たまに「賢い」とは何かを考える。
数学を教える仕事をしていると言えば「賢いんだね」と言われることもあるが、そんなことはないと常々思っている。
俺は歴史にも地理にも疎くて、日本にある城の名前なんかほとんど答えられないと思う。
それでも数学を教えられるのは俺が数学を"知っている"からに過ぎないのであって、知っていること自体をイコールで"賢い"とは思えないのだ。
例えば増田を知らない人に「俺は増田を知っている」と誇ったところでそれは賢いことにはならない。それはそもそも増田がそれほど高尚なものではないからというのはもとより、"賢さ"というものが「知っている/知らない」の二元論的なものではないと思うから。
"知っている=賢い"ならスマホが一番賢くなってしまうので、"賢さ"とは体系的に物事を理解し、自らのうちに落とし込めることであるとは思うのだけど…
それでも詰め込み式の授業を行い、体系的に理解するのではなく寧ろ局所的な暗記に近いもののほうが結局は高得点を得ることができ良い成績・良い評価をもらえる現状にもどかしさを感じている。
だからこそ言いたい。知っておいてもらいたい。
自分は頭が悪いから成績が上がらないと思い込んでいる人が居れば、それは間違いなのだと。
それは頭が悪いのではなく、単に"知らないだけ"なのだと。今の社会において評価されるのは「理解している人」ではなく「知っている人」ばかりであることを。
それな。 結局塾講師にできることなんて、生きてて勝手に更新する解説動画として、ノウハウとか知識を詰め込むことだけだ。 本当に賢い子供にすること、ってのは、放っておい...