はてなキーワード: 芥川とは
もうゲーム以外どうでもよくなった影響を与える派だけど、ゲームに関して言えばゲーム内での行動をどう評価されたかが大きいと思ってる。
つまり、猟奇系アニメを見て親に「好きだねぇ」とか苦笑されるより、ほのぼのアニメを見て「勉強しろクソガキ」って殴られられる方が悪影響は強い、と。
何が言いたいかって、結論としちゃまぁマスコミがクソって事なんだけどな?(笑)
ゲームはゲーム内報酬システムを制作が考えて作ってるから、プレイヤーの行動を制御しやすい面があると思うんだ。
対してメディア内での行動を伴わない映画・ドラマ・アニメの類は行動が“視聴”しかないだろ? それに対するアクションって仲間内のコミュニケーションやメディアでの評価だと思うワケ。どっちが悪いとかじゃないけどな。
応答速度を考えると長い目で見れば同じ側面はあるんだよ。
続編を作る時にファンの声って大なり小なりフィードバックされるじゃん? 語り合ったり評価を誰かに伝えるのがメディア視聴の一環だとすると、ゲームと同じように制作が続編で視聴者を制御してるとも言える。
ただ、そこに外部の声が入り込むとゲームを邪魔されてる状態に近くなると思うんだよね。
「ほら、こんなものを見てるからこうなっただろ? だから言ったじゃん」
「こういうものにはこういう結果が待ってるのは当たり前なんだ、影響を受けるからやめろ」
そう言われながら見た人間とそうでない人間は、同じものを見ても受ける影響は違うと思わないかい?
繰り返して書くよ。
俺は影響がないとは思わないが、それを強めているのは間違いなくメディアの評価だと思う。
太宰や芥川を読んで親が悪く言わないのは世間がそういう目で見ているから。その世間を作るのは書籍を売っているメディア業界。
親とマスメディアが一緒になって自分の好きなものを「これは悪い影響がある」って言い続ければ白でも黒くなるんだよ。
新聞なんか戦争煽って世論を誘導して5000万人以上殺したじゃないか。影響がないなんて馬鹿を真に受けてるんじゃ話にならないと思うね。
ごろうまるがどっかの大学でふつうに学生同士の試合やってるのをグランドの中に入って見てた
その後自分もラグビーやってみることになって高校の体育の授業いらい久しぶりにやった
でもなかなか位置取りができなくてぼーるもってはしってくる人の前にばっか走っちゃってて申し訳なかった
その後なぜか幼稚園児の女児と女子小学生と俺と中学生のときに不登校だった友達とでバレエをやることになった
そんで練習した
女子小学生はかなり腰パン、というか腰スカートできわどいかっこしてるなあと思ってた
女児はおいたんだえに似てた気がする
本番までもう少しってところで高校の時のテリー伊藤に似ててろんぱりで芥川をかっこいいと言ってやまない国語女教師がいきなりでてきて、ペンギンの進化について4人で演技してお手本みせてっていきなりいってきた
さいしょはねそべっててつぎはすこしあたまをもちあげてて次はからだをすこしもちあげてさいごは二足歩行になるかんじのやつ
さいずてきに女児JSをまずやらせておれがそのつぎ不登校がラストだった
これでいいのかとすこし不安はあったけど、100点とか言ってくれるかなとすこし期待もしたけど、うーん83点!と少し溜めてから言われた
4話でポートマフィア芥川との対決、5話で江戸川乱歩の超推理、6話7話で国木田さんの理想が砕かれる話と
徐々に面白くなってきている。
多分3話までに切った人が多いからだと思う。
本番は4話以降だというのに、最近のアニメは中々3話で切ったら勿体ないのがある。
あんハピ!なんかがその例だと思う。
4話で花園に遠足する回が非常に面白く絵も背景も美麗でうるっと来た程だ。
見続けてて良かったと思う。
逆に見続けて失敗だったエンドライドやケルベロスとを比べると面白さというのは
徐々にワクワクドキドキするようなハチャメチャさが必要だと感じている。
文豪ストレイドッグスは最初こそダメダメだったけど途中から面白くなるタイプのアニメだろう。
作品に喩えるならDARKER THAN BLACK-黒の契約者がそれに当てはまる。
1話から面白いアニメも多い中で途中から面白くなるから1話から見てってよというのも酷なので
本当に面白いので是非。
2011年3月11日14時46分。その時、自分はトイレにいた。大のほうだった。
その日は午前中のリリース判定で4か月以上かけた担当案件が承認されたばかり。開放感でいっぱいで、ゆっくり昼食を取ってまったり気分の昼下がりだった。
進捗が半分を超えたタイミングで、カタカタという揺れに気づいた。ああ地震かー最近多いな、と思っていたら揺れは収まるどころか持続し、さらに次第に強くなっていく。いつもの地震じゃない、大変だ!と緊急スイッチが入った。なんせいま現在、尻を晒したままだしヤツは尻から離れていないのだ。
下腹に力を込めて残りを排出し、尻を拭いてズボンを上げ、視線を落とした。黄土色のヤツは洋式便器の水に浮かび、23区近郊の地上4階の揺れに同期してちゃぷんちゃぷんと右に左に揺れている。ふと芥川の小説にあった、平安貴人の大便を捨てるため水を入れた箱と「これが侍従の糞(まり)であろうか?」という一節が思い浮かぶ。蓋を開けたら入っていたのは香木だっただろうか。
