はてなキーワード: 系統とは
ちなみに同僚はいないも同じ。
そして、それはストレスで加速する。
友達はいないわけじゃないけど、頻繁に連絡をとったり遊んだりはしない。
親が毒系統だし、姉弟にもそれほど興味がないので、家族とも疎遠。
でも人とコミュニケーションとったほうが、ストレスはまぎれるのかな?
仕事のストレスで、長期休み以外は不眠の症状がひどいんだけどまぎれるんだろうか?
(睡眠導入剤は飲んでない。飲んでたことあるけど効きが悪いし、強い薬は副作用と離脱症状が強かったから)
若いわけじゃないから友人と会うと食事するぐらいだけど、楽しかったこともあれば、家で趣味してたほうが良かったと思うこともあったんだよね。
時間もお金もかかるわけで、自分にとっては大きなコストなんだ。
まあ、友人と会って楽しくないときがあるのは、自分自身がそんなに愉快なタイプじゃないのもあるんだろうけど。
なんて考えてるうちに、もう2時。
今日もよく眠れないんだろうなあ。
大阪の100人規模のライブで3人コロナ感染者がでた。クラスター、集団感染の可能性があるとのこと。
ライブを中止するのは大変なことだ。利益がでない。赤字になる。
小さなバンドマンは、借りた会場でライブをしてしまうかもしれない。
ノリに乗った打首獄門同好会は無観客ライブを生放送したが、そこでも「配信できない歌手もいる」ことを強調している。
結果的に、ほとんどの著名アーティストは中止、払い戻しを選択している。
はっきり言うと、中止しても金で死にはしない。優位にある歌手である。
このことを、どれだけバンド側が理解していたのだろうか。無自覚的に活動してたとでもいうのか。
やったことは反ワクチンを掲げる宗教団体が、風疹パンデミックを起こしていることとほとんど変わらない。
感染者がいるかもしれない場所で、感染者を増やすような行為を、自らが主導して行ったのだ。
この件に関して歌手が五輪に関わるために政府寄りだとか、報道ステーションで歌ったから反政府寄りだとか憶測が飛んでいる。
しかし反政府思想を持ってたとしても、ブラジルの引継ぎ式で安部マリオを出すくらいには寛容なのだろう。偏りすぎてはないのだ。
つまり、単純に読みが甘い。コロナをなめているという結論にたどり着く。
「もともと尖っているから」とファンは擁護するが、サブカルの尖り方とヤンキーの尖り方は違う。
楽しいから危なくてもみんなでウェーイしようぜ、というのはヤンキーの尖り方だ。三代目Jソウルブラザーズの系統だ。
ちなみに三代目はライブを中止している。
果たして復活した名バンドはヤンキーバンドだったのか、三代目は本当にヤンキーなのか。
話が脱線しているが、本当は事変を責めたいわけではない。楽しみにしていたのだ。
だからこそ、今回のことを悔い改めてほしいと思う。
いつかの発言での炎上とは違う。今回は細菌を伴う。震災でお悔やみの気持ちを考えての自粛とも違う。
みんなで自分の身を守ろうというときに、やってはならないことをした。
このままでは、事変は失敗する。演出がよければ歌がよければなんて甘っちょろいことは、椎名林檎はいやほど理解しているはずだ。
はずだと、信じたい。
エレクトリカルパレードではなくて蟻🐜さんの話やな
利他的な蟻の増える速度の方が常に速いので蟻たちは滅んでないんだってさ
琉球大学農学部の辻和希(本名・辻瑞樹)教授と日本学術振興会の土畑重人特別研究員の研究チームはこのほど、働きアリよりも、働きアリの労働にただ乗りする、働かないアリの生存率の方が高いことを突き止めた。
個々が社会の目標より自分の目標を優先してしまうことで社会をつくることができなくなるという、人間社会でもみられる「公共財ジレンマ」の実例を、人間と微生物以外で初めて発見した。研究成果は「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」(オンライン版)に掲載される。
辻教授は「この研究成果は人間がなぜ助け合うのかを理解するのにも役立つ」と強調した。
「公共財ジレンマ」とは、協力して社会をつくれば最終的な利益が大きいにもかかわらず、他者よりも大きな利益を得るために、他者の働きにただ乗りするという事態が起こり、社会をつくることができないことを指す。
研究チームがアミメアリを使い実験したところ、労働せずに産卵ばかり行うアリが交じっていることを発見し、それらは働きアリとは遺伝的に異なる系統に属することを確認した。働かないアリは、働きアリによる助け合いの利益にただ乗りしている。
