はてなキーワード: 無知とは
まず、無職の増田に白羽の矢が立ったというのは、責任感の欠如から来ている。お姉ちゃんが困っているから助けるのは素晴らしいことだが、なぜそもそも無職でいたのかを深く考えるべきだ。無職であった期間に、将来の計画を考えたり、自己成長を意識するべきだった。
次に、自分が独身のくせに赤ん坊を2人も育てて、大変だったと書いているが、それは当たり前のことだ。育児の大変さを体感して初めて気づいたのは良いが、それまでの自分を省みるチャンスだと思う。なぜもっと早くにこうした経験を積んでおかなかったのか。世間の常識や他人の苦労に鈍感だったのかもしれない。
哺乳瓶を洗う、一日中抱っこする、オムツ替えをするという「大変さ」に気づけただけましだ。だが、それを「全く寝られないしで意味わからんくらい大変」としているけれど、これは実際に育児をしている全ての親が経験していることだ。言い訳や愚痴を吐く前に、もっとその現実をしっかりと受け止める必要がある。
さらに、「みんな知ってた??なあ?知ってたならなんで教えてくれなかったんだよ!」と書いているが、これは他人への依存や責任転嫁だ。子どもの可愛さについては、他人に教えてもらうものではなく、自分で見つけるものである。自らの無知を他人のせいにするのは大きな間違いだ。
それから、無職が子どもを欲しがることについても触れているが、そこに少しの自覚はある。しかし、「バイトくらいはするようになったけど、ニートもフリーターも世間的には同じような扱いだよな」とどこか他人事のように書いている部分が問題だ。責任感を持ってコツコツと将来に向けた努力をするべきだ。それは単に仕事を見つけることだけではなく、自分自身の成長と向き合うことだ。
最後に、家庭を築きたいと言っているが、それ以前に自己改革と自立が求められる。家庭は全ての基盤が整って初めて築けるものだ。今のままではその基盤が不足していることを自覚し、行動に移すことが必要だ。
産前産後なんてホルモンで体のバランスも変わって不安だし子供のことも不安なのに自分ばっかりよく遊びにいけたよね。多分三回の妊娠中で三回とも同じことやってそう。
無知なだけなんだろうけど、そこに寄り添わなかったから仕事が忙しい時に私的な用事で子供を押し付けられたりしてても大して悪い事してないと思ってるし、なんなら貴方の存在は育て上げたらいらないと思われてると思うよ。
アドバイスありがとう!本当に無知なのでとってもありがたいです。
ハイライトも最近「そんなのがあるんだ」と知ったばかりなので、付け方を勉強しながらお手軽なお値段のところから試してみます。
少しでも鏡が怖くなくなればいいなと思っています。
ブサイクだけど肌だけはまあまあ綺麗だったのであまり気を遣ったことはなかったんだけど、年を取るにつれてしみも増えて肌もアカンようになってきたのでメイクとやらをするようになった。
成人式のときにチンドン屋みたいなメイクをされて以来、チークやらリップやらを塗ると「ブサイクは何やっても無駄!無理!お前は滑稽なブサイクにしかなれない!諦めろ!」と脳内の自分が罵倒してきて泣いてしまうので、怖くて色は乗せられないし、厚塗りも無理。
せめて電車で隣に座ってしまった人が「ウワッキモッ」て思わないような顔にしたくて試行錯誤している。
メイクし始めてわかったんだけど、ベースメイクと眉毛だけだと顔が真っ白というかのっぺらぼうになるんだね。
ちょっとだけでもチーク乗せて目の周りにもなんか色付けないとダメなんだなあ。
それにしたって成人式のときにチンドン屋みたいな塗り方したあのオバチャンはどうかと思うけど。
いや、こっちの素体が悪すぎてどうやってもチンドン屋になってしまったのかもしれない、ブサイクな私が悪い。
この間初めてクッションファンデというものを知って試してみたらすごく良くてビックリした。
これ付けて上からおしろいパウダーというのを付ければ良さげになるのでは。
この問題、キチガイ左翼の本拠地である、はてなブクマークでも、増田でも完全にスルーされてるね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/82697541642d253043a7963f84748d858b759701
ネトウヨの発信基地であるヤフーニュースだけど、ニュース元はFNNプライムオンラインだよ。3日前のニュース。
「たかがゲーム」のアサクリ問題を追ってる人はみんな知ってる事でも、無知でバカでクズで日本人の敵である左翼は知らなかった????
