はてなキーワード: 白髪とは
思い返せば学校生活から、人とうまくやるのが苦手だった。育った環境は特に劣悪でもなく、23区のあまり裕福ではないほうで、いじめを受けながらも、それなりに義務教育を終えた。ただし、いじめを受けると、それなりに人付き合いが苦手になるが、現在そのことが影響を深く与えているとは考えにくい。
その後勉強のできる都立高校に進んだ。校則が一つもない学校で、当然服装やら髪型の規則もない。しいて言えば、ちゃんと学校にある程度来ることと、補導されないこと、それと校内では下履きに履き替えることくらい。友達とさぼって映画を見に行ったり、年齢制限をゆるく見てくれるお好み焼き屋に行ったり、近所の公園で浪人生に逆ナンパされたりと、人生初のリフレッシュができた。図書館で山ほど本を読んで、週3回剣道をして、ようやく人生が軌道に乗り始めた。
それほど頭は悪くなかったようで、そこそこの大学の英文科に入ることができた。映画サークルに入り、何本か映画を撮ったり出演したり、地味だったがそれなりに楽しく生活できていた。
兄弟が4人もいたので、アルバイトも高校生のころからちょくちょくしていた。多少を家計の足しに、それと自分の物欲のために。高校生のころコンビニで2年弱、大学生からはファミレスで1年、塾講師で3年。
多分、今に至るきっかけはファミレスのころにうまくいかなかったことに起因している。そして大学生活にも一因がある。
ファミレスでは、厨房でドリンクやデザートを出す仕事をしていた。厨房内では仲良く働いていたが、何となくウエイター/ウエイトレスの人とうまく話ができないまま1年が経ち、そこから人と話すのが苦手になっていた。同じくらいの女性とどんな話題を共有すればよいのか、向こうも話しかけてはくれないし、こちらも話すきっかけがない。
厨房の人がとても優しかったのは今でもいい思い出だ。一緒にワカサギ釣りに旅行に行ったのが懐かしい。釣ったワカサギを持って、お店で揚げて食べたのもいい思い出。
大学1年生の性欲やらが多感な時期に、自分の口下手と話題のなさが鬱屈を与えたのだろうか。
カート・ヴォネガットの短編小説やチャールズ・ブコウスキー、初めて英語で読めた小説の「クール・ミリオン」、高校生から好きで読み漁っていたアメリカ文学、自分やサークルで作った映画、鉄男や小沢健二やNumber Girlやマイケルジャクソン、クラブでかかっていたNirvanaやStrokes、軽自動車で行ったフジロック、そんなものは誰の興味にもならないと決め込んでしまった自分がよくなかったのだろう。
1年経って結局そのファミレスが潰れてしまったが、「あの人の日とか失敗、つまんないし」といったようなことをぼそっと聞こえるように言われたのが今でもフラッシュバックする。
その後、3年弱塾講師のアルバイトをした。個人指導塾で、入って3日目に、「この研修に行くと5000円がもらえる」と言われて行った研修。一言も発言できなかったことを思い出す。
自分が抱える生徒の多くは、本指名から外れてきた子が多かった。成績もみんなそれほど良くなく、自分にも人を教えるスキルが足りなかった。結局浪人させてしまった生徒のことを時々思い出す。本当に悪いことをした。一人で赤本を解いて、わからないことを聞きに来るというスタンスを取らせればよかったのに、自分が無駄に介入してしまったことが悔やまれる。
そのバイト先で覚えたのが、お酒に頼ることだった。安い居酒屋で終電まで飲んで、げらげら時間を共有できる。それが社会人になってもコミュニケーションの核となってしまう。
文学部ながらも、BBSや簡単なアプリを作ることができたので、ソフトハウスに就職できた。2年半いたが、デスマーチで体調を崩してうつになり、結局辞める。
新人研修のころやその後の付き合いもお酒が基本だった。キックオフ、とりあえずリリース、最終FIX、とかのタイミングでようやっと胸襟を開いた話ができる。それまでは、ほうれんそう以外の会話もなく、とにかくメールに頼るようになっていた。
