はてなキーワード: 白髪とは
老人性シミとか白髪は男でもかくして欲しい
ついつい綿棒や金属(スクリューっぽいやつ)で耳かきしてしまう。乾燥系耳穴。
何か残っている気がいつもする。さっき1mm位の納得出来る大きさのものがとれたのですっきりした。
抜毛症もある。白髪もそうだが、眼鏡のつるが当たる部分の髪の毛がねじれたような、ぶっちゃけ陰毛みたいなクセがついて、それが気になってしょうがないのだ。
他害のない(人にも物にもあたらない)境界例なので、過度の耳かきも抜毛症も仕方ないと思う。
抜毛症について説明してる皮膚科のページで精神科に行く事をすすめてる記載があった。
精神科はもう長い間行ってるし薬ものんでるから改善の余地はないのだろう。
綿棒もスクリューっぽい段差がついてるやつが好きだ。
金属の耳かきはなるべく使わないようにしてる。それでもかきすぎて血がでることもたまにある。
<追記>
商品回収になった耳かきを今でも持ってる。ブラシ状になってる。
数度使っただけで商品回収のお知らせをネットでみてしまい込んだ。
久々に出して洗って使ってみたが、自分には綿棒がいいようだ。
無料相談フォーム(炎症部位・お顔・家族などの写真を撮影し相談内容
https://www.atoppos.co.jp/html/benben.html
http://www.atoppos-kensa.com/profile.html
こういう如何わしい事をしているWebサイトの通報先ってどこなんだろう?
25年の研究・開発・相談・サポート。
10000人以上の再発の無い完全克服を実践してきた理論は、
①アトピーの子供が生まれない方法
②生まれて間もないお子様の1年以内の克服方法
③今困っている方々(子供・成人)が3年以内に克服できる方法
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赤嶺 福海
赤嶺福海(あかみねふくみ)
1955年 大分県別府市生まれ。1987年 原因不明の病(体重39Kg 全身白髪、睾丸片方直径5センチあまりの白髪狸状態、、見た目老人化し、五感の感覚が殆どなかった)に倒れ、余命1週間の命を薬を捨て、ただひたすらに、味のしない「ごはん・みそ汁」を食べたことで救われる。※(当時は、20メートルくらいあるナースステーションの声が傍で聞こえていた。「赤嶺さんもあと1週間だね」と、担当医師が言っていた)
それ以来、人間の体に興味を持ち腸内細菌という不思議なシステムに出会い、研究を開始する。途中、奇妙な病気「アレルギー」と「腸内細菌」の関係に携わることになり、アトピーの方々の腸内細菌異常を目の当たりにして、奥深くのめり込んでゆく。
アトピー克服には、腸内細菌、ミネラル、皮膚phが大きく関与していることを確立し、アトピーで悩む皆様方を一人一人助けることと、インターネット、講演会等で多くの皆様にも研究、実績を情報公開している。
「次代をになう子供達に健康な体と心を」をテーマに、各団体と協力して21世紀総アレルギー時代に待ったをかけるべき活動を行っている。
両親には白髪がある。全体的に白いのではなく、一本単位の白髪がつーっと入ってるのが何本もある。母は特に前髪のあたりが多い。貧しい老人役をするときの樹木希林のようなイメージ。
見えを張るわけではないが、第一印象は大切だ。今はワンデーだけ染める粉というか、梳かせばいいだけのやつもあって、それをやってほしいと思ってる自分がいる。でも見た目のことであれこれ言うのは気が引ける。ヒゲが生えっぱなしとかなら堂々と言えるが、白髪が身だしなみ違反か?というと分からない。でも……という無限ループ
誤解のある言い回しだとしたら、少し説明したいです。つられているだけかもしれませんが、病識がないことを馬鹿にするつもりはありません。
精神科の病気では、自分が病気であるという感覚が持てないこと、そのものが病気の症状であることがあります。ですので、女性(に限ることもないのですが)が年を重ねていくことに対して、それを認めないこととと、は若干意味合いが違います。
病気は、どんな病気であっても、望んで患うことはありません。風邪でも、がんでも、精神疾患でも。
そういう意味では、病識がないことは、病を得るという不運な出来事の結果であって、まったくもって患者さんやそのご家族に責任はありません。
もう一つ否認という言葉を挙げました。この語は、喪失体験の過程としての否認を念頭に置いて、使われています。
キュブラーロスの喪失体験という考え方は、ご存じの方も多いと思います。
彼女は、がん患者の告知後の心理的な変化を、一般化して、喪失体験となずけました。
すなわし、否認、怒り、取引、抑うつ、受容という過程です。このような心理的過程は、がんの告知後に限らず、広く一般的にみられます。
例えば死別や失恋なども、同じような傾向があるように思います(すでに言及されている文献はあるかもしれませんが不勉強で調べていません)。
これらについては、その人が大切にしているものを失ったときにおこる反応と一般化してもよいと思います。
元増田の挙げる、白髪や「婆と呼ばれること」加齢にともなった、若さの喪失ということになります。若々しさを大切にしている人であれば、正常な反応でしょう。
喪失する体験を受け入れられない、受け入れるまでの過程として、様々な感情を体験することは正常な反応と思います。
そういう意味で、「認知症になった母」が病院に行きたがらないことは、病気の症状として病識がない可能性と、正常な反応としての否認と両方の可能性を持ちます。
いずれにせよご家族は大変な思いをすることになります。また、繰り返しになりますが、おそらくもっとも途方に暮れているのはお母さまと思います。
腰がかなり曲がった総白髪の絵に書いたような老婆だったよ
影という表現を使ったものの、まだまだ元気なのでこんなことを言ったら怒られるかもしれないけれど。
白髪混じりの頭に眼鏡をかけた小柄な男性を目にすると、いるはずのない場所であったとしても、もしかして……と凝視してしまう。
じっと眺めた後、違うんだと結論を出した後にも、困ってはいないだろうかとなんだか気になってしまう。
早い話、親孝行したいんだと思う。
お世辞にも孝行息子とは言えない20数年間を送ってきたし、今は一人暮らしなのでなかなか恩返しができていないように思う。
働いたり、結婚のことを考えたり、30歳が目前にせまったりする中で、昔は全く気づかなかった父親の偉大さを日々思い知らされる。
感謝を伝えたいし孝行したい。
なんというか、父親に飢えている。