はてなキーワード: 綺麗事とは
もう自己責任って単語聞いただけでアレルギー反応起こしてる手合がいるけど、いい加減イライラしてたのでここいらで自己責任と言っている人の文脈を説明する。
まず当たり前だけど、何でもかんでも弱者の境遇のすべてが自己責任だと言っていない。
社会の果たす責任が足りていないというのもあるが、逆に言い換えれば弱者に責任が全く無い、なんて言い訳も許すはずがない。
で、じゃあ何を主張しているかと言うと、全ての弱者が同時に救済される訳がなくて、誰から救済すべきかという優先順位の話をしている。
感情的に見れば、一番不幸な人から救済すべきだというのもいる。左派はだいたいこれ。
一方、救済にふさわしい人間、すなわち何らかの努力をしている人間から先に救済すべきだというのもいる。
自己責任の文脈はまさにこれ。救済にふさわしい人間になってない、という意味での自己責任。
ちなみに浄土宗だと阿弥陀如来は誰から救済するのかと言うと、善人でもなく悪人でもなく、ただ単に阿弥陀如来と縁が近い人間からだそうだ。
別に一番不幸な人間か、ふさわしい人間かどうかもどっちもタダの感情論でしかなくて、この段階ならイーブンだけど、実利が絡むと話が違ってきて、ふさわしい人間を救済したほうがその後ちゃんと社会に利益をもたらしてくれるでしょう、という話になる。
http://ninicosachico.hatenablog.com/entry/2019/06/17/221007
元記事
言っている理念は正しいし、そうありたいと思うけど、この手の記事は全部「責任」とか「立場」に対する考えが抜け落ちてる。
結局、「厄介な奴であるリスクの高い人間」を雇用して、トラブルになったときに責任や損害を負うのは店長で、バイトは何の責任も負わない。
そんなにこの34歳無職男に同情したのなら、自分が一切の責任をとるから雇ってくれと言えばいい。
そういう犠牲精神のあるNPOとかの人は心底尊敬するが、責任を負わない立場から綺麗事だけいうブロガーは信用できない。
34歳無職男を面接もせずに採用しないことが正しいと言っているわけじゃない。
しかしその判断を責められるのは、34歳無職男を採用している人間だけだと思う。
「もし自分が採用できる立場なら採用するかどうかは面接して決める」
なぜなら本当にそれができるかどうかは、その立場になってみないとわからないから。
自分はできると思っているのだろう。
やってから言え。
実際に女性差別をして殺人事件があったなどと日本で聞いたことがないがあるのかい?
被害妄想もここまでくると怖いんだが
なぜ実際に殺されると思うのか
実際、「女性差別」論者は発言一つで他人を社会的潰しにかかる。
「女性差別」という妄想を振り回す人間が「まともな人権を主張する人間」なわけねーだろ。
現に諸々の人権侵害を起こし、争いの種になっておる。
やってから言え。
その「少しずつ」の間に、大学の適切なチョイスを失った人材比率が医療を破綻させたらどう責任取るつもりだろ?
大学受験も少しはこれで良くなっただろう
無責任かつ無分別な輩がテキトーに叩いてるのは「批判」なんて上等なもんじゃないぞ?
君は医療費が三倍になったりしても同じ顔で同じたわ言を吐けるんかな?
