はてなキーワード: 蛸壺化とは
そうだろうか。白痴化に作り手が迎合すると、ジャンルは一時的に盛り上がるけど、噛めば噛むほど味が出るような深みを失うと思う。それに対抗するのが、ジャンルに持ち込まれる新しい視点や、深掘り表現の技術のようなもので、それを突き詰めていくと蛸壺化が起こる。
だからその間でバランスを取るために、受けたものの要素を分解して、他の要素といかに混ぜるか、新しい視点を持ち込めるかを検討する。そんなイメージを持っている。
「白痴化」と「蛸壺化」は表裏一体だけど、分けて考えていいと思っている。
大衆の白痴化って、強いて言うなら「学ばず、直感的に理解できる良さや面白さのみを評価すること」だと思うので、対象ジャンルの歴史や過去の名作、ジャンルの将来的な在り方みたいなものを無視して、現在流行りの直感的に理解できるものだけを評価すること、その浅さが問題。
ジャンルの蛸壺化は、「ジャンルの制作者側が、消費者の視点とは別の視点を持って独自の価値観で評価を行い続けること」、消費者視点だと直感的な理解がしづらいものが評価されるようになり、ジャンルへの敷居が上がることが問題。
両方ともメリット・デメリットがあるから、その間でどのようにバランスを取ることができるか。バランスを取れたジャンルが生き残っていくように思える。
我も書いてみる。多分、誰が書いたかは分かる人には分かると思う。
因みに職種はケアワーカーってヤツです。昨今注目されるエッセンシャルワーカーとも呼ばれるアレです。
一つ目の施設は大学在学中に内定をもらった。民家っぽい見た目の小さなグループホーム。小さなグループホームなので男女で区分けされずに利用者様が暮らしていた。あ、もちろん個室はあります。我は若い女性の見た目をしているので男性利用者様によく絡まれた。それはまぁ良い。想定していたことだ。ところが指導役である男性職員が止めるどころかそれを煽る。何かされる前から「ほら、○○さんがあなたを見ているよ。」とか言ってくる。とても気持ち悪い。そして職員が煽るもんだから利用者様からのセクハラも悪化していく。(具体的に何を言われたかは利用者様の個人情報を外部にバラすという守秘義務違反になるので話しません。我は偉いなぁ。)一番キツかったのは夜勤。夜勤は基本的に一人で入る。そのためにどうしてもセクハラ常習の利用者様と一対一で話さなきゃいけない時間ができてしまい、逃げ場がなかった。ついでに言うと夜勤明けに例の男性職員が「差し入れ」としてほぼ毎回朝ご飯を渡してくるのだが、それも段々気持ち悪くなっていった。我はケチなのでほぼ毎回ありがたく頂いていたのだが。この男性職員は他にも「女性が野球を知ってる訳ない」とかジェンダーバイアスが強い発言を多々していて一緒に働きたくないタイプの極みだった。おまけに一度海外から実習生が来たことがあったのだが、その実習生の名前を日本の芸人のギャグを文字って弄っていた。そういうことをする人も、そういうことをする人を雇う職場も信用できなくなった。ある日突然勤務に行けなくなってそのまま辞めた。
二つ目の施設は一つ目の施設を辞めて1ヶ月ほど後に内定をもらった。我は福祉とは無関係の大学を卒業していたのでその点を突っ込まれるかと思っていたが面接ではスルーされた。その時既に嫌な予感がした。一つ目の施設よりは広いグループホームで利用者様のスペースが男女で分かれていた。「男性利用者様からセクハラを受けることはない」と安心していたが、この施設も職員のクセが強かった。この施設では海外出身者が多くパートタイムで働いていた。そのために我が仕事のやり方を教えてもらうのが難しかった。これはまだ我のコミニュケーション力不足で説明できる。それじゃ日本人の職員はどうかというと海外出身者を見下すような態度を取る人ばかりで我が心を開くのは難しかった。母国以外でケアワーカーのバイトするくらいだから相当優秀で日本語にも自信のある人たちだっただろうに無能扱いされていて居た堪れなかった。そんなこんなで職場でのコミニュケーションをサボる内に我はとある失敗をする。対処法としては誠心誠意利用者様に謝罪するしかない類の失敗だった。(具体的に言わないのは守秘義務を徹底するためです。ケアワーカーの守秘義務は辞めてからも守らなくてはいけないものなんです。我は偉いなぁ。)ここで元から働いている職員に利用者様との間に立ってもらわないと我は利用者様と信頼関係を築くことができずに"詰む"。ところがそこでの指導役である職員は我を突き放し、あろうことか謝り続ける我に「さっきから謝っていますが謝って済むと思っているんですか?」と言い放った。我はなす術無くして棒立ちになるしかなかった。多分この施設は蛸壺化みたいなものが起こってクセの強い職員とそれについて来られるパートタイマーしか残らなかったのだと思う。ただでさえ地域で孤立しやすいのが福祉施設なのに、別区画の男性職員が女性職員に干渉していなかったらそらそうなるわなって感じっス。翌日からその勤務先には行けなくなった。連絡が何度か来たような気がするが全部無視してしまった。多分辞めたことにはなっているはず。
