はてなキーワード: ワークショップとは
http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/598672.html
県立大薬学部(静岡市駿河区)の一般入試の受験を希望していた那覇市の女性(20)が、出願書類の不備に気付いて同大に駆け付けたものの、締め切り時間を約30分過ぎて到着したため、受理されなかったことが8日までの同大などへの取材で分かった。女性が「沖縄から急いで来たので少しは考慮してくれると思った」と不満を漏らす一方、同大は「期限が過ぎれば受理できないルール」と強調した。
例外を認めると、ルールが崩壊する、とか、コントロールできなくなるとか。
そういう考え方もあるかもしれないけど、それは、公正とかフェアの考え方とはちょっと違う、どちらかというと事なかれ主義に近い。
このルールを厳格に適用すると、1分でも期限を過ぎた時点でもアウトということになるが。
学校という場所は、高等教育、基礎教育問わず、そもそも時間に厳しいのも事実。
一分でも遅刻すれば校門を締める、というルールを徹底していた学校がかつていたるところであった。
とある国で、避難所運営のシュミレーション演習を実施したところ、市役所ごとにグループし、一人ずつ中央防災機関の担当者を当てた。
あるグループでリーダーシップをふるっていた防災機関の職員、演習が進むたびに、グループ内でルールの周知について演説が目立つようになっていた。
ルールを覚えることがこの演習の狙いではない。むしろ、既存のルールを絶対視せず、疑うことを学んでもらいたい。
しかし、そのようなことを演習のファシリテーターとして、いうべきかどうか、一瞬、迷う。
正しい答えはなにか、ということに執着するマインドを変えたいというファシリテーターの思いを全く異なる思考様式の人々にダイレクトにぶつけることは危険な気がするからだ。
言い方としては、演習の際に、既存のガイドラインやルールを参照するのはよいが、そこに何らかの改善点や疑問点を見出してもらいたい、となるか。
電車内で大声で電話していた会社員風の男性が他の乗客に注意されなかった理由がつらすぎる…「逆に耳ダンボになる」「気の毒すぎる」
何でこの男性を描くことに対して、誰も叩かないんだ。キモくて金のないおっさんだからか? 女性を描いた時は、散々炎上させてたのに。
「昔大学のオープンキャンパスのワークショップで接客した女の子です」14歳とは思えない巨乳美少女にTwitter民騒然
「今朝電車で真ん前にいたお姉さんの事」乳首まで見えていたという女性のイラストが話題に
https://anond.hatelabo.jp/20180703194538
確かに操法大会は誰がどう見てもクソだし、田舎には他にもたくさんのクソな文化が元気一杯息づいているのだけど、それは「イケてる文化を生み出す人」、「まだクソになっていない文化を保守・時代に合わせてアップグレードする人」がいないのが原因だと思う。実際、そういう人たちが活動をしている地域じゃクソな文化は淘汰され始めてイケてる文化が創られてるし。
(例:https://www.hinagata-mag.com/17714)
ほんで、これは手始めに移住者とかまだ色々諦めてない人がモデルケースを示すしかないと思う。
俺のところでは弱ってきた桜並木を間伐して新しいのを植えようって自治会が言い出したんだけど、伐採から木の処理まで全部業者任せにしようとしてたんだ。
結構本数あって100万円近くかかるっていうから、移住者コミュニティ中心で地元でボランティア募ってみんなで切るって自治会に話通して。
切った木は森林組合から借りてきたウッドチッパーでチップにして、赤土で水はけの悪い道路に撒いたり、乾かして休日に燻製のワークショップ開いて消費したり、ピザ窯作って薪として全部使った。
結局かかった額は1万円。でも、地域への人が遊びにくることが多くなった。
都内住み。
学生時代から創作活動が好きでジャンルは違うけどいろいろやった。
友人も趣味繋がりが多い。
イベントに一緒に出たり、作家さんのワークショップに行ったり、2.5次元の舞台を観るために遠征したり。とても楽しかった。
さて、現在。
5から6人ほどいた趣味友達はほぼ結婚しておらず子どももいない。
相変わらずやりがいのありそうな仕事をして趣味の活動でイベントに出たり遠征で旅行したり楽しそう。
