はてなキーワード: サンマとは
一日に2回苦情つけた。不快な店は3件あった。
一軒目は回転寿司で注文端末がフリーズしたので店員を呼んだら、ちょっと見せてくださいといわれて、5分ほど立たされた上でテーブルを変えることになった。
お茶を持ってきてくれますか?と言ったら、ぜひ新しいのをお使いくださいといわれた。あとイワシ頼んだらサンマが来たw
二軒目はメガネ屋で眼鏡を作ろうとしたら店の都合で1時間ぐらいで作れる予定が2時間になり、(5分お待ちくださいが15分とか細々と削られた。)商品に不備があり、謝罪は一切なしだった。
袋に入っていない書類があり、貰いに行き、別の店員に対応してもらっていると、当初の店員が来て、「文句があるなら僕に言ってください。」というので、めんどくさくなり、クレームすることに決めて、「名刺をくれますか?」と聞くと「名刺はありません。」というので「では白紙に要項をかいてください」というと、「嫌です」といわれた。埒が明かないので別の店員に対応してもらっていると、店長が来たので直接苦情をいうと、先程の店員を連れてきてすぐ頭を下げた。「店長がいないと頭も下げれないのがむかつきます。どうにもならないので帰ります」といって帰ってきた。
三軒目はピザ屋で4種類のピザが1/4ごと分かれてるピザを配達してもらったのだが、1/4,1/4,1/8,3/8の割合で来た。一応電話すると、作り直すというので待っていると、今度は1/4,3/8,1/4,1/8できた。また電話すると返金対応しますといわれた。一枚目は食べてしまったが、悪質クレーマーと思われるのも嫌なので、二枚目は食べずに持って帰ってもらった。
かつて飼い猫がご飯を作ってくれるというので楽しみに待っていたら、なぶり殺したスズメと盗んできたサンマが出てきたことがある。
衛生的・倫理的にどう考えても食べられないし、その2つだけだとさすがに腹が減る。おれも出された食事は残さないほうだけれど、その時はめまいを起こしながら限界まで食べて、申し訳ないと思いながらも残した。
すると飼い猫(名はまだない)は「吾輩が献上したスズメを何で食べてくれないわけ?」とか言って鳴いた。
キャットフードを皿に残しまくるのは(猫にその気があれば)改善の余地があるけれど、スズメとかサンマとか出されたものを「せっかく吾輩が盗んできたのに」と全て食べるように強要するのは傲慢のように思う。バランス良く食べるのが健康のためであるというポリシーがあるのなら、それを説明し、猫が食べようが食べなかろうが文句を言わずに食卓に出し続ければいいと思う。見返りを求めるのは疲れるだけニャン。
前回:https://anond.hatelabo.jp/20180510200534
サンマのなめろうのおいしさのせいで、うっかりサンマばかりさばいてしまいました
私は食事が大好きですが、おいしいものを食べたときに「おいしい」という感情以上のことを思うことはほとんどありません
でも、おいしいなめろうを食べると、思わず「おいしい!」と口に出してしまうし、思わず顔がほころんでしまいます
私にとって、おいしいなめろうは、何よりも感情を突き動かしてくれるものです
サンマのなめろうを食べて、そのことを再確認しました 貫禄の横綱相撲でしたね
そして、小さくてキレイなコップで飲む日本酒のおいしさが、この喜びをさらに補強してくれました
さて、サンマだけではなく、久々にアジのなめろうも作ってみました
三枚におろしながら「おいしいだろうな」と思っていましたが、実際に食べるとやっぱりおいしかったです
おいしいと分かっているものを食べて「おいしい」とつぶやくのは粋ではないかもしれないと思い、はじめてサンガ焼きを作ってみました
ゴマ油をひいたフライパンで、中まで火を通すわけではなく、表面だけを焼いて
なめろう作りで大葉を切らしてしまったのは残念でした 次回は大葉でくるんで食べます
これからは、作ったなめろうの半分をそのまま、もう半分をサンガ焼きにして食べてみます
サンガ焼き王決定戦
サンマという文字は、「三人で行う麻雀」の意味かもしれず、外国の知名かもしれず、ひょっとしたらサンマルクカフェの新しい略称かもしれません。秋刀魚と書くことで、漢字の持つ深い味わいとともに、秋の風物詩でありきらりと光る刀のようなあの魚のイメージが、一瞬で読み手の脳裏に浮かぶのです。短時間で豊富なイメージを伝達する力が漢字にはあります。これはカタカナにない利点の一つ目です。
次に、漢字は映像的に処理されるため、多くの情報を一瞬で、しかも誤りなく伝えるのに適しています。たとえば忙しい人ごみの市場で「サン…」しか読み取れなかった場合は何を売っているのかはまったく判然としませんが、「秋刀…」が読み取れた場合はまあ間違いなく秋刀魚を売っているのだろうと判断がつくわけです。つまり、漢字のほうが情報の劣化に対する回復力が高く、情報の伝達に優れているといえます。