これで、デマを信じた黒人男性が日本人女性を妊娠させても左翼は「おめでとう!素晴らしい事だ」っていうだろうし、
相変わらず「弱男www日本人男性は用済みwww」ってフェミニストは言うんだろうね。
2024年5月の話題が、なぜ3日前にニュースになってるんでしょーか?
もちろん、左翼はゴミみたいなプライドがポルシェのように高いから「たかがゲーム」問題と同じレベルで見てるんだろうね。
日本人なら信じるわけもないデマがね。アフリカで普通に信じられているんだよ。「伝説のサムライ弥助」が史実のアフリカでは。
「また日本が助けを求めているぞ!」と「日本人女性を妊娠させに行かないと!!」って日本には「勇敢な武士には少し黒人の血が必要」って諺があるからね。
そんな諺はない!って言っても、エビデンスは?って言われちゃうよ?
まぁバカな左翼は知識人であるデービットアトキンソンには完全敗北してるから何も言い返せないんだろうけど。
これが、ネトウヨの妄想じゃなかったから、3ヶ月も経って、やっとニュースになりましたね。
まぁ、日本人である左翼の東大准教授が「弥助はオワコン」って言いながらも、弥助はサムライだった!!って、
レスバで負けても、負けて逃亡しても、何度も何度も、負けてるのに、馬鹿みたいに主張してるからね。
昨日も「左翼は知識人なんだよ」ってキチガイが増田に居たけどさ。
弁護士とか、東大教授、マスコミ関係者に左翼が多いのは知ってるよ。
フェミニストも、実際の日本人女性はどうでもいいどころか、フェミニストが普通に性犯罪してたり、おちんぽ騎士団だったりするだけだから
おじさんみんな死んで欲しい。
仕事で笑顔で接客してただけで「名前教えてよ」「どこに住んでるの?」とか聞かれて、断っただけで怒鳴られたり、暴言吐かれたり、怖い思いも嫌な思いも、もうしたくない。
電話に出たら突然怒鳴り声をあげてきて、男性のスタッフに変わった途端大人しくなったおじさん、アンタはただのストレス発散かもしれないけど、こっちは一日中どころか突然フラッシュバックして眠れなくななったよ。
「そんな男いないだろw」って思った男の人もいると思う。
おじさんは女にだけ強く出るよ。
でもそういうおじさんは、男の中では弱い部類の人だから、女が普通の男に助けを求めても「あんなのにビビっちゃってw」って馬鹿にされたり、助けてもらえなかったりするよ。
殴られたり、目に見える被害に合わなきゃ暴力じゃないって思ってる?
自分で訴えたり、立ち向かったりしたら良いって思う?乱暴された女の人が警察に訴えて、犯人が刑務所から出たあと、逆恨みで殺された事件があったこと、私は知ってるよ。
勤務中に痴漢されて訴えを出したら、現行犯じゃないと無理ですって言われて、なんの罪にも問うことができないのに、現場検証でどういう風に触られたか、お客さんがいる昼間の店内で検証されて、泣いてた女性店員を知ってるよ。
うっすらうっすら、男性が嫌いになる。
「あちらの記事は批判相手の職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外なので」を書いたものですが、自分にとって読むべき記事か読まなくてもいい記事かを決めるのは私自身なので、指摘自体が的外れです。
それとも増田は「あの記事は私にとって読む価値がある記事だ」と主張しているのでしょうか?それは何故ですか?
私は詭弁を含む無礼なエントリなど少しも読みたくないのですが、それでも読む義務があるということでしょうか?
