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はてなキーワード: 障碍者とは

2021-04-19

anond:20210419114457

乙武の「五体不満足」がベストセラーになったのもそれだったな。

障碍者でありながら自己評価を変に低くしない。多少の不便を強いてでも、事故肯定感を優先した教育を受けられてラッキーだった奴の話だった。

やっぱそのあたりが永遠テーマになるんだろう。援助を永遠に与えることがテーマになるんじゃなくてね。

anond:20210418231020

ありがとういうのがめんどくさいとかいちいち言うのが苦痛とかのあの話だけどさ

あれ自己評価が低いんじゃない?

障碍者の僕なんて生きてる価値がないみんなに必要とされてない産まれてきてごめんなさいって感じでさ

みんなに有難い手を差し伸べてもらえる自分はみんなに大事にされてるみんなが自分特別だと必要だとしてくれてるのに対して

自分はそんなもんじゃない有難いことなんかされるような身分じゃないって貶めてるからその差分を埋める気持ちがしんどくなってる気がする

してもらってありがたいうれしいたすかる だからありがとうっていうのは五体満足でもあるわけじゃん

自分ができないことをしてもらってありがとう それをいう頻度が高いってことはたしかにお前無能か?ってことではあるけど

それをしてもらえる、お金解決してもらえる、そういうことって自分みたいな有難くもないやつにしてもらってそれなのにありがとういうのしんどいというのはもうメンタルが痛んでそう

コーヒー淹れることすらできねえのかって 100円でコーヒー淹れたてと交換しても「コーヒー一杯すら自分で用意することができないクズですう」って泣きながらありがとう言うわけじゃないしょ

道を譲ってもらったり席を譲ってもらったりしたら「ありがてえw」とさも得をしたように自分がその幸運を手に入れることがさも当然のように自然「ありがとう」が出て来てるんじゃないのかな

あのJR騒動ありがとうをぜったいいわないマンは逆に「わたくしはみなさんがプルプルしながら全筋力で下から持ち上げ支えてくださって当然の身分でしてよ」って考えてるからありがとうがでてこないんじゃないかと思う

どっちにしてもさ 目線の高さを自分勝手他人と違うって みんなとは違うってそう見てるから出てこないんじゃないのかな

ほんとはさ そういう目線の違いを 差別って言ってたんじゃないのかな

エコ感謝生活を聞くべきだと思うよ

https://www.youtube.com/watch?v=eniRkclrIO4

障害者ってコミュニケーションスキルはなくてよいってこと?

伊是名夏子を擁護している人は、障害者コミュニケーションスキルは無くて良いと考えてるってことだよね。

物理的にスキルを得られない知的障碍者は仕方ないけど、身体障碍者スキルが無くて良いってのは納得いかないなあ

ドコモ情報弱者から追加料金を取るのはよくてJR身体障害者から追加料金を取るのは許されないのはなぜ?

通信機器も今や公共交通機関なみの必須インフラだよね?

それなのに情報弱者から搾取するのはなぜ許されるんだい?

受益者負担かいうなら身体障碍者だってそうなのでは?