最後に、カタカナを認識できるのは、世界でも2%の人々に過ぎないのに対し、漢字を認識できる人間の数はその10倍に及びます。もちろん、全ての漢字を認識できる人が「秋刀魚」があの魚を意味すると理解しているわけではありませんが、まず魚の名称であろうことは認識できる上に、字面を見、かの魚を見れば、その名称に納得もしてもらえるという意味では、世界的に見て「秋刀魚」の文字を用いることの有効性はいうまでもありません。
以上三点からみて、「サンマ」と書かずに「秋刀魚」と書く、その漢字の価値は大いに認められるべきであると考える次第であります。
目黒のサンマという落語があるけど、会社で仕事をしていて「ああ、こういうことを言うのか」と思うような場面にでくわした。
自分がいる部署は企画営業みたいなところで、自分は先輩社員の事務作業を手伝うような役割をしている。
うちの会社はもともとルート営業がメインの仕事なのでここ最近はじわじわと売上が下がってきている。
もともとIT系サービスが充実してきたら自然になくなっていく系の仕事なのでこれはもうどうしようもない。
そこでこのままではいけないと最近社内でも比較的高学歴のチームが新しい営業分野を開拓しようといくつかアイディアを出し合っている。
ルート営業時代のぬるま湯が抜けきれないというか、リスクなく収益化しようとしすぎてしまうからだ。
それでもいくつか企画段階で「それはまあまあいいかも」と思う話も出てくるので、若手である自分としては少し希望を持ったりする。
でもうまくいかない。
アイディア段階ではいいのに、そのシステムを構築するために新しい取引先と合うと、そこで古臭い理屈を押し付ける。
社内全員が理解できるようなシステムでなければいけないと何度も何度も仕様を変更させたがる。(主に思いつきですぐ連絡して丸投げする)。
当初予定していたサービスをどう提供していくかということよりも、いかにして開発費を値切るかとか、維持費(サーバー代とか)を下げるかとかそういうことにいつの間にか必死になっていく。
結果として実際にリリースされたサービスは安っぽくてちゃちぃものになって、そのくせ「新たしいサービスなんだから収益を確保しなくては」と平気で利幅をつけてリリースするので誰も利用しない。
そして失敗をすると時代の流れだとか、開発会社の作業が遅いとか文句を言っている。
そのくせGoogleの広告費はじゃんじゃん湯水のように支払ったり、販売ルートもきちんとしてないうちに「将来顧客が増えた時のために」と明らかに不要な設備投資をしたりする。
最初はそれなりにいいアイディアだったもの(実は自分が出した企画もある)も、アレはだめ、これはリスクが高いとごちゃごちゃ口出しをされて、結果的に毒にも薬にもならないものができあがる。
何処にも書けないのでかかせてくれ
twitterには多分十年くらいいる
だからtwitterにはいろいろな流行り廃りがあることはわかっているつもりだしすべて受け入れられると思ってきた
名称はままあれど、
Twitterユーザー(フォロワー)とtwitterユーザーをカップリングにする、腐女子の遊びだ
ユーザーをキャラクター(概念)のように扱い、カップリングを作る
たとえばフォロワーにイワシとサンマがいたらイワシ×サンマ、イワサン、といった具合だ
この概念CPは腐女子はまりたてのいにしえの時代によく見かけた
たとえばクラスメイトの男子たちをCPにするとかそういうものから始まると思う
解りやすく作品になっているのは、影木栄貴と蔵王大志の、自分たちをモデルにしたBL『color』だ
盛り上がる。内輪では。
最初は仲良しなんだなーと眺めていたが、
それが目に付く回数が増えるにつれなんともいえない拒絶反応が自分の中で出ていることを感じ始めた
見たくないのである
もしかしたらナマモノが好きなら受け入れられるのかもしれないけれど、わたしはナマモノは通ってこなかった
でもワードミュートをしたら、本人の名前そのものをミュートするので他のツイートも見られなくなってしまうし、
共通フォロワーの普通に呼びかけている名前ワードもミュートになってpostが読めなくなる
自衛ができない。
つらい
そのフォロワーカップリングは空リプで投稿されているため、スルーしても問題ない
つらい
多分私ももっと若ければ混ざってたのしくフォロワーカップリングできたんだと思う
だけれどそのノリについていけない
つらい
わたしはどうしたらいいのだろう
作品が好きで繋がったのにブロックミュートしないといけないのだろうか
昔は四六時中張り付いていたのに、である
こう思うのは少数派なのだろうか
だれか対策を教えてくれ
出版関係で働いていますが、本屋大賞とはまったく縁がありません。が、本屋大賞そのものは、爆発的に売れる販売力だけでなく、「書店員」という仕事に対する誇りや共感を高めている、本当に素晴らしい企画だと思っています。専門の小売が苦しい中、「本屋」という業態が消費者からの支持を集めてなんとかかんとか維持されているのは本屋大賞の影響もあるのかもしれません(ちょっと褒めすぎ?)。
昨年2017年、本屋大賞ノミネート作に「サンマーク出版」という文字列を見つけて驚愕しました。だって、サンマークだよ、文芸書とかのイメージないじゃん?