時々生意気な意見を言ったり、人のプログラムを勝手にリファクタリングしたこともあった。
記憶がないなか、帰巣本能で家に帰るのもよくあった。タクシー代を貯めていれば相当の金額になっていたのではないかと思う。
少し休んで、プログラマとして別会社に復帰した。総務と経理以外はほぼ男性の会社で、よく飲んだ。
その会社でようやっとまともな生活を取り戻すことができ、結婚もできた。
3年ほどプログラマをしていたが、目の前に座っているおじさんプログラマの1/10しか生産性がないことがわかり、社内異動で説明書のライターに転職する。
車好きやキャンプ好き、バイク好き、元ミュージシャンが異様に多い会社で、よく泊まりで出かけていた。自分よりも年上が多いから、みんな自分の事を話してくれる。お酒どうこうもなくその人を知ることができる、いい機会だった。ある人が定期購読していた、日経ソフトウェア数年分を借りてJava以外のスクリプト言語(自分はPython)を学ぶBoot Strapとして使わせてもらったり、ほんとうに幸せな日々を送ることができた。
その会社は、株式公開に伴う人員削減で、半数以上人がいなくなった。自分も窮屈なライターを続けるのが辛くなって辞めて、割増の退職金をもらった。以降半年近く、妻以外の人と話すことなく、引きこもりながら割増退職金に付随する給料をもらっていた。働かずに給料をもらえるのがこんなに苦痛だったのか。
いい加減引きこもりにも飽きて大会社に転職するチャンスをもらった。その間に障碍者手帳をもらい、障碍者枠での就職活動をすることにした。
大会社は大会社だった。エリートはエリートで、二級以下の低級労働者の自分は、その程度の扱いしか受けない。大学のランキングを引きずる社内で、
自分はまず
・学歴劣る
・それまでの成果は劣る
・白髪ばっかり目立つ
・とにかくあいつは劣る
という状態になった。
新卒の指導をしても、まるで彼が改善しない。自分を責め続け、ぎっくり腰になった。みんなが、「彼はそうだから」と言ったが、彼をある程度に育てることができず、結局リリースした。リリースしたらとたんにぎっくり腰がよくなった自分の無責任さにびっくりした。
あと、それほど多く飲み会がない。飲んでも自分のような飲み方は誰もしない。場をわきまえ、何となく優しくやっている。
なんで、しらふで天気の話ができないんだろうとか、自分の好きなことを少しでも話せないんだろうとか、毎日悲しくなる。
行動をしないと、周囲も変わらない。一か月以上、挨拶と仕事の最低限のやりとり以外はしていない。たかだか席替えでこんなに弱ってしまうとは。派遣の期限がきてしまう子がいなくなってしまうことにこんなに心が揺さぶられてしまうとは。
ごめん。こんな人間は、やまゆり園の加害者の気持ちでは必要のない人間だったんだろうね。でも、家族と過ごす時々の時間を過ごしてもいいのかな。
俺は、親方、先輩(女27歳)、そして俺を含めた従業員3人の小規模な事務所で働いている.親方は1日のうち半分は外出していることが多いので、もっぱら先輩と二人きりの時間を過ごすことが多い.先輩は、背はちびっこいが乳がでかく足がキレイ.この人が先輩でなければ絶対アプローチしただろう.二人っきりで事務所に閉じ込められて、気分が盛り上がってギシアンというエロマンガみたいなことを妄想して、先輩をおかずにしたことは数知れず.
俺はというと、彼女いない歴=年齢=童貞歴という悲しい境遇.というのも事務所が士業系だから.もし、不祥事でも起こすと親方の仕事も危うくなるので、風俗系はもちろん、出会い系も使えない.危ない橋は渡れないので、いずれいい出会いもあるかなという淡い期待もむなしく30歳が見えてきた.親は「先輩にアプローチしてみろ」と言うがもしゴメンナサイされたら、次の日から仕事に行けなくなるので、その線は絶対になし.先輩は年下だがあくまでも職場の先輩なのだ.
