はてなキーワード: 墓石とは
高価な墓石を建てるより 安くても生きてる方がすばらしい
どういう形状をしているのか考えたことはあるだろうか。
「フラグをたてる」とは、どういう形状の物体が、どういう状態になるのか、
みんなのイメージはなんだろう。
というのも今日、ネットを見ていて「フラグが建った」という記述を見て驚いたんだ。
自分は勝手にフラグって旗とか棒みたいな細長い形状のものだと思ってて、(というか数字の1のイメージだな)フラグは「立つ」、地面に突き立てるイメージがあったからだ。
自分が思っているよりもっと質量があって、立体的だったのか、フラグ…
やっぱり木でできてて細長いものなんだよ。
……いやまて、墓石サイズなら行けるのか?手で折る想定じゃないのか?
分からなくなってきた。
仕事→飽きた
セックス→飽きた
酒→やめた、飽きた
人付き合い→本を読み漁って努力した時期もあったけど自分は雑談や人にさほど興味がないと気付く
結婚→(上の過程で自分は明確に他人に興味ないということが分かってしまったので)どうでもいい
出産→退屈凌ぎでやるレベルのことではない(コスパ的にも道徳的にも肉体的にも)
ファッション→中国通販を知ってからユニクロすら高級に思うようになった
メイク/コスメ→ 美人のプチプラ>>(越えられない壁)>>ブスの諭吉と理解してからこだることをやめた
美容全般→50万のエステより5万のプチ整形と理解してから馬鹿らしくなった
趣味だった映画鑑賞→劇場の没入体験は魅力だがサブスク見放題(月額1000円ちょっと)を知ると一回1900円の娯楽は自分には分不相応だと思った。以来足が遠のく
趣味だった観劇→最前列から見切れ同然の席まで同額とかありえんだろと思った時点から純粋に楽しめなくなった(というかコロナ禍で行かなくても平気だったと気付く)
趣味だったひとり旅→観光客向けのぼったくり店があまりに多くて萎えた、飽きた。(国内のどこも然程景色は変わらないと知ってしまったことも理由)
アウトドア・スポーツ→目的が人付き合いではないのでどれも何回か経験したら単純に飽きた
食→健康志向にこだわるのも飽きた。ただ現代人は食い過ぎだという話はごもっともだと思う
SNS→人の食った飯などどうでもいい
YouTube→上に同じ、教養系は見るが同じ内容が多くて飽きつつある
健康管理→できる範囲の努力はするがそれでも人の致死率は100%だと思うと虚無を感じる
こいつ生きててつまらなそうだなと思われそうだけど実際つまらない。ハマると猿のように夢中になってここまで生きてきたのでこれまではある程度楽しかったのだけど、なんかもう全てに飽きてしまった。
人生は暇つぶしというけれど、これから何で暇をつぶせばいいんだろう。
スポーツ(観戦)→人に興味がないのでどうでもいい、他人の祭り
ギャンブル→一通り経験したがなにがおもろいのかわからなかった、時間と金の無駄という思いが強い
宝くじ→上に同じ
習い事→体系的に知識や専門技術を学ぶ場所ではないと理解してやめた。習い事って『教室』という名前を借りた社交場なんだと気付く、それを求める人たちの集まり(なんでそんなに人は人と交流したいんだろう)
家庭菜園→プロの栽培する大葉の方がずっと美味しいと気付き飽きる
自炊→ある程度できるようになり飽きた
創作→上に同じ、やればやるほど才能の限界を知り飽きる、おそらく承認欲求も薄いので他人に評価される喜びもあまり感じない
宗教→説法にはテンプレがあると高級時計を腕にはめた寺の息子に酒の席で聞いてからこんなもんかと思った。親の葬儀を仕切ったことで本格的に冷めた(布施の内訳を知りたい)。自分は戒名も墓石もいらない、できれば海洋散骨がいい。(八百万の神という概念の懐の深さは気に入っている、だから宗教は一応神道と答えるようにしている。新興宗教にハマる理由がわからない)
