はてなキーワード: 貴方とは
定型詩のような歌詞・メロディ構造があるから、心地よく聞こえるのだろうという考察
恐らく、車輪の再発明になるだろうけど、調べるのが面倒だったので、論を構築しておく
各小節は、①と②で韻を踏んだ上で、③でオチをつけるような構造になっている
Aメロと同様の構造をAメロ’で再現(構造を同じにする=マクロ的に韻を踏む)してBメロにつなげる事で、①と②で韻を踏んで③にしたのと同じ構造にしている
①ミセモノの君が 見せる 愛を
②ニセモノの僕が 似せる “I”と
①バケモノの指が 示す愛の
③綺麗な歌を歌いましょう いびつな手が空を向く
Bメロ(第二節)も、Aメロと同様に2小節構成であり、やはり各小節内は①と②を足して③でオチをつける構造になっている
また、前述のとおりAメロ・Aメロ’を受けてBメロでオチをつけるフラクタル構造になっている
第一小節も「遠い街の鉄塔の」「足元に揺れる花が」という名詞節と、「煙と共にちぎれたのは きっと少し先の話 」と動詞節?で分割されているのがお洒落な感じを受ける
第二節(Bメロ:サビ前=AメロとAメロ‘をBメロで纏める:二小節構成)
①遠い街の鉄塔の
②足元に揺れる花が
③煙と共にちぎれたのは きっと少し先の話
①イツワリだと叫ぶもの
②イツワリに気づかぬこども
③それをかき乱すケモノ
サビ(第三節)も2小節構成であり、各小節は①と②で韻を踏みながら③でオチをつける構造は変わらない
また、AメロとBメロでの抑圧をサビで開放する役割があり、A+B⇒サビという構造になっている
①嗤え、睨みつけても
②嗤えないよ だから、
③僕の心臓も ニセモノだったらよかった、 のに。
二番(2章)も一番と全く同じ構造であるが、サビに入る前に間奏が入ることで聞いている側が飽きないようになっているところが音楽的に楽しい
①欺くために生まれたなら
②僕も欺いてくれよ
①ソノママで良かったのでしょう
②ソノママを拒んだのでしょう
③綺麗な歌を歌いましょう いびつな手が牙を剥く
第二節(Bメロ:サビ前=AメロとAメロ‘をBメロで纏める:二小節構成)
①宝石で着飾るほど
②顕になったバケモノ
①痛くないよ、とうたえど
②君になりたい、とうたえど
③その感情 似ていない 似ていない すべてがニセモノ
3番(ラスサビ、三章)は、サビのみではあり文章数は少ないものの、構造自体は一番・二番との類似性が高い
第一節・第二節はこれまでのサビと同じ構造だが、一番盛り上がる第三節は①+②⇒③の構造ではあるが、全体を統括するようなメロディになっている
また、マクロ的に言えば、一番と二番で同じ構造が来たところを、三番のラスサビでオチをつけるという構造であり、これもフラクタル的である
第3章(3番=ラスサビ)
①綺麗で醜い愛を
②終わらせてよ、さらば
③花の種をさがす手が、君の雨を拭うとき
①─今日はきっと素敵な日だ。
全体的に同じリズムや構造が続いており、統一感があるために聞いていて「整っている」と感じる展開になっているのだと思われる
こうした定型詩のような構造が聞きやすさ・心地よさを生じさせるのだと考えられた
以上、
私の増田投稿は、本来オモチャに過ぎないが、君たちのオモチャではないよ。あつちへ行つてくれ。私は、もう、ねむい。
一番~三番の最後の文を見ると「○○、のに(後悔)」「××たんだ(過去~現在の確認と諦め)」「△△だったよ(過去からの決別)」といったニュアンスが香るようになっており
後半になるにつれて物語=心境が変化していくことが察せられるようになっている
好きなキャラクターは冨岡義勇らしい。
「ふーん。でも就労するって生殺与奪の権利を他人に握らせることじゃないですか?」
彼女の表情が凍った。
しまったなーこれはパワハラ面接として上司に怒られる案件かなーと感じたので
「ごめん。あんまよく知らないのに話し合わせようとしてしまいました」
と謝って終わらせようとした。
終わらなかった。
彼女は捲し立てるように自分がそもそも間違っていて自分は今からフリーランスになるために努力すべきだと語り始めた。
人生相談コーナーになってしまった面接は面接でなくなることもあるし、そこが結果的に面接として成立することもある。