そんな俺を心配したのか、先輩が、先輩の友人の家で飲み会をするとのことで、俺を誘ってくれた.まあ、俺と先輩の友人―「友子」とする―をくっつける算段だ.
そして、某日、俺、先輩、友子、先輩の妹の4人で飲み会をすることになった.みんなで鍋を作り、酒盛りをし、カードゲームをし、それぞれ連絡先を交換して楽しくお開きになった.正直俺は、初めて会った先輩の妹をものすごく気に入った.女子高、女子大を卒業し4年目の26歳、仕事は病院の管理栄養士をしているらしい.姉(先輩)に似て、背はちびっこいが乳がでかい.姉はややキツメの性格だが、妹はおっとりしていて優しい感じだ.先輩の妹でなければ、特攻していたことだろう.
しかし、先輩の目的は、俺と友子をくっつけること、どうやらくっつけて、恋のキューピットになってあわよくば俺と友子の結婚披露宴で挨拶したい.友子は、見た目は可愛いし、看護師をしている友子の部屋に掛けてあったナース服はエロさを醸し出していて溜まらないし、経済力も俺以上にありそうだ.彼女いない歴=年齢=童貞の俺には本当にもったいない.
俺は友子に連絡を取り、何度か食事に誘い、水族館や映画館でデートをした.そして、付き合うことになった.一応初めての彼女ということになる.しかし、俺は、彼氏いない歴=年齢なわけで、そもそも女とのデートにもなれておらず、チューやセク〇スのタイミングも全く分からない.あれこれとメンズ雑誌を読み、ネットを漁り、知識をつけようとするが、なにゆえこじらせてしまった童貞はこんなに闇が深いのか、そんなこんなで、デートが目的なのか、友子が目的なのか分からなくなり、プランを考えるだけで疲れ果ててしまった.
そうしているうち、約3か月が経った.
そして、ある日見てしまった先輩のケイタイ.この3か月のことが、逐一先輩に報告されていた.報告だけならともかく、付き合い始めた最初のころから「俺がつまらないだの、楽しくなかった」だの何もいいことは書かれてなかった・・・そりゃ当然だよな、先輩と友子は友人だもの.報告するわな.こっちはもうすぐ魔法使いなんだよ!!ならさっさと振ってくれよ!!今振り返れば恥ずかしいぐらいの逆恨みだ.
何かもう「うぉおおお」となって床をゴロゴロ転げて暴れ回りたい気分だった.でも良かった.これで良かったんだ.友子もつまらないと思っていてくれて.
そして、その晩、友子に借りていたCDやらDVDを全部返して、俺の初めての彼女とお別れした.
次の日、先輩に「せっかく紹介してくれたのにすみません」と謝ったが、心の中では「全部筒抜けだったんだろう ゴラアア 」と叫んでいた.やっぱり逆恨み.
当時未婚だった先輩は結婚し出産休暇中.事務所の親方も腹がでてきて白髪がずいぶん増えた.友子はあれからどうなったのか聞いてもいない.
とうとう俺は40が見えてきた.
やっぱり今でも魔法使いだ.さすがに風俗は経験したけど素人童貞驀進中.
先輩情報だと、あの飲み会で俺が気に入った先輩の妹も女子高→女子大→産婦人科の管理栄養士というキャリアで、どうやら35を超えても処女をこじらせているらしい.
先輩から聞くと妹の連絡先は変わっていないらしい.
よく俺はあのときの連絡先を未だに保存していたな.自分をほめてやりたい.
