はてなキーワード: 節分とは
つづき
富山産のホタルイカ
握りも酢味噌和えもお酒によくあいますよぉ pic.twitter.com/TF9FQXlmLX— なでし子 (@nadeshicosushi) February 17, 2015
節分と言えば
恵方巻き
なでしこ恵方巻き本日販売いたしますよぉ pic.twitter.com/Tp8wyTSR2C— なでし子 (@nadeshicosushi) February 3, 2015
うーん。
すべてのツィートがそうであるわけではないのですが、「握り」の画像の大半が他店舗、他企業のものというのはどうなんでしょうね?
イメージ画像というのはわかるのですが、寿司を握った方、写真を撮った方の技術に対する敬意が欠けているのではないでしょうか。
軽減税率が導入されて日本文化からお尻を拭く風習が失われるかもしれない。
ニュースなどでも取り上げられたがみんながトイレットペーパーを駆け込み購入し、ドラッグストアからもAmazonからもトイレットペーパーが失われる光景であった。
僕はここに日本の未来を見た。増税と軽減税率そのものの愚策ぷりとか、あるいはそこに振り回される市民の精神がどうのこうのという話ではない。
いつか日本の文化の中からトイレットペーパーでお尻を拭くというしぐさそのものが失われる未来が見えたのだ。
このように書くと諸賢はトイレットペーパーがお高くなり、 市民に手が出ず選ばれし民のみがお尻を拭くディストピアな未来を想定されるかもしれない。それはそれでいいのだが、今言いたいのはむしろ逆である。
軽減税率の導入がはっきりと可視化したもの。それはお偉い人たちはうんちをした後お尻を拭いていないし、もしかしたらうんちを流すこともしていないという事実である。
僕はうんちをしたあとトイレットペーパーを二重にしてなるべくぐりぐりしないようにお尻を拭く。トイレットペーパーがなければ、警察官だって、外交官だって、派遣社員だって、トイレの花子さんだって困る。
と、今まで当たり前のように思っていた僕のなんとのんきだったことだろう。
駆け込みでトイレットペーパーを買う人々がいたことからわかるように、お尻を拭く紙は軽減税率の対象外だったのである。それはつまり、軽減税率を設定する人たちがお尻を拭く紙を生活必需品と知らないことに他ならない。
知っていたなら当然軽減税率を適用するはずである。知らないのならば仕方ない。だけど僕たち下々の人間は下の世話をするのに紙が必須なのだ。
それを知らないということは軽減税率を考えた人達はお尻を拭かない文化を持っているに違いない。
そしてかつて宮中行事の追儺がだんだんと民間に下野し浸透して節分の豆まきとなり、それが今やコンビニ界による一大消費イベントになったように、文化というものはトリクルダウンをしてくる。
と、いうことはきっといつか僕たちも上にいる人々と同じようにお尻を拭かなくなるだろう。
軽減税率があきらかにした事実は、日本社会はお尻を拭く文化と拭かない文化で分断されていること。
そして軽減税率が暗示した未来は、やがて日本人はお尻を拭かなくなるだろうということであった。
軽減税率を考えた人たちへ
いまのところですが、僕たちはお尻を拭きます。
【300ブックマーク記念に、ぶら下げエントリー作りました→ https://anond.hatelabo.jp/20190711003448 】
期間は1年と2-3ヶ月。
──なぜこの仕事を選んだの?
単にコネ。履歴書に書けてすぐ使える資格は普通免許くらいしか無かったし、このトシで未経験でも就ける仕事ってことで、社長さんを紹介してもらったんだよね。
──辞めた理由は?
