はてなキーワード: キャッチボールとは
内定者懇親会がその企業が所有してる一般人立ち入り不可の文化財みたいな会館で立食パーティーとか、
大学の同級生は皆そういうのに目輝かせて物凄い好印象を抱いて入社を決めていたけど、自分は一切トキメキを感じなかった。
今勤めてる会社に入ったばかりの頃、
「最寄り駅まで5キロあるし、しかもバスが1時間に3本しかない」
「えっ、そんなん車かバイクで来ちゃえばいいじゃん」
「ここ停めてりゃ大丈夫よ。〇〇さんとか△△さんとか毎日車通勤だよ?」
とアドバイス貰ったときに脳内で幸福成分がドバドバ分泌されるのを感じた。
また、仕事中に
「昨日YouTube見てたら岩瀬がスライダーはシュートみたいに内に切ってリリースするって言っててびっくりした」
という話をしてたら、横で聞いていた上司が
「それ凄いな。試してみよう」
と机の下からグローブを2つ取り出してそのまま昼休みに敷地内でキャッチボールすることになったときも同様に幸福成分がドバドバ出た。
あと、近くに住んでる社員は昼休みに一旦帰って飯食ったり昼寝したりしてるって聞いた時も同様だった。
高校時代に剣道部だったんだが合宿にオヤツを持参してた同級生が顧問から引くほどキレ散らかされてたんだけど、
こういう「誰にも迷惑かけてないんだからいいじゃん」が徹底的に許されない風土が凄く苦手で(他にも仕事優先で親の死に目に逢えないが美徳になる会社とか)、
そうした風土が消え失せてる共同体に物凄い救いと歓びと感動を覚えるんだよな。大人なのに。
もう今年で三十になる。
ちなみに、
昼休みに歯医者行くとか、デスクにハンカチ敷いて昼寝するとか、W杯観戦に有給使うとか
そういうのが何ら問題視されない文化の企業を観測すると無関係者であるにもかかわらず嫌悪感剥き出しで
「潰れればいいんだよそんな会社」
あ、「メンタルヘルスの人」ってメンタルヘルス全般に理解がない健常者なんじゃなくて、
自分は彼らとは違うと思ってるタイプのメンタルヘルスの人本人が言ってただけか。
この内容でいきなりどこからかの引用を持ってきたり、自分が薬飲んでないって自分語りを始めたり、会話のキャッチボールできてない(普通じゃない)から薬飲んだほうがいいぞお前。
当方、一卵性双生児(男性)なのだが、兄弟でやって楽しかったことを書き連ねてみる。
・スマブラ
当時は現在と環境が異なり、対人環境がオフラインしかなかったため、対戦相手を用意するだけで一苦労だった。
私は双子であったため、家に帰ればすぐに対人練習ができる環境であり、双子揃ってどハマりした。
腕前が同程度の相手と何度も練習するのは効率が良かったのであろう、2人とも地区大会選出程度には上達できた。
・野球
親の影響で始めたのがきっかけ。
なお、負け試合は互いのボール/リードのせいにしてよく喧嘩していた。
高校からは互いに、多少の反発心もあり、違うチームでプレイしたが、帰宅後の自主練は2人でよくした。
おっさんになった今でも、たまにキャッチボールやバッセンに行く。楽しい。
自分が学生時代の時には、まだまだオタクに対し風当たりが強く、周りにもそのような趣向の友人がいなかったため、隠れオタクをしていた。
ある時、互いの部屋にオタク関係のアイテムがあり、互いがオタクだと認知したとき、兄弟のみで嗜好をオープンにした。