「綺麗事」と言うより、「どっちが悪いとか無意味だから男性差別も女性差別も等しく批判しようよ」という話を勝手に「女が悪い」という話に曲解して「どっちが悪いとか無意味」と言い出すの普通に非対称だよね。
冷静ぶってマジョリティの社会規範を押し付けてきた癖に「どこが問題なんですか?」と言ったら「ちょっと落ち着いてw冷静に話し合おうよw」とか言い出すおっさんと同じ。対話ができないのはあんたらでしょと。
下手くそな包装にやったら時間かけるな可愛い店員が「店長〜これどうすればいいですか〜」とか言ってさ、だらだら喋り出すのをレジ前で待ちながら思うのだ
顔だけ可愛ければ無能でもいいのだな、と
女の社会なんて、結局顔よ。仕事も結婚も子供の顔も顔面偏差値が多少なりとも影響を与える。男も似たようなところはあって、イケメンのほうが能力が認められやすいし、堅実なブサイクより劇団員のイケメンのがモテる。でも、女の方がより顕著だろう。整形せず生まれ持った顔で生きる以上、自分の顔面偏差値上の限界は痛いほど感じながら大人になる。
でも、受け入れられないものではない。そもそも、顔なんてただの顔の皮に過ぎないわけで、それが全てではないわけで、化粧で誤魔化せる時代なわけで、恋愛においては美人であることより相手の好みであることの方が大事なわけで。
という、綺麗事の方を向いて、どうにもならない「顔」というステータス差を誤魔化し誤魔化し生きている。女同士で、顔の優劣の話が御法度なのも、それを浮き彫りにしてしまわないためだ。
無能な美人店員は、そんな曖昧模糊に誤魔化された見たくない現実を、否応が無しに押し付ける。無能でも、顔さえ良ければいい。女の子は可愛ければ馬鹿でいい。
そんな世界であるのはわかる。可愛い馬鹿を好む男が多い世界だ。店員が可愛いだけで売り上げは上がるし、1人のイケメン店員のおかげで賑わう店もある。
だけど、そんな現実を見たくない。辞めちまえとか、無能を雇うなとか言えない。彼女らの顔という武器で戦うのは悪いことでないし、顔で売り上げを伸ばすのも店の戦略だ。
の提案も含んでたんだけど、
含んでないだろ。プロジェクト名からして「HeForShe」。
男性に新たなジェンダーロールを押し付けて搾取する気丸出しだろ。
「ならセックスさせろ」
それを指して、「対話を諦めてしまったフェミニスト」ってなんだよ。
お前らが言ってるのは対話じゃねーよ。はなっから対話する気ないじゃん。妥協する気ないじゃん。
1、一言目には「セックスさせろ」って言ってくる人種。女の人権を軽視していて、ミソジニー拗らせてるのもここ。ネットで声がでかい。過激フェミおよび男性嫌悪の女を増やすマシーン。
こういう層の人権を軽視するのだからそりゃ戦いは終わらないよ。
「男性社会の価値観で縛られていて、対話もできない」じゃないよ。
君らが「相手の価値観を頭ごなしに否定して、対話も出来てない」だけだ。
「セックスさせろ」の何が悪いんだ?価値観じゃないぞ。そういう風にできてるんだぞ。
そういう風にできている生き物に対して「解脱しろ、さもなくば対話はしない」って、これほど暴力的な「対話」があるか?
今度はそちらの番だ。
セックスを拒み、またその代用品すら焼き、そしてヴィーガンめいたきれいごとを押し付ける。自分たちですら実践できない綺麗事。
優生思想の話とは少しずれるが
世の安易に「ナチスを擁護するオレ格好いい斬新画期的」と思ってる人には一言したい
絶対に自分をその優秀な人間に分類される側だとか脳天気に思ってるだろ?