出会った20代のころはみんないつかは結婚して子どもが出来てママとして子どもと一緒に遊べると思っていた。
いつかはそうなると思っていた。
当然みんなも後に続くと思っていた。
結婚したことで、子どもができた事で、こんなに周りから取り残されるとは思っていなかった。
疎外感しかない。
けんちん・Fさんという人物がいまして。
彼はmixiを中心に、様々な映画や作品の論評を投稿しており、
その切り口は身内同士でズブズブになっている九州・福岡演劇界をバッサリと斬るものが多く、たまに面白く拝見していたのですが、
どうにもここ最近、彼の文章の質が変わってきたというかちょっと見るに堪えないものになってきました。
彼がどのくらい影響力があるのかはちょっと分からないのですが、このまま福岡演劇界のご意見番ヅラしてるのもちょっといかがなものだろうかと思いまして、
<はじめに>
私は、市原幹也氏を知りませんが、様々な記事などを見る限り今後、演劇には関わって欲しくないと思います。
但し、彼が演劇をやりたいと言う気持ち、思いを禁じる権利は私にはないと思います。(何故なら知らない人だから) というスタンスです。
人を裁けるのは司法、又はその直接の被害を受けた人だけ。というスタンスです。そうじゃなきゃ私刑だよ。
<目的>
1.昨今のけんちん・F氏の文章が論理的でない事を広く知っていただくこと
3.彼の文章が今後理論的になり、もとのキレのよい論評をしていただく事
達成できるかどうかは別ですが、この3つを目的に書いていきたいと思います。
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964252256
②あなたが本当に「演劇人」なら、市原幹也を救おうとはしないはずである
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964295122
③今そこにいる、一万人の市原幹也
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964416782
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964577327
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964600688
⑥不透明さを増す市原幹也と、藤原ちから、野村政之らの卑劣な印象操作
http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964756079
記事数は多いですが、出来れば正確さのためにきちんと目を通していただければ、と思います。
<問題点>
さて、早速問題点ですがけんちん・F氏の文章、大まかに分類すると3つの問題点があると思います。
1.事実と推論を分けておらず、非常に読みにくく、推論を事実とすり替え、さらに理論を展開する
3.自論に対して反論する人に対し「擁護するから反論している」とレッテル張りを行い間違いを認めない
それぞれ見て行こうと思います。
「AということはBなのではないか、BということはCなのではないか、Cは問題だからAは非常に問題だ!」という推論に推論が重なった故の結論が、ソース不在の論理性に欠けるものが多い。
例ア
一応と言うか、市原氏は、2013年をもって、アイアンシアターの芸術監督を解任されてはいる。のこされ劇場≡の活動もそこで中断し、実質、解散状態にあるようだ。
当時はその理由が不透明だったが、こうした事件が発覚してみると、「そこでも何かやらかしたんだろうな」と判断せざるを得ない。劇団員に手を付けたか、
ワークショップの参加者に手を付けたか、そんなところだろう。彼の不始末のせいで、枝光演劇フェスティバルが開催不能になり、枝光から演劇の火が消えてしまったことは残念だが、
事情が事情なら仕方がない。 でももし本当に私の憶測が正しければ、枝光商店街はその時点で、彼の解任理由をきちんと発表すべきだっただろう。そうすれば、その後、
<以上引用>
要約するとこうなります。
2013年アイアンシアターの芸術監督を解任、のこされ劇場≡もそこで実質解散状態(事実)
↓
「そこでなにかやらかしたんだろうな」と判断せざるを得ない(推論)
