はてなキーワード: 公権力とは
罪を犯して罪を償うのは、当然のことです。では、犯罪者から命を奪えば、彼(ないしは彼女)は「罪を償った」ことになるのですか?
それで「イイキモチ」になるのは、ハッキリ言えば事件に関係のない第三者だけではないですか? いい気味だ、ざまあみろ、自業自得だ、正義は為された。…etc。そんなことで、被害者の心は本当に癒されるのでしょうか?
大阪教育大附属の児童殺傷事件の犯人、宅間守は、「死にたかったが自殺する勇気がなかった」「死刑になれる相手なら誰を殺してもよかった」「子供をねらったのは殺しやすかったから」そして、死刑判決が出て、遺族に何か言うことがあるか、と聞かれ「あの世でもう一回お前らの子供を○してやるわケッケッケッ」…という趣旨の発言をしたそうです。
こういう人間をただ殺して、それで遺族は本当に心が癒されたと思いますか?
日本社会では、問題が起こると、当事者が「責任をとって辞職」したりします。しかし、それは本当に「責任を取った」ことになるのでしょうか。
特に、事故など、今後の対応が重く、長く、苦しい、果てしないものになることが想定されるとき、そんな対応から逃げ出したくなっても無理ありません。そんなとき、「辞職したから責任取った」と得意気に言われると、むしろ殺意が湧きませんか? それはむしろ「無責任」の一形態に過ぎないのではないでしょうか。
私が死刑などやめた方がいい、と思うのは、それが無意味だからです。本当の意味で「罪を償わせる」ためには、生かして、生かして、長生きさせて、どんなに苦しくても一生をかけて自分のやったことと向き合わせる。「償う」などということが実際に可能であるか否か、それは分かりません。しかし「罪を償う」などということが、もしできるのだとしたら、そういう地道で苦しいやり方の中にしかあり得ないと思うからです。
よく主張される「死刑は見せしめとして役に立つ」という意見。ですが、これまで死刑が廃止になった国で、凶悪犯罪が増大したというデータはないので(むしろその逆です)これは否定されます(※)。死刑に「犯罪抑止効果がある」という意見にはエビデンスがない。また、死刑には、受刑者本人に対する教育的役割(刑を受けることで、罪悪感を感じ、社会復帰への道が開ける)がないことは明らかであり、経済効果についても、無期刑に比べてコストが安いということも無いのです(人を監禁して殺す、というのは簡単なことではありません。そのための特別の施設、管理者、担当者、手続き……様々に膨大なお金がかかっています)。
更に、よく言われることですが、死刑は不可逆であるというその性質から、冤罪が発生したときに取り返しのつかないことが起こりかねない、もっと言えば、取り返しがつかないだけに「『取り返さないでおこう』という圧力が発生する」という危険も指摘できます。
死刑制度には、合理的に見ればこれだけの問題があり、普通に考えればむしろ「無くす」のが当然の立場なわけです。ご理解いただけたでしょうか?
それでは、次の問題。これだけ問題のある死刑制度が、アジア圏で根強く残るのはなぜなのか? これを考えてみたいと思います。
死刑を残す国々(日、韓、中など)は、どれも同程度に人権意識が低いのでしょうか? これらの国々は、民主主義的にみせていても、その実、全体主義的な管理社会だからなのでしょうか?
