はてなキーワード: 国粋主義とは
まーこれ読めば狂ったように批判する人が多いだろうなっていう内容を雑に書き殴る。その内気が向けば、徐々に加筆するかも。特定の人が見れば誰が書いたか分かりそうな・・・。
デマは不安を煽るものが多いが、中途半端にインテリな奴が根拠薄弱な安全情報を流したりする例も。原発に対する非科学的な恐怖感に対する反動化だろう。無闇に恐れることはないという主張が勢い余って無闇に安全だというデマに繋がるのだろう。どっちにしてもデマは大迷惑なので止めて欲しい。
切込隊長こと山本一郎までその中に入ってしまったのが、人間の能力の限界を感じさせる。彼は結構賢い部類に入ると思ったんだけど、それでも人間の能力は個人レベルでは限界値も低いようだ。知能や倫理のネットワーク化が人類の課題。相互に補完・訂正し合って相乗効果を高められるか否か。
国同士が協力できずに地球規模でまとまれないのは、人類にとって地球が最大単位だから。それ以下の単位では、争いはあっても、学習によって視野を広げればまとまることも可能。そう言う意味でも宇宙開発は意味がある。地球よりも広い範囲を自然な意識内に収められれば、地球規模で人類がまとまれるだろう。
あと、デマに関しては、どこそこの教授が言ったからとか、米軍情報だからとか、そういう理由で信じた人が多かったが、やっぱりそういうのに弱いんだなと。 MITの教授だけど実は原子炉や原子力工学は専門外で物理の先生ですらなくマーケティングだか何だかの先生だと後で分かったりということがあった。デマに対する方策として、「信頼できるソース」というのがあるけど、これは肩書きとか機関名の権威に盲従しろってことではない。あくまで、自分の頭で総合的に情報分析・判断する際に、どういった情報を取捨選択するかという際の目安でしかない。取捨選択の判断基準としては、学問的手法によるのが適切。仮に優秀な学者が唱えた説でも、それは学説に過ぎないという当たり前の事実。あと学者の情報と現場を知ってるエンジニアの情報を組み合わせることも考えて欲しい。
これは私のような存在、中の人の気持ちも知ってるし、外の人の立場でもあるので書いておこうかと。もっとも中の人、外の人にも色々いるんだが。
絶賛する声が大きすぎて怖い。もちろん、気持ちは分かる。だから絶賛を非難する気はない。
しかし、まず第一に彼らはそれが仕事であること。つまり平時より課せられた使命であること。特に自衛官は我が身を顧みないことを宣誓し署名している。だから義務を果たしているに過ぎない。
念のためにもう一度書いておくが、それでも彼らに感謝するという気持ちは充分分かる。そうした過酷な義務を大阪市バスの運転手よりはるかに安い給料で遂行してくれるのは確かに有り難い。
が、しかし、彼らには宣誓に応じた義務を給料と引き替えに果たすというのが役割だということを忘れないで欲しい。
度を超えた絶賛は、自衛官らにとっても国民にとっても不幸なことだ。彼らは超人ではない。肉体的・精神的に被災者以上に過酷な状況の中で作業を続けることは、自衛官などなら平気だという訳ではない。
精神的に余裕のない被災者から容赦ない罵声を浴びせられることもある。自己完結型の組織として自前で用意した環境を享受すれば非難される。自分の家族も行方不明のまま。大量の遺体が腐り始める。理不尽なことが山ほど降りかかってくる。
そんな現場にいる人達をヒーロー扱いするというのはやや失礼なことだとさえ言っても良い。もっとも彼ら自身は何とも思う余裕もないだろうが。彼らに報いる方法は、彼らが充分能力を発揮できるような環境を平時の間に整えることだ。はっきり言ってしまえば、毎年の予算を増やすこと。そしてそれが有効に使われているか、官僚の都合が優先されていないかチェックすること。彼らに感謝すると言いながら、予算には関心を持たない人は多いのではないか。年々減っていく予算をどう思っていたのか聞いてみたい。いや聞きたくないわ。予算に関しては全体の額だけではなく、内訳も非常に重要。イージス艦とか支援戦闘機とかMDとかも大事だけど、もっと地味なところは蔑ろにされがち。柱の浮いた廃墟のような倉庫とか、すぐちぎれるペラペラの個人装備とか、歩いてるだけですぐ部品がなくなる小銃とか。今や第三世界と呼ばれた国々の軍隊の装備にも劣る点が多々ある。ハイテク装備にだけ目を奪われるとこうなる。
