はてなキーワード: 国粋主義とは
原発に反対する人がいる。なんでかんでも気に入らなものを児童ポルノ扱いにする人がいる。自分が使っていないLINEを悪者にして安心する人がいる。授業でプログラミングを教えるべきだという人がいる。若者は起業するべきだという人がいる。アベノミクスを批判する人がいる。国粋主義への傾倒を批判する人がいる。
そして、そういうことを言う人たちはみな、俺より金を持っている。俺のような底辺の労働者はそんな金にならないことに避ける生活資源は持ち合わせていない。奴らに言わせれば「だから金がないんだ」と言われるだろうが、しったことか。ああいう子を言う連中はみな自己愛が強い。その言葉の端々から「私は正しい。なぜなら金を持っているからだ」と強烈な自己愛を振りまいている。そういうムラの中で発言をしていればいいものを、誰におだてられたのか、もっと金を儲けるためなのかはしらないが、ムラの外の俺にまで届く声で叫び始めるのだから始末に悪い。
俺は底辺のSI屋だ。終電で帰れればいいほうで、会社のそばのすき家で飯を食って、さらにとなりのマンガ喫茶で始発を待って帰る。そのあと定時に出社する。もう何年とそんな暮らしだ。一日中エクセルと打ち合わせと電話とメールばっかりで、SI屋なのか判らなくなる。残業も正確に申請すると産業医面談指示がくるならまだしも、どうして稼働が高いのか聞いてくる上司、長期間にわたって改善されないと自分の評価に傷がつく上司がこっちの話を聞きもせず「改善しろ」と抽象的な指示だけ出す。これだけ働いて手取りは32万だ。年収は460万。冒頭の連中の半分もあったら嬉しく思う。
金は(お前の)命より重い。冒頭の連中はそうかまびすしい。私はもっと金が欲しい、だからお前らは犠牲になれ。そういってるようにしか聞こえない。俺と奴らとどこでこうにも差がついたのだろう。起点のベクトルのごくごく僅少の差が時間推移とともに拡大していき、有意になったのだろう。奴らみたいになりたいわけじゃない。ただ今の状況から抜け出したい。しかし、俺はもう本当に抜け出したいと思っているのか自分でもわからない。残念ながら人はなんにだって慣れる。耐えられる。いつのまにか惰性になる。この暮らしだっていつのまにか慣れた。安い給料も慣れた。クソみたいな社会も慣れた。どうしようもなく慣れた。そして、慣れるとは、期待しなくなることだ。
そうやって終わる。
選挙もあっていろんなサイトにネトウヨが主張を書き散らしてたけど、彼らの意見ってよくよく考えてみると右翼的じゃなくないか?
Wikipedia にあるように、僕が思う右翼って保守的で愛国心があって国粋主義的な人ってイメージなんだ。
でも国粋主義を主張するわりには、伝統文化を壊しかねない外資誘致やTPP参画を積極的に進める自民党や安部首相を礼賛するし、
社会制度の改革や憲法改正にも乗り気でとりわけ保守的ってわけでもない。
愛国心は認めるけど、それが本当に今の日本を愛しているのかすごく疑問でもある。なーんか日本のイメージが宙に浮いてるというか、
非現実的な印象を受けるんだ。よく口角泡を飛ばして主張する在日問題にしたって、昔から日本は中韓と人や文化の交流があったんだから
多少なりとも在日がいるのは当然だし、問題の解決は必要にしてもそれが本来の日本の姿だよね。
そういった清濁を併せ呑まず、自分の頭のなかに描いた「ぼくのかんがえたせかいさいきょうさいこうのニッポン」を夢想してて、
それと現実とを比較してできた幻の「キタナイ日本」を救おうとあれこれ主張しているのかな、と見えてしまう。
知識人からは「自意識やアイデンティティの拡大を愛国心に求める孤独な人達」だの散々言われてるけど、当人たちはきっと