だが目の前で踊っているのはただのうんこだ。さらに揺れは強くなっている。ヤツも揺さぶられ、便器の外にこぼれそうな勢い。ここから出なきゃ。トイレでうんこと共に救出されるハメになったら、恥ずかしすぎて死んでしまう。
水を流す。レバーに手をかけた瞬間、水が出るか、そしてそれより大事なのはあふれ出ずに流れてくれるかだ、という不安がよぎったものの、やるしかない。
水は出た。そして見事ヤツを便器の奥に流し去った。逆流がないことまで見届けて扉を開けた。かなり気が楽になった。ここで万が一扉が開かなかったとしても、何も証拠はないのだ。ふはは。
扉は開き、手も洗って廊下へ出た。この時点でまだ揺れているどころか、立っていられないくらいの状態になっていた。
廊下にはうちの上司がいた。こいつうんこしてたなとか思ってるかもしれないが、そんなくだらないことを口にする余裕はどちらにもない。やっとトイレ出入口横の壁に張り付くと、執務室もマシン室も電子ロックが解錠されて開け放されており、そこから机上のものが続々と床に落ち、中のメンバーが机に隠れたりしているのが見えた。
揺れがようやく収まってから、全員で外へ出た。大変なことに遭遇しているという実感が湧いてきた。
その後、さっきまでのまったり気分は見事に吹き飛んで、余震に精神力を削られながら停電地区からのお客様の問い合わせに忙殺され、仕事が終わったのは23時近く。当然電車は動いてないので、多くのメンバーと夜を明かし、翌朝タクシーを捕まえて帰った。
当日の仕事だけでなく地震そのものから受けた衝撃も、津波のとんでもない被害も、原発事故も、実家の軽微な被災も、もちろんあの日の記録ではあるんだけど、自分の中では揺れるうんこもあの日の記憶の一部になっているのだ。
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☆少女マンガの表現機構―ひらかれたマンガ表現史と「手塚治虫」 岩下 朋世
マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫) イタロ・カルヴィーノ
スティーブ・ジョブズ(1) (KCデラックス Kiss) ヤマザキ マリ
カリガリからヒットラーまで (1971年) ジークフリート・クラカウアー
物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン (朝日文庫) 大塚 英志
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☆☆「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか 鈴木 涼美
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果てしなき渇き 深町 秋生
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出版ではなく作家志望者を喰い物にして稼ごうという業界の魂胆が垣間見える本。
シナセンや芸術系専門学校やカルチャーセンターが細々とやってきた業界内ビジネスに、胴元が参戦してきた。
流行作家が雁首を揃え、文筆業の華やかな部分だけを語っている。
阿川佐和子、石田衣良、江國香織、角田光代、大沢在昌 etc.
本書の想定読者は"本を読んだことはないけど何となく作家になりたいと思っている人たち"だろう。
どんな有名作家の、誰でも知っていそうなことでもしっかり書かれている。
「こんな基本情報さえ読者は知らない」という前提で作られた本なのだ。
略歴紹介に続く本文では、"山本周五郎(しゅうごろう)賞"、"芥川(あくたがわ)賞"などとルビが振ってあったりする。酷い。
荻原浩は「公募ガイドを見て新人賞に応募した」だなんて言ってるし、森村誠一は「私の作品を読んだことがない、小説はあまり好きじゃないと言う担当編集に会って驚いた」と書いているから、本書の読者も相当ナメられているだろう。
道尾秀介(40歳)をして「失敗するのを恐れて、臆病な読者が映画化された本を買う」と言わしめるほどである。読者の質が低いのは業界周知の事実で、自然と商いのレベルも落ちているのだ。
念押しするかのように、あとがきでは北上次郎が「作品は斬新さが重要、完成度は求めていない、ストーリーはどうでもいい」と放言している。端から新人作家を使い捨てにする気でいて、作家を育てる余力が業界にないのだ。
ちなみに私は本著を図書館で借りて読んだ。
堂々たる複本所蔵であるが、予約を入れてから二ヶ月ほど待たされた。
それだけ"ニーズ"があるのだ。
人気が出ればアニメ化される。放映されて、誰かがエロ絵あげる。おまえらヌく。
それを価値と認められないからこそ、「それ以外にもいいとこはあるんですよ」って、年金が若者にとって損とは限らない的な物言いが馬鹿にされるんですよ。
なぜかって?