研究によると、働きアリは働かないアリの分まで巣の外に出て労働するため「過労死」し、生存率が下がる。働かないアリは働きアリよりも多く子どもを産むが、その子どもは親と同様に働かない。だが、働かないアリのみの社会では、子孫を残すことはできないという。
自由競争の下では相手からの助けにただ乗りし利益を得た方が得であるにもかかわらず、助け合いの社会が発生することについて辻教授は、自然科学と社会科学の両分野で重要なテーマと指摘。「アリ社会において助け合いがなぜ生じるかを理解することが、ヒト社会の助け合いをより深く理解することにつながる」と研究の意義を強調した。
回数は確かに比例傾向にあるかもしれないが、根本は本人の資質と思う。
男も女も上手い下手は、どれくらい本当にいかせられるか、に尽きる。
女はいったと嘘いえるから余計わかりにくい。本当に行ったときの表情と後の態度が違うから分かる子は分かるが。
まぁ、回数より人数か。決まった相手しかいかせられなかったら、やっぱり下手じゃないだろうか。
ぶっちゃけ本当のこというと、本当に上手い人間は、相手がどう思ってる感じてるのか感じる能力がある。第六感的な。
それを持ってるやつは、ごく少数。風俗でも少ない。
それを補うためには、相手が本当に感じているかを神経研ぎ澄ませるか、相手を敏感な状態にするか。
いずれにせよ、相手が気持ちよく感じてるか、を用意するのがポイントになる。
そうそう。よく間違うのがアルコールはだめだよ。あれは感覚を鈍らせる。麻薬系統も同じと思われる。技術あったら、そもそも要らないし。
はっきり言えば、岩田健太郎は、危機管理に油を撒いて炎上させた。
今回の件。
もうすでに船の中に感染は拡大している恐れ。
船員は防疫の専門家ではない。
という複雑な問題なんだよね。
だから、現場は、「ベストよりもベター」で動かざるを得なかったということは想像がつく。
そこにベストのみを主張し、命令系統を無視した理想主義者が出てくるとどうなるか。
そして、専門家ほど「なぜこんなことができないんだ」と怒り出す。
でも、できない理由は、単純にリソースが足りないからだったりする。
正論であることは間違いないゆえに、指揮系統が余計に混乱する。
感染症専門に限らず、医師が、「岩田医師の言ってることは正しいが、やり方が確実に間違っている。グレーな対応こそ、今回はせざるを得ないのに」というのはそういうことだ。
85%の対応しかできないこともあり得る。それがベターである、ということは危機管理の場合如実に起こる。しかし、そこに部外者がなぜ100%の対応をしないのだ、と言い出したら、無能だからではなく、15%ができない事情があったのだということだ。
これは、「あらゆる観光客をなぜすぐに入国禁止にしないのか?」というのも同様だ。ドラスティックに防疫のみを考えるならばそうしたほうがベストだが、日本の法体系は諸事情によりそれができない。しかし、「だから官僚は無能だ」とかいうのはベストを主張しているようで、全く無意味な行為になる。だから、ベターな、聞き取り調査、発熱の管理という方法を取った。できない事情があったということだ。
少なくとも「正しいことを言っているから、危機管理上あらゆる面で正しかったか」と言えばNOなのだ。
グレーゾーンでの対応を国民が糾弾するようになったら、まず最初に「人権」が犠牲になる。
そこが最大限ヤバイ。
https://anond.hatelabo.jp/20200211202529
さて、続きだ。ゲーム業界の流通において初心会がやってきたこととその最後を述べてきたが、今回は初心会を葬った旧SCE、ソニー流通を中心に街のゲーム屋的な小売店視点で色々語ろうと思う。しかしこの期間は非常に起きた出来事が多くかつ入り組んでいるので、あえて細かな要素をオミットして正確さよりもわかりやすさを重視することにする。それにデジキューブの銃撃事件の真相なんざわからないからな。
時代はプレイステーション参入前。任天堂エンタテインメントが行き止まりに行きつつある頃だ。そのことについては前回語ったが、さて、任天堂以外の、NEC(PCエンジン)やセガ(メガドライブ)あたりはどうだったのだろうか? 初心会が横暴なら、こちらのほうに注力するという手段もあったのでは?
