はてなキーワード: 人生とは
仕事も夫婦生活も、別にすごく嫌なこともないし毎日ちょっとイラッとすることがあるくらいでふつうに生活できてるのに、ここ数日すごく気落ちしてる。
なーんも気力がわかないし、音楽もYouTubeも楽しくない。急に無気力になっちゃった。
人生って虚無ー。
いろんなしがらみがなければ遠くに逃げ出せるのに。
人生楽しそうだな
現在は少年画報社の漫画雑誌ヤングキングで、ひとでなしのエチカという漫画を連載している
基本的にそれだけだ。少なくとも私にとっては。スパイスとして暴力と巨乳が少し。
ではその話の内容とは?
普段から気になっていたが議論したことはない、そういう議題をかなりの頻度で提示してくれることだ
キャラはピエール手塚さんの普段思っていることを代弁しているだけに思う。
よってキャラ立ちや物語の大きな流れやその場その場の演出は特に優れているとは思わない。
彼の優れている点は議題のチョイスそのものにある。
だからと言って社会的に答えの出ない問題に対して、彼の漫画が完璧な答えを出してくれるわけではないが、
キャラクター同士の口喧嘩を通して各々の視野を垣間見せてくれる
ピエール手塚さんはネット上にたくさんの作品を無料公開しており、私は読めるものは全て読んだ
彼の全ての作品を好きになったわけではないが、多くの作品のファンになった
特に暴力の存在をテーマにしつつも笑わせてくれる暴力太郎という作品が大好き
好きと愛してるの違いをテーマにした恋のニノウチも最高。恋のニノウチは彼の作品には珍しくアクション作画も楽しかった!
その作品がなんだったのかはもう覚えていない
公開されている無料漫画、連載されている有料漫画、漫画皇国という彼のブログ、人生思考囲いというネットラジオ。
この辺りを中心に彼を追いかけた
彼の関わっているコンテンツで一番好きなのはネットラジオ人生思考囲い。
なんと漫画が一番ではない!
私にとって刺激的でエキサイティングなのは彼の問題提起力と視野の広さに触れること。
連載作品は説教臭くて読むのをやめてしまったが(ほんとごめん。悲劇だ。でも合わないものは合わない)彼の考えに触れることが大好きだ。
漫画が好きで描こうとしたが若い頃は一作品も描きあげることができなかった
スカウトを受け多くの読み切りを掲載し連載を勝ち取り現在に至る…
私は彼の人生を美しいと思った!とても強く!!
逆境に負けず、社会人として自立し、家族を助けつつ自分の好きな漫画を連載する!
本当に憧れたし尊敬した
彼のように強く美しく生きたいと思った
彼の読み切り漫画が好きだし彼のトークが好きだし彼の生き方が好きだ
私がピエール手塚さんをネットで耳にするとき、大抵は作品ではなく彼自身のライフスタイルが話題になっている。
通勤退勤電車でiPadで漫画制作、友達とカラオケしながらiPadで漫画制作、会社役員昇進、少し前は連載も2本で読み切りもちょくちょく載せていた。
凄まじい生産力。
どうすれば彼みたいになれるのか?ヒントはないか?ネットラジオを聞いただけでは全てはわからない
そしてついに直接的なインタビューが行われ、記事が掲載された。
これをきっかけに彼の元には少なくない批判が寄せられたことがネットラジオで彼自身から語られた
ラジオにおけるピエール手塚さんの反論と、私自身がネットで探した彼に対する批判を要約すると以下。
批判者「彼のパフォーマンスは彼が体力があるから可能なのだ。管理能力云々はその次。しかも本当に体力があるかも疑問。健康を犠牲にした愚かなスタイルなのでは?(以下人格攻撃するものも少数ながらいた)」
ピエールさん「私は善意でインタビューに応じたのだし、仮に不健康だったとして私の勝手である。だが健康診断は良好だ。あなた方の批判は主に口調が失礼だ。」
この時の収録でピエール手塚さんはかなり感情的になっていたが言っていることはまともだと思った。
彼は一時的に不調に陥っているのかもしれない。
……
人格批判は不快だろうけど、普段冷静で多角的な視野を持つ彼がここまで怒っていることを私はとても不思議に思った
こういうふうに捉えられる記事内容だったかもねと軽くあしらうのが、私が思うピエール手塚。
一方ピエール手塚さんはラジオパーソナリティから自ら降りてしまった!!