1.その場その場での判断が求められる、いわば瞬発力が必要な仕事ではあるが、自分にはそれが無かった。
特に路面工事でよくおこなう片側交互通行では、トランシーバーで他の隊員と連携しながら、タイミングを見計らって自動車列を止めたり流したりするが、この業務が自分は一番苦手だった。おまけに、ドライバーらからは罵声を浴びる事もしばしば。
これとか車線規制や駐車場での誘導では、夏場は日焼けで肌が火膨れや熱中症になる危険が・夜間のそれでは(特に道を急ぐタクシーなどに)うっかり轢かれかける事が、何度もあった。
また建築・解体現場でのダンプの出入りでの門扉開閉では、タイヤについた泥が歩道や路面に乾いてこびりつかないよう水を撒くのだが、水撒きの際に通行人や自転車に水が掛かりそうになって謝るのも常で、そういう時の対処が自分はヘタだった。
2.どこに行ってもタバコ臭が漂っている。
隊員の多くは、年金の不足分を稼ぐ目的な年配の人が多いのだが、ざっと見たところで半数以上は喫煙者である。これは事務所でも同様で、紫煙が漂うほどでは無いものの応接コーナー兼用の休憩スペースの灰皿には、常に吸い殻が溜まっていた。
さらに、警備対象現場へ向かう隊員チームを詰め込んだハイエースの車内は、さながらアヘン窟なみの煙たさで、これは非煙者の自分にはまさに地獄だった。帰りの電車の車内に入ると、案の定というか衣服にタバコの臭いが染み付いているのがよくわかったほどだ。
もっとも、管制担当者(隊員らの配備現場を決める人)もその辺りは察していたのか、タバコの影響が少なく通勤できる直行直帰の現場を、自分にはよく割り振ってもらってはいた。
社長の再婚相手の息子(対外役職としては常務)が、現場を仕切る『隊長』となる場面が多く、仕事はそこそこ出来るヤツなのだが『かなりの気分屋で、受け応えの悪い隊員には年上だろうが鉄拳制裁』で、そういった彼の振る舞いに嫌気が差して辞める隊員が少なからず居た事を知ったのは、働きだしてしばらくしてからだった。
ちなみに彼の前職は鳶職で、外見や体格・音楽の趣味などはモロに『ヤンキー』のそれである。
なお、寒さや暑さ・時期によっては大雨などの、気候への対策は衣服で調節するわけだが、自分がそれら気候の変化によって体調を大きく崩した経験がなかったのは、ある意味幸運だったのかもしれない。
──勤務条件はどんな感じ?
大まかに分けると、建築現場や行政施設や病院などでの『立哨(りっしょう・立ち姿での見張り)』だと、日曜日が休み。それ以外の商業施設や競技場での駐車場誘導や出入口だと、平日(曜日は不定休だが、ほぼ1週間に1回)が休みというパターン。
ただし、年末年始の初詣やGWほか『人出が多い』時期(お寺であれば節分や春・秋の彼岸、神社なら『十日戎』や例祭など)には、大半の隊員は行事での警戒警備へ優先的に配備される。
そういった業務集中の時期を除けば、事前申請しておけば休みは比較的取得しやすい。
勤務は連続8時間が原則で、昼休憩の場所や決まった時刻があるかどうかは、請負先の規模にもよる。
(コメントで指摘されてたように、トイレの時間はタイミングが合わずに苦労する現場の時もありました)
ときどき突発的に、葬儀場の通夜の立哨や小規模路面舗装などの警戒の夜勤が続けて入る例もあるが、そういったスポット勤務はおもに、稼ぎを優先したい人に回されていたようだ。
ちなみに自分は最後までヒラだったので、時給1000円×8時間=8000円が額面としての基本日給(※夜間・深夜手当が付かない勤務の場合)だった。
普通運転免許は、単独・2名・数名の隊員やカラーコーン・コーンバーや予告看板(『この先50m・工事中』などのあれ)などをクルマに積んで現場へ運ぶのに必要なので、できれば持っていたほうがよい。
これとは別に、国家資格である『交通誘導警備業務検定』や『雑踏警備業務検定』などがあるが、これらは警備会社で働きながらおいおい取得するという意味合いが強い。
種別としては2級と1級があり、1級ともなると『警備計画書を請負い先に提出』ができるだけのスキルが必要になる。
複数の隊員が配置される警備現場では、隊員のうち誰かが業務目的に沿った資格の保持者でなければならない(1・2級は問わず)し、そのことで給与面にプラスになる…とされる。よく、車道に出てトラックなど車両の誘導をしている警備員がいるのを見るが、資格持ちの隊員でなければあれは出来ない。
ただ、業務経験を通じて言えるのは、どちらかといえば対人対応スキルのほうが重要であろう、ということ。
例をあげると、日課としての業務報告の電話連絡で、特に請負先とのトラブルがあった際に事務所へ伝えるのが遅れたりすれば、不信感を持たれて以後の業務にも差し障りがある。この点は、世間のほかの仕事と変わりない。
請負先以外への対処としては、通行人が多い環境の現場ならば近辺の道案内も必須(特にに商業施設の周辺や駐車場内の誘導・駅に通じる通路での現場の場合)。
またその際、道や場所を訊いてくるのも最近では、日本人だけではない例も当たり前で、ある程度の英会話力があれば望ましいとは言える。
──もう一度、戻る事は考えている?