やはり1人より2人で作品を考察し、キャラを愛でるのは楽しく、どっぷりオタク趣味に浸かっていった。
2人でコミケにいき、たくさんはしゃいだのも良い思い出。
・友達交換
双子ならではだが、お互いの友達が確実に同年代かつ、趣味嗜好が合うため、互いの友人を呼んで交流をたくさんした。
上記のオタク趣味が顕在化してからは、そのようなグループも交えていろんなところに旅行へ行ったり、BBQをしたりした。
・キャンプ
もともとソロ気質が高い人間であり、ソロキャンプをしていたが、せっかくなら一緒に行こうと兄を誘ったところ、刺さったもよう。
気を使わなくていい相手と、取り留めのない話をしながら酒を飲み、火に薪をくべる時間が、どうしようもなく好きだった。
・子育て
先に私が結婚し子どもができたが、甥っ子に当たる私の息子を兄はよく可愛がった。
これからは、このコンテンツがメインとなり、兄と楽しんでいくんだろうな。
同世代の1番の友人であり、ライバルであり、家族である双子の兄、書き連ねてみると、一つ一つは大した思い出でもないが、やはり居てくれてありがたい存在だ。
ネット掲示板の類ではまず無理というのは承知の通り。飛び入りOKだったらバカに合わせることになるからな。
では会員制サロンやリアル友達なら可能かと言うと、可能になるときもあるが条件揃うのはけっこうレアである。
そもそも他人とキャッチボールしながら考えたいという望みは正当なのか。他人と話せば効率よく気付きが得られるみたいなのは本当なのか。それは過去にたまたま条件が揃った得難い機会にそうであったかもしれないが、そのような集まりが常態化定例化すればすぐに輝きを失うだろう。
“そのこと”に本気で関心があるなら一人で考え続けて飽きないはずではないか。
また、自分の中で真に重要なテーマとして抱えるものがあれば、人生においてほんの時折巡ってくる「対話のチャンス」を逃すことはないのではないか。
直接会話するのでなくても単著のようなまとまった形で発信すればいつかどこかでそれを手に取る人もあるだろう。
大学卒業からずっとフリーランス1本で、25歳にしてやっと実家を出てひとり立ちした。
もともとは祖父母の家に2世帯で住んでて、小学校入学と同時に親子3人は引っ越したけど、すぐに母親がおかしくなった。
なので父のすすめもあり、7歳ごろから引っ越し先から舞い戻り、私は祖父母に育てられた。
ロクに育ててくれなかったし、自己中だし、幼い頃は急に学校に押しかけてきて教員たち相手に身の上話を始めたり
その割に交友関係が狭いから生きがいは娘の私だけ。「愛してる」「心配なの」「あなたのためを思って」ばっかり言う。
典型的な毒親でさんざん迷惑をこうむったので母親のことが大嫌いだ。
だけど両親の家と祖父母の家は駅1つしか離れていなくて、たまに母親が私目当てにやってくる。(祖父母は煙たがっている…)
いずれ家を出たことはバレるので、こちらから言うほうが母親の精神的ダメージは少ないだろうと思ってはいた。
だけど有無を言わさず出たかったから、前々から話を進めるのは父とだけにして、母には事後報告になった。
母親の中で私はいつまでも統合失調症発症時の8歳のままだし、「やり直したい」「家族3人で暮らそう」と何度も言われていた。
だが、私は精神疾患を甘く見ていて、この選択は間違いだったと今なら思う。
事後報告後、驚かれはしたが、別段いつもと同じように見えたのでそのまま新居に帰った。
