はてなキーワード: 局所とは
たまに「賢い」とは何かを考える。
数学を教える仕事をしていると言えば「賢いんだね」と言われることもあるが、そんなことはないと常々思っている。
俺は歴史にも地理にも疎くて、日本にある城の名前なんかほとんど答えられないと思う。
それでも数学を教えられるのは俺が数学を"知っている"からに過ぎないのであって、知っていること自体をイコールで"賢い"とは思えないのだ。
例えば増田を知らない人に「俺は増田を知っている」と誇ったところでそれは賢いことにはならない。それはそもそも増田がそれほど高尚なものではないからというのはもとより、"賢さ"というものが「知っている/知らない」の二元論的なものではないと思うから。
"知っている=賢い"ならスマホが一番賢くなってしまうので、"賢さ"とは体系的に物事を理解し、自らのうちに落とし込めることであるとは思うのだけど…
それでも詰め込み式の授業を行い、体系的に理解するのではなく寧ろ局所的な暗記に近いもののほうが結局は高得点を得ることができ良い成績・良い評価をもらえる現状にもどかしさを感じている。
だからこそ言いたい。知っておいてもらいたい。
自分は頭が悪いから成績が上がらないと思い込んでいる人が居れば、それは間違いなのだと。
それは頭が悪いのではなく、単に"知らないだけ"なのだと。今の社会において評価されるのは「理解している人」ではなく「知っている人」ばかりであることを。
ウクライナ戦争がウクライナ優勢で進んでいる現在、戦争終結には次の可能性がある
プーチンは自発的に戦争を辞める気がなさそうなので、戦争終結の可能性が高いのが、最初にあげた核戦争だろう
陸続きの国は核攻撃を嫌がるかもだが、海を隔てたイギリスやアメリカは核攻撃をあまり気にしていないような気がする
ロシア在住アメリカ人に帰国を呼びかけたのも核戦争への布石に思える
なのでプーチンが局地的にせよ核を使用したら最後、NATOは核攻撃をするだろう
ロシア壊滅後、ロシアはモスクワ周辺のみになり、サンクトペテルブルク、シベリア、カスピ海周辺は独立し、カスピ海油田の利益でウクライナを復興させる
いわゆるロシア系住民は強制的にモスクワ国に集められヒャッハーな世界で生きていく
ロシア沿海州はシベリアとともに独立するが、ウラジオストックにはアメリカ軍の基地が置かれる
プーチンは自発的に戦争を辞める気がなさそうなので、戦争終結の可能性が高いのが、最初にあげた核戦争だろう
陸続きの国は核攻撃を嫌がるかもだが、海を隔てたイギリスやアメリカは核攻撃をあまり気にしていないような気がする
ロシア在住アメリカ人に帰国を呼びかけたのも核戦争への布石に思える
なのでプーチンが局地的にせよ核を使用したら最後、NATOは核攻撃をするだろう
ロシア壊滅後、ロシアはモスクワ周辺のみになり、サンクトペテルブルク、シベリア、カスピ海周辺は独立し、カスピ海油田の利益でウクライナを復興させる
いわゆるロシア系住民は強制的にモスクワ国に集められヒャッハーな世界で生きていく
ロシア沿海州はシベリアとともに独立するが、ウラジオストックにはアメリカ軍の基地が置かれる
少なからず人間関係があるとそこから何らかの情報が来ることはあるじゃん?
局所的な事でいえば供給元から直接取得することみたいな処女崇拝みたいなのが好みだということはあるとは思うよ
でもその人間関係から情報がくるのも含めて人ひとり分の人生ってことだと思うんよね
だってネタバレが嫌なのだったら人間関係を断ってほかの情報源を断てばいいことだよね
それを続けておいてなおかつネタバレというか一元的な情報に縋りたいってちょっと猟奇的な感じがするんだわ
個人的にはそう思うんだけど、それとは別にネタバレ嫌だって人は感想をほかの人には絶対いわないってことだよね?
そういうのってそんな程度の楽しみで十分な感じ?だれかと共有したくならない?