人の悩みを聞く→具体的な解決策を提示するなり行動し解決に導く人より、相手の気持ちを肯定し寄り添うポーズを取る人に対して人間は感謝すると知ってから馬鹿らしくなった、なにそれ怖いとすら思う
はてな及びSNSの炎上に参加→人に興味がないのでどうでもいい
人に興味がないことが全ての原因なのかもしれない。どうすればいいんだろう
サブスクじゃあかんのか→Netflixも見るが劇場通いが好きだったから少し趣旨がちがう
投資→ 生活防衛資金以外をインデックスに入れてるから基本やることない、投機に興味なし(マネーリテラシーの勉強はした)
子供/ペット→ どちらかと言えば反出生寄りなので命を自身の成長や暇潰しの目的にする感覚はちと理解に苦しむ。とはいえ子供も動物も好きなので寄付はしたい、将来マインドが変われば養子も大いにありだとは思うし、自分が死んでも世話をしてくれる人間がいるならペットもあり
小説→上手くはないが書ける、上と同じ
整形→した、飽きた、やめ時肝心
アナル開発→男だったら確実にやってた、らんまみたいにお湯をかぶったら男になりたい
俺が悦びを教えてやんよ→たのむわ
倒幕に立ち上がれ→すき
亡き前妻は、それで逝ってしまった→かなしいね、月並みだが奥様の分まで生きてくれ
通院/病気→大病経験済、以来肝が座ってしまった、鬱じゃないよ多分
転職→労働者から労働者にシフトするなら海外移住か起業(後者は向いていない気もする)
出家→前述の通り
ストリップ劇場→楽しそう、行きたい
歌舞伎→一幕見は経験済、コロナが落ち着いたら花道横を体験したい(大向を生で聞いた時は感動した)
「試しにやってみたけど何が面白いのかわからなかった」では? →ギャンブルや不倫はこれにあたるね
ただの三日坊主→経験値0と1は全く違う、三日坊主自体は悪いことじゃない、忘れていたような知識や経験が思わぬところで役立つこともある(Tedのマルチ・ポテンシャライトの概念は救われた)ただ今は三日坊主にすらなれないという話
プロと比較するから悪い→とはいえ餅は餅屋という分野はある、経験した上での見極は大事(香り高い大葉を作るプロ農家はすごい、私にはむりだ)
素人がプロに勝る唯一の武器が時間と愛だろが!→そうだよな、お前みたいな人が近くにいてほしい、すき
お遍路→やりたい
エクストリームアイロニング→なにこれおもろすぎる、やりたい
たくさん釣れてよかったね→前半に下ネタと不倫を書いたら皆読んでくれるかなとは思った(事実だし)にしても伸びすぎだよね
友達いなそう→ははは
捨てるならその命くれ→やだ
■※お礼
哲学やれ2→ 反出生主義を抱えながら脱出するにはどうしたらいいか、というスタンスもあると知った。個人的にこれは考える価値のあるテーマだと思った。あと飽きかけていたYouTubeの教養ジャンルに哲学史が増えたよ、ありがとう
海が山に行け→車飛ばして海眺めてきた、癒
映画館通い再開した方がいい→見る予定のなかったエヴァ行ってきた、(にわかの癖に)綾波の村暮らしやゲンドウの独白が今の自分に刺さりまくってボロッボロ泣いた、映画はいいねリリンが生み出した文化の極みだよ
海外行け→とりあえずTOEICの試験申込むときめたコスパ主義の欠点を生かして受験料を取り返すために勉強に励む(そうしないと飽きるので)
あの日はマジで空っぽになって書き殴ったけど、想像以上に多くの視点から意見が聞けた、ネガティブなコメント含め感謝してる
とりあえずまだ学べることもやれることはあんるだと分かった、ありがとう。
飽きることに飽きたました、人間の致死率は100%なので死ぬまで自分の祭りを楽しもうと思います
こんどこそ終わり
さあ、墓石の下じゃね?
