軽減税率が導入されて日本文化からお尻を拭く風習が失われるかもしれない。
ニュースなどでも取り上げられたがみんながトイレットペーパーを駆け込み購入し、ドラッグストアからもAmazonからもトイレットペーパーが失われる光景であった。
僕はここに日本の未来を見た。増税と軽減税率そのものの愚策ぷりとか、あるいはそこに振り回される市民の精神がどうのこうのという話ではない。
いつか日本の文化の中からトイレットペーパーでお尻を拭くというしぐさそのものが失われる未来が見えたのだ。
このように書くと諸賢はトイレットペーパーがお高くなり、 市民に手が出ず選ばれし民のみがお尻を拭くディストピアな未来を想定されるかもしれない。それはそれでいいのだが、今言いたいのはむしろ逆である。
軽減税率の導入がはっきりと可視化したもの。それはお偉い人たちはうんちをした後お尻を拭いていないし、もしかしたらうんちを流すこともしていないという事実である。
僕はうんちをしたあとトイレットペーパーを二重にしてなるべくぐりぐりしないようにお尻を拭く。トイレットペーパーがなければ、警察官だって、外交官だって、派遣社員だって、トイレの花子さんだって困る。
と、今まで当たり前のように思っていた僕のなんとのんきだったことだろう。
駆け込みでトイレットペーパーを買う人々がいたことからわかるように、お尻を拭く紙は軽減税率の対象外だったのである。それはつまり、軽減税率を設定する人たちがお尻を拭く紙を生活必需品と知らないことに他ならない。
知っていたなら当然軽減税率を適用するはずである。知らないのならば仕方ない。だけど僕たち下々の人間は下の世話をするのに紙が必須なのだ。
それを知らないということは軽減税率を考えた人達はお尻を拭かない文化を持っているに違いない。
そしてかつて宮中行事の追儺がだんだんと民間に下野し浸透して節分の豆まきとなり、それが今やコンビニ界による一大消費イベントになったように、文化というものはトリクルダウンをしてくる。
と、いうことはきっといつか僕たちも上にいる人々と同じようにお尻を拭かなくなるだろう。
軽減税率があきらかにした事実は、日本社会はお尻を拭く文化と拭かない文化で分断されていること。
そして軽減税率が暗示した未来は、やがて日本人はお尻を拭かなくなるだろうということであった。
軽減税率を考えた人たちへ
いまのところですが、僕たちはお尻を拭きます。