はてなキーワード: 妙齢とは
御徒町のスタバの彼女は自分が今きっとベロンベロンだと知らない
ちょうど今徒歩1分の距離の立呑居酒屋で1810円(ホッピーセット+中3回、鯖の塩焼き、チャシュー、納豆オムレツ)でベロンベロンに酔っ払った客が来たと、多分いま自分が来たと知らない
その居酒屋では自分の両サイドに、妙齢のカップルがたち、左はすでに客が増え始めた店主に「おすすめは?」と聞いて「本マグロ」と答えられ、連れの女性から「本マグロのどの部位」と聞かれていた。
右の客は、常連なのか席に着くやドバーッと注文をつけ、スタッフの女性を混乱させたものの、混雑の中で混乱はいつの間にか当たり前の混乱となって、誰も気づかない。
日曜日の正午も回らぬうちにバイトを終わらせ、一仕事を終わらせた充実感を担保に飲むお酒はたまらなく、とはいえ積み上がった本業の仕事を忘れるために飲んだお酒の効果はてきめんで、うむ、このまま全てをうっちゃって、現実から逃避行をする意味で、これから静岡に行ってサウナに入りたいのだけれど、理性的な自分がきっととめるし、これは現実にはかなわない。
いいのだ、これが休日。好きなように好きなことを許された時間なのだから、はれほろひれはれー
うむ、酒は美味しい。味がどうこうではなく、この時間を楽しむことこそ、酒の価値。思考。
あばばばばばあば、こみっくがーるず、面白かったのにそこまで盛り上がらんなぁー
ウマ娘も非常に良かったけれど、こみがじゃないと埋められない穴もあるよなと思うだけに残念。CHAOS先生現世に降臨せよ
素に戻り始めたので終わりにしますん
おっさんずラブとかの影響なのか知らないけど、LGBTについて言及されてる機会はかなり増えたと思う。
ただ、LGBTは性愛が前提となっていて、「あらゆる性別は恋をして幸せになる権利がある!」みたいな雰囲気がある。
私は彼らを応援することができるけれど、彼らと同じ悩みや喜びをもつ仲間では無い。LGBTに当てはめるなら、全部違います。私は女性・ヘテロです。
最近、Aセクシャルという単語を目にすることが多くて、Aセクシャル;恋愛感情・性的欲求を抱かない人 みたいな定義をされているらしい。
後、「デミセクシャル」というやつ。これは、あちこちで説明されてるからさらっと書くのですが
「非常に親密になった人にのみ、恋愛感情や性的欲求を抱く」人 とのことです。
定義を読んでから、「当たり前じゃねえか」とも正直思った。知らない人に恋愛感情も性的欲求も無くない!? みたいな。
でもこれがぴったり自分に当てはまっている。一応Aセクとか性嫌悪も疑ったこともある。
でも私腐女子だしガンガン推しのエロ妄想ツイッターに書くからそれは無いかなって。
少し不思議なのは、自分自身と性愛が結び付くと途端に気味が悪い。私は俳優とかバンドマンとか大好きで、それぞれ芝居や舞台を楽しむし、対象は全部男性です。演技(演奏)と外見の雰囲気に魅力を感じて居て、そういう人と話をして居るだけで、「ああ素敵な人だなあ」と幸せになる。
ただ、イコール恋をして居るのか? と聞かれると「いいえ全く」という返答しかできない。だからワンチャン狙おうとか一ミリも思わない。
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ただ、最近容姿性格が完璧(佐々木希の容貌レベル)でなくても恋人はできることを知った。
だから「私も完全な美貌と人徳じゃなくても、相手を愛して尊重する気持ちが通じ合えたら、恋人ができるのかもしれない」と気づいて3年くらい経った。
あと究極、私で妥協してくれる人となんとなく付き合うこともできたのかもしれない。
ただそこまでに深く知り合える異性に出会うことができなかった。多分私が、自分を深く知ってもらうことを拒否して居る。
