はてなキーワード: アニメ映画とは
天気の子を見た。2回見た。
結論から言うと、ガッカリした。面白くなかった。つまらなかった。
冒頭のバニラから始まり、チキンラーメン、CCレモン、プレモル、カップヌードルetc…
挙げればキリがないが特定企業の商品の描写がまー詳しい詳しい。
穂高は女の子の部屋に行くのに何故かチキラーとポテチを手土産に持っていくし(いくら高校生でも普通ケーキとかじゃない?)、陽菜がそれを使ってアレンジ料理作るところでは思わず苦笑いしてしまった。YouTuberかよ。
乾杯のシーンではこれみよがしにスクリーンに大写しされたほろよいとCCレモンとプレモル!
カップヌードルは2分が美味しいだとかキャラに言わせるのは興醒めだった。
公開前のタイアップCMが俗っぽくて心配だったが、本編はそれに相応しいCM映画だった。
2. 本田翼いる?
ネットでは本田翼の演技が酷いとか言われてたけど、自分はあまり違和感を感じなかった。アニメ映画の芸能人声優ってこんなもんでしょ、という感想。
そのくせやたら出番がある。
もっと「子供と大人の中間」みたいな役割を強調してもよかったし、お色気枠ならもっと性愛的に穂高を導く役割でもよかったと思う。
特に穂高のことなんだけど、あまりに身勝手すぎて感情移入できなかった。
家出の理由が不明なところとか、ご都合的に拳銃を拾うのとかは別にいい。
思春期の閉塞感から逃げ出したのは分かるし手に余る力を手に入れるのはなんとなく陽菜と対になってる。
でも陽菜にサイテーって言われて捨てた拳銃をまた拾ってぶっぱなすのはどうよ?
後で追記する
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 124 | 9224 | 74.4 | 25 |
01 | 63 | 6214 | 98.6 | 21 |
02 | 30 | 4616 | 153.9 | 30.5 |
03 | 20 | 915 | 45.8 | 36 |
04 | 5 | 2353 | 470.6 | 73 |
05 | 9 | 1140 | 126.7 | 33 |
06 | 14 | 570 | 40.7 | 29.5 |
07 | 50 | 1588 | 31.8 | 23.5 |
08 | 48 | 7049 | 146.9 | 55 |
09 | 90 | 8709 | 96.8 | 34.5 |
10 | 110 | 9238 | 84.0 | 29 |
11 | 127 | 8048 | 63.4 | 38 |
12 | 139 | 10816 | 77.8 | 27 |
13 | 94 | 4736 | 50.4 | 35 |
14 | 116 | 6311 | 54.4 | 35 |
15 | 145 | 12327 | 85.0 | 28 |
16 | 69 | 5692 | 82.5 | 36 |
17 | 152 | 7467 | 49.1 | 33.5 |
18 | 98 | 4765 | 48.6 | 29 |
19 | 107 | 4459 | 41.7 | 24 |
20 | 115 | 9806 | 85.3 | 27 |
21 | 96 | 9418 | 98.1 | 34 |
22 | 129 | 7971 | 61.8 | 36 |
23 | 209 | 21579 | 103.2 | 43 |
1日 | 2159 | 165011 | 76.4 | 32 |
ゲイボルグ(4), 花瓶(6), おくさん(3), 轢き(3), クラブチーム(3), ちょいワル(3), 兵力(4), オイスター(3), 恋愛工学(24), ファーストクラス(3), 逸失利益(3), グランドスラム(3), 敬意(34), 安倍晋三(10), 非モテ(44), 走り(11), 平凡(8), お盆(7), 聞け(25), サンドバッグ(5), 除け(5), 工事(6), ジム(14), 迫害(8), 女性専用車両(18), 歪ん(8), 判例(5), 年下(6), 浮かば(5), モテる(9), 走っ(10), 下方婚(15), 夏(11), 歩い(14), 落ちる(9), 土地(8)