↓
↓
彼の不始末のせいで枝光演劇フェスティバルが開催不能になったのは残念(事実のように記述だがソースなし)
↓
憶測が正しければ、枝光商店街が解任理由をはっきりさせれば犠牲者は防げたかもしれない(推論)
2013年の解任と解散は事実だが、そこの理由ははっきりしていない。にも関わらず、枝光演劇フェスティバルの中止を彼が原因かのように記述、
有名な言葉がここにあります。「なんかそういうデータあるんですか?」
「枝光演劇フェスティバルは市原氏の不始末で開催不能になった」
推論を並べ立ててもいいけど、そこに至った経緯、又は根拠を示さないと説得力ないよ、けんちん氏。
例イ
自主的に引退してくれるのが一番マシではあろうが、どこぞの議員みたいに、どこかにずっと居座り続けそうだよね。周囲もそれを許してしまいそうな気がする。
つまりそれだけ日本の演劇界がユルい社会であるということだ。それも日本の演劇レベルが沈滞し続けている原因の一つかもしれない。
<以上引用>
↓
周囲も許しそうだよね(推論)
↓
それだけ日本の演劇界はユルい社会で、演劇レベルが沈滞する原因かもしれない(推論)
はっきり言ってウケる。脳内妄想垂れ流してもいいけど経緯又は根拠を示さないと説得力がねえよ。
例ウ
逆に言えば、なぜ市原幹也は別の道を選ばず、また彼の仲間もそれを勧めないのか、ということなのだ。市原だけでなく、彼の周囲の人間も、演劇を愛してはいない。
演劇に対する愛があったのなら、とっくの昔に、彼を制止していたはずだ。
<以上引用>
↓
↓
データと経緯がないのは先の例と一緒。さらに、さも自分が部外者かのようにけんちん氏は記述しているが、それ以前の文章に「悪い噂は流れてはいたようだ」とか書いてんだから
同じ論法だとアンタも周囲の人間に一人に入っちゃうよ。ブーメランだよ。
あと、文章③において
<引用>
彼は、市原の舞台に出演していた当時、既に、「ウワサ」は聞いていたようである。けれども、面倒ごとに関わるのは嫌だと、市原に意見することを控えてしまった。
そのことが、次の被害者を生んでしまったと気づいて、今、深く責任を感じてしまっているのだ。いじめの現場を目撃していながら見て見ぬふりをして、その結果、被害者が自殺をしてしまった、
そのことを悔いるような心境になっているのだろう。もともと心が弱い方であるから、このショックは相当にキツかったと思われる。
<以上引用>
一個前の論理で行くとこの人完全に「別の道を勧めなかった周囲の人間」に入るわけで「演劇を愛してはいない人」になるわけですけど。
知人と分かった瞬間この手のひら返し。まごう事なきダブルスタンダードです。
例エ
野村氏は、市原に電話で「死ぬな」と言ったとか書いているが、はっきり言って芝居がかっていてかえって白ける。電話でどのような会話をしたのかを
「公的な報告」として記すのなら、本来は今後の対応をどうしていくかについて書くべきで、こんなプライベートな心情吐露を垂れ流してはいけない。まるで、泣きを誘って、
市原の方が被害者的な立場に見えるように、話を粉飾しているようにすら見える。 野村氏もここですっかり忘れてしまっているよ、被害者は女の子たちなんだって!
「死にたい」と思った女の子たちが、今も「沈黙」するしかない被害者たちが、いったいどれだけいるのか、それを認識していたら、
たとえ本当にそのような会話をしたのだとしても、申し訳なくて公表なんかできないって。 野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである。
<以上引用>
この文章には山ほどの問題点があるのだけれど、とりあえず推論のすり替えについて言えば
野村氏は、市原に電話で「死ぬな」と言ったとか書いた(嘘だけどここでは事実としましょう)
↓
まるで、泣きを誘って、市原の方が被害者的な立場に見えるように、話を粉飾しているようにすら見える。(推論・感想)
↓
野村氏もここですっかり忘れてしまっているよ、被害者は女の子たちなんだって!(事実のように記述)
↓
野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである。(結論)
ものすごいとんだ論法。あと、後述するけど「死ぬな」って言ってないしね。「死ぬな」の意味合いも違うしね。