そんな風には思ってないよね。だとしたら、彼らはどんな主張をもとに右翼を自称しているんだろう。
口が悪い人が多いからあんまりお近づきにはなりたくないけど、当人たちがそこら辺をどう思っているかだけはすごく気になっている。
うーん。
この文章は、例えば【総選挙2014】首相が「どの論点を避けているか」にも目を向けてみる(山崎雅弘)に深く共感するものの、一方で民主党支持者としての執行部のアベノミクス批判への愚痴な感じでアベノミクス(というかインフレターゲットおよびその手段としての金融緩和政策への支持)は有効であると判断してて、じゃあ選挙で何処に投票すんだよ!って人向けにウダウダ書いてみる。
取り敢えず選挙での行動(比例と総選挙区の違いを言うとややこしくなるんで、自民を選択するか非自民を選択するかで分ける)と、選挙後の経済状況が改善/悪貨した場合について利得行列を作ってみる。
選挙での行動/その後の景気 | 自民へ投票(安倍支持) | その他へ投票(安倍不支持) |
---|---|---|
景気が改善した場合 | △「ま、アベノミクスは成功したな。でもやっぱ安倍の思想は否定されるべきなんじゃね?」 | △「アベノミクスの結果はどうあれ、安倍の思想は否定されるべきだ。」 |
景気が後退した場合 | ×「やっぱアベノミクスは駄目な上に、思想風土まで悪化しちまった。完全敗北orz」 | ○「やっぱアベノミクスは駄目な上に、思想風土まで悪化しちまった。やっぱ不支持は正しかった」 |
今回の選挙で自公が(あるいは自民単独でも)多数派となることはもう確定しているという前提で、内心での勝ち負けだけを評価した。あと、勝ち負けってのは完全に個人の主観なんで各自で置き換えてもらいたい。この勝ち負け基準を他者に押し付ける気は無いし、押し付けられるべきではない。
あと、「アベノミクス成功・失敗」ではなく「景気が改善・後退」ってなってるのは、まあ国内の金融政策だけではどうにも成らないイベント(上海市場が暴落したりロシアあたりで景気底抜けになって世界恐慌再びとか)も有るしなーという意図。個人的にはやっぱ金融緩和策取ったほうが上手く行く可能性ははるかに大きくなると判断してるけど、サイコロは振ってみないと結果が分からん。
とりあえずゲーム理論っぽく考えた場合、「絶対損しない」選択は「その他へ投票(安倍不支持)」に成るわけだ。ただしこれは上で書いたように「俺が選挙で一票入れようが入れまいが自民が勝ってアベノミクスが実行される」ってのが大前提。仮に同じような事を考える人が予想外に大きくて、アベノミクス実行できないような結果になった場合には「景気が後退した場合」となる可能性が高くなり、生活に跳ね返ってくる。あとまあ、排外主義なり国粋主義なりが国家レベルでエクストリームに暴走するのは(1930年代の日独あたりのように)経済状況が絶望的な場合であって、経済状況が悪化する事で「安倍以上に安倍的なナニモノか」が出現するんじゃ無いかなーという危惧もある。
そうなると、経済状況が良くなる可能性を少しでも高めるために、(内心の勝ち負けでいうと負けである事はともかく)自民へ投票した方が良いんじゃ無いかという気がする。
ここまで考えた事をまとめると
という頭を抱えたく成るようなどうしよもない選択を強いられる事に気づいた。
はじめに書いておくと、これは全て妄想であって全く根拠が無いし、単なる中二病と思ってもらって構わない。
公安や外務省は当然諜報活動を行っているとして、少なくとももう一つ日本には隠された巨大な諜報機関がある。