それが生育環境だったり、今抱えて居る疾患のせいなのかは不明。
今まで理想が高すぎるのかと思って居ました。あまりに理想の人を求めるがあまり、「あの人も嫌だ」「この人も嫌だ」みたいになってしまう。
あるいは自分が「恋をするに足る容姿性格ではない」という理由で恋愛性愛自体を拒否してしまったり。
でも拒否するということは、「付き合って欲しい、けど無理」ということから始まるだろう。でもそれが無い。
最初の動機の「この人と付き合いたい!好きだ!」という気持ちが無い。なんなら実は恋したことが無い。
だから最近恋愛感情・性的欲求が人よりすごく少ないのではないかと悩むようになった。
学生時代から周囲に親しい異性がいたし、彼らを好ましく思って居る。けれどそこから恋愛に発展するイメージが全く湧かない。
彼らにしてみれば側に居るだけで「こいつと付き合うなら」って思われるのは迷惑千万なんだろうけど、どこにも明かさないロールプレイとして許してもらおう。
24歳くらいまでは、「いつかできるかな!」みたいな楽観視で、それは多分「妙齢になったら恋人ができる」という思い込みが原因。
今は「彼氏欲しい」と言ってみるけど、それって多分「自分を受け入れてくれる親しい人が欲しい」っていう理由に近くて、恋愛と、付随してセックスがしたいわけではないのではないかと思い始めた。後「この歳になって無い歴イコール年齢かつ処女なのはまずいのではないか」という世間体をきにする気持ち。ただそれだけで、何か恋愛性愛を求めていた訳ではなかったのでは無いかと思い始めて、そういえば思春期からずっとそうじゃんと思い始め、調べて出てきたのが「デミセクシャル」だった。この定義を見て正直言って救われた。「ああ、だから私には恋が無いのか」という。
「恋したい〜」というのはマジで切実な悩みで、それは全くしたことがないから。25過ぎて恋が無いのはやばいという気持ちがあった。でも、「デミセクシャル」に自分を当てはめたら、「なんだ当たり前なのか!」って楽になった。
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悩ましいのが、ただのブスがモテなさすぎて「そもそもジェンダーが違ったのでは?」と言い始めたのではないかとおもわれるのではないかということ。
5chでもAセクでテレビ出演した人が、美女では無いという理由で「モテない言い訳に聞こえるからやめてほしい」という意見があって、
「ああやっぱり容姿に恵まれないの人はそう言われるのか」と悲しくなってしまった。正直私もその疑いは持って居る。
拗らせすぎて「そもそも異性も同性も愛することができないのでは?」と疑うことで、彼氏できないことを正当化して居るのではないか。
なんだかんだで「好き!!」と思うひとがいたらその人を手に入れようと頑張るのかもしれない。その悩みにどうしても答えが出せなくて、今はとりあえず性自認としてデミセクシャルかクエスチョニングにしておこうと思った。LGBTじゃ無くても、ジェンダーって色々あるんだなと思った。
Aセク・Dセクのシンボルとして中指に黒い指輪をはめることがあるそうです。
とりあえず身につけて見て、私が何者なのかということを私自身が疑問に思うきっかけとして持っていたい。
最近、FBでそういう告知文をトップに貼り出す知人がたくさんいる。
そんなこと、言わなくたって当たり前じゃないかと思うんだけれども。
以前は、ちょっと有名な人とかがそうしてたのはあったのだけど、最近のやつは妙齢なるご婦人がそういう告知をしていることが多い。
ぼくとしてはそう言うことをしなければならないほどの問題を抱えたことがないのでなんとも言えないのだが、そういう人たちのFBでは一体何が起きているんだろう。日々セクハラアカウントに追いかけ回されてるとか?