これから書くことは、すべて本当のことです。
嘘をつく人が嫌いでした。しかしながら、人間だれしも嘘をつく生き物でありましたから、僕は億劫でなりませんでした。この世界には、いったいどれほどの嘘があるというのでしょうか。それとも、嘘というものは、人間が人間である以上、離れることのできない、いわば、足枷のようなものではないのか、などと考え、毎晩、眠ろうとも眠れぬ気持ちに駆られて、それから、戸棚の天板を外し、隠していた薬を口に運んで、それでようやく眠れる、というような生活を続けていたのでした。困窮した作家というのは、概してそのような生活をする生き物なのです。
知り合いの大塚くんが、わざわざ電車とタクシーを乗り継いで、東京の郊外にある小さな学生向けのアパートの一室にやって来て、金が無くなった、3万でいいから貸してくれ。貸してくれなければ、僕は明日にでも死んでしまうだろう、というのです。分かりきった嘘でありました。ははん、きっと彼は僕の弱さに付け込んで、競馬か、あるいはパチンコの軍資金を手に入れようとしているに違いない。僕はそう踏んで、やれ、お前のような人間に貸す金は、一円だって無い、と突っぱねました。しかし、大塚は酷くやつれた顔に、今にも死にそうな、それこそ、病床に伏した末期がんの患者のような姿で、半分泣きながら、僕にそれをねだるのでした。僕には、それを断る勇気がありませんでしたが、しかし、彼のそれを嘘であると見抜く自分の目が、また自分に嘘をついているのではないか、という疑念に駆られて、ひどく怖くなるのでした。
とうとう、僕は彼に金を貸す決意をしたのでした。いいえ、正確には、彼の求めた額の、ほんの数分の一でしかありませんでしたが(何しろ、このときの自分も、金には困っていたのです)、しかし僕は、その、天性のだまされやすさ、とでも言うべきか、はたまた、お人よしとでも言うべきものに従って、彼にそれだけの金を、預けたのでした。そうして、しまいには、雨の降る寒空の東京に、感謝の言葉……それも、見え透いた嘘でした…を口にしながら、いそいそと出ていこうとする彼を見て、僕は彼に、
といって、小さくお礼の言葉を繰り返しながら、彼の背中が消えていくのを見送る始末なのでした。
そんな小さな嘘をつく日々が、やがて行きつけの喫茶店のツケの催促状となって、僕の生活を、ゆっくりと侵食し始めたのは、今年の夏になってからのことでした。ちょうど、大陸産の……はて、確かなんとかという、新種のウイルスだったと覚えています……が、巷の人々の生活を、ゆっくりと変えていくのと同じくして、僕の生活も変わっていきました。
まずは、ある風俗嬢の話をしましょう。僕が住んでいる町は、決して良い場所ではありません。いや、僕の住むアパートの窓から、きれいな太平洋の姿が見えることを除けば、とても人が住む場所とは言えないのです。人気のない、寂れた街。住んでいるのは老人ばかりで、皆、学生運動の時代の人々です。僕のような若い人は、確かに住んでいるのもいますが、しかし、数は、とても少ないでしょう。そんな場所で、僕はもう3年も住んでいます。住めば都、とはよく言ったものですが、あれがもし日本の都であるというならば、この国は、もうおしまいです。
そんな街にも、歓楽街はあるのでした。僕はそこにある風俗店の、とある嬢と関係があって、それも、お金を払わずとも会ってくれるような、いわゆる「セックスフレンド」というやつでした。髪の毛を長く伸ばした、雅な彼女は、僕のことを襲っては、あなたとならどこまでも行きたい、というので、僕は困っていたのでした。僕からすれば、自分の欲求を満たせさえすれば、他のことはどうでもよいのでした。それに、彼女もきっと、自らの境遇を少しでも良くするために、僕にすり寄っていたのです……いや、しかし、作家と生活するというのは、彼女の生活よりも、はるかに地獄らしい地獄であることは、言うまでも無いでしょう。
