はてなキーワード: 牛肉とは
ムスリムは「豚を食うな」と言うし、ヒンズー教徒は「牛を食うな」と言うし、ビーガンは「肉を食うな」と言うけど、俺は今まで豚肉や牛肉を食ってきたし、たぶんこれからも食うだろう。他人の倫理は法律でもないし自分の倫理でもないから、どんなに他人の倫理に反した行いでも自分の倫理に反していなければ好きにやっていい。
「牛を食うな」「豚を食うな」「肉を食うな」と言う自由は誰にでもあるから、業務妨害にならない範囲でなら好き勝手に表現すればいい。でもそれを俺に強制する権利は誰にもない。俺が肉を食うことで傷つく人がいるとしても、その人に俺が肉を食うことを止める権利がないなら知ったことではない。
地主さんの記事を見てから無性に行きたくなって初めて行ったレポ
最初に謝っとく
前置き
ちょい郊外じゃないと店がないしそもそも店舗数もそこまで多くないってのもあるし
本題
土曜11時半
まだすいてるかなという感じ
入り口で新人名札をつけた大学生っぽい男性が声を張り上げていらっしゃいませと言う
検温もあった
一人だったのでカウンター席へ
一蘭みたいな感じだけど店内広いし自分のスペースも広いから圧迫感はない
注文は眼の前の仕切りに貼り付けられたタブレットのタッチパネルで注文する方式
とりあえず地主さんリスペクトで肉ごぼう天うどん750円と、かしわおにぎり1つ100円、ぼたもち1つ130円をチョイス
うん、まあふつうの見た目通りのかしわおにぎりとぼたもちだなという感じ
ぼたもちが地主さんの記事よりさらに値上げして130円になってた
うどんきた
実は今26日くらいまでは大盛り無料(新生活応援とかなんとか)だから大盛りにしたのだ
長さ10cmくらいのごぼうの天ぷらが5本と、甘辛くにた肉、ねぎが少々、資と文字の入ったかまぼこ2枚
つゆはあっさり目だが、肉の味とごぼう天の天ぷらが時間経過で剥がれてとけてきてどんどんあぶらっぽくくどくなってくる
ごぼう天をあとにとっといてちまちまとろろ昆布とうどん食ってたんだけど、
ふと気づいてごぼう天もちあげたらつゆに浸かってた部分がフニャフニャどころから衣がはがれてた
あわてて全部たべたけど正直失敗
この失敗を日曜にも繰り返してしまった
最初からうどんにごぼう天がのってるのは初心者が上手に食べるハードルが高い
仮に注文したものが届いてそっこー食べようとしても、
運ぶ人とか順番の関係でつゆに浸かってる時間があってすでにふにゃってる可能性も高い
うどんの麺はつるしこ
牧のうどんほどフニャフニャではないが、丸亀製麺ほどしこしこ固く感じることもない
割と好みだった
トッピングかけ放題なのはとろろ昆布、七味、つけもの(黄土色のたくわん)、天かすだけだったし
うどん食いおわったときはそうでもなかったけど、デザートとしてぼたもちを食ったら一気に腹が膨れた
よるまでおなかすかなかった
日曜16時
まずはおでんを物色
あと3,4種類も品切れであまりやる気を感じられない
あと値段みてびっくり
やすいので100円、そうじゃないのは150円とか
地主さんの記事だと昔70円で記事のとき10円うpで80円になってたっつってたから、
80円、せいぜい90円だと思ってたのに
100円ならわざわざ資さんうどんでくうほどのことはないけど・・・
せっかくだからお試しで、と頼んだ
牛串とかも食いたかったけど150円は高い
んで席に戻って食う
見た目通りの味で、これで100円は高い、と感じた
(かけうどんが370円。ごぼう天単品が110円だから、ごぼう天うどんとして頼んでも別にお得ではない。
つまり初日の肉部分のトッピングだけで270円。それに気づいたから今日は肉なしのごぼう天うどんにした)
んできのうと同じ失敗をした
時間おくとふにゃるどころか衣がはずれてごぼう天うどんじゃなくてごぼうと天かすうどんになっちゃうんだよ