だが今回はどうも応募者の側からの被採用拒否という形で面接の体は失われていた。
生殺与奪の権を「せいさいよだつのけん」と何度も正しく発音し続ける彼女を前に僕はいつしか赤べこのようになっていた。
もしこんな所を上司に見られて、面接の一つロクに出来ないのかと言われるんじゃないかと僕は内心ビクビクしていた。
幸いその日のその時間帯に面接を受けているのは彼女だけだったので他の面接者にこんな話をドア越しに聞かれる心配はないのが幸いだ。
心のなかで救いを求めながらも、面接官という立場が持つ傾斜を利用して終わらせられるのではという考えも浮かんだし、逆に昨今のアンチ圧迫面接の風潮を思えば銃口を突きつけているのは彼女たち被面接者の側にあるようにも思えた。
会社という籠の中に飼われることを選んだせいで逃げ出すことも出来ない。
彼女のよく分からない人生プランに対して「貴方ならきっとだいじょうぶですよ」とそれらしく前向きな言葉を添えて面接室から送り出した。
働くということは生殺与奪権を誰かに差し出すことであると何気なく口にしたのは自分自身だが、その言葉が早くも自分の内側へと返ってきて、ゆっくりとその中煮詰まっていた刃が花開いていくのを感じた。
部屋の机と椅子を通常の会議用に戻してから、部屋の隅に裏向きにしていたホワイトボードをそっと反転させ使用予定カレンダーにカラスを飛ばし部屋を去った。
人事部に戻り報告をする。
「今日の分は終わりました。うーん。最近の子って難しいですね。とりあえず終わりました」
ややわざとらしく愛想笑いを浮かべながら明日の予定の確認と雑談をして席に戻る。
面接の内容を考えると彼女は辞退したわけだが、とりあえず面接の結果報告についてメールは出すべきだろう。
わざとらしく前向きな応援を口にしておいて定型文を後でまた送るというのもどうなのか。
いくつか案として出した不採用通知の定型文リストの中には、前向きに相手を送り出すようなものがあった。
今年はこれにするべきだろうか。
だが今の上司はそういったおためごかしをあまり好まない人で、不採用であるということをビジネスライクにスッパリ伝えることが礼儀だと考えている。
心の奥に刺さった破片がチクリと傷んだ。
とはいえこんな感じで突き詰めていくと「責任ってなんだよ」とか「そんなもん知らんがな」ってなってしまうので遡りすぎるのも悪手かなと思ってるけど
自由意志という概念を定義してそれを否定することで自己責任は存在しないというところまで説明してくれる人を今まで見聞きしたことがなかったからありがたい
或る物事のその一つ手前に自身の意志による決定が含まれていて自身の身に起きた物事はすべて自己責任と思ってるんだけど
例えば貰い事故なら「外に出た貴方」とか、親の死なら「彼を親と認識した貴方」とか
ぼくは東京を選んだんじゃない、地元から弾き出されてここに流れ着いただけなんだよ。
可愛くて頭のいい嫁、来年小学生の可愛い娘、綺麗な中古マンション、大企業で待遇もかなり良い。仕事も職場も順調だ。2人の稼ぎを合せれば将来億近く貯めることも夢じゃないし、経済的な苦労は恐らくしないし子供にもさせない。ここには院の同期や趣味の友人も多い。健康にも気を使っているし、体も生まれながら頑強だ。
運と人に恵まれた、幸せな人生なんだよ。間違いなく。絶対に手放したくないし、そのためならどんな努力でもする。
東京で幸せそうに生きる息子に両親は鼻高々さ。地元でここまで都会的な人生を歩む人間は限られてるからね。高卒のおれらから鷹が生まれた、もうその話は聞き飽きたからw
そうだよ、ぼくはうまくやってきた。これからもやっていくだろう。
でもそうじゃないんだ。
本当はこんな人生望んでなかった。
地元のコミュニティで、大変でも楽しく生きる人生がおくれるはずだった。新居を建てて両親と住み、孫の顔を毎日見せられるはずだった。
でも祭りと村社会に馴染めない人間には田舎に居場所はなかった。
悲しいかな、ぼくにはその能力が無かった。だから都会に出て生きるしかなかった。
東京に帰る時に寂しい目をするのはやめてくれないか。残りの人生貴方達と何度顔を合わせ、たわいのない話をすることができるだろうか。本当は貴方達と同じような、貴方達がぼくに期待した人生を選ぶべきだった。
親不孝でごめん。
広告っていらなくない?
