はてなキーワード: 商業主義とは
5chの面白さはユーザーのイデオロギー的入れ替わりが生じる所である
ネトウヨと呼ばれた存在は「東アジアニュース速報+板」(通称東ア+)から生じたとされている。いわゆる嫌韓の者共
2000年代前半の頃はこうしたレイシストは鼻つまみ者であり、板を越境してきたらボコボコにされていた
2010年代初頭には各板も右傾化が進むが、「ニュース速報板」(通称旧速)は体制風刺が根強く染まりきらなかった
この頃は2chまとめブログの最盛期で、上手いことまとめられるような書き込みが目立った。現代のTwitterに通じる
2012年にステルスマーケティングやまとめブログのチェリーピッキングが問題となり、反商業主義を中心に「ニュース速報(嫌儲)板」(通称嫌儲)へ移民が起こる
以降旧速も翼賛が進んだ
2010年代中頃には最大派閥たる「ニュース速報+板」(通称速+)は完全に右傾化する
2017年10月に2ch旧運営との対立でサイト名が5chに移行する
この頃の速+は板運営陣の思想統制が進み、反自民党的なニュースでスレを立てると権限が停止させられるようになる
同様の統制は「芸スポ+板」(通称芸+)でも行われ、一時スレ立て人が枯渇した
一方この世の春が嫌儲で、Twitter他SNSのキラキラと対を成すように言いたいことを言う場所として栄えた
安倍晋三はおもちゃであり、どんなネタでも的確な安倍晋三の画像が速やかに貼られていた。安倍晋三ファンクラブだった
後にiOS/Androidでリリースされた安倍晋三エクスプローラー(Androidだと聖帝エクスプローラー)ではあらゆる語録が網羅されていて便利だった
https://www.theguardian.com/world/gallery/2022/jul/08/shinzo-abe-a-life-in-pictures
以前から5chには政治系スレッドを荒らすスクリプトがいて、何者かの特定も困難な状況にあった
そればかりか速+、旧速の右傾化まで消えて嫌儲のように反体制に傾倒する始末である
人間って簡単に踊らされるんだなあという小学生並の感想しかでなかったが、とりあえずこの18年間楽しかった
ちなみにスクリプトは年明けて復活して大暴れして、一昨日は統一協会のスレ全部埋め立ててた
対処しないから止まるのは荒らし側要因で、止まると注目が集まる
ここ最近だとdappi訴訟、安倍晋三銃撃のタイミングと同時なので自民党清和会への関連を疑われている
そういえば2021年5月に中山泰秀防衛副大臣(当時)が「私達の心はイスラエルと共にあります」発言で炎上した時、
いや、でも発生当初はけっこう批判されてたよな。
でも商業主義に押し流されてなあなあになって、
今ではバズ狙いの嘘松ツイートだの、バズらせる業者みたいなのが蔓延ることになった。
そうしてインターネットはクソになってきたよね。
食べログって、認知が低かった初期の頃は、もっと日記要素が強く、食べ歩き好きの交流場という感じだったと思う。
12年くらい前かな。だんだん商業主義に走りだした。レストランへの悪影響が耳に入るようになり、1年以上前のレビューが、理由も告げずに突然削除されるなど、おかしくなりはじめた。
その頃、事務局に平均点の付け方を公開して欲しいと依頼し、断られたことがある。今思えば、そりゃ公開してくれないわなと思うが、この時に舵を切り、風通しを良くしなかったことがまずかったのではないかと思う。だって、あくまで私のレビューはごくごく個人的なログであり、主観によるものだった。当時、一部のガツガツした人は除き、多くのレビュアーはそうだったのではないかな。
運営の商業主義的な方向性や、社会的な影響に嫌気が差して、個人的なログのつもりだったレビューは、何年も前に全て非公開にしてもらった。
それまでは書いた本人ですら、レビューの削除をすることができなかった。一度掲載されたレビューは食べログのものということなのだろう。(現在のことはわからない)
世の中から広告と広告ビジネスがなくなってはじめて人類は次の精神的進化地点に到達できる
個人による口コミ風のレコメンドも組織的なものと区別がつかないので原則禁止
そうすることで必要な情報を常に自分で取りに行くリテラシーだけでなく
己の欲求、需要、個性というものについて主体的に向き合うことができるようになる
そして自己と他人との区別をつけ差異を尊重できる成熟した人格形成が促される
よくてゴシップまみれ悪くて戦争だらけの社会を生きることになる
人類は何につけても商業主義に傾倒せざるをえないカネに縛られた生き方をすることになる
元増田じゃないんだけど、この話について当の本人たちの表現よりブクマで「挙式だけなら誰でもできるんだからおかしいことはない、一人でも友達同士とでもできるんだし」って言ってるブクマカの方が気になっちゃったよ。
そりゃそうなんだけど、現状同性同士については「挙式しかできない」わけじゃん。シスヘテロが法的拘束力のある婚姻というか、入籍に加えて他の選択肢として楽しみや決意や他の動機からの挙式を当然に選択できる自由がある状態と
婚姻や入籍ができなくて区切りとしての「挙式しかできない」不自由な状態とは全然イコールじゃなくて、そのうえでそれ言うのか…と思って「入籍」の話でない方がすげえ残酷だなと思っちゃったよ。
(その人たちがその意見のまま普段なにか同性婚賛成についてアクションをしてるなら別に文句はないんだけどさ…。でも実際はただ話を聞きたくないだけの人がすごく多い気がしない?)
