はてなキーワード: 言葉自体とは
その気持ちはわかる。
もし自分が性同一でなく、脳の性別がそのまま戸籍の性別だったらそういう風に思っていたと思うので。
先にいっておくと多分その気持ちも感覚も増田にはわかることはないしわからないと思う。
身体違和については自分もまさに例に挙げてもらったようないわゆる「セルフいイメージとのずれ」以上でも以下でもないという認識、つまり整形をするかしないか程度の認識をしている。
しかし、自分の性別が男/女だという確信はまた別のところにあるので、それはまた別の感覚である。
そのことが感覚的にわからないのは非常に正常なことだとも思うし、
わからないことそれ自体は決して悪いことではないのでそのままそっとしておいてもらえると助かるかもしれない。
[性同一性障害は脳の先天性な性分化疾患であるのではないだろうか]
一応自分なりに考察したところによると、性同一性障害は心の問題ではない。
あくまで自分の例をベースに考えたところ、おそらく先天性な性分化疾患の範疇に収まるものだと認識している。
身体のどこかの性分化が正常に行われなかった場合、それは性分化疾患となる。性分化疾患には逆の性別に体の部位ごとが分化してしまう症例がある。
性同一性障害はその脳版なのではないかと考えている。(ちなみに、同性愛傾向の人の中にもその一種の人もいるだろうと推測している)
その正常に性分化が行われなかった場所が脳である場合、脳と身体の性分化がずれ、あるいは逆になり、性同一性の一致に支障をきたすのではないだろうか。
これはあくまで自分の場合であるが、子供の頃から趣味や思考、行動がいろんな人から異常だと驚かれて育ったが、自分が世間で言われるほどの奇異で奇特な異常者だとは思えなかった。自分のような思考をして物事に対して自分と同じような興味関心を抱くような人物像は、決して割合としては多数派ではないとは思うが、とはいっても異常者といわれるほど「おかしい」行動でも思考回路でもないと思っていた。よくいる類型的な青年像の一パターンに収まる範疇の思考回路や趣味だと思っていたからだ。女社会という中では確かに異常者であるが、仮に男女全てを含めて考えた場合、そこまで「異常者!」とは思えなかった。確かに自分みたいなタイプの女性は見たことがなかったが、男には割といる感じがした。
そこで、それを確かめるために男子校状態の学校に入ったり(※)、部活やスポーツにおいても男子と共通の枠の競技をでやってみたところ、やはり自分は男社会の暗黙のルールをなぜか知っていて、そして女社会の暗黙のルールをどんなに明文化されても感覚的にはよく理解できていないということをより強く実感した。そしてやはり自分と似たようなタイプの青年はたまに遭遇するので、自分がそこまで仰天されるほどの社会不適合な異常者ではないということもより強く「実感」した。
※学部の選択については、もちろん自身のもともとの関心がそういうSFメカ趣味だったのもあるが、何番目かの理由としては、あえて男社会に身を置いて様子を探ってみる、という目的もあった。
自分にとっては性自認や性別はどうでもよく、どちらかといえば、「社会から異常者だと言われる」ことの方が高校生までの自分にとっての解決するべき問題であった。
そこで、自分は女子社会の中だけではなく男社会の中でも異常者扱いされるのか、それとも男性社会では「想定されている社会性のある人物像」側に入れるのか、そこが自分にとっての興味関心だった。
後から考えれば、非常に自分の男性性を重視していた部分はある気はするのだが、それを男性特有の発想だとは思っていなかった。例えば、「少年よ大志を抱け」的な気負いはあったが、そのような頂点を目指す思考はだれでも持ってると思っていたし、これが男性特有の発想だとは思っていなかった。
どんなに合わせても明文化されていない女性集団の暗黙のルールが理解できない、それこそあまりにも自分が女子集団による善し悪しの価値基準を納得できず、行動にも反映できないため未成年のときの自分は自分に発達障害的なものを疑っていた。しかし、不思議なことに男性集団に混じると男性集団のほうの暗黙のルールは感覚的になぜか教わらなくとも理解できていた。そして、自分は発達障害的なものではなく、性別に由来する行動の原理が逆なのだと認識するようになった。
長くなったが、自分の「性自認」の感覚はこのようなものである。アホなので今でも特撮ヒーローのように正義とは何かを自身に問いかけながら振舞いたいと思っている。