春は、盛りの季節なんだ.いけるいける。
なに書いてるか分からなくなってきたが、ひとまず、俺は先輩の妹に今日突撃してみる.春だもの、10連休もあるじゃあないか.勇気を出すんだ俺.頑張れ俺
生まれてからずっと地元に住んでいる。物心付いたころから通っていた床屋が閉店することになった。ご主人と奥さんでやっている個人経営の店だ。二人ともすっかり歳を取ってしまって、いつ引退してもおかしくはなかった。もしかすると、平成の終わりついでに閉店というのもあるのかもしれない。いつか来ることではあるのに、実際そうなるとショックだった。
親に連れていってもらったので、スタートはいつなのか曖昧だ。糞ガキだったから、騒いでうるさかったんだと思う。
一度お金が足りなくて、走って家まで500円玉を取りに帰って、子ども心にとても申し訳なくなったのを強烈に覚えている。
ヒゲが生え始めの思春期のころ、顔そりをしてカミソリ負けで肌がヒリヒリしたのも少し覚えている。
高校、大学、就職、挫折して退職、転職と、人生の転機をまたがりつつも通っていた。たぶん身の上話はそれほどせず、置いてあった漫画本を読んでいた気がする。今思うと、もっと話をしておけばよかった。それでも、少しだけ話していた仕事や家族のことはよく覚えていてくれた。疎遠になった同級生の近況も、床屋の主人を介して知ったこともあった。
床屋は、頑なに変えなかった。不満は無かったから変える必要もなかったし、何より居心地もよかったんだと思う。同級生に美容室に行けばと馬鹿にされたこともあったが、店を変えることは引っ越しなどよほどのことが無い限りしないつもりでいた。結局、進学や就職しても地元を離れることがなく、30年以上通い続けた。
閉店を知っても、床屋という性質上、飯屋のように頻繁に訪れることができない。自分の髪も薄くなり、来店間隔は最近長くなりがちだったが、閉店を知ってからは1ヶ月刻みで行った。変わらぬ店の風景がもう見られないと思うと、急にいとおしくなる。通い始めは子どもだった自分も中年にさしかかり、髪に白髪も少し交じりだした。額がこれぐらい上がってしまったと指摘してくれた。何十年も頭を見てくれたご主人ならではだ。
週末の休みを利用して、最後の散髪に行った。店にはたくさんの常連で混み合っており、花やお菓子やらのプレゼントで溢れていた。自分も30年分の思い入れがあり、精一杯考えて差し入れをした。混んでいたので、最後の挨拶もそこそこだった。本当はもっと感謝しているのだが、それを表現しきれないのがもどかしかった。
今は次の床屋を開拓するのが考えられない気持ちだ。こんな寂しい思いをするんだったら、次からは安くて早くて人の入れ替わりも激しそうな格安床屋チェーン店にでもしようかなと思っている。
2ちゃんにあった実況板にあったskypeで知らない人・国に安価で突撃リレーラジオ
DJ名はひろしの嫁で、
繋がりも薄くなってしまったけれど基本はPCを使ってインターネットをする時代で。
2019年の今と違って、youtuberなんかいなくてUstreamがちょっと出てきたくらいで、
今みたいに実名ありきでなくて、
世界中の知り合いでない人とも繋がることができる世界だったのかと思う。
だいぶ長くなるかもしれないけど、今日のことは記しておきたくなった。
2019年3月23日に心不全で亡くなったと彼のお仕事仲間の方から
facebookのメッセージを通して3月28日の夜に連絡がきた。
3月30日の13時から火葬場に行く前に斎場でお別れの会を開催しますと。
12年前のリアルな世界では、プロデューサーとして一流な仕事人と聞いていた。
でも、Skype上では酒、タバコ、女、鉄道、アニメが大好きで
すぐに下ネタに走るし、ド変態だし、セフレいるし、すぐにヤろうとかいうし、
お金持ってるはずなのに、たまに本当に金欠でお金貸してとか言って踏み倒すし、
強引でくずだなあwだと思っていた。
本名も知っている仲で、オフあったのも数える程度だったけど会っても同じ感じで
でもなぜか、嫌いになることができなくて、
猫が好きで、酔っ払ってすぐ仕事とはこういうものとチャットで語り出して
むしろ仕事の姿勢の話はほんと尊敬していて不思議な魅力のあるナイスミドルだった。
ここ5年くらいは全く連絡していなくて、
こないだつい3週間前に偶然facebookで誕生日のポップアップが出てきて
おめでとうとメッセージを入れたぐらいだった。
そんな彼が亡くなったと。
そんな彼の訃報が本当だったら?