浮浪者の数、それが増えたという些細な事実に神経が過敏に反応したのは、その彼女が、ひどくやつれた顔で、いつもは情熱的な行為も半ばに、半分泣きながら、僕の方によりかかってきた時だったのです。
「どうした?」
彼女は、僕に抱き寄りました。乳はそれほど大きくありませんでしたが、悲しくありました。華奢な体が、いつの間にか、皮膚と骨だけのようになっていました。寒かったので、リモコンで暖房をつけました。部屋は暗く、ぼんやりとしていました。
「仕事……無くなりました」
「お金か?なら僕が」
「いいえ、いりません」
貧乏な人。
僕はその言葉に、ただぽかんと、宙を見つめることしかできませんでした。
「そうか…」僕はそう言って、立ち上がろうとしましたが、彼女が僕の男根を触ってきたので、そのまま動かないようにしました。
彼女は、一流でした。芸術家でした。きっと、マネも、ゴーギャンも、彼女を見たら、モデルにしたいと思うでしょう。僕は彼女のなすがままに、身を任せました。気が付けば、僕の横で、彼女が倒れているのです。そう、一流の芸術は、それを見ているときには、芸術とは思えないものなのです。すべてが終わった後になって、それがそうだったと気が付いて、それで、唐突に称えるものなのです。
だから僕は、称えようなどとは思いませんでした。同時に、彼女を貶めようとも思いませんでした。ただ、せめて何かの助けにならないかと、思ったのです。僕は、彼女が一流の芸術家であることは知っていたのです。僕は、隣で静かに眠る彼女を起こさないように体を持ち上げると、枕元に、なけなしの現金を添えて、着替えをして部屋を出ていきました。ホテルの受付で、彼女がまだ寝ていることを告げ、足早に去りました。
寒い朝でした。僕の心も、冷たく冷え切っていました。口から吐く息が白く濁って、真っ白な東京に溶けていきました。きっと、その息の中に、僕の魂も溶けているのでしょう。あと何十万回と息を繰り返せば、僕はやがて倒れてしまうのでしょう。そんなことを思いながら、僕は行きつけの喫茶店へ向かいました。毎朝、彼女と寝た日の翌日には、その店で一杯のコーヒーを飲んで、焼き立ての目玉焼きを食べるのが習慣でした。
もともと、払う金もなかったのだそうです。部屋で、薬を飲んで死んでいたのでした。ベッドの上で。僕は、そう、きっとあの時、僕が目覚めた時には、彼女は部屋で、既に死人となっていたのでしょう。「この世で最も重いものは、もう愛していない女の体である」という言葉は、案外的を射ているのかもしれません。実際、彼女の体は、ひどく重かったのです。あんなに華奢で、弱弱しかったのに、です。
彼女の体重は僕が最後に彼女の…生きている彼女…つまり、生き生きとしているという意味での…彼女に会ったときよりも、20キロも痩せていました。彼女の住んでいる安アパートの大家さんも、同じことを言っていました。僕が作家であると言って、なけなしの三流小説のいくつかを持っていくと、取材とのことであれば、と言って大家さんは僕を家に上げてくれました。初老の女性でした。しわの多い、低い声の、優しそうな老婆でした。
「過食症ですよ、ご存じですか」
「いいえ、まったく」嘘。この春、僕もなったばかりでした。
「食べては吐くのです。精神的な病です。この前、私のところで、彼女のために飯を作ってやったのです。彼女は一人で、5人前も食べましたが、その後すぐに、全部吐き出しました。きっと、胃袋の中身は空っぽなのでしょう。私はそれを全部ふいてやって、それから、今日は遅いから早く寝なさい、と言いました。彼女も、いくらかそれを理解したようで、その日は早く眠りました。えぇ、目の色が、死んでいましたよ。あぁ言う人は、良くこのアパートを借りるんです。きっと、そうして、死ぬのです。ここは、自殺の名所なんです。あの樹海なんかよりも、ずっとね」