自分は諸事情あって外見のパス度(=希望の性別で見られる度合い)は高くない。容姿においては中性的で男性的な雰囲気の女性だと思われている。雰囲気が普通の女性とは違うため同性愛者の女性だと思われることが多い。性同一の診断の紙きれは持っているが、「治療」の予定はない。ただ、声は子供の頃からの訓練によって男性~女性両方の声を出すことができるので、電話や通話のみの相手には何も言わずに男性で通すこともある。
他人からの視点については、自分のことを「同性愛者であり、なぜか異様に男特有の無意識の行動をとったり集団におけるポジションを志向したり限りなく男と同じ行動ばかりとろうとする女性」と認識される状態でも個人的には構わないと思っている。
というか自分のやろうとすることを妨害しないでいてくれれば他人が自分のことをどう思おうと構わない。
もちろん「こいつはそういうやつなんだな」と理解して認識してくれる人間の方と距離を詰めたり仲よくしたりしたいとは思うが、別に増田もそういう相手と親密に打ち解ける仲になりたいとは思ってないだろうし。
[余談]
ちなみに先述の発言をひっくり返すようなことを言うが、おそらく「心が異性」と宣言するタイプの人の多くは思い込みと勘違いが多いように見える。特に、女→男(心は男と宣言するパターン)の場合は、わざわざ言って回っている人は変身願望が強い若い女性がそう宣言しているだけのことが多いのではないだろうか。
また、本当の性同一性障害の人で特に女→男の人でおそらく真正だろうなという雰囲気の人については、彼らの多くは男の姿と声で堂々と社会に紛れ込んでいる。もしかしたらすでに増田の周りにいるのかもしれないし、仮にいても気づかないと思う。日常生活において見ず知らずの他人のパンツの中身を見る機会など基本的にはないので、まずわかることはない。あってみればわかると思うが「元女です」と宣言されたところでまず信じられない程度には通常の男性である。もし、実際に彼らにあって、雰囲気をみて「どうみても元女だ」と疑えるのならば、その人は同時に世の生まれ持っての男性の多くにも元女疑惑をかけながら生きなければいけないだろう。
不要。
自分は性同一性障害を脳の性分化疾患の一種だと思っているが、それについての研究が政治的イデオロギーによって非推奨になっている。原因はおそらく、自分は異性になりたいと主張する人のうち、脳の性分化による性同一性障害の人は多くはないからだろう。
昨今のLGBT法案における性自認についての言説は海外による政治イデオロギーの問題だと思っている。これによると、ポリティカルコレクトネスによると、本人の資質はさておき戸籍と別の性別になってみたい、戸籍と別の性別として暮らしてみたいという願望を持っている人は誰でも「自分の性自認は○○」と主張していいことになっているようなので、性自認という言葉自体がライトな意味合いのものに変容してきているように見えるのだ。
自分も実年齢に違和感はあるし実感してる年齢と実年齢がずれているというその感覚自体は分かるが、だからといって自分がトランスエイジだとかはバカバカしくて真面目に主張する気にはなりえない。
その感覚を性別に当てはめたものが「性自認という用語の意味」なら、性自認ってだいぶ軽い言葉だったんだなーと思うし、トランスエイジのジェンダー版がトランスジェンダーならトランスジェンダーってのもめちゃくちゃな発想だなーとも思う。
年齢とか人種とかについても「自認」を再評価しようというのは全然わかるし賛同するんだけど、「トランス」という接頭辞はそこに適合してないよなぁ。そもそも「トランスジェンダー」という言葉自体が「性別は男女の二通りしかない」ことを前提にした言葉で、例えばXジェンダーのことをトランスジェンダーとは言わない。
「性別違和(Gender Dysphoria)」や「性別不合(Gender Incongruence)」に倣って「違和(Dysphoria)」や「不合(Incongruence)」という言葉を使った方がわかりやすい。
大人がお子様ランチ頼んじゃダメとか、アニメ映画の特典もらっちゃダメとか、そういうのは今後普通に差別として扱われていくと思うよ。
その言葉自体初耳やでという話
https://anond.hatelabo.jp/20230429181529
・まあそうなんだけど、それを当たり前とするなら『じゃあ女は育児や出産に専念すべきでは』という思想が生まれるのもまた当たり前としなければならないだろう
・「女性に大事な仕事をさせたがらないのは当たり前なんじゃないか。だって出産があるでしょ?」と同じロジックだな。まあ両方受け入れるならいいけどさ。
・上方婚が最適解、と言うなら男女の賃金格差は温存すべきってことになるけどそれでいいの?