2021-04-18

anond:20210418213413

かにあてがうのは障碍者女性に対する差別

弱者男性存在自体有害だが、障碍者は生きてるだけなら無害だし。

障害遺伝する確率は高くないから、妊娠能力があるなら社会にとって有益である。。

わがまま障碍者のことを、物言う障碍者といえばなんだかカッコイイ。

もともと、クレーマーとは物言う消費者のことだったし、クレーマーのお陰でいろんな企業製品はより良いモノになった。

モンスターペアレントは、物言う保護者のことで、歪んだ学校制度改善に大いに寄与した。

わきまえる生き方をしていては、世界は何一つ変わらない。

みんなもっと声を上げていこう。そのためのSNSなのだから

anond:20210418094553

こういうことをやると、自分で手足を傷つけて障碍者になろうとする輩が続出するんだなあ

貧しい国を旅行すると物乞い多く見かけるのだが、彼らの多くは障碍者で、親が物乞いに有利なように子供のうちに手足を損傷させて稼がせるのだそうな

anond:20210416132847

障害者障碍者以外も各人自由発言で良い

全体の方針なるものにまとまる必要なし

障碍者意見をまとめ政府社会交渉するような部署を作ると、

そこが健常者の脅迫や懐柔で屈し、

障碍者意見に見せかけ実は健常者の利益のために活動して障碍者弾圧する場所になるから

個々が好き勝手意見する状態のほうが強い

障害者がまとまっても大した権力にならないし、なるならなるでそこは一大勢力でやってればいい

2021-04-17

権利は勝ち取るもの問題ないと思うんだが

物を言うのは大事だけど、相手負担も考えず一方的立場から発言配慮が足りない。

若い障碍者は頭を使ってほしい。

これは、論争じゃなくて対話未来を考える上で重要

権利は勝ち取る物でなく分かち合う物。

権利は勝ち取る物ではない、というのなら裁判必要ない

明確に言い切りすぎるのもどうかと思うが、敢えて言うなら、

権利法廷で勝ち取るもの

というのが法治国家ではないのか?