いつの間にか、僕は老婆の話に聞き入っていました。滅びゆく人間の話を聞くのが、好きだったのです。枯れていく花を見つめるのを、趣味としていた僕にとって、それは当然でありました。
「ほかにも、死んだ人が?」
「いますよ。伝染病が流行ってから、もう3人目です。みんな孤独ですから、私が代わりに葬式に立ち会っているのです」
一人は、サラリーマンでした。職を失って、いわゆる、リモートワークというやつになったのだそうです。画面越しに仕事をしているうちに、あぁ、彼は、自分が、他人に見られない場所にいられることに安堵したのだ。そうして、ふと、見られないならば、死んでもいいと思ったに違いない。アパートの二階で、首を吊ったらしい。大家の話によれば、彼の部屋に入ると、糞尿を垂らしていたという。きっと、すべてをあきらめた死刑囚と同じ気持ちだったに違いない。
もう一人は、哀れ、まだ若い女子大生。彼女は、部屋のドアノブにひもを括り付けて、死んだそうです。生気を失った人というのは、ちょうどゴム人形のようなのだとのことでした。体液で、部屋の床が変色するのです。皮膚は、とても冷たい、冷たい。彼女の遺言は、ただ一行だけで、それ以外には、何もなかったといいます。
寂しい
この一行に、どれだけの言葉がないまぜになっているのか、きっと君ならわかってくれるはずです。僕も、同じことを、何度思ったのか分かりません。
彼女は、卒業を間近に控えていました。卒業論文を書けば、良かったのです。しかし、彼女は、家庭の都合から、泣く泣く大学を辞めたのだといいます。僕とは大違いです。たくさんの猶予をもらった、モラトリアムな人間とは大違いです。彼女はまじめで、多くの人に悲しまれたといいます。それも一度だって彼女のことを見たことのない人も。
特に、テレビの報道はひどいものだったといいます。僕は、もうずいぶん長いこと、テレビなんて言うものは、俗悪で、卑猥なものと一蹴して、見てもいませんでしたから、そんなニュースを知りもしませんでした。彼女の死は、政権批判のタネにされたのでしょう。大家も、今の政治はだめだ、と漏らしていました。その言葉を聞いて、僕は悲しくなりました。
一人の死です。これほどまでに、あっさりと、人が死ぬのです。
僕は、大家に礼を言って、その帰りに、例の少女の墓を聞きました。近くの霊園にありました。立派な墓だったのです。きっと、僕は死んでも、こんな立派な墓は立ててもらえないでしょう。立ててもらえるとしても、僕は断るつもりです。
雨が降っていました。カエルが、一匹、彼女の墓石にできた水たまりで、ゲコゲコと鳴いていました。名前は、よく見えませんでした。僕も泣いていたのです。帰り際に、僕は一輪の花を見ました。何の花かは覚えていません。でも、とても、寂しいことだけは、覚えています。
*
949。
この数字が、何を表すのかは、ご想像にお任せします。きっと、僕のこの文章を読んだ人の多くが、ピンと来るはずです。だって、あんなに毛嫌いしていたテレビが嫌でもついていて、そうして、毎日のように流れてくれば、誰だって敏感になるのですから。
僕は狭い6畳のアパートにいます。学生向けの小さなアパートです。大の大人が、借りているのです。近所の人はみんな、学生です。
若い人というのは元気です。今日は、お隣の音楽学校の生徒が、バイト先の人たちと、ちょっとした遊びをしに行くのだといいます。僕がそれを知っているのは、アパートの部屋の壁が、とても薄いからです。前は、男と女の、汚い喘ぎ声が聞こえて、僕はいつも、すぐに部屋を飛び出して、近くの銭湯へ行き、用もないのに、やれ、世間話に花を咲かせる老人たちと、碁を打ったりしたのです。ですが、ここのところは、彼女たちの電話する声しか、聞こえてきません。あるいは、その、例の「リモート授業」とでも言うべきものを、受けているのでしょうか。
