既視感がすごい。反フェミニストはこういう「入れ替えたら」論法がやたらに好きなんだけど、間違っていると思う。
そもそも「朝鮮人」と「おじさん」は入れ替えてはいけない。「朝鮮人」は日本ではマイノリティだし、歴史的に被差別者で、言葉自体に差別的なニュアンスがある。自ら「朝鮮人」と名乗る在日の人もほとんどいない。
それに対して「おじさん」は政権与党の政治家、官僚、企業経営者の多数派の属性。小馬鹿にする時に使うことも確かにあるが、親しみを込める時に使うことも普通にある。そもそも入れ替え可能でないものを、入れ替え可能であるかのように論じるのは詭弁である。
使い古された例だと、ナチス体制下の「ユダヤ人は出ていけ」と「ドイツ人こそ出ていけ」が同じレベルの民族差別だという屁理屈と同じ。「女性専用車両は男性差別」もそう。こうした議論が「論理的」だというのなら、誰も論理性を尊重しなくなる。
テコ朴理論じゃん久しぶりに見た気がする