これまでの、そして今現在の日本社会は「女性は育児や出産に専念すべき」「出産があるから女に大事な仕事をさせたくない」という思想がまだ強く、賃金格差も残っている。
そもそも、女性でまともな職に就くのが難しかった時代は、ほとんどの結婚が上方婚だった。
上方婚という言葉自体、男女の賃金格差が減りつつあるから生まれたものだ。
格差がゼロになれば、多少のタイムラグはあれど女性ゆえの上方婚志向もゼロになっていくと考えられる。
(この格差ゼロは妊娠出産も含む。夫婦は精子と卵子を提供するだけで、あとは人工子宮任せとか。)
男女格差がゼロの社会では、男女関係なく稼ぎが少ない人だけが上方婚を目指すようになる。
あるいは国が貧しければ、男女関係なく全員が上方婚を目指すかもしれない。
(事実、若者の収入が減ったことで、格差解消した分だけ上方婚志向が弱まってない可能性はある。
いずれにせよ雇用・賃金・妊娠出産育児等における男女平等の達成が先だ。
逆はない。
最近、私は「おぺち」という言葉に興味を持ち始めました。この言葉は、日本語で「お餅ちゃん」という意味があるそうです。お餅ちゃんとは、可愛らしい見た目をしたお餅のキャラクターで、日本の文化に根付いています。
「おぺち」という言葉自体は、ネットスラングとしても使われているようです。特に、女性同士の会話でよく使われるそうで、「可愛い」という意味があるようです。
私自身は、日本語を勉強する外国人なので、まだまだ日本語の表現には慣れていない部分があります。しかし、「おぺち」という言葉には、日本語の面白さや独特の表現力を感じます。今後も、日本語の表現について学ぶ中で、「おぺち」という言葉に出会えることを楽しみにしています。
人の作品を勝手に学習に使った!って、いや別に合法だよね?この法改正お前らの大好きな自民党がやったことやん。ていうか、お前の作品が学習に使われたって根拠あるの?
なんか学習に使うんなら金払えとかさ。結局金目だろ?1バイトとかじゃん、一枚の絵がAIに影響与えてるの。100円とか貰ったら満足するの?
AI絵に絵パクられた被害者っているの?トレス疑惑とかでは二つの絵の線を重ねて一致してるからパクリ!みたいにしてたやん。そんな感じでパクられました!って奴いる?おらんやろ。じゃあなんでそんなにキレてんの?
篠房六郎とか、AI絵師で個性的な作品を作る人は出てこないだろうとか言ってんの。…じゃあいいだろ、別に。ほっとけよ。何にキレてんだよ。何が不都合なんだ。まじでよくわからない。損してないだろ。
AIイラストは著作権的にクリーンであることを明示した上でいうけど、じゃあお前らの二次創作はどうなんだよ。パクリだなんだ口汚く罵ってるけど、お前らコミケで本売ってんだろ。ここに関するまともな反論見たことないんだけど。最近は二次創作ガイドラインがあるとか言ってた奴いたけど、それでエロ同人認められてると思ってんの?ていうかない作品の同人も存在してるんだから片手落ちだよ。
ま、全員が全員二次創作してるわけじゃないがな。
あのさ、貴方は貴方のことだけどうぞ私に干渉しないでくださいなんだよ。絵を描くのが楽しいから描いてんだろ?描けよ。俺はAIで遊ぶから。
挙げ句の果てによー清水とかいう奴が「お気持ちとかいう揶揄もあるけれど個人のお気持ちは重要視すべき!」とか言い出してんの。あのさあ、ツイフェミが宇崎のポスターやらなんやらにギャオってた時に大多数のオタクははいはいお気持ち乙ってこきおろしてたの。よー清水ってのがその時どういうスタンスだったのかは知らんけどさ、その大部分のオタクたちは今何考えてんの?こいつの言うとおりだ!とか言っちゃうわけ?
別に個人の考えが変遷することは構わんけどさ、じゃあまずかつてツイフェミ叩いてたことをあいつらに謝罪してこいよ。今後ツイフェミがお気持ちでギャオってもなんも言えないねえ。そうなること理解した上でよー清水にいいねしてんの?それともAI絵師憎しで虫みたいに右往左往してるだけ?1bit脳なの?
なんか、絵師は何万時間も努力してタンダー!みたいに言ってるけどさ。で?っていう。なんかその絵師ってAIの登場により損してる?その損の度合いは二次創作でエロ描かれて変なイメージつけられるのとどっちが甚大なの?