で、ナチス時代のドイツではユダヤ人や非アーリア人は嫌な思いをしたけど
世間の大多数の普通のゲルマン系ドイツ人はみんな幸福だったとか思ってるだろ
ところがどっこい
世の中は「純血のゲルマン人は神/ユダヤ人はゴミクソ」とかいう
単純な二分法では割り切れず、大量の「白でもない黒でもない中間」がいるわけ
善良なドイツ人が皆お互いに
「お前、祖父の代までさかのぼったら純血のアーリア人じゃないだろ?」
「お前こそ、曾祖父の代までさかのぼったら純血のアーリア人じゃないだろ?」
「お前こそ5代さかのぼったら同上」
一生懸命に「理想的なゲルマン人」の骨格に合致しているかどうか
顔の額の広さや顎の広さをミリ単位で測って競い合うようになった
なまじ、ある一種類のみが優等、逆にこれは劣等なんて基準を作ると
際限なくこーいう相互疑心暗鬼で「こっちが優等」争いになるわけ
「みんな違ってみんな良い」などという綺麗事は言わぬw
皆さんは『コブクロ』というデュオをご存知だろうか?「ゆず」と区別のつかない人、身長差がある方です。
今やその名をインターネットで検索すれば焼肉の部位よりも上位にヒットするようになった彼らは、2001年に『YELL〜エール〜』でメジャーデビュー。2007年に日本レコード大賞を受賞した『蕾(つぼみ)』や、卒業ソングとして知られるようになった『桜』も耳に馴染みがあるのではなかろうか。
「卒業式で歌った!」という方、羨ましい。
「ゆったりした応援ソングばかりのイメージ」という方、間違ってはいない。ロックな曲も多いがヒットするのはバラードばかりなのが歯痒い。
「ゆずと区別がつかない」という方、わかる。私も区別がつかない歌手は山ほどいる。
「自分は歌が上手いと思っているおっさんが部下を連れたカラオケで得意げに歌う歌手」という方も、まあそういう人が周りにいるのだろうから間違ってはいない。
「正直一時期流行りすぎて聞き飽きた、歌詞がサムくて胸焼けがした」と感じている人もいるかもしれない。コブクロの歌詞は綺麗事が多いから、そういうのがアレルギーな人もいるだろう。ただこれに関しては、小渕さん(小さい方。詞曲とギターを担当する)が「自分が落ち込んでる時に言われたい言葉を書いている」と言っていたので、そういう側面が大きい。ちなみに私は綺麗事や理想論を貫くタイプの創作物が大好きな人間だ。
「スキマスイッチ?」、豆知識だがコブクロとスキマスイッチはかなり仲良しだ。
「ゆず?」、違う。大先輩。
はてな語で書いているので前置きが長くなったが、本題は「コブクロの人生がほぼ漫画」という話だ。
ことわっておくと私はヤバいレベルのアニメオタクだ。ツイッター廃人で、ソシャゲに課金しまくり、dアニで毎日ホビアニを観て泣いている。同人誌も出している。家にはたくさんの漫画や小説がある。舞台も観に行く。映画もドラマも好きだ。
つまるところ「人の作った物語」が好きなのだ。人の作った物語には「テーマ」や「意図」があり、それを直接台詞で、あるいは暗喩で伝えてくれる。「これはこういう意味で描かれたんだなぁ……」と思うのが好きだし、作品を観ていて「なるほどこれがこの話のテーマだったのか、これを伝えるためにここまでの本編の全てがあったのか」と分かったときの感動は凄まじい。そういう意味でホビアニはテーマが明確なので最高だ。子供でもわかるように作ってある。
と、話がまた脱線したが、『コブクロ』という物語の持つ「テーマ」を私は「パートナーシップ」だと思っている。「パートナーシップ」というものを念頭に2人を見ているとエモくてエモくて仕方がないのだ。
小渕さん(小さい方)は宮崎県の生まれで現在42歳。18歳の時に亡くなったお母さま(有名な『蕾』の母だ)と、4年前に亡くなったお父さま(この時のことを歌った『星が綺麗な夜でした』という楽曲がある)は民謡を教えており、音楽に触れて育った。BOØWYに憧れるギター少年だった。