■オタクはなぜ検索除けを使うのか /20190820042855(21), ■是是非非 /20190820072037(20), ■野球のことを歌ってるヒット曲 /20190819103746(15), ■いまだに相続税を100%にしろというはてサの馬鹿が多いけど /20190820052114(11), ■目を酷使しない趣味が欲しい /20190820135532(10), ■皇居ランニングってまだやってる人いる? /20190820115447(9), ■頭皮から出る油の量が尋常じゃない /20190819171705(9), ■スマホって欠陥品じゃない? /20190820123818(8), ■「Googleの検索結果はゴミばっかり」みたいな話があるけど /20190820172838(8), ■お前らが言う通り風邪のつもりで気軽に心療内科受診してみた結果wwwww /20190820104805(7), ■高校受験の内申書っていらなくね? /20190820164229(7), ■社会ってこんなもんなの?? /20190819164931(7), ■anond:20190820010429 /20190820011348(6), ■東京オリンピック /20190820084726(6), ■恋愛工学の何が肯定され否定されているか /20190820095103(6), ■映画はもっと少人数で作れ /20190819180319(6), ■進化 /20190820214114(6), ■皇居ランとか、都内ランニングなら夜でも一人で安心して走れるの? /20190820153216(5), ■面白いアニメ映画教えて /20190820120629(5), ■パパ活ならぬ弟活?やってるんだが /20190820165024(5), ■「華」がほしい /20190820114712(5), ■映画を観に行く服装 /20190820193444(5), ■anond:20190820225534 /20190820225650(5), ■ananのセックス特集はなんなん? /20190820150341(5)
6542180(2460)
夏休みだからでしょうか、近隣の映画館がアニメに強くなっちゃって、先週まで週4プロメアしていました。が、今週の木曜でそれも終わります。人生には、とにかく周回したくなるアニメ映画というものがあると思うんですが、プロメアの前はエヴァQでした。とにかくヴンダーがかっこいい。とにかく、ヴンダー発進のシーンが最高すぎる。あれを映画館で浴びるのが良すぎる。だからメチャクチャ通って大晦日の序破Q通しで見られる何かとかにも行ってました。宮村さんがあけおめーしてた。
そんな感じでプロメアにも通っています。週5じゃないのは、せめて週1でもジムに行かなきゃ……と言う気持ちの表れです。プロメアでとにかく浴びたいシーンはリオが射出されてから以降、全てです。気持ちいい!
今日からお盆休み明けですから、たくさん人が出社しているだろうと思いきや、全くいなくて、まだまだ夏休みは続くよ! みたいなノリらしくって、もはやすべてがどうでもいいです。お弁当も作る気力がなかったから、ビリヤニ弁当買って食べちゃいました! ちょ〜おいしい!
アニメ映画に金が投入されるごとに、どんどんプロの声優の立場は低くなっている。
近年のアニメ映画が顕著だが、プロの声優を主役にする傾向はほぼみられなくなった。
何らかのTVアニメの続編だったり、監督の辣腕をふるえるような低予算の独自アニメくらいしか、プロが表に出てくることはない。
邦画やドラマの世界ではずっと当たり前だったけど、それがアニメの業界に入ってきた形だ。
そして徐々にプロが脇役に押しやられるたびに、「プロの声優は声の演技しかできない半人前」というレッテルが貼られるようになっているに感じる。主役を盛り上げる名脇役としてではなく、それしかできないから声優をしているという過去の価値観の再燃だ。アニメが身近なカルチャーになってきたことで、オタクの一文化としての声優という職業というより、臭い演技をする変な声を使う人になってしまっている。
身近にも、プロの声優より素人の下手な演技が好きという人はいるのではないだろうか?オタクにとっての棒読みは、一般大衆にとっての自然の演技なのだ。明瞭快活なアニメ声より、ボソボソと滑舌の悪い素人の地声のほうが受け入れやすいのだ。
僕は仕事を片付けスーパー銭湯でじっくりとサウナを楽しみ、ふろ上がりの食事をとっていた。食堂の大画面テレビにサマーウォーズが映し出されていた。新幹線に乗って田舎へ向かうシーンで、冒険が始まるワクワク感が高まって仕事で嫌なことも忘れて画面にくぎ付けになっていた。そういえば今日放送だっけと思って、御飯を一気に書き込み自転車を飛ばして自宅に帰ってテレビをつけた。