12年前に、俺を呼べるくらい仕事で成功するいい女になれよ、と口癖のように
チャットでも、通話でも、オフで会った時も言っていた姿がよぎった。
嘘だったら、嘘でもいいし。
本当に最期なら挨拶したいと思って、今日、3月30日に横浜の斎場に足を運んだ。
もし本人が生きていてちゃんとした喪服で行かなかったら、
怒られるなと思って喪服も昨日急いで10着ぐらい試着して1着買った。
電車の中で、もしかしたら生前葬かもしれないとか考えたりしていたら目的駅に着いた。
話しかけると目的地は一緒で、彼に仕事を頼んでいたクライアントさんだった。
彼女も先日これからお願いしますと挨拶したばっかりで、びっくりなんですと。
そんな話をしていたら、斎場に。
受付して10mもしない先に彼の棺と思い出の品々があった。
お線香の匂いがして、棺の右隣にお母様とご親類の2人立っていて。
女性が2人泣いていて。
お焼香の仕方もおぼつかなくて、きたよと挨拶したけれど本人と顔をあわせるのが怖くて
棺の中は見れなかった。
棺の横にはサッカーのユニフォームの写真や猫を抱っこしている写真もあって、本人だ。と思った。
仕事仲間で今回の会をお手伝いしている方が
時間になったら献花とお見送りに向けて声をかけますと言われて待機することにした。
同じように待機している人20代くらいの2人組に話を聞くと、
4、5年前に知り合ってスポーツ関連の仕事を紹介してもらったんです。
お酒とタバコがだいすきで、仕事のオンオフがはっきりしていて熱い人でしたよ。と。
もう一人同世代の方とも話したら、
仕事に熱く、クライアント先で話し出したら10分ぐらい一人ノンストップなんですよ。と
笑いながら話してくれた。
12年前に私が思った印象とあまりリアルも変わらないんだな。と思った。
私も正直にネットで知り合った友達と伝えると、みんな意外そうな顔をしていたけど、
彼らしくいろんなことに手を出してるね。と笑っていた。
そんなことを話していたら、時間になってお母様のご挨拶があった。
お母様に挨拶させるなんて。
彼のお父様が若くに亡くなって、形見の結婚指輪をはめて大事そうにしていたことを思い出し、
なにやってんだと悲しくなってしまった。
ご親族がお棺を開けてYシャツにネクタイ、上着、彼の苗字が書いてある日本代表の青いユニフォームをかけてあげて。
マルボロだったり、ミニカーだったりを入れて献花の時に最期に顔を見て挨拶した。
昔と比べて白髪やしわが増えていたけれど安らかな顔をしていた。
ぽんさん、
相変わらずスーツが似合うね。
なんでか涙でちゃうなあ。
スカ凸のDJさんたちもきたがっていたよ。
リアルの人の話きいたけど、あいかわらず若い人への応援が熱いね。
喪服6万円のなんだけど、もっとちゃんとしたやつ買ったほうが長く使えてよかったかな?
昔、服を買うなら一流のやつを買って長く使えって言ってたもんね。
ちゃんと仕事できてるかな。ぽんさんがいういい女になれてるかなあ。
そんなことを心の中で思いながら最期のお別れをした。
霊柩車に乗って彼の棺はお母さんと、弟さんと彼女さんの3人と斎場を離れて
お別れの会は終了した。
どういった人選をされたかわからないけど、この場に来れてよかったと思う。
なぜかと言ったら失礼だけど、意外と彼が亡くなったことが悲しくて、
亡くなっても、なお人の死に慣れろよと、勉強させてもらっている気がする。
笑いながら、俺職場でも私生活クズだけど仕事は尊敬できますよねって言われんだよね。と
語っていたのを思い出した。
彼と色々12年前に話した思い出の中で一番印象に残っている言葉がある。
よく聞く「俺は会社の歯車だ」と愚痴るやつは歯車じゃねえ、会社にとっては埃なんだからと。
いま社会人として仕事をしている私の礎になっている言葉でもある。
実行できているかはわからないけど、これからもこの言葉を大切に仕事人として歩んでいこうと思う。
先に逝った飼い猫のポン太を撫でられているかな?