黒田さん(大きい方)は大阪府の生まれで同じく42歳。オトンとオカンの話はライブでも頻出するのだが、所謂ベタな"大阪人"家族だ。子供の頃から背が高く、ランドセルを背負っているとおかしいからと小学校は途中からトートバッグで登校させられていたらしい。めっちゃかわいそう。
2人が出会ったのは1998年、小渕さん(小さい方)は音楽で食べていきたいという夢をとうの昔に諦め、故郷を離れ大阪堺市でサラリーマンの仕事に精を出していた。シロアリ駆除会社の営業で主任をしていたそうだ。当時21歳で……すごいな……。そして仕事の憂さ晴らしに毎週末ストリートライブをしていた。いや元気すぎるだろ。ちなみにこのサラリーマン時代の経験から「会社はクソ!!!!」みたいな曲も幾つか作っている。強すぎる。
黒田さん(大きい方)はニートの傍ら(?)堺市の銀座通り商店街でストリートライブをしていた。「大きい方ってギターとか弾けるの?」と思った方、実はあまり弾けない。ノリで弾いていた。冬は軍手をして弾いていたらしいがそれって音とか出るのだろうか。にわかには信じ難いが歌がうますぎるので許されていたのだろう。
2人は偶然にも同じ時期に同じ商店街でストリートライブをしており、双方声がデカすぎるので徐々に周りから他のストリートミュージシャンがいなくなっていった。そして交流し、互いの歌を認め合い、「オリジナル曲を作ってくれないか」と頼んだのは黒田さん(大きい方)だった。カバーしか歌っていないのは小渕さん(小さい方)も同じだったがせっかくだからと了承し、仕事の合間を縫って少しずつ歌を考えた。そうして手探りで出来た歌が『桜』だ。テーマはうっすらわかるが、歌詞のまとまりがあまりなく、フレーズごとの繋がりがフワフワと宙に浮いているような感じがするのもそういう経緯が理由だ。
黒田さんは曲を貰うと早速ストリートで歌った。小渕さんが気になって聴きに行くと、歌はめちゃくちゃ上手いが相変わらずのめッッッッちゃくちゃなギターで珠玉の名曲『桜』は歌われていた。見かねた小渕さんが「イヤイヤイヤなんじゃその演奏は!!!!!貸せやい〜!!!!」(※イメージです)とギターを奪い取り、ノリでハモって一緒に歌い上げた。すると商店街の道を塞ぐほどの観客が集まり、その後二人はコンビを結成する。『桜』の歌詞カードに「こぶちとくろだだから、『こぶくろ』」と書いて配ったのが、コブクロ誕生の由来だ。
ここから先も時間があればあるだけ語れてしまうような長い道のりがあるのだが、あまり長すぎても読んでもらえないと思うので泣く泣くカットして「パートナーシップ」の話をしよう。
オタク的なデフォルメ説明をするなら、コブクロの二人は「夢を諦めた天才と、夢を直向きに追い続けてきた天才」のユニットだ。
夢を諦めてサラリーマンをしていた作詞曲の天才が、ガツンと頭を打たれたような衝撃と共に歌の天才に出会い、「この声を世界に届けたい、この声を一番生かせる歌を書けるのは俺しかいない」と創作意欲を刺激されて再びギターを握った(一人でストリートをしていたのでギターはずっと握っていたが、これは比喩です)物語だ。
いやもうキンプリのコウジとヒロじゃん?(オタクすぐそういうこと言う) オタクこういうの好きでしょ?うたプリ1期でもハルちゃんが言ってたじゃん、「皆さんの歌を作れるのは私しかいません!」って。まさにそれ。
1998年の夏、人生を変える出会いをしたんですよ二人は。ジョジョ4部か?
今でも小渕さんは黒田さんの歌が大好きで、ライブで黒田さんの『流星』聴いて泣くんですよ。好きすぎか?普通相方の歌聴いてステージ上で泣くか?