テレビを見ながら気持ちはほぼ10年前の夏に戻っていた。ああ、確かサマーウォーズを見たのは大学のときで、先輩がDVDをもってきて見たんじゃなかったか。サマーウォーズがすごく面白いと感じるのは、人生で一番楽しい時を過ごした思い出の一部だからだよなと納得。思い出補正というか、おじさんがこれまで過去の作品を過大評価していた原理を理解してしまったことがうれしいやら悲しいやら。
大学生の若造から立派なおじさんになっていたので、SF設定とかはちょっと無粋な突っ込みをしたくなってしまう。スパコンを使ってゲームするのはこいつら計算量でバトルしているからなのか? 放熱計算を考えたら氷で空冷はキツいのではとか、いったいOSは何を使っているのだろうとか考えてしまう。だけど、これだけ夢のあるSFを10年前に描けたのはすごい。
理系大学生だったら一度は自宅にスパコンのある生活を夢想して、OSがlinuxだと知って落胆するよね。
この手の映画で唯一不満なのは、ちょっと主人公は数学の難しさを難しさと感じさせないところ。スラスラと問題を解いて解決するよりも、計算ミスに足をすくわれたり、解き方に悩み尽くしたその先でひらめいたり、というシーンはあったのだろうか。問題を解決する醍醐味っていうのはその挫折と絶望と再挑戦にあると思うんだよね。主人公は「あきらめちゃだめ、数学の問題と同じ」みたいなことをいうわけだけど、彼が悩みに悩みぬいて解決できたシーンがあればもっと盛り上がるのではないかと思う。
ちなみに、僕が一番好きなシーンはラストの花札バトルでなつき先輩が変身するところ。花札は全然わからないし変身もバトルに全然関係ないんだけど、手に汗握ってみちゃう。
そして、一般の方もどうぞ的なアニメに見せかけてしっかり僕のようなキモオタも喜ばせてくれるところがすごくいいと思う。
昨今売れているアニメはSFというかテクノロジーよりも「不思議」ばかりが全面に出ている気がする(何の作品を指しているかは皆さんのご想像次第)ので(?)、面白いアニメ映画があったら教えてください。
※通常上映見ればよくね? というのは承知の上で書いてるからそこを気にするな。
いまをときめくアニメ映画の応援上映に通っている。映画そのものにひとつの文句がないどころか100点満点中5000兆点であること、自分が応援上映という文化が好きなどの理由からそうしている。応援したい気持ちを表明したり他人が推しに狂っている姿を見るのは楽しい。
しかし発声可能上映は「発声可能」ゆえに厄介遭遇率が非常に高いというのがネックである。有名どころは『バルト全レス厄介女』
ここ最近の私は席ガチャ運が最悪で、上映中に連れと感想戦を始める感極まった厄介に遭遇し続けており、いい加減に辟易してきたのでこんなものを書いている。
ちなみにその映画では上映中の注意事項がキャラクターによって説明される。観客が発声していいのは「歓声&応援」であることはきちんと説明されるし、公式サイトにもそう明記してある……つまりその厄介たちは、自分たちの雑談が「歓声&応援」だと思っているのだろう。ならば自分と連れにしか聞こえていないつもりの声で話さず、堂々とキャラクターに届くように言えばいい。それはあなたが考える「歓声&応援」なのだから。
私はキャラクターのパフォーマンスやMC以上に価値のある声があの空間にはないと思っているので、それを妨げる「雑談」は本当に不愉快だ。
ここまで読んで、あなた方が考える「応援」が適切ではないと思われたのであれば、1度コーレス以外発声しない、通常上映に行って発声しない訓練をするなど、自分のマナーを見つめ直すことをオススメする。
正直なところ、リピーターが増えてるからこその雑談増加だとは思うので、雑談する余裕がある人は1度見るの中断してほしい。私のために見にこないでほしい。見にくるなら静かに応援しろ。お前の声にキャラ以上の価値はない。静かに応援しろ。
描きたい内容を単純化しつつわかりやすい折り目をつけ、誰でもついていきやすい速度でありながら明確な変化を持って描かれる最大公約数的なストーリーテリング。画面を広く使いつつ視点を大きく動かさないようにする雄大なカメラワーク。日常と幻想の間に半透明の敷居を置き両者をはっきり区別しながら横へと並べる非連続的な非日常性。これがいい意味での細田守らしさ。