というか、サンマークのイメージって微妙じゃない? いや、そりゃ、ベストセラー沢山作ってるよ、すごいよベストセラー。そしてまた、作り方だけじゃなくてベストセラーの売り方がとにかく上手い。もうこれは出版業界で働いてたら常識。サンマークはベストセラー作るのも売るのも本当に上手い。
潰れる前のアスコムとか潰れる前のゴマブックスとか、ちょっと前だとカツマーの本出してた頃のディスカヴァーとかにも上手さはある。でも、そのあたりより作るのも売るのも上手いかなあサンマーク、『脳内革命』の頃から。『水は答を知っている』とか『病気にならない生き方』とか『人生がときめく片づけの魔法』とか『どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法』とか。「読んだことない人でもタイトルを知っている」ぐらいのベストセラーを作り出す。
「読者本人も気づいていないニーズを掘り起こす」ってことみたいだけど、それをできる編集者ってあんまりいない。しかも、それにちょいスピリチュアル要素盛り込んできたりする。
……。
出版社って諦めが早いというか堪え性がないというか、けっこうすぐに見切りつけちゃうところ多いんだよね。コミックとかライトノベルズで「発売後一週間の売上で~」とか聞いたことないですか。文庫とか新書もそんな感じ。2・3ヶ月前に話題になった新書とか、よっぽど大きい書店じゃないと置いてなかったり。
でも、サンマークは粘り腰なんだよ。直近の『モデルが秘密にしたがる体幹リセットダイエット』でも、テレビで急に火がついたみたいに見えてるかもしれないけど、実はその前にしっかりと売っている。テレビで盛り上がったのが年末だったのに対応も早かったよね。そのあたり、他はそうそう簡単に真似出来ないよね。
……。
芥川賞・直木賞的なものに対する反発っていうのはある一定わかる。選考の過程がクローズドだからね。「おいおい、セカオワのヒトの本とか、恣意的な何かが働いてんじゃねえの?」という疑念はもっともだ。少人数でクローズドな選考には常にそういう疑念がつきまとう。内容を吟味して選ぶと言っても審査員への働きかけは不可能じゃないんじゃねえの、とか、狭い世界で回してんじゃねえの、みたいな。
でも、少人数でクローズドな選考は人気投票的なところとは違うものを選べるし、それはそれで「人気投票やったら絶対落ちるだろ」的な作品に栄誉を与え未来にしっかりと残すという役割は果たしてるんじゃなかろうか。まあ、「結果に納得いかねえ」っていうのはある程度はしょうがないかと。
それに対して、本屋大賞はオープンだ。選考過程も透明だ。それは非常に良い点だ。人気投票に堕するという方もいるようだが、人気投票やってるんだから、それはいいんじゃないかな。で、冒頭にも挙げた通り、間違いなく売上にも関わるし、書店員たちの誇りにも、読者から書店員への信頼とそこはかとない憧れにも貢献している。なかなか無いよ、こういうの。CDショップが「ショップ店員によるCD大賞」みたいのを今さらやっても難しいだろうなあ。それぐらい、タイミング的にも本屋大賞は絶妙の時期にスタートできたと思う。
ただね。これだけ影響力が大きくなってくると、当然、出版社のほうも何らか働きかけを行いたいと思ってくる。既に以前からそういう話はあったんだろうなあ。2013年・2015年の川村元気とかはどうだったんだろう。2018年も扶桑社は『夫のちんぽが入らない』を推そうとしてたんだろうなあ。そういえば『ボクたちはみんな大人になれなかった』が新潮社だけど、新潮じゃなかったらもっとゴリゴリ推してたかも。
で、今の本屋大賞のスケール感って、(書店に対する)営業がうまい出版社にとっては、ちょうどいいぐらいのスケール感なんだよね。