自分はさすがに懲り々々だけど、中には以前に所属した警備会社に『出戻り』する人もけっこういるらしい。60代・70代になると、雇ってくれる会社がなかなか無いこともあるが、勤務形態もフル勤務以外に週3日などで勤める人が多いのもこの業種の特徴。
※ ブックマークコメントを多くいただき、ありがとうございます。レス返しエントリーを、新たに立てました。
https://anond.hatelabo.jp/20190711003448
離職票などの諸手続きが完了しましたので、正式に表明しておきます。 このエントリーの元増田は、 id:guldeen です。
あれは高校2年の夏前だっただろうか。突如として部活同期の中でスクフェス が流行り始めた。これをやったら色々終わると直感でわかった。でもダメだった。面白そうという誘惑に負け、秋に誰にもバレないようにひっそりと始めた。次の年の節分にはもうバレた。それから年末までイベントは確実に2枚どりできるよう頑張った。大学に入ってからも最低でも4枚、通常は6枚取りを目安にコツコツ続けた。
大学1年の夏にラブライブ!サンシャイン‼︎一期の放送が始まった。無印の方は全く本放送をリアタイ視聴できなかったのでワクワクしながら見た。次の年には高校の部活同期と3人で初めて聖地巡礼をした。
大学2年の秋にサンシャイン二期をみた。もう一度沼津に行った。大学3年の冬には劇場版も見た。一人で函館にも行った。
今日唐突な発表があった。自分の大学の知り合いもtwitter上で戸惑い、歓喜しているようだった。
純粋にμ'sへの思い入れが少なかったからなのだろうか。確かに高校の時みんなで映画を見ようとなった時も断ったしファイナルライブが行われた時もライビュに行くわけでもなかった。ただ大学でラブライブ!を知った人間も今日感情をぐちゃぐちゃにしていたのでそんなのは言い訳に過ぎないだろう。
わからない。何もわからない。こういう風に書けば感情が動かなかった理由がわかると思った。でも何もわからない。
もしかしたら自分はラブライバーではなかったのかもしれない。当日に近づくにつれてじわじわと事の重大さに気づいて感情が大きく揺れ動くようになることを期待して筆を折る。
A「いやー、こうやって二人でコンビ組ませてもらって長いことやっておりますけれども」
B「今芸歴何年だっけ」
A「えーっと……二千と十九年ですかね」
B「なんでこのタイミングで西暦聞くんだよ、芸歴だ芸歴! いや西暦もそうやって答える奴初めて見たわお前」
A「まあこんな上から目線に耐えながら九年間も続けてまして」
B「誰が上から目線だ、しょうがないでしょこういう芸風で当初からやってきてんだもの」
A「そんな中で誇れることといえば、いまだに大喧嘩したことないんですよね、僕ら」
B「ああ、まあそうだな、プライベートでも未だに仲良くさせてもらってるし」
A「他のグループが喧嘩別れしてるのを見ると、恵まれてるなーと思うんですけど」
A「でも一回だけ腹を割るというか、喧嘩するっていうのをやってみたいですよね、節目の年ですし」
B「節目ってほどキリよくないけどな、九年って。でもまあ、確かに経験しときたいよな」
A「やろう」
B「やろう」
A,B「「そういうことになった」」
(ここでAは機嫌の悪そうな顔になり、Bは真剣な表情でAの方を向く)
B「おい、どうしたんだよ。今日のネタが微妙だったのまだ怒ってんのか?」
A「それもだけどさ……もうお前にゃ我慢できねーわ」
B「え?」
A「だから! お前の態度にゃもう愛想がつきたって言ってんの!」
A「冷蔵庫はあけっぱなし、雨戸もあけっぱなし、あげくのはてには社会の窓まであけっぱなし!」
