はてなキーワード: 法治主義とは
バナナマン日村が16年前だったかの未成年淫行で週刊誌に糾弾された。
キングオブコント生放送中に松本人志が茶化したが、これは本当にいい救い船だった。
この国のメディアどもは罪刑法定主義という言葉を知らないらしい。
憲法の下、主権者たる国民の代表機関としての国会の議決を通して法律によって罪と刑が定められる。
こんなことは中学校、つまり義務教育課程で全国民が学ぶこととされている常識未満の常識だろうが。
法に触れないことは何をしてもいい、と言ってるわけじゃない。
ただ、法に触れないことは罪ではなく、したがって刑に問われないということが重要なのであって。
昨今のセクハラだのパワハラだの、本当、法律の基本的な理解を有しないバカどもが騒ぎすぎだ。
某大臣が「セクハラ罪はない」といった旨の発言をしたといって騒いでいたが、阿呆が、完全に事実だろうが。
そもそもセクハラやパワハラが成立するのは原則として職場の話だろうが。
合コンで下ネタ言ったやつをいちいち訴えんのかよ。嫌なら去ればいいんだよ。
てめぇが不愉快に感じることを言ったら即刻違法、刑に問うとか、お前はヒトラーか。俺はお前が不愉快だ。今すぐ捕まれ。
Metooと全く同様の構図やんけ。数年経って物証も無いような話を蒸し返して売名したり小金稼ぐとか下賤の極みじゃ。
嫌なら離れろ。離れられないなら無視しろ。視界に入れるな。クレしんでしんのすけがちんこ出していちいち電話してくるクソどもと精神構造が一緒だろ。お前が見なきゃいいだけなんだよ。どんだけ自意識過剰やねん。
バナナマン日村は事案について謝罪はしてない。「お騒がせして」申し訳ないと何度も謝罪してる。
当たり前や。違法性を問いようが無いんや。事務所の入れ知恵だろうが、態度として至極適切だろう。
というか、彼が誰といつどういう性交渉に及んでいようがクソどうでもいい。
違法性の認めようが無く、明らかに自己の利益目的に誘導された報道等は、最初から出ない方が健全なんや。
出てもカチ無視するか鼻で笑って放置するかで済ませなあかんのや。
そうじゃないとこの国の法治主義が崩れる、というか既に世論レベルでは崩れてきている。
きょう書店で娘が心底嫌そうな顔で「お父さん、これ気持ち悪い…」と指さした光景。
2018年9月初頭にこのツイートに端を発するゾーニング問題について、
しかしこの問題、実際はその辺りでは無いのではないかと筆者は思う。
本題に入る前にまずはそれら「ここが問題だ」という部分を見ていこう。
元ツイートを見た通りでは、「親」に「これが気持ち悪い」と報告する娘。
ほんとそうなんです。八歳の子供の目で見たらはっきりと嫌悪感を覚えるものが、
自分自身に対する異性の目を想像し気にするのであれば、いささか不自然ではある。
一般に性に目覚めた頃合いは、それは恥ずかしいものであったり訳のわからないものであったり、
特に学校での性教育が概ね浅い内容であるこの国で、娘が(八歳で性教育はやらないだろうが)
得ている性的知識というのは、第二次性徴期での変化や生理に関する所であって、
早熟であったり、或いは性的に嫌な目に遭うなどがあれば、今の知識と結びついて
自覚し始めた、ということはあるだろう。
しかしその場合、真っ先に異性として嫌悪の対象になるのは父親だ。
ましてや自身の性的嫌悪に結びつく話を、異性たる父親にする可能性は極めて低い。
下着を買うときに異性への嫌悪を知っている娘が父親に相談しないのと同じで、
これは信頼の問題ではなく、「それだけの性的意識があるならば父親に対して
実際に娘が現場でどこまで喋ったかはわからないが、ツイートの内容を見る限り、
表紙に描かれた女性キャラクターの露出に対しての吐露というより、
つまり
「自身の女性が商品的に見られているのが嫌だと思うぐらいの意識があるなら、
親とはいえ男性である父親に報告しようとは大抵思わないだろう。
ツイートの限りではラノベコーナーを指さしてるだけのようなので、
ということになる。