それは表面上は国家機関からは独立しているにもかかわらず国家権力と密接に結びついており、独自の財源を有し、日本全国に多くの支部を持っている。
それは排外的組織であるかかわらず問題にならず、国粋主義的であっても容認され、住民情報を有していても誰も問題にしない。
それは目に見えない組織ではなく、むしろ日本人ならば多くの人が当然のように慣れ親しんでいる組織であるが、にもかかわらずその内側について知る人はほとんどいない。
キリスト教など西洋型宗教は人は神の子であると考え、また祖先を崇拝した延長線上に神がある。
一方、東洋型の神道などでは、神は人間とは別の階層に存在すると考える。
我々がID論など西洋型の宗教観を理解しようとしても、無意識のうちにこのような隔絶を前提としていると、うまく消化できない。
これらの国では国粋主義を叫ぶことが流行しているが、その旗振り役に居るのは西洋型の一神教的価値観の持ち主達である。
彼らが「伝統」を口にしてもどこか空しいのは、彼らがそもそも東洋的な宗教観や価値体系を持っていないためだ。
アフリカへの奴隷制、中東への「ぬれぎぬ侵攻」、そして東京・広島・長崎に代表される、人を人とも思わぬ、計画的で悲惨な国際法違反行為、同じ価値観を持った西洋人同士でも果たして行ったのだろうか。
彼ら西洋人の価値観が、我々の伝統を軽んじ、書き換えようとしている、これらを黙って見て、伝統を重んじる者たちは心が痛まないのだろうか。
その国の伝統をうまく把握できない者が、困難を抱えた時に国民を一致団結させることなど無理であり、統制で誤魔化すのが関の山であろう。
※以下に書くことはサッカーファンにとってはほとんど常識と言って良い内容だが、そこまでのサッカーファンでない、日本代表の試合くらいは見るけどJや海外サッカーまで追ってないような人たちのために書いている。
日本代表の長友が所属していることでもおなじみのインテル・ミラノというクラブ(一応断っておくが、半導体屋のインテルとは無関係。インテルナツィオナーレ=英でインターナショナルの意)には2014年1月現在、イタリア人が4人しかいない。
というのを聞いて「えっ、セリエAって外国人選手でもいくらでも獲得して良いの?」と思う人がいるかもしれないが、そうではない。
ボスマンという選手が移籍を巡って提訴した裁判の判決が1995年に出て、「EU内での労働者の移動の自由」はサッカー選手にも適用されることになった。
だからそれ以降、セリエAやリーガ・エスパニョーラに存在するのは『外国人枠』ではなくて『EU外選手枠』に改められた。
逆に言うと”EU加盟国の選手であれば外国人でもいくら取っても可能”ということになり、2010年にはとうとうイングランド・プレミアリーグの試合なのに両チームでピッチに立っている選手にイングランド人が1人もいない試合という事態も発生した。
『インテルに多いのはEU出身者じゃなくてアルゼンチン人じゃん!』という話は後で触れる。
とはいえ、ここまで来ると『チームのアイデンティティとは何か』という概念にも関わってくる。スポンサー料や放映権料も重要だが、クラブチームにとっては入場料も決して無視できる収入ではない。
そして、入場料を一番多く払い、あるいは国内向けの放送を熱心に見てくれるのは、自分のクラブを『おらが街のクラブ』として長年応援し続けてくれる人たちだ。
(余談&完全に増田の私見だが、この『おらが街のチーム』として熱心な固定ファンを掴むのに最も成功している日本のスポーツチームは、プロ野球の阪神タイガースである)
そういう人たちが『外国人ばかりのチームでは自分たちのチームと思えない』と思うのは地域密着の理念から当然のことであるか? それと排外主義の差別主義者か?