B「いや最後のやつは普通に教えてくれよ! ていうか俺社会の窓開けたままネタやってたの!? 放送事故じゃねーか!!」
A「っはー……」
B「とにかくさ、その悪かったって。俺も気をつけるからさ、そんなに怒るとよくないって、血がたぎってさ」
A「どの口がいうか! 日本国籍持ってるからって付け上がっちゃってさ」
B「お前も日本国籍は持ってるだろ」
A「まったく、お前のその、だらしなさにはもううんざりしてんだよこっちは!」
A「地球もうんざりっていってるよ! だからオゾンに穴あいたんだよ! わかる?」
B「そんな胃に穴が開くノリで言われてもお前」
A「お前とはコンビ組む前も入れれば、6-4-3の13年間やってきたけどさ」
B「なんでゲッツーみたいな感じで今言ったんだ」
B「……ああそうかい! それじゃあこっちも言わせて貰うけどな!」
A「ごめん、俺も言い過ぎたわ」
B「ええ……ヒットアンドアウェイにも程がある……」
A「お詫びといっちゃなんだが、これを……」スッ(小箱を渡す)
B「いらねーよ! いや小学校のころは好きだったけどよ、俺の好物のデータいい加減アップデートしとけや!」
B「節分じゃねーんだぞお前、9本って」
A「いや、二千と十九本」
A「いやー、こうやって二人でコンビ組ませてもらって長いことやっておりますけれども」
B「今芸歴何年だっけ」
A「えーっと……二千と十九年ですかね」
B「なんでこのタイミングで西暦聞くんだよ、芸歴だ芸歴! いや西暦もそうやって答える奴初めて見たわお前」
俺「それに西暦の上二桁と下二桁を分けて言う人だってけっこういるぞ」
A「まあこんな上から目線に耐えながら九年間も続けてまして」
B「誰が上から目線だ、しょうがないでしょこういう芸風で当初からやってきてんだもの」
俺「言うほど上から目線か?」
俺「というか「誰が上から目線だ」と否定した直後に「しょうがないでしょこういう芸風で」と肯定してるな」
A「そんな中で誇れることといえば、いまだに大喧嘩したことないんですよね、僕ら」
B「ああ、まあそうだな、プライベートでも未だに仲良くさせてもらってるし」
俺「お前らのプライベートに興味ないぞ」
A「他のグループが喧嘩別れしてるのを見ると、恵まれてるなーと思うんですけど」
A「でも一回だけ腹を割るというか、喧嘩するっていうのをやってみたいですよね、節目の年ですし」
B「節目ってほどキリよくないけどな、九年って。でもまあ、確かに経験しときたいよな」
俺「「節目ってほどキリよくないけどな」って何で急にテンション下がってんだよ。サイコパスかよ」
A「やろう」
B「やろう」
A,B「「そういうことになった」」
俺「お、おう……」
(ここでAは機嫌の悪そうな顔になり、Bは真剣な表情でAの方を向く)
俺「お、おう……」
B「おい、どうしたんだよ。今日のネタが微妙だったのまだ怒ってんのか?」
A「それもだけどさ……もうお前にゃ我慢できねーわ」
B「え?」
A「だから! お前の態度にゃもう愛想がつきたって言ってんの!」
A「冷蔵庫はあけっぱなし、雨戸もあけっぱなし、あげくのはてには社会の窓まであけっぱなし!」
B「いや最後のやつは普通に教えてくれよ! ていうか俺社会の窓開けたままネタやってたの!? 放送事故じゃねーか!!」
俺「いや社会の窓あけっぱなしでも教えないだろ」
俺「それに社会の窓開いてたぐらいじゃ放送事故にはならないと思うぞ」
A「っはー……」
B「とにかくさ、その悪かったって。俺も気をつけるからさ、そんなに怒るとよくないって、血がたぎってさ」
A「どの口がいうか! 日本国籍持ってるからって付け上がっちゃってさ」