1か月すぎたあたりから、通話の中で、もともと母親だけ入信していたキリスト教の話が増えた。
「仏教を信仰してると天国に行けませんよ」とか「聖書読みましょう」とか「ノアの箱舟」「アブラハム」の話をされたり
「祈りをささげてたら天啓がきた。増田ちゃんに試練があるとの預言です。」「夢に黄金の盾が出てきた。増田ちゃんは大丈夫」「イエス様に感謝します」
電話越しに讃美歌を歌われた。アカペラで。歌うまいね~って言っといた。
嫌な感じだ。
母親の統合失調症が一番酷かった時、家族皆で取り押さえてマンションのロビーまで引きずって、深夜に救急病院に連れていった。
でかい総合病院の中は非常灯しかついておらず薄暗くて、精神科だけに明かりがついていた。
その中で母親は泣きながら聖書を持って、医者に布教していた。私が8歳くらいの時のことだ。
このことを思い出した。
最近は季節の話とか、仕事は順調かとか、たわいない雑談をかわして通話は5分で終わりだったけど
あとはいつも私が子供のころの話ばかりする。多分時が止まってるんだと思う。
再発の予感がする。
父親にLINEしたが、父親も母親に辟易しているし、仕事は出張ばかりだ。
実際、「俺はもうすぐ死ぬから、あとはよろしくな!まあ母親の顔つきはまだ大丈夫だから…病んだらもっとヤバいから」と言われたりする。
ヤバい顔つきになったら手遅れだろそれは。向き合え。
実際母親は薬を長年飲み続けて今は落ち着いたが、代わりに脳味噌が綿になった。
まず知識が衰えたというか、欠落した。
電車の乗り換えができない。
私は実家がある千葉から神奈川に引っ越したけど、距離感が理解できず「増田はものすごく遠いところへ引っ越した」と思っている。
相手を慮るとか、想像力を働かすことができなくなったから、純粋な悪気のない自己中と化した。
「自由にさせろ」というと逆効果なのはもう学んだので流すようにしている。
今彼氏がいて、このままならこの人と結婚すると思うけど、母親と会わせたくない。
父親は「結婚するなら、精神障がい者の母親の存在を受け入れてくれなきゃねえ」と言ってて、
母親は「私は正常です!私が精神おかしいことは彼氏には絶対言うな!」と板挟み。
私は
「存在は言うけど、母親と彼氏(彼氏側の家族も含める)は極力会わせない。」
彼氏がもし将来夫になるなら、実際に会って面倒を見てもらうとか、施設へ行かせる老後資金を援助してもらうなどは絶対にさせない。」
と決めている。
母親をどうすべきか?
母親とどう付き合っていくか?でこんなに悩んでいるの、本当に時間の無駄で無性に腹が立つ。
大抵の人は、喧嘩でも雑談でもなんでも、両親と会話のキャッチボールができているというのに。
私は母親とのLINE通話後、その日はそれ以降一切仕事ができなくなる。
5分程度で終わらせていた通話も最近は20分30分。宗教の話を始めると止まらない。切って終わったと思ったら2回くる時もある。
再発が怖くて、毅然とした態度を取れない。
通院は続けているが、本当はかなりギリギリな気がする。
本当は「あなたから離れたい」「縁を切りたい」「金輪際関わらないでほしい」と言いたい。
それで病んで自殺したりしても悲しまない。むしろ肩の荷が下りるだろう。
タイミングを見計らっている。
彼氏と彼氏の家族に1度会うまでは、正気でいてもらわなければ。
もしくは、もう今のうちから突き放しておくべきか?