ショタコンにしてケモナー。自意識過剰なキャラクター。誰もが承認欲求に飢えているという断定の元に進む構ってちゃんストーリー。全てを自分の口で説明してしまう自信のなさ。ヒステリックさと寛容さの両極端。これが悪い意味での細田守らしさ。
未来のミライを面白かったと言えるかの全ては、細田守の悪癖、性癖、嗜癖を理解した上で、その発露を作家性として消費することが出来るかにかかっている。逆に、そういったものに対して一切無頓着に、ただ何も考えずに綺麗な映像が流れる2時間のパラパラ漫画だと思って鑑賞するかだ。
未来のミライには細田守の内面”だけ”が描かれている。”だけ”である。この映画は主成分が細田守なのではなく、すべての成分が細田守なのだ。全スタッフの労力、作業は製作の過程で全て細田守分として返還されてしまう。そこに慈悲はない。この映画は全力で細田守であり、それ以外のものが含まれることは認められていない。実際、この映画の制作にあたってスタッフに細田家のホームビデオが見せられたというエピソードすらある。スタッフが「家庭」というものに描くイメージを、「細田家の家庭」というイメージで塗りつぶし、他の家庭から異物を混入されることを防ぐ徹底した管理体制である。
甘えん坊でわがままで自分を認めてもらいたくてたまらない子供は当然細田守であり、彼の成長を通して鑑賞者から贈られる称賛を求めているのも細田守自身なのだ。彼が作中では徹底して直接その苦しみを認められることがないのは、そういうふうに世界を見る細田守が細田守の中に居るからである。電車好きである点などは細田守の実子がモデルとなっている。彼にとってこの映画は自分の子供が成長する姿を通して「かつて自分が子供だった頃に成長したことを客観的に見ることになった」という事実を描いたものでもあるのだ。ケモナー成分を取り込んだりハチゲームでクネクネしていたりと(ショタコンケモナー向け)サービスシーンも多く、彼が主人公であるということは、細田守にとってはケモナーやショタコンであることが自己同一性の核であることを示す。
客寄せパンダとして使われまくったのに、出てくるシーンは意外と少ない。未来という名前、赤ん坊であること、婚期を逃すことを気にする発言、最終的にくんちゃんに血縁上のつながりを思い出させる役目、これらの要素から「男女の関係によって子孫を残すこと」のメタファー、ひいては「(ショタコンではなく)普通の人間として生きること」のメタファーであることが伺える。同時に「世間で受け入れられ、未来に繋がる作品」のメタファーでもある。最初にキャッチコピーとして登場し、最後のクライマックスにおいてただの細田守回顧録であった映画を一般向けの娯楽映画へと引き戻す役目を追っていることからもこれが分かる。
仕事人間であり、子供の親でもある細田守。一般的役割に対して性別が反転しているのはジェンダーフリーというよりも、それぞれに細田守に繋がる要素をもたせることで、どちらもを細田守にするためである。時折ヒステリックなのも妙に余裕ぶってみせるのも、自分たちが変わってきたと殊更に言うのも、全て細田守の独り言なのだ。
オスケモ。王子だったという発言は、細田守の中で最も大事なものがケモナー性癖だったことの暴露である。それにかつてという言葉をつけるのは、今の自分はそれを卒業したという自負である。
ホモホモしい外見、言動、であるのだがそれがハッキリと語られることはない。ここまで赤裸々にショタコンもケモナーも自己開示してきて、それをあえて語らないのは、細田守の中において自分のホモセクシャルへの興味がまだ疑問の残るものであるからである。逆に言えば「それすらも」赤裸々にスクリーンに映し出したのだ。
上で述べたようにミライは『普通の家庭』や『世間一般の価値観』のメタファーであり、それが細田ハウスに持ち込まれるのは、ショタに興奮だけしていればよかった世界の終わりを意味している。ミライファーストの生活を否定する姿は、一般向け要素を散りばめた映画を作らされてきた細田守の姿である。その中で雑な反逆に出ては怒られる。悪い意味で細田守らしい映画を作ってきたことへの反省と、それに対する怒りが描かれる。『自由にショタでケモいアニメだけやらせてくれ』、くんちゃんが繰り返すミライ否定発言はつまる所こういうことなのだ・