こういうクソ虫、どのジャンルにもどの業界にもわくからマジで気を付けたほうがいい。
食べ手には上下・優劣はないが
ラーメン評論家はメディアでラーメンについての発信ができる存在ではあるが、食べ手のひとりであることには変わりはない。その中で店主へのマウンティングがあったとしたらそれは大きな問題である。
「客」や「消費者」や「ファン」ではなく「食べ手」という言い方な。
たぶんラーメンの「作り手」に対応する”対等”な言い方なんだろう。
こんな言葉を使う人間は既に「食べ物としてラーメンが好き」ではなく「ラーメンが居場所」になってる連中。
消費者の分を弁えずに参加者気取り。店側と対等、一緒に作ってる(笑)。
プロレスが新日の復興前に一旦ほぼ滅んでいったとき業界は本当に「参加者」気取りが溢れんばかりだった。
蛸壺化したファン達はみんなもうレスラーに対して異様に馴れ馴れしくウェットでほとんどのレスラーに対してバカにするような意地悪な批評ばかりするようになり、
プロレスメディアにも自分にキャラ付けをしまくって自分の名前を出しまくってご意見番気取りでプロレスシーンにモノ申す記者が現れ、
実況者にもレスラーや試合そっちのけで自分のつまんない言葉遊びを主役にする勘違い野郎(古舘伊知郎っていう)がいた。
みーんな自分の分を越えて「俺はプロレスに参加して一緒に作っている」という意識だった。
それで低迷に低迷を重ねて全部滅んだ。
そしたら再興した。
勿論再興の理由はそれだけではないけど、
かつての参加者気取りの変な奴等は全くもっていなくても大丈夫なゴミだった。
クソ虫どもは「プロレス業界の低迷の犯人捜し」や「起死回生の策」を盛んに論じていたけども
あいつら自身が低迷の犯人であいつらを切るのが起死回生の一歩目だった。
なんでそうなるかって、
「参加者」気取りはそもそも能力的な選抜を受けてないんだよね。
消費者とかライターとか実況アナとしての限定的な役割の能力は問題なくても
でも「参加者」気取りになるとどんどんラインを踏み越えてプレイヤーに接近していく。
プレイヤーというのはプロレスならレスラーだし、ラーメンならラーメン屋店主。
それでプレイヤー側もそういうクソ虫を相手にしちゃう人がいる。
近い距離でヨイショしたり盛り上げたりしてくれる風なので深く考えずに付き合っちゃう。
クソ虫は別に能力が高いわけでもないし消費者の代表でもないので
クソ虫の話を聞いてアイデアに乗ってるとどんどん時流を読み間違えた変な選択ばかりするようになっちゃう。
またクソ虫は固定化されてプレイヤーと一緒に老いていくから新しい消費者のニーズなんていよいよ見えなくなっちゃう。
プレイヤーに必要なのは常に新鮮で偏りのないファンニーズの摂取と新陳代謝であって、
でもその評論は1意見以上に扱われるべきでないし、プレイヤーは距離を取ってクールに眺めないといけない。
そこで「プレイヤーに近付きたい、特別な距離で扱ってほしい、自分をラーメン業界の作り手側にしてほしい」
という態度をちょっとでも出す奴はクソ虫だからそういうのほど近づけちゃ駄目。
「こいつら害の方がずーっとでかいんだな」と見抜いた。クレバーだと思う。
訴えられた中傷爺は完全にクソ虫(自分達を特別扱いしない店に不満を持って攻撃)だし、
この「共に盛り上げる」などとほざいてる記者も間違いなくクソ虫側なのが分かるよね。
はっきり言って人間関係のあるところならどこでもクソ虫は現れるし
会社や王朝がガタガタと滅ぶのだってよく見るとだいたいクソ虫がいる。
自らの分や能力以上に拡大しようとして全体を滅ぼすっていうのはガン細胞と全く同じ性質でしょ?
いまのなろうトレンドを見てると、音楽界にあった音圧競争的なものを感じられてならないね、というお話です。あ、そう感じただけで結論はねーです。
ウェブ小説サイト「小説家になろう!」は、日本でも有数のページビューを抱える化け物サイト。そこでは雨のあとでもないのにタケノコがニョキニョキニョキニョキ生えてくるような状況。なのでそこを勝ち登るためのメソッドがどんどん研ぎ澄まされてってます。
これについて雑に現象を収斂すると「長文タイトル(タイトルでどんな内容かを明示する)」「テンプレ化(人々が楽しみたい物語類型に従ったストーリーテリング)」の二つになるでしょうか。特に後者がやばい。ものすごい勢いで物語たちが生まれるってのは、新陳代謝、練磨の速度もそいつに伴ってきます。更に、ガンガン系やエース系、後は各紙のウェブ連載漫画などには、かなりその影響が波及している印象もあります。
が、この流れって、どこまで続くんでしょうね?
