はてなキーワード: 成功者とは
その感覚がわかるからこそ、自分はよく成功者を叩くときに使われる「成功したのは努力じゃなくて運」というフレーズの危うさが気になるんすよね
運命論的解釈だと成功者への批判より失敗者への救いのなさがしんどいし、
だからといって確率論的解釈しちゃうと結局試行回数増やせばいいだけだから運じゃなくて努力じゃん、といった感じで下手したら本人も知らずに努力主義に転がる恐れもあり本末転倒になる、
他にも基本確率論だが成功するまでの試行回数の大小の差があるという結果に対して運と言っているならその結果をもたらしたのは確率ではなく決定論になるので確率論じゃないよねとも思う
一見使いやすいフレーズだからよく使われるけど、よくよく考えると使いにくいし逆に「俺は失敗する運命だ」とか「試行回数増やせば良いのに俺はそれができない」とか自分に返ってくる言葉になる可能性が高い言葉だから下手に使わない方が良いと思うんすよね
成功者は運の要素もあるが努力で勝ち取ったものもある、その運の要素の部分だけ世間に還元してくださいな、って程度が良いのではないかと
と述べているために、運とは言うものの、行動の結果が決まっているという認識があるようだ。
そりゃただの運命論だ。
運命論(成功/失敗は保証されている)の主張は自由意志信仰(成功/失敗は保証されていない)の認識に挑んでも無意味。両者平行線を辿る
この主張を"この世に保証はない"という論とぶつけても面白い結論は一生出せないだろう
増田くん(anond:20240220100839)みたいなこと書く子は、通貨の弱い国のエリートと過ごせば考え方が変わると思うけど、
運が悪くてあんまお賃金のいいお仕事に就けなくて(もしくは無職で)、その機会は永久に得られないのかもね
助けろだのお前らのせいだだの言ってくるうるさい弱者がいるじゃないですかぁ
でも成功者への「運のおかげ」という棍棒は自分にも返ってくると思うんすよね
成功者が成功したのは運のおかげなので、その事実を受け入れ謙虚になりなさい
というと
失敗者が失敗したのは運のせいなので、その事実を受け入れ謙虚になりなさい
とも言えちゃうよね
救いの手が差し伸べられるかどうかも運なので、失敗者の中でも救われる人と救われない人が出るのも仕方がなくなるし
本当にのびのび育児で習い事可哀そう作戦でうまくいくといいね。
自分では本質分かってる育児してるつもりか知らんがそんな育児してる人なんてごまんといるのよ。地方は多くがそう。寛容さ含めて。
父親と地方の底辺家庭は、放任主義の傾向多いけど、大体ど底辺に育ってるけどね。
更に公園とかで親が4,5歳の男の子が放任されてると本当に迷惑だからマジでやめてほしいわ。
乱暴だったり言葉遣い悪かったり付きまとってきたり、親は勝手に学ぶと思って放置してるけど、4,5歳なんてまだ状況を理解して適切な行動をとれる年齢ではない。
親が適切な言動を提案や翻訳したりして社会性を学ばせないと、元気でやんちゃな分男の子って本当に害が大きいので都内の公園には出没しないで欲しい。
エスカレーターの「下り」に乗せられてるようなもので、楽にしてたら自動的に立ち位置は下がっていくものに決まっている。
降りるっていうのは、じっとしていること。じっとしている結果、乗っているエスカレーターが下っていくのと同じスピードで落ちていくこと。
成功者になるために、一段飛ばし二段飛ばしで駆け上がろうとして無理した結果、
強者としてのポテンシャルや人運に恵まれた者は成功するし、普通の個体だった者は無理をしすぎて鬱病になるなど潰れたりもする。
というか成功者になるため爆速で駆け上がることをしなくても、位置を維持しようとゆっくり階段を上る動作をするだけで潰れる者もいる。それが弱い個体。
弱い個体なので、じっとしていることにする。維持もできず落ちていく。それが降りるということ。