少なくとも簡単に答えの出せる問題ではないし、『自分たちのクラブと思えないから”自分は”スタジアムに行かない』というのを止める権利は誰にもない。
だがそんなことが多く起こるようになったらサッカーの将来にとってあまりプラスにはならない。スタジアムに観客が少ないとやはり盛り上がりに欠ける。
そういうわけでここ数年「ホーム・グロウン」という制度ができた。欧州のカップ戦(チャンピオンズリーグおよびヨーロッパリーグ)に登録できるシニア(22歳以上)の選手は25名までで、
そのうちの最低8人までは、21歳までに3年間は『自国内のクラブに所属した(≒育てられた)』選手でなければならない。国籍で問うとEUの判例に引っかかるので『育った場所』を基準とすることになった。
チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグに出ないクラブには関係ない(プレミアリーグのように、同様の制度を自国で用意したリーグを除く)が、
資金力が小さくヨーロッパのカップ戦に届かないクラブほど自国出身選手が多いのが常なので問題は少ない。
これも「EUの理念」からは後退なのかもしれないが、「地域に根ざしたスポーツクラブ」という理念からはむしろ正常化とも言える。
とはいえ、アメリカ大陸やアフリカやアジア出身の選手から見れば『EU外選手枠』の中で争うよりは『EU内のどこかの国の市民権持ち』扱いになった方が色々と有利なのも確かだ。
そういう時に有効活用(?)されるのが先祖の血統だ。南米やアフリカの選手の場合、先祖を少したどればどこか西欧の国に行き着くことは珍しくない。
そういう場合は血縁を理由に先祖の国の市民権を取得し、代表は変えず(というかFIFAのルール上変えられない)にEU内選手として潜り込むということが多い。インテルにアルゼンチン人が多いのはそういう理由だ。
日本や韓国の選手はそういうことが基本的に出来ないから不利ではある。ハーフナー・マイクや酒井高徳はもしかしたら可能なのかもしれないが……。
少しFIFAのルールに触れたが、現在のサッカーではA代表(年齢制限のない代表)で試合に出たら他の国の代表として試合に出ることはできない。
オリンピックだと、前の大会で卓球の中国代表として出場していた選手が次の大会ではアメリカ代表として出ていたりするが、サッカーでそれはできない。
もちろん、ユーゴスラビアのように国そのものが分裂した場合は別である。クリミア出身のウクライナ代表選手(いるのか?)の扱いはどうするのかな。
今度のブラジルW杯ではウクライナ代表としてしか出られないと思うけど。
逆に言うと、『A代表で試合に出ていなければ』2つ以上の国を天秤にかけて代表を選ぶこともできる。
マンUで香川真司からポジションを奪ったヤヌザイはアルバニア、ベルギー、イングランド、トルコ、セルビアの代表になる可能性があるらしく、先日ブックメーカーが賭けの対象にしていた。(※2014年6月追記:その後ベルギー代表を選んだ)
ヤヌザイの系図についてはよく知らないが、そういうこともあり得る。
(ちなみに以前カタールが『代表に選ばれない程度の、ブラジル人などの有力選手(カタールとは縁もゆかりもない)』
に声をかけてカタール代表にし、手っ取り早く代表を強化しようとしたこともあった。流石にFIFAがそれをさせないルールを作ったが)
だが一方で、フランスが若手の育成組織を整備して1998年にW杯を制して以来、どこの国でも多かれ少なかれ”サッカー選手の育成”に金をかけて取り組んできた。目的はもちろん、自国代表の強化だ。
そんな中で上述したような『南米やアフリカと、EUの国の多重国籍』の選手が、必ずしも自国の代表を選ぶとは限らない。
2000年前後にトルコが強かったのは、『ドイツで生まれたトルコ移民の子孫が、トルコ代表としてプレーする』ことが多かったからだ。
最近ではドイツ代表にもトルコ系の選手が出てきたが、今度は”国策育成の本家”フランスの方で問題になってきている。
2011年、フランスサッカー協会の技術委員会役員が『アカデミーに入れるのは白人を中心とし、黒人やアラブ人は25%以下に抑えるようにできないか』と委員会で発言したことがリークされて物議を醸したが、
そのような発言が出るのは委員個人が極端な差別主義者だったからではなく、『フランスの金で将来のフランス代表として育成したのに、最終的には母国のアフリカ諸国の代表になる』
選手が無視できなくなってきたからだ(もちろん、だからといって許される発言ではないが……)。
アフリカ諸国の協会とEU諸国の協会ではEU諸国の協会に金があるのは成り行き上当然のことであり、最終的には才能なのかもしれないが育成のために金があった方が効果的なのは事実だ。
そんな中で協会としては『アフリカの協会は欧州の金で育てた選手に”ただ乗り”している』という被害者意識が出てきている。
あるいは国が抱える民族問題の縮図のようなことが代表チーム内で起こることも今後増えることはあれど減ることはないだろう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/matome.naver.jp/odai/2139156030349874401
原文の問題の箇所を訳しておくよ
https://www.gov.uk/foreign-travel-advice/japan/safety-and-security
Japan is a stable democracy.