まじで失敗
別に頼んだらごぼう天5本110円でこれはめちゃ安いしコスパいいと思うし
ごぼう天うどんくったあと腹八分目でちょうどいいカンはあったけど、
どうしてもカレーを食べてみたくて頼んでしまったカツカレーを・・・
そんで1/4くらい残してしまった・・・本当にごめんなさい・・・
カツカレー840円
カレーは中辛、となっている
正直、辛くない
ただ、運もあると思うけどカレーの具の牛肉が割と多めな気がした
カツ
ロースハム4枚分くらいの厚さのハムカツ、もしくは駄菓子のビッグカツ2枚分かという感じ
カツ!!!カレー!!!を期待してこれがきたらがっかりするよ・・・
それもあっておいしくてどんどん食べ進める、ってことができなかったのも多分あった
これで840円はかなり割高だなあ・・・
あとメニューみてはじめてしったのがロッテとコラボして雪見だいふくぜんざいってデザートもあった
さすがに入らなかったし、ただ雪見だいふくいれただけならそこまで・・・と思ったし
別件だが雪見だいふくも小さくなりすぎてんだよな・・
総括として、昔の値段でこのクオリティならよかったと思う
ただ値上げした今となっては割高で値段に見合ってないように感じて、いまいち満足できなかった
ごぼう天とかはてめえの食い方が悪かっただけだろと言われるかもしらんが
そりゃあ、直筆の感謝の手紙でも書けば必ず喜んでくれるのだろうが、いい大人の男が毎年毎年お手紙というのも、どうにも気恥ずかしい。
ということで毎年母の誕生日が近づくと、うんうんと唸って、結局は牛肉セットやら、ドライフラワーやら、温泉券やら面白みのないプレゼントを贈ってきた。
ところが、今年の俺には自信があった。悩む必要もない、しかも面白く、きっと便利なプレゼントができるという自信である。
今度60歳になる母が、珍しくゲームにハマっていた。ポケモンGOだ。
たまに実家に帰ると、車に乗りながら、道で歩きながらこんなポケモンがいる!とか、楽しそうに語っていたのだ。
俺はポケモンGOは最初にちょっと触ってやらなかったし、ソシャゲは廃課金する方で、
母をドン引きさせてしまう可能性が高いので、一緒にプレイしようという気は起きなかった。
あえて、100円分浮いたよ!とか語る母の様子を「ほーん」という感じで見ていた。
察しの良い方ならおわかりだろう。俺がプレゼントしようと画策していたのは、ポケモンGOの外部パーツである。
よく職場で一緒にソシャゲの話をする、俺と仲のいいゴミ野郎がいるのだが、彼がドヤ顔でモンスターボール型の、時計のようなアタッチメントを見せびらかしてきやがった事を思い出したのだ。
機能はよく知らなかったが、何やらポケGOがより楽しめるようになるグッズに違いない。そもそも俺はポケモンGOでボールを何か指でクルクル回転させて投げる的なテクも最近知ったくらいだ。
そして、母はとにかくデジタルに疎いのでその手のグッズの存在など知らず、買えば必ず喜んでくれるだろう、と。
母の誕生日の前日、俺は電器屋に電話をした。要件をスマートに伝える。「なんか、あの、ポケモンGOの拡張パーツ?みたいな。腕につけるやつありますか?」と。
電器屋さんも流石プロ、慣れたもので、「ああ、ポケモンGOの○○でよいでしょうか?最新版が丁度出たんですよ」とスマートに応えてくれた。
俺は完璧だな、と頷きながら取り置きをお願いし、そのまま電器屋に颯爽と向かい、レジにてブツを購入した。
小さい。そして、思っていたのと違う。滅茶苦茶無骨だった。黒くて、まあ時計型ではあるのだが、とてもじゃないが職場のカスが見せてきたような、ポケモン好きなら喜びそうなデザインのものではない。
俺は慌てて、外箱の説明を読む。
「これがあればポケモンを自動で捕まえてくれる!」という旨のことが書いてあった。