男を降りるとは役立たず・無能・甲斐性なしになること。そして女を降りるとは醜く・好かれなくなること。必要とされない存在、居なくなっても気づかれない存在になること。
若い世代の適応に多いパターンは、半分手抜きして半分上がる、というものだと感じる。
男性だが、あまり稼げない。所得で自分の価値を証明しようとするのを半分降りて、共働き必須の年収300~450万の自分を受け入れる、
そしてスキンケアや体型管理でアンチエイジングイケメンを目指し、これまで女のみが求められていた美容役割やコミュニケーション役割を半分のぼる。
女性だが、飯炊き風俗嬢のように生きるのは疲れる。容姿磨きと媚びコミュニケーションで自分の価値を証明しようとするのを半分降りて、
ハイヒールやタイトミニスカートをやめ化粧も省力化する、そして専業主婦ではなく家計に貢献できるフルタイム正社員の共働き妻となる。
どちらにしろ自動的に下がっていくことに抗うことが適応、過労死したり潰れて鬱病にならないような程度を模索するのが適応。
運悪く体力弱者かつ頭脳弱者かつ容姿弱者に生まれ、完全に放棄して降りきってしまった者が、好かれたり、感謝されたり、尊敬されたりした時代はない。これからもこない。
「役に立って感謝され尊敬される」を男の役割、「美しく好かれ愛される」を女の役割としたが、性別と役割は常に一緒ではない。
無能のイケメンが許されていることもある。職能の高さにより敬意を持たれているブスもいる。
でも何もない個体が尊敬や好意を得られることはない。これまでもこれからも。これは新自由主義のせい、フェミニズムのせい、テクノロジーのせいなどではない。
この考え方は人間の努力のみが人間の運命を決定づける自己責任論を根っこにしている
でも現実は画力よりも話作りよりも最終的には運否天賦に左右される
才能を授かる事がまず運否天賦であり、才能を開花できる環境に恵まれることも運否天賦であり、授かった才能が時代にあっていることも運否天賦でしかない
自己責任論は成功者にとって都合が良い、自分の手に収まった時代に寵愛された作品は自分だけの力で作ったものであると思う事ができればどれだけでも自分都合で振る舞う事ができる、逆に運が良かっただけだと思う人は作品は預かり物でしかないと思える
自己責任論者は才能に恵まれなかった人に対して無限に冷たくできるし、練習が足りないとかやればできるとか言える
名誉の偏在を殊更に許容する考え方は富の偏在を許容する考え方と同根であり、彼ら彼女らの傲慢は時代の誤った側に立っているとしか言いようがない
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/times.abema.tv/articles/-/10090085
金持ちに課税しろって話題になると、なぜかみんな富裕層や経営者視点で成功者の超高額報酬は当然と言う。
これも同じじゃね?(少し違うか…)
特権階級が国の実権を握っているのに、それに対して庶民が所得上限を設けたら国が産業が発展しないとか言って。
あっそれは無理か。
ただ、共産主義は駄目だ。
革命うんぬんはさておき、
でも、これと所得上限の設定は両立するだろ。
いきなり1億円の所得上限でなくても、段階的に昭和の超絶所得税なみに1億円以上は75%みたいにすればいい。
お前らの大好きな累進課税だぞ。
そんでもって、社長の給料(株式込み)は平社員の平均年収の20倍までとかにする。
みんな大好きインセンティブ。
1970年代の所得税の最高税率は75%(所得区分8000万円超の部分)住民税を合わせた最高税率はなんと93%!
だったら、今さら所得上限を制限しようがしまいが人口増えないんだから成長しないっしょ。
だったら逃げたやつらは日本入国の際に高額な入国金をかせばいい。
抜け穴抜け穴言ってる奴は、抜け穴がふさがれば文句ないのか?
