はてなキーワード: ほうれい線とは
その一報を父から聞いて胸中に去来したのは、幼き日の思い出ではなく、むしろ長じてから度々意識した故郷の衰退のイメージだった。
元より地場産業として誇れるものが取り立ててあったわけではない地元は、緩やかだが確実な経済的衰退と人口減少の影響を受け、公共施設の老朽化や各種インフラの経年劣化という形で自治体としてのほうれい線を隠す術を失っていった。
それでも、いや、それゆえに明確な転換点などなく、ただゆっくりとした老化から鈍感なふりをし続けた首長、自治体、そして何より住民が半ば共犯のように地元の腐敗と死滅とを看過していった。
だからこそ、いまさら太陽光発電などで延命を図ろうとする醜さにほとほと嫌気が差した、その実感があった。
それでも友人の結婚式に出席するために数年ぶりに帰省してみると、どうも聞いていた状況と乖離があったために改めて確認を取ったところ、どうやらこの度設置が決まったのはソーラーパネルではなく、例の宇宙太陽光発電の受電設備ということらしかった。
年齢を重ねたが故に知識と語彙の更新をやめた父をいまさら責める気も起きず、数か月前にニュースサイトで多少話題になっていたトピックに思いを馳せることで2次会の無聊を慰めていた。
令和4n-21年に決定された第n次エネルギー基本計画では、ついに原子力発電の占める発電電力量の占める割合が0%になった。
平成の震災とそれに連なる事故以降窮地に立たされていた原子力産業はついに時勢に降参し、明るい未来のエネルギーから歴史の教科書上の記述となることを選んだ、という建前を本気にしている奴は少々イデオロギーに傾倒しすぎているきらいがある。
現実は、国内ソーラーパネルメーカーの開発した、そこまで安価とは言えないまでもそこそこ効率改善の図られた新型パネルを推したい産業界が、細々と開発を続けていた国産ロケットのペイロードの使い途を探していた経産文科省に仮託した、おままごとのような科学技術的国威発揚の煽りを受けた全廃、と言ったところだ。
どこまで行っても消極的な退場に、却って日本という国を感じざるを得ず、左派メディアのこじんまりとした勝利宣言にわざわざ難癖を付ける余力もなかったと見え、平成後期から令和初頭に掛けてあれほど紙面を賑わした役者とは思えぬほど粛々としたレームダック期を享受していた。
実際、人々とメディアの関心は、中国による、気前の良い提供と、経済協力を人質に取った押し付けの中間の様な形で供与された受精卵遺伝子改変技術をどれだけ受け入れるかという議論にあった。
(科学技術という側面において現代日本が中国に対して如何にサブジェクト・トゥしているか、という話だ。宇宙太陽光発電所はさながらパクス・シニカに立ち向かうドン・キホーテのようだ、と明に暗に揶揄された。)
日米原子力協定の次回更新がないことは誰の目に見ても明らかであり、山のように余っているMOX燃料の行き先はIAEAも知らないようだった。
そんなことだから、中間貯蔵施設という名目の、事実上の最終処分場たる六ヶ所にすべてを押し付け、政府と行政と大多数の国民はNIMBYの精神を遺憾なく発揮することで各々の精神の安寧を獲得していった。
とにかく、ことの主犯たる国産宇宙太陽光発電所は「ひかり」という、加齢臭むせ返る横文字の候補群からはなんとか逃げ果せた通称を拝命し、20GWもの大電力を供給し始め、東京万博会場の灯りが一斉に点った日をもってひとまずのプロジェクト成功と見る向きもあった。
(日本による宇宙開発の数少ない世界的成功に肖って「はやぶさ」なんてネーミングを推す動きもあったが、流石にこの国にも一抹ながら恥の概念は残っていたらしい。また、「まりし」などという旧動燃の残留思念、いや怨念が具現化したかのような案も提出されていたもと聞くが、真偽の程は定かではない。)
実際、こんな大規模プロジェクトを実行する能力とエネルギーをこの国がいまだに持っていたことに驚いた。
ただ、ひかりから降り注ぐ高密度のマイクロ波を分散して受電する設備、すなわち受電所の立地が不足していると言う問題は依然として解決の目を見ていなかった。
安全よりも安心を求める国民性に変わりはなく(「焼き鳥デモ」の映像を見たときは流石に乾いた笑いしか出なかった)、電源交付金も雀の涙と来れば宜なるかな、積極的に手を挙げるごく少数の自治体は奇異の目で見られた。
