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はてなキーワード: 科挙とは

2017