今後、国が紙幣じゃなく電子マネーを発行して、AIに監視させれば大半は解決するだろ。
なんなら、足並み合わせて資本主義国同士で一斉にやればいい。
無理だけど。
富裕層が可哀そう。
だったら、インセンティブとして名誉や公共機関の特別待遇、医療費無料、ディズニーアトラクションのフリーパスでもつけときゃいい。
とは言っても、年収1億円の富裕層(23,000人)から超絶累進課税で金を徴収しも多くて年間数兆円。
でも、少子化対策に数兆円を使えるのだとしたら…
仕事柄で老若男女さまざまな人と知り合うのだけど、
俺は童貞だしその手の話に耐性がないので口数が減ると
「女居ないとこでカッコつけんなよ笑」
「済まし顔してるけどムッツリだろ笑」
「実際のところ裏では楽しんでるくせにさ笑」
会話してると↑みたいな雰囲気をプンプン出してくる。
彼等からすると女っ気が無い男など死人も同然だ。
立場上絶対浮気できない人もAVや風俗等をこよなく愛している。
俺みたいな弱男からすると彼等にはなりたくてもなれないし、
ぶっちゃけなりたくもないよなというのが正直なところ。
どうやって他の男たちを出し抜いて女を獲得するかを常に考えて。
いや、心の底では憧れてるのかもしれない。知らんけど。
俺は弱男という最下層に甘んじてるんだなと自覚しつつある。
そら性欲はあるけどさ、たまにシコれば事足りてるもん。
なんていうか積んでるエンジンがまるで違う気がする。
俺等みたいな原付や軽自動車は逆立ちしても追い付けるはずがない。
筋トレすりゃいいのかな、よくわかんなくなってきた。
現実には人間には本能的にシャーデンフロイデというものが備わっている
個体での生存力が弱かった人類が、群れの統率を乱さないために備わった本能という説があるよ
だから、社会的成功者、権力や富を持つ者などが失敗すると面白がってしまうのは自然なことなんだ
万博やオリンピックの準備が上手くいかず政治家を馬鹿にして喜ぶのも同じ
松本人志が責められるのもそう
美人が殺されると週刊誌は3割増しで売れるそうだが、それも同じこと
その本能的な娯楽はよろしくないから自制しろ、といくらネットで求めたって、集団の行動が変わるとはどうしても思えないんだよね
それがダメなのは、理性的な人はもう理解しているのは当然だけど、そういうひとりひとりの意識だけで本能を封殺することなんて可能だと思う?
あり得なくない?
もっと実効的な策を考える方がよほどマシで、「お前ら今までの炎上から何を学んだんだ(俺だけは違う)」みたいな言説をいくら増やしたところで無力だよ
そういう記事に表向きの賛同はするけど、なんだかあまりに"ただ正しいだけ"で、絶対に非現実であろう提言をして満足してる人を見ると、かえって滑稽に思えてしまう
本当の意味で対策をするなら、エログロ画像投稿でSNSが凍結されるように、シャーデンフロイデ的な投稿をAIが感知すれば警告が出るようにするのもひとつだろう
映倫とかジャロみたいなところが、シャーデンフロイデを助長するようなスキャンダラスな報道をマスコミがした時に、是正勧告をする仕組みもひとつだろう
逆に言えば、人としての本能的娯楽から起きる言動に対しては、勧告と、破れば著しい不利益を与えない限り、改善することはあり得ないだろう
そろそろ、あの人を責めるな、犯人探しをやめろ、自殺に追い込んだのもお前らのせいだ、みたいな、バカみたいな正論イキリに飽き飽きしてきたわ
キミら本好きって設定でしょうよ。ベストセラーになったぞ
★AIちゃんによる要約★
実力も運のうち 能力主義は正義か?(The Tyranny of Merit)は、マイケル・サンデル教授が著したノンフィクションの本です。この本では、アメリカをはじめとする先進国で広まっている能力主義(meritocracy)という考え方が、どのようにして社会の分断や不平等を招き、共通善(common good)を損なっているかを分析しています。
能力主義とは、個人の才能や努力に応じて報酬や地位を与えるべきだという考え方です。能力主義は、公平で正義に基づいた社会を実現するための理想として、多くの人々に支持されています。しかし、サンデル教授は、能力主義が実際には、以下のような問題を引き起こしていると指摘しています。