とはいえ、大流量の循環水系のために沿岸部であることが求められる汽力発電でもなく、大規模な河川と高低差が求められる水力発電でもなく、只広い土地さえあれば良いというだけの必要十分条件は今まで大規模電源立地となることなど考えもしなかった自治体の目には福音として映ったらしく、それらの首長は新たな時代の権益ホルダーとなることを選んでいった。
反対に、新規制基準適合審査の遅々とした進展と繰り返される住民訴訟、そして最終的な結論としての廃炉の影響をもろに受けた原子力立地の反応はさっぱりであり、政治の影響をもろに受ける歳入に頭を悩ませられるエネルギー立地はもう懲り懲りと言った風情で、役人の誘いをアイリスアウトの向こう側に押しやっていた。
結局、ひかりの設計容量のすべてを受電するに必要な30GW分の受電所を運開当初から用意することを諦め、漸次募集という名の先送りを決定した政府は経産文科省を矢面に立たせることを選び、自らは飄々としていたというのだから大したものだ。
結局、運開から5年が経過した段階でもひかりの擁する200k㎡に及ぶパネルの3分の1は折り畳まれたままであり、白衣十人黒衣五人などと不必要な比喩を披露した大臣はメディアの総バッシングを浴びる権利を恣にしていた。
そうした、古式ゆかしい伝統的な時勢の中で、2次立地募集に手を挙げた自治体の内の1つが、我が郷里だったのである。
「親父が色々動き回ってたみたいなんだけど、さ。正直言うと、あんま関わりたくないなってのがあって」
私の友人であり本日の助演男優、またの名を新郎が、半分ほど空けたアサヒビールのジョッキをテーブルに慎重に据えながら、疲労を隠さぬ赤ら顔で言う。
彼の父親は町議を務めており、「太郎」というシンプルすぎる名前も出馬を見越して付けた名前だと言っていた。
(国政選挙に出るわけでもないのにな、とは彼の自嘲だ。)
その親父さんはどうやらこの度の誘致に際し懸命に旗を振っていたという。
しかし、僅かばかりとは言え受け取る交付金と、"多少の"造成による環境破壊と、電源立地になるという誇り(この価値観だけは共有が出来なさそうだ)と、それら3つをとりまく可愛らしい権力闘争の予感に、父親の説得と説教とに玉虫色の回答を重ねることでのらりくらりと回答の明言を避けてきたのだという。
彼のこの手の身のこなしは素直に凄いと思うし、そうした人付き合いに嫌気が差していた、というのは私の上京に係る動機の半分を占める。
「でもお前、今更そんなこと訊いてくるだなんて、本当にここの人間じゃなくなっちまったんだな」
この地でこの話題が取り沙汰され始めたのは軽く2年以上は前だという。
誘致か否かで侃侃諤諤の論争があり、どこに建てるかでまた侃々諤々の論争があり、さらに用地買収に係るあれやこれやのトラブルがあり、それでも最終決定がなされたのがひと月前というのだから、どれほど地元の世情に疎くなっているかを実感させられる。
あるいは、上京して好き放題やっている(ように見える)私に対する軽蔑と嫉妬の念が多少なりとも混じっていたのかも知れない。
なるほど、確かに私には家庭もなく、親族との濃密な付き合いもなく、仕事周りの土地付き合いもなく、自由気ままにやっていると言われても反論する材料がないことに気づく。
であるなら、こんな日くらい友人の愚痴と誹りを受ける義務も果たすべきだろう。
そう思って、コークハイを傍らに、言葉少なに彼の言葉に相槌を打つことに決める。
まったく、本当に大変な役回りだと思う。
返す返す、自分には出来る気がしない。
翌朝、久々に実家の自室で目を覚ますと(物置と化していなかったことに驚いた、こうした面に関する母の義理堅さには感謝しても仕切れない)、やはり気になっていた裏山に足を伸ばした。
アルコールが多少残ってはいたが、丁度良い運動だと体に言い聞かせて路を辿っていく。
子供の時から変わらない、というのはフィクションの中にだけ許される情景で、長らく人の手が入っていないことを伺わせる荒れ様には流石に心のどこかが痛んだ。
…いや、いや。
よそ者同然と化したお前が捨て犬に見せるような仏心を発揮して碌なことになるのか?
