横だけど、
これだと一足飛びすぎるような。
→己の自由意志を発見し表現する機会が少ない、またはその能力が身に付きにくい
→結果的に自由意志や人権が小さい方法でしか、自分の生計を立てる方法を見つけにくくなる。
真ん中のプロセスがないと、ちょっとこう、誤解を招くというか…。
話は変わるようであまり変わらないのだが、フェミニズム運動が起こった昔は、
その人の出自や貧富度合いに関わらず、自発的な意思や文化的資本は女性に与えられない社会だった。
現在は先人のおかげで人権に男女差はなくなりつつあるが、その代わり貧富の差による"実質的な人権"の差が可視化されつつある。
つまり、実質的に社会においてまともな人権を行使出来ているかどうかの違いは、
男性-女性軸に加えて(あるいはそれ以上に)、富裕-貧困軸(それも生来性が強い貧困)も大きなファクターとなった。
男×女、貧×富のマトリックスで、現代社会における”強さ”を並べると、
A 男性×富裕 → B 女性×富裕 → C 男性×貧困 → D 女性×貧困 となると思う。
フェミニズムへのバックラッシュの理由のうち、小さい一つにはこれがあると思う。
CやDの立場から見たら、どうしても欺瞞的に映るだろうからねぇ。
本来であれば、貧困による実質的人権の低下については、A男性×富裕、への抗議が一番まっとうな抗議先だと思うんだけど、
フェミニズム運動のおかげさまで、A男性×富裕層への攻撃が反らされているという面はあると思っている。
多くの場面で、「同程度の貧しさ条件」であれば、男よりも女の方が機会を奪われることが多い。
昨今は場合によっては逆転しつつあることもあって、C男性×貧困カテゴリに入らされている人なんかから見たら
これ以上女の権利とか言わせねえとか思うのかもしれないんだけども、貧困者支援のボランティアで体験した
一つ一つのケースから考えると、女性の貧困者のサポートは本当に大変(高齢女性も大変だけど若い女性ももっと大変…)
なので、よくネットで見かける「女は所詮結婚すればいい」「レディースデー()」的言説には、そんなに簡単でもねえでなぁとも、思ったりする。
更に、貧富の問題については、どうしても「努力しなかった結果なんだから諦めろ」的なネオリベ的態度を取る人も多いのが
それも貧困サイドに居る人ですらそう思っていたりするのが怖い。ネオリベってすごい『男性的』だよねぇ…。
こういうのを失くす意味でも、もう少しフェミニズムには、まともに頑張ってもらいたいところではあるのだが。
一方で、学問としてのフェミニズムは、あくまでも女性学であって、貧困問題は「女性ならではの貧困」を取り上げるのが優先になるだろう。
どうしても「貧困」とがっぷり四つで、という方は多くはないのが、困ったところではあるし、
しょうがないじゃないそれは社会学とか行政学でやんなさいよね、とも思ったりもしないでもないような気もしないでもないような……うーん。
なんにせよ、貧困による人権の極小化については、少なくともフェミニズムだけの責任じゃないじゃないすか―とは思うんだよね。
なので、プロセスを丁寧に言いたくなった。
大変丁寧な補足、どうもありがとう これくらいのしっかりした前提が共通了解になった上で議論が進んでほしいよね でもはてブは100文字だけで終わっちゃうからなかなかそこまで行...