一言で問題をまとめると、「CMが多すぎて作品の良さが殺された」ということだ。
で、改めて問うんだけど。
CMっている?いらないよね?
はい、ということで「CM=広告うぜえ」という感覚を多くの日本人が持っている中で問題をぶち上げます。
②広告の内容が面白いか面白くないかに関わらず、見たくもない広告はウザい
これが前提ね。
①と②は似てるようで少し違う。コンテンツとして面白い広告があることを私は否定しない。
鬼滅の刃で提示された問題は「鬼滅が見たいのに良い場面で何度も何度も広告が挟まれてムカつく」というものが本質だよね?別に1回や2回、CMが挟まれる分には構わなかったはずだ。
これから極端なこと言うけど、私はその辺ちゃんと認識してるって意味で書いた。
はい、ということで本編です。
これだよ。これ、主流だよね。無料のアプリなら広告が入るのは当たり前、課金すれば取れるよ。
テレビも基本無料だけど、CMによって成り立ってるんだ!ということだよね。うんうん。
は?
なんなの?「しょうがないよね」じゃなくね?
なんでウザい広告を見せられるのが当たり前になってるわけ?
だって広告ってさあ、ウザいじゃん。できれば見たくないものなわけじゃん。
広告っていらなくない?
だってさあ、可能なら鬼滅の刃を私達はフルで見て、煉獄さんが死亡した直後に『うおおおお!甲子園を目指すぞ!竈門少年!』みたいな台無し広告を見たくないわけだよね?
なんで視聴者側から『無料だから仕方ない』って妥協してんの???
仕方なくないよね?だって広告さあ、ウザかったじゃん。どうしてウザいけど、これは世の中に必要なものだから…みたいな態度を、不快にさせられた側が納得してんの?
私達がするべきは、広告というものへのヘイトをもっと高めるということだよ。
無料で見る=広告が入るって前提みたいになってるのおかしいでしょ。人質ビジネスじゃん。コンテンツを見たければ興味のない不快なものを見ろ!
こう、極端なお気持ちを表明すると、「そもそもお前の文章がウザい」という人間もいるだろう。それは構わない。言葉の暴力で存分に私を排除しにかかればいい。
ウザいものは、叩いて排除する。私はこれを人間社会で最も正しい自治機能だと思っている。あまり使いたくない言葉だが、自浄機能だ。
だから私を叩く感情論を私は全面的に支持する。存分に殴り合おうじゃないか。
「広告がなきゃ食えない人がいる」「広告がなければ良いものが広まる機会もなくなる」「広告ビジネスがなければ成り立たないコンテンツがある」などと言うのであろう。
いや、簡単な話で、家族全員路頭に迷っちまえばいいだろ?他人を不快にさせて、見たくもないものを見せて食ってるような人間は全員失職すればいいだけの話だ。
広告によって支えられているコンテンツがある、それらを失うのが耐えられない、いわば広告ビジネスと自分はwin-winなんだ、という人もいるだろう。
いや、簡単な話だよ。無料じゃなきゃ見ないものなんてのは、なくて構わないものなんだよね。
技術やシステムの成長で、クリエイターに投げ銭をすることも出来るようになったし、「欲しいけど買えない」なんて場面はほとんど無くなってきたし、これから無くなるだろう。
しかも別にインターネットの、例えば掲示板の会話だとかさ、「歌ってみた」「作ってみた」なんてのは、みんな本来無料でやってたことなんだよ。
ほとんどの場合、広告がなきゃコンテンツが成り立たないというのはただの誤解。
結局何が言いたいのか
②アドガードを入れろ。
①については解説要らないだろう。
鬼滅の刃のロードショーで「広告多すぎ、邪魔」と感じた心が貴方の本心であり、それは当然主張していい権利なのだ。
②
まずはなんJの下のwikiを見ろ。
https://wikiwiki.jp/nanj-adguard/
今はちょっとブロッカー関係で揉めているが、私と同じく「アフィリエイトによって居場所を殺された人間」たちによってつくられた、信用できるwikiだ。