私は8月8日のインタビュー記事の批判を皮切りに彼が怒っていたのだろうと思っていたがそうではないようだ
これを裏付けるトークが2024年7月19日のラジオ第371回で行われていた
ファンからの投稿を読み上げ、それに対しピエールさん含む三人のパーソナリティが話を展開するのがこのラジオの基本形式
この回の私の注目した投稿の内容を要約すると
「ピエール手塚さんは2024年初頭から元気がないようである。加えてここしばらく自身のブログに対する批判に怒っており、このネットラジオでその怒りを発散するのはやめてほしい」
この指摘を受けたパーソナリティたちは、自分たちの身に降りかかった出来事を振り返って笑っていた。
身に降りかかった、という表現をしていたので良いことではないのだろう
彼らは投稿者の洞察に驚きつつ笑っていた。大筋で疲弊していたことを認めていた
7月19日の時点で彼はすでにブログ上で批判を受けていたようだ。インタビューは8月8日なのに。
加えて異常な繁忙期だったとも言っていた。
つまりインタビュー記事以前に、忙しく弱っており泣きっつらに蜂でブログが批判に晒されていたということか。
2024年の傾向としては会社員としての気づきに関する記事が多かったので、繁忙期だというのは間違いないと思う
ブログへの批判はこちらからは見えないダイレクトメールなどで行われていたのかもしれない
さらに中止の発表から新規で2件の映画や漫画に対する普通の感想記事が投稿されていることもわかった
それまで会社員としての記事が多い中娯楽に関する感想記事に内容が移っている
うーん
元気なのか弱っているのかよくわからない
推理ゲームで彼の心の機微に触れようとした私の行動はそもそも良くないですね
客観的に確かなことは
②インタビューと関係なくブログが批判に晒されさらに疲弊していた
の4点
爆発も自発的にしたわけではなく投稿者のメッセージがきっかけだった
メッセージ自体はピエールさんを傷つける内容ではなかったが弱った体には少々厳しいトピックだったかもしれない
ブログを読むに彼は会社の過酷な労働環境を改善したいと普段から努力している側だが
しかし自分の生活は過酷であり、さらにその点が世間から評価されインタビューまで受けているのだ
その生活を生き抜く工夫はもはや工夫ではなく彼の作品だと私は思う
それを善意で公開して批判されたら傷つくのは自然なことなのかも
その手法が賞賛される社会に単純になって欲しくないと私は思う。
ピエールさんは個人の頑張りとして話しているのだから強制なんてしてないけど
褒めるな止めろということだが、そんなことしたから本人は鬱陶しがってるわけだ
ラジオの共演者たちも彼の疲弊には気づけていても、彼の怒りには気づいていなかったのだと思う
メッセージを選ぶ立場のパーソナリティは爆発回のアーカイブでこう言っていた
「手塚さんがこんなに傷ついているなんて知らなかった」
身近にいても気づけないのはピエール手塚さんが自分の不機嫌をある程度隠せる我慢強さを持っていたからだろう
私もラジオを聞き返してここまで真剣に怒っているとは最後の爆発回まで気づけなかった
他の過去回を遡ると、忙しすぎてやばいので会社をさっさと辞めろと言われている回もある
これは半分冗談のように聞こえたが半分本気で心配していることでもある
批判者から見ても共演者から見ても無理のある生活を続けているように見えるのだろう
私も無理だろうなと思う
健康診断が大丈夫なら肉体は大丈夫なんだろうが、精神面での無理が爆発を招いたのだろうか
以上の結論は
ピエール手塚さんのように強くなれない脆弱な私が、ピエール手塚さんの強さを封じ込めようとした呪いだと思う
その側面は間違いなくある!
ファンを自認している私ですらこれだ!
認めたくない汚い部分!