ぶっちゃけこっちはもっと酷かった。ソフトが売れないというわけではない。10万本売れるソフトはあった。あったのだが問題はプラットフォーマーが用意した他の大量のソフトだ。
当時、任天堂に対抗するためにNECやセガは自社プラットフォームの発売カレンダーの空白をなんとか埋めようと躍起になっていた。サードが自主的にソフトを作ってくれるのならそれに越したことはないが、そうではない場合は自分たちで用意する必要もあった。自分たちがパブリッシャーとなり開発会社に委託してゲームを作らせる。さらにはサードに対しても「ウチの流通に乗せますので○万本は絶対に売れますだから作ってください」みたいなアプローチも行った。そうして「とりあえず」カレンダーを埋めることができたソフトは、「とりあえず」問屋が頑張って小売に売った。在庫になっても不良在庫になるだけなのがわかっているので大バーゲンで売った。小売はもともとの卸値が安いため、最初から値引きして売る。売れ残ったら損だから博打みたいなものだ。そうしたソフトが並ぶと小売価格そのままのソフトは見向きもされなくなるのであわせて値引きされる。PCエンジン末期、餓狼伝説2(クソゲーではないのだけど)が100円で棚に50本くらい並んでいるのを見たことがあったが、あれは問屋の不良在庫を捨て値で小売が拾ってきたんだな。
どこかで見た状況と思わないか? そう、アタリショックだ。ゲームの在庫が問屋にも小売にも溢れわけがわからない状態になっていた。価格が崩壊し定価が意味をなさなくなっていた。
任天堂は初心会が横暴、セガとNECは頼りにならない。こんな状況の市場に次世代機の波と共に救世主がやってきた。ソニーだ。ソニーが直接小売店と契約するというのだ。
衝撃は大きかった。CD流通の流用で、「リピートを早く」「小売価格の大幅な値下げと小売店に対するマージンの確保」「掛け率は大量に取ろうが少量だろうが同じ」という特徴をもち、かつ「中古売買の禁止」「値引き販売の禁止」という成約があったが、それでも多数の小売店からは好意的な反応を得た。そもそも初心会でも値引き販売は原則としては禁止だったのだから。
そして何よりプレイステーションが小売店に好まれたのは、ゲーム機本体の卸値が安く、プレイステーション1本体だけを売っていても結構な利幅があったこともあげられる。これはかなり珍しいことで、通常は卸値と小売価格はほとんど変わらない。Xbox360の発売当初は二次問屋の都合一部の小売店において卸値が小売価格を超えたという珍事すらあったという。プレイステーションとサターンは発売時期がほとんど一緒で、スタート時点ではサターンのほうが優勢だった。しかしこれがじわじわと小売店をプレイステーション派に偏らせていった。プレイステーションは小売店にハードでもソフトでも確かな利益を確立してくれた。
そうしてFF7が、DQ7がプレイステーションで出るという流れが生まれ一気にプレイステーションが圧倒的な優勢を保持するようになるわけだが、この流れのなかでゲーム屋は何かが違うと確信した。プレイステーションが救世主になってくれたはずだった。しかしFF7を発売するスクウェア(当時はエニックスとの合併前だった)が打ち出したデジキューブは、既存のゲーム屋にツバを吐きかけるようなものだった。なにせ目玉タイトルのFF7の出荷本数の半分をコンビニに任せるというのだから。これではゲーム屋はやっていけない。いくら本体を売れば儲けになるといっても一人にせいぜいが一台が限界だ。ソフトをたくさん売れなければしかたない。
そしてソニーの態度もなにかおかしくなりはじめていく。元々の小売店への説明会では「返品はNG」ということになっていた。なっていたのだが、個別の対応としてソニーの担当者が返品を受け付ける旨を話していた。そのため小売店のなかでは安心して在庫を抱える店もあったわけだが、返品したいと言い出すと担当者の態度がころりと変わる。前に言っていたことと違うことを言い出す。ようやく返品受付をしてもらうも半額返金……。そのような事例が発生した。結局ソニーとしては二度返品を「特例」として受け入れるのみにおわり、いよいよもって「返品NG」が周知徹底されることになった。