結果論的に、文章を書いてる内に、または書こうとして取材に行って殉じる人はいるでしょうよ。
ラノベ書きでも、ふりーじゃーなりすととやらも、当然亡くなってる人はいる。
あそこまで呪われてる人はおらんのですよ。
もちろんラノベ書きでも呪われてるのがいるでしょうよ。
でもね、せいぜいロリコンだったり自己顕示欲の塊だったり売文家だったり程度でしょう。
だけど、安心していい。
一般小説にもそこまで呪われたのはそういない。
京極はんも東野圭吾も宮部みゆきもぜーんぜん呪われちゃいないでしょ?
ちゃんと作家として生き長らえてるじゃない。
呪われてる人は自殺したりなんかで、さっさとこっちの世界からオサラバしてます。
文学として小玉のをつくることができる人はいても、大玉は今の日本じゃ無理です。
思想に殉じることができないのでね。
んでもってそれは、ラノベだけじゃなく一般小説も同じことなんです。
エンタメは楽しけりゃいいんです。
逆に言っちまえば、日本は平和なんです。思想に殉じる必要がなくなった。
健全な一般市民にエロゲを勧めたりしようとすれば、頭おかしいと思われるように、
たしか芥川龍之介氏だったでしょうか、恋とは性欲の文学的表現だと言っていたのは。
僕のあなたに対する感情を表すならまさにそれに近いわけです。もっともその本質は性欲ではないので安心してください。
少し僕の話をします。
僕はその、みかけ一丁前な自意識が出来あがっていく頃、具体的には中学生の頃なんですけど、自分のことを一人ぼっちだと思っていました。物質的にではなく、精神的にです。
生活には余裕がありました。勉強も運動も苦手ではなかったので、特に不自由はしませんでした。僕のことを好きだと言ってくれる子もいたくらいです。
コツコツ勉強をするのは嫌いでした。部活動は何度も理由をつけてサボっていました。にもかかわらずそれなりの結果を出せていました。
しかし努力の結果ではないので充実感もなく、自分がそれが得意だと思ったことはありませんでした。
まさに砂上の楼閣ですね。高校に入ってこの町を出たらただの凡人なんだろうと思っていました。
にもかかわらず、当然ながら周囲はそういった心情を汲んではくれませんでした。
教員は受験のことで熱心に近付いてきたし、部活では地元の高校に連れていかれて練習させられました。
学校というシステムにおける立場があがればあがるほど、周りの人間とは線が引かれ、僕は同じ立場の人間を得られないまま、
ひとりぼっちだと思い、どんどん殻に閉じこもっていきました。
まぁそんなに珍しいことでもないと思うのですが、もともとの自意識過剰な性格に加え、環境的なことも相まって、あの頃の僕は特別歪んでいたのでしょう。
毎日寝る前に、真っ暗な自分の部屋でスタンドライトをつけ、カッターナイフでHBの鉛筆を削っていました。
一度その最中に母親が部屋に入ってきたことがあり、彼女は心配したようでした。当時の僕はそんな心配もうっとおしいと思っていました。
鉛筆を削っていると少しだけ満たされるような気分でした。鉛筆削りで削ったものと遜色のないものが出来ると何故か嬉しかったのを覚えています。
それを終えて眠りにつく。それだけのことでバランスをとっていたのだから我ながら忍耐強いと思います。
これは非常によく出来た映画です。僕はこの映画が一番のお気に入りな訳なのですが、漂うウェルメイド感から、そういった趣向と勘違いされることが多いです。
まぁ違うといってもさらっと説明出来るモノでもないんですけれど。
この映画どういうものかというと、時間をさかのぼる能力を手に入れた主人公が自分と他人の人生をより良くすべく奮闘する物語です。
主人公のエヴァンは人生を良くする為に過去に戻り失敗を清算していく、しかし直ったはずの世界にはほんの小さなほころびがあり、
それらを全て修正しようと何度も過去に戻るうちに事態はどんどん悪くなっていく。
神のごとき能力を手に入れた青年が神の真似ごとをするのだが上手くいかない。そして青年が最後に辿り着いた選択とは。
この映画を観た時に感じたのは映画って凄いという感情でした。それ以上は言葉に出来ません。ごめんなさい。
僕には主人公のエヴァンの気持ちが痛いほどわかったし、周りに振り回されて、苦悩する主人公の中にその時の閉じこもっていた僕がいた気がしました。