そもそも、この世界が、分かち合う、譲り合う、相手配慮する、で解決できるんだったら、台湾有事なんて起こらないわけで、

争いごとは法廷戦争しか決着はつかない、これは自明だと思う

では、暴力はどうなのかといえば、法治国家での暴力警察軍隊といった暴力装置によって規制されるべきであり、

むやみな暴力を許す法治国家というのも一般的にはありえないわけで、

結論としては、権利というのは法廷で勝ち取るものであり、議論口論には限界ありすぎる

また、戦争とは外交の一手段であり単なる暴力とは違うのである

あと、「若い障碍者は頭を使ってほしい」みたいな物言い障がい者雇用でも企業側によく言われるのだけど、

少なくとも凡人がちょっと頭を駆使して解決できるような悩み事なら、障がい者になんてなるわけないし、

そんなこと言われなくてもとっくに解決している話なわけで、

上述の文章は、障がい者黒人アフリカ系アメリカ人に置き換えてもそこそこ互換性のある話だと思うんだけど

結局は、障がい者配慮するコスト、と、障がい者への配慮は健常者には無駄しかない、というのは両立しうる話であって、

互いの利益不利益が衝突する話でしかないのに、

障害者は頭を使え、

障害者側が配慮しろ

というのは難癖の付け合いと同じである

争うなら法廷で、しかない

漫画の話に例えるのもなんだが、

例えば銃夢モータボール編でジャシュガンがガリィに、自由とは何なのか?をうまく説明している

(このへんの元ネタ荒木飛呂彦ジョジョなどにあったのかもしれないが

自由というのは、それを手に入れる、勝ち取るために足掻き、もがくことを自由という、みたいなトートロジーだった気がする

しかし、これは言い得て妙であって、少なくとも白人社会での自由定義をうまく説明しているように思う

そもそも日本には「自由」という単語黒船が来るまで存在しなかった

それまでの日本は上に従うのが当然であり、例えば関所などは移動の自由を大いに侵害していると現在なら考えられるが、

当時の日本ではそれが当たり前であり、∀ガンダム地球人側ではないが、そもそも日本人とは白人に比べれば、そういう点で蛮族だった

フリーダムリバティーという単語に相当する単語がなかったため、「自由」という単語造語したのである

しかし、この「自らを由とする」という漢字による当てはめも素晴らしいものだと思う

現代では、少なくとも法治国家においては、権利自由法律で争い、勝ち取るべきものなのだ

他人への配慮だの、分かち合いだので、自動車事故解決するだろうか?よく考えてみてほしい

そして、この勝ち取るために足掻きもがくという行動に対し、法律の下であるならば、何人もそれに規制制裁を加えてはならない

この社会にはルールがある、

しかし、ルールを守らない人は当然存在するし、ルールというのが文章である以上、解釈複数存在しうるのである

法学部でなくとも、法律を学ぶ、研究するというのはそういう意味があるのである

ルールを書いたら終わり、ではない

性悪説で考えるなら、ルールを書いても人はルールを守らないだろう

では、守らない人をどうするか、という所から暴力装置の必要性などに話がつながる

ルール解釈複数ある、ぶれる場合どうするか、

となれば、これもまた法廷で争い、解決するべき事案でしかない

権利自由は寝ているだけでほっといても与えられるものではない

権利自由は勝ち取るものであるから

それから、今ただただ与えられている権利だって過去に勝ち取った権利を多く含んでいるのだ

我々はその積み重ねで生きているわけだし、

これから永遠に積み重ねていく必要がある

anond:20210417110944

からそういう風に思うのはお前がわざわざ障碍者に肩入れしてるから

お前の気に食わない奴が変なパフォーマンスしてたら「そんな悪手でみんなの理解が得られるわけねーじゃんw」って簡単に切って捨てちゃうんだよwww

anond:20210416132847

いちばん理解できたもやもやは「旅行とかじゃない必要な移動すら、こっちは命かかってんのに」ってとこ。

かに視覚障碍の場合、命を落として初めて、世間耳目を集めるってパターンになってしまう。

耳目集めてなお、ホームドアがすぐさま設置されるわけでもないしね。

それでも私(非障碍者)が、伊是名氏のパフォーマンスを支持するのは、無関心よりはいいのかなということ。

バニラエア木島さんの時も、いっときは関心をもたれたけど、あまり続かないよね。非障碍者にとっては他人事から

悪手でも関心を引いた方がいいのかなと。当事者でもないのに勝手な言い分と思うけど。

「ぶつかった後心無い言葉を浴びせられた」などの事例は、無関心や想像力の欠如から来てると思うから

この件で初めて、これまで考えても来なかったこと、障碍ある人の外出の困難さを考えてみた人もいるはず。私もあらためて考えさせられたよ。

伊是名氏への苛烈批判は、障碍者への「偏見」というより、

「人に迷惑をかけてはいけない、自分で頑張れるだけ頑張れ。できることはすべてやれ。助けを求めるのはギリギリ最終手段」という社会空気によるものだと思う。

「助けを求めるなら、頭下げろ。謙虚にしてろ。申し訳なさそうにしろ」というね。

その空気を変えなければ、障碍者に対する心のバリアも低くすることはできないんじゃないか

もちろん、伊是名氏の行動は、もともと障碍者に対する心のバリアが高かった人のバリアを、より強化したことは否めないけど。

あとは怖かったのが、私も障碍者にこんな迷惑かけられた、暴言吐かれたとかいう事例を書く人が出てきて、同調する人もいたこと。

目に見える障碍があり、サポート必要とする障碍者悪態って、数少ない悪例だけでこんなに悪印象を残してしまうもんだなと。

駅員に悪態つく事例とか暴力は非障碍者の方が圧倒的に多いはずなのに。やっぱ「助けてやってるのに、余分な仕事してるのに」その態度かよって意識があるんだよね。

よくも悪くも印象に残ってしまうからこそ、伊是名氏のパフォーマンス諸刃の剣増田が憂慮するのも当然だよね。

視覚障碍をもつ方へのサポートの仕方とか、参考になった。こういうの練習できればいいのにね。

実際サポートしたことあるけど、慣れてないからあまりうまくいかなくてお互いハッピーじゃなかったように感じた。

2021-04-16

増田リベラルは俺らを助けろ!」

仮に善きサマリア人みたいな聖人がいたとしてだ

施しをしたところで口を開けば不平不満を漏らし、あまつさえ自分に対して服従サイン勘違いしてマウントとり始めたり横暴になる醜い増田みてぇな他害性精神障碍者

施しに感謝を示して一生懸命恩に報いようとする人間、どっちを優先してリベラルは助けると思うよ?