もちろん記事内容全体を批判しているなら精読する義務があるでしょうが、私は引用部分についてだけ(明らかな詭弁で)論外と言っているに過ぎません。
例えば極端な例として「saebouはおかしい。アメリカンニューシネマはレプティリアン達が作った。その証拠に5chで皆がそう言ってる」みたいな怪文書があったとして、私が全て精読して反論する義務があると思いますか?私宛でもないのに?この一文だけを見て「この引用部分は流石に論外」「読まなくてよかった」と思うのは妥当だと思いませんか?
(↑増田はあの引用部分から詭弁を見いだせていないのではと思ったため、増田にすら詭弁とすぐわかるであろう例を用意しました)
他人を名指しで批判したいならもう少し頭を使ってください。粗雑な批判への反論に時間を取られるのが一番ウンザリします。
(最低限の読解力を持ち合わせているかも怪しい夜郎自大のカスに対し、最後まで敬語を通したのだけでも褒めてほしいところです)
おっ無知を誇り始めたぞ
と思ったけど、採用の経緯聞いてアウト
感情移入出来ないので「私達の侍、私達の目となる存在を、探していた」(ファミ通インタビュー記事より:サイレント削除、魚拓やスクショで証拠あり)
弥助が侍かどうかの議論はもうどうでも良いんだよ。
◾︎
信長が人身売買してたポルトガルから、奴隷の弥助を解放したのでは無く、
弥助はエリート傭兵でパートナーとして日本にやってきて信長に雇われ、たった15ヶ月で重臣になり、本能寺の変では代々仕えてきた森蘭丸を差し置いて、信長の首と刀を託されたストーリー。
日本での史実では、その後弥助は獣扱いされて見逃されているが…
海外では弥助が元奴隷、という認識が無いので、日本人の常識を話した時点でレイシスト扱いされてる。
実際、UBIソフトの社長は日本人をレイシストと呼び、その発言は現在でも撤回されていない。
ゲームの話では無いよ?ゲーム関連の話題だから勘違いしちゃった?
未だに「弥助は侍なのか?侍じゃないのか?」と定義のないものを国内で議論して言葉遊びしているが、
弥助が侍であったかどうかは、もうどうでもいい。
◾︎
慣れてる人には普通のゴア描写だけど、個人的にはめっちゃ不愉快だった。
首を跳ね飛ばすシーンとかね。
黒人が日本人を殺して回る動画みて不快感を感じるのは、差別意識かもしれないけど。
感じるものは感じるわ。
日本人が日本人殺すのはええんか?と言われそうだけど、感情はね。
動画みたら分かるよ。
https://youtu.be/n4eNqdf2HZw?si=2ZlDRQYqmZRyEV-d
分からないのはケツの穴まで黒人ちんぽに堀り抜かれたリベラルだけだね。
あと、何度も言われてるけど、歴代のゲームが現地の架空の人間が主人公だったのに、
まぁゲームだから善政を敷いてた明智を悪党にして配下の武将を殺し回るのは別に良いけど。俺は差別意識あるからさ。
日本に来て数ヶ月の黒人が福知山で偉そうに正義ぶって日本人殺してたら不愉快にはなるよ。絵面みてもね。
トートロジーでは、
表現の自由戦士は弥助擁護しろ!ってのが左翼の言い分なんだけど、だから左翼はバカだって言われるんだよ。
さんざん左翼の言い分でゲームを規制しようとしてきた流れがあって、そこに不快なゲームが出てきたら
「お前ら、これは素晴らしいゲームだ。黒人が日本人を殺し回ってもフィクションだしなんの問題も無いだろ」って左翼に言われたら
って。
で、外人はこのゲームして、圧政から黒人侍弥助が「日本人を救う」ストーリーを楽しむわけだ。
日本人が盛んに奴隷売買していたという、トーマスロック・リー歴史観に基くゲームだからね。
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『日本には黒人奴隷なんて居なかった』って日本人なら普通に信じ込んでいる常識だけど、
東京国立博物館のアンバサダーで菅総理のブレーンだったデービッドアトキンソン氏が、一般人に「エビデンスは?」って絡みに行くくらい
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だから世界的大ヒットドラマSHOGUNに黒人が1人も出ていなかった事について、クレームが寄せられた。本当の話だよ?