コロナ禍において[判読不能]、あるいは、私たちは自覚を持つべきです。若者が[判読不能]なことをしているために・・私たちが悪い…また今度。
そんな内容のことを、表では言いながら、例の、「遊び」には、行くのです。きっとこう書いて、そう、君、この文章をネット上で見つけた下世話な君は、ここだけを切り取って、「若者の乱れた考えが云々」という、お決まりの文句を言うのでしょう。僕がこう言っても、きっとそういうに違いない。お好きにしてください。僕は何もしませんし、それも見ませんから。
大人には、彼らの気持ちが分かるはずありません。きっとあなたは、この文章を読んで、そんな気持ち、皆同じだ。お前だけ特別なことのように語るな。それに、何だこの下手糞な文章は。お前は、太宰治にでもなったつもりか、というでしょう。
みんなと同じ。
そうです。その通りです。僕は、みんなと同じです。みんなと同じく、孤独なのです。きっと、あの病院で遅くまで働いているナースの彼女も、同じです。きっと、街中へ出て、夜まで飲んでから帰る政治家も同じです。みんな孤独なのです。孤独だから、寂しいから、みんな、死んでいくのです。
みんな同じなのです。みんな同じ気持ちなのです。ですから、みんな同じなのです。
なんとか、なる。
そう書いた作家もおりました。みんな同じです。
みんなで耐えましょう。みんなで耐えれば、良くなります。今こそ、農村地帯の、あの共同で助け合う気持ちが、大切なのです。みんな、そういいます。
僕の故郷では、旅人が殺されたそうですよ。バレないように、死体は埋めたそうです。ドラム缶でよく燃やしてから、埋めたそうです。みんな同じです。
僕は作家です。ですから、僕は今、目の前で起きたり、耳で聞いたりしていることしか、書いていません。それ以外のことは、妄想は、一行だって書いていません。僕の知り合いが、首を吊りました。僕の知り合いが、電車に飛び込みました。もうすぐ、始まります。みんな、合掌しながら飛び込むのです。こんな世界に、何の希望があるというのでしょうか。
みんな「またいつか」と言って、去りました。そのいつかに、用があるのに。そのいつか、は、もうやってこないのに。
いつか、という言葉は、とても面白いのです。いつ、という疑問の言葉に、か、という呼びかけを付けるだけで、日本人は、未来を指せます。そして、いまでないどこか、今でないどこかに、この「現在」から伸びる直線上に、架空の点を置いて、それを呼ぶのです。ひもを引っ張り続ければ、必ず訪れる、「いつか」をです。
でも、これを英語で言うと、とたんに「See you again」という言葉になって、変わります。「またお会いしましょう」というのが、直訳です。また、というのは、いつのことなのでしょうか。僕には、わかりません。
経験は、僕と未来の僕の間に、差を作ります。もしも僕が生きていたとすれば、そこにいる僕は「彼は昔の彼ならず」という言葉通りになります。何か大きな災害が起きて、僕は死んでいるかもしれません。何か、特別なことがあって、僕は生きているかもしれません。
それでも、あなたは、大人という生き物は「みんなと同じだ、我慢しろ」というのですか。
僕はそんなこといいません。「僕も同じです」といって、そばにいます。
それが、今の僕が吐くことのできる、精いっぱいの嘘です。
前回の日記 → 結婚して妻の姓になり7年がたった
僕は前回が初増田だったのですが、予想以上にバズってびっくりしてます。今見たらトラバもまたすごいブコメ数だし……。
生天目(ナバタメ)家の長男だった増田は靏岡(ツルオカ)姓の女性と結婚し、増田の方が名字を変えてツルオカになりました。養子縁組はまだなので、純粋に名字だけです。例によって固有名詞は全て仮名です。
今回は前回の続編と言えばそうですが、名字やら手続きマニアとは関係ないつまらない話です。こういう他でできない自分語りができるのが増田の醍醐味ですよね? 使い方あってる?