なんJはその9割がゴミだが、上のwikiは憎しみという人間にとって最も原初的な感情から作られたwikiだ。一見の価値はある。
クソみたいなアフィサイトを憎めと言っているんじゃない。「ウザいものを視界から排除しなよ」と言っている。
まさかYouTubeの広告とかまともに見て生きてる人間いないだろ、と考えていたが、結構いるんだよな、これが。フィルターかければ0に出来るんだから入れよう。
何度も言うが、
広告ブロックされて困るようなコンテンツは全部なくなっちまえばいいんだよ
だから気兼ねなく入れろ。
③
これは別にしなくていい。広告見て良いものだと思ったら買えばいい。
ただ、忘れないで欲しいんだけど
人類の歴史で最も広告というものに価値を見出したのはナチスドイツだ。
結局の話、広告なるものは人の意思を曲げさせる洗脳行為だということを念頭に入れておくだけで大分違うと思う。
こんなクソみたいな長文読んでくれてありがとう。
総括する。「無料だから広告が入る」という前提はおかしい。少なくとも、消費者側がそれを肯定的に捉える必要性がない。
ウザいなら見たくないと叫べ
それは正しいと思う。
ただ生活保護と言っても幅がある。
例えば生まれ持っての身障、知障でそもそも先天的に労働能力がない場合であれば、生活保護受給は止むを得ないと思う。
しかし後天的に、例えばパワハラ職場にいながら転職の努力をせず、病気を発症した精神障害は生活保護を受ける権利があるか?
恐らくそこには「権利はない」のが正しいのだと思う。自己責任で労働能力を失った犯罪者を保障するのは倫理的に間違っている。
ただ遠回しの自殺もできないので、生活保護を受けてただ廃人のような生活を送っている。
納税者様におきましては、このような犯罪者が貴方様の税金を無駄に浪費している事実を鑑み、生活保護を廃止を公約に掲げる政党への投票をお願いします。
本当につらすぎてかいた
私の好きな推しカプはそこそこ大手ジャンルの、いわゆる覇権ではないがそこそこの人口のカプだ。多分。
多分というのも私はこのジャンルが一番旬だったときより少し後にハマったため、一番界隈が賑わっていただろう当時のことは推し測ることしかできないからだ。
後からハマって二次創作作品を漁るくらい推しカプが好きになってしまうと辛いことも多い。
好きだと思った書き手は軒並み他ジャンルに移っており、続きものは未完のまま。かろうじて完売はしてないと思われる本について問い合わせてみても何ヵ月遅れの返事があればいいほうだ。作品に感動しても移動したジャンルの作品に感想を送るのは迷惑でないかとも考えてしまう。きっともうこの書き手はこのジャンルのこと、カプのことなんか忘れているのかもしれない。
私は推しカプも他人の推しカプ二次創作を読むのも異常に好きなタイプなのでよくあるこういった出来事が余計に辛く感じるのかもしれない。つかこんなに苦しんでるオタク他にもいてほしい。それくらい推しカプと推しカプ作品が好きだ。
作品投稿サイトでは私の推しカプの作品数は、二次創作をよく閲覧するオタクならすぐ一周できてしまうような数だ。誰かにとっての過去ジャンルの遺物のようなそれらを、紙の本だったなら擦りきれてしまうくらい何度も何度も読み返していた。その時間はささやかだけど本当に幸せだ。
ブクマ欄に空白が空いているのを見つけたときや、ブクマしたはずの作品がどうしても見つからない悲しさを体験したことがあるオタクは多いのではないだろうか。
なぜか私の推しカプはだんだんと作品が消されていく。自分でも投稿しているのに作品数が増えない。どんどん消えていく。書き手に作品を消したいタイプの人が多いのかもしれない。毎秒のように作品数が増える旬ジャンル覇権カプとは違い、減れば減るだけだ。毎日のようにその推しカプの検索欄にアクセスしているため消されればすぐ分かる。分かってしまう。気付かなければ悲しむこともないのに。
最初は投稿者にも何か事情があると考え堪えていた。自分の作品を消さずにはいられない、作品を残しておくことで苦しい思いをする書き手の人がいるということも十分理解しているつもりだった。