もはや何も言う権利などないことに遅ればせながら気付き、せめて在りし日の遊び場の記憶が損なわれぬよう、路の途中で踵を返した。
もう2度と見れぬであろう山の景色を視界から追いやり、そういえば客先から急ぎの問い合わせを受けていたな、などと頭からも追いやり、足早に帰路に就いた。
帰路。
実家への帰路か、東京への帰路か、自問せずとも回答は明白だった。
思い出深き裏山は、もはや私の裏庭ではない。
>髪を切る場所は美容室でも床屋でもいい。彼らの腕前なんて大差ないから
メチャクチャ笑ったwwww
オタクにはわからないんだろうなあ。美容師は月1で技術会やるし、俺らはコロナ前は年2でNY出張で技術会やってた
カットはさることながらカラーリングは一朝一夕じゃ身につかないくらい技術がいるんだよ
あとさ、上下黒でスニーカーは白とかオタク丸出しじゃん。オタクって黒と白しか着ないからすぐ判別できるんだよ
顔と体型で似合う、似合わないってのは差が出ることを知らないから、いつまでもオタクっぽいオーラが出るんだろ
ファッションはカラー、フォルムが重要なんだよ。特にオタクはフォルムを全く気にしないから、野暮ったさが出る
それにオタクは顔つきがオタクっぽい。表情筋を使わないせいで、年齢に合ってないシワやほうれい線でバレてる
どんな服を着ても来店した時点で判別できるし、喋ったら丸わかり
オタクが嫌いってわけじゃないが、背伸びしてもバレてるってことだけは理解しておいたほうがいい
連休前の水曜日、同僚の女子社員の鼻から1本の鼻毛が出ていることに気付いた。
伝えるべきか少し悩んだが、あくまで善意で、他の人には気付かれないよう本人だけにこっそり伝えることにした。
その結果彼女を怒らせてしまったのだが、どうすれば正解だったのだろうか。
というのも彼女は普段から私に対しても外見的な指摘をよくしてくれる人だったのだ。
例えば「無精ヒゲ生えてますよ」とか「ほうれい線出てますよ」など。
私はそれらの指摘に悪意があるとは思っていなかったので、彼女自身も指摘されれば感謝するものと考えていた。
見て見ぬふりをし何も言わないのが正解だとすれば、彼女はなぜ私には指摘してくるのだろう。
僕はゲットーみたいな地域に生まれて、もちろん貧乏な生活してたのでドラマに出てくる幸せな家族を見てると、これは物語に出てくるかなり作られた別のものだとずーっと思ってたし、幼稚園の集合写真は1人だけ汚い服を着て写ってるのを見るとまーまー切ない気持ちになるけど、昔の事をどうこう言っても仕方が無いので話のネタになるなーぐらいの気持ちでいる。
こんな家に生まれたのでまともな教育は受けた事がなかったし、高校は行ってたけどバカな学校で最近少子化の影響で廃校になるような学校だし、肉体労働している父親の背中を見てたので学校で勉強し大学行く意味がわからずに高校卒業して働き始めた。本当に会社で働くまでサラリーマンと呼ばれる人はどうやって金もらってるのか本当に理解出来てなかった。もちろん親に何も恨みはない。この文章の漢字とか句読点とかいろいろ間違ってたら無学のおかげなので重箱の隅を突かないでほしい。
昔からお金の掛からない遊びの一つというか悪癖で普段から雑談(ゴシップは嫌い)が止められない。友達にもおしゃべりはお金を使わない娯楽って話してるぐらいに人と話すのが苦痛ではない。とにかくおしゃべりしてる。マンションの掃除のおばさんと世間話し、同じマンションに住んでる大家さんの愚痴も結構聞かされその結果、自分の部屋の騒音もなぜか他の部屋がうるさい事になってた。会社の掃除のおじさんにも話しちゃうし、警備員さんとも冗談言ったりするし、同じフロアの他の部署人にも話し掛けるので時々びっくりされるし、ついでに言うと今の職場は人とコミュニケーションが取れる人って条件で入社できた。
人と話すといろんな事を教えてくれる。先日も美術館で茶碗見てた時も、元々の品の無さから出てくるボキャブラリーで「やべぇ、カッコイイ」って言ってたら知らないおばさんがいちいち話してくるのでマウンティングかな?と思ったけど茶碗はなんで高いか聞いたら、古いから高いのも重要だけど、誰が持ってたかも重要な要素だって教えてれた。ババアいいやつじゃんって思った。