と言うのも、音楽業界に似た流れがありました。それが上で書いた、音圧競争です。
音圧ってえのは、簡単に言うと「同じボリュームで、どれだけ音が大きく聞こえるか」の指標です。音楽製作ってな、容量の決められた箱の中にどんなものを入れるか、みたいなところがあって、その箱の中により多く物を詰め込めると、それだけ音圧がでかくなります。
人間、好ましい刺激があると、もっと強い刺激を欲するもんです。音楽の場合、まさにこの「音圧」こそがそれ。でかいは正義。分かりやすい。そして、途中はすっ飛ばしますが、デジタル化で、めっちゃ詰め込みやすくなりました。スコップで穴掘ってた人間に、突然ショベルカーが与えられたぐらいのアレです。
ただね。結局、限界があるんですよね。
どんどんと曲の音圧が上がっていく。すると入れ物にギチギチになっていきます。そこに遊びがなく、息が詰まってくる。
もともと、音の大小ってのは静かなところがあってこそのハデハデしいところです。音圧競争の激化によって生み出された曲たちは、「ぱっつんぱっつんで、メリハリがない」と一部で嫌われるようになりました。その流れの末、 YouTube では「音圧でかけりゃいいってもんじゃねえぞオラ」てきな方策を打ち出します。一定以上の「音圧」がある曲が、強制的に音量を落とされるようになったんですね。このへんの具体的な内容はこちらに。
G.C.M. RECORDS
YouTubeの自分や他人の曲が何dB音量を強制的に下げられているか調べる方法
https://www.gcmstyle.com/youtube-gain-check/
これによって、一定以上の音圧を稼ぐことに意味がなくなりました。リンク先によれば、他の音楽再生サイトもこの流れにしたがっていきます。かくして音圧競争には終止符が打たれ、 「適切な音圧」の枠内で音楽たちは戦いを繰り広げるようになったわけですが。
これがね。いまのなろうトレンドの進み方にかぶる感じがして仕方ねーのです。
この辺の与太話を書こうとした動機。それは、めっちゃなろうトレンドを研究してらっしゃる方、「うっぴー/ライトノベル作法研究所」さんのこのツイートを拝見し、んん? と思ったことでした。
>> You Tubeで昔のエロゲのプレイ動画を見たら。 ・展開がダラダラと劇的に遅い ・主人公下げ。ヒロイン下げなどのストレスがちょこちょこ挟まり、すぐにこれが解消されない ・無駄と思われるシーンが多い。 エロゲは人生のバイブルですが、現代のなろう小説がいかに進化しているか、わかりました <<
https://twitter.com/ranokenn/status/1328484670778920961
うっぴーさんは別のツイートで、なろう作品では「共感させ、大活躍させて、すげぇと言われて、ざまぁすることが超重要」と説かれています。つまり、感情移入できる主人公が強くて、活躍して、ムカつくやつをやっつけて、称賛される。ついでに言えばモテる。それをいかに物語の骨子とできるか、が「なろうで勝ち上がるために」重要だ、と仰るのです。
主人公アゲが作中でなされればなされるほど、読者は高揚する。なので、それをより端的に、継続的に提供し続ける。そういう作品が、勝つ。更に言えば、「長文タイトルで」どのような方向性の主人公アゲがもたらされる物語なのかを、余すところなく語る。
ここで、主人公アゲを「アゲ圧」と呼びましょう。
月刊少年漫画誌の作品などは、「エピソードボスを倒す」というアゲ圧マックスポイントを作るために、途中ではアゲ圧を下げます。主人公のピンチ、初戦の敗北、回想シーン、などですね。これらを積み上げ、エピソードボス撃破、及び後日談というアゲ圧マックスポイント、いわゆるカタルシスを演出する。
っが、なろうではこの悠長なやり方が通用しません。一定以下のアゲ圧となると、読者の離脱が発生するそうなのです。ゆえに、常にアゲ圧の高さをキープ、なんならほぼ全編クライマックスくらいの状態を作るようにせねばならない……のだ、とか。
その精華が、うっぴーさんのツイートに現れているように思うのです。よりスピーディーに、より劇的に、物語を組み上げる。なるほど。けど、それってどこまで行っちゃうの?