『雛人形を毎年1日ずつ出し続けていたら1年ずつ婚期が伸びる』という会話は、ずっと結婚できないということを意味している。それを片付けてミライちゃんが未来で結婚できるようになった。これは、細田守が自分の中で幼少期から積み上げてきた結婚感を今一度棚卸しして、普通に恋愛をして普通に結婚をする人生を受け入れたことを意味している。作中に置いて、未来ちゃんが過去にやってくるのは、細田守の中で過去の細田守と共に今の細田守が気持ちの整理をつけた経験を描いているのだ。そこに犬が加わっている理由は、それが彼の性癖に置いて重要な意味を持つからである。普通に見ていると何がしたいのかわかりにくいシーンも、このように整理していくと理解できる。これが未来のミライの面白さだ。
これもうそのまま細田守が自分の親に対して「心の中で」やっていたことです。自分が親になって子供を持つ身となってそれで子供の頃の両親の大変さとか知って感謝してーっていうアレです。そのままかよ!そしてその中で全部セリフにしちゃうのかよ!このシンプルさ!観客への信頼の無さ!そして自分の表現への自信の無さ!これもまた細田守なんですわー。自分がちゃんと愛されているか不安だとそのまま口にするのは、自分の映画がちゃんと観客に伝わっているのか不安だっていう宣言でもあったりするわけで。メタいぜー。
ホモホモしいアンちゃんとの初体験。遠くを見据えろと語られるが、そのさきに見えるのは廃墟。この道の先に未来はない。細田守も分かっている。ショタコン一本では子孫は残せない。アニメだって歴史に残らない。分かっている。分かっているけど、そうして進んだ先で結果を出したのが今の細田守だろ?そんな叫びが聞こえてくる。補助輪無しで突き進むには、遠くに廃墟を見据えなきゃいけなかったんだ。そうしてバケモノの子が生まれてしまったんだ……。
自分を見失ったとき、戻ってくるためには家族の名前を呼ぶ必要がある。自分に流れる血の繋がりを思い出す必要がある。そして、そのためにはミライを認める必要がある。ミライは「普通の家庭」「普通の価値観」のメタファーであり、自分がそれと深くつながっていることを認めることが、自分を取り戻すためには必要だと、最後の最後で認めることになる。途中からひたすらショタキャラメインで妙な話ばかりしていた映画が、ここで突然なんとも一般受けしそうなキャラと共にさもストーリーがしっかりとある映画であるかのような物語へと戻っていく。細田守の敗北宣言だ。人間としての細田守がここにいるには、彼の父親や祖父がショタコン一本で通さなかったからである。映画監督としての細田守がここにいるのは、デジモンやサマーウォーズといった一般向けに迎合した作品を作ってきたからである。自分が今ここにいるなかで、ケモナーであったことや、同性愛的な面を抱えていたことはたしかにあったが、それでも『普通』を受け入れてきたからだ。そう認めることで、見失っていた自分は取り戻される。そして、和解は結ばれた。ケモノやショタへと一度は預けられた細田守界の王位継承権は、最後には『普通の未来』へと託された。
凄まじい映画だった。「作家性の塊」と呼ばれる映画はいくらでもあるが、純度99%作家性の劇物はそうそうはないだろう。アニメ映画というと娯楽作品ばかりで、文学性や哲学性を謳っておきながら結局は娯楽作品に片足と重心は置きっぱなしにした作品ばかりな中で異彩を放っている。そんな世界にこんなものが現れたらそりゃ受け入れられないだろうな。ましてそれを作った人間の最大のウリ文句がサマーウォーズや時をかける少女なんていう痛快娯楽一般層向け作品なら。サマーウォーズや時かけ期待してこれ見に行ったら羊頭狗肉も良いところだって怒りたくもなるだろうな。
この作品には作家性以外を求めちゃ駄目なんだよ。日本の広告業界や映画業界はそれを頑なに伝えようとしなかった。そこは紛れもなくEVILだね。
ミライちゃんがただの客寄せパンダであり、その使われ方も「はいはいこのへんでパンダ投入すれば良いんだろ?」っていう態度で行われることに、細田守の中に渦巻いた鬱憤を感じ取ろうっていう気概を最初から持って見る分にはね、いい映画なんですよ。
そこは分かってあげて欲しい。
でも娯楽映画としては本当に駄目だけどな。俺はこれを娯楽として楽しむことは出来たけど、それは正しい意味での娯楽じゃなくて単に俺の見方が捻くれてて性格が悪いから娯楽に出来ただけだわ。素直な心の持ち主が素直に楽しめる娯楽映画を作った方が最大多数の最大幸福だよ。新海誠の君の名はと、細田守の未来のミライ。このコントラストはある意味美しいけどね。