認めたくはないが、彼のスタイルがもしスタンダードになった場合、私は間違いなく社会から落第する体力しかない…
彼は強く私は弱い
出る杭は打たれる
私と批判者の間にある違いは、杭を打つ力を心配と呼ぶか批判と呼ぶかだけだ
彼は強さの秘訣を弱者に開示しようと努めてインタビューに応じてくれたのだろう
でも弱者のいる後ろを振り返らずに高いところまで走って逃げるべきかも
その力も強さも持ち合わせているように思う
でもきっとなれないと自分でわかってる
その弱い自分に自覚的になりつつ、強い人へのやっかみをしないようにしたい
かっこわる
おわり
増田はインディーゲーム開発者で、今オープンワールドのゲームを作ってる。
イメージとしてはGTA的なゲームだと思ってもらえば大体合ってる。
自由度が高く、基本的には何でもできるんだけど、これまでのゲームとは一つだけ大きく異なる点がある。
それは、コンテニューが出来ないということだ。
一度死ねばそこで終わり。
コンテニューすることは不可能で、二度とこのゲームをプレイすることは出来ない。
ここで少し、この尖った設定を組み込もうとしているきっかけというか、経緯を聞いてほしい。
死が軽すぎる、ということだ。
もちろんゲームはフィクションだ。いくらでも死んで、いくらでも蘇る。
でもそうしたフィクション性はドット絵のゲームでこそ違和感なく受け入れてこれたが、現実と見紛うような美しいグラフィックとなるとその違和感が顕著になり始めた。
プレイヤーたちはこれがゲームだと知っている。だから平気で無謀なことをするし、あえて無茶なことをしたりもする。
でもさ、もっと命を大切にしてほしいって思うんだよ。たとえゲームだとしても、その世界がゲームじゃなくて実際の本当にある世界であるよう感じられるように。
だからコンテニューできないゲームを作ろうと思っている。いや、正確にはもう作り始めていて、全体としては6割ほど完成している。
一度死ねばコンテニューできず再プレイも不可能となれば批判が多いのも分かってる。
その対応として、値段を大幅に安くしようと考えている。
このゲームの値段は100円。
100円なら、再プレイできなくてもそれほど批判の声も上がらないはずだ。
それに一度死ねばそこで終わり、復活することが出来ないと知れば、実際の人生のように命を大事にしてくれると思う。
この設定、どう思うかな?
うちの会社にいる海外の映画や音楽を好んで視聴する先輩がいちいち他の人の好きなものサゲをしてくるのが、本当にキツい。
「◯◯っていう邦画を観たよ!」という人がいれば「邦画ね〜…邦画ってどれもこれも似たような内容で社会的なメッセージも特にないし…観た方がいい映画もっと他にあるでしょ」みたいなことを言う。
「◯◯っていうアニメを観たよ!」という人がいれば「アニメね〜…海外の◯◯(作品名)とかはアニメだけど絵柄もオタクに媚びてないし、ちゃんと社会問題についても取り入れてるから観てるけど…日本のアニメって絵柄がキモくない?」って言う。
「◯◯ってアーティスト(邦楽)のライブに行ってきたよ!」という人がいれば「邦楽ね〜…最近の邦ロックとか本当に興味もてなくて(笑)日本人って本当に洋楽聴かないよね…恥ずかしい」って言う。
「ジャ◯ーズが好き!」という人がいれば「え!?カッコいい人…いる!?私は◯◯(外国人俳優)くらい身長も高くて顔も良い人じゃないと好きになれないわ(笑)」って言う。
誇張じゃなく、本当にこのまま言う。
友達とか恋人とか家族とか、今後も長い付き合いになるごく親しい人との会話ならまだわかる(わかんないけど)。
職場の休憩時間に数人で雑談してるときにこれされると当たり前だけどシーンって場が凍って「はは…あ、そうなんだね〜…」って周りが大人の対応してその会話は終わり。
ちなみに、私は無趣味人間なので「趣味がないって本当に理解不能(笑)何のために働いてお金稼いでるの?」ってその先輩によく言われるけど、実際自分でもそう思ってるし、みんなみたいに何か好きなものがあればもっと人生が楽しそうだな〜と思ってるので、そこに関してはあんまり腹は立ってない。
でも、先輩と他の人の会話を聞いてるとすごいイライラする。
他の人は先輩が好きなものの話をしていても馬鹿にしたりなんかしないし(当たり前だけど)、なんなら質問を交えたりして会話を膨らませたりしてるのに、先輩は人の好きなものをサゲてばっかり。
自分の好きなものをサゲられているわけじゃなくても、聴いていて不快になる。