人間扱いしてもらってるだけありがたく思った方がいいんじゃねえの?

増田みたいな病んだ精神障碍者とか一昔前なら拘束具つけて座敷牢inだべ?

JR障碍者差別女子いじめ自殺の根っこは同じ。弱者属性の人が証言しても無視する社会

「親が虐待しているらしい」→じゃあイジメ被害者側の証言無視していい

JRに不満を訴えている女性車椅子に乗ってる」→障碍者意見なんて聞かなくていいJRが正しい

看護師ら男6人が暴行してくる」→精神障碍者証言など無視しろ看護師がそんなことするわけない

https://news.infoseek.co.jp/article/47news_kd-47reporters-20201029150320/

伊是名夏子さんの件でもやもやしている

もやもやしている

私は本当にもやもやしている。発端は例の伊是名夏子さんのこの投稿

http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html

バリアフリーは推進されるべきだ。その方向性異論はない。そしてバリアフリーを訴える目的はよいと思うし、その目的批判している人はほとんどいない。

でもこの記事最初に読んだ時、「これは炎上するな」と思った。

そして案の定炎上した。

私のこと

片目の視覚障碍

私は、きちんとした教育を受けそれなりの大学を出て、結婚もして家族もあるし、収入はそこそこあり持ち家にも住んでいる。

いわゆる「強者男性」に分類されるのだろうと思う。

私は自分社会的弱者というつもりは全くない。

ただ片目があまり見えない。病気というか、発達障碍というか、弱視という視覚障碍がある。ちなみに弱視というのは、眼鏡などで矯正しても視力がでないことをいう。

だが片目だけの視覚障碍なので、私は身体障碍者ではない。健常者だ。もっとも正常な方の目も、近視、乱視はいって矯正しないと0.5ぐらいなので、そんなに見えるわけではないけれど、視力矯正できるかできないか全然違う。

普段生活には全く支障はない。

もっとも、もしかすると両目がきちんと見える人よりも、遠近感の把握ができなかったり、視野が狭いのかもしれないが、両目見えていた経験がないので、違うのかは全くわからない。

視覚障碍があってよかったこ

不自由はないといいつつも、ほんの少し、両目が見えたらいいのにと思うことがある。例えばVRゴーグルをかけてみた時などにそう思うことがある。でもそれは総じて大したことではない。

逆に見えなくてよかったと思うこともほとんどないのだけど、ひとつだけ、心からよかったと思うことがある。

私は、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目を持っている。社会を、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目で見ることができる。それは本当によかったと思う。

視覚障碍の目で街を歩く

私は、時々、自分の健常者の目をつぶり、視覚障碍の目だけで街を歩くことがある。特に、今回は、もやもやし続けているので、いろんな場所で何度もそうしている。

通しでやったことはまだないが、眼帯などで健常者の目を隠し、視覚障碍の目だけで自宅から会社まで通勤するのは可能と思う。

記憶と音や他の感覚で補いながら歩く

なぜ可能と思うかというと、私は、自宅のドアを開けたところから会社入り口まで、健常者の目で何度も通勤しているので、途中の、道路通路の硬さ、すべりやすさ、段差、②曲がるときの角度、直線で歩くべき距離、③階段のおおよその段数やエスカレーターなどの位置、こういうものを覚えている。

見えないものは、記憶で補いながら歩く。ゆっくり歩けば、弱視の目でも歩くことができる。

そして音は重要だ。自動車が近づいてくる。こういうものは音で判断する。

自転車は、音が小さいから、怖い。電気自動車も、音が小さいから、怖い。

大変なのは情報を得ること

電車時間も、発着ホームも、だいたい覚えているので、目的電車に乗ることはできる。ただし、遅延などが発生し、行き先が違う電車普段とは違う時間にやってきたりすると、困る。

