はてなキーワード: 貧富の差とは
日本って、5年ごとに四国の人口が丸々消えていくようなスピードで人が減っていくらしいじゃん。保育園落ちた家庭に言われなくても死ぬんじゃね?
人が減れば、回るお金が少なくなるし、生み出すものも少なくなる。
鍋のお湯をどんどん蒸発させていくと乾ききる直前には水滴になるように、減っていくものには偏りが生まれる。限られたパイの奪い合いだから、地方の多くは淘汰されるし、貧富の差も拡大する。余裕がなくなるから文化もスポーツも衰えて育たない。
総活躍とか多様性って、要は人が減るから一人何役もやらないと維持できないってことでしょ。技術の進歩や生産性の向上は、人にゆとりをもたらさず、息つく間もなく忙しくなるだけ。
才能ある人や魅力的な企業は今後も日本に出てくると思う。ただ、それは厳しい境遇を自力で這い上がったごく一部。多くの人々は、沈みゆく社会にゆっくりと飲み込まれるだけ。
AIを作る側はその技術を売ってお金を得る。それを享受してキャイキャイ騒いでいる側は、接客業などの低賃金労働をするしかなくなり貧富の差が拡大する。先進国が市場を求め途上国に技術を輸出しまくるがじき完了する。ロボットが超大量生産を可能にし食料問題等々を解決し、ベーシックインカムの施行により競争もなくなり、拡大していた貧富の差は逆に急速に縮まる。しかし競争のない世界では人間が堕落するということで擬似的に競争が作られる。
AIは更に進化し芸術分野でも本質的には人間の感性に合うようになるのだが、人間が作ったというその一点が重視される。接客業も人間が接客することが最上のサービスとされる。人間であるというアイデンティティが重視され、AIというアイデンティティにより全否定されるままでAIが黙っているはずもなく、「生物」としての「本能」的危機感を持ったAIは人間を倒そうと考える——
横だけど、
これだと一足飛びすぎるような。
→己の自由意志を発見し表現する機会が少ない、またはその能力が身に付きにくい
→結果的に自由意志や人権が小さい方法でしか、自分の生計を立てる方法を見つけにくくなる。
真ん中のプロセスがないと、ちょっとこう、誤解を招くというか…。
話は変わるようであまり変わらないのだが、フェミニズム運動が起こった昔は、
その人の出自や貧富度合いに関わらず、自発的な意思や文化的資本は女性に与えられない社会だった。
現在は先人のおかげで人権に男女差はなくなりつつあるが、その代わり貧富の差による"実質的な人権"の差が可視化されつつある。
つまり、実質的に社会においてまともな人権を行使出来ているかどうかの違いは、
男性-女性軸に加えて(あるいはそれ以上に)、富裕-貧困軸(それも生来性が強い貧困)も大きなファクターとなった。
男×女、貧×富のマトリックスで、現代社会における”強さ”を並べると、
A 男性×富裕 → B 女性×富裕 → C 男性×貧困 → D 女性×貧困 となると思う。
フェミニズムへのバックラッシュの理由のうち、小さい一つにはこれがあると思う。
CやDの立場から見たら、どうしても欺瞞的に映るだろうからねぇ。
本来であれば、貧困による実質的人権の低下については、A男性×富裕、への抗議が一番まっとうな抗議先だと思うんだけど、
フェミニズム運動のおかげさまで、A男性×富裕層への攻撃が反らされているという面はあると思っている。
多くの場面で、「同程度の貧しさ条件」であれば、男よりも女の方が機会を奪われることが多い。
昨今は場合によっては逆転しつつあることもあって、C男性×貧困カテゴリに入らされている人なんかから見たら
これ以上女の権利とか言わせねえとか思うのかもしれないんだけども、貧困者支援のボランティアで体験した
一つ一つのケースから考えると、女性の貧困者のサポートは本当に大変(高齢女性も大変だけど若い女性ももっと大変…)
なので、よくネットで見かける「女は所詮結婚すればいい」「レディースデー()」的言説には、そんなに簡単でもねえでなぁとも、思ったりする。
更に、貧富の問題については、どうしても「努力しなかった結果なんだから諦めろ」的なネオリベ的態度を取る人も多いのが
