
象を語る、の主語があんたと俺の甲乙どちらに付いてるのかはしらないが、点数や評価に騙されやすい群衆、という形ははっきり見えたのでは?
ええと、残りはバカバカしいから解説しないけど、1はまあ増田でありがちだけど理解はできる。02はそう理解できるだけで起承転結の転の役割をなしてない。キャンプを家でやる、も起であって転ではない。起承転結の意味を理解してない。リーダーの登場は単なる登場で、あえて言うなら起でしかない。というよりも、幕構成のうち人物が一人登場したくらいで起にも転にもならない。登場に合わせて展開が変わるからそう呼ばれるのであって。
はい、ここで初めて承かな。前段を受けて展開が起きる。
おバカな兄のリアクションで話が中断した、といった「くすぐり」も効いている。
その次に「メグの進学」の話題でひと転がり
だから転じゃないって
最初は「たかがキャンプのことで喧嘩するのが面白い」だったのが
これ以降は「たかがキャンプだったはずがどんどん大変なことになっていく」という
サスペンスじみた展開になり、結末の不穏さを予感させる。
ここも承であって転ではない。これも馬鹿げてるのである程度省略して答えを言うけど、この話にあえて起承転結を付けるなら
転.ウィルスで人が溶けて佳境に入る
であって、(多分)作者自身が読み方すら間違ってる。基本がなってない人なんだろうね。
ハードSF愛好家ではないけどこれはSFの基準を満たしてないように見える。
最後の語りだけでSF担ってると言い張るならSF愛好家に聞けば良い。
俺は違うと判定した。
・VRゴーグルでバーチャルリアリティゲームをやる
VRゴーグルでバーチャル世界に行くので元が何者でも関係がない。
たとえばこれがアイドルモノでやるのならキャラクターの意外な一面という感じになるのかもしれないが、競走馬をモチーフとした擬人化キャラでやっても元のキャラの個性が減るので結果として没個性的な話になる上にキャラの性質が減るので総合力でマイナスになる。
ゲームをプレイしてたら~~ではなくいきなりゲームがぶっ壊れる。
そしてそれを雑に救いに行く。
話の雑さも酷いし伏線もなにもない。
今までのイベントであればキャラクターの掘り下げという部分があったが、今回はエルとグラスという今までも散々掘り下げたキャラのいつものムーブしかないので掘り下げられる要素がない。
SSRカードの柄がネタバレになっているので語ってしまうがゴールドシップが魔王(ウマ王)として君臨しているのだが、それもキャラクターイメージそのまますぎてなんの驚きもない。
学芸会レベルの茶番を延々と見せられることになるという地獄のようなイベントストーリーである。
終わったイベントなので起承転結をネタバレしてしまうので注意。
・アスレチックコースの途中でリタイアしかけるヒシアケボノをマヤノトップガンが助ける
・皆で仲良くゴールしてウェディングドレスを着る
酷い。
何が酷いってレース中に他のウマを助けるというシーンの競馬に対する侮辱たるや。
おててつないで仲良くゴールという文化は、そこに平等な世界を目指す文脈があるから成立する。
だがウマ娘の世界観は平等ではなく競い合って最強を決めることに意味を見出す文脈の上にある。
プロボクサーがリングでいきなり「殴り合いなんて良くない!KOするまで殴るなんて俺は出来ない!」と相手選手にかけよって傷の介抱を始めたらそれがどれほどの人に対してのどれほどの侮辱になるだろうか?
競走馬をキャラクター化させるという道を選んだ以上、絶対に守らなくてはならない文脈はあるはずだ。
それを平然と破り捨ててきたのだ。
ならせめて最初からレースもどきなんてせずに、お裁縫だのお料理だのナンパ大会だの大食い大会なりをしていれば……いやそういった催しであったとしてもそれが「競う」「試す」「目指す」といった要素を含むのならば、個人の戦いに他者が介入することは間違いだ。
競走馬達が併せのトレーニングをするのは、それがトレーニングだから成立するのだ。
同じ馬主の馬が他の馬を妨害するという展開、同じ馬をターゲットにした同士による協力的な潰し合いだってレースには確かに存在する。
しかし、自分が1位を狙える展開で、チームオーダーが存在するわけでもないのに他の馬のために勝利を譲るような馬がいるだろうか?
いない。
そもそも強い競走馬は闘志や競争心を美徳として兼ね備えるものだ。
擬人化美少女ゲームに出てくるレベルの超有名馬であれば、そのどれもが他のものを蹴落として自分が最強になることを目指す生まれついての勝利絶対主義馬のはずだ。
それが自身の勝利を目前にして他人のためにゴールから遠ざかる?
そんなストーリーがあっていいのか?
その世界だからこそ数々の夢が、それが散る姿が輝いていくのだ。
負け続けてもレースに出続けたハルウララがなぜあんなにも人気があったのか?