自衛官らを超人扱いして有り難がるのはやめよう。頑張ってくれてる同じ日本人として感謝しよう。
コンプレックスの強い人がそれを軍隊のロマンへの心酔という形で発散したがるというのはよくあることなんだが、今の日本では主にネトウヨがこれに該当する。極端な国粋主義というのは軍隊の内部よりも、外部から内部に浸透してくるものだと考えている。三島由紀夫が自衛官に冷笑されたのは当然。軍隊ではああいう人は一番浮く。井上和彦とか話にならん。ああいう人はヒーローを語ってその尻馬に乗ろうとしてるだけ。
連日の過酷な状況を伝える暗いニュースの連続で、自分自身は直接被災していないにも関わらず、心が参ってしまう人が続出。見なきゃ良いんだけど気になるから見てしまうんだろうね。そういう人はなるべく民放のセンセーショナルな番組を見ないようにした方がいいと思う。とかく人の不安や恐怖やらを煽りがちなので。情報は1日1回、NHKのニュースを見て、後は新聞の一面でもざっと眺めれば充分でしょう。
ネットの情報は読み解くのに相当のリテラシーと時間が要求されるのでこういうときは実はあんまり実用的でない。
んで、自主規制とか自粛とかいわれる物が行きすぎというのも分かるが、わざわざ話題を逸らすこともないとも言える。そういう訳でこの文章を書いている。
遺体を映すべきだという声をよく聞くけど、それは要らないと思う。それを見てたらどうなるの?慣れるの?そんな場面を見なくても震災から学ぶことは十分出来ると思う。
以下加筆するかも・・・・多分しない
日本の先駆的研究者、松浦祥次郎氏も再考を迫られたことを明かした
不可欠であっても数は減らせる
M9レベルを基準にすることについての国民の合意を確認しておく必要
数十兆のダメージか→国民皆でかなりの負担をすることになる(全員が「被災者」でありサバイバー)
今の日本に必要なのは抽象的な協力概念ではなく、国民が賢くなって賢い政治を選択すること
戦後政治を変えるのは震災前から喫緊の課題であったがもう猶予は一切無い
今、間違った復旧・復興をすると取り返しがつかない→反面、新しい街作りの機会
補償にも効果測定は必要(効果は補償された人・されなかった人・国民全体の人心の安寧も含む)
その防止策は?
場所は確かに難があるが、では財政難の中でどの選択肢を採れるか
庁舎近辺を徐々に再開発するのは無理?庁舎が来れば需要も生まれるのでは?
数々の地震に耐えた現庁舎も今後はさすがに不安(そこが出発点だったはず)
他にもあったけど、ありすぎて忘れた。とにかく考えさせられたことが多すぎて全部覚えてらんない。不安を煽るつもりはないが、もはや崖っぷちであることは事実であると認識した上で勇気が必要。
こういうアホなりにも真面目に考えてびっしり(というか8行おきじゃなく)書かれた文章(つっても作文程度だが)より、どっかの歌手が書いた5行くらいの詩を読みたがるのが大衆なんだと思ってるけど。
きっちり考えるより、分かりやすい言葉に感動してる方が圧倒的に楽だという誤謬の根本原因をどうするのかまで考えないとな。それは俺なんかより、インテリが考えるべきことなんだけど。インテリというのは優れた思考力を与えられている分、俺たち愚民を導く責任があるんだよ。ワンフレーズで国民を先導ならぬ扇動する政治家とか論外。
で、NHKの水野解説委員と横尾アナウンサーには萌えた。彼らは常識的なインテリだと思う。他にもテレビに出てる人でもいいこと言ってる人はいるし、それが放送されているのだから、まだマスメディアには存在価値が残っている。
追記
読めば分かると思うが、私のこの文章が歌手の安っぽいフレーズより有用だという主張をしているのではない。下らない物が結果的によい効果をもたらすことは良くあるし、私から見て下らない物が世の中のためになる価値ある物かも知れない。しかし、そういった価値判断以前に、単純に、真面目に書いた長文より情緒的なワンフレーズがとっつきやすく、それだけで満足してしまうことによる誤謬の可能性というのは大きいという構造の話。いずれにせよ、その辺はこの文章の主題ではないんだけれど。