頼りにするミリオンソフトは入荷しない、個別対応で約束していた返品制度はなくなった。このような状況下でもなおソニーは「中古取り扱い禁止」「値引き販売禁止」を打ち出していた。中古を取り扱った店や値引き販売した店は、不思議なことに”配送事故”が発生してソフトの入荷が遅れるようになった。
FF7発売の頃にはすでに任天堂は初心会を解散させていた。ニンテンドウ64を発売し、ポケモンを大ブームにさせた任天堂ならこの頃のゲーム屋の救世主なり得ただろうか? 残念ながらこの頃の任天堂(正確には任天堂系列の問屋だが)は「小売価格を下げつつ小売店への卸値を上げる」という暴挙に及んでいる。それでもポケモンが死ぬほど売れたのだから恐ろしい。
ソニーが信用できず、任天堂はあてにならない。そうした状況で頼りになるのはセガ……ではなかった。セガはメガドライブの反省を活かしおもちゃ卸問屋をまとめてセガ・ユナイテッドという流通会社を立ち上げる。大手のゲーム屋には直接卸し、小さな街のゲーム屋には二次問屋を使って卸す、ちょうど初心会とソニー流通の間のようなハイブリット流通機構を作り上げた。在庫管理とコストダウン両方の面でなかなか上手くいったはずだが、いかんせんプレイステーションの圧倒的ソフトラインナップには敵わなかった。自社でなんとかできる力はあるのだが、セガにはポケモンがなかった。しかしメガドライブ末期の状況からここまで着実に改革を進められたのは称賛に値する。NECは途中で死んだのに。
そしてついに中古裁判が勃発する。1998年1月には公正取引委員会がソニー流通の「値引き販売禁止」「中古売買禁止」が問題視され排除勧告を受けた。しかしこれで下がらずソニーは他メーカーを巻き込んで中古禁止裁判を起こす。ゲームメーカーvs小売の裁判だ。その一方で株式会社上昇(ようするにカメレオンクラブだ)がエニックスを訴える。「新作ソフトは扱わない」「ロイヤリティとして中古売上の7%を支払う」といった提案を出したものの実際にエニックスからソフトの出荷停止を食らってしまったがゆえの反撃だ。なおこの頃にはソニーがスクウェア(デジキューブ)だけを優遇することが問題視されて、各社サードメーカーも自社流通で小売店に卸すようになっている。
2つの裁判が同時に起きて別々の判決が生まれて、ここらへんは非常にややこしい。ややこしいが小売店は公然と中古を売るようになった。値引きもするようになった。自社流通に切り替わった各社ゲームメーカーも忌々しく思っていたが裁判と流通とは別との判断だったのか、おおっぴらに”配送事故”が起きることはなくなっていく。
ちなみにこの頃、セガはドリームキャストに向けさらなる流通改革を行い、セガユナイテッドをセガミューズへと編成しなおす。これは老舗おもちゃ問屋ムーミンがセガユナイテッドに合流した形だ。ムーミンはメガドライブ(もしかしたらもっと前?)の頃からセガと共闘しているお得意様だった。なお、ソニーを学んだのか「値引き販売禁止」「中古売買禁止」を小売店に押し付け、同じく公正取引委員会より立ち入り審査を受けるはめになる(もっともこれは後日小売店と契約しなおしをすることによって審査は打ち切られた)。小売店の救世主はなかなかいない。
中古裁判は最高裁にまでもつれ込んだが、ようやく結論は出た。中古販売は合法だった。小売店は大手を振って中古売買ができるようになった。値引き販売をしてもお咎めはなくなった。小売の完全勝利だ。「ファミコンショップ」はPS2の時代にまでいたりようやく安心できるようになったかのようにみえた。
そうではなかった。むしろゲーム屋地獄はここからが本番だった。