それは勝利が絶対の世界でそれでも負け続け、それでも走り続けたからだ。
絶対の価値に永遠にたどり着くこと無く、それでもそこになにかがあると思わせ続けたからだ。
勝利するということに勝る価値がないはずの世界に、負け続けながら居続けたことが人々の心に強く映った。
そして、何度も負けながら勝ちを目指し続けていた。
それに比べてウェディングイベントのマヤノトップガンはなんだ?
というかこんな描かれ方をして本物のマヤノトップガンのファンは許せるのか?
次のイベントのクオリティによっては、ウマ娘という作品に対して語られてきた「原作へのリスペクト」を疑わなきゃいけないんだろうな
NieR:Automata1周目(Aルート?)終わった。
チュートリアルボス倒せなくて最初からやり直し。心折れそうになった。
最初にストーリーで「死」を描写して命を感じさせるのが零式と重なってスクエニって感じがした。
まず第一にグラフィック。自分がゲームPC買ってからやったゲームで間違いなくダントツ綺麗だった。最初ムービーで2B 見たとき、ふちがガビガビでビビり倒したけどいざゲーム本編始めて見るとやっぱりイマイチだった。は?と思うかもしれない。グラフィックの綺麗さに気がついたのは中盤辺りだから。いつもonにしてるブルーライトカットの設定切ったらとたんにめちゃっくちゃ綺麗になった。反射が描写されるようになったからだと思う。2B のスカートが急にきらめくようになった。武器もずっと見てられるくらい綺麗に。
そうそう、ビジュアル面で言えば世間は2Bのフェチズムに夢中だけど俺は違う、やっぱ武器よ。特に刀の反り方について語りたいよね。2Bの初期武器は2本とも刀なんだけどやっぱり刀っていいいよね。他の洋ゲーには出てこないだもん。ニーアの刀はちょっとやり過ぎなぐらい反り返ってるんだけどそれがちょうどよくてなんならフェチズムを感じるくらいそりに反ってる。
戦闘に関しては特に惹かれたことはないかな。最近やったゲームはどれもクリアできるまでボス戦を繰り返すタイプだったから、ニーアみたいな回復剤でゴリ押しみたいなプレイは久々だったな。オートアイテムのスキルで回復自動でできたのは便利だったな。そうだ、オートアイテム含めユーザーインターフェースはかなり洗練されていてストレスフリーだったな。
いやさあ?まじで。ストーリーひどすぎない?このゲームのテーマは「ロボット」と「自我」だったり、「アンドロイド」と「感情」みたいなよくあるっちゃあよくあるテーマだ。
こういうストーリーのアンドロイドは最初冷たすぎるくらい無感情で最後に涙が止まらなくなって「あれ…私感情ないのに液体が止まらない…司令官、エラーです…」みたいな感じが定番なんだけど、2B普通に感情あるくない?序盤から9S がうぜえくらいクラスの気になる子にアタックするお調子者みたいなムーブしてるんだけど、2Bもそれにまんざらでもない感じなんだよね。そんな関係で、最後2Bが9Sの介錯をするんだけど、あのシーンで2Bがあそこまで取り乱した理由がマジで全然わからなかったし、共感できなかった。保存していないデータからはアンドロイドを再構築できないため、最後のイヴ戦での9Sの記憶は消えてしまう。代償それだけなのにあんなに取り乱す????今までの出会ってからの記憶全部消えるとかならわかるけど、1時間もないくらいのちょっとの時間じゃん。直前まで9S離脱してたんだし。おめーらアンドロイドはいいよな、データ取っておけば復活できるんだから。こちとら人間様はそうも行かねえから。そんな感じ。
あと9Sの首を絞めるシーン、まじで気持ち悪!!!と思ってしまった。もう完全にヤっちゃってんのよ。スクエニのデザイナーは口からよだれ、ちんこから汁出しながら白目向いてこのシーンのモーション作ったんだろうな。ほんとこういうところにスクエニの”変態エリートが自己陶酔でシコってる”みたいな(俺個人の)企業イメージが溢れ出ていて心底冷めてしまった。
いやヤるのはいいんですけどそこに至る理由が全く共感できなくて、とりあえずセックスで昇華させておくかみたいな思考がキモいと思った。
あと、ストーリー1周目短くてビビったね。起承転結の承くらいでボスの片割れ死んだからビビりちらしましたわ。後半に開放された森とかほぼストーリーで行ったっきり探索してないしね。Life is strangeで学んだように優しすぎるキャラには裏があるから、パスカルホントは黒幕なんじゃねえの?とか思ってたけどそんなん全く挟む隙もなく終わってしまった。
とりあえずまだ武器の最高レベル4も開放してないし、サブクエストもたくさんあるし、なによりこのゲームは周回前提みたいだ。自分の感じたこのストーリーへの失望をどうか次の俺ではうまくやって晴らしてくれ。2周目、行きます。(ここまでプレイ時間14時間)
まずどれだけ読解力がなかったら「映画は90分以内に限る」がテーマだと勘違いできるのか戦慄するんだけど(「誰か一人に見せたい映画を撮れ」とかの伏線ガン無視したんか)、あの作品のテーマは「フィクション」で、登場人物の想いとか熱量とかもあるにはあるんだけど、というよりは「作品としての上手さ・巧みさ」そのものが目的と解釈すべきかと。
起承転結とか伏線の回収とか、フィクションとしてあまりにも綺麗な作りをしているんだよな。
「映画の映画」であると同時に、それ自体が「映画」であるという自己参照構造に面白みがある。「面白い映画とはこういうものだ」と語りながら、大胆不敵にもそれ自体が「面白い映画」を例示しているわけ。(「俺が面白いと思った」という話ではなく、ギミックとして「面白い映画」という役割を演じているということ。)
「映画は90分以内に限る」
だけでしょ?