…
いろいろな理由は考えられますが、私は、これらの社会が、依然として「家、一族」を基盤とする封建制社会の気風を残しているからではないかと考えています。
「家、一族」を基盤とする封建制社会は、「個人」に対する毀損を、「一家、一族」に対する毀損と見なします。「個人」を基盤とする社会にも、もちろん特定の個人との絆からくる個人的な「復讐」は発生するわけですが、「家、一族」を基盤とする社会では、「個人」に対する毀損が「家、一族」あげての「復讐」、つまり「敵討ち」を引き起こしかねない。だから、これらの国家で秩序を保つためには、国民が勝手に「敵討ち」をしないようにする…つまり「公権力による敵討ち代行」を、制度として保証するしかない。それが、これらの国における「死刑制度」の意味なのではないか。
「日、韓、中」が、近代社会における刑罰としての「死刑」制度に合理性がないと分かっていながら、その廃止に踏み切れない理由は、これらの社会がもつ潜在的な「敵討ち」の論理のせいであり、これらの国で国民に死刑が支持されているのは、依然としてこの国の人々が「敵討ち」大好きだからなのではないか、と思っています。
従って、核家族化が進行し、家族関係が欧米化していけば、いずれは日本でも、死刑は廃止されるのではないでしょうか。ごく自然の流れとして。そうなっても不思議はない、と私は考えています。少なくとも、死刑を廃止した国々が「人の命を軽んじている」わけでも、「罪を償わせるシステムをもたない」わけでも、被害者を軽んじているわけでもない、ということさえ理解していれば、死刑廃止論というのを、まるで非現実的な論のように批判するのがおかしいことは、理解できるはず。そこで考えるべきなのは、「なぜ他の多くの国と違って、これらの国では死刑がなくせないのか」です。
(6)終わりに
死刑廃止論を感情論だと決めつけて、叩く。そういうのを「案山子論法」と言います。相手の実体でなく、自分が勝手に想定した案山子のような無力な「敵」を相手に、(自分の中では)華麗にワン・ツーを繰り出し、ノックアウトする。気持ちいいかもしれませんが、それはただのオナニーです。
死刑廃止論を批判するなら、もう少し死刑や法律、社会に関する勉強をしてからにした方がいいと思います。
追記
※参考:抑止効果という神話 http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20070901/1188667970
基本的な立ち位置について説明しよう。
TPPには反対
その為、児童ポルノ法改正に含まれる単純所持による逮捕に反対である。
優先度でいえば
TPP反対
の順である。
いうまでもなく独裁政権を生む手助けをしたくないという事と
例えば児童ポルノ法改正の単純所持による逮捕についての問題について説明しよう。
この法案にはイラストなどの創作物に関して3年毎に罰則化するか調査するとの補足事項がある。
同法は自己の性的好奇心を満たす目的で児童ポルノを所持・保管することという基準で取り締まれる。
つまり18歳以下に見えるアニメ風漫画風のキャラで自己の性欲好奇心を満たす為に所持したという基準で取り締まれる。
ということだ。
そもそもどうやって自己の性的好奇心を満たすのか他人が判断することは困難であるし、基準も曖昧になる。
片山さつきさんは実物の児童基準に当たる18歳未満でもジャニーズはアイドル活動だからOKと言ったり、
平沢勝栄さんはこんなものを子供に見せたいんですかと非常に見当違いな言い分で成年指定のものを批判したり
また、警察も批判が出るから無理な逮捕はしないだろうと楽観的な希望的観測まで述べている。
昨日黙認されていたものが明日になって規制できるということは時の体制にとって非常に都合がいい。
イラストを書いてバックに入れられたらあなたは犯罪者の世界である。
これは政敵や自らに反対する勢力を追放するのに都合がいい。
18歳以下に見える(もちろん実在の人物ではないので年齢も曖昧、30歳のキャラとして書いたと思っても警察判断で逮捕できる。)
二次元イラストで一年の懲役か100万円の罰金、児童ポルノ法違反という前科を負わせる事が出来る。
更に性犯罪者に対するGPSの装着もアメリカで行われているし、日本でも条例レベルで行う動きが出てきている。
イラストでも罪名は児童ポルノ法違反+GPS 社会的抹殺には都合がいいわけだ。
TPP反対について
世界中の国々とFTAを積極的に交わし、急速に人口減少が進む日本に於いてその需要を補う役割を果たしてほしい。
ただ、TPPには反対する。
これは自由貿易協定だけの話ではなく、アメリカによるアメリカ基準のアメリカのための取り組みなので
アメリカの法が基準になる。
ミッキーマウス法や上記の児童ポルノ法改悪が波及するのは想像に容易い。
また、人的交流も活発化するのでアメリカという移民国家ですら未だに衝突が起きる移民問題が
日本で巻き起こる可能性があり、TPPは貿易だけの問題としてみるのは間違っている。
単純に世界一といっていい、地震や津波のリスクを抱える国で原発を運用するリスクとメリットの
バランスが保証や管理コストからみても悪いからで上記の天災リスクを抱えていない国で
エネルギー資源に乏しい国で金銭的にも厳しい発展途上国であれば、
日本は再生可能エネルギーの開発に全力を尽くすべきで、それが立ち上がるまでの間は
基本的に商売というのは政府を頼るべきではないが唯一、国でやるべきことは為替対策ぐらいだろう。
ただ、それも絶対的なものではないと思っている。
日本は資源輸入国であり、輸出立国である事、内需産業比率も悪くない事を考えると
円安、円高どちらでも対応できる国であるのだからデフレに陥らなければアベノミクスも行う必要はなかったといえる。
円安で対外的に日本の株式が割安に映り海外投資家から投資も来て、輸出産業も活況になる。
見かけ上の好況感で民間の消費が増えればデフレ脱出も起きうるだろう。
だが、1000兆円にも迫りそうな国債をどうするのか、
麻生太郎財務相が日銀に買い取らせればいいというような発言したような報道が目に付く、
今のままの財政政策が続くわけもなく、超高齢者社会を考えてもいつかは事実上のデフォルト状態を取らざる得ないだろう。
それまでの債務がなくなってようやく納税と福祉のバランスが議論できる状態になれる。
円が対ドル今の2分の1の価値になったとしても1ドル200円程度で輸出企業が返済できると思う。
一度焼け野原になる前にエネルギーの自給率を上げる為にも、原子力ではなく
再生可能エネルギーに全力を尽くしていただきたい。
それだけの苦境に耐えられる国であると私は信じている。
2013/07/21
金融政策に関してはやらないことによる弊害の方が大きいのは
それに上で書いてるようにデフォルトは免れないという考えなので。
家賃は安いわけではなく
駐車場は高級車がたまに止まっているような
自分で言うのも何だけど割といいやつ。
そこに我が家は住んでいる。
朝でも夕でも怒られたり、泣いたりの声がしてた。
今までは、ちょっと怒られて泣いても
お互い様で済んでいた。
そこに子無しが越してきた
どうやら子供が居る部屋全てを周ったようだ。
ということらしい。
子供とて馬鹿じゃないから、色々わかってきてるのが実感できるし、
それが嬉しくもある。
そして感じた。
気が触れてんのかと思った。
ちょっと怒っただけで烈火のごとく叫び泣いて収集がつかないのを見たことないのか?