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ネトウヨが頑張って発信するけど、もちろん反論する日本人はレイシストか、bot呼ばわり。
本当の日本人は「礼儀正しく謙虚」だから過去の罪は認めてるし、過去に黒人奴隷売買をしていたとしても、今はしてないんだから良いじゃないか、という扱いをされてる。
アメリカとかヨーロッパも黒人奴隷を使ってたのに日本人だけを責めるな、って位置にいる。
左翼の言うところの、世界に恥を晒している日本人ゲーマーの活動はそんなに恥ずかしい?
いや、居てももう無理かもね。
redditでは弥助は侍である、という事で運営からは議論すら禁止されたけどね。
弥助は侍で確定だよ。
日本ではまだ議論が許されてるけど。海外では(redditでは)確定。モデレーターが次話題にしたら荒らしとみなしてBANするって。
実際「日本人は自国の歴史を知らない」と欧米人どころか中国人にまで言われるよ。
日本人は驚くほど自国の歴史を知りません、と。外人に日本の歴史を学ばされる。
だからアトキンソン氏も一般人を「啓蒙してやろう」と絡んで行ったんだよね。
と。
太田出版のWebマガジンにおける北村紗衣氏の連載に対して、須藤にわか氏という映画ブロガーが異議を唱え、それに対して北村紗衣が反論してホッテントリ入りしている。
私は須藤にわか氏のように映画を多く見ているわけではないし、北村紗衣氏のように多数の先行研究に実際にあたったわけではないが、発端となった連載と二人のやり取りをみて、話の主眼がずれていると感じた。同時に、二人とも結局、「ニュー・ハリウッド」という批評の枠組みに問題があることを浮き彫りにしているとも思った。
映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画の感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載
①初めて見た『ダーティハリー』はサスペンスとして全然面白くなかった
②自分はアメリカン・ニュー・シネマが好きではない
③60年代後半から70年代に、アメリカン・ニュー・シネマ(英語ではニュー・ハリウッド)という潮流があった
④ニュー・ハリウッドは反体制的な要素と、あからさまな暴力やセックス表現が主な特徴として挙げられる
⑤アメリカン・ニュー・シネマはかなり男性中心的な潮流
北村紗衣氏の素朴な感想は、末尾にある「名作と言われてみんなに愛されている作品でも今見て面白くなかったらけなしていい!」と結びつくが、③~⑥の知識を持っていると『「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人』でも理解が深まる、というのがこの連載の趣旨とみえる。
①「あからさまな暴力やセックス表現が主な特徴」という認識は実際のアメリカン・ニューシネマからズレている
②アメリカン・ニューシネマはフィルム・ノワールと同様に映画批評家らによって作られた映画分類のカテゴリー
③アメリカン・ニューシネマは「ヌーベルヴァーグ」や「ドグマ’95」のような映画運動ではない
④「アメリカン・ニューシネマ」と「ニュー・ハリウッド」は分けて考える
⑥「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーは(白人の)批評のために作られた作為的なカテゴリー
⑦「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそも批評的カテゴリー自体が差別的
須藤にわか氏の異議に対する北村氏の反論は、目次にわかりやすくまとまっている
①New Hollywoodの特徴のひとつにセックスと暴力があげられるのは当たり前
②New Hollywoodが男性中心的であるということは1970年代からずーっと言われている
例の著者は自分で決めた「これがニューシネマ」というカテゴリーを自分で見て「このカテゴリーには黒人映画や女性主人公の映画が入ってないから差別的」だと言っている
と述べているが、これは明らかに違っていて、
北村氏がいうように、
決めたのは私じゃなくて今までの批評家
つまり、北村氏は一般的な「New Hollywood」解釈を述べているだけなのだ。
ただし、須藤にわか氏が本当に主張したいところは上記にあるのではなく、「New Hollywood」というカテゴライズそのものに反発している。
北村氏は出典をたくさん挙げているが、須藤にわか氏の主張である「そもそも『ニュー・ハリウッド』が作為的なカテゴリー」への反証ではない。須藤氏のいう北村氏本人への批判、「知ったかぶりして、しかも知ったかぶりした上でこれは差別的だとかなんとか非難」への反証である。