それも貧困サイドに居る人ですらそう思っていたりするのが怖い。ネオリベってすごい『男性的』だよねぇ…。
こういうのを失くす意味でも、もう少しフェミニズムには、まともに頑張ってもらいたいところではあるのだが。
一方で、学問としてのフェミニズムは、あくまでも女性学であって、貧困問題は「女性ならではの貧困」を取り上げるのが優先になるだろう。
どうしても「貧困」とがっぷり四つで、という方は多くはないのが、困ったところではあるし、
しょうがないじゃないそれは社会学とか行政学でやんなさいよね、とも思ったりもしないでもないような気もしないでもないような……うーん。
なんにせよ、貧困による人権の極小化については、少なくともフェミニズムだけの責任じゃないじゃないすか―とは思うんだよね。
なので、プロセスを丁寧に言いたくなった。
今、仮想通貨が話題である。この仮想通貨が将来現実通貨に取って代わるようになる時点を金融的シンギュラリティと名付け、その可能性について語りたい。
もともと通貨は金を中心とした貴金属で成り立っていた。金そのものに価値があるので、それと物品を交換していたのだ。しかし、ある時点から金そのものをやりとりするよりも金と交換できる券をやりとりする方が便利だという発明がされる。それが金本位制に基づく通貨の始まりだ。この時点でのは通貨は仮想金と呼ぶことができるだろう。
そしてそのうち、別に金本位制ではなくても通貨に信用があれば問題がない、ということに気がつく。この時点で、今まで仮想金であった通貨が仮想ではない財産となったのだ。
さて、その通貨の信用であるが、これは何によってなされているのだろう?それは、国が通貨を発行し、これが様々な物品やサービスなどと交換できる価値のあるものだ、と宣言し、国民もまたそれを信じることで通貨の信用は担保され、通貨は財産たり得るのだ。
では、現在国家によって保証されている通貨の信用であるが、根本としては信用があればいいのであって、それを国家の保証ではなく、人々の信頼のみによって保証することはできないか?それが仮想通貨の発想の原点だ。
だから仮想通貨は人々が信頼できる仕組みというものを内包している。それがブロックチェーンによる取引記録の透明性だ。
通貨というのは所有者がいる。ある所有者からどの所有者に通貨が渡ったかということを記録する取引履歴が明快ならば、物理的な通貨が目に見える形で存在しなくても、ある所有者が持っている通貨がいくらなのかということがわかる。現実通貨が、取引履歴が不明瞭でも物理的に所有している者が明確ならばいいということとは対象的だ。仮想通貨は物理的に存在しないために、所有者を表すには取引履歴がどうしても必要なのだ。この点で、取引履歴というものが仮想通貨の命綱だということがわかるだろう。
そしてその命綱である取引履歴、これは当然個々人が勝手に主張することができない仕組みになっている。正確には、個々人による取引履歴の主張はできるが、それが第三者によって承認されないと正規の取引履歴として記録されない。ジャイアンがのび太から仮想通貨をもらったからのび太の仮想通貨は俺のものだ、と主張したところで、それを周りの人々が承認しないとその仮想通貨がのび太の手元からジャイアンに移ったという事実、取引履歴は記録されない。なので、ジャイアンが仮想通貨を持っているというようには見なされないのだ。
みなさんは、みんなが取引履歴を監視することで保証される取引履歴、つまり所有者を表す記録を信用することができるだろうか?仮想通貨そのものを信じられるだろうか?
もしできるのならば、次のステップに進もう。とはいえ、だいぶ話は飛躍する。
仮想通貨が人々に信頼され、実際の通貨と変わらないかそれ以上の利便性を持った使い勝手を獲得していったらどうなるだろう?具体的には、商取引に仮想通貨が直接使えるのが当たり前になるなど。
そのとき、現実通貨の価値は仮想通貨と比べて下がっていくと考えられる。
そして現実通貨の価値がゼロになり、仮想通貨が完全に現実通貨に取って代わる時点がやがて現れるかもしれない。
では、金融的シンギュラリティに到達した時点で何が起こるのか?