元増田だけど、俺は愛国心を「自分の家庭を守り、地元を守り、同胞を守り、祖国を守り、同胞になろうとする人達を守ろうとする普通の気持ち」だと考えてる。その定義なら自分には愛国心はある。
だから同胞になろうともしないで、差別を盾に主張を通そうとするような輩は批判されて当然だと思ってる。
でも、行き過ぎたネトウヨは国粋主義というか…自分と違う文化の出身者というだけで、こっちの文化にあわせてやっていこうとしてる人まで過剰な攻撃対象にし排他的になる。実際に仕事仲間を時事問題にひっくるめて乱暴に言葉で攻撃されてイラっときてしまった。今回に始まったことじゃなくて前にも何度か似たような陰湿な言動があったんだ。今回我慢できなかった。彼が言うには俺には愛国心がないらしい。彼の言う愛国心は少しファシスト的なんだよ。もし、愛国心の基準がそんなものだったら、俺には愛国心がないことになるし、それが愛国心なんだ!と主張するネトウヨが愛国心というものを気軽にいえない雰囲気を少なからず作ってると思う。
本当にネット上の日本人の愛国心に対するイメージが「家族を守り、地元を守り、同胞を守り、祖国を守り、同胞になろうとする人達を守ろうとする普通の気持ち」だったら、もっとあたりまえに愛国心を語れて褒め言葉なんじゃないか。そうではなく「他者を攻撃し、排他的になる」が愛国心だと言いたげな連中の言動が愛国心という言葉のイメージ自体を曲げてるのは否定できない。
http://anond.hatelabo.jp/20100821011138
の元増田です。
> それから、私が昨日のエッセーのようにリフレ論を説得しようとすることを、そこに論点がないはずなのに的外れなことをしているととらえられる向きもあるようですが、ご理解いただきたいのは、リフレ論というものが内的論理の必然としてナショナリズムに結びつくものなのではないということなのです。そこに必然的な結びつきがあるのならば、右翼政治家の言動にリフレ論者がみな責任を問われなければならないかもしれませんが、実際にはむしろ、リフレ論は左翼にこそ整合的です。石原都知事が重商主義的経済観をお持ちなのは彼の国粋主義的政治信条とつじつまが合うのですが、リフレ論の経済観は重商主義的経済観とは相容れないものです。後からユーザーとしてリフレ論を取り入れた政治家が、たまたまそれとは本来矛盾するナショナリズム的政治信条を持っていたとしても、リフレ論自体がそのことに責任を問われるものではないということを言いたかったのです。
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__100821.html
の「とらえられる向き」とは自分のことかと思いましたので。
「後からユーザーとしてリフレ論を取り入れた政治家が、たまたまそれとは本来矛盾するナショナリズム的政治信条を持っていたとしても、リフレ論自体がそのことに責任を問われるものではない」とはそのとおりでしょうが、その手の「ナショナリズム的政治信条」を、能動的にか受動的にかはさておき、認容するリフレ論者は、そのことの責任を問われるものでしょう。
> いわゆるリフレ派は本当にいろいろな立場の者がいるのですが、どうもいろんな政策のパッケージで一枚岩の集団に見られているようで困っています。いろいろな政策軸で論者のマップみたいなのを作ったら、一般にわかりやすくなるのではないかと思うのですが。
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__100821.html
今回の問題について、「一枚岩の集団に見られている」原因は、リフレ派側にあるんじゃないの? 歴史修正主義そのものについてApemanさんたちに論争を挑んでいる人なんていませんよね? リフレに比べれば歴史修正主義等は瑣末な問題で、それにこだわるサヨクがどーたらこーたらというように、わざわざ「リフレ」というキーワードを絡めたコメントばかりでしょ? 「俺はリフレ派だけど、それとは別の問題として、歴史修正主義は…」というような議論をした人がいたでしょうか?(歴史修正主義に批判的な立場の表明は、rnaさんと松尾さんがしたけど)