すごいのが、小渕さんわりと「小渕さんから見た黒田さんのことだろうな……」って歌詞を書いて黒田さんに歌わせるんですよ。黒田さんどういう気持ちで歌ってんだろうな、これ……てなる。
「夢を拾った桜の下で君に出会わなければ今ここにいない」(『STAGE』より)
「子犬のようにびしょ濡れでうずくまった rainy day 心にさす傘を探し彷徨った lonely days 君の声だけがどんな雨も避けてくれたんだ
(中略)いつでも 僕らここで一つになれる 夢だけ忘れないでいたなら」(『One Song From Two Hearts』より)
「短い針が止まれば長い針も止まる 同じ痛みを分け合えることいつしか喜びに変わるから (中略)出会えてよかった」(『時の足音』より)
イメソンだ〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!(ニコイチに弱いオタクの叫び)
これらの曲以外にもコブクロはめちゃくちゃ自分たちのことを歌ってくれてるので、私オタクはコブクロのことを「二人のパートナーシップを題材にした少年漫画」と勘違いしてしまうんですよね。音楽系コンテンツみたいな。
前述したように私はテーマや作り手の伝えたいことが見えるものが好きなので、こうもはっきりそれを伝えられてしまうと大歓喜をしてしまう。先程歌詞を挙げた『時の足音』なんかは特に顕著。
「誰もが一人 一つ 一瞬 一秒 一度きり 巻き戻せない時を躊躇わず生きていける そんな出会いを探してる」
という歌詞、まじで、コブクロのことじゃん……自分がそういう出会いをできたから、こんな歌が書けるんだ……てなって泣くんですよ。
私は常々「誰か一人に向けたたった一つの強い感情が一番多くの人の心に届く」と思っていて、まあこれも実は小渕さんに気付かされたことなんですけど。
小渕さんが以前インタビューで「千人に向けて歌っても誰も振り向いてくれない。だけどたった一人に向けて歌えば、千人が千通りの受け取り方をしてくれる」と仰っていたことがあって。全然違う場所だけど、映画『ボヘミアンラプソディ』でもQueenが『Bohemian Rhapsody』をレコード会社に「意味わからん」と言われた時に「意味は聴く人自身が受け取ってくれる。聴き手はみんな自分のことだと思ってこの歌を聴くんだ」みたいなことを言ってて、マジでそれ〜!!!!と思った。
コブクロNo. 1ヒット曲の『蕾』もそう。ただ一人、世界でたった一人しかいない自分の母親に向けて作った曲だからこそたくさんの人の心に届いた。うたプリの初期曲だって春歌のためだけに作ったラブソングがめちゃくちゃ私たちの胸に響くし、伏見弓弦の『ずっとそばで…』とかたった一人の愛しい人に向けてるからこそ強い力を持った曲になってる。大衆向けにぼんやり作られた歌は、やっぱりぼんやりとしたメッセージしか持てない。
そういうわけで、コブクロの曲っていうのはメッセージを伝えたい相手がたった一人であることが多い。小渕さんが自分自身に向けてのメッセージを書いてることも多い。ファンに向けて書いてる曲も。他人の歌じゃなく、自分たちの中にある物語を歌ってる。
だから私はコブクロが大好きだし、コブクロの歌を「胡散臭」と思っている人たちにこの『コブクロ』という物語のイメージソングとして聴いてみてほしいと思っている。
コブクロファンが 『桜』のことをやたら大切にするのは、この曲がヒロとコウジで例えた時の『pride』だからだ。あんスタで例えた時の『ONLY YOUR STARS』だからだ。うたプリで例えた時のオーディションソングだからだ。
二十代の女が40過ぎのおっさん達に2次元アイドルさながらのコンビ萌えをしているのもどうかと思うが、ここで語ったことはコブクロに強く心惹かれる要因うちの一つであって、黒田さんの歌の強さ、声のすごさ、トークの面白さなどなど複合的な理由で私は一生コブクロのオタクをやめられないと思うし爆音でコブクロを聴いては「歌がうめえ……歌詞がエモい……イメソンじゃん……歌うま……ここのしゃくりが最高……」と一生泣いてると思うし、これからもライブに行きまくると思うし、とりあえず大阪に移住したい。
何言っとんのか分からなくなってきたけど、とりあえず終わり。今年のツアーのオープニング映像を見て生きてる人間同士の映画のような奇跡の出会い、共に20年歩んできたパートナーシップへの尊さが爆発して書きなぐったオタクの長話でした。
話す気の無い奴の話を聞けって?まして理解しろと?具体的な加害の内容もなく、生涯未婚率くらいしか示されないフワフワした議論なのにそれは無理というものだろう。
必要ないかなーと思って端折っただけだよ。不足があると思うなら、示してくれれば応えるよ。
結果的にはそうかもな。
お前がいくら愚にも似つかぬ一方的綺麗事を叫んでも誰も救われない。非モテの怒りに油を注ぎ、その復讐を早めるか苛烈にするかの結果しかもたらさない。
「私は私を排除した女に復讐してやるんだあ!」と叫ぶ男を選ぶ女はいないと思うが、君(達)は本当に救われたいのか?
もう復讐ありきで選ばれない事がお題目になってる気すらするが。