才能がある人達が運命的な出会いを通して花開いていくストーリーライン自体はテーマじゃなくて「映画は90分」を語るための溶媒なわけだが。
それを単行本一冊でやるのは綺麗な落ちになる。
だけど映画一本の90分のテーマとしては「やっぱ映画は90分じゃねーとな」ってのはなんかピンと来なくない?
俺の好きなものを俺の好きなものを好きな誰かに好きだと伝えたいって主人公たちの動機は映画業界を舞台として夢を描く作品としては良いと思う。
でもその行き着く先として「映画は90分以内」ってのはどうなんだろうか?
テーマを味わう作品じゃなくて映像と物語のテンポを味わう作品なのかも知れんのやけど、それだとすると90分の映画としては起承転結の波が弱いというか。
「90分」の根拠ってのは要するによくあるN段階式ジェットコースター構造はどでかい2段階式か大中合わせた3段階式を90分でやるといい感じに集中力を維持して楽しめるぞって話じゃん?
でもポンポさんの物語構造ってジェットコースターとしての位置エネルギーを運動エネルギーとして爆発させるポイントはポンポさんが撮りたかったカットに一点集中させてるわけで1段階式ジェットコースターの前後に小さな丘があるだけなんだが、それって90分でやると間延びしないか?
特に後半の編集周りの話はジェットコースターの運動エネルギー大爆発の残滓でグイっと上がってチョイっと落ちて、最後にググググとスタート地点へと戻っていく構造なんだが、これも映像でやると割と尺が長いわけで漫画で読んだ時は本当にエネルギー大爆発のあとのパワーに押されるままに読んでいたらいつの間にか話が終わってたぐらいの感じなんだがやっぱ映像だとな~~~~。
これはポンポさんの「90分」的にどうなんだ~~~~?
いやもうテーマというか、ぶっちゃけこの漫画って90分で映画にしちゃったら実は駄目だったんじゃないっていうか。
作品のリアルタイムの「90分」とポンポさん理論の「90分」が乖離しちゃってるというか。
いやでもこれは完璧に鑑賞者が映画に魅了されてたらちょうどよかったのかもな~~。
声優の演技とか脚本の90分にするための尺稼ぎとかの部分でもうちょい頑張れたんじゃねえかなって所が結構あんだよな~~~~。
Twitterで同カプ内の狭い人間関係にどっぷり浸かってると苦しくなってくる。ジャンル内でも自分の立ち位置みたいなものを感じ取って苦しくなってるんだろうな。
自分は昔ノリで書くタイプの字書きだったけど、起承転結や地の文がしっかりしてて何万字も書ける人が羨ましかった。字書きの中でも真に実力のある本当に一握りの存在が神絵師から認められてた。小説でも漫画でもない中途半端なSSしか書けない自分が苦しかったよ。
この日記の著者は、「起承転結があって地の文がしっかりしてる小説」を書くのが好きだし、そういう作風に誇りを持ってるんだなっていうのが伝わってきた。
自分ではヘタレって言ってるけど、本心からはそうは思ってない。狭いジャンル内で自己価値が見出せなくなって自信を失ってるだけ。
のどっちだと考えているんだろう?
自分の小説を「読んでも結局何が言いたいのか全くわからない」と評しているけど、この文章も「何が言いたいのか全くわからな」かった
「とにかく文章の構成が下手だ。語彙の使い方もダサい。てにをはがなっていない。一文が長すぎる。読んでも結局何が言いたいのか全くわからない」
「人様に読んでいただく文章として下の下の下」
「文章力もなく、面白みもなく、萌えもしない文章など誰が読むだろうか。」
「日常を切り取った中でもまた起承転結を付けてしまう。どうしても「物語」を書いてしまう。」
「htrのくせに伝えたいこと、書きたいもの、作風は常に一貫していた。」
「皆、物語そのものに対して興味がないのだ。読み手が読みたいのは「ほのぼのでラブラブで誰が読んでも理解できるセリフの多い日常の切り取り短文」であって、私のクソ文ではない」
「何よりも私の文はWeb二次小説との相性が悪い。読み手側は起承転結のついた物語や地の文が濃い文章など読みたくはないらしい」
「下手な文章しか書けない私が悪い」という建前の中に「私の文学的な小説を理解できないバカが悪い」という本音が紛れ込んで文章が破綻したのだとしか思えない