「なろう系」を提供する総本山、小説家になろうは、レギュレーション違反以外のことで作品には介入しないのを旨としています。となれば、YouTube が見せたような「いい加減音圧競争やめーや」的介入はありえない。なろうトレンドバブルの崩壊は、自然発生的な形になるんでしょう。
ただ、ならそれがどんな形で発生するのか? また、バブル崩壊後の作品分布はどのようになるのか? こいつについては、自分みたいな半端者ではまったく想像もつかんのです。
以上の話、あえて結論を申し上げれば「おいおい、そのうちなんかおもしれーこと起こりそうだぞ、どーなのよ」となりますでしょうか。いやー、人類たのちい!
あら反応いただけて嬉しい。文通させてね。
一番多いのはこれよね。
信じてないですよ。どちらかと言うとこちらも批判的な立場です。ただし全否定もしません。「なろうという戦場の最先端近くにいる人たちを見ている」ことはすごくて、でも「それを語る氏のメガネ」は曇ってる。そう言う立場でいる中で、無双モテすげぇざまぁという感情を揺さぶるのが「なろうトレンド」という氏の発言には説得力を感じてます。油断するとすぐ否定的言説になるから、敢えてアゲ基調で書いてるけど。
ついでに言っとくと「真に受ける」じゃなくて「分析通りの状況になってる」から言及してるわけであって。今のなろうのランキング眺めてみ? うっぴー氏の分析どおりだし、あとキモいから。
「お前の作品はロミオとジュリエットのパクリだ」とか言われても「はいその通りです」としか答えようないものねー。読んで「パクり元に対してシリアスか」になってくるのかなって思うけど、正直わからん。
すげーいっぱいあるよね。ランキングにずらずら並んでるのを見て正直引いてる。
然り、然り。
このテーマね。申し訳ないけど、他ならないうっぴーさんが回答してるよ。「なろうは時間つぶし、暇つぶしに見る人が多い。こういう人たちは、たとえどれだけ頭がよくても、あまりものを考えずに読めるものが欲しい」ってね。
もと発言者を信用するかどうかはさておき、このテーマそのものは興味深いと思ってるよ。
これ、俺も正直よくわかんない。けど「書きたいものを書いてウケないよりも、書きたくないものを書いてウケたほうが嬉しい」って言ってる人もいるし、そうなんじゃないかな?
せやな。だからその辺の話してないやろ? 「目立つとかってだけ」の話しかしてない。
というかそもそも「ガチで読みたい」人ははじめっからランキングなんぞ頼んねえだろうよってゆうね。そしてガチで読みたい人なんてさらっと読みたい人に較べりゃ圧倒的にパイが少ない。そんな人が求める作品なんざどだいランキングになんぞ上がってこねーでしょう。
奇遇だね、俺もあなたの「珠玉金剛」って表現気持ち悪い。まぁ合わない人同士、ここは距離を置いときましょうや。
ありがとう。技術論云々以前の、こういう感覚的な部分って決して見過ごしちゃならないものだって思うんだよね。
人間、よりわかりやすく、より刺激の強いものを、ってどうしてもなるよねー。
ぐんぐん圧縮され過ぎて、そのうち新規参入の人が見たらただの奇形物にしか見えなくなるんじゃないかなって思ってる。ていうか正直俺には今のなろうトレンドって奇形物の集まりにしか見えない。
わかる。転スラ読んでギブアップしたのもそれ。
謎の圧力にさらされて疲弊するんですね、わかります。確かにそういう作品多い。
「限られた範囲で、いい塩梅で」ってのは、まぁ確かに簡単に実現できるもんでもないしねぇ……。
わかるー。オールオアナッシングのほうが楽だよねー。余計なこと考えなくてすむし。じゃあその方向で、ご自由にどうぞ。
こっちの書きたかったことが一切伝わってないのはわかりました。
もうありそう(こなみ)
こんなのが☆5乱発って……せいぜい☆3ぐらいだろ。
話の作りは「ゴジラ」という枠組みにとらわれすぎていて完全にゴジラマニアのオナニー。
スタッフの「よいこのみんなーーーー^^ゴジラ大好きだよね!^^」という呼びかけに対して「はーい^o^」と元気よく答えられる大きなお友達以外は退屈なシーンの目白押し。
そうと思いきや既存のゴジラ像を破壊してやったぜと庵野がご満悦であろうゴジラジャナイシーンも出てくるんだが、これまた既存のゴジラ像に飽々してない人は何でゴジラ見に来てこんなの見せられなきゃならないのという気分。
ゴジラシリーズのお約束ありきの様式美とカウンターばかりで元になるゴジラにそんな詳しくない人間からしたらどこをどう愉しめば良いのか分からないまま終わる。
えーえー私が悪いんですよ怪獣映画といえば午後ローのサメ映画ぐらいしか知らない無学な私がゴジラを見に行ったのが悪うござんしたね。