例オ
いつでもどこででも、これだけ派手にやらかし続けていれば、福岡の演劇人が、あるいは市原と関係があった人々が、「知らなかった」人間ばかりのはずはない。
なのに彼らの殆どが、自分はセクハラ行為とは無関係だと強調するか、全くの沈黙を守り続けるかのどちらかしかしないのがどうにも解せないのだ。
前回の日記にも書いたように、市原のセクハラを知りつつ看過したことを恥じて自らを責めたのは、私の知人一人だけである。
他の「知ってたやつら」は、今どこで、何をしてるんだよ。 中には、市原が誘ったか誘われたかで、一緒にセクハラ行為に及んだ演劇関係者もいるはずなのだ。
市原はその人物の名前を明かしてはいないし、本人が名乗り出て謝罪する気配もない。市原同様の行為に及んでいながら、今ものうのうと「演劇人」の仮面を被り続けている人物が、
福岡の演劇界に居残り続けている可能性を否定できないのである。
<以上引用>
市原と関係があった人が知らなかったばかりのはずがない(推論)
↓
↓
中には、市原が誘ったか誘われたかで、一緒にセクハラ行為に及んだ演劇関係者もいるはず(とんでもない推論)
↓
今ものうのうと「演劇人」の仮面を被り続けている人物が、福岡の演劇界に居残り続けている可能性を否定できないのである。 (結論)
一緒に及んだ人がいる根拠を示せ根拠を。バックデータのない論理はただの言いがかりだぞ。
<問題点2:主語を大きくすることで、拡大解釈とレッテル張りを行う>
彼の文章はよく「個人の問題」が「福岡・九州演劇の問題」に主語が大きくなっているように感じます(感想)
「福岡・九州演劇界は腐ってる!」という意識が根底に根付いているのでしょうか(推論)
例カ
自主的に引退してくれるのが一番マシではあろうが、どこぞの議員みたいに、どこかにずっと居座り続けそうだよね。周囲もそれを許してしまいそうな気がする。
つまりそれだけ日本の演劇界がユルい社会であるということだ。それも日本の演劇レベルが沈滞し続けている原因の一つかもしれない。
<以上引用>
さっきも出てきた文章ですね。引退しない、が周囲が許しそう、の周囲の話になり、日本演劇会の話にどんどん主語が拡大していく。しかも推測なのに。
一泡沫演出者の話を日本演劇界に持ってくんなよ。日本演劇界も迷惑でしょうよ。それなら一連の騒動が大物の米映画女優の話からはじまってんだから、「米映画界はクソだ」くらい言ってもいいんだよ?
例キ
それどころか、事件発覚から十日余りが過ぎて、事態は早くも風化しつつあるような印象である。 いやホント、Twitterをずっと追いかけてみても、九州の演劇人の間でも、ろくに話題になっちゃいないのである。
2ちゃんねるでちょっと取り上げられて、あと何人かがブログで「市原擁護」としか取れないような文章を書いている程度。何だよ、それ。 ジャーナリストの江川紹子さんが、セクハラ告発が相次ぐ世界の情勢を俯瞰しながら、
市原についても触れた文章を綴っているのは非常に貴重だが、それくらいだ。
<以上引用>
個人個人が発言しない事がいつの間にか九州演劇人全体の問題に。え、だって市原のこと知らない人も結構いるよ?
身近に被害者もいない九州演劇人はどういう声明出せばいいんだろう?もしも、具体的に声明を発表して欲しいのにしてない人がいるならその人に言いな。
自分が知ってる演劇人が発言しないからって、責任を演劇界・演劇人全員に持ってこないでくれる?
例ク
九州の演劇人たちが、沈黙するか、あるいは市原擁護に回った理由はそこにあるのだろう。 やはり「同じ穴の狢」を追及することができないでいるのだ。
指導と称して、セクハラ、パワハラが当たり前の世界に堕してしまっているのだ。もしかしたら、九州の演劇界だけでなく、全国的に。
<以上引用>
目の肥えた読者さんなら「あ、推論が置き換わってる」と感じ取れたかと思います。
どの世界にも、同様の問題はあるだろう。けれども演劇界は特に腐っている。仮に日本の演劇人が全部で二万人いるとしよう。
そのうちの半分が加害者で、半分が被害者になる。そう考えてもらった方がいいくらい、どいつもこいつも腐っているのだ。
<以上引用>
「なんかそういうデータあるんですか?」
君の知ってる演劇人に腐ってるやつが多いのかもしれないけどその井の中のレベルを日本演劇界の話に拡大しないでくれるかな。ちゃんと統計取った?