そういう時は駅員さんしか頼りにできなくなるだろう。

本当の視覚障碍者の人は、情報を得るのにとても困るだろうなと思っている。ホームに駅員さんがいれば聞くことができるのだろうけど、いつもいるわけではない。視覚障害者はそうたやすホームを歩けないので、同じホームに駅員さんがいても、距離が離れていたら聞くのは難しくなる。

少なくとも私は、視覚障碍者の目で歩くとき普段と違う状況になると状況を把握できず、いらいらする

声をかけて

私が、視覚障碍者の目で歩くときは、記憶と、耳と、手と、足の裏の感覚と、それ以外の感覚も総動員しながら、歩く。

から情報が少ないのを、全身の他の感覚で補おうとする。

集中しているので、いきなり肩や腕をつかまれたりすると、とてもびっくりするだろうと思う。怖いと思うかもしれない。

もし皆さんが視覚障碍者に何か情報を伝えたい、手助けしようと思ったら、白杖身体をいきなり触るのではなく、まずは声をかけてほしい。もし声をかけて手助けを断られたり、声をかけるのを躊躇するなら、見守ってほしい。

ホームの端が見えにくい

私の弱視は、光線の具合で、見えたり見えなかったりすることがある。

広い平坦な場所で、突起に気づかずつまづくぐらいなら笑い話かもしれないが、ホームの端がみえにくくて転落することがあれば、それは生命問題に直結する。((ホーム線路の彩色、彩度が似ていると、ホームの端がわかりにくい。))

その対策だが、蛍光色で10cmぐらいの幅のラインを描くことで、ホームの端の視認性はかなり上がる。これをCPラインというらしい。

一部、導入されつつあるが、まだまだ普及がすすんでいない。

https://ameblo.jp/milkyht2/entry-12244392124.html

ホームドアがあれば死なずにすんだ命も多い

CPラインよりももっと効果的な方策がある。ホームドアだ。

ホームドアは、視覚障碍者のためだけではなく、酔っ払いなど一般の人の転落事故も防止する。ホームドアがあれば死なずにすんだ命は多い。できる限りペースを速めて、設置してほしいと思う。

ネックは、ご存じの通り、多額の費用がかかることだ。

でも、生命にかかわることだから優先順位は一番高くていいのではないかと思う。

日本視覚障害団体連合ホームドアの設置を求め続けている。2020年7月の阿佐ヶ谷駅での視覚障碍者の転落死亡事故をうけて、同年9月にも国土交通大臣要望書を提出している。こういう働きかけは大切だ。政治企業への働きかけは、絶え間なく行わないといけない。

働きかけを行うべき先は、政治企業しかるべき権限もつ者=責任者であるべきだろう。「なんでホームドアがないんだ!」と現場で駅員さんに怒鳴っても、何も改善しない。

http://nichimou.org/notice/200923-jimu/

ホーム上の点字ブロック

歩道施設などの通路ホーム上にある点字ブロック日本発祥のものだ。これはよい発明だと思う。かなり普及しているのも評価したい。

また、2016年に近鉄大阪線河内国分駅ホームから視覚障害者が転落死した事件をうけ、対策として「内方線付き点状ブロック」設置を推進していたが、これはかなり進んだと思う。評価したい。

https://www.sankei.com/affairs/news/161017/afr1610170045-n1.html

でも、「なんでこうなった?」というような謎な点字ブロックも多々ある。そんな役に立たない点字ブロックや、かえって危険を作っている点字ブロックがある。

ホームなどの点字ブロックの配置についてはガイドラインがあるが、まだそれが守られていないことがある。2019年の京成立石駅視覚障碍者が転落死した事件は、規格外ブロック問題と指摘された。

https://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=14s53i742ax788in6

ガイドラインに沿っていても、転落事故(死)が起こることがある。視覚障碍者は、目から情報が少ないため、点字ブロック認識しつつも、現在地と歩く方向を間違い転落することがある。

点字ブロックはとても有効設備だが、点字ブロックだけでは転落事故はなくせない。

https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/437710.html

次に、弱視から視点追記したい。

点字ブロックは、黄色のものが多い。(私も健常者の目で見た時はそう思うが)黄色ブロックは、色がガシャガシャして、うるさく感じないだろうか?