なんやかんやあってその後母も亡くなりました(父はこの10年以上前に他界)。これはその時起きたエピソード。父が死んだ時には茫然自失で何も記憶がない僕ですが、母が死んだ時にもやはりだいぶ参っていたようで、以下の話は後から聞いて知ったのでした。
通夜の席でのことです。母は近隣の八木(ヤギ)家の出身でしたのでその場にはヤギ家の面々が勢揃い。遠方のナバタメ家はちらほら。妻のツルオカ家はもっと遠方でしたのでその時には妻以外おりません。そこでナバタメ家のミキコ叔母さん(父のすぐ下の妹。長女)が発言したのです。
「ショウコさん(僕の母)はナバタメのお墓に入るのだけど、私の代はともかく、息子の代になってもお墓がきちんと管理できるかわからないの。だからしばらくしたらキョウイチ兄さん(僕の父)共々別にお墓を作って移って欲しいわね」
その場で僕は生来の暢気な気質からなのかあるいは精神が参ってどうでもよくなっていたのか「へえ。それは大変ですね。そうしましょう」と答えたのです。
しかしこれにはヤギ家の面々が激昂。「ふざけるな!葬式前から墓を出ろとはなんという言い草だ!」いやあ、これはもっともですね。ミキコ叔母さんも流石に空気が読めなさすぎです。
ナバタメ家は結構大きく、正月には一族の女性が作ったおせちを大広間で食べ、子供たちは当主である祖父から順にお屠蘇とお年玉ををもらうような家でした。僕の父は当主である祖父の長男だったのです。でもなぜか父は家を出て若くして死に、祖父が死んだ時には僕は母に相続放棄をさせられました。何があったんでしょうね? 母はナバタメ家に隔意を抱いていたみたいだし、僕の改姓にあんなに反対しなくっても、ねえ?
さて、その通夜の場は無事に終わった(らしい)のですが、結局お墓は移ることになりました。とはいえ、昨今そんな簡単に墓地は買えませんし、墓石を建てるお金もありません。
ここで非常に運が良かったのは、ナバタメ家とヤギ家のそれぞれの菩提寺、大妙寺と寂光寺は宗派が同じであることでした。寂光寺にはヤギ家の納骨堂があり、そこに骨壷を移すことを両寺の和尚様に了承していただけたのです。
大妙寺の和尚様の立会いでナバタメ家の墓から父と母の骨壷を取り出しました。墓石の下部には蓋のついた空間があり、そこに骨壷を入れることができるのです。知ってました? 僕はてっきりスコップで土から掘り出すのかと思ってましたよ。
そして骨壷を抱えて母の地元にある寂光寺に向かいました。人生経験豊富なはてなー諸氏におかれましても、両親の骨壺を持って旅をした人はなかなかおりますまい。割れたらえらいことになりますからね。緊張しました。
この後も納骨堂追い出され未遂やら遺産相続争いなどの面白イベントがあるのですがそれはまた別稿に譲りましょう。最終的には、数年後にナバタメの叔父から連絡があり、この問題は解決しました。
「ミキコ姉さんがそんなことを言ったのだとは知らなかった(叔父は通夜の席におりませんでした)。ナバタメ家の墓はこれを機に姉さんではなく自分が管理するようにしたから問題ない。もしそちらが望むなら、キョウイチ兄さんもショウコさんも戻ってきて構わないよ。」
一体姉弟間で何があったんでしょうね? 僕はあんなこと言われましたが、ミキコ叔母さんのことはさっぱりして好きなんですよね。空気の読めないところとか僕も似てますし。まあ母はそういうところが苦手だったんだろうな、とは思いますが。
骨壺どうしましょうかね? とりあえず、いざというときに行き場がないということだけは避けられたようです。よかったよかった。