主語の拡大はもう少し散見されるのですが、周囲はどこまで責任を持つべきか、というのには正解が出しにくいため
個人的に「明らかにデカすぎない?」と思うもののみ掲載しました。そのほかは是非皆さんで探してみてください。
その2に続きます。
所謂追っかけをしている。
普段はダンススクールの先生や、J事務所や声優アイドルの振付、
認知で言えば、顔は勿論だが、
住んでるところも大まかに把握されている。
(そしてスベっていた)
レッスンやワークショップに通っている。
そんな人は楽屋待ちなどせずとも
終演後、面会ができるので
二人に対応をお願いする。
聞いたことがないので知らないし、興味がない。
この二推し(仮にBさんとする)のファンの人で、待ちのときに話す人がいる。
面倒なのでAさんとする。
どうしてもカスる(会えずに終わる)の嫌で
Aさんに「Bさんのオキニ」と決め付けられてる私は
「そのネックレス、Bさんのイニシャルじゃないね。Bさんそれ見てどう思うかしら?」
とか
差し入れに出演者全員で食べられるように果物を多めに用意したら
「そんなにお金かけて高いもの上げたのに、Bさんに食べたか聞かなくていいの?」
とかトンチンカンなことを聞かれていた。
Aさんは「自分はBさんに嫌われてる」繰り返し言うので
「インスタってどうやって登録するの?」
と聞くのはまだいいが
Twitterは情報が早い、リプライで交流ができることがある
そもそもインスタはやってないので知らないと言えば
ふーんと返事するが、多分聞いても覚えてないので
別の機会に全く同じ事を聞く。
また遠征民なので、よく高速バス乗り場や最寄り駅への乗り換えも聞かれて
お前の手に持ってる板はなんだと言いたくなるし
この上に、聞いてもいないAさんの身の上話
年に一回でも話すのは勘弁して欲しいと
近年は出来るだけ距離を取るようにしていた。
先日、その日現場があることも忘れて自宅にいたら
Aさんから着信があり、出なかったら
自宅にいることを返信すると
「了解」と返信されたが、
このイベントの開演前にトイレの前でAさんとすれ違って気づかれたが
挨拶だけして分かれた後は
広い会場が幸いし、終演後まで顔を合わせずに済んだ。
100%Aさんがいると分かっていたが
終演後、楽屋口に向かった。
Aさんがいたので反対側のポジションにいたが
やっぱりAさんに気づかれた。
隣に来て、話しかけられる。
秋にあるショーに出演しないと別のファンに言われたが本当かとか
またバス乗り場と最寄駅の行き方を繰り返し尋ねられた。
その内にこう聞かれた。
「もうグループに人気なくなっちゃたから、Bさんどうでもよくなって出てこないのかな?」
この2,3年折に触れて「人気なくなったね」「人少ないね」と言っていた。
「Bさんに聞いてみれば?人気がなくて人が来ないから出てこないんですかって」
前から言いたかったし、もういいや年に一回会うか会わないかの人に気を遣うのやめよう
そう思ってAさんにそう言った。
そんなこと言ったら嫌われちゃうと答えたAさんに
と言ったら、今日は違うと感じたのか
一瞬取り繕って
「聞き方とかあるじゃん?人に聞いたことを鵜呑みにするよね?」
と言ってしまった。
猶もAさんは今日は開演前から態度が違った、何があったのかと聞くので
「人に聞きすぎだよね」
と答えるとと「もう話しかけるなってことね」とAさんが言った。
Aさんから目をそらし、まだ来ないBさんを待とうとしたが
「今度は私がどう思うか聞いてね」
声がかかった。
「そういうの、いいや」
とAさんに目を向けず答えると
Aさんも私と話してて、なんか我慢してたのか
とAさんに向けて言った。
Aさんはせいせいしているだろう。
私は厄落としでこれを書きました。
レゴランドはネットだと悪評しかなくてどうなのかなーと思っていたが、名古屋においては遠足の行き先として流行っているらしい。団体だと割引料金なんだと。
https://www.legoland.jp/educational-program/school-program/booking-flow/
平日ひとり1400円で、こども20人につき引率1人無料。平日ならワークショップあり弁当持ち込み可能で遠足先として完璧。土日でもミールチケットはあるようなので、配慮が感じられる。
小さいこどもが来てレゴを好きになってくれるのが長期的に見て一番望ましいわけで、ちゃんと施設やっていたのだなーと安心した。