(「たくさんの出典があってすごい!」的なブコメの反応は、ただマウント取りたいだけのリアクションに見える)
「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーが(白人の)批評のために作られた作為的なカテゴリーであることを度外視した上でそれを非難している。
と言っており、
北村氏は
という。ここは互いに噛みついていながら二人とも同じことを言っているように見えて混乱したが、批判対象の範囲が違うようだ。
須藤にわか氏はそもそも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴリーそのものが、当時の映画作品群を評価するのに適切ではないと主張している。一方の北村氏がいう「批判されて当然」の対象は、須藤氏と同様にカテゴリーそのものであると同時に、カテゴリーに含まれる作品群も含まれると私は解釈した。
須藤にわか氏の論で一番重要なのは、元の北村紗衣氏の連載にあった以下の部分への反論ではないだろうか。
60年代後半から70年代の潮流であるニュー・シネマは、それ以前にあったいろいろな制約が外れ、暴力やセックス描写ができるようになり、そしてアメリカの秩序を問うような映画がたくさん作られた時代です。
これに対して須藤氏は、
だいたいニューシネマは映画運動ではないのだから「問い直していない」って誰に対して言っているんだろうか?運動の実態がないものに運動の責任を問うたところで、まるで意味がないと思うのだが。
「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそもそうした批評的カテゴリー自体が差別的
この点、北村氏も、
>>New Hollywoodを決定づける作家主義的な監督の大半が白人男性であり、白人男性を主人公にした物語が代表作として受容され、研究も白人男性の監督だけを対象としてきたことはいたるところで指摘されています<<
と述べているように、「ニューシネマ」というカテゴリーそのものに問題があることは認識しているように見える。
つまり、二人とも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴライズに問題があるという点では、共通の認識がある。そのうえで、北村氏は、「須藤氏のニューシネマ解釈は一般的ではないから、私を嘘つき呼ばわりするのではなく、自分で論を立ててね」としている。
しかし、「ニューシネマ」というカテゴリーそのものに問題があるなら、北村氏の連載における「『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画」という紹介の仕方も、「ニュー・シネマが男性中心的だ」というのも、安易に見える。元の連載において、ミステリ・サスペンス的にいまいちという北村氏の感想にはうなずけるが、「ニュー・シネマ」という潮流の紹介は片手落ちで、「研究も白人男性の監督だけを対象としてきた」ことも含めて紹介すべきだったのではないだろうか。
なお、北村氏のいう「問い直してない」というのは文系学問によくあるレトリックで、須藤にわか氏の「運動の実態がないものに運動の責任を問う」ているように見えるというのは、本質を突いていると感じた。
『ダーティハリー』含む「ニュー・シネマ」と呼ばれる作品群は、「男性・白人中心主義」的であることを「問い直せていない」からダメな作品だという、作品ファンが反発を覚えるのも無理はないだろう素人批評を容易に生み出す。(なお、これは北村氏の主張ではない。北村氏はあくまでニュー・シネマが好きではないだけだ)
文系学問(特に文学や社会学)においてありがちな、世の中の傾向や潮流を仮構して、ミクロな作品や人間を論じるスタンスは、使い方を間違えると、色々なことを損なう。その作品や人間がもつ、複雑さや豊かさが捨象されるし、俗流に応用されれば簡単に差別につながる。「この時代に生まれた人間は●●である」と決めつける世代論などを見ればわかりやすい。もちろん社会を論じるなら、そういう傾向を仮定して話を進めざるを得ないが、学者でもない人間が個々の作品や人間を評価するのであれば、マクロ的な枠組みでは拾えない面白さや豊かさにも目を向けるべきだろう。
少なくとも発端となった連載は素人が映画をより深く鑑賞する視点を提供するものだったはずだ。北村紗衣氏の視点と須藤にわか氏の視点を踏まえて、もっと映画を楽しみ人生を豊かにしたり、世の中を考え直すきっかけを得たりするのが、私のような素人にとってはいいのではないだろうか。
たとえば北村紗衣氏がいうように、