まして、同じ人を出すのもどーかと思いますが、
>あとは今回もそうだけど、リフレに全然関係ない、まあ、僕からみてもあまり周到に考えられてないつぶやきを大きく拡大解釈し、「歴史修正主義」だとか「右派」だとかさわいでリフレ主張のイメージダウン狙う姑息な戦略ね。これもこの10年でいろんなヴァージョンをみてきたが、得るべき教訓ゼロ
http://twitter.com/hidetomitanaka/statuses/21748207242
でしょ? Apemanさんたちがしているのは、リフレ派(の多く)は歴史修正主義に鈍感だという批判であって、リフレ政策は歴史修正主義的だという批判ではないのに、頭が悪くて誤読しているのか悪意があってすりかえているのかは知りませんが、的外れな反論をした上で、反リフレ陰謀をたくらむ「一枚岩の集団」的なレッテル張り。
松尾さんがApemanさんたちに反論をし、田中さんは黙認・放置しているということは、松尾さんが田中さんがしているような言動を許容しているという意味での「一枚岩の集団」の一員だということ。「リフレ」とさえついていれば、陰謀論だろうが誹謗中傷だろうが(経済学以外の、たとえば歴史学の)「専門知」を軽視しようが受け入れられる、松尾さんはそういう人なんだな、と思われても仕方がない。
四月馬鹿が二日前倒しだったらよかったのに
ttp://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/03/post-b15c.html
政府保証付きの国有の、ゆうちょ銀行とかんぽ生命に資金が集まれば、国債を買い増すことになる。結果、郵政が昔通りの国債買取の御用機関に戻る。政策投資銀行との融合も法螺話ではなくなる。
国債金利は金融商品の中で最低利回りだから、利幅を取るには民主党のようにunfairな仕組みを作るしかないが、それでも利幅を取るにはさらに規模を拡大するしかない。規模を拡大すればさらに利幅を求めなくてはならない。
民間の銀行や民間の投資がこの巨艦に刃向おうと思うなら、邪魔なものとして排除されるだろう。だがこの巨艦は、戦中日本の戦艦大和のようなものだ。いずれ海に沈むことになる。せめてその前に米国から世界貿易機関(WTO)提訴でもあればよいが、またぞろ国粋主義的な鬼畜米英論にもなるくらいなものだろう。
なぜか今のところ注目されていないようだが、今回の法案では、郵政グループ内での取引にかかる消費税の免除も盛り込まれているままだ。菅副総理兼財務相が当初は懸念していたものだ。これもつまり、国家が率先して、国税のunfairを実行しようというのである。税をなんと心得ているのかと思うが、そういえば鳩山首相の税の意識を思えば、緩みきって当然なのだろう。
ヒロヒトゥス:汎日本帝国皇帝(先々代)。イリエッティ侍従長に宮内省の不明朗会計について問いただした翌日、ヤスクノス教(啓蒙思想)を奉じるスミヤキスティのメンバーに毒を盛られ、暗殺される。
アキヒトゥス:汎日本帝国皇帝(先代)。ヒロヒトゥスの子で、ヤスクニ思想を奉じるスミヤキスティのシンパ。ヒロヒトゥス皇帝の死去に伴い根比べの儀を経て帝位を継承する。宮内省と宮中の民主化、フェミニズムを推進。
ツネッタ・ナベッキオ:汎日本帝国の中心国である日本国の首相。メディア王。スミヤキスティのメンバー。文京区アレーナ・ディ・ラ・クーアの隣にザ・ナベツネタワーを建設、官邸とする。性欲が旺盛で、若い女性をナベツネタワーに何人も呼んで侍らせる趣味は有名。ナカソネッティ元首相と盟友であった。
新党「この木なんの木」:労働組合「連合」を支持母体とする中道左派連合。ナベッキオを一時は政権の座から追うが返り咲きを許してしまう。
スミヤキスティ:啓蒙主義、反中国粋主義の極右政治団体。日本の政治を背後から動かし、ゴトウ組とも深い関係にある。メンバーは月見うどん(=カルボナーラ)が好物。
怒られそうなことを敢えて言う
そもそも五輪始めとする世界的希望のイベントの日本への誘致が自民党政権によるムダな事業の一角を成し、かつここ数年続いた日本社会の「右傾化」の影響で国際スポーツ大会の存在が「ニワカ狂信的愛国者」を生み出すだけのウザイ存在になってしまったのだから、