B「お前も日本国籍は持ってるだろ」
A「まったく、お前のその、だらしなさにはもううんざりしてんだよこっちは!」
A「地球もうんざりっていってるよ! だからオゾンに穴あいたんだよ! わかる?」
B「そんな胃に穴が開くノリで言われてもお前」
俺「イイネ」
A「お前とはコンビ組む前も入れれば、6-4-3の13年間やってきたけどさ」
俺「なんでコンビ組む前を入れたんだよ。前フリで9年間って数字出てるんだから、わかりにくくなるだろ」
B「なんでゲッツーみたいな感じで今言ったんだ」
俺「無理を承知で9-4-3のライトゴロゲッツーにしちゃおう」
B「……ああそうかい! それじゃあこっちも言わせて貰うけどな!」
A「ごめん、俺も言い過ぎたわ」
B「ええ……ヒットアンドアウェイにも程がある……」
俺「イイネ」
A「お詫びといっちゃなんだが、これを……」スッ(小箱を渡す)
B「いらねーよ! いや小学校のころは好きだったけどよ、俺の好物のデータいい加減アップデートしとけや!」
B「節分じゃねーんだぞお前、9本って」
A「いや、二千と十九本」
俺「やっぱ恋人なんすねえ……」
A「いやー、こうやって二人でコンビ組ませてもらって長いことやっておりますけれども」
B「今芸歴何年だっけ」
A「えーっと……二千と十九年ですかね」
B「なんでこのタイミングで西暦聞くんだよ、芸歴だ芸歴! いや西暦もそうやって答える奴初めて見たわお前」
A「まあこんな上から目線に耐えながら九年間も続けてまして」
B「誰が上から目線だ、しょうがないでしょこういう芸風で当初からやってきてんだもの」
A「そんな中で誇れることといえば、いまだに大喧嘩したことないんですよね、僕ら」
B「ああ、まあそうだな、プライベートでも未だに仲良くさせてもらってるし」
A「他のグループが喧嘩別れしてるのを見ると、恵まれてるなーと思うんですけど」
A「でも一回だけ腹を割るというか、喧嘩するっていうのをやってみたいですよね、節目の年ですし」
B「節目ってほどキリよくないけどな、九年って。でもまあ、確かに経験しときたいよな」
A「やろう」
B「やろう」
A,B「「そういうことになった」」
(ここでAは機嫌の悪そうな顔になり、Bは真剣な表情でAの方を向く)
B「おい、どうしたんだよ。今日のネタが微妙だったのまだ怒ってんのか?」
A「それもだけどさ……もうお前にゃ我慢できねーわ」
B「え?」
A「だから! お前の態度にゃもう愛想がつきたって言ってんの!」
A「冷蔵庫はあけっぱなし、雨戸もあけっぱなし、あげくのはてには社会の窓まであけっぱなし!」
B「いや最後のやつは普通に教えてくれよ! ていうか俺社会の窓開けたままネタやってたの!? 放送事故じゃねーか!!」
A「っはー……」
B「とにかくさ、その悪かったって。俺も気をつけるからさ、そんなに怒るとよくないって、血がたぎってさ」
A「どの口がいうか! 日本国籍持ってるからって付け上がっちゃってさ」
B「お前も日本国籍は持ってるだろ」
A「まったく、お前のその、だらしなさにはもううんざりしてんだよこっちは!」
A「地球もうんざりっていってるよ! だからオゾンに穴あいたんだよ! わかる?」
B「そんな胃に穴が開くノリで言われてもお前」
A「お前とはコンビ組む前も入れれば、6-4-3の13年間やってきたけどさ」
B「なんでゲッツーみたいな感じで今言ったんだ」
B「……ああそうかい! それじゃあこっちも言わせて貰うけどな!」
A「ごめん、俺も言い過ぎたわ」
B「ええ……ヒットアンドアウェイにも程がある……」
A「お詫びといっちゃなんだが、これを……」スッ(小箱を渡す)