これで子供がどれだけ騒いで泣くか想像できないのか、子無しは。
それでほうっておくと
「虐待が行われてるかもしれません」と言って公権力を行使する方法を知ってるから
尚更たち悪い。
少子化になるんだよ。
頼むから勘弁してほしい。
彼らは、自分の安寧が全てで
あああああああああああああああ
もういい
面倒だ
本当に
本当に面倒だ
それだけでいい。
肌荒れ、ニキビ跡酷い、不細工、腎臓疾患(ネフローゼ)、発達障害持ち、身長170cmどまりの超低スペック高校1年生です。
遠隔操作ウイルスの容疑者と僕の共通点が沢山あったので挙げてみた
太い眉
彼女いない暦=年齢
いじめられっこ
リアルではおとなしい
公権力が嫌い
猫が好き
自己顕示欲の塊
妙にプライドが高い
女への異常な敵意を持つ
そして僕が通っている学校と容疑者と同じレベルの中学校に同じく中学受験で入学して落ちこぼれた
まさしく僕の生き写しだ。
容疑者は犯罪を起こして叩かれているというよりも根暗で気持ち悪い容姿で世の中から叩かれているように見える。
アルジェリアの人質事件で、被害者の実名公表が問題になっているらしい。メディア側は基本的に「公表すべき」という立場で、それに対して反論が集まっているようなんだけど、いまいちスッキリしない。メディア側の論拠は「報道の自由」で、それに反論する論拠は「被害者の人権」のようだ。
メディア側の人で、「自分だったら匿名ではなく、名前を記録に残して欲しい」という意見があるけれど、それはちょっと違うと思う。死者の意見を聞くことはできないけれども、少なくとも遺族なり友人なりがその人について公表することは可能だ。一律に、原則実名で報道しない、というだけだ。新聞でただ一行、名前を載せてそれで終わりにするのではなくて、その人がどういう人生を選び、歩み、そして亡くなったか、(関係者の協力を得た上で)詳細に取材して記事や本を執筆するということ、そのほうが報道の本分に近いのではないか。そのとき「名前」というのはもはやあまり大きな問題ではない。
「実名」云々は、メディア側が被害者にアクセスするための鍵として重要なのだ。一方で匿名の約束で取材して、実名で報道するということもされているらしい。この場合、もはやメディアは被害者の関係者にアクセスできているから、「実名」というものの重要度は下がっている。そこであえて実名を紙面に載せるということは「実名報道は報道の自由」というプロバガンダの喧伝でしかない。
日本にいると実名報道が当たり前だけど世界的にみるとそれはそんなに当たり前のものでもない。英米では基本的に実名報道であるが、その論拠は「公権力の監視」だ。匿名報道にすることによって権力の不正が見抜けなくなるということを回避しようとする。一方、スウェーデンでは一般人の犯罪は原則匿名のようだ。自分の知る限り、ドイツも、犯罪報道においては、被害者も加害者も匿名(ファーストネーム+アルファベット)で示される。もちろん写真もモザイクがかかる。
今回のアルジェリアのケースと、これらの匿名報道の違いは、今回の場合は、「政府が情報を持っていて、報道機関が持っていないので報道できない」であり、後者の場合は「政府ないし警察と報道機関は情報を共有しているが、報道機関はそれを報道しない」ということである。「政府が情報を持っていて、報道機関が持っていないので報道できない」ということ、これは考えてみれば大きな問題だ。そして報道機関に情報を提供しないということの理由が「メディアスクラムによって被害者の人権が侵害される」ということで、この理由に国民も拍手喝采して賛同している、そのことに私は若干の戦慄を覚える。
報道機関には情報が提供されるべきだ。そのことと、実名で広く一般に「犯罪の被害者」として知らしめられることとは別のことだ。後者を人権侵害だという論には首肯する。けれど、被害者および関係者への取材攻勢を理由に、公権力が情報を隠蔽することは許されない。メディアが被害者の人権を蹂躙しているのならば、それは別の場で争われるべきだ。被害者の関係者がメディアスクラムと、実名公表によって二次被害をうけているのならば、それは司法の場で議論されるべきことなのではないか。本当に「人権侵害」が問題ならば。