普段物語よりもドキュメンタリーが好きなのと何か関連性というか好奇心が強いから誰も知らない事を知りたい。何でもいい。この間美容師さんが女性の前髪の切り方の話をしてくれて面白かったし、濁すけど悪い仕事してる人に警察が取り調べするときのあるあるとか、先日も中古車販売してる社長はロシアに中古車売るのは危険みたいな話とか、若いラッパーは最近のかっこいい曲を教えてくれたし、友達の会社は一部上場企業なのに殴る蹴るのブラックだとか、原発作ってたおじさんが昔は工期が長いので完成までの時間に新しい技術で工事を何度もやり直すとかいろいろ教えてくれる。正直何でもいい。許されるならヤバい何かの取引現場とか見てみたい。
お金は無いけど時々金を貯めて海外に住んでた。アメリカで住んでたマンスリーのアパートはレビューサイトで酷評されて、この地域で唯一のゲットーって悪口書かれるような所に数ヶ月居た時も、もちろん英語は中学生未満で隣の怖そうな黒人とヒスパニックの2人の部屋に何度かお呼ばれして怖かったけど、なぜかおもてなししてくれたし、中学生未満英語なのにUberの運転手には普段日本人はシャイだけど、お前はよく喋るので面白いって褒めてもらえたし、Uber繋がりだとメキシコの運転手にもなぜかインスタグラムのアカウントをフォローされた。メキシコの風俗街は怖かったけど、近寄ってきたポン引きにお使い頼んだのを思い出したけど、未だにメキシコは何語かよくわかってない。一緒にアメリカ行ってた友達は、いつも僕は英語が全く話せないのに買い物行って欲しいもの買ってきて、店員に冗談言ってるの面白いって笑ってた。そんな感じなので行きつけのドレッドヘアーの見た目が怖い黒人の店員は、店のそばを通る時に目が合うといつも手を振ってくれて、最終日に「お前が居なくなると寂しい」とか言ってた。
最近、いろんな友達からコミュ力が異常だって言われた。謙遜とかそういう話じゃなくて本当に大したことない。好きで喋ってるだけだし、何も損得がなくてその場だけの娯楽程度だ。もちろん不愉快って思う人もたくさんいるだろうぐらいには認識してるし、僕の事を良く思ってない人が居るのも知ってるしモテない。僕のオナニー程度のおしゃべりに付き合わせてるだけで逆に申し訳ないぐらいの気持ちだ。
でも、海外は別として日本で自分がそう言われるのは説明できる。
今は勤め人だけど、ちょっと前までフリーランスとして働いてたので、時間が自由にあったから部屋で本を読んだり、テレビ観たり、ネットしたりしてた。余談だけど、友達も貧乏で家に辞書しか無かったのでそれを読んでたら、友達は漢字とか言葉に詳しくなってた。僕は昔働いてた会社の雇われ社長が本を読めって言ってたので実践した。バカだから人の話ちゃんと聞いた方が絶対に良いと思ってるし、経験則だけど人の話を聞かない凡人以下は大抵破滅してる。前に読んだ本にフランスの問題で文化資本の格差が書いてあって、貧乏人の子供の自分は金融資本もなければ、文化資本も無いのは人生切なすぎる。
その結果友達には、
「僕の知ってる中で一番品がないけど、教養が一番ある。」
って言われた。褒められるためにやってないけど、無学の僕が褒められるとか少し嬉しかった。
前に韓国行ったときも民泊の現代アートやってるおばさんにも、普段パーカーのフードを被る様なファッションなので、見た目はギャングみたいだけど話してて飽きないって言われたし、この間乗ったタクシーの運転手は目的地に着いたのにメーター倒しますから話を最後まで聞かせて欲しいって訳の分からない事を言い出した。
何が言いたいかと言うと、人間は遺伝的に性格(性質)がある程度決まってるって話を読んだので、コミュ力が無い人はダメだなんて二項対立をしたいわけじゃなくて向き不向きだけの問題っていうか個性の違いだ。偏差値32のバカでも時間があれば本読んでるだけで人様から教養あるって褒められるし、会話すると間違いを正してくれたり、何か新しく気が付くきっかけを与えてくれる神も現れるので、コストゼロで毎日ちょっとずつ賢くなる気がする。高校生の時に底辺の高校からお前はバカだから学校来なくて良いって言われたけど。嫌味言われそうだから先にキャップしとくと、金は無いけど時間がたくさんあるおかげでバカでも知識付いて良かったって話をしたいだけだ。周りの友達の方が全然すごいし尊敬してる。
問題点はいつもニコニコし過ぎて、子供が書くお父さんの似顔絵のようにほうれい線が同世代と比べて圧倒的に深くなってしまった事だ。