吐き気がしてきたので終わる。
あいさつ運動の一環で、帰り道同級生の男子と裏門付近でキャッチボールしてた大学生のお兄さんにあいさつしたら、後日家のポストに可愛い女児向けの封筒入ってて「付き合ってください」って内容のお手紙来た。
ちゃおっ子だった私は大学生のお兄さんとお付き合い!って舞い上がって、毒親の母親も「私もお父さんと10歳差だから」って8〜9歳くらいの歳の差()を許して私とお兄さん付き合ったよ。まじで怖いよね。ていうか私もバカなんだけど。
一回二回親同伴でデートした。別に性的なことはなかった。まじで不幸中の幸いだったと思う。あとデートというか、毎日ぱどタウンでネットチャットしてた。その後私は3ヶ月くらい?で同じ小学校の2個上の先輩が好きになったので大学生を振った。
降った後は大学生は寝込んだらしく、それがめちゃくちゃ怖かった、親からは「恋愛ってそういうことよー」と言われたけど今でも怖いわ。小学生に受け止められない内容だった。
もっと怖いのは、そのお兄さんは同学年の女の子に同じようにお手紙を投函して、何人目かが私だったということ。その後、普通に地域の夏祭りで出店で優しいお兄さんとして溶け込んでたこと。
統計がないようなことは自分の経験談で語るしかないのに、そういう態度を頑なに否定する人っているよね。その方が意思決定者として安全ではあるだろうけけど、なんというかヒューリスティックを全否定してる感じなのがやや非建設的な態度に感じる。こういう人が一人議論の参加者の中にいると議論は萎縮し実りある結論を得づらいだろうし、何より話し相手としては絶対避けたい相手。経験則が正しいことなど絶対有り得ないみたいな相手とまともに会話のキャッチボールが成立するとじゃ思えない。自分が賢いと思ってそう。融通が利かないだけなのに。
まぁ、あまり議論をするつもりはありませんが、「サンプル一人からの極端な一般化」が嫌なんですね。
しかし、一人と言っていますが、一般的にそういう傾向があるように感じたんです。
私が高校生のとき、理系でしたが、そこの数学教師はめちゃ数学が出来ましたが、古文漢文とか英語をバカにしていました。
これでサンプル二人目ですか?
なぜ、そこまでムキになる?
なんか同僚と仕事のやり方が全然あわなくて、仕事が全然進まないんだけどなんでなんだろうな……と色々考えていたんだけど、そもそも以下のような前提が共有されていないことに気づいた。
で、わざわざこんな増田書くくらいなのでみんなに聞きたいんだけど、こういった考えで仕事するときのデメリットとか落とし穴って何があるか教えてくんない?
なんか放っておいたら同僚やめそうな気がしてて、別にやめさせたいわけじゃないのでもうちょい優しくしてやりたいし、↑みたいな考えは本人に伝えてるんですが、そもそも俺の方が間違ってるとしたらどの辺なのかなーってのを聞いてみたくなった。
8月18日~8月20日まで新宿マルイワンで開催されたお渡し会に参加してきました。最終日だけ。
なんのお渡し会かって、認知度向上も含めて言うとね、アイカツフレンズ!の5周年を祝ってのお渡し会。
あのアイカツ!シリーズ3作目の「アイカツフレンズ!」。無印ではシリーズ合同ライブ、スターズ!では感謝祭、フレンズ!はお渡し会です。いいよね等身大で。なんかあいつ等なら本編でもやってそう。ファンとの距離が近いよ。
放送当時にもお渡し会やってまして、自分も参加してたんですがそん時はポスカ渡されて速攻剥がされたんですよ。今回もそうなんかなーって不参加でした。
今回もそんなんかなー思って調べてると「2,30秒ぐらい話せる」ってことだったんで当日買い物して整理券ゲットしました。
ただお話出来るとはいえ時間制限があるので、事前に何を伝えたいかをまとめて挑みました。それがこれ↓
・10thFesのステージ最高だった
・一緒にアイカツ!をやって欲しい
どこまで出来るか分からんけどなんとかやった。