あと、メッセージを添えることと要求するアカウントも最近多いですね。メッセージを添えて送ると、メッセージリクエストだけ承認して肝心の友達リクエストが放置されることがあって、説明するの面倒なので放置している事例がいくつかあって、要するに、そういう人にリクエスト送るのは面倒。
別に、ぼく自身はそんな面倒な人にわざわざお友達になってくださいなんていうことはあり得ないので、単に遠のきつつあるFBへの歩調がいよいよ鈍くなるだけなのだけど。
女性向けジャンルで同人活動しているのだが先日のイベントで困った事が起こった。
頒布をしていると一組の親子らしき二人が私のスペースにやってきた、妙齢の女性と高校生くらいの若い女の子だった。
女の子は母親に後ろからこそこそと支持をして私の頒布物を指さしていた、しばらくすると母親がこれとこれを下さいと言ってきた。
これは明らかにおかしいと思った、何故なら私の頒布物は全て18禁だからである。
恐らく読むのは娘のほうで母親は代理で買っていると瞬時に判断したので「こちらは18歳未満の方には頒布出来ません」と断ると母親は困惑し隣の娘は不機嫌な顔になってその場を去っていった。
(母親が娘に支配されている様子で親子関係が若干気になったし恐かった)
こんな買い方をする人に初めて遭遇したけれど次回からも同じ断り方で大丈夫だろうか、あの子が高校生ならあと数年で自分で買えるのだから18歳になったらまた来てね。
以前から応援していた芸術家がTwitterなどと同じIDではてなブックマークをやっていて、Twitterなどで触れないことにもブコメつけたりして面白いなーと思って見ていた。でもだんだんブコメの内容が男女差別的なものやネトウヨ的なものが多くなっていって本当にがっかりしている。
がっかりしているブコメの内容も「まぁこういう意見もあるよね」って思うレベルのものばかりで、その芸術家がどういう活動しててどういう作品を作ってきたかを知らなくて、はてなのひとりのユーザーとしか見ていなければほぼなんの引っかかりもないようなものなんだけれど、学生のころから彼女の作品が好きで応援していた自分としてはこんな稚拙な考え方や差別的な考え方をする人だったのか…と幻滅してしまった。
特に独身女性に対するヘイトがすごいことがとても嫌だった。彼女はサブカル好きな女子から好かれる人で、実際に彼女のファンの中には結婚していない妙齢の女性も多い。Twitterやブログなどでは一切そんなことを言わないのに、はてブなぞでコソコソ嫌味を言っているのを見ると本当に嫌な人間なんだなあと思う。
姉はイケメンだ。かなりぶっとんでるし、ちょっとどうかと思うような行動に走ったりもするけど、総じてイケメン。性格は姉妹で正反対。私は人見知りで、基本的にいつもおどおどしている。今までいろんな局面で何度も姉に助けられてきた。そんな姉への感謝の気持ちを綴りたい。
うちは母が早く亡くなってる。私が5才になる年に喉頭癌でこの世を去った。姉は私より11才上で、私が小学校に入った年にはすでに高校生だった。
そんな姉が、私の入学式に母の代わりとして参加してくれたのだ。その時のスーツ姿がとても素敵だった。人指し指に緑色の翡翠の指輪をはめていて、それは母の形見だと教えてくれた。入学式の時の写真を見返すと、やはり姉は保護者の中で一人だけ幼げに見える。
姉は高校ではかなり目立っていた。たまに雑誌にも出てた。エルティーンという十代向けのファッション誌で、モデルみたいなことをしてた。私はまだ小学校に入りたてで、そんな姉を芸能人だと思い込んでいた。そのうちテレビにも出るんだと思ってた。その予想はのちに別の形で実現するんだけど、その話はあとに回そう。
姉はふだんはあまりエルティーンを読ませてくれなかった。小学生にはふさわしくないエロい特集が多かったのだ。そんな雑誌にちょくちょく載る姉の姿に、私は幼いながら、妖しい憧れのような感情を抱いていた。
父は土建業を営んでいたが、この頃には経営が苦しくなっていた。それまではずっと絶好調で、姉は何の疑いもなく「うちは金持ちだ」と信じ切っていたらしい。でもそんな幸福な時代はあっけなく終り、父は一気に萎れてしまった。母に先立たれて、経営も傾き、悲嘆にくれる日々。父がお酒に溺れ始めたのはこの頃だ。それでも父は姉を私立の大学に入れた。娘の教育は疎かにしない、それは母の遺言でもあったそうだ。