巷では、結婚することで安心や幸せが手に入ると勘違いした人たちがせっせと婚活に勤しんでいるが、本当に重要なのは「生きる活動=生活」だ。
生活は婚活よりも上位概念になり、婚活のような局所的な活動ではなく、より良い人生を手に入れるための活動になる。
婚活のような下位戦略に四苦八苦している人を多く見かけるが、まずは生活という上位戦略を策定することで満足に生きることのできる確率を高めることが可能。
婚活はあくまでも下位戦略であり、必要性、実行コストなど生活戦略から総合的に判断する必要があり、生活において絶対に必要なものではないといことを理解しておくべきだ。
聞き飽きたような表現だが、よい生活は十人十色なので、商業的価値観や社会的価値観に惑わされず、自分との対話を繰り返して必要なものを見定めなければならない。
見定めることはとても難しいもので、体験しないと分からないこともあり、多くの調査や賢い判断が必要で、時には無謀に戦いを挑み傷つくことも必要だ。
生きることは辛く厳しいものなので、しつこく獰猛で頑丈な思考が必要だが、最後に満足した生活だったと思えるように健闘を祈りこれを記す。
元々、清和会≒勝共連合≒統一教会≒日本会議≒壺応援団の源流は、大東亜戦争の戦犯で国民を皆殺しにしても戦争を終わらせたくなかった連中なんだよ。
あいつらは、もう一度大東亜戦争みたいな日本強いぞ侵略戦争を起こしたいんだよ。そのために親米路線をとってるんだ。アメリカ相手に戦争しかけた連中がだよ?わかるかい?この節操のなさ。
反共といいつつ、北朝鮮やロシアと仲良くしてる様子とそっくりじゃないか。
大東亜戦争が、局所で馬鹿としか思えない戦略&戦術をとったのはもう有名だろ?
つまり、馬鹿で基地外で恥知らずなのは100年前からずっとそうなんだよ。
ここで噴き上がってる絵師()とかには絶対通じないとは思うけど(俺の言葉が足りないのもある)、根本的には認識論的な不可能性に制約されると思うね。
機械学習に使う教師ラベル(自己教師学習の損失関数の定義でも何でもいいけど)自体は本質的に定義不能な部分がある。量子力学が局所実在で理解できないみたいな感じで、「何を認識できるのか」は物理的統計的なモデルを仮定することによってしか議論できない。ラベルをいかに作るかについても同じことが起こる。
それは外部的に与えることはできなくてスタンスを取るしかないんだよね。その取り方は一意でないから必ずバリエーションが残る。von Neumann-Morgensternみたいな話。そのバリエーションが残り、しかも時間変化するというところが仕事の源泉になると思う。
絵の仕事も同じことなんだが、なんかかっこいい絵/かわいい絵を描けばいいと思ってるくらいの木端のイラストレーターは認識が大雑把すぎて変動しない部分だけで仕事をしちゃうから一旦データから学習されたら終わるという話。
「ゲームを長時間する子供ほど成績が悪い」って話題の統計資料、
「SNSを触る時間が長いほど成績が悪い」というデータが出ているが、よく見ると「携帯電話やスマホを持っていない人は、ほとんど触らない人に比べて成績が悪い」
これ、もしかして親の所得格差か?ってなってるhttps://t.co/srDiAG0doI pic.twitter.com/YA0oB3dMyf— ところてん (@tokoroten) August 12, 2022
マシュマロテストなんじゃなくて、ほかのコンテンツを与えられるかどうかの差なのかなと思った。
親に教育に対して時間でもお金でも投資をする意欲があるなら、スマホ以外の娯楽もそれなりに与えられそうだと思う。
つまり、結局所得格差を示しているに過ぎないという話なんだけどさ。
これを見た俺の予想は 「ガチのお金無い層 (スマホすら与えられない) < 教育投資無い層 (スマホで育児) < 教育投資あり層 (スマホ以外のコンテンツも充実)」なんだ。
教育投資あり層はそれ以外のコンテンツをやらせ、寝る時間も制御するから、結果的にスマホの時間が減る。
スマホに育児をさせるのがかつて問題になったが、その延長線上にいる子たちはスマホを何時間でも見続けるのが当たり前の生活で、親もそれに何の疑問も抱いていないだろうから当然やるべきことをやる時間を削ってそれに充てていても何の文句も言われない。結果、学校での成績は振るわないだろうなって思った。