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2人「お願いしまーす!」
僕「10thFesのサンメガミすごい良かったです!凄すぎてフィギュア作りました(ポーチに入れた成果物見せる)」
松「えっすご!フィギュアって作れるんですか?!」
木「すごい!」
僕「作れるんですよ!あとすいません一緒に『アイカーツ!』やってくれませんか?」
せーのっ「「「アイカーツ!」」」
僕「ありがとうございます!それじゃあ失礼します!!」
松「可愛く作ってくれてありがとうございます!」
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死
終わった後若干の多幸感を味わったのち「もっとこうしておけばよかった…」と後悔の洪水に飲み込まれた。
なにがいけなかったのか、もっとこうすればよかったところを以下に記す。
①伝えたいことが先行し過ぎた
時間制限がある以上、事前に何を伝えたいのかを整理しておくのはもちろん重要だが、それにとらわれ過ぎるのもよくない。
なぜなら上記を優先するあまりそれ以外の対応が全く出来なくなる。
今回で言うと自分は「10thFesのサンメガミが強過ぎた」「成果物を見せたい」「アイカーツ!を一緒にやって欲しい」この三点を念頭に置いて挑んだわけだが、それ以外の行動を完全にすっ飛ばしている。せっかく目の前に推しが二人も、机一つ挟んでいるのであればもう少し会話できたはず。あまりにも勿体なさすぎる。
また、完全に失敗したことは成果物(有形物)を見せることを目標の一つに挙げてしまったこと。
これ、結構やることが多い。「成果物を見せる」「会話する」「キャストを見る」「時間を考慮する」とやることが多過ぎる。喋る見る動く考えるを一気にやってるわけだからパニックにもなってしまう。実際、自分は必要最低限の事しか出来なかった。せめて「成果物を見せる」を削除しておけば「喋る」「見る」の二つぐらいに絞られたのではないだろうか(時間考慮は初回だとどうしても意識しちゃうからしゃーない部分もあると思う)。
「認知されてぇ」と自分のエゴを押し出した結果残念なことになってしまった。作品があって自分があることを意識すべきだった。テメーが前に出ることはない、ただゲストを見れるだけでいい。そのうえで会話を楽しめれば直義。
伝えたいことを優先し過ぎたせいでちゃんとゲストのお顔や衣装を目に焼き付けることが出来ませんでした。これが一番やらかしたことだと感じてる。
みなさんイベントで推しとどこまで接近できますか?ライブの最前でもそうそう近くまで行けませんよね?今回は机一台分接近できるんですよ。近距離パワー型なら相手がスタンドを発現させた瞬間拳を叩き込める距離ですよ。
それなのに、それなのにお顔を拝見することが出来なかった。瞼の母を瞼の推しにすることが出来なかった。南斗のシュウだったらオタクの掟により己の両目の光を捨ててますよ。
これねぇ…悔やんでも悔やみきれんよ。ここが一番後悔してる。なんでもっとちゃんと見なかったん・・・?て。もうあれ以上接近できるイベント、向こう5年はないんじゃないかな…。
だって私服じゃなくてスクールドレスなんだぜ?ライブで着てるお馴染みのあの。それ着てるんだぜ?可愛さ100万倍なのに、俺はなんで…ナンデナンデダンスですよ。せめてゲストの目を見てほしい。あっちが自分のこと見てくれるんだぜ?ライブで不特定多数にファンサしただけで「俺にレスくれた!」なんてバカみてーなこと言ってる状況じゃねーんだ。正真正銘あの時だけは自分ひとりだけ見てくれてんだよ。その意味をもっと考えろ。
③ろくすぽ会話出来てない
せっかくスクドレ着てんだから「めっちゃ可愛いですね!」くらい言えばよかった。
ヒ見てるとマニキュア褒めたら二人が見せてくれたとかツイートしてる方がいてね、吐きそうになった。お渡し会上級者か?