ラストシーン、恋人を救うために過去に戻り恋人との関係を絶ち、関係をなかったことにする。
そして離れ離れに暮らしていた主人公が都会の人ごみの中で成長した恋人らしき人物とすれ違う。
今思い返してみると何にそんなに感動したのかわからないくらいベタなのですが。その時の僕にとっては確かに自分のことを言っているように思えたし、
それが恐らくエールに聴こえたのでしょう。詳しくは想像しか出来ませんが。
しかしながらなんだかその頃からと色々上手くいくようになった気がしたのです。まぁそれは結果論かもしれないですけど。
それからはさほど悩むことなく過ごすことが出来ました。田舎から出て新しい友人と出会い。今は東京で暮らしています。
相変わらず映画は大好きで、こねくり回して楽しんでいます。大学では自分で映画も撮ったりもしました。
僕にとって映画というのはそれくらい大事なものになったのです。
まぁ勿論歳をくってくると、悩んだ時に映画をみても何も解決しないことはわかってくる訳ですが。
これまでも問題を解決してきたのは自分の力だし、誰かの力を借りたりも大いにしています。
無くなっても生きていけなくもない気もしますが、それは気のせいで、やはり映画がない生活は考えられません。
と、長くなりましたがここいらでようやく本題に移りたいと思います。
なんと形容するのかは非常に悩むところですが、恋というのが一番近いと思います。
実際に映画を撮ってみてわかることはかなり多く、自分たちが如何に上質なコンテンツになれてしまっているか、
出来不出来に関わらず自分のつくったものにはそれなりの愛着がわくこともわかりました。
そして何より楽しかったのです。
映画を山ほどみたし、映画についてなら一日中喋っていられます。
ただ少しだけ引っかかることがあります。それはいつまでたっても完璧な映画に出会えないことです。
好きな映画を十本挙げろと言われればできますが、僕がほんとうにみたい映画には未だ出会えずにいます。
このことが僕が映画に恋をしている由縁なのです。
少女の恋がおおよそ世界に存在しない王子様を所望するように、僕もまた世界にあるはずもない完全な映画を求めているのです。
そして恐らくそれは一生叶うことはないでしょう。エヴァンが再開した彼女に声をかけなかったこと、それは恐らくこんな気持ちだったのでしょう。今は今なりに分かる気がします。
触れてしまうことで壊れてしまう幻想、自分が彼女と関わりない人生を送ること、その決断に価値はなかったのかもしれない。
エヴァンはあの時、声をかけないことで無意識に自分の幻想を守っていたのだと思います。
僕もまた、完璧な映画を探すことで、自分を守っているのかもしれません。至上の目的を持つことで自制を失わないように。
少し前、某動画サイトを眺めていると、こんな文言を発見しました。
僕は一も二もなく反応していました。
僕は脚本担当を申し出ました。当事者は僕より一回り上のおじさんで、一発当てる気まんまんといった感じでした。
作業は辛かったですが、やはり楽しかったです。
寝るのも忘れて書きました。
出来あがったものはこれ以上ないほどの出来だと思いました。
完成したその瞬間、ほんの少しだけ、あの時の夢のしっぽがみえた気がしたのです。
僕はその時ようやくあの時のバタフライエフェクトを超えることが出来るかもしれないと、本当にそう思うことが出来たのです。
まぁ色々あって結局僕の脚本は採用されることはありませんでした。残念ですが仕方ないことです。
しかし何よりも、物語を創るということだけでも映画と関われると気づいたことはこれ以上ない幸いでした。
いつか僕に映画を撮れる新しい友達が出来たらこの脚本を読んでもらいたいなと思います。
しかしながら実は脚本を書いたことよりもその過程の方がその実、発見に満ちていました。
その脚本は書き始めるまでがとてつもない難産でした。おじさんから縛りを貰ったのはありがたかったのですが、考えれば考えるほどその縛りがネックになっていきました。
そして、もうどうしようもなくなった時、僕はごく冷静に、極めて自然におじさんのことに思いをはせてみました。
脚本も書けないくせに、映画を撮りたいと抜かすいい歳のおじさんは自尊心にまみれ非常に滑稽でしたが、それと同時に何故か悲哀や、尊厳、意地を感じました。