先日、先輩が最近観た洋画の話をしていて「◯◯(俳優名)の演技がすごく良くて〜」と先輩が話すので、その場にいた同僚が「どんな人なのか気になる〜!その俳優さんは他にどんな映画に出てるんですか?」って質問したら「え!?◯◯知らない!?◯◯だよ!?…え〜、◯◯知らないのか…(ため息)」ってわざとらしく呆れた顔してて本当に不快だった。
職場にはいろんな趣味を持つ人たちがいて、私のように無趣味な人間からするとみんなそれぞれ好きなものの話をするときは目がキラキラしてて素敵だなぁと思ってる。
それは先輩に対しても同じで「もっとたくさんの人に海外の映画や音楽を視聴してほしい」って熱く語る先輩を見ていると、そんなに好きになれるものがあって羨ましいと心から思う。
一度、先輩の趣味に対して「私、そういうの興味もてないんです」ってはっきり言ってる人を見たことがあるけど、先輩はその人に対して「海外の映画や音楽は社会問題をテーマにしているものが多くあって、そういうものを知ることは大切なこと。興味を持った方がいいと思う」って答えてて。
先輩の言ってることは正論だなと思ったけど、でもやっぱり他の人の「好き」を馬鹿にするような人間の言葉は全然心に響かなくて、私は先輩のすすめてくる映画や音楽は一切視聴しないと心に決めてる。
「もっとたくさんの人に海外の映画や音楽を視聴してほしい」と先輩は言うけれど、少なくとも先輩のせいで1人は視聴者減ってるよ。
ろくでもない人間でも30代も半ばにさしかかるとさすがに理想の自分とそうならない自分にも折り合いがついてくる。無理に人付き合いをしない事にした。だいぶ楽になったしやっと人生にも自分にも慣れてきたと安心してたのに、初対面の人と会うと駄目らしい。前の自分に戻っていた。全然折り合いついてないじゃないかと頭を抱える。
私は関東郊外の住宅街にて信用金庫勤務の父親とパートの母親の間に次男として生まれた。
兄と姉がいる。
平凡な家庭で幸福に育ち、両親にも兄や姉にも不満はない。それどころか家族には感謝してるし今でも大切な存在である。
それでも昔から家庭に鬱陶しさを感じ根無草な人間に憧れていた。
一仕事を終えた後にバーで時間を過ごし、帰る場所もないのに夜の都会に消えて行く。
未来を案じてくれたり、身体を心配してくれたりする肉親はいない。
そんな人生に憧れていた。
私の家庭は門限だってうるさくなかったし、四六時中勉強しろあれしろと口うるさく言われる家庭でもなかった。彼女や将来についてあれこれと口を出されたり詮索されることもなかった。大学時代から一人暮らしをさせてもらった。
それでも家族、親戚、親しい友人、地元の近所の人たちなど自分にとっての「根のようなもの」に煩わしさを感じる時がある。
社会からのはみ出しものになる度胸もなかった私は大学卒業し警察官となった。
警察学校を卒業し地域課へ配属。休みも惜しまず空いた時間には署の刑事課の手伝いや下働きをして刑事課へ。
しかし、既にわかっていたことだが、優秀な日本の警察における刑事というものは杉下右京や銭形のようなハードボイルドな存在ではなく、先代たちに築き上げられた流れに沿って捜査を進め、情報を集め、書類を作成し、機械的に被疑者を拘束し送検する作業員であった。
バーで過ごす時間などなく、怪しげな路地裏を歩くこともなく、場当たり的な張り込みもなく、ほとんどの時間を署内での書類作成に費やしていた。
給料もよかったし、同期や先輩、後輩との人間関係もよかったが拘束時間に悩み結局退職。
年齢制限ギリギリで地元自治体の公務員試験を受け、現在は地元で彼女と同棲しつつ役所勤め生活を送っている。
幸福で充実した日常を送っているが、ふとした瞬間にやはり自分を囲む人や関係や縁に対して煩わしさを感じる。
だからと言って根無草にはなれない。
彼らのような人間は現代日本にはいないし、彼らのような生き方は現代日本ではできないのだろう。
根無草な人生への憧れや根に対する煩わしさを感じた時、私は繁華街のバーに行って一人でオールドパーをロックで数杯飲んで過ごしたり、首都高までドライブに出かけ「ルパン三世のテーマ’89」、TM NETWORKの「Get Wild」、Vaundyの「トドメの一撃」を流したりしている。
根無草に憧れた凡人の自分語りでした。
どっちが悪かろうとそこにただ何かしらの問題があって妻はなんか気に入らないことを言ってくるっていうことだけが事実だ。
妻が悪いんだと思いたいならそう思えばいいし、
夫が悪いんだと思いたいならそう思えばいいけど、
あるいは緩和されなくてもそのままの関係性で一緒にいられるのかってことでしかないわけで。
相手に「それはお前のせいだから態度を改めろ」って正論めいたことを言ったところで解決なんかしないのはわかるっしょ?