一方でメディアも権力に「メディアは人権侵害をするものである」という言説をゆるす隙を与えるべきではない。被害者関係者へのメディア・スクラムが問題ならば、なんらかの形でそれを自制する方法を考えるべきだ。また、公務員、政治家などの公人を除いて、原則匿名報道にするということも考えてみていいのではないか。実名報道が常に優先されるべきものなのかについては議論の余地がある。
facebookが全地球上の利用者の行動データを黙々と集め続けているというブログ記事が多くの注目を集めて、ガクブルする人のうめき声や罵詈雑言が飛び交ったことは、これを見ている人はまだ記憶に新しいと思う。
さて、日本語圏の、だいたい日本国と重なるネット社会はどうだと思う?
2ちゃんねるで有名人の殺害予告を書き込んだ奴の家に警察がやってくるというニュースはそんなに珍しくなくなっている。ヤバげな書き込みがあれば、奴らはあっというまにきみの発信者情報を特定してドアをノックするというわけだ。
そういう意味で、すでにぼくたちは「公権力に」よってネット上での行動を監視されているわけだ。
これもよくいわれるんだけど、こういう状況は、ミシェル・フーコーというフランス人が「パノプティコン」と呼んだ状況に似ているかもしれない。
パノプティコンというのは、ベンサムというイギリス人が考えだした刑務所のモデルのこと。監獄がドーナッツ型になっていて、中央の穴の部分に看守の建物がある。囚人たちは、四六時中看守に見られているような気がする。たとえ看守の建物にだれもいなくてもそうなんだ。いつのまにか、囚人は看守の視線を自分の中に取り込んでしまうから、下手なことをしようという気を起こさなくなるというわけ。ようするに、その監獄にいる囚人はどんどん自主規制するような、監視者に都合のいいシステムがパノプティコンだ。
2ちゃんとか自分のブログに何か書こうとしているとき、自分の心の動きを思い出してみて、どうだい?
アイドルを殺すとか、新宿駅を爆破するとか、そういうことを書き込んだら、たとえ冗談でも警官が家に来るらしいってことは漠然と「知って」いるだろ? だからめったなことではやらないだろ? そもそもやろうと思わないだろ?
なぜなら、きみは自分が監視されていることを「知って」いるから。
でもさ、きみはほんとに、どっかの地下司令室みたいな所で、日本中の掲示板やブログの内容を膨大な数の監視員がチェックしているところを見たのかい? SF漫画の中で見ただけじゃないのかい?
たとえそんなところが本当にあったとしても、そこで働いている奴はいま夜食のビッグマックを頬張るのに夢中になっていて、きみの書き込みなんか見ちゃいないかもしれないんだよ?
でもきみは心のどこかで自主規制するよな。だって、ヤバいことを書き込んだら、奴らが来るって「知って」いるから。
ところで、そういうネット上のパノプティコンみたいなものは、べつに「公権力」じゃなくてもこの国では勝手にどんどん作れることは知ってたかな。
ほかでもない、ネット上の風評被害対策とか、「ソーシャルメディアマーケティング」をやっている民間企業だ。こいつらはネット上の自警団というよりは、傭兵だ。金で雇われれば誰でも手にかけるから。
たとえば、きみが2ちゃんか自分のブログである企業の批判をしたとする。傭兵たちは独自のクローラーを毎日ネット上に走らせているので、君の言葉はすぐに見つける。そしたらすぐに2ちゃんの運営ボランティアかブログのプロバイダに削除依頼をかけるか、訴訟をちらつかせながら発信者情報の開示を始める。
誰だって、どこの馬の骨とも知らないやつに自分の居場所を突き止められたくない。弁護士の対応なんてしたくない。
まあ、きみがただ単に相手を傷つけようとして、根拠のない誹謗中傷を垂れ流そうとしてそういう目に合うのなら、自業自得というものだろうね。
でもさ、他人のでたらめを見かけてそれを指摘しようとしたときに、ナイフをちらつかせられたらどう思う?