まず大店法の改正があった。巨大店舗の小売店が各地に出来上がる。そして家電屋の店舗の巨大化がどんどんと進む。巨大化した店舗で何を扱うか。ゲームも扱うようになった。ゲームは美味しい商材だと思われた。そして今までグレーゾーンだった中古に合法判決が出た。取り扱わない理由がなくなった。
そのため大手販売店は客寄せのために新作ソフトを大きく値引きする。これが卸値と同価でも構わない。とりあえず客が来て、他の家電もついでに買ってくれれば儲けものだからだ。そして中古も多数取り扱う。ゲームの利益の確保はこっちだ。そこそこの価格で引取りそこそこの価格で販売する。これも回転が早ければ利益が稼げる。ビデオレンタルのゲオとツタヤが入ってきたのも大きかった。街のゲーム屋さんにできることは限られていた。大手資本に真正面から戦って敵うわけはなかった。中古販売という最高の武器を手に入れたかわりに、同じ武器をもった最強の敵が現れたのだ。多数のプレイヤーがそちらに流れた。売っているものが同一なら、安いところで買うのが当たり前だからだ。
その後まったく救いがなかったわけではない。DSの大フィーバーがこの後起きた。ゲームに触れたことがない新規層でも直感的なタッチパネルを備えたデバイスはゲーム市場を一気に活性化させた。誰もがみなDLライトを買い求めてゲーム屋と家電屋を往復した。飛ぶようにDSライト本体と脳トレとどうぶつの森が売れた
しかしここでも任天堂流通が小売の前に立ちふさがる。任天堂は小売店から受けた仕打ちを忘れていなかった。64よりもPS1,ゲームキューブよりもPS2を優先させた街のゲーム屋に、引く手あまたのDLライトを多く卸す理由がなかった。DSライトは任天堂流通のお得意様、デパートのゲームコーナー、おもちゃ系統の販路を優先して入荷していった。今まで子供向けのプレゼント用途にゲームキューブ、ポケモン関連をしっかり取っていた「実績」のおかげだった。街のゲーム屋が本当に一息ついたのはおそらくさらに後のモンハンポータブルの大ヒットあたりからだろう。
こんな流れがあり、地方から今現在ほとんどの「ファミコンショップ」が姿を消している。初心会を中心とした問屋は、成熟したゲーム業界がメーカーの自主流通を実現させたことでその役目を終えて消えていった。となれば、地方のゲーム屋もまた、成熟したゲーム業界によって役目を終えた存在としてみなされてしまったのだろうか? おそらくはそうだろう。そして将来的にはゲームを販売する大型店舗すらいなくなるかもしれない。ダウンロード販売をメーカーは推進しているからだ。
そんな流れのなか、この令和の時代に意地でも自前の店舗でゲームを販売している「ゲーム屋」を見かけることがある。業界の厳しい荒波に揉まれそれでも生き延びている人たちだ。私は彼らに尊敬の念を抱かずにはいられない。
彼らに幸あらんことを。
なんかさー
社内雰囲気悪くて、
上の人は下の人にあーだこーだあれこれ文句言いやすいけど下の人はたまったもんじゃないわよね、
上とか下とかないけど
立場の弱い人に強く言うってのはなんだかなーって思うわ。
私の所はほぼ私一人なので、
たまに寄ってくる人が
私の机の引き出しを勝手に開けてお菓子を持って行ってることは知らないふりしてるけど、
いいのよもっていってお菓子。
濃い味だけの方が減りが早いから、
私の机のお菓子の引き出し開けて持って行くのはいいけど均等に持って行ってよって思うわ。
でもハッピーターンだけに皆ハッピーになれば!って我ながら天使みたいなことを思っちゃうし。
たまに誰か気の効いた人が
引き出しのお菓子を補充してくれてて笑うけど、
これじゃないんだなぁー私ブルボンがよかったのに!なんて絶対言わないわ。
そもそもとして私用のお菓子だから私の食べたいものしか入ってないんだけど。
もし、まんべんなくグリコのお菓子が食べたかったらオフィスグリコやんなさいよ!って言いたいぐらいよ。
たまにオフィスグリコの人を外で見かけたりするんだけど、
あれって余所のオフィスとかにお菓子を絶え間なく補給してる人なのかしら?