そこで、街並みをおしゃれにするため、点字ブロック歩道の色と合わせて設置することがある。最近増えた感じがする。

でも弱視者には、これがわかりづらい。

視覚障碍者全盲の人ばかりではないという認知もっと広まってほしい。

視覚障碍者は見えないのだから点字ブロックは何色でもいいのでは?」と思わないでほしい。

少ない視力を使って点字ブロックの上を歩きながら、足の裏の感覚などで点字ブロックの助けを得て歩く視覚障碍者もいる。

私には、色がガシャガシャしていても、黄色の方がありがたい。

白杖について

視覚障碍者は、道路交通法によって、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることが義務づけられている。(第14条第1項)

また、視覚障碍者でなければ、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることを禁止されている。(第14条第2項)

さきほども書いたが、視覚障碍者全盲の人だけではない。ロービジョンといわれるのだが、若干の視力はあるのだが日常生活に支障がある人がいる。白杖の使い方は、人それぞれだ。

ところで、視覚障碍者白杖を持つ理由は次の3つとされている。

https://nippokai.jp/wp/formembers/canes/

  1. 視覚障害を持つことを周囲に知らせる
  2. 触覚を通じて路面の情報収集する
  3. 路面上にある障害物を検知する

障害物もなく、路面が確かな場合ロービジョン視覚障碍者は、白杖を「視覚障害を持つことを周囲に知らせる」だけに使うことがある。つまり周囲の人に自分存在を知らせるために、白杖を動かさず抱えることがある。

それを白杖を使っていないと思わないでほしい。白杖で地面を叩いていないからといって、「こいつは視覚障害ではないのでは?」なんて思わないでほしい。

白杖を持つ人が近づいてきたら

点字ブロックの上や近くで立っていたり、荷物を置いていたりしていないだろうか?

いわゆる歩きスマホはしていないだろうか?

視覚障碍者は、器用にぶつからないようにしたり、避けたりするのが苦手だ。

視覚障碍者安全に歩くためには、健常者の人の協力が必要だ。

もやもやしているのはなぜか

伊是名夏子さんの投稿とその後の議論、動きなどみて、私がもやもやした理由は主に次の3つになる。

バリアフリーとは?

私が、ここに書いた話題は、全部が「視覚障碍者にとってのバリアフリー問題だ。

伊是名夏子さんの投稿は、さまざまな議論を呼んだが、その議論は、エレベーターとかスロープとか、「車いす利用者にとってのバリアフリー」だけしか議論されていないでは?と感じた。

かに伊是名夏子さんは自分自身の障碍のため、「車いす利用者にとってのバリアフリー」を問題にしている。それは当然だと思う。

でも、「バリアフリー」を必要としている人は、車いす利用者だけではない。視覚障碍者も、聴覚障碍者も、妊婦精神障碍者なども、「バリアフリー」を必要としている。

それぞれの障碍やハンディキャップが違えば、「バリアフリー」として求めるものは違う。でもそこまで広く捉えた「バリアフリー議論ほとんどなかった。

いつでもどこにでも自由に行ける自由はとても大切なことだと思うけど、毎日、命の危険を感じながら鉄道を使う人のことも思い出してほしい。

からもやもやした。

伊是名夏子さんの手法をもてはやすことは何を呼ぶか?