民主党政権になった今、今後そういうツマランものに官民一緒に血道をあげる事のないように、スポーツ界とマスメディア含めたその取り巻きも思いっきりフルボッコしておく必要があるかもねw
by nekotetumamori 2009-10-03 02:24:49 from mobile
これって裏返しの国粋主義、一種のファッショ・排外主義だよな。
在特会とまるで同じ。
左翼には、マスコミと検察という二つの根源的な原因があって、マスコミについては周知の通りで、
検察についてもホリエモンが『徹底抗戦』で明るみに出したでしょ。
簡単に触れると、検察は悪を証明するのが仕事みたいなもので、悪者を作り出すために必死になってる。
あれも悪い、これも悪いなんて考えしているうちに、左翼に傾いていくということだね。
公安と似ているようで実は正反対なんだよね。
どちらにせよ、利権がらみで対立して躍起になっていることには変わりない。
頭が硬いというのもあるが、根源的には利権がらみだから仕方ないという部分が大きい。
昔はそういうお固い体制に対して義憤を感じて活動している熱血漢がいたものだが、今は皆無に等しい。
で、革新の場合は、マスコミだとスポンサーや視聴者からの信頼、検察だと仕事になるかどうかというように、
保守の場合は、あんまり具体的な利権がなくて、曖昧模糊としてる。
早い話が、革新の根源的な部分にいる人は、革新してないと食いっぱぐれかねないが、
保守の人ってのは別にそうでもない。具体的利権はあまり無く、曖昧な国粋主義で成り立ってる。
別に、だから良いとか悪いとかは言うつもりないけれども。
そうか?
男性性の押し付けが嫌だった男にとっては、今の世の中は生きやすくなってきたと思うが。
昔は、男は結婚して一家の大黒柱として働いて家族食わせてナンボ。それができない男は甲斐性なしだの一人前じゃないだの言われてたが、今じゃ主夫になる道もあるし独身を通す道もある。
昔は、男たるもの甘いものを食うのは恥みたいなところがあったが、今じゃ男がスイーツ好きを公言したって恥でもなんでもない。場合によっては好印象だったりするくらいだ。
酒に関してもそうで、昔は酒を飲めなきゃ男じゃないという空気があったが、今は酒を強要するのは良くないという空気に変わってきて、下戸にとっては生きやすい世の中だよ。
あと、性の押し付けが薄まってきた世の中っていうのは、セクシャルマイノリティにとっても生きやすくなってきた世の中っていうことだよね。
もっとも、現代日本の先の見えない社会に閉塞感や行き辛さを感じるということはあるかもしれんが、これについては男も女も一緒だからなぁ。
今みたいな価値観の世の中で生き辛い男ってのは、自分のアイデンティティを男性性だけに頼っている男なんじゃないのかね。
会社や性が自信を提供してくれる世の中じゃなくなったから、自分個人単位で自信を持てない人間には辛い世の中かもね。
現代において、自分個人単位で自信を持てない男は、「自分に自信を提供してくれる素晴らしい集団」を求めて迷走しているように見える。
強い光がさせば濃い影ができるように、偏った翼が、バランスをとるように偏ったもう一方の翼を産み出している気がした。
正直、2大政党の要職に就く人間が「日本列島は日本人だけの所有物じゃないんですから」とまで言っているのを聞くと、逆に愛国心を刺激されて国粋主義に傾倒する多くの人がいるのは仕方ない気がする。
自分はウヨだと思うので、サヨの気持ちはあまり理解はできないと思うんだけど、昨今の南京大虐殺論争見ていると、頑なに無かったことにしようとしているウヨに対する反感から、さらに逆の方に思想が振れると言われても不思議には思わない。
ラジカルなサヨに呼応するようにラジカルなウヨが育成され、それに呼応してさらにラジカルなサヨが産まれる。なんとなく負のスパイラルに陥ってるんじゃないかぁというそこはかとない不安がある。
思想信条の問題なんて決着がつくわけないのに、都合のいい部分だけ取り上げて互いに反感を煽りあっていると、地獄の釜はすぐ開きそう。
どうもこうも。
こういう議論が出るたびに思うんだけどさ、「日本が落ちる」って表現は具体的にどうなることを指してるの?