- 能力主義は、成功者が自分の成功を自分の実力だけのおかげだと思い込み、失敗者が自分の失敗を自分の無能さだけのせいだと自己責任するようになる。これによって、成功者は傲慢になり、失敗者は屈辱に耐えることになる。
- 能力主義は、教育を公平な競争の場として捉え、高等教育を受けることを社会的な昇進の手段として見る。これによって、教育の本来の目的である知的な探求や道徳的な育成が失われ、教育の質が低下する。
- 能力主義は、高等教育を受けたエリート層が政治や経済の主導権を握り、自分たちの利益や価値観を押し付ける。これによって、高等教育を受けられなかった多くの人々が政治的に無視されたり、経済的に犠牲にされたりする。
サンデル教授は、能力主義の問題を具体的に示すために、2019年に発覚したアメリカの不正入試事件(college admission scandal)を取り上げています。この事件では、ハリウッドの有名女優や富裕層の親たちが、大学入試の試験を不正に受けたり、スポーツの推薦枠を買収したりして、子供たちを名門大学に入学させていました。この事件は、能力主義がもたらすエリートの傲慢さや不正行為、教育の不公平さや劣化、社会の不信感や不満を象徴するものだと、サンデル教授は述べています。
サンデル教授は、能力主義に代わる新しい社会のあり方を提案しています。それは、共通善の観点から、人々の才能や努力だけでなく、運や環境にも目を向けることです。サンデル教授は、人々が自分の成功や失敗に対して謙虚で寛容になり、教育が知的な喜びや道徳的な目的を取り戻し、政治が多様な声や利害を反映するようになることを期待しています。
長文読むのがなんらかの理由で困難な人なら、Amazonのオーディオブックのサブスクに『実力も運のうち 能力主義は正義か?(原題:The Tyranny of Merit)』があって
確か無料だったような気がするのでそれを聴こう
共通善というものを扱う性質上、キリスト教というか神学から入るが、興味がなければそこは斜め読みしても問題ない
でも、共通善は、『おかげさまで』、『いただきます』、『生かされている』、『八百万の神/付喪神』の宗教価値観を持つ日本人にとって馴染みやすいものだと思うぞ
DHHとは、David Heinemeier Hanssonの略で、彼はRuby on Railsの創設者として知られています。
彼の主張は、成功者の成功理由を学ぶことの重要性についてです。
しかし、あなたが指摘したように、これは「生存者バイアス」の問題を引き起こす可能性があります。
生存者バイアスとは、成功した例や生き残った事例だけを見て、それを全体の傾向やルールと誤解する傾向のことを指します。
つまり、成功者の戦略が必ずしも最善であるとは限らず、その戦略が成功した状況や条件も考慮する必要があります。
バイナリオプションの例を挙げると、運良く大儲けした人と同じことをすれば、必ずしも同じ結果が得られるわけではありません。
市場の状況、タイミング、リスク管理など、多くの要素が結果に影響を与えます。
そのため、成功者の戦略をそのまま模倣するだけでは、必ずしも成功につながるわけではないということです。
したがって、成功者の戦略を学ぶことは有益ですが、それだけに頼るのではなく、失敗したケースからも学び、自分自身の状況に合わせて戦略を調整することが重要です。
また、成功の再現性は確かに保証されていません。成功は努力だけでなく、タイミングや運など、コントロールできない要素も含まれています。
ボリューム世代だから選挙で世の中をひっくり返すこともできるのに
「虐待され捨てられたのに親に逆らえないDV児」みたいなんだよな
世の中を信用していない、無力感が強いせいで、世の中を変えることもできるのに気づいていないし、やらない
これが今の日本の40~50代だからね そりゃこうなるよなという
しかも少数の成功者は、幼少期に飢えた子供みたいに、かき集めたものを両手で囲って腹いっぱいでも誰にも分けない
ルサンチマンが強くて卑屈で公共性のないバケモノ世代を生み出して
氷河期世代が高齢者になったら、今度は下の世代に捨てられると思うし救いがない
そうならないように、今まだ数の力で社会を変えられる可能性はあるんだけど
難しいよな