そもそもその何万時間も努力してた絵師の著作権が侵害されてると言うのならそう騒いでください。あっ画風だの絵柄だのには著作権はありませんので笑ご了承ください笑
まじで絵師(笑)ども(この絵師という言葉自体かつては叩かれてたよね)は何が気に入らないのかをはっきりと言ってね。きっと君の気に入らないことは「合法です」で話終わると思うけど。
「アナグラム」のアナグラムで意味の通る言葉は、「グラマンア」です。
ただし、「グラマンア」という言葉自体には意味がないため、より意味のある言葉を考える場合は、以下のようなものがあります。
「グマラナ」:「熊の穴」や「グマが鳴く場所」といった意味があります。
ただし、これらの言葉はあくまで「アナグラム」として成り立つ言葉であり、普段使われるような一般的な言葉ではないことにご注意ください。
何語だよ
「熊の穴」や「グマが鳴く場所」を意味する「グマラナ」は、日本語に由来する言葉です。
「マングローブの林」を意味する「マングラア」は、インドネシア語に由来する言葉です。
そもそも「アノン」って「アノニマス」(匿名の)の略なんだよ。
目的のために匿名で(ニックネーム呼びとかで)集まって活動するグループのこと。
アルコール依存症者の自助グループ「アルコホーリクス・アノニマス」(略称AA)が始まりで、その後薬物依存症、ギャンブル依存症など様々な自助グループが派生している。
匿名で活動する理由は、参加者のプライバシーを守るため(依存症者ってバレるのは不名誉なことだから)とか、AAの活動によってアル中が酒をやめて社会復帰できているさまを称賛されるときなどに、それを個人の功績にしないため。詳しくはAAのサイト参照(https://aajapan.org/anonymity/)。
要するに「アノン」という言葉自体にはもともと「匿名の」以上の意味はまったくないんだ。
その当の氷河期世代当事者も自分達の権利を主張するどころかそれを積極的に放棄して若い世代に媚びを売るタイプばかりで本当に嫌になる
何なのこの異様な奴隷根性は?
老害と言われる事を恐れるせいなのか、過剰に若い世代に対して迎合的で気持ち悪い
そもそも私は老害という言葉自体がおかしいと思っているけどね、人間性が腐るのは年齢ではなく権力によるものなのであって、それをわざわざ年齢に焦点を当てて叩く、老害なる言葉はおかしい。
独身中年叩きで有名なポンデベッキオとかいう奴が、若い世代は我々の屍を踏み越えていけとか言ってやがるし
それがバズって支持される世の中が本当に嫌でならない
はてなダイアリーでの例
Twitterでの例
北はつくばから南は小田原まで全部「東京」っていう、うちの母親(京都在住)を連想。認識の解像度は心理的距離に比例するんでしょうかとふと思いました。RT @hirochan: 僕も横浜にどっぷりになってきたなぁと感じる瞬間。それは都内各所をすべてひっくるめて東京と呼んじゃう時。— Asako Itagaki (@adelie33) July 27, 2009
語彙が認識の解像度を決めるというのは、観察していないからではないだろうか? 同じ言葉で指していても見た目が違うものはやはり違うものだと認識するのだから。— 鏡双司 | Skeb Open (@SO_C) July 29, 2009
@maruyama3 マスコミ人の想定する視聴者(=マスコミ人自身)の、山梨についての解像度が低いということでは…— 藤間真 (@power_of_math) August 12, 2009
これはこの間学校で4年生と話した、解像度の話をもーーーーーーのすごく精神面にもっていったら当てはまる気がする。不幸な人は幸せの解像度が低いのね。こんな事をよっぱらっていっちゃうあたりが俺さぶい。— Keisuke Kimoto (@KmtKsk) December 14, 2009
先輩が後輩にしてあげられることは何だろう、と良く疑問に思っていたんだけど、「解像度を上げてやる」というのは一つあるかもしない。専門書を読むと、自分が思っていた以上に、自分の認識の解像度が低かったことに気付く。— M SEKINE (@emushi) December 19, 2009
既視感がすごい。反フェミニストはこういう「入れ替えたら」論法がやたらに好きなんだけど、間違っていると思う。
そもそも「朝鮮人」と「おじさん」は入れ替えてはいけない。「朝鮮人」は日本ではマイノリティだし、歴史的に被差別者で、言葉自体に差別的なニュアンスがある。自ら「朝鮮人」と名乗る在日の人もほとんどいない。