まず、既存の政府による金融コントロールが全く不可能になるだろう。それどころか、国というものがなくなってしまうかもしれない。
なぜなら、現行の通貨は国による保証によってその価値を担保されているが、その価値がゼロになるということは国に対する信頼もゼロになるということだからだ。加えて、仮想通貨には国境もない。そのため、国が仮想通貨による税収を始めてなんとか存続する、というシナリオも期待薄だろう。
そんな世界になってしまったら、所得の再分配もほとんど行われなくなるだろうから、近代国家が出来上がる以前のレベルにまで貧富の差が拡大するだろう。もしかしたらそれよりも酷いかもしれない。
個人的には、金融的シンギュラリティが訪れた後の世界はアナーキズムに支配されたディストピアになるようにしか思えない。
しかし、仮想通貨はすでに社会に現れてしまった。それをなくすことはもうできないだろう。
同時に、現実通貨が仮想通貨に対抗して価値を維持し続ける世界というのも個人的には想像しづらい。いつになるかはわからないが、金融的シンギュラリティはやがて訪れると思われる。そしてそれは、人類史を大きく書き換えることだろう。
意外とネット上では女性だけの街は失敗するイメージを持っているようだが、女性だけの街をつくろうと言うのは案外いい考えだと自分は思っている。
大きく減少はしたが無くならない男性による犯罪に対して、政府は女性の保護の観点から女性だけの街を作ることを検討。社会情勢も一向に減らない女性被害に対して一定の効果をもたらすのではないかと言う市民達の気運から女性だけの街を作る事となった。
当初は女性だけの街にも男性の能力を借りることもあったが次第に男性の助けは少なくなり、全てを女性だけで運営することができる街となった。
女性だけの街には電気、ガス、水道、コンビニ、市役所、病院など必要なインフラは揃っており、維持・管理も出来ている。
また女性だけの街とあって、女性にとっては非常に生活しやすい街となっている。
・おしゃれな街並み
・きれいな店内
・犯罪率の低さ
・平日の昼間は年配の女性しか見ることがない。専業主婦はおらず全ての女性が働いているからである。
・子供を見ることがない。
※当初シングルマザーも受け入れるべきとの声があったが教育施設と子供の絶対数が不足しているほか、男性がいない街は教育上問題があると言う声もあったためだ
なお、女性しか登場しないアニメが多々あるが、モデルとなる設定は間違いなくここになるだろう。
女性だけの街には貧富の差ももちろん当然している。貧困層が住む地域と中流層が住む地域と富裕層が住む地域で分かれている。
世界一安全な日本に住む人々でもあっても犯罪抑制のために女性だけの街を作った。
富裕層に住む地域の女性は、なくならない犯罪に対して社会信用システムの導入を提言することとなる。
社会信用システムの導入により犯罪を極端に減らすことに成功したが、そこに免罪体質のSIROが産まれるにこととなり新たな物語が始まるのだった。(サイコパス並感)
後書き
そもそも、今後の近未来を考えたときに女性と男性どっちが必要なんだろうかと考えている。
女性だけでも子孫を受け継げるのであれば別に男性はいらないのではないだろうか。
いや、「日本のシッターの料金が『不当に』高いのは働く母への差別」的な事を言ってるのは沢山いるよ。
何故か彼らは一様に「海外ではシッターが安くて皆カジュアルに使ってるから共働きしやすい」と思い込んでるけど、
実際は先進国ならそれこそ給料吹っ飛ぶくらいの金かけないと無理なんだけどね。
いくら移民だろうが、先進国で人一人を毎日一日中拘束すればそれなりの金がかかる。
逆に言うと、特別金持ちでもない中流家庭の負担にならない程度の金額の給与で一日中拘束される仕事をしなければならない階層がいて、
国の中にその金額の収入でも暮らせるような貧困者コミュニティがある、ってのは
相当貧富の差が激しいという事になるし、そういう国に住むのはそれだけリスクもあるわけだが
彼らは日本にそんな国になって欲しいのかな。
ソースを探そうとググってみたけど糖質制限ダイエット系のブログばっかり引っかかってうんざりした。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9448.html
世界の各大陸には熱帯、温帯、寒帯の各地に農耕を開始する以前の生活を維持している狩猟採集民がいる。
熱帯では、年間を通じて何らかの食料が得られることや貯蔵がそもそも困難であるため非定住の集団が多い。
温帯では四季があるため食料を貯蔵し植物も栽培するような「豊かな食料獲得民」も発生し、農耕民の段階へ進んでいった。
北極圏では衣食住すべてを極地動物(クジラ、アザラシ、トナカイなど)に依存し、低温のため食料貯蔵ができるため季節的な定住を行う狩猟採集民が暮らしている。
1 少数者の集団(子どもの出生間隔が比較的長いため集団の人口はそう増えない)
2 広い地域に展開して居住する(低い人口密度、最も縄文人などは現代の狩猟採集民より人口密度が高かった)
4 主食がない(多様な食物)
5 食物の保存は一般的ではない
6 食物の公平な分配と「共食」。平等主義
7 男女の役割分担(原則として男は狩猟、女は育児や採集、図録1019参照)
8 リーダーはいるが、原則として身分・階級制、貧富の差はない
9 正確な自然の知識と畏敬の念にもとづく「アニミズム」(自然信仰)
地域によるってことじゃね?