落ち着いたらまた、お墓に会いに行くね。
安らかにねむってね。
きこより。
独身で気楽な生活していて、昔から大した苦労もしていないせいか、たまに「若く見えるね」と言われる。
でもわかってるの。
それは「見た目が若くてはつらつとしていてエネルギーにあふれてる感じだね。」じゃないの。
それは「年相応ではなく、幼く見えるね。」っていう意味なんだよなあ。
別におれは童顔じゃない。化粧水ぐらいは使うけど、年相応の肌だし、髪の毛には白髪混じってきてるし。
昔から整髪料を使う習慣が無い。
朝風呂で生きてきているので、整髪料落とさないで寝るのが嫌だし、
なにより、整髪料付けても全然"キマッタ!"と思える瞬間が無かった。昔から。
一回6480円の美容室行って切ってもらっても、不細工は不細工。
だから高校生のころからずーっと、髪は3~4cmの長さにして、整髪料は何もつけず。乾かすときに軽く横に流す感じにしてきた。
まぁ別にこのままでもいいんですけど、
考えてみれば40近くなって冠婚葬祭の場とかにもずっとこの髪型って、いいと言えばいいけど、もう少し頑張ろうよと言えばそんな気もしてくる。
毛根は今のところ無事です。
ちなみに、母もはやる前から染めるのを拒否して今はグレイヘア。
髪色は良いとしても、ファッションがね。。大幅な肥満だし、店でシルバー向けのサービスを勧められてショックを何度もうけているのを側で見てた。
その都度「失礼な」って怒ってたけど、たぶんそれ髪のせいだけじゃない。
髪が白くてもセンスのいい人はとても「おばあさん」に見えない。
むしろその色に染めてるようにすら見える。
白髪=お年寄りのイメージは強く、グレイヘアは一歩間違うと女捨てた人に見える。
意志を持ってその髪色にするのであれば、それ相応の気概が必要。
それか、どう見られても気にしないでいるか。
「おばあさん」扱いに怒る前に、やるべきことがあると、同じ女として私は思う。
その都度フォローするのも面倒なんだよなー。
染めるの面倒なのもあるし、何より、ずっと黒髪だったから、グレイヘアなら違うファッションが楽しめそう!
いつかのためにセンス磨いとこう♪
今年21歳にして気づいたんだけど
10代の頃から若白髪が多い方ではあったが、この多さはマジでおかしい
それも均等にはえているならまだしも、劣化版ブラックジャックみたいな感じで前髪に異常に白髪が生えてきてるんだよ
黒染めなんていうのは俺の信念が許さない。髪を染めるっていうのだいっ嫌いなんだよホント
そんなこんなで原因を考えた結果、やはりオナニーのしすぎだろうなってことにたどり着いたんだよ
朝に1回、昼飯前にトイレで1回、昼飯後にトイレで1回、夕飯後に1回、風呂上がりに1回、寝る前に2回
という感じ
でも忌まわしき白髪を撲滅するためだ、背に腹は変えられないのでオナ禁することにした
するとどうだろう?1ヶ月で徐々に白髪は減り、3週間立つ頃には新しい白髪はほとんど生えてこなくなった!マジですげえ
ということで、若白髪にはオナ禁が重要という本質情報を書いてみたよ
わざわざ高い金かけなくけてもオナ禁すればいいんだよみんな
それではみなさんごきげんよう