とくに、企業に雇われた傭兵たちが嘘八百をいい散らしているのを指摘しようとしたときに、訴訟を恐れて自主規制しようとしたら?
そもそも、指摘する声を出せないように傭兵たちが街中の広場をすでに封鎖してしまっていたとしたら?
なんのことはない。きみは気がついたら彼らが勝手に作った「民間刑務所」のなかで監視を恐れながら粛々と労役に励んで、傭兵たちが大声でおすすめする臭い飯を、きみ自身の苦役で稼いだ労賃で買いつづけるわけだ。日本語圏のネット社会は、気がついたらそういうプライベートな監獄で何重にも囲まれていたという話。
たまたまそういった「民間刑務所」の看守見習いがヘマをしでかして、刑務所のオペレーションに関する書類を落としてしまったとする。それを拾った奴が広場で騒ぎ出し、市場のゴミ拾いが日課で壁新聞の好きな奴がその書類を市場の外に、街のいたるところに見えるようにして貼り出してしまった。でもそのゴミ拾い人は傭兵たちの訴訟攻撃にぶるってしまって早速自主規制したまま黙っている。その間に市場での騒ぎは手際よく鎮圧されてしまった。傭兵たちは普段からそれで飯を食っているので、自分たちのこととなると作業は早い。
市場の住人たちも、その外で壁新聞を読んでいた人たちも、なにかおかしなことが起こっていることをばくぜんと感じ取っている。たとえ騒ぎが収まった後でも、そのおかしな感じは消えるだろうか。自分たちが「民間刑務所」の中で暮らしていたことに気づいた後で。
鉢呂の件は「自公時代からそう」ではないと思うよ。麻生時代にもマスコミの言葉狩りはあったけど、それはせいぜい現政権で言うところのドラゴン松本レベルの揚げ足取り。
迎えの知事にいきなりものを蹴りつけた一件だけで既に比類がないわw
そういう観点で言えば「子供の危険が危ない!」は大半がキチガイに分類されるね。
「本当のところ何がどの程度危ないのか」について彼らは受け入れる余地どころかそもそも知る気もないだろう。
素朴な恐怖で声を上げるの何がキチガイなんでえ。譲ってただの馬鹿だろ。
複雑な脳内設定で「公権力が…!」「全ては仕組まれている…!」とか言ってるキチガイの危なさや狂いっぷりには及ぶべくもない。
もう読んでないかもしれないが。
敬意の表しかたを習ってない、というけど、国旗に対してこう(起立とか礼とか)やらされた、という経験が大事なんだと思うよ。
これを『やったことのない』こどもが、例えばはじめてそういう場に出て正しく振舞えるかというとそのチャンスはない。
だけど、一度小学校でやってれば、わからないなりにまわりにあわせて何とか恥をかかずに済む。
逆に言うと、学校で教える『国旗に対する敬意』なんてその程度でいいと思うよ。
マナー講座みたいなもので、洋食器は外側から使いましょう、とか、犬食いはやめましょう、とかそういう話と、本質的な差はない。
ちなみに、先生が生徒に国旗国歌に対する敬意を強制することは稀だと思うよ。
問題になってるのは校長(あるいは教育委員会ないしは公権力)が「教師」に敬意を強制するのがおかしい! とさわいでる頭のかわいそうな人であって、生徒はそういう大人共を冷めた目で見てたっていいんだよ。見てれば「何だかわからないけどそういうものがある」というところまでは辿りついてくれる。
そこだよ。
カンニング可能な試験体制をとっていて、カンニングが有効な試験問題を作っていて、それだけで恥ずかしいってのに、誰が神の手ゴールをしたのかもわからず、犯人探しに公権力に頼ったわけで。
自社サービスで不正が行われたときの対応って、自社でやるのが普通でしょ。
ポケモン大会が終わったあとでマジコンが使われた可能性があるとか、犯人探しに警察を使うとか、任天堂だったら絶対しない。
被害届ってさ、被害者のつもりなの?