サンマークは文芸書の売り込みについても手応えあったんじゃないかな。ただ、文芸は本筋じゃないから次は考えていないかもなあ。ディスカヴァーは文芸書の作り方と売り方がまだ分かっていないようなので(自己啓発系のビジネス書と同様に著者を売り出そうとしているけど、文芸はその方法論だと難しいはず)、しばらくは出てこれない。ひょっとすると数年後には文響社がノミネートに残るかもしれない。
昨年、サンマークが本屋大賞獲ってたら営業の上手い社が他にもごっそり参入してきただろう。文芸には強いけど書店との距離が少しだけある出版社は残らなくなってしまうかもしれない。「そんなことはない、書店員を馬鹿にするな」と言われそうだけど、そういう危機感ってあるよね? ないかなあ。
と、上記のような流れで、2017年の本屋大賞を『コーヒーが冷めないうちに』(サンマーク出版)が獲らなくて本当に良かった。心の底からホッとしています。
ということで、本屋大賞の審査に参加する書店員の皆様、2018年も「いちばん売りたい本」の審査、よろしくお願いいたします。
====
https://anond.hatelabo.jp/20180118142556
https://anond.hatelabo.jp/20180118145458
====
知らなかった知見がたくさん手に入り、増田を書いた甲斐がありました。
あと、「個人的にイラッと来る文体だし」と言われて悲しいので追記分については文体も変えます。
・手間をかけない
・金もかけない
・味は気にしない
・米
まとめて炊いて冷凍する。
・パスタ
電子レンジでゆでる奴があれば手軽。
おかずをどうするか問題。
(1/10 追記)パスタと一緒に野菜を茹でれば良いとの知見が。
・うどん
・パン
安く手に入れる手段を知らない。
・もやし
安い。年中手に入る。下準備が要らない。炒めてもゆでても良い。栄養価も悪くない。すごい。
(1/10 追記)しかし足が早い。栄養も言うほどないらしい。
・たまねぎ
まぁまぁ安い。だいたい年中手に入る。炒めてもゆでてもよい。
・ピーマン、なす
値段の変動がすごい。安ければかさましに使う。高ければ写メしてTwitterで嘆く。
栄養価が高いらしい。あまり使わないが、ビタミン足りてない気がするときとかにおまじないで買う。
皮をむくのがだるいうえ、火が通りにくいのであまり使わない。ジャガイモ無くてもカレー美味いよ。
(1/10 追記)じゃがいももにんじんも洗えば皮をむかなくてもOKらしい(ただしじゃがいもの芽は取る)。
僕の良く行くスーパーにこれらがあまり売っていない、という理由で書かなかったのだけれど、オススメの声あり。
・鶏肉
・豚肉
・ミンチ
たまに鶏肉並みに安いときがあるので、そういうときにハンバーグをつくる。
ハンバーグにはパン粉を多めに入れたり豆腐を入れたりする。いまだにナツメグとはなにかわからない。
・半額刺身
・サンマ
頭落として内臓とって洗い、キッチンペーパーで水気を切って塩焼きとか。
魚焼きグリルが無ければフライパンでも焼ける(フライパンのサイズにあわせて切って焼く)
盲点だった。この辺は日持ちもするし、とりあえず常備しといても良さそう。
・たまご
安い。いつでも手に入る。なんにでも使える。なんか栄養もあるらしい。もやしに次ぐ神。
でも1日1個までらしい。ちょっと割高でも6個入りを買おう。
(1/10 追記)1日1個は古い情報で、最近はもっと食べても大丈夫らしい。今回もっとも指摘が多かった箇所。
・納豆
たんぱく質。安い。豆だし体にもいいだろたぶん。
・とうふ
たんぱく質。かさましに使う。たまごと一緒にごはんにかけて醤油たらしてかき混ぜて食べるとおいしいけど、人前ではできない。
たんぱく質。うどんとか鍋とかにとりあえず入れるという使い方ができて便利。
カロリーが少ないらしいのでかさ増しに良いかなという気がするんだけど、僕は微妙に持て余すんだよね。