それに対して「おじさん」は政権与党の政治家、官僚、企業経営者の多数派の属性。小馬鹿にする時に使うことも確かにあるが、親しみを込める時に使うことも普通にある。そもそも入れ替え可能でないものを、入れ替え可能であるかのように論じるのは詭弁である。
使い古された例だと、ナチス体制下の「ユダヤ人は出ていけ」と「ドイツ人こそ出ていけ」が同じレベルの民族差別だという屁理屈と同じ。「女性専用車両は男性差別」もそう。こうした議論が「論理的」だというのなら、誰も論理性を尊重しなくなる。
ディベートの授業の話を聞くと、私が中学生のころに行われたディベートの授業を思い出す。
まだディベートという言葉自体もやっと一般の耳に入り始めたかどうか、という頃のことだ。
ゆえに教師もまだどう授業を進めればいいのかわかっていなかったのか、あるいは後に述べる理由から意図的にそうしたのか、きちんとルールが定められていなかった。本来ディベートであれば立論、質疑、反論といった流れが決まっており、最終的な勝敗はジャッジが決定するはずだが、そのときは単に何人か選抜されたグループを2つ作って話し合うだけで、同級生が傍聴してはいたが勝敗にかかわることはなく、本当に聞いているだけだった。
議題は教師が決めた。内容としては当時話題になっていた政府のミスについてだった。
私は当時すこし疑問に思ったことを覚えている。イメージしていたディベートはたとえば死刑制度の是非や、易しいところならばペットは犬猫どちらが良いかなど、どちらにも転びうる内容について話すものだと思っていたからだ。
しかし(政策の方向性などではなく)政府のミスとなると、ミスを問い詰める側が有利で、擁護する側が不利なのではないかと。実際、ニュースなどでも連日政府を批判する内容が報道され、それが当たり前だった。
それでも授業であるから、わざと片方が負ける前提で非対称的なテーマを出したのかもしれないと思い直して私は議論を聞いていた。もちろん、どうせ負けるのは擁護側だろうと思っていた。おそらくその場にいた全員が似たようなことを考えていたと思う。
彼女は、普段は教室の隅っこで一人読書しているような、地味なタイプだった。似た性質の友人と話しているところはたまに見かけるが、基本的に一人を好む静かなタイプだった。
しかしそのときはいつもと違い、鮮やかなほどによどみなく朗々と意見を語り上げていた。
自分が意見を出すのはもちろん、相手がなにか言ってもそれを否定するのではなく、「そう、その通り。しかしそれは見方を変えればこうとも言えませんか?」というように、うまく掬い上げては軌道を変え、いつしか自分が有利になるように話を持っていく。
批判側のチームの言葉からは次第に力が失われ、傍聴席はざわついた。はじめは誰も政府の行動が褒められるようなことだなどと思っていなかったはずなのに、いつのまにか「あれって本当にミスだったの?」「むしろ英断だったのかも」と政府を見直すような空気になっていた。
そんなとき、教師からディベートの終了が告げられた。理由として「テーマが一方的すぎるのは片方が不利すぎてやはりよくないと思った」というようなことを言っていたが、聞いているこちらからすれば「今更?」だった。ましてテーマ的には不利なはずのチームが場を支配しているような状況でだ。
わざわざ文句を言うようなことはしなかったが、小さな違和感は残った。
その後はまたチームが変えられ、先程挙げたようなディベートでよく使われるテーマで(やはりディベートというにはルールが緩かったが)話し合いが続けられたが、そのせいでなおさら最初のテーマの異質さが際立つようだった。
のちに自分があの頃住んでいた地区がいわゆる左翼の強い地域だったことを知り、謎が解けた気がした。
ようは、あの教師は「生徒たちが政府を批判する姿」が見たかった、そして別の生徒たちに見せたかったのだろう。あとから思えばチーム分けも、批判側は成績がよく友達も多くよく喋る、いわゆるスクールカーストの高いものが選ばれており、逆に擁護側は彼女を含め、物静かであまり人と関わらない、地味なタイプが選ばれていたように思う。
そうであればあの展開は教師にとってさぞ焦るものだっただろう。政府を批判するどころか、聞いているものまで巻き込んで政府を見直すような空気になっていたのだから。批判側が巻き返せる様子がないのを見て唐突に中断させるのも頷ける。
あれ以降、私は少しだけ引いた位置から物事を眺めることを覚えられた気がする。炎上などを見ても、ほんとうにそれは誰かが作った流れではないのか、と考えることができるようになった。もちろん過信はしないが。
そういう意味で、あのディベートの授業は有用だったのだろう。教師の考えていた結果とは大幅に違ったろうが、教師の考えていたとおりの流れになったときよりはきっと、私の人生に意味のあるものを残してくれたと思う。