そりゃ被害者だろうけどさ、恥ずかしくてそんなもん提出できないよ。
警察としちゃ実績をつむ絶好のチャンスだから頑張っちゃったじゃん。
罰するのは(受験した)大学が罰するべきで、メディアでも匿名多数でもなく。
で、そのために公権力まで使ってしまった京都大学は、罰せられるところはなにもないが恥ずべきところはその学生の100倍くらいあると思う。
せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:☆言論・表現の自由を守るシンポジウムのお知らせ
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52628816.html
http://ameblo.jp/doronpa01/entry-10767938965.html
都条例の漫画、アニメの件での表現の自由規制に反対デモを真っ先にするのが、在特会、瀬戸弘幸らってのは、サヨクのお株がまた奪われたな。
在特会代表の桜井誠は、「公権力による表現規制を絶対認めないぞ!」って言っている。こういうシュプレヒコールのデモもするんだろうから、サヨクは本当にお株を奪われたな。
公権力による表現規制反対というサヨク側の専売特許であるかのように思われいたのを、在特会、瀬戸弘幸らが真っ先にデモをするとか、それほど日本のサヨクは弱体化しているってことだな。映画プライドの件を思い出せば、サヨクが表現の自由を重視してないのは明らかだが。
公権力規制のデモでさえも、一番行動力があるのが在特会、瀬戸弘幸らって、日本のサヨクは本当に終わってるのではないのか?日本のサヨクは公権力規制でさえもデモもできないヘタレだらけで、役立たずのゴミどもだな。
表現規制反対とか言ってるサヨクは、ネットで言ってるだけだろ。ネットで言うだけでなく、サヨクならデモくらいしてみろよと思うが、今のサヨクってもうそんな力がないからね。サヨクって在特会をネットで叩いているだけで悦に入っている役立たずだしな。
サヨクが未だにしているデモって、全共闘の時と同じ米軍基地ハンターイ!と、戦前からある労働問題ばかりだね。硬直化したサヨクは、もうダメだね。
瀬戸弘幸は「私はエロに関してはかなり寛容」とか言って、表現規制をするなって言ってるね。瀬戸弘幸はエロの規制問題に関わってきたんだと。ネットで表現規制反対とか言って悦に入っているサヨクよりも、よっぽど現場で経験してきたわけだね。
桜井誠は思想に関係なくデモに参加できると言ってるから、この真っ先に公権力規制反対デモをする桜井誠のデモに、サヨクは頭を下げてでも参加してこい。
http://ameblo.jp/doronpa01/entry-10767938965.html
なお、今回のデモ前集会およびデモ行進は思想の左右を問わずどなたでもご参加いただけます(ただし、主催者側の指示に従えない方のご参加は拒否いたします)。
http://ameblo.jp/doronpa01/entry-10767938965.html
【日時】
平成23年1月15日(土)
14:30集合 15:00出発
【集合場所】
http://www.kaigishitsu.jp/room_akihabara.shtml
※ デモ前に瀬戸弘幸氏主催による『東京都の青少年健全育成条例改悪反対シンポジウム』 が同ホール(7階)にて開催されます。シンポジウムの詳細については下記<シンポジウムご案内>をご参照下さい。
【デモコース】
http://d.hatena.ne.jp/Delete_All/20100923
おいらべつにけんかを売るつもりは全然無いのだが、会社の方針と、発注者請負者のパワーバランスと、自分の青糞まずい立ち回りと、が、全くかみ合っていなかった結果のフラストレイションを、最終的に独法の権力を嵩にきたあほ面とけなげで庶民な僕ちゃんの対比構造に転化しやがった。正直、失望した。どこがロックじゃ。庶民庶民言ってればロックか。そんなんしょんべんじゃ。
こんな内容アノニ増田に書いている時点でおいらのほうが120%濃縮うんこだが、別に文子ちゃんと個人的な知り合いでもなし(だから公開された文章についてさえずってみている)、独法びいきでもないんだけど、最近の民主といい馬鹿が馬鹿を生む構造の根底の一つにこの公権力との対立構造っていうのを据えれば猫も杓子も喝采するっていう現象があって、そこで乞食も王様も古館いちろうもやおやのみよちゃんも見事に100パーセント思考停止するんだよね。ホント、そういうの見ると哀しくなる。お前ら目ぇ覚ましてんのか。起きやがれ。もっと自分の脳みそで考えろ!と世に叫ぶ…こともなく、錦糸町駅前でギター一本でミスチルのコピーくらいしかしていないんだけど、まあロッカーではある。
で、ひるがえって仮にもおもしれー文章を世に垂れ流す人としての文ちゃんがロッカーだっていうのであれば、認めろ。施主の豚野郎根性と、自分の調整能力&社内発言力のなさが胸焼けをもたらしたせいで垂れ流した駄文だと。施主の横暴なんて独法だろうが民間だろうが総務省だろうがエイベックスだろうが変わらん。おいらの友達にはサランラップまいたちんこ舐めさせられる営業させられたやつもいれば、備品をごっそり持っていかれて必要経費で落とせってすごまれたやつもいる。おいら自身でいえば10万円で機関紙を買えっていう発注者に広告の枠切りに営業かけたりして、あんちゃん良い度胸だって日本刀を突きつけられてエロン、ってそれを舐めたら許してもらえたとか、まあそんなことばっかりやってるとささくれ立って眉間に険がでる。
そんなのに比べたらサラダただ食い?しかもグレーとはいえ契約や会社方針の枠のひろーいプールの中で競泳してくれている施主に対して、権力だ?庶民なめんなだ?件のあほ部長の暴言やら暴挙やらのほうがぜんっぜん揮ってるじゃねえ。それにそいつが最終的に会社に善をもたらしただ?笑える、ね、文ちゃん。
文子ちゃん。もっとおもしろいぶんしょうをかいてよ。おいらこれとかすきです。
増田です。
でもそれも、おだやかな付き合い方を心がけたら安定してきた(彼氏談)らしいです。
28歳♀さんの彼氏さんは、とても素敵な人だと思います。
私は大切な人に「彼氏から愛されている」と満足すらさせてあげられませんでした。
貴男はまず、どうしたいんですか?