案の定、伊是名夏子さんの投稿炎上した。あの投稿批判的に見る人は、来宮駅を巡るトラブル作為性を問題にしている。作為性とは、バリアフリーを訴えるために、わざとトラブルを起こしたのではという見方だ。ご本人は否定している。しかし私も実は、作為性はあっただろうと思っている。

現場でのトラブルを、乗車拒否などの強い言葉を使った非難を行い、耳目を集める手法というのは、そのトラブル作為性を巡って反感を買いやすい。

伊是名夏子さんご本人が、それが戦いだとお考えになることは、批判できない。こうしなければ、耳目を集められないという気持ち理解できる。

しかし、何かバリアフリー課題改善したいと考えた時、この手法が一番効果的となってしまえば、他の障碍者も(少々作為性があろうと)トラブルを起こし、それを声高に訴えないといけなくなってしまうのではないか? 私は、そういう状況が本当のバリアフリー社会とは思えない。

そして、あの手法に反感をもつ人と、支援する人との分断は、更に広がったように思う。

分断されたバリアフリー社会とか、笑えないブラックジョークだ。

からもやもやが続いている。

個人攻撃している人にも協力を願う矛盾(心の中のバリアフリー

伊是名夏子さんの投稿に対しては、私も批判的だし、批判する人の気持ちはわかる。

一方、こういったネット炎上が生じると、その人の過去の行動を洗い出し、それらも併せて執拗非難するような行動がよく見られる。晒しと呼ばれる行為だと思う。

かに、伊是名夏子さんの過去の行動で、「それはよくないな」と思う事例はいくつか見つかった。

しかし、既に法的には時効を迎えたと思われる古い過去を、声高に非難する合理性はないように思う。

話は変わるが、視覚障碍者投稿を読むと、白杖を持って歩いている時に誰かとぶつかった後、その人から心無い言葉を浴びせられたという投稿がいくつも見つかる。

他の障碍者ハンディキャップを持つ人も、そういう経験をしているのだろうと思う。

そんな心無い言葉を浴びせる人は、たぶんその人の心の中に、障碍者への「偏見」というバリア障壁)を持っていると思う。

心の中のバリア障壁)は、目に見えるものではないので、取り除く=バリアフリーを作るのはとても難しいと思う。

インフラは整っているが、人の心の中はバリア障壁)だらけのバリアフリー社会って、何かのアイロニーだろうか?

今回、伊是名夏子さんの過去の行動を非難した人の心の中に、障碍者に対するバリア障壁)ができないことを願う。そして本当のバリアフリー社会を作るには、あなたの協力が必要だと訴えたい。

インフラけが整っても、バリアフリー社会にはならない。

たくさんの人の理解と協力が必要だ。

私はまだもやもやしている。

現代社会はもともと「緩やかな殺し合い」だろ?