そもそもとしてオフィスグリコの人から直接買えるのかな?って疑問もあるわ。
いいヤクルトはヤクルトレディーのルートでしか流通してないいいヤクルト、
そうマーケットで売ってないやつよ。
あれもいちいち宅配で持ってきてもらっても留守だったらいけないので、
あと家の近所を
そんでもって器はどうしたらいいの?
その場で食べるスタイルだったら
なんか食べ終わるまで大将に見守られててなんだかプレッシャーになるし、
例えばラーメン650円で1000円出した時おつり出させるの面倒くさそうかなって気も遣っちゃうし
私のお財布の中にちょっきし支払えそうな小銭のラインナップがあったらそこは強く行けるんだけど、
なかなかそう都合良く小銭のスタメンが揃ってる機械ってないじゃない、
だから軽トラの屋台ラーメンを止めてラーメン食べるのも至難の業だわ!
でも寒い今だからこそ雪舞う最中でこしらえてもらうラーメンって一入に美味しいんだろうなぁって
でもさすがにそれはないわ。
おおよその私の予想では
色々な味の楽しめるラーメン屋さんより
味これ一つで勝負してるラーメン屋さんの方が美味しそうな先入観もあるし、
イカさんって美味しいディナーのために昼食は控えめにするって言うぐらい賢いらしく、
それって研究所の飼い慣らされている、
じゃ謎解きはディナーの後なの?ってへりくつも言っちゃいそうで
トリスウィスキーのポップで瓶に付いてた吉高由里子ちゃんの髪の短い頃の写真でそれ見て思いだしたわ。
さすがにイカと言えども謎解きはディナーの後とはいかがなものかね!って重ねて言っちゃってるけど
あの人も眠らされた小五郎さんばりにそう言いそうで。
新しいのを買いに行ったら、
ポップの吉高由里子ちゃんの写真の髪の毛が伸びてたからホラーだわ!って後から思ったけどそれってただ単に写真が違うって新しくなったってだけの話しよね
笑っちゃったわ!
そんでさー
大きな美味しそうに焼けた肉片を、
大きなまま口に咥えて、
そのままナイフでダイレクトに口元で切って食べてるときに飲んでる
ステンレスとかの小さな小瓶から直接飲むウイスキーもワイルドで憧れるけど、
幸い私には焚き火がなくって、
それだけがネックよ。
いつかあの肉のワイルド食いと吉高ちゃんがシーエムやってるトリスウイスキーを小瓶に入れてのワイルド飲みを
ってそこ焚き火ないやないかーいってツッコミは無用よ!ってことは
ディナーの前だから分かりきってることだしね!
うふふ。
これがまたトラップで
完全にラッピン具されたその外観からは海苔があるかないか分からなかったのよ。
風邪引かないのは緑茶うがいのおかげだ!って嘘かホントか分からないことどっかでよんで、
それこそソースは知らないけど、
違う違うソースでうがいするんじゃなくって、
違う違うソースを薄めた今日のデトックスウォーラーはソースウォーラーってことじゃなくって、
それはさすがに私には分からないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!