Civil disturbances and violent demonstrations are rare.
Occasionally, demonstrations of a pro-nationalist kind can involve hostility to foreign countries.
国粋主義の支持者によるようなデモは、たまに(時折)、外国への敵意を伴うことがあります。
Keep yourself informed of developments and if you become aware of any protests, leave the area immediately.
共産主義は共産主義で左翼では合っても、リベラルじゃねーぞ。リベラルは中道から中道左派だから左派には含まれるが、真左じゃぁない。
そもそも、右翼というのは国王派 左翼というのは民主派であって 現在までいろいろな定義のもと定義変更がなされているが・・・
国粋主義というものはあるが、必ずしも天皇制を支持しているかというと、そうではない。
今どき、天皇制か、民主主義かで国民がもめることはない。 もめるとしても、資本主義vs共産主義 or 国粋主義vs開国派だ。 そして開国派は共産主義ではない。
現代社会では 資本主義なのか共産主義(計画経済性)なのか?というベクトルと 国粋主義なのか? 開国派なのかは分けて議論されるべきだ。
たしかに。思想を持ち込むのは悪くないし、むしろ込められてないと、表現として空虚だ。
エヴァだとかサイコパスみたいな宗教や思想に凝った衒学的なものも、
それ系をかじってた人が見れば最高に面白い。
京アニについては、変遷があったのがよくない。
以前はハルヒやらきすたみたいな、オタク向けで意外にハードなSFや、日常系萌えとダンスブームの先鋒みたいな
革新的なものを描いていたのに、制作陣に女性が多くなったからか知らんが、真逆の方向へいってしまった。
靖国神社が実際にどんなところなのか、って知らないですよね
(靖国の意味や意義といったことではなく、靖国神社ってこんな雰囲気で、こんなものがあるんですよー、的な意味で)
私は以前、九段下に勤めていたこともあり、また義父が靖国神社を頻繁に参拝していることもあり、
おそらく一般的な30代日本人男性としてはかなり頻繁に(といっても年に2〜3回ですが)靖国神社を訪れています。
そんな私も靖国神社を訪れるたびに実は大きな違和感を覚えているのです。
正直なところ、靖国神社をとりまく歴史的な背景や現在の議論の多くを私は詳しくは理解しておりません。
そんな無知な自分ではありますが、やはり靖国神社って何か特別なところ、というか現在の日本の空気とは隔絶された、
異質な空間に思えるのです。
※遊就館については下記よりwikipediaの記述を参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E5%B0%B1%E9%A4%A8
靖国神社が護国の英霊 246万6千余柱 を祭っていることはもちろん知っていますし、
わたしも参拝する際は日本のためにその身を捧げた人々を尊敬し、鎮魂の思いをもって祈りをささげています。
それにしても、「遊就館」に象徴される前時代的な空気、いわゆる国粋主義、軍国主義的な空気を
これも皆、わたしの不勉強による誤解なのかもしれませんが、
やはり靖国神社という空間は、わたしたちの世代には違和感に溢れる空間であり、
私たちが思う日本という国の空気、こうありたいと思う国の価値観とは大きく乖離していると感じるのです。
靖国神社の存在自体をわたしは問題だとは思いませんし、そこに国民皆が参拝するのは良いことだと思っています。