それでもその作品がもう閲覧できなくなってしまうという私の悲しみはどうにもならない。もう二度と閲覧できないということには変わりないのだ。だんだんと作品を消す書き手が憎くなるほどに悲しみは溜まっていった。
消されても見れるように絵でも小説でもローカルに保存すればいいのだがそれにも限界がある。ローカルに保存されるのを嫌がって右クリック禁止のサービスを使う人もプロフに禁止と書く人もいる。
そもそもローカルで私一人だけが見れるのと、いつでも誰でも検索すればアクセスできるのとは訳が違う。私はこのカプが増えてほしいと自分でも投稿してきた。増えろというならまず自分から、枯れ木も山の賑わいのつもりだった。今から私と同じように遅れてハマった人がじゃあ私もと投稿してくれるかもしれない。
でも私は私の作品で検索欄を埋めたいがために投稿している訳じゃない。投稿もしていないのに私の投稿作品の割合がどんどん増えていく検索欄がとてつもなく悲しかった。推しカプの書き手が作品どころかアカウントごと消していたときには本当に作品を投稿していた人間がいたことすら葬りさられてしまったのだと軽く絶望して、本当に限界だと思いこれを書き始めた。
消さずにはいられないとか残しておくのが辛いとかそんな書き手の気持ちなんかもうどうでもいい。私が好きな作品を消された悲しみには関係ない。書き手の消したい気持ちを慮ることで仕方ないと悲しみをごまかすのはもう無理だ。こんなに私は悲しいのに何が仕方ないというのか。今では推しカプ関係なく作品を消す全ての書き手に軽い憎悪すら芽生える。
ジャンルを去った癖になぜ作品を消す。本当に理解が出来なかった。もうこのジャンルのことなんか、カプのことなんかどうでもいいと思ってるなら私から推しカプがずっとここで読めるという安寧を、幸福を奪わないでほしい。
いるかも分からない読み手の気持ちなんて知るかと思うかもしれないがこっちだって書き手の消したい気持ちなんか知ったことではない。書き手の消したい気持ちなんか関係なく作品を消された悲しみは襲ってくるのだ。
もう逆になんでこんなに他人の、素人の小説やら絵やらにこんなに振り回されてるのかが分からない。毎回消される度に泣いてる。いっそ解放してほしい。推しカプに関する記憶を失いたい。
私が悪いのだろうか。ブクマも必ずしてる。感想がほしかったならいくらでも何度でも送る。つか送ってる。土下座して頭を地面に擦り付けてお願いしたい。作品を消さないでほしい。データがあるなら今からでもいいからもう一度投稿してほしい。
最後に。
自分の作品にはそんな熱心な読み手はいないから、と他人事だと思わないでほしい。
貴方に読み手のことを考える余裕があるなら、推しカプのことが好きなら。本当に作品を消さないでください。
人の気持ちにとやかくいう趣味はない、という意味で全面的にその通りだと思うけど
>だって、どう考えても男性に対するセクハラであり性的搾取でしょ。
ここで突然話が飛躍してる。
突如見知らぬ誰かに用意された「セクハラ」「性的搾取」って言うパッケージされた武器を取り出したみたいな不自然さ。
そんなことは(煽りではなく)一般的な知性を持つ人間ならわかること。
なぜそれを飛び越えて聡明であろう貴方から不自然な言葉が飛び出したのかと言えば、おそらく洗脳されているから。
「意味を理解していなくてもこの言葉を掲げればとりあえず正義を主張できるようになってます」って感じで人らから受け取った言葉なんじゃないのかな。
あなたの言ったセクハラ、性的搾取って言葉はその人らにとって都合のいい意味にいつでも書き換えられるようになってて
世間にその言葉が溢れかえると、無数の発言のニュアンスを自由に操作できるようになってる。
セクハラって言葉が以前のように機能しなくなったのは実感として知ってるよね。
ハラスメントはそれを感じた本人が主張し助けを求めるための言葉だったはず、それが今となっては人を殴る棒だよ。