障碍者による抗議活動や、弱者男性女性)に対する一連の議論で、共通してることだが、あれは全て弱者立場から脱出するための戦いである。

ただその先に待つのは、弱者が強くなれば序列が変わるだけで、弱者自体永遠にいなくならない。

生きているだけで皆、殺し合いのテーブルに参加しているのだ。

原始時代とは、そういった様相が見えにくくなってるだけで、昔からそうだ。

いくら世の中が良くなろうが、殺し合いをやっているという原則は変わらない。

本当の弱者は、真っ先に殺されるなどで「いないこととほぼ同義にされている」のだ。

分かりやすい例が中絶かな。生殺与奪を握ったり握られていれば、明らかに弱者強者関係だ。

弱者徒党を組むなりして、仲間を増やさないと強者には立ち向かえない。

それが権利の勝ち取るための基本戦略だ。

もちろん強者側は、既得権益を守ろうとあの手この手で対抗するだろう。ときには卑劣な手も厭わない。

一見、争いとは関係なさそうな人でも否定的意見を投げかけるのは「序列が変わっていけば、いつか自分にも危害が及ぶのではないか」と危惧しているのだ。

夫婦別姓議論でも、反対派(同姓派)の意見論理的でも何でもなかったように思う。

ただ、夫婦別姓を認めた先に、何があるか分からいから反対するのだ。

現代人が欲しいのは「自分の居場所」などではなく「より高い序列位置すること」だ。

みんなで今日も精々、殺し合いを頑張っていこうな。

2021-04-15

anond:20210415170848

嘘松だな

年収1000万円あったら障碍者になるわけない

脳や神経の障害宝くじが当たったら直ちに治癒すると言われている

クラブハウスは鴨狩場

最近音声SNSクラブハウスを聞いてるんだけどまあまあ地獄だった

信者から毎月15万巻き上げることでちょっと話題ヤバい集団 https://president.jp/articles/-/42752?page=1

で数年前まで師匠やってたヤツが、いい人キャラ有名人と仲良くなって会食してたり

コロナから流行ったSNSだったはずが、クラブハウスで知り合う→オフ会の流れがナチュラルに発生してる)

  

大手マルチビジネストッププレイヤー成功した著者・実業家みたいな顔してフォロワー数万人集めてたり

障碍者支援に取り組んでます」「マイナースポーツ普及活動してます」とか言って他の参加者にちやほやされてたヤツが、おそらくそつのネズミだったり

マルチやってるヤツはインスタを見ればだいたい分かる)

  

○○の秘訣を××さんに聞く!みたいな部屋で著者の本の宣伝するのはまだしも

その本すら高額セミナー資格商法への導線でしかなく、そんなヤツらが新しく横のつながりを作って褒め合ってたり

セミナー屋、自己啓発屋、資格ビジネス屋がうようよいる、そいつらの本を出す出版関係者も一緒にキャッキャしてる)

 

とにかく地獄

ここに世間知らずのピュアピュア素人が参加してたらそんなもん絶好のカモですわ

 

有名人サンは騙されてんのか裏で結託してんのか知らんが、

無防備そいつらと絡んでると広告塔にされたり、自分ファンをヤバビジネス誘導することになる

正直、オワコン気味なのに未だにクラブハウスやってる有名人にはちょっと気を付けた方が良いかもしれん

2021-04-14

頭が悪すぎて運転免許取れなくて40歳なのに母親に送り迎えしてもらってる、とか

コンビニで買い物するのがわからなくて、母親にやってもらってる、みたいな

隠れ障碍者最近遭遇した。仕事で。

イラストレーター通訳は実力を確認やすいが、

プログラマという職業は実力を確かめづらく、災害レベル人材によって被害を受けることがよくある。

プログラマという職業の、そういうところが本当にツライ。

「うちはpaizaでAランク人間しかとりません」みたいな会社がないだろうか。

anond:20210413214205

新しい障碍者が生まれないと現在障害を持っている人の肩身が狭くなる

羊水検査ダウン症がわかって中絶されてダウン症が生まれなくなると困る

anond:20210413214702

からいからだよ。

すごい車いすができたからってそれを必要とする障碍者は健常者にくらべてあまりにも少なく市場が小さい。高額な新製品を買える障碍者個人さらにその一部だ。

それに対して、駅に導入するユニバーサルデザインJR私鉄駅の数だけ需要があるし、購入者鉄道会社場合によっては地方自治体国家になるため支払い能力も桁違いだから

儲かる=投資できる研究開発費も大きくなるし、開発成功したとき研究者としての功績も大きく評価されるから、単にがめついというわけではなく、研究者として評価されるための最適化戦略の結果。

anond:20210413215320

スウェーデンなんかは何年か前に250億くらい突っ込んでた気がする。

これのソースどこだろ?

適当検索して見つけたスウェーデン障碍者対策に関する論文https://core.ac.uk/download/pdf/236033281.pdf)だと

また鉄道省は,2010年までに150の駅をアクセスやすくするべきであると述べた。政府は,鉄道省に早期に目的を達成してもらうために,予算を1億5千万SEKと決定した。

ってある。現在のレートで日本円で約19億円。

古めの論文からこの後に大幅に増額されたって事かしら?

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