デザイン性や売れ行きなどはもちろん、一般書籍として置けるかどうかも
だが実際には露出が多いじゃないか、などの意見はもちろんあるだろう。
しかしそこはいわゆるプロの目線で、いわば「行政に言い訳できる」という
多くの出版社が気にする行政といえば、東京都健全育成審議会だろう。
つまり何らかの問題視がされたとしても、この審議会での基準に対し、
「肌色率が何割」とか「胸の強調の度合い」など彼らの基準で抵触しなければ、
「じゃあ例えばPTA協議会理事より確かな肩書と経験をお持ちなんですか?」
と問えることになる。
出版社独自の基準にしろ、審議会にしろ、そうした議論や法律、過去の事例に
照らし合わせて複数人が出した結論より、ただの一般人が何を規制できるのか。
市民が主役などと言うことは出来ても、では市民の代表たる議員はどうするのか。
法治主義、民主主義の原則を掲げながら、ゾーニングを唱える側はしばしば独裁的になる。
話が大きく逸れたが、さてツイ主の求めるところは実はゾーニングではない。
結局は、胸を強調したイラストを以て女性の性的消費に対する持論を述べているだけに過ぎない。
考えてみれば分かる通り、書店一つには非常に多くの書籍が取り扱われており、
男に置き換えれば股間の性器だけ異様に巨大に描かれたイラストが氾濫してるようなもんだけど、
そういう男にとって不快なものは平積みされてない。身体を性的に誇張されて描かれ、
つまり全体としては氾濫しているとは言い難いのだが、
つまり売り場を整えろという話ではなく、それ自体の存在を無くせということに他ならない。
ツイ主が言うところの、
という主張には、ツイ主の考えるそうした表現自体への異議であり、
この異議を叶えるのなら、ゾーニングをしたところでその表現は消えない。
書店で見なくとも今どきネット広告でもなんでも目に入る機会はいくらでもある。
つまり存在自体を抹消しなければ、ツイ主の主張は叶わないのだ。
まとめると、
「ゾーニングの問題っぽいが、実際には胸を強調するなどの表現そのものを無くせというものであり、
存在そのものを女性差別的に考えているので売り場を分けたところで彼の主張は叶えられない。
ということになる。
フェミニズム思想だろうか、それとも最近の何でもヘイト認定だろうか、はたまたポリコレか。
いずれでもない、これはそもそも問題ですらないのではないかと筆者は考える。
考えてみてほしい。すべて事実だとして、わずか八歳で性的表現を意識し非難の目を向けられる娘。
実に早熟と言って良いだろう。小学2年か3年か、同年代より知的レベルは高いと言えるだろう。
そしてそういう性的意識を早くから自力学習した、ということはまず無い。
親の教育あってのものだ。つまり早くから、防犯意識にせよ不審者対策にせよ、
娘に対して「女性」としての性的意識を教育してきた可能性は極めて高い。
・異性ながら娘に頼られ信頼される良き親
以上を主張するだけの、総じて自己顕示欲を満たすだけのものだと言える。
その上でラノベの表紙を選んだのは、それこそゾーニングの本丸である審議会で、
最近問題視されているBL漫画や、少し前に話題にされた少年誌のグラビアのように、
当の女性から支持されているものや、三次元で一般に理解されるグラビアアイドルと違い、
古い考えとして、オタク的なもので叩きやすかったからに他ならない。
ツイ主の想定外があるとすれば、婉曲な正義感の自己顕示のエサとするべき対象が、
ただのサンドバックではなく、もはや一般の趣味レベルで認知されていることだろう。
程度の差はあれ、今や初音ミクの話題を学校でして罵られる時代ではない。
きっとこうも問題視されあろうことか反論されるとは予想外だったろう。
ともすればインスタ映えを気にするのと大差ない話題が炎上騒ぎとなったわけだが、
いずれは何らかの形でもっとひどい炎上騒ぎになったかもしれない。
なにしろ、
・その商品を批判のために、恐らく店員に無断で撮影するモラルのない父親
・業務妨害で書店や出版社から訴えられる可能性を考慮しない危機管理の無さ