当時、私がまだ9才の時。姉が私をあるイベントに連れて行ってくれた。姉の大学の友達の中に、ひとりだけ9才の私が混ざるという、かなり無茶な形だった。野外で開催されるテクノパーティ。でもそんな詳細はすべてあとから知ったことで、当時は右も左もわからないまま、姉に連れられて、ただついて行った。そこはまさにカオスな空間だった。広大な森林のいたるところで人々が踊り狂っていた。真夜中にトランス状態で踊り狂っている大勢の大人たち。あの光景が私の音楽の原体験になってしまったのは、なんかちょっとまずい気もしている。
夜、私は姉と並んで芝生に寝転んだ。遠くではドンドンという無機質なテクノのビートが鳴っていた。私と姉はふたりで夜空の星を眺めながら話した。その時に姉がとつぜん言ったのだ。
「ママはもういないけど、私がお姉ちゃんとお母さんの両方をやるから」
後年、姉にこの話をしたら「そんなくさいドラマみたいセリフ言うわけない」と全否定した。でも私は完全に覚えている。ありがとう。あの言葉にどれだけ支えられたかわからない。
三つ目は、話自体がかなりぶっとんでる。
私が中2の時、父の会社が潰れた。全てを整理しなければならなくなり、家族は家も失った。私たちはアパートに引っ越した。父はもはやアル中の一歩手前みたいになっていた。
姉はすでに大学を卒業していたが、就職はしていなかった。なんと、カリスマキャバ嬢になっていたのだ。当時の某歓楽街ではかなり有名な存在で、テレビの取材も受けていた(冒頭に書いたテレビ出演の話はこれのことだ。ちなみに姉はこの後にもまた別の形でテレビに出るのだが・・・)。姉は客に媚びないSっぽいキャバ嬢という設定で、何度か深夜番組に出ていた。それはけっこうサマになっていた。
姉は家では父にハッパをかけ、とりあえず一労働者に戻って建築現場で働くことを勧めた。父は最初は経営者という立場にこだわり、かたくなに拒んでいたが、やがてしぶしぶ従った。
ここから急展開が訪れた。カリスマキャバ嬢としてのブームが一段落して、父もどうにか社会復帰できたというタイミングで、姉がいきなり海外に留学してしまったのだ。なぜこのタイミング?と思ったけど、どうも男絡みのようだった。色恋沙汰なら、もう誰が何を言っても無駄だ。姉の留学先はコスタリカだった。
姉は私に銀行のカードを託した。「本当にやばくなったらこのお金を使いなさい」と姉は言った。さらにもう一点、「絶対に父には秘密にすること」姉はそれだけ私に言い残して、さっさと異国へ旅立ってしまった。当時、私はまだ中2だった。おいおい、母親の代わりをするって話は?
預金は600万円だった。コンビニのATMで残高を見た時、足が震えた。私はこわくなって、すぐにカードを机の引き出しにしまい、鍵をかけた。それは中2の私に背負える額ではなかった。
そのまま中3になり、受験の時期を迎えた。姉がいなくなってからというもの、家の中はめっきり暗くなっていた。父は働いてはいるものの、お酒の量がどんどん増えていた。親子の会話もほとんどなくなっていた。学校でも、私の家が落ちぶれたという噂がうっすらと広まっていて、なんとも言えない惨めな気分だった。姉の600万だけが心の支えだった。まだ大丈夫、うちにはこれがある、そう言い聞かせながら日々を送っていた。とかいいながら、カードからお金を引き出す勇気なんてまるでなかった。私は根っからの小心者なのだ。大金を前にして、完全に怖気づいていた。どうしても心細くなって、ひとりで布団をかぶって泣く日もあった。勉強にも身が入らず、だんだん授業がちんぷんかんぷんになっていった。高校に受かる気がしなかった。この時期は私の人生でいちばん苦しかった頃かもしれない。
そんなときに、姉が帰ってきた。まるで私の危機を察するみたいに。姉は予告もなく、いきなり家に現れた。あの時、姉を見た瞬間、私の全身にぐわーっと広がった強烈な安堵感が忘れられない。自分がいかに姉を頼りにして生きているのか、骨身に染みて分かった。
姉のコスタリカでの日々は、それだけで一冊のルポルタージュが書けるぐらい強烈だった。でも私がここに書くのはちょっと無理だ。筆力が足りなすぎる。姉はコスタリカで日本人の恋人と暮らしていたのだが、やがてその男と別れて、現地でスペイン人と付き合うことになった。交際から数日後に、ふたりでパナマに小旅行に行ったら、国境を渡るバスから彼がいきなり逃亡してしまった。理由はわからない。ともかく姉は一人にされてしまった。それから姉は執拗な警察の取り調べを受けたりしつつ、どうにか事なきを得て、家に帰りついた。後日、彼が麻薬組織の幹部だということが発覚した。姉はそんなこと何も知らなかった。彼がなぜ逃げたのか、どこに逃げたのか、全てが謎に包まれていた。