なるほど、便利なものである。「スマホを立ち上げる必要なし!運転中でもポケモンを捕まえられるよ」とのことだった。かがくのぎじゅつってすげー。
俺は、その品を母には渡さないことにした。
だって、そうだろう。
母が、唸りながら「ボールを曲げないとと捕まえられない」とか、「見て!こんな可愛いポケモンいる!このポケモン知ってる!?」とか、「ちょっとお父さん!今ポケモン出てるからもうちょっと徐行して!ああ、逃がしちゃった!」だとか。
確かに、そのアタッチメントを買ってやれば、ポケモンBOXはあっという間にいっぱいになり、母はスマホの充電を気にせず外出できるようになり、父は母を搭載しながらも気楽に車を転がせるようになるだろう。
でも、そういうことじゃないだろう、と俺は言ってやりたかった。
ポケモンを確実に捕まえられることに何の価値があるんだ。スマホの充電や父の快適のドライブに、一体何の価値があるというんだろう。
不便と、努力と、達成感。それこそが、ゲームというものではないのか。
俺は、60になるまでゲームの面白さを知らなかった母に、とてもではないが悪魔の知恵を授ける気にはなれなかったのである。
ということで、俺はもう予算も使い切ってしまったので、仕方ないから適当に安物の鉢植えの花と、急ごしらえの直筆メッセージカードで、母の誕生日を祝う事にしたのである。
母は、何やら喜んでいた。まあ、面白おかしく、かつ日常で使えるような便利なプレゼントが出来なくて申し訳なかった。
母は、きっと今日も、スマホの充電と戦いながら、ポケモンたちに勝負を挑んでいるのだろう。フルオートではなく、指先で、くるくるとボールを回しながら。
もしかしたら、あのアタッチメントを送れば、母のポケモンGOライフは快適なものになっていたのかもしれない。でも、俺はそうしなかった。
贈られることが無かったプレゼントは、俺の家の引き出しの中に、今だに眠っている。
きっとそれでよかったのだと、信じている。
阿能麺(白濁スープ)
蘭州拉麺(蘭州牛肉麺、手で延ばした麺、かん水を使ったものも有る)
餛飩麺(餛飩(フントゥン)は北京語、雲吞は広東語でほぼ同じものを指す)
因みに、拉(らー)していない(手で延ばしていない)物は
手で延ばしているというのは、1本から2本、4本... 256本みたいに延ばしていく奴の事。
俺が喰った羊肉麺の麺は細くて柔らかくて、あっという間に茹で上がるのだが、
食べている間にどんどんスープを吸っていってどんどんスープが無くなる。
だから素早く食べないと食べられなくなる。
俺は2回目からは麺無しにしてもらって、肉とかレバーとかホルモンでビール飲んでた。
ただ最近の都市部では、西洋の牛肉のステーキや、和牛のステーキが広まっていて、
それはそれで高価な料理だが。)
現在国内に出回っている牛肉のうちで、国産牛肉はおよそ4割です。すなわち外国からの輸入牛肉が6割と、約3分の1を占めています。
肉牛1頭(体重700キロ)をつくるためには、トウモロコシや大麦などの穀類(濃厚飼料)を約5~6トン(あか牛は4~5トン)必要とします。しかしそのほとんどは、アメリカなどから輸入されたものです。国産のエサといえば、イナワラや牧草などの粗飼料ですが、これも最近では外国産のものが増えています。国産牛肉といってもその原料はほとんど外国産なのです。
世界中には何億という人が食料難で飢餓状態にあります。そういう人にとってトウモロコシや大麦などの穀類は貴重な食料なのです。日本では1kgの牛肉をつくるために20倍近い量の濃厚飼料を与えています。
牛は本来、人間の食料にならない牧草や飼料作物を食べて、立派に牛肉や牛乳に変えてくれる動物なのです。濃厚飼料一辺倒の日本の牛肉生産体系を、生産者も消費者も真剣に考え直す必要があるようです。
牛一頭、屠殺されるまで育てる為にライ麦と小麦を飼料とした場合、この飼料でいくつパンが作れますか?
