2023-01-07

かつて経験したディベートの授業と、教師イデオロギー

 ディベートの授業の話を聞くと、私が中学生のころに行われたディベートの授業を思い出す。

 まだディベートという言葉自体もやっと一般の耳に入り始めたかどうか、という頃のことだ。

 ゆえに教師もまだどう授業を進めればいいのかわかっていなかったのか、あるいは後に述べる理由から意図的にそうしたのか、きちんとルールが定められていなかった。本来ディベートであれば立論、質疑、反論といった流れが決まっており、最終的な勝敗ジャッジが決定するはずだが、そのときは単に何人か選抜されたグループを2つ作って話し合うだけで、同級生が傍聴してはいたが勝敗にかかわることはなく、本当に聞いているだけだった。

 議題は教師が決めた。内容としては当時話題になっていた政府ミスについてだった。

 私は当時すこし疑問に思ったことを覚えている。イメージしていたディベートはたとえば死刑制度の是非や、易しいところならばペット犬猫どちらが良いかなど、どちらにも転びうる内容について話すものだと思っていたからだ。

 しかし(政策方向性などではなく)政府ミスとなると、ミスを問い詰める側が有利で、擁護する側が不利なのではないかと。実際、ニュースなどでも連日政府批判する内容が報道され、それが当たり前だった。

 それでも授業であるから、わざと片方が負ける前提で非対称的テーマを出したのかもしれないと思い直して私は議論を聞いていた。もちろん、どうせ負けるのは擁護側だろうと思っていた。おそらくその場にいた全員が似たようなことを考えていたと思う。

 それを覆したのは、擁護側のチームにいた一人の同級生だった。

 彼女は、普段教室の隅っこで一人読書しているような、地味なタイプだった。似た性質の友人と話しているところはたまに見かけるが、基本的に一人を好む静かなタイプだった。

 しかしそのときはいつもと違い、鮮やかなほどによどみなく朗々と意見を語り上げていた。

 自分意見を出すのはもちろん、相手がなにか言ってもそれを否定するのではなく、「そう、その通り。しかしそれは見方を変えればこうとも言えませんか?」というように、うまく掬い上げては軌道を変え、いつしか自分が有利になるように話を持っていく。

 批判側のチームの言葉からは次第に力が失われ、傍聴席はざわついた。はじめは誰も政府の行動が褒められるようなことだなどと思っていなかったはずなのに、いつのまにか「あれって本当にミスだったの?」「むしろ英断だったのかも」と政府を見直すような空気になっていた。

 そんなとき教師からディベートの終了が告げられた。理由として「テーマ一方的すぎるのは片方が不利すぎてやはりよくないと思った」というようなことを言っていたが、聞いているこちからすれば「今更?」だった。ましてテーマ的には不利なはずのチームが場を支配しているような状況でだ。

 わざわざ文句を言うようなことはしなかったが、小さな違和感は残った。

 その後はまたチームが変えられ、先程挙げたようなディベートでよく使われるテーマで(やはりディベートというにはルールが緩かったが)話し合いが続けられたが、そのせいでなおさら最初テーマの異質さが際立つようだった。

 のちに自分があの頃住んでいた地区がいわゆる左翼の強い地域だったことを知り、謎が解けた気がした。

 ようは、あの教師は「生徒たちが政府批判する姿」が見たかった、そして別の生徒たちに見せたかったのだろう。あとから思えばチーム分けも、批判側は成績がよく友達も多くよく喋る、いわゆるスクールカーストの高いものが選ばれており、逆に擁護側は彼女を含め、物静かであまり人と関わらない、地味なタイプが選ばれていたように思う。

 そうであればあの展開は教師にとってさぞ焦るものだっただろう。政府批判するどころか、聞いているものまで巻き込んで政府を見直すような空気になっていたのだから批判側が巻き返せる様子がないのを見て唐突に中断させるのも頷ける。

 あれ以降、私は少しだけ引いた位置から物事を眺めることを覚えられた気がする。炎上などを見ても、ほんとうにそれは誰かが作った流れではないのか、と考えることができるようになった。もちろん過信はしないが。

 そういう意味で、あのディベートの授業は有用だったのだろう。教師の考えていた結果とは大幅に違ったろうが、教師の考えていたとおりの流れになったときよりはきっと、私の人生意味のあるものを残してくれたと思う。

 ただ、できれば。そもそも特定の生徒を生贄にして自分欲求を満たすような教師がいなくならんことを願う。

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