・八歳の段階であれこれと親の思想を植え付け行使させる不自由な教育方針
どこだかのビーチ近くの道路で飲酒運転の車が女子大生を跳ね飛ばして死亡させた事件があってそれの懲役年数が20年だというのを知った。
人を殺して20年ていえば妥当なのかもしれないけど20年って言えば社会的には完全なる死だし人的な関係もなくなり出所後は支援センターにでも転がり込んで罪人の顔をして一生過ごすことになるって無期懲役と大差ない。
よく被害者遺族の声なんかがセンセーショナルに取り上げられるけれどセンセーショナルって言い換えれば一時の感情ってことだよ。法律や量刑の過多を一時的な感情で決めるってことでこんなに怖いことないと思うんだが。罪をおかした人間が悪いなんて当たり前だしそんなこと自明すぎるけど冒頭で挙げた例のように過失で20年はいきすぎだと思う。飲酒運転がいい例だけど。
自分が加害者になると考えてる人はまったくいないから民主主義によって厳罰化が推進されるけど刑法に関しては応報刑論に従って定量的に判断して決めてほしい。
何なんだよ日本。
ふざけんな野党。
お前らがクソだから終わってる。
与党に都合のいいこと言わせて終わってんじゃねーよ!
事実と事実を突き合わせて矛盾点指し示し答えに窮すように仕向けろよ。
事前に官邸と何を打ち合わせたんですか?とか訴追の恐れで逃げられないような与党に都合の悪いこと訊き出せよ。
地位に恋々としがみつく与党がいる下じゃ出来ることも限られてる国会。
司法にも手が回ってるのか清和会だからか知らねーけど司法にも期待できない。
八方塞がり。
次はお前だマスコミ。
取材だよ。
多少手荒な真似だけど佐川に四六時中つきまとって追い込むぐらいすりゃいいじゃん。
証人喚問前に。
もうおせーよ!
まだ間に合うから迫田元理財局長とか田村審理室長、夫人付きの谷に昭恵、あと加計でもいいや。
とにかく逃げ得の状況作らせないようにしろ。
何で何もしねーんだ?
政治に無関心だからか憚られるのかネトウヨなのか知らねーけど政治は偉い人による人治主義的だとでも思ってんのかね?
原理、規則、法治主義を大切にしないと、為政者の好きなようにやらせていると、行き着く先はディストピアだぞ。
一番大切なのはそこだぞ。
そしてその間に物価はどれだけ上がったよ?
その少数の国は必然的に小国でしかない。大国で自分で労働者を雇ってってタイプのところでは必然的に労働者が生まれるから、貧富の格差が治安の悪化や政情不安につながる。
なおかつ、富裕層優遇は根本的に金回りを悪くするから、景気を悪化させ、政情不安につながりやすい。
ほかの国の上りをせしめるタイプの国(いわゆるタックスヘイブン国)は、力が根本的にない。
それでも国際社会が法治主義の枠組み内になってる以上、収入源の国が何らかのタックスヘイブン税制を設けたら干上がらざるを得ない。
租税情報交換と、その枠組み外の国を排除するようになっていっている。
まあ、とにかく金の量×回転数で、金の量だけ対策するというのでは経済は詰まるというのが立証された。回転数、つまり、ため込まざるを得ないやつらの対処をしながらじゃないと経済は回らん。
そういう方向にまわらざるを得ない。
>まず最初にはっきりと確認しておきたいのは、不快に思う人が多数派だってことを根拠に法規制するのは、法治主義の危機だと思う。
タトゥーの施術行為が医師法違反で裁判になっており、これはあくまでも施術者側の裁判。
施術を受けることの規制は青少年育成保護条例などで未成年への施術を禁止しているぐらい。
オタタトゥーの記事にあるように、後から消すのが困難なため、未成年への施術禁止は根拠として十分だろう。
タトゥー団体は新規のライセンス制度の創設を求めているようだが、それと現行法規で医師法違反になるかどうかは別問題。
看護師がアートメイクを行っているクリニックも有るので、看護師免許を取得し、理解の有る医師のもとで施術する、という方法もある。
個々の好き嫌いの話なのに、それを社会的に認められないのはなんでなんだろう?