一応パートナーシップ制度のある市区町村や養子縁組はあるわけだけど、これって結局は「法が同性婚を認めない」上でとれる対症療法のような抜け道のような方法にすぎないわけで、
生来の権利と言われるとちょっと違うし、婚姻ができるならこちらを選ばない人がきっと多いよね。(事実婚については話がブレちゃうんで措くけど)
というか異性で、恋愛的、あるいは親愛的了解のある二人がなにか関係を結ぼうとして、婚姻を選べる状態の上でさらにこういう方法が一般的にとられていない以上、
やっぱり両者には権利の上での格差があると思うんだよね…婚姻ができない状態において法的、金銭的な不利益を被っている現在がある以上、誰でも「挙式」はできるでしょ、それなら問題ないと思うよ!と言われても、
当事者としてはやっぱりひっかかるものがあるのはあると思うんだよね…。立っているラインが全然違っているんだから、なんかそこについてはもう少し耳を傾けてもいいし、
変わってない現在とそれに対する彼らの行動が現在進行形である以上は今回あがったような声自体は別に不当でないし「性的少数者としてなにかを解決しようとしてる態度とは思えない!」みたいに
大上段から複数で言われるほどおかしな意見でもないなって思うんだよね。言い方は強かったかもしれないけど、あの写真を出した側の考えなさと商業主義の姿勢に比べて
(個人的には今回のような表現をやめろとは言わないけど、世間的に嘘をついていい日っていう了解のある日にあれを出すことについてデリカシーがないというのは全然否定はできないとこだと思ったし、
それに対する批判だって同じように表現の自由で守られていいと思ったよ)それ以上に予断や思い込みのあるものとも思えないし、
未だに同性婚が法的にできないことを知らない人もいる、それを気にしなくていい人の多い社会構造の中の現状を生きてる人間にとって
ああいう発言をすることにおいて「逡巡がない」と受け取られるのもそりゃあ違うだろって感じたよ(これはこう言っているブクマカの人がいたので)、
そもそもこういう何か言えば猛烈な反応の返ってくる状況をずっと見ていてカミングアウトできてない人だっていっぱいいるのだろうし、マジョリティ側が持ってる発言することの気楽さのある世界とはかなり違う世界を生きてると思う。
我々が特に気にすることなくブクマで見られるような発言をしているとき、もうすでに黙って何度も何度もそれに耐えて頷いているかもしれない当事者はいっぱいいて、隣の席の同僚とかクラスメイトとか家族だってそうかもしれないわけでしょ。
そのことについてちょっと考えてもいいし、元ツイート主のああいう意見を見て、じゃあこの先どうしたらいいかなって両方で歩み寄っていけないものかなって思った。別にそんなに損することなくない?
我々に話を聞いてもらいたいならそういう態度をとるんじゃないよっていうのも、「理想の〇〇」(この間橋下さんが理想の戦争被害当事者を規定して燃えてたね)をやすやす規定できる側の考え方に見えるし、
現状特に何かを変える必要にない側にいる人間だから言えることだなって思ったよ。今性的に多数派の側にいることそれ自体で被る法的な不利益が自分にはないし、
他のいろんなものを対象にしたコンテンツや表現を楽しめる状態に水を差されることの方が自分たちが持ってる権利を持ってない人がいる社会が変わらないことより重いなって思うのも結構傲慢だなって感じるし、
よっぽど他の人間の表現の自由どころか得られていない権利の自由を侵害しといてそれはないよ…と思う感情自体は否定されなくていいんじゃないのかなって思ったよ。
何か言いたい人の話をもうちょっとばっさり切り落とさずに聞いたってそんなに損なことある?って思ってしまった。とにかく多数派は多数派の論理でそうでない他者を規定しすぎている反省はあってもいいのではないかな…って少し感じた。
一連の紛糾を見ていて、そもそも戦い続けてもまだ同性婚を法制化できてないくらい全然強い力を持ってない側にいる人たちの批判を表現の自由を規制する側=権力としてとらえてるところから変だし、
とにかくもうちょっと「なんでそんな風に思ったんだろう?」って聞いたっていいじゃんってなった、「お前の態度が気に入らない」「論理が破綻している(こっちもたいてい破綻しているのに向こうにばかり完璧を求めるのヘンだよな)」で切り捨てるんじゃなくて。
社会を動かす力も現状の社会構造を温存するのもどっちに対する力もむしろ多数派の方にこそあるんだから、それでとっとと同性婚成立させて好きなような冗談好きに言いあえる世の中になるのが一番いいよ。