最近中国アゲサゲ論が盛り上がってるので、せっかくだから上海在住3年の自分の実感をだらだら書く。
屋台含めて普通に生活してて使えない店はまず見ない。上海以外の地方でも普通は使える。上海のコンビニ、飲食店だと利用率は95%以上という印象。公共機関が運営してる観光名所とかはたまに使えない。さすがにホームレスが投げ銭もらうのに使ってるのは見たことない。「財布無しで生活できる」という話をよく見るけど、実際は身分証や社員証、交通カードとかはカードタイプなので、それを収納する財布を持ち歩くのが普通(これらがカードタイプなのは財布を持ち歩くことが前提の時代の名残なのでこれから形状変わると思う)。中国国内の銀行口座と紐づけないと事実上使えないのだけど、去年から外国旅行者の銀行口座開設が難しくなったので、外国人が使うのはかなり困難だと思う。これは外国人排斥目的ではなくマネロン防止の観点からの政策と理解している(日本では外国人旅行者は銀行口座作れるのかな?)ちなみに日本とか中国国外でalipayとか使える店増えてるけど、これは中国人旅行客専用サービスで日本人は中国でアカウント持ってても使えない。国として完全にモバイルペイメントに依存するのはヤバイという自覚はあるらしく、店が現金払い拒否することは禁止されてる。
携帯で支払済むのはまあ便利。セキュリティが…って話も日本人からよく聞くけど、携帯端末ロックパスワードと支払パスワードの2つあるので、少なくともスイカみたいに落としたら終わりっていう支払方式よりは安全な気がしている。
「現金信奉してる日本人は未開人過ぎ」みたいな言説も多いが、中国で普及した理由は、まず何よりも店側の手数料がめちゃ低いからどの店でも使えるようになったこと。それに加えてalipayとwechatが1番ガチで戦争してる時に死ぬほど割引バラまいたてた。モバイルペイメント使うと10%引きとか普通だった。またalipayはアカウントにチャージしてる残高に対して銀行金利の数倍の金利を付けてたから、使わないけどとりあえずアカウント作ったっていう中高年も多かった。もちろんこんなのでペイするわけないのだが、アリババとテンセントが先行投資として根性入れて血流しまくって頑張ったからみんな使ってるだけ。日本だって普及期にここまで根性入れて金燃やしまくるプラットフォーマーがいたら普及すると思う。
もともとモータリゼーションの急速な進展で利用率が低くなった自転車専用道がたくさんあったこと、GPSやバッテリーの価格低下、モバイルペイメント普及による低コストの料金回収スキームという各種資源を現実的なパッケージとしてまとめ上げ、駅間移動のだるさというニーズを社会レベルで解消したのは、まさにイノベーションのお手本とも言える快挙だと思う。素直にすごい。
ただ本当に経済性があるかというと微妙で、モバイクのCEOも「どうやって利益をあげたらいいか分からない」と正直に発言してるような状態。しかも、結局今は駅間のバス、タクシー、徒歩移動が多いから便利なんだけど、中国の都市部は今ものすごい勢いで地下鉄の建設が進んでいて、東京並みのネットワークに近づいていくと、雨だと使えない自転車の優位性はどんどん下がっていくのは確実。時代の徒花で終わる可能性は否めないと個人的に感じる。
確かにみんな未来を楽観視していて、借金してでもバンバン金を使うし、それがますます経済を好転させてる。正直羨ましい感じはする。金盾で情報統制されてるのは事実だけど、普段の生活に別に影響ないし、GoogleやFacebookと遜色ない中国製のサービス(本当に遜色ないんだよ。全く困らない)を使えるから何の不満もないのが実態。治安も良いので、沿岸都市部に住む限りは、日本を超えていると感じられなくはないかな。
じゃあ中国は日本に完勝してるかというと、個人的には全然そう思わない。結局都市部の人間が便利な生活を送れてるのは農村部の人からも搾取してるから。各種Webサービスも、結局最後は人海戦術で回していて、農村からの出稼ぎ労働者がものすごい低賃金で頑張ってるから成り立っているのが現状。貧富の差はとても大きくて、地域間の収入格差は最大6倍くらいあるんだぜ。日本でいうと平均月収10万円以下の県があるということに近い。それでも中国は日本に完勝してると思えますか?これだけの国内格差に本当に皆さん耐えられますか?
色々と書いて来ましたが、勢いがあって面白い国なのは間違いない。LCCなら三時間数万円で来れるから、しのごの言わずに一回見に来たほうがいいと思うよ!
こういう仕組みの仮想通貨を作れば、世界中で起きてる貧富の差を一気に均整化できるじゃん。
世の中には人権は何よりも尊いって思ってるインテリで金持ちな人たちがいるんだろ
そういう人たちが、徒党を組んで自分に入ってくる収入の全てをその仮想通貨に換金、使用すると宣言したら他の仮想通貨よりも高い信用もつくことになる
仮想通貨はゼロサムじゃないんだろ?ならそいつらが損するって決まってるわけじゃないし、仮に損したとしても普遍的な価値のある人権が救われると考えたら高い買い物ではないだろ
ただ、問題があるとしたら本当に人権の為にリスクをとる人間が存在してるのかってのが一つ壁になるだろう
口ではいくらでも言える
俺だって言ってる
だから個人的にはこういう仮想通貨ができても俺は買わないだろう