そういう話が他にもたくさんあるんだけど、とても書ききれない。とりあえず姉は無事に日本に帰ってきた。そしてコスタリカでのエキサイティングな日々を迫力満点に語ってくれた。私はなんだか自分の悩みがバカらしくなってきた。受験が不安だとか、ほんとに小さなことって気がしてきた。姉に相談したら「勉強しろ」と言われた。2秒で話が終わってしまった。銀行のカードをいちども使わなかったと言ったら「あんたらしいね」と笑った。姉が相変わらず人差し指に翡翠の指輪をしていたので、私は「お母さんの指輪だ」と言った。姉はそっけなく「あれウソだよ」と言った。「蛍火の墓を見て、適当にでっちあげた」「マジで!?」「うん」私は脱力した。
それから受験勉強に身をいれて、私は無事に第一志望の高校に受かった。姉は父の酒浸り生活も、きびしくたしなめた。父は何だかんだ言いながら、姉には従う。酒の量を控えるようになり、少しずつ生気を取り戻していった。やがて昔の仲間と一緒に、また小さな会社を発足させた。最近は土建以外にも手を広げて、高齢に鞭打ちながら、建物管理の資格の勉強なんかをしている。
姉はコスタリカで築いた人脈を駆使して、某国の大使館でアルバイトをするようになり、そこで能力を見込まれて、正規の職員になった。大使館について詳しく知っているわけではないけれど、私は漠然と「超エリートの仕事」だと思っていた。姉のイメージとはどうしても結びつかなかった。最初に聞いた時は、女スパイが組織に潜入しているような姿が頭に浮かんでしまった。
姉の最後のテレビ出演は、この大使館がバラエティ番組の取材を受けたときだった。姉は有名な芸人さんにおいしくいじられていた。姉は完全にキャラ変して、シャイで生真面目な妙齢の職員を演じていた。「あなた、かなりの箱入り娘でしょ。男性経験も少なそうだな」芸人さんがそんなようなことを言って、姉をからかっていた。姉は恥ずかしそうに両手で顔を隠した。『かわいぃ~』みたいなテロップが入った。いやいやいや、と私は全力でテレビに向かってつっこんでしまった。
そんな姉も、長く勤めた大使館をやめて、今はスペインバルのオーナー兼マネージャーとしてバリバリ働いている。ほんとはここにお店のサイトのリンクを貼って、微力ながら宣伝したいんだけど、それをするには姉の許可を得なくちゃいけない(というか、こんなの宣伝にならないか)。
ちなみに私は普通に高校を出て、短大を出て、今はOLだ。ほんとに波風のない人生。何から何まで姉とは対照的だ。そのうち私にも、めくるめく冒険の日々が訪れるのだろうか。
結局、姉への感謝はたくさんありすぎて、とてもここには書ききれない。何でこんなことを書こうと思ったかというと、このあいだ何気なく実家で昔のアルバムをめくっていたら、幼い頃の姉の写真を見つけたから。3才ぐらいで、まだ私が生まれる前。姉は母の腕に抱かれていた。泣き出す直前みたいな、絶妙な仏頂面。姉を抱く母の人差し指には、緑色の翡翠の指輪が光っていた。なんだ、やっぱり形見じゃん。本当だったんだ。きっと照れくさかったんだろう。いかにも姉らしいと思い、うれしくなってしまった。それで姉への気持ちをまとめてみようと思ったんだけど、うまくまとまらなかった。無理もない、姉自身がまとまってないんだから。
働き方改革推進を掲げているとある会社のある部署が、日平均労働時間の昨年比1時間削減と、平均退社時間の40分前倒しを達成した。
しかし、昨年からいた社員の激務状態はほとんど改善されていない。皆朝は8時には出社していて、22時くらいまでは居残っている。
ではどうやって数値を改善したかというと、実は「時短勤務社員」を何人か入れていたことが分かった。
9時出社、15時退社、残業ゼロの人を何人か採用して、ほっといても数値が改善できるようにしたのだ。
時短勤務社員の労働時間を会社全体の数値計算に組み入れることで、平均労働時間と平均退社時間の大幅改善を実現。
時短勤務社員に与えられる仕事は、書類印刷などの雑用が中心。時短なのでそれしか与えられない。居ないよりは良いが、という程度。