国会議員や大臣、総理がそこに参拝するのもごく自然な行いだとも思います。
この国の歴史を思い、そこに生きた人々の霊を思うことは日本に生きるわたしたちとって、むしろ必要なことだとも
思うのです。
ですが、現実の問題として、いまの靖国神社は少なくともわたしにとっては素直に参拝できる場であるとは
思えず、少なからずそこに参拝することの抵抗感を感じる場なのです。
中国韓国がどうとか、戦争の責任がどうとか、そうした話ではなく、
わたしたち日本人にとって、靖国神社はどういう場であり、どういう場であるべきなのか、
わたしたち若い世代も含めて、しっかりと議論し、その在り方を見つめ直すべきなのではないでしょうか。
いつか、何の抵抗もなく、ごく自然で、素直な気持ちで靖国神社を訪れることができる日が来ることを
願います。
ネットーuyoku(ネット右翼?、文字通り"インターネットの右")は、ブログや仮想コミュニティを通じて、日本のインターネットを参照して国粋主義や国粋主義にメッセージを送信するために使用される日本語の用語です。それは多くの場合、めったにネトウヨまたは、略されていない、ウヨを行う。その反対語は、(ネット左翼、ネットーsayoku?)"インターネットは左"、それが日本に存在していますが現象が事実上存在しないので、あまり使われています。
「ネット右翼(インターネットの右翼)はブログやSNSなどのインターネットのコミュニティで国粋主義を主張する人。ネトウヨ、またはウヨと略される。ネット左翼という言葉も存在するが、そのような現象は事実上存在しないため、あまり使われない。」と訳すべきか。日本語版よりはまし。
ネット右翼(日本語:ネット右翼はいトウ(つよ)く[*])、四東予(ネトウヨ)またはネトウヨは日本のインターネット上で活動する、太平洋戦争以降に生まれの世代が主軸を成す右翼勢力、右翼性向のネチズンを意味する。基本的に侮辱的な言葉で使われる場合が多いが、瀬戸裕之ように自分をネット右翼で自称する人もいる。
「太平洋戦争以降に生まれの世代が主軸を成す右翼勢力、右翼性向のネチズン」韓国の右翼といわれるネチズンにたとえてられている。
・生活保護やら在日韓国・朝鮮人やらを叩いて溜飲を下げる書き込みばかりをまとめたどうしようもないサイトになっていた
これなんでこうなったかといえば、アクセス数がそのまま現金にかわるエコシステムが出来てしまったからなんだよね。
・ソーシャルではないネットって、もはや他人を見下さないと自我を保てない可哀想な人々のためのものになってしまったんだなあ
というわけで、”もはや他人を見下さないと自我を保てない可哀想な人々のためのもの”というよりも、”金のためならなにをやっても問題ないと考えるひとのもの”になったという感想。確かに、”もはや他人を見下さないと自我を保てない可哀想な人々”を相手にはしてるけど、結局のところ、そういう人々からアテンションを搾取してるわけで、そういう人々が支配してるわけではないように見えるんだな。
主張の正当性についてはひとまず置いといて(いや正当なんだろうけど)、その手の韓国批判ムーブメントの人たちの中に、
「受け手のアレルギー反応を招いてしまうことに関する問題意識」がほとんど感じられないのが気になる
まあつまり、ああいう主張のプレゼンテーションスタイルって、不必要にネトウヨ的なんだよ
本当に広く周知して賛同者を得たいのならば、2ch的ノリとか国粋主義的ノリとかそういうものとは戦略的に距離を置いて、
もっと淡々とした雰囲気で「その問題だけ」扱うべきなんじゃないだろうか
本来ならネトウヨじゃなくても賛同できるであろう内容だろうに、何かと夾雑物が多いせいで賛同しにくくなってる