僕はおじさんと会話を重ね、モノを尋ね、そのことを参考に本を書きました。
脚本が出来あがる頃には、僕の中で既におじさんと僕は良きパートナーになっていました。
まぁ、さっきも言ったように、結局おじさんのクズとしか言えない本性を目の当たりにしてしまうのだけどそれはまた別の話です。現実って厳しいですね。
これでどこまで行けるか。あの時、僕は恥ずかしながら、確かに自分のつくる脚本に恋をしていました。
それは以前のように憧れるだけのものではなく、目の前のこの物語と横に並んで一緒に歩いていく、そんな淡い想いだったのだと思います。
唯一ノイズがあるとすれば、それがおっさんのことについて書かれていることです。
しかしながら、その気持ちは僕の中で憧れを経て、それ自体を愛し、期待し、守るもの、そして明日を与えてくれるものへと変わっていきました。
こんなことを書くのも気味が悪いと思いますが、僕はあなたが恋している相手に心当たりがあるのです。
映画に映っているのはいつでも人間です。姿形、人がつくったモノ、人を囲むモノ、人の心、映画の、いやあらゆる表現の中に人間と関係のないモノはありません。
どうして日々新しい映画が生まれてくるのか。それはまだ人間が未知で、支配出来ないモノだからではないでしょうか。
それらを愛し、それらに期待し、それらを守る為に映画は今日も撮られているのだと思います。
芥川が、ほとんど死の直前まで書いていた文章の中に映画のシナリオがあったといいます。
日々募る絶望の中、彼は映画をみて何を思っていたのでしょうか。
僕は映画のことしか知らないし、それもたかが知れています。(文学も少しかじっていますが)しかしながら現代、生活と映画は近しいモノだと思っています。
僕は芥川の書いたラブレターは文学だと思っています。なぜならあれを読むといつも涙が出てくるからです。それでは説明になってませんでしょうか。
僕たちはかつて例をみないくらい幸いだと思います。共に歩くものに確固たる自分をのせることが必然として出来るからです。
僕は映画に飽きないでしょう。あなたが人間に恋していても、きっちりそれごと抱える覚悟です。
僕とあなたは違いますが、少なくともあなたの憧れているものの一部です。
だからこんなことを言うのは変かもしれないけど、あなたのことが大好きです。
優しいところが好きです。
冷たいところが好きです。
怖いところが好きです。
笑わせてくれるところが好きです。
泣かせてくれるところが好きです。
以上、あなたに恋する男からの言葉です。返事はくださらなくて結構です。ただ微笑みかけてくれればとてもうれしいです。それではまた。
「人生の意味を本気で考えだしたときが人生の終わりなんだよ」彼は言った。フライドポテトをつまむ手と、唇には油がこびりついている。そして続ける。
「それに気づいてしまった奴は一人残らず死んでる。具体的にはマンションの4Fから飛び降りてる」
「いいや。それも違うね。一般論すぎるね。本物はもっと早い。もっと早くに人生の意味を考え、小説はおろか、遺書1つ残さず死んでるんだ」
「でもね、生きている人だって沢山いるわ。そんなこと考えたこともない子も沢山。現に私がそう」
「そういう人は天才だよ。生まれながらの天才だよ…嫌そうな顔しないでくれよ。皮肉を言ってるんじゃない。僕はね、人生はテーマパークだと思っている。待ち時間と食事の代金が高いことを気にしなければ、楽しいことだらけさ。適度な刺激と、そして最近になって遊具の安全性が見直されたんだ。ほとんど死ぬことがない。そんな遊園地には奇妙なルールがある。それは裏側を見てはいけないんだ。例えば着ぐるみのファスナーを探したり。アトラクションの裏で巨大な機械が轟音を立てているのを見たり。そういうのを見てしまうと、決して元には戻れない。絶望して、観覧車のてっぺんから飛び降りるしか無くなるのさ」
「そこには救いがないの?一度気づいてしまったらもう戻れないのね?」
「救いはもちろんあるさ。それは簡単ことさ。ハリボテも、ファスナーの奥のおっさんも含めて世界だと認めることさ。そして僕らの世界は確かに作為的な、人工的なものによって作られていると知ることなんだ。その不完全な世界を、許してあげることさ」