まず最初にはっきりと確認しておきたいのは、不快に思う人が多数派だってことを根拠に法規制するのは、法治主義の危機だと思う。今そういう動きがあるのはとても残念。
偏見については、多様性を否定する論に賛同する人が多いのかな?
「くじらっくす」の記事で星を集めてたブコメを眺めてたらデマや偏見だらけで滅入ってしまった。
ロリコンに対して不快感を持っても構わないんだけど、タバコの副流煙と違って実害は無いよね?偏見からくる不安はあっても、終電の泥酔客と違って実害は無いよね?
その割に偏見が根強いのはなんでなんだろう?
反社会的勢力に与してなければどう?
露出しない部位ならどう?
個々の好き嫌いの話なのに、それを社会的に認められないのはなんでなんだろう?
まず最初にはっきりと確認しておきたいのは、不快に思う人が多数派だってことを根拠に法規制するのは、法治主義の危機だと思う。今そういう動きがあるのはとても残念。
偏見については、多様性を否定する論に賛同する人が多いのかな?
「ヲタトゥー」の記事で星を集めてたブコメを眺めてたらデマや偏見だらけで滅入ってしまった。
タトゥーに対して不快感を持っても構わないんだけど、タバコの副流煙と違って実害は無いよね?偏見からくる不安はあっても、終電の泥酔客と違って実害は無いよね?
その割に偏見が根強いのはなんでなんだろう?
反社会的勢力に与してなければどう?
露出しない部位ならどう?
反射的に嫌悪感を持つのはしょうがないけど、もう少し冷静に考えるべきじゃないかな。
まず、トラバやブコメしてくれた方々ありがとう。反響に驚いてる。全部読んだけど、クソリプの数に草も生えない。反射行動なら大脳がなくてもできるんだよ。冷静に考えるべきじゃないかな、という提案だよ。
「社会的に認められない」の事例としては、
1. 某地方自治体では確か解雇されるんでしょ?詳しくないけど。
2. 彫り師の規制があるよ。医師免許?がないのに医療行為したって裁判になってる。こっちのほうがこわい。だって、悪意があるとしか思えない法の運用の仕方じゃん。先にガイドラインを示してから、従わないから罰則じゃなくて、言い掛かり付けて殴られるようなもんだよ。ヤクザか。詳しくはググってくれ。
MRIガーと肝炎ガーは、関心があるなら少しはググってくれよ。認識が半世紀前で止まってるぞ。
追記しなきゃいけないと思ったのは、この記事は刺青にフォーカスしたいんじゃなくて、多様性と無意識の偏見について考えてもらいたくて書いたからなんだ。
個々の好き嫌いの話だよ。「おれは好き」「あたしは嫌い」それだけの話だ。
不思議に思うのは、「あたしは嫌い」の数が臨界点を超えると、無関心なはずの人たちが一斉に叩き出す?感じがすること。
恫喝や暴力する人がこわい→彼らは刺青してる→刺青の人こわい のパターンが現実的かな。江戸時代とか縄文人とかましてやアイヌなんかは関係ないっしょ。
なら、恫喝や暴力が禁止されるべきであって、刺青じゃないよね?
嫌いな人が不安になるのは分かるし、好きな人は不安にさせるのを分かってて入れるわけだから、それなりに配慮は必要だとはおもうけど、
好き嫌い、嗜好、内心の自由まで犯して社会的に排除するのは違うんじゃないかな。
男性が全員性犯罪を犯すわけでもないように、タトゥーある人が全員暴力に頼るわけでもない。
こういうの、差別っていえるよね?