B「いらねーよ! いや小学校のころは好きだったけどよ、俺の好物のデータいい加減アップデートしとけや!」
B「節分じゃねーんだぞお前、9本って」
A「いや、二千と十九本」
時間もあることから、近所で有名なしょっぱいラーメン屋でまぜそばを食べたことから始まる。
追い飯が50円という良心的なお店なのだが、水がセルフサービスなので、水などいらん、このしょっぱさと戦えと言われているように思う。
で、水なしでたいらげるも追い飯が出てこず、ただただしょっぱいだけのまぜそばをたいらげることとなる。
パチはver99を基本に打つ。特に単発あたりが連続している台を狙うのだが、座る台座る台大外れ。
手持ちの軍資金が少なくなったこともありver297の地獄少女を座ったら、速攻であたり、しかも連チャン。赤字解消、3000円の黒字でその日を終える。晩飯はコンビニのおにぎりで済すます。
翌日気分が良く、節分だけど絶対恵方巻食わねーぜと心に決め、またパチンコに勤しむ。例によってver99を打つが全然だめ。
前日、大ハマリした台たちは、その後爆裂したようでなんとも虚しい感じがする。
また、水分補給をせぬまま、台を渡り歩く。最後に座ったミリオンアーサーでお宝ゲット。二日間で7000円の勝利である。
これに気を良くしてしまい、スーパーで恵方巻きを買ってしまう。なんという意志の弱さ。
極上恵方巻というのがあったので、俺様にぴったりじゃないかとまるごと一本、え、とんかつ巻きもあるの、じゃーハーフで。
え、何これ、サーモンがはみ出てるじゃん、すげーということで海鮮巻もハーフで購入。
人は小さな額でゆとりが出たと思ったら、おかしな行動をするもんだ。
そして水を買い忘れたので、むしゃむしゃとひたすらかぶりつく。口の中に乾きを感じながらも、え~い、ままよと食い尽くす。
翌日は、仕事。仕事場ではかなり水分補給をする。一日3リットルが目標である。
この日はめずらしくお昼にお弁当を買う。まだ、気持ちが大きいままだ。
そして、夜は友達のたこ焼き屋。お好み焼きがまだあるということで、頼むと、今日はこれで終わりだからとたこ焼きもサービスでくれた。
捨てるわけには行かないのでたらふく食う。
翌朝お腹がはっている事に気がついたので、朝と昼を抜くことにする。そういやお通じないなぁと気にするがよくある事なのでスルー。夜は吉野家で特盛ガッツリ。
その晩、突如として腹痛に見舞われる。
はじめは原因がわからずもがき苦しむが、そういやあの恵方巻が外に出てない、
こりゃー便秘だ。
この瞬間、うんに見放されたことに気がつく。
その後もうんに見放されたまま、今に至る。
この歳になって、はじめて、便秘で苦しむ人の辛さがわかった。
要するに、太くて黒くて長いブツに女の子がかぶりつくさまを見て、品の良くない楽しみ方をしていた、という説。
確かに太巻きにかぶりつく様子はあんまし品が良くなくて、そう言う連想をしてしまうのは解る。
・恵方巻が始まった頃は性的テクニックとしてのフェラチオは一般的ではなかったのでは
まず1点目、 「節分の日に太巻きを遊女にかぶりつかせる」という遊びは、いきなり発生するにはハイコンテクストすぎるように思う。
仮に花街でそういう遊びがあったとしても、それ以前に太巻きの風習自体は存在し、そこに艶遊びの要素が付与されたと考えるのが自然ではないだろうか。
2点目、ものの資料によると、日本でフェラチオが普及したのは、昭和中期(1972年)のアメリカ映画であるという。
江戸時代にはフェラチオが一般的だったという話もあるが、日本における性規範は明治時代に一旦リセットされているため、恵方巻が始まった時期(よくわからんがおそらく明治以降〜戦前)には、性的技術としてのフェラチオは一般的ではなかった可能性が高い。