もちろん、所得が少なくても例えば図書館で読むなどの人的投資が可能なら成績は悪くなさそうだが、所得が低いと結果労働時間が増えるからそういう時間投資は無理だろうなと思う。親はいつも疲れていて、子供の相手をできないとなると、スマホを見せて親が楽をするというのは基本で、そのスタンスでいけば子供の成績は振るわない。
ポアンカレ予想のくだりで出て来ることがある「もし地球を真っすぐ進んで元の場所まで戻って来れたら、地球は丸いと言えるはずだ」という話。
まあ、これは分かる。
そして、真っすぐ進んでかつ元の場所に戻ってくるという事態を「一周する」という表現に丸め込むことができる。
そのうえで、宇宙も一周して紐を回収できたら宇宙は丸いと言えるはずだ、とはどういうことなのかが分からない。
「真っすぐ進んで元の場所に戻ってこれた」という時点で、その形は球体でも円環形でもありえず、もしそのような形の内部で真っすぐ進めば、どんなに広大だろうが球体や円環型の端っこを貫いてしまうだけだろう。
ところで地球表面における真っすぐ進むという行為は、「表面に沿って進む」時点である意味で真っすぐ進んでいないわけであるが、これは暗黙の了解として真っすぐ進むの要件に含まれていないことは理解できる。
表面に沿って進んでいること自体が真っすぐ進むに反しているという事実は横に置いて置き、とりあえずコンパスの特定の方位を指し示す方向へひたすら真っすぐ進むということが「真っすぐ進む」という概念に対するここでの解釈なのだろう。
そういうわけなので、たとえば円環型の平面では紐を回収できないということに対する反例として、特定の方位を維持して進むでもなく、一度も円環の穴の部分を取り囲むようにしても進まないという場合、すなわちごく局所的に円を描くように一周する場合であっても、地球という規模が広大なために真っすぐ進んで一周したと錯覚し得る状態(表面自体が曲がっているのをそう感じないこと自体が地球のスケール故の話なわけだが)にあり、この場合であれば紐の回収もできてしまうが、これは表面に沿って曲がっているという事実以外にも真っすぐとは言えない要素があるため反例たりえないということなのだろう。
雑な画像
https://i.imgur.com/h7HuI7Q.png
そのうえで、まず宇宙を真っすぐ進むとはどういうことなのかが分からないというわけだ。
宇宙は三次元なので「表面に沿って」なんていう除外事由は使えない。普通に考えて真っすぐ進むとは真っすぐ進むということだろう。
宇宙を一周ということを理解するにあたっては、ます三次元において真っすぐ進むとはどういうことなのか、再検討しなければならない。直進がゲシュタルト崩壊するわ。
もし宇宙を一周した、としても、結局二次元におけるイカサマ事例のように、途中で曲がっていることに気付けず元の場所に戻って来たのを一周したと勘違いしたことになるだけではないのか。
『独身の40代、50代は孤独に耐えられるか?「メンタルが歳と共にすり減る」「漏れなく狂う」等の悲観論に「楽しく暮らしてる人もいる」と反論も』
https://togetter.com/li/1922294
これ、初手で「よほど才能があるとか実家が太いとかでジジババになっても人が寄ってきたりしない限りは」という例外をちゃんと儲けているのに
それに対して「自分の周りでは」という局所例を出して反論してくる人の多さに驚く
日本の社会保障制度やありとあらゆる制度が家族単位・夫婦単位で作られているんだから(もっとも日本に限った話ではないと思うが)
全員がそうだとは言ってない。あくまで全体的な傾向の話だよ。
あと、こういう話題になると必ずといっていいほど「女は上手くやってるけれど男は…」という流れになって、独身女性の孤独や不安は存在しない事にされるね。
女性の方がおしなべて収入が低く、既婚率も男性よりも高く、結婚したら家庭重視になって独身時代の友達を見捨てる率も高いのになんでそういう理屈になるんだろう?
本当に独身女性はみんな楽しくやってるの?見ようとしていないだけじゃない?
私はお金のない孤独な独身女性って、あまりにも惨め過ぎて引きこもっているからそう易々と表に出られないだけじゃないかと思う。少なくとも自分はそうだし毎日泣き暮らしているよ。
そういう貧困独身中高年女性の存在を透明化して、明るく前向きな独身女性しか存在しない事にしてくるって
『漏れなく狂う』と言われるよりもよっぽど嫌だな。
2022-07-24
太陽を壊すわけではない
ありがとうございます!これで誤解が解けました!天才!!