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html
・ベストケース:一世を風靡した時代の力は面影もなく、国内経済に活力はないが、飯うま・割と多くの人がそれなりの生活を送れ、海外からの観光客は喜んで来る(フランス型)
・ベースケース:貧富の差は激しく、一部の著しい金持ちと、未来に希望を持てない多くの貧困層に分離、金持ちは誘拐を恐れて暮らす(アルゼンチン型。あの国も19世紀終わり頃には「新たな世界の中核を担うのはアメリカかアルゼンチンか、と言われたほどだったんですけど・・・・)
ちゃんと書いてあると思うんだが(ワーストケースは確かに具体的じゃないけどな)。
正直言ってさ、日本に国際的な影響力がなくなっても飯が食えて寝るところがあれば十分じゃん。それとも、それすら出来なくなるの?
「ベースケース」になるとすれば、貧困層は食うのも困るってことだろ。
実際そうなりつつあるしなあ。
アメリカのほうがひどいってのは軍事的な面では特にそうだよね。
「ワーストケース:閉塞感と絶望と貧困に苛まされる層が増加、右傾化・極端で独りよがりな国粋主義の台頭を促す」とか書いてるけど、この人にとってはイラクアフガンパレスチナでのアメリカの振る舞いはどう思ってるんだろうかね。異民族異教徒を虐殺しまくるのは極端で独りよがりな国粋主義じゃないんですかね。20年後の日本の右傾化を心配する一方で現在のアメリカの右傾化華麗にスルーして移住を促すとかもうあほかと馬鹿かと。促したいなら「アメリカみたいに独りよがりにならないと勝ち組になれないぜ!日本人はヘタレすぎ!」という方向で煽っほうが筋が通ってるんじゃないか。
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html
こちらのエントリを読んで悲しくなったので書いてみる.誰が読むというわけでもなかろうが.
当方は前掲エントリ内で「留学経験がある方が就職も優位になるので、特に20代の人だったら失うものはまずない」と言われている20代の留学生(ちなみにアメリカではない).東京の某国立大学を卒業して,就職経ずにこちらで修士をやっている.その辺りが渡辺さんとの肌感覚の違いなのだろうか.私は…少なくとも修了したら日本で働きたいと思って留学した.グローバルな視点は重要だろうし,日本が立ち直れないのもその通りなのだろう.その道で働いてきた人が言っているのだから,世間知らずの一学生が言うことなど何の効力もないのはわかっている.けれども,愛国心とかそういうカタいことは抜きにして,純粋に自分が生まれ育った国の未来を,世界の未来よりも見たいと思うのはそんなにおかしなことだろうか.
* ベストケース:一世を風靡した時代の力は面影もなく、国内経済に活力はないが、飯うま・割と多くの人がそれなりの生活を送れ、海外からの観光客は喜んで来る(フランス型)
* ベースケース:貧富の差は激しく、一部の著しい金持ちと、未来に希望を持てない多くの貧困層に分離、金持ちは誘拐を恐れて暮らす(アルゼンチン型。あの国も19世紀終わり頃には「新たな世界の中核を担うのはアメリカかアルゼンチンか、と言われたほどだったんですけど・・・・)
あちらで精力的に活動し,結婚までされている渡辺さんのこと,自身の生活の基盤がそこにあるから,「日本はもうダメなので,海外に留学してそのまま働いたほうが良い」などと言い,上記のような「世界の中の日本」を想像できるに違いない.きっと自分の見つめる先に,そういう未来がリアリティを持って描けているのだろう.しかし,人間は余程の天才かなにかでない限り,いや,天才であったとしても自分が見たいと思った未来のすべてを見ることはできないように思われる.渡辺さんも然りで,きっと「世界の中の日本」という視点でしか日本の未来を描くことができないのだと思う.