牛一頭、屠殺されるまで育てる為にライ麦と小麦を飼料とした場合、この飼料でいくつパンが作れますか?畜産。
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ID非公開 さん
質問日:2018/03/06
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ベストアンサーに選ばれた回答
食肉と穀物のバランスが悪いというスタンスで、10倍の穀物が必要だと訴える主張を散見します。 先の回答者様も同様にカロリーベース等から算出されたこの数字に則っておられるようですが、現実とは大きな乖離があります。
端的に申し上げるならば、肉牛の飼育現場では穀物飼料の年間見積はザックリ言って120キロ以下です。 出荷の目安は20~36か月程度ですから、最大でも消費される穀類飼料は360キロ以下です。
飼育現場では藁、生草、サイレージ、乾草、穀類や糠等をミックスして飼育するのですが、これを穀類のみで飼育したと試算すると「10倍」だと指摘しているのです。
更に申し上げると、穀類の多くは挽いて食しますし、全粒粉等の特別な形式を除くと小麦の場合ですと歩留まりは70%程度になっています。
更に更に申し上げると日本はサシが入った肉質を好むので飼育期間が長いのですが、アメリカ等の食肉が盛んな地域での飼育期間は概ね28か月程度になっています。
これらを考慮して偏った考えをするならば、必要穀類が253キロ、小麦精製すると190キロ、パン一斤200gですから950斤のパンが焼けると見る事も出来るのです。
このように物事というのは、多面的に見なければならないと思います。
口が達者なおっさんさん
回答日:2018/03/06
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その他の回答
4件
世界的にみてそもそも牧畜は人間が食べない野草や低木などを餌としているのが主体で、それら粗飼料と共に穀物を与えるのは米国と日本だけです。
アメリカは余剰作物を牛に与えて畜肉生産性を向上させているに過ぎませんし、日本は大豆粕や麩など人間が白締油や小麦粉を食用にした残り物を餌にしているのが殆どですので、畜産をもしやめるとそれらの穀物粕が余剰となり環境汚染に繋がります
ライ麦と小麦で牛を飼う事は現実にありませんので机上の空論を試算したとしても意味はありません。
おやじだまさん
回答日:2018/03/07
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牛の重さは700kg程度です。
http://kumamoto.lin.gr.jp/shokuniku/kisochisiki/kachiku_seisan/hikaku.html
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463774944
よって700kg(体重)×10kg(穀物飼料)÷0.3kg(パンに必要な小麦粉)≒23,000斤
gat********さん
回答日:2018/03/06
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パン1斤は0.2kgですので16500斤の食パンが作れますね
回答添付画像
( =^ω^=)さん
回答日:2018/03/06
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10個のパンより一切れの牛肉を喰いたい人が多いと言うことでしょう。
回答日:2018/03/06
私たちはいつから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説!
https://intojapanwaraku.com/culture/48024/
疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉、から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができます。しかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちのご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。
日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授・中澤克昭先生のお話をもとに追ってみました。
うつりかわる肉食への考え方
日本史の教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代(明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜は労働力を提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。
3世紀ごろの日本(ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀に仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避(タブー)につながっていくのです。
しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシやシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代の遺跡から出土した木簡からわかっています。中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地の所有権を確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。
古代には禁欲の対象だったお肉も、平安時代になると禁忌つまり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代も飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物が確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。
「天神さま(菅原道真)の牛のように、神話や伝承の世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓(ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。
新鮮な馬肉
では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。
なお、近代以前に肉を地方から京都や江戸へ運ぶとき、塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉も存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカやイノシシでしたが、貴族社会の宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお(現在の味噌・醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています。
肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家に権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家の食事のマナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別な作法があったようです。
江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料上確認できますが、その後しばらく姿を消してしまいます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗は徳川家康を尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名の特権ではなくなりました。明治天皇も御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇が狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野で鷹狩りをして以来のことでした。天皇は800年ものあいだ狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士の時代と重なっているのが興味深いところです。
明治天皇は1872年に牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後生まれの世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥でちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活も高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。
一方で2030年ごろには、世界の人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食の研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。
「動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ちを自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。