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
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シアトルのオンライン新聞については、The SunBreakを参照してください。
イギリスのこの雲の隙間から射し込む太陽光は、サンブレイクの一例である。
サンブレイクとは、比較的広い範囲で遮蔽されている太陽光が、局所的な空間で遮蔽物を透過する自然現象である。雲の切れ間から太陽光が差し込むのが典型的な例である。雲を突き抜けた太陽光は、通常、大気中の塵や水分に反射して可視光線となり、サンビームと呼ばれる。また、周囲の大きな建物で影になっている場所に、一時的に太陽の位置に合わせた隙間から太陽光が差し込むことも「サンブレイク」と呼ばれる。
語源はパシフィック・ノースウエスト英語とする説もある[1]。
芸術分野
漫画家や映画監督などの芸術家は、神や嵐の後退による土地の保護や救済を表現するために、しばしばsunbreakを用いる。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220714/k10013717581000.html
↑
今日の東京の感染者数1万6662人。この段階になってまだ西〇先生みたいな統計屋をあがめて、ワクチンを打ちたがるような人が沢山いて私は驚愕してるよ。
逆ですよ?逆。打てば打つほど感染してるし、君たちの体の免疫力は低下してるの。
君たちを見てるとワクチンを打ってから、何も調べず学ばずに疑わずに生きてきたのが良く分かるよ。でも残念。今回ばかりは完全な薬害です。君たちの長期的な寿命すら削ってる可能性高い。
君たちはね。「Sタンパクの武漢型抗体」といった型落ちの変異の早い局所的な抗体のタメに、何度も何度もワクチンを打ってるのが現実なんだよ。しかも、そのワクチンだって打ち続ければ感染増強抗体との結合を強めて、コロナウイルスを排除するのではなく逆に受け入れるような現象を誘発する。これが、かつてデング熱で問題になった抗体依存性感染増強(ADE)だ。
最悪なことに今、日本で抗体依存性感染増強(ADE)が起きてると示唆する学者が増えてる。
抗体依存性感染増強(ADE)が起きてるかどうかの明確な判定は、長い長い調査時間が必要だから今は断言できる人はいない。西〇先生をはじめ、ワクチン推進派はワクチンを打て打てと煽り続けているわけだが、ワクチンを打つのも限度があるってことは、ウイルス学者の間では常識的な話でもあるわけだよ。
変異の早いコロナウイルスのようなモノは弱毒化を待つ以外、ほとんど道は無い。今回のBA.4/BA.5のようにワクチンの大規模接種によって、選択圧を与えて逆に免疫回避型に変異する可能性もある。あるいは一旦動物に感染して、強毒化の道を歩み完全に手のつけられないウイルスに変異する可能性もある。ワクチンの大規模接種、ワクチンの短期間での連続接種にもリスクがあることは極めて常識的な話なんだよ。
いい加減、思考停止してワクチンでなんとかなると思ってる人は調べるべきだ。ハッキリ言って、3回目の接種がギリギリのラインだと思う。これ以降は君達の体に、どうゆう影響が出るのか全くの未知の世界だ。
ちなみに、今は元首相の鳩山友紀夫さんすらワクチンの問題性について言及し始めた。政治界隈のワクチン事情では、自民党や一部の有力政治家の間で、「ワクチンは打つな」といったメモが出回っていて、それが原因で政治家の特に自民党政治家のワクチン接種率が低いなんて噂もあったくらいだ。しかし、ここにきて元首相の鳩山友紀夫が言及し始めた。本来なら黙っていた方が無難な人生なのにね。完全に潮目が変わっている証拠でもあると私は思う。
https://twitter.com/hatoyamayukio/status/1547125398882119680
この議論には相互性がない。あなたと同じように、相手のほうも相手でメインルーチンを走らせており、時にあなたを含む他者をサブルーチン的に利用しているのだから。
つまり、あなた側の視点だけで関わり合いのある他者を機能的に命名してしまうと、あなたというドメイン内での局所的な命名のような命名が、同時に動作しているメインルーチン数だけ存在することになり、命名管理のコストが爆発する(というか、事実上、できない)。他者(あなたにとってのサブルーチン)が、あなたが定めた局所的な命名規則によって呼び出されることを保証できないのなら、それはプログラム的な意味での「呼び出し名」として成立していない。