もちろん私にだって,日本の未来のすべてを描くことはできない.しかし私は,日本の中で,日本と共倒れするのであっても,どうせ生まれ落ちてから少しずつ死んでいくような人生ならば,少しでも良いから日本の人たちが幸せにしている姿が見たいと思う.それがただ「死んでいく世界の中の日本」に対する対症療法であっても.少なくとも私は4年間授業料の半分以上を税金で払われた身であるし,それに報いたいとも思う.できれは近くから日本を見ていたい.だから,私は特に自分が「勝つ」とか「うまくいく」とかいうそういうちっぽけなことよりは,日本に居て,そこで小さくても何かができたら嬉しいと思う.そのために自分に足りないと思われるスキルがたまたま日本では学ぶことができなそうだったから,今留学しているまでだ.海外に住んで,1年が過ぎた.
私は海外で勉強しているけれど,日本で働きたい.おそらく帰国しても,渡辺さんのように思い切ったことは言えやしないだろう.シリコンバレーにもアメリカにも行ったことはないが,アメリカは(シリコンバレーは?)個人が「勝つ」ことを志向して,その集積で大きくなってきた,シアワセになってきた場所なのかもしれない.私はそういう場所は.肌に合いそうにない.そして,世界という場所は=アメリカでもシリコンバレーでもないのだ.
まとまらないが,なんとなく違和感を覚えたので書いた.
結局さ、いろんな趣味・嗜好・思想を持っている人たちが、それぞれの分野でオタクなのであって、
ずっとずっと前(30~40年前とか)は、オタクは左翼的だったんじゃない。アングラとか、アナーキズムとか。
選択して右翼的なわけではなく、時代の精神にまきこまれているだけでしょ。当人たちは自己選択しているつもりかもしれないけど。
「俺は事情通だぜ」ってほくそえむことのできるような裏情報の性格が変わって、
以前は左翼的な情報だったけど、今は右翼的・国粋主義的な情報だ、ってことでしょ。
それを無自覚に享受しているだけ。いきがってさ。
あとさ、ネット上のオタクの「ウヨク」って、国家に忠誠を尽くす、って気持ちはそもそもないでしょう?
自分が高い位置にいると思い込みたいがために、近隣諸国を貶めたり、強者を誹謗したり、弱者を叩いているだけであって。
そういう人たちの多くには、右翼・左翼という概念自体がそもそも通用しないんじゃないかな。
そこまでたどり着いていないというかね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/24e707ffa42cb9da8fd0b58857c79e0b
文学嫌いな人が多いみたいだけど、日本の文学と思想(主に仏教思想になるだろうけど)の厚みを源氏物語から説き起こして、英語できちんと語ってみせたら、教育のある欧米人からはかなり尊敬されると思う。ていうか、むしろそういう知識と能力のある人を増やすよう努力しないで、ただの英語遣いばっかり増やしても、国際社会でアメリカの手下扱いされてる現状から、全く脱却できないんじゃないかなあ、っていうのが、池田センセイの言う「国粋主義者」の主張なんじゃないの?
まあ、たしかにこれは国粋主義の臭いがするな。だけど、それが悪いことかね?
国語教育を放擲して英語ディベート教育だけに血道を上げるなんざ、とてつもない「自虐教育」だと思うけどなあ。
いや、もちろん日本人の英語での発信力のなさとか、議論下手とかを放置しておいて良い、ってわけじゃないと思うけど、公教育における優先順位をどこに置くべきかっていう話は、素人談義で結論が出るような簡単な話じゃないだろ。
気持ち悪っ!
最近では、マルクス主義その他の「左翼」的思想のコアな部分は論ぜず、「反日」「反米」「親中」「親韓」等に偏った立場から、人権や平等などの理念を都合の良いときだけ持ち出したり、空想的な平和主義を唱えたり、といった人々を揶揄するレッテルとして用いる人が多いようである。
なるほどこの社会主義とか共産主義の部分に重みが置かれてるのね。
ちなみに右翼は、
だって。
なんか違和感がある。
自分の中で右左の思想の違いは、
だと思っていたんだぜ。
(つまり、街宣車なんかで愛国心を煽ったり、外国人の排斥をうったえたりとかいう)
活動に正直自分は賛同できない。
なので彼らの活動の反対側にあるのが左翼だとおもってたわけですよ。
だから自分はどちらかといえば左派なんだとおもってたわけですよ。
だったら左翼はグローバリゼーションどんとこい!なんじゃないの?