自分が悪いからって思ったって、どうにも解決できなくて我慢できないことを無理無理我慢しなくたっていいんだよ。
まあ子供が小さかったら子供には迷惑かけることになっちゃうけどな…でも大きいなら大して問題ないっしょ。
それにまあ親もそういう解決できない問題にぶちあたっちゃったことは自業自得っていうよりは不運のほうが大きいと思う。
そういう苦労をせずにうまくやれてる家庭もあるだろうし、相性の問題もあるかもだし、
あるいはそういうのを最後まで我慢できちゃう人もいるかもだけど我慢できない性格なのもたまたま持って生まれたものでしかない。
そういう親の元に生まれちゃった子供もやっぱり配られたカードで勝負するしかない。
まあ実質お子の世話を毎日して育て上げたのは妻さんなんだから「子供を立派に育ててくれてありがとう」でいいんじゃないかな…
そしたら多分妻さんは「いやいや夫さんが稼いでくれなかったら私もここまではこれなかったのでありがとう」って話になって丸くおさまるんじゃないだろうか。
丸く収めたいなら、だけど。
この夢は、あなたの現在の心理状態や生活状況を反映している可能性が高いです。深く分析してみましょう。
水泳大会は、あなたの人生における競争や挑戦を表しています。これは仕事、学業、または個人的な目標かもしれません。水は感情や無意識を象徴することが多いため、この夢はあなたの内面的な成長や感情的な挑戦を示唆しているかもしれません。
プログラムを確認していないという設定は、あなたが現在の状況や将来の出来事に対して準備不足を感じていることを示唆しています。これは、重要な決断や変化に直面している際によく見られる不安の表れです。
いきなり飛び込み台の上にいたという場面は、予期せぬ状況変化や責任を突然負わされたことを象徴しています。これは、あなたが現実生活で突然の変化や予想外の出来事に直面している可能性を示唆しています。
手にビニール袋がまとわりついて上手く泳げなかったという部分は、あなたの目標達成を妨げる障害や困難を表しています。これらの障害は外部からのものかもしれませんし、あなた自身の内面的な制限や恐れかもしれません。
夢であることに気づいたという場面は、自己認識の高まりを示しています。これは、あなたが現実の状況をより客観的に見られるようになったことを意味するかもしれません。スイムキャップを捨てる行為は、古い考え方や不要なストレスから自分を解放しようとする意識を表しています。
この夢は、あなたが人生の重要な局面にいることを示唆しています。準備不足を感じつつも、突然の挑戦に直面し、それに立ち向かおうとしています。障害はありますが、それらを乗り越える力もあなたの中にあります。最後に夢だと気づいたことは、あなたが現状を客観的に見る能力を持っていることを示しており、これは問題解決に向けた重要なステップです。
この夢は、あなたに次のメッセージを伝えているかもしれません:準備をしっかりと行い、障害に直面しても諦めず、そして時には古い考え方や不要なものを手放す勇気を持つことが大切だということです。
即引越しして12万円くらいの家賃のところだったなら、それ以降は月6万円貯蓄できる。
1年で72万円、引越し費用は1年でほぼ取り戻せる計算じゃない?
なるべく早いほうがお得♡
お子を考えるならいい保育園が近くにあるかどうかとかもよく調べてみてー
夫さんが自分のQOLを優先させろって言ってきた時だけ、その言葉を使えばいいのよ!
あと他の人も言ってるけど、他にも多分減らせる固定費ありそう。
マネフォとかでもよくフィナンシャルプランナーの紹介とかやってなかったっけ?使ったことないけど。
そういうのとかで相談してみたらどうかな?