よって、一意性がある命名を用いて、どのようなドメインからでもおおむね目的のサブルーチンの呼び出しを可能にしていることには、合理性がある。増田のような視点で言えば、会社の役職である「総務課長」や「営業主任」などは、相手が司る機能性に着目した命名とも言えるが、そうした役職は同時に複数存在しうるので、個別のインスタンスを指定して呼び出すには、やはり一意性がある命名を利用することが合理的だ。
また、他者の「機能」は自分との関係で変化する。機能が変わるごとにサブルーチンとしての他者の呼び方を変更することは、両者がドメイン(たとえば家庭)を共有している場合は低コストで可能だが(たとえば子供ができたあとに互いを「パパ・ママ」呼びするなど)、そうでない場合は、機能が変わるたびに命名を変えるのは、メインルーチン側から見ても合理的でない。
人間が他者との相互通信のコストを最小化するには、「他者を機能で命名して、変更があった場合は頭の中でテーブルを書き換える」より、「お互いにユニークに定められたマシン名を直接叩く」ほうがよいのだ。
他人のことを「経理の人」「困ったときに頼る人」みたいに認識してしまうため、他人の名前が覚えられなくて困っている。
(職場では、相手の首にかかる職員証を視線動かさずに見ることで、何とか対応してる。)
というか、そもそも論だが、なんで他人には、私が把握する概念(or機能)に即した名称が付いていないのだろう。
例えば、あの「○○さん」は、本当の名前が「経理の人」だったら、私が個体を認識するのに、なんて便利なことだろう。
まあ、そんなことが無いのは当たり前だとわかってはいるんだが。
しかし、そんな(私にとって)機能的でない名前なんて辞めればいいのに、改名すればいいのに、
と、毎日親切にしてもらったりしながらも、心の中ではこっそり腹立だしく思ってたりする。
だって、自分の中のプロトコルとして、他人だってプログラムのように、概念や機能が認識できるような名称であった方がいい。
他人なんて、私自身というメインルーチンに対するサブルーチンであって、概念や機能を把握しやすい名称が付いていた方が私にはわかりやすい。
私にとって異質な名称(=その人本来の名前)だと、いちいちその他人というサブルーチンの機能を確認しないと、
このサブルーチンって何だっけ?どれを使えばいいんだっけ?となって時間がかかる。
つまりは、私にとっては「経理の人」という機能のサブルーチンなのに、
なんで、「○○さん」とかいう意味不明なルーチン名になってるの?みたいな感じの謎を毎日感じてしまっている。
そう、他人の名前というのはまさにプログラム内の名称と同じなのだ。
他人の名前も、サブルーチンとしての機能的に適切な名前であるべきなのだ。
サブルーチンのメリットは、そのルーチン内の雑多で長いコードをマスクすることに意義があるのに、
その機能をいちいち確認しないと使えないなんて、まさに本末転倒。
それは、私というメインルーチンを走らせながらも改修する日常の大きな妨げにもなる。
まあ、普通の人は頻出のサブルーチン(=他人)なら、自然と名前を覚えていくんだろうけどね。
あーあ。私はそれもできないんだよ。
(追記)
うお。なんかトラバ超増えてる。
『からかい上手の高木さん』方式で覚えるしかない
二つ名をつけるといいんじゃない
「稟議のヤマダ」
なるほど。これいいね。やってみる。(本当に口に出してしまいそうだけど。)
つまり、あなた側の視点だけで関わり合いのある他者を機能的に命名してしまうと、あなたというドメイン内での局所的な命名のような命名が、同時に動作しているメインルーチン数だけ存在することになり、命名管理のコストが爆発する(というか、事実上、できない)。
それはたしかに。
それなら、メインルーチン(個人)ごとに、局所的命名と本当の人名とのリストを持っておき、
個人的命名を呼べば本当の人名に自動翻訳される機能があればいいのに、とか思った。
(プログラムに直接通信先を書くのを避けて疎結合にする時みたいなイメージ)
あと、機能が変化するごとに名称が変更されるのも、個人的には(呼びたいように呼ぶ感じで)別に構わないんだけど、相手はまあ、普通に戸惑うんだろな。
あとは、トラバにあるカースト制の話とか、ブコメの「ベイカーベイカーパラドックス」っていう言葉とか、知見が増えて嬉しいです。