実際、国際社会でこれから自分と自分の周りがガツンと稼いでいくためには、
使えるところは使っていかないといけないとおもうわけですよ。
こういう経済活動と社会主義とか共産主義って一番縁遠いんじゃないの?
超合理的な考え方で資本主義じゃないの?
ややこしくなるだけだから普段は絶対に口にしないけど。
へんな人多いから地雷踏んだら嫌だし…。
斜め上に斜め上のレスを返すが・・・
民衆の幸せは生活するにおいてどれだけ国家に介入されないかだ。
税率、法律や規制が様々変わって近年の日本においては国家の介入度が大きくなりすぎている感がある。
このロスバランスは単純に民間が力を失っているだけかもしれない。
だが結果として介入度合いが多くなってしまっている。
民間に召し上げるものが無いのに税率あげるとどういうことになるかは歴史にあるとおりだ。
いや、さておき。
魂を国家に管理させるな、
つまりはそれをいいたい。
んー。
国粋主義とかいうけど、東京都とか独立宣言したらどうなんのかね?
というかこの依存度合いだとそれくらいの気概でもいいとおもうんだけどね。
靖国参拝問題について以前から疑問なのは、そもそもどうして戦争責任やら内政干渉やらといったことが主題になるのか、ということだったりする。だって、(乱暴な言い方をしてしまえば)善人だろうが悪人だろうが死んだら等しく一柱の神になるというのが日本古来の宗教観でしょう。自覚的にしろ無意識にしろ、そうやって日本人は祖先を祭ってきた。仏教やキリスト教の伝来とともに流入してきた天国や地獄の概念さえ、そのアニミズム的な死生観と混ざり合い、和風のカレーライスのようにマイルドになってしまった。死者はみな尊い――ここで「戦犯かどうか」などという些細な属性は無に帰す。
参拝に反対しない人々の心情としては、戦争に関して本当に責任がないって信じているとか国家のために戦った英雄だと考えているとかそういうこと以前に、単純に「既に死んでしまった祖先の墓を掘り起こすような真似はちょっと……」という感覚があるんじゃないかな。賛成も反対もない。つまり、問題はそうした宗教観の相違にあるわけで、大陸流の骨太の死生観を持つ人たちにどうやって有耶無耶の美徳を伝えれば良いのかという点を議論しないでいったい何を議論するというのか、と思う。日本が国粋主義に向かっているとか中韓が自国の政治問題を隠すために反日感情を煽っているとか、そんな表層の議題は取り上げれば取り上げるほど問題の本質から遠ざかる。
単なる国際政治や歴史認識の問題じゃない。これは宗教間の対立なのです。宗教戦争の経験のない日本は、はたしてこの問題に上手く対処できるんだろうか(というか、そもそも円満に解決した宗教問題って人類史上に存在するのかな?)。8月15日に閣僚がみんな公務で海外へ行っているよ不思議だねー、というのは割と上手い対応に思えるけれど。
「公務としての」靖国参拝にこだわった彼とか彼にしても、パフォーマンスとか権力の誇示を意図したというより「まつりごと(政治)」と「まつりごと(祭事)」を同一視する伝統的精神の影響大な気がしている。国家元首としてそうしないと気持ち悪かったんだろう。でも、それを言っちゃうと政教分離の大原則がピンチになるからね……
http://anond.hatelabo.jp/20070619200203
日本国憲法のことを知っていようが知っていまいが、自衛隊のことを知ってようが知っていまいが、
そんなレベル以前の話として、自分のよく知らない遠くの国が根拠はないけど明日戦争するかもしれないと
考えているような人がいるならば、その人はよほど思想的に偏りがある人だと思うけどね。
それと、「フランスが戦争するかも知れない!」と言われて驚くのと、
言われる前から「フランスが戦争するかも知れない!」と思い込んでいるのとでは天と地ほどに違う。
そのたとえ話は不適切。
あと、「日本を客観視」ってどうやってやってるの?
君の言う「外国」というのは漠然かつ抽象的なイメージの産物としか読み取れない。
中国都市部の30代インテリビジネスマンと、韓国都市郊外部の20代下流階層の青年と、
この仮定がミクロ過ぎて無意味だと考えるならば、逆に最大公約数の大多数の人々のことを
想定してみようか?答えは簡単。