エルデンリングを購入し、10時間ほどプレイした。 所謂ソウルシリーズはひとつもやったことがないので過去作との比較は出来ないが、すごいゲームだと思った。 5年前に初めてBotWを触った時の感動を思い出した。ローリングがもっさりしすぎじゃねえかというのと、やたら狭くてくらい所で戦わせられる(そしてそういう所に限ってやたら大量の敵がいて数の暴力でねじ伏せられる)というのくらいしか今のところの不満はない。本当にすごいゲームだ。前作のSEKIROから4年かけて作っただけのことはある。今やフロム・ソフトウェアは数年事に超大作ダークアクションRPGを作る高いブランド力を持ったソフトメーカーだ。
これが今のフロム・ソフトウェアだ。 つまらない。数年に1本絶対に売れるゲームを作る、それは凄いことだが、メーカーとしては絶望的につまらない。なにせいくら面白いゲームでもそれしかジャンルがない。こんなもんプリウスしか売らないTOYOTA、マグロしか出さない寿司屋だ。
フロム・ソフトウェアのWikipediaを見れば分かるが、KADOKAWAに買収される以前と以降で明らかに出すソフトの量が違う。ACEとACとクロムハウンズが1年の間に出てるしその隙間に天誅が2本出てキングスフィールドがリマスターされてる。正気ではない。明らかな変態開発者だ。素晴らしい。KADOKAWAに飼い慣らされて明らかに売れるテーマに数年割かれてる今にはない輝きだ。
まあそんなことしてるからKADOKAWAに買収されるような財政状況になったんだろと言われたら反論出来ないし、商売でやってる以上仕方ない。仕方ないけど敢えて言わせてもらう。
フロム・ソフトウェアはKADOKAWAに買収されてから完全に商業主義に堕してつまらないメーカーになってしまった。
これによって我々のようなロボゲー愛好家は完全に切捨てられた。アーマードコアもアナザーセンチュリーエピソードもクラウドブレイカー叢もクロムハウンズももうない。
どこもそうだよなロボゲーって。なんでだよ。バーチャロンもタイタンフォールもなんでこんな様を迎えるんだよ。
なんか書きながらフロムがどうこうとかどうでも良くなってきた
これまでKADOKAWAの傀儡になったフロムへの愚痴を書いてきたけど、ソウル屋さんやって儲けたお金でめちゃくちゃクオリティの高いアーマードコアの新作が出たら掌を返すと思う。
を語れるほど若くはないアラフォーのおばさんなんだけど、最近のJ-POPは割と楽しいと思う。
思えば10代のころ聴いていたJ-POPはラブソングばかりで、なんで世の中にはラブソングしかないのかと思っていた。
そんな人間にとって20代の頃にやってきたボカロブームは楽しかった。最初の頃は悪ふざけみたいな曲ばかりで、そのうちどんどんガチ曲が出てきて、でも生ぬるく恋愛を歌った歌なんてまるでなくって、本当に自由で楽しかった。
その一方でJ-POPは冬の時代で、アイドルが可愛く恋を歌う様な曲ばかりで本当に元気がなかったと思う。
自分もアラサーになって、もうJ-POPを聴くような歳じゃなくなったんだな、みたいなことも思ったりした。
米津玄師とかみたいなボカロPをやってた人をはじめ、YOASOBIとかヨルシカとかみたいな、恋愛よりももっと身近な自分の内心を歌うような人がいたりして、20代の頃に聴いていたボカロシーンがJ-POPに逆輸入されてる気がして、それが楽しい。
アニメ系というか動画系のPVを使われたりすると余計にそういうのを感じる。
私が10代の頃に聴いていた恋愛ソング系J-POPは明らかにマスを狙った商業主義によって作られてた。あの頃にはインターネットは普及してなくて、マスメディアが与えるもののなかから聴きたい曲を選ぶしかなかったし、そのマスメディアはより大きな方向を目指して売れた曲の方向性を踏襲することばかりしてたと思う。
で、私がボカロばかり聴いていた15年くらい前のあたりで、なにかでそれが行き詰まったんだと思う。
そして今、インターネットのビーコンで多分わたしが思ってるよりもずっと個人の嗜好、指向、思考が分析されてる時代になって、以前のようにマスばかり狙うような巨大商業主義戦略を無理に取らなくていいようになったのだと思う。だからいろんな曲が商業ベースに乗る余地が生まれた。
今だって別に個人の内面を歌った曲ばかり流行ってるわけじゃなくて、例えばofficial髭男dismみたいな恋愛を歌うアーティストもいる。
そういう風に本当にさまざまな方向性の曲があるのが今のJ-POPシーンで、そういうのをストリーミングサービスでザッピングして聴いてると、本当にいい時代になったな、と思う。