事前に言いたいことをまとめるのはいいんだけど、もっとキャッチボールしろ。一方通行になるな。一往復して終わりじゃなくて2,3往復キャッチボールしろ。頑張れ。
④剥がされる前に切り上げた
アホかお前アホか。スタッフに剥がされなければ「お渡し会」は終わりじゃないんだ。肩叩かれるまで全力でゲストを見ろ。会話しろ。
で、次回参加するならこれを意識したい。
③会話を楽しめ。多少暴投してもいい、頑張ってキャッチボールしろ。
つってもね、無理だろうよ。無理に決まってんじゃん。推しが目の前にいるんだぜ?頭真っ白になってパニックになるよ。
じゃあどうすりゃいいかって数こなすしかないんよな。勝手を知るというか。
「見ろ」「話せ」この二点なんとかすりゃ勝てると思うしガンガン参加して養いましょうよ。ああいうのは何度か経験しないと分からん!!!!!!!!!!!!!!!だからもっかいお渡し会やってくれ頼む!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
あと、これは余談なんですが自分は豚なのであいみおと「アイカーツ!」するのは万死に値する(百合の間に挟まるやつ)と思うんですよ。これね、すごい悩んだ。やっていいものか。でも一緒にやった、やってしまった。二人が「アイカーツ!」するとこを満足げに腕組んで眺める異常者も一緒に「アイカーツ!」する異常者も等しく異常者だろと。
「壁のシミになりたい」とはよく聞きますが、自分から言わせてみればシミだろうが人間だろうが「自分」という存在(不純物)がその作品に介入すること自体おこがましい事なので、それ以外は一緒です。あれで完成してるのになにかを追加する必要性を感じない。
だからね、やっちゃったよ……一緒に…多分これ逃したら一生出来ないってのもあって………ごめんな…ごめんな………超楽しかったよ…………。
俺は「ソリティアって一人遊びって意味だよ」と聞いて、それを何故か「ソリティア≒マスターベイション」だと思っていた時期がある。
だから「会社のハゲが仕事中にソリティアしてて」という話を聞いたときは驚いたもんだよ。
「窓際族って仕事中にオナニーしても許されるんだ!」という新鮮な驚きがあった。
俺が「ソリティアはただのトランプ遊び」と知ったのはクラスメートとジャンプヒロインで誰が好きかという話題がエッチな流れになった時に「そういや皆週何回ぐらいソリティアしてる?」と話を振ったときだ。
「ソリティアなんてやったことねーよジジイじゃねーんだから」「ソリティアってなに?」「お前ソリティアなんてやってんの?」「なんで今その話してるん?」と帰ってきて俺はコイツらスゲー勢いでカマトトぶるなと驚いたもんだよ。
全然噛み合わないキャッチボールを何度かしてるうちに、俺はソリティアが単なるトランプのゲームだってことをようやく理解したわけだ。
一時期やり込んでたけど、なんかスーっと飽きるんだよね。
キャッチボールっつうかずっと壁打ちしてるだけっぽい
この時期になると、観たくなる映画がある。
映画には普通に感動したし、最後の余韻にいつもジーンと来ていた。
ただ、泣くことはなかった。
感動はしたけれど、それは乾いた感動で、自然と涙があふれるようなことはなかった。
炎天下の中、「あっちぃなぁ」なんて言いながら意味もなくキャッチボールをして、そのあと飲みに行ったりもして。
惰性に大学時代を過ごして、大人になって、それでもやりたいことは特に見つからなくて、なんとなくで入れた会社に入って今まで一応続いている。
やりがいがないといえば噓になるし、今の仕事を心底愛しているといっても噓になる。
今夏、なんとなくこの映画の事を思い出して数年ぶりに観た。
泣いた。
号泣した。
それはきっと、青春の眩しさに目が眩んだせいなんかじゃない。
平々凡々と夏休みを過ごしながら、それでも悶々としていて、ずっと悩んでいた。
疑問を持ち続けていた。
これでいいのか?って問い続けていた。
これなんだと、思う。
自ら進んで悩みを生み出すようなことを選ぶのは馬鹿らしいとさえ思っていた。
疑問を持とうとしもしない。
「〇〇でいいじゃん」って、既存の解決案で納得して、満足して、それ以上は考えようともしない。
もし青春が悩むことになるのなら、俺は青春を卒業したのではなく、青春を捨てたのかもしれない。
俺は今になって『時をかける少女』を観て泣いた。
号泣した。
わんわん泣いた。
俺はあの頃と比べて、本当に成長できているのだろうか?
「未来で待ってる」千昭のもとに、俺は少しでも近づくことが出来たのだろうか?
分からない。
でも、分かったことが一つだけある。