朝ごはんにたまに食べてる。「自炊」というカテゴリ的にどうかと思って省いたけど、そこそこ安価で楽で栄養もあっていいよね。
これも安いのでよく買って食べてる。くだものだと、みかんとりんごも安いときには食べるよ。
・炒める
フライパンにサラダ油を引き、火の通りにくいものから先に入れる。
やむをえずにんじんを使うときとかは、炒める前にレンチンするのが良い。
とりあえず鶏肉と玉ねぎときのこ入れて、ある程度火が通ったらもやしとか入れたら良いのではないか。
たぶん、「焦がす」「肉に火が通っていなくておなかを壊す」以外の失敗ルートはない。
味付けは「醤油とみりんをちょっとずつかける」、「麺つゆをかける」、「味ぽんをかける」、「ケチャップをかける」など。
(1/10 追記)「塩コショウ」「味覇」「味噌」「焼肉のタレ」などなど。
・煮る
鍋はふたがあるならふたをする。アクはとらなくても死なない。
失敗ルート思い浮かばないが、吹きこぼすのは気を付けた方が良い。
味付けはだいたい炒めるときと同じ。ケチャップはやめた方が良いかも。
このあたりは仕方ないので買う。
・タッパー
たくさん買って、まとめ買いした食材を1食分ずつに小分けして冷蔵・冷凍すると、まな板包丁を使う回数が減って良い。
僕は土曜に食材をまとめ買いして切り分け、平日はそれらを炒めるか煮るかして食べることが多い。
・ラップ
タッパーとだいたい同じ。さらにラップをしいておくことで皿洗いの手間を省くという技があるらしいが、
そもそも鍋やフライパンでそのまま食べるので使う機会はあまりない。
便利らしい。いや、便利なのはわかっているのだが、キッチンに置く場所がなくて。。。
1週間分とか。
・気合で全部処理する。
皮をむいて一口大に切るなど、火を通す前に必要な作業はすべてやってしまう。
あとはタッパーがなんとかしてくれる。肉は小分けにしてから冷凍しないと解凍時にこまる。
・小分けにした食材を気分で食べる。
煮てもよし。炒めてもよし。野菜だけならレンチンしてマヨネーズで食ってもよい。
・洗いものはがんばる。
ぶっちゃけいちばん面倒くさいが、回避する方法が思いつかない。
食後にやるのはだるいので、僕は翌日の食事を作る前にやってる。
飯を作る→食べる→シンクに水をためて洗い物を放置→(翌日)→食材を解凍しつつ皿洗い→飯を作る→食べる→
衛生的にどうか。あと虫とかわく恐れがある。おすすめはしない。
僕の場合、週にばんごはん6~7食で2,000円くらい(季節によって多少ばらつく)。
まず、本人に悪気はないと思うし、責めるつもりはない。
(別に下ネタだから、という訳でもないし、それこそ、「匿名ダイアリーで何を言ってるんだ?」という話になると思うし)
「ちんぽこハメ太郎」の初出は、多分、サンマのからくりTVで、子供の質問に対するおじいさんの回答だったと記憶している。
十中八九、おじいさん本人の発想ではないと思うし、「演出」と言う名のテレビの仕込みだろうと思う。
全ての年配の人を尊敬するべきだ、とは言わないが、老人をオモチャにする権利というのもどこまであるんだろうか?
なんというか、「人間としての尊厳」みたいなものが踏みにじられている気もした。
この流れはどこから始まったのだろう?
そう言えば、大昔に「汚えな!婆ちゃん」みたいなセリフが笑い所のコントもあったな(ググっても出ないのが怖いが)。
まあ、分岐点がどうと言っても始まらないだろうが、一方でモラルが破壊され、もう一方で尊敬を払われないお年寄りが暴れる、今の状況も必然だと思う。
いや、正確に言えば、全体的に「他人に無関心」というか(自分も人のことは言えないが)、それを通り越して、「冷酷」な印象。
多分、あえて主語を大きくすれば、我々日本人の大半は仕組まれた失敗作なのだと思う。
ではどうすれば良いのかというと、失敗を失敗と認識していないのが問題であり、失敗を失敗と認識し、