相手の苦悩を自分のことのように感じられる貴方ような人からそんな棒が飛んでくる不自然さ、便宜上洗脳という言葉を使ったけど何かしらの歪みがあるんじゃないかと思うよ。
自分の抱えてるトラブルに対して突然「俺は貴方の味方だ!」と叫びながら相手に殴りかかる見知らぬ他人が現れたら絶対事態が悪化するよね。
そんなことは理解しているはずだからこそ、自分で意味を定義できていない言葉を使わないで貴方の言葉で応援してあげて欲しいよ。
ガンプラが買えない。予約出来なかったら発売日に並ぶとかしないといけない。そんでもって買えなかったら努力不足とか言われる。そんな貴方にスケールモデルがあります。
資料が豊富です。ガンダムみたいにイラストレーターで違いとか無く写真があります。見えない部分の資料もあります。
合わせ目とか気にしなくていいです。本物も案外そうだったりします。
塗装も楽です。工業製品に近いので面倒な塗分けとかありません。
大体ガンプラ取り扱っている場所には売ってます。流石にガンダムべースにはありません。
公式でディテールのグッズが出ている。使えば出来が良くなる(かもしれない)
買い逃すと次買えるサイクルが長い
店主の好み等があるので基本予約
プレミア価格も無いが、安売りもない(ガンプラの安売りが無くなったのでデメリット感は薄くなった)
いろんなメーカーが出していて当たり外れが多い
ガンプラより圧倒的に少ないが、特濃な厄介がどこの地域にもいる
作ってて達成感が少ない
カッコよさを感じれるかは個人次第
何かにつけて「これをやるとこういう問題が起きる可能性があるからやめとけ」とかの文句や因縁を言ってきて、その問題が起きなければ「俺が注意してやったから問題は起きなかったんだ」と言い出し、万が一ちょっとでもかするような問題が起きると「だから俺は言ったのに」と騒ぐようなオッサン社員。
企画力もリーダーシップも皆無で、重箱の隅を楊枝でほじくって穴を空けてくるようなタイプ。
8割おじさんを初めて映像で見た時に物凄い嫌悪感を覚えたんだが、最近の彼の「議論が起きてくれれば良い」とか「なんで感染者が減ったのか分からないが人流はもっと減らすべき」とかの言動を見て、ああ、こういうローパフォーマー社員は職場にちょくちょく居るよなあ、嫌悪感の正体はこれだったか、ということに気付いた。
西浦氏はいまは京大に栄転したみたいだからアカデミアの世界ではそれなりに評価されてるようだけどね。もしこれを読んでる貴方の職場にこのような「ゼロリスク志向・オッサンローパフォーマー社員」が居たら、「あなたはアカデミアの世界なら出世できたかもね。西浦教授のように」と言ってあげてはどうだろうか。少しは喜ばれるかもしれない。
まず主張をするためにはその根底となる事実が正しく無いとダメですよね
ここでレアケースと書いてありますが例えば1%でも0.00001%でも同様にレアケースと言えばレアケースですよね
しかし1%の確率で覆されることが明らかだった場合、合意が覆されるリスクとしてはかなり大きなものとなるでしょう
レアケースと断定した上で、「性的同意はあとで覆される可能性がある」が嘘であると判断したいならこの程度の確率で覆されるならリスクとして考えられる可能性があるという基準値を出した上で、実際の確率はこの程度なので、現実的なリスクは〜であるという結論にすべきでは無いでしょうか
それが書けないなら根拠として用いるべきでは無いでしょう
これも同様ですがこれはさらにひどいですね
悪質性の認識がある人間がどの程度いるかわからない上、そもそもでっち上げる人はそもそも被害者では無いのでこの一文はこの文章において意味をなしていません
ギャンブル → 単純にクソ
ジョギング → マスクをしないからクソ、人にぶつかりそうになるからクソ
野球、サッカー、バスケ → 体育会系パワハラ糞野郎だからクソ
※ なお、貴方自身がこれらの問題行動を犯してしなくても、身内の行動を批判、抑止できないのでクソ判定されます。
なぜなのか