というところが、「ダーティ・ハリー」を考える上でおもしろそうな部分で、北村紗衣氏は第一印象がつまらなかったため深堀りすることはないだろうが、「ダーティ・ハリー」をこれから見て逆に「面白い!」と感じた場合には、ハリーを起点に「ニューシネマの影響下に本当にあるのか」などを考えるとまたおもしろそうだ。
そういう自分の知らないものとたくさん出会えるのがニューシネマの面白さで、あえて一時代のアメリカ映画をニューシネマとして括る意味があるとすれば、それはその作品群がこうした「新しさ」を観客に与えてくれるから
ということを踏まえて、様々な作品に触れれば見えてくるものもあるだろう。
serio フェミニストはありとあらゆる事象をフェミニスト的視点から語ってしまうので、たまにホームランを打つことがあっても、バットでキャッチャーを殴って三塁に走り出すみたいな大外しをすることがよくある。
→元連載は「フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画の感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載」なので、北村紗衣氏が好きに「ありとあらゆる事象をフェミニスト的視点から語ってしまう」わけではなく、そういう企画趣旨に基づいて仕事としてやっている
hazlitt アメリカン・ニューシネマってカテゴリーとして昔からよくわからんなとは思っている。わりとどうでもいいが野次馬的には町山某が反応すべき話題だな
→「わりとどうでもいい」と保険かけながら野次馬根性をさらけ出しているのがキモい
jassmaz 文学理論や批評理論を知らないオタクの見当はずれな批判。この時代にアメリカの価値観を完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的である。87年出版のアラン・ブルーム『アメリカン・マインドの終焉』を読もう。
→「この時代にアメリカの価値観を完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的」北村紗衣氏も須藤にわか氏も言っていない新たな論点。見当はずれはこのブコメでは
tokuniimihanai あちらの記事は批判相手の職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外とわかる
takeda25 こういうの、詳しくなければとりあえず態度を保留するのが賢明なはずだけど(現にこちらのブコメはそういうのが多い)、女性叩き側のブコメでは調子に乗って叩く人間が大量発生するのが歪み
→態度を保留するって、どういう立場?後出しジャンケンに勝ちたいだけの姿勢が見えてキモい
ponkotsupon 須藤氏の批判記事は出典やら参考文献やら先行批評への言及が何もなかったのに対し、北村氏は複数の出典と研究史を出してるので、学術的には(須藤氏が再反論で論拠となる文献を示せなければ)これで勝負ありよなぁ
→そもそも商業媒体とブログの応酬で、学術的な議論ではない。かつ、出典と研究史さえ出せば「勝ち」というのは学術的でもないだろう。
二人に対するクソブコメの数々は
権威主義的で映画そのものにも映画史にも興味がなく、自分では頭を使わずに他人が貶されるのを娯楽として消費するだけを生きがいとする、野次馬根性と異常マウント欲、ハエ以下の精神性で駆動する人工低能群
茂木氏、意識の問題にはメタ認知が必要であることを主張しているのに、「ダニングクルーガー効果」に対するメタ認知を全然働かせられてないんよね
The Dunning-Kruger Effect Is Probably Not Real
The darling of those who wish to explain why incompetent people don’t know they’re unskilled, the Dunning-Kruger effect may actually just be a data artefact.
https://www.mcgill.ca/oss/article/critical-thinking/dunning-kruger-effect-probably-not-real
覚えておくべきメッセージ:
アサクリ公式の2ヶ月前の動画みたらええ感じやん🤣って思ったら、コメント欄で
弥助がアフリカ系アメリカ人扱いされているけど、私はアフリカ人です的な感じで2万件以上コメントついてる。
最近の日本人がブチ切れてる動画なんて、たったの6000コメント。
無知なお前より出てるよ
https://en.wikipedia.org/wiki/Bombing_of_Tokyo_(10_March_1945)
この1日だけでアメリカ側は14機落とされてるし96人死んでいる