2010-04-09

>地下猫は公権力が嫌い

ここが笑えるというか、中々頭の痛いところでもあるのだけれども、地下猫やはてサ

公権力が嫌いというのはその限りにおいてはそうではあるんだろうが、権力的なもの

それ自体を嫌ってるわけじゃあ無いんだよね。むしろ逆で、権力志向自体は強い人種

なのだと思うね。

たとえば、「自分が」(ここ重要権力的に振舞うこと自体はなにより大好物でしょ。

他者に対して悪い意味権力的に、つまりオイコラ式の警察官のように、気に食わない

相手に対して自分の特権性を背景に、強圧的、威圧的に、居丈高に、嘲弄的に、攻撃的に

行動することを非常に好む、という意味で。この場合彼らの「特権性」というのは言説

の絶対的な正当性(勿論彼らの脳内において、だけども)によって担保される。

はてサの皆さんが自己の善性、正当性とその「無謬的な絶対性」に異常に固執する、

これがその理由だね。単に自分が正しい、ということへの自己満足からだけでなく、自分

特権的な立場に祭り上げておくために非常に重要な道具だからだ。

おまけに、その「気に食わない」という基準も要するに彼らの幼稚なプライド抵触するか

どうかというものでしかないとくるわけで。

で、うわべだけの綺麗事で公権力糾弾してみせつつ、「ボクのかんがえた、りそうのしゃかい!」

を実現するためなら、ファッショの極みみたいな抑圧的な社会ですら全肯定しそうな、どうしよう

もなく権力オリエンテッドな主張を平気でするからねぇ。

要は「他人が」権力を行使することがその是非に関係なく嫌いなだけであって、「自分が」権力

行使する(または行使する様を妄想する)場合にはね、彼らに権力一般への批判性なんてもの

を期待するのは実にお門違いだろうと思うよ。

単なる無定見や日和見主義を揶揄するための言葉ならまだ理解は出来るけれども、はてサ

使いたがる「自称中立」とか「妖怪どっちもどっち」ってのは大抵はそうじゃないね。

はてサ憎悪してやまないのは、是々非々スタンスというか、物事を非党派的に捉えるような

スタンスそのものなのだと思う。

そういうのに色々呼び名をつけてはあしざまに攻撃しまくるのは、結局はある種のポジショントークってやつでしょ。

いにしえのサヨクが好んだ罵倒用語の「プチブルなんたら」ってのと似たようなものかと。

その場合、対象となる言説の内容の是非が問題なのではなく、物事を二元論的に、党派的に捉えない

スタンスそれ自体が彼らにとって都合が悪いからだろう。それはつまり、単に二元論的、党派的な視点から一方

を攻撃するのとは違って、党派的な世界像そのものを解消してしまいかねないから、つまり、彼らが

大好きな特権的な立ち位置、「常に自分は無条件に善の立場、真理の側」というポジションを相対化して

なんの保証も無いものにしてしまいかねないからね。

その「自分は無条件に全面的に正しい側である」という前提が脅かされることを何より忌み嫌うのは、

要するに他者や愚民社会世界を無条件に嘲笑し、罵倒し、攻撃するための(そして同時に自分がいかに

優れたあたまがいい特別な人間かを再確認するための)特権的な立場が(まあこれも彼らが自分自分

対して自作自演的に付与したまがいものの特権でしかないわけだが)少しでも傷つけられることが

我慢ならないからだろね。

簡単に言えば、お子ちゃま勧善懲悪脳で自分はいつも正義の味方役じゃないと嫌な(そういうわがまま

子供っているよね)のはてサの皆さんにとっては、自分から「正義の味方の役どころ」をとりあげかねない

全てのものが憎悪の対象になりますよってことかな。

自称中立」的な言説もそうだし、彼らの「脳内正義」と違ってより現実的な「正しさ」に近い人たち、

信条や思想に基づいて現実社会の中で(たとえば外国人のために活動する弁護士とか)それなりの実績

と立場を築いてきた人たちが、彼らの言論オナニーの場に入り込んできたときとかもね。

  • そういうことだろうね。 歴史認識問題でとりあえず安牌の日本を叩いておくみたいな西洋メディアと同じで、 自分は第三者の立場から上から目線でものを言えるのが大好きなんだろ...

  • 地下猫にボコらったからって増田に逃げてきて泣きべそかくなよw

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