1年で72万円の貯蓄、そのままでいくならちょっと不安な気もする。
夫さんにはそのままなんとか定年まで頑張ってほしみある。
そして出産とかすると体力落ちるので今以上の収入が望めるのかどうかとかも不安だろうなと思う。
私も自営業で出産後やっぱり体力なくなって収入落ちて、子供もう中学生だけど全盛期まではまだまだだ取り戻せてない。
まあでも多分、増田は夫さんのせいにしてるけど、一番QOLを落としたくないのは増田なんじゃあないだろうかって気はしてる…
だったらお子を諦めるっていう選択肢もあると思うけど、自分たちの人生におけるプライオリティをよく話し合ってみたらどうだろうか。
そこ食い違って埋めようがないなら、その婚姻自体に意味はあるのか?っていう話もせざるを得ないと思うけど…
でもさー、私もQOLが下がるとかあれもできなくなる、これもできなくなるって漠然と不安に思ってたけど、いざ子供できてなんもできなくなって落ちたら落ちたで全然苦でもないよ。
興味が全く別のことに移るっていうか。別に大したことじゃなかったなって思う。
まあ私の場合だけど。
わたしは30代で経済状況、交友関係、パートナーそれぞれ全く不満ない
そんなでもこの人生は生きるに足るようなことはない
そんな人生はつらすぎるだろう
ましてやそんなつらい人生を送る主体をさらに生み出すなんて犯罪的行いだったのでは
なにか慰めを見つけるといいんじゃない
「嘘っぽい」→現実と考える要素を持ち合わせていない
「青いな」→青く見える
「顔真っ赤」→真っ赤に見えている
「くだらねえな」→それに価値を感じていない
「こういうやつらって、何なんだろうね」→そういうやつに囲まれている中でそれを理解し対応できていない
なにを言っても結局発言者の目に見えてるものを発言者の脳が処理した答えしか口から出んのよ
馬鹿といったほうが馬鹿、というのは毒を毒だと言うのは毒が効く生物だけだというのと同じ
16Pの漫画がすごいとか濃厚とか最初に評価したやつの言葉を借りて連呼してるだけみたいなのも同じ
そう見えたんやろねその目から見たら
現実はどうであれ視力0.1の人間が信号を青と見たんなら青だろうね
青だとみてやがると馬鹿にするのもいいが本人にはそう見えてる事が理解できずにただ自分とは違う事を言ってるだけなら言葉にする意味もない
すごいやつがすごいと言った言葉を繰り返してみるとなんだか俺もすごいんじゃないかそれがわかる側の人間なんじゃないかという気持ちにはなるんだろう
嘘っぽいと見えるやつに人生経験が足りないとまで見えるんだったら、みえましたと挙手してもらってもそうだね見えるんだねとしか言ってあげられないね
俺はそうやって、どうなんだと思う事があったんなら共感したりする表現とかさがしたり借りてきたりしたらいいんじゃないのって思うね
じゃあお前はどうなんだって言われると、俺も「嘘っぽい」って何なのかという人間は嘘とは何かを知っていてそれを自分も言うから信じられない事がわかる共感はしてるのだろうと感じる
俺も嘘つきだからね
自分のような無能な人間が結婚なんて選ばなくて正解だった、とも思う。
結婚・育児において求められる事務処理能力、関係調整能力、社会・金銭を問わない十分な資本力、諸々を持ち得ていない自分が、結婚なんてことをしようと思わなかったことが、なんというか間違ってなかったよ、と言われたような気分になる。
もちろんできなかったことに対しての言い訳をせっせと積み重ねているだけなのかもしれないが、これだけ積み上がればもう腰掛けたって崩れたりはしないんじゃないかな、なんて思ったりもする。
もし実際に結婚したとして、俺はきっとまともに子育てもできなければ配偶者との関係もまともに維持できないだろうことは、仕事の不出来や人間関係の杜撰さなどから明らかなんだから。
それで不幸を被るのは、本来最も幸せにしたいと願うべき子供や配偶者なのだから。
Xでこの間「アフォメーションは大事だよ。自分のことを、自分の娘だと思って大切に接しよう」というのを見かけて、なるほどなぁと思ってなんとなく思い浮かべてみた。
そしたら、俺はほぼ同時にそいつを蹴り飛ばすことにしていた。
自分で愕然としたというか、蹴り飛ばされたことなんかそんなないし、人を蹴り飛ばしたことなんか人生で一回もないんだけど、もうガンガン蹴り飛ばしたくて仕方がなくてヤバいなって思った。
生きる意味とか人生の意味とか頭いい人はそんなのどうでもいいじゃん?って感じだけど
それほど頭良くない人はそういうの求めちゃって自分の器以上のもの求めて鬱になったりするんじゃないの