上記2点より、巷でまことしやかに囁かれる「恵方巻のルーツは花街の遊び」説は疑わしい、と判断するのが妥当ではないかと思う。
どうだろうワトソン君。
生まれも育ちも大阪の下町近辺で、もうアラフォーですらなくなりそうなおっさんから見た恵方巻きの話。
もう旬が過ぎた話題だけど、昨日関東から来た人と話してて少し驚いたので書いてみたくなった。
知ってる人も多いだろうけどそもそもの話として、大阪ではそこそこ昔からのローカルな風習として根付いていた。つっても起源はともかく近代で根付いたのはここ50年ぐらいだけど、逆に言えば俺ぐらいのおっさんやもう少し上の世代でも物心ついた頃からはやってたって事だ。
三つ子の魂とか言わんでも子どもの頃から今まで延々やってた風習なら、血肉となる感覚は若い人でも分かるだろう。特に当時はコンビニは当然スーパーも今ほどそこらになくて、まだまだ商店街が強かった時代だ。うちのオカンもまだコマ付きチャリにしか乗れない俺を連れ、近所の商店街の旨いと評判の寿司屋に買いにいっていた。
ところで、寿司は特別感のある料理、という感覚は日本人なら多くの人が持っているのではないだろうか。
世代や地域や家庭によって、桶に入った握り寿司だったり、かーちゃんが作ってくれるちらし寿司だったり、みんなでやる手巻き寿司パーティーだったり、種類やシチュエーションは人それぞれだろうが、特別なときに出てくる特別な料理という感覚はかなりの人に共有してもらえる感覚だと思う。
節分の巻き寿司も、少なくとも俺にとってはそうだった。普段寿司なんて稲荷ぐらいしか食べてないし、握り寿司も盆正月ぐらいだ。巻き寿司はたまに食べなくもないが、大抵細巻きか、太巻きでも乾瓢・高野豆腐・椎茸とか中心の年寄りくさいやつで、鰻か穴子が入ってるだけで喜んだもんだ。
それが、節分には寿司屋のちょいといいやつを買ってくれる。鰻やら鮪やら、下手すると海老やイカまで入ってる宝石箱だ。しかも一人で一本独占させてくれる。のちに弟妹が出来て旨いものは常に奪い合いだった俺には長らく特別だった。
豆まきではしゃぎまわり夜には旨い巻き寿司を一本まるごと食べられる日、節分はまさに特別な日だったんだ。
そんなだったから巻き寿司ぐらい自分で買えるようになってからも、節分には色々な店の旨い巻き寿司を食べ比べたりした。友人ともどの店が旨かった、来年はあの店のを丸かぶりにしようかと思うなんて話をしたりした。当たりを引いた年には、将来自分に新しい家族が出来たらこの巻き寿司をお土産に持って帰ったりするのもいいな、なんて考えたこともあった。だから、節分にスーパーやコンビニで巻き寿司を買おうと思った事もないし、実際に買ったこともない。
先の関東の人と話して驚いたのは、子どもの頃はまだしも大人になってからは節分を特別な日と思う感覚がないらしきことだった。出身地なんかで結構変わるだろうし個人差も大きいかもしれない。でも少なくとも、節分を特別と思ってない人が異文化とともに大量生産品を押しつけられたら大抵の人は嫌になるだろう。
スーパーやコンビニの愚行を庇うつもりはない。俺が好きな行事だからとみんなに押しつけようとも思わない。でも「大人になって節分が特別でなくなった」というのは、俺からするとちょっと寂しいなと思う。
昔地元であった習慣でもいいし、今住んでいる地域の何かでもいい。節分をちょっと楽しみに思うような何かをしてもらえたらなと思う。そしてよければ旨い太巻きでも食ってくれ。わざわざ店内に入らず店頭でスッと持ち帰りの巻き寿司を買えるのも節分のいいとこだ。