考えられるのは2つの選択です。
●2、彼女に出て行って貰いたいのか
やり直したいというのがもっとも理想的ですが、そんな可能性は0%なのは
分かっています。この気持ち、時間が助けてくれるのを待つのみです。
本当に出て行って欲しいのであれば、手段を選んではいけません。彼女の実家に連絡して引き取って貰うなり、乖離性同一障害が本当だと思おうなら実際に彼女を引きずってでもいいから精神科の受診をさせるべきです。彼女から何を言われようが、彼女の実家家族から何を言われようが気にしちゃいけません。
彼女は親から勘当されており、6月に実家に荷物をいったときには家が
なくなっていました。どこに引っ越したかもわかりませんし、彼女の親の
連絡先もわからなくなりました。警察にDV被害をだしたときも、警察に
親の住所公権力で調べてあげようかと言われたらしいですが、彼女自身
家族には会いたくないと思っているので、彼女自身が拒否したそうです。
もう私自身がでていき、家賃は払ってあげるしか方法がないです。
貴男はひとりの男としてひとりの女性を、貴男の考える方法で愛し、守ってきたんです。
それ以外になにか言葉はありますか?
仰る通りです。
私の愛し方が間違っていて、彼女に辛い思いをさせてきたこと、別れる結果になったことは悔やんでも悔やみきれません。
ありがとうございます。似た状況の方からのお話、とても救われました。
28歳♀さんに感謝いたします。
電子化で効率化って話はどこにあるんですかッてことになる。一例だけどね。
でもタテマエでは、部下が勝手に出てって、ともすればサボるんじゃないかというおそれがある。
それを排除するために上司は部下の外出に関して命令を出し、その限りに於いて外出を許可する、っていうのが大義名分となるわけだね。
にしたってこんな電子化で窮屈きゅうきゅうな事態になるっておかしかありませんかって。
外出の書類を事前に出すくらいのことがそれほど窮屈なわけないだろ。
もちろんそういう書類を書くのが嫌な人もいるんだろうけど、それならホワイトカラーになるべきじゃないんだよ。
野球選手になっておきながら野球したくないって言うようなもの。
それと効率化っていうのはインプットとアウトプットの比率の改善なわけで必ずしもインプットが減ることを意味しない。透明性や不正の防止力のというアウトプットの改善があればそれでいいんだよ。自分の手間が増えるくらいなら、不正が見逃されたほうがましだ、「由らしむべし知らしむべからず」でいいじゃんと言うスタンスで公権力を行使する仕事をやるのは非常に危うい。業務命令が後からでおk、不透明でもおkな人は派遣のピンはね率を開示しろとか業務内容や就業時間とか労働契約が後から変わっても文句言うべきじゃないよ。
自己責任論って結局、「力は正義、弱いものが強いものに虐げられるのは仕方がない」っていうリベラリズムなわけじゃん。
そういうマッチョイズムを信仰する「傷つけられるのがいやなら見るな」系の人たちが、自分たちより強大な力(公権力)から、「(弾圧されるのが)嫌なら見るな」と抑圧がきた途端「抑圧いくない」とか言い始めるのってすげーダブスタに見える。
抑圧されてる側が、力さえあれば抑圧してもいいという勢力に対抗する手段としてもっと強大な力に頼ろうとするのはすごく理にかなったことじゃないの?
普段から被抑圧者の権利に敏感で保護しようとしてる人たちが自分たちへの規制にも抵抗するなら分かるけど、自分は他人を抑圧しまくってるけど自分への抑圧は嫌だって何の冗談だと思う。
そういう人たちはそのダブスタに気づいてんのかな?
それとも自分の最大利益を考えたら自分の他人への抑圧は肯定して他人からの自分への抑圧は否定するのが当たり前!とか開き直ってんのかな。
>地下猫は公権力が嫌い
ここが笑えるというか、中々頭の痛いところでもあるのだけれども、地下猫やはてサは
公権力が嫌いというのはその限りにおいてはそうではあるんだろうが、権力的なもの
それ自体を嫌ってるわけじゃあ無いんだよね。むしろ逆で、権力志向自体は強い人種
なのだと思うね。
たとえば、「自分が」(ここ重要)権力的に振舞うこと自体はなにより大好物でしょ。
他者に対して悪い意味で権力的に、つまりオイコラ式の警察官のように、気に食わない
相手に対して自分の特権性を背景に、強圧的、威圧的に、居丈高に、嘲弄的に、攻撃的に
行動することを非常に好む、という意味で。この場合彼らの「特権性」というのは言説
の絶対的な正当性(勿論彼らの脳内において、だけども)によって担保される。
はてサの皆さんが自己の善性、正当性とその「無謬的な絶対性」に異常に固執する、
これがその理由だね。単に自分が正しい、ということへの自己満足からだけでなく、自分を
特権的な立場に祭り上げておくために非常に重要な道具だからだ。
おまけに、その「気に食わない」という基準も要するに彼らの幼稚なプライドに抵触するか
どうかというものでしかないとくるわけで。
で、うわべだけの綺麗事で公権力を糾弾してみせつつ、「ボクのかんがえた、りそうのしゃかい!」
を実現するためなら、ファッショの極みみたいな抑圧的な社会ですら全肯定しそうな、どうしよう
もなく権力オリエンテッドな主張を平気でするからねぇ。
要は「他人が」権力を行使することがその是非に関係なく嫌いなだけであって、「自分が」権力を
行使する(または行使する様を妄想する)場合にはね、彼らに権力一般への批判性なんてもの
を期待するのは実にお門違いだろうと思うよ。
単なる無定見や日和見主義を揶揄するための言葉ならまだ理解は出来るけれども、はてサが
使いたがる「自称中立」とか「妖怪どっちもどっち」ってのは大抵はそうじゃないね。
はてサが憎悪してやまないのは、是々非々のスタンスというか、物事を非党派的に捉えるような
スタンスそのものなのだと思う。
そういうのに色々呼び名をつけてはあしざまに攻撃しまくるのは、結局はある種のポジショントークってやつでしょ。
いにしえのサヨクが好んだ罵倒用語の「プチブルなんたら」ってのと似たようなものかと。
その場合、対象となる言説の内容の是非が問題なのではなく、物事を二元論的に、党派的に捉えない
スタンスそれ自体が彼らにとって都合が悪いからだろう。それはつまり、単に二元論的、党派的な視点から一方
を攻撃するのとは違って、党派的な世界像そのものを解消してしまいかねないから、つまり、彼らが
大好きな特権的な立ち位置、「常に自分は無条件に善の立場、真理の側」というポジションを相対化して
なんの保証も無いものにしてしまいかねないからね。
その「自分は無条件に全面的に正しい側である」という前提が脅かされることを何より忌み嫌うのは、
要するに他者や愚民、社会や世界を無条件に嘲笑し、罵倒し、攻撃するための(そして同時に自分がいかに
優れたあたまがいい特別な人間かを再確認するための)特権的な立場が(まあこれも彼らが自分で自分に
対して自作自演的に付与したまがいものの特権でしかないわけだが)少しでも傷つけられることが
我慢ならないからだろね。
簡単に言えば、お子ちゃまな勧善懲悪脳で自分はいつも正義の味方役じゃないと嫌な(そういうわがままな
子供っているよね)のはてサの皆さんにとっては、自分から「正義の味方の役どころ」をとりあげかねない
全てのものが憎悪の対象になりますよってことかな。
「自称中立」的な言説もそうだし、彼らの「脳内正義」と違ってより現実的な「正しさ」に近い人たち、
信条や思想に基づいて現実の社会の中で(たとえば外国人のために活動する弁護士とか)それなりの実績
と立場を築いてきた人たちが、彼らの言論オナニーの場に入り込んできたときとかもね。
別に腐女子叩きに特化しないでも今現在性暴力の危険性に日常的に晒されている層に対する「我慢しろ」という抑圧は平気でやってるのに、公権力からの抑圧には反発してるっていう構図だけで充分ダブスタ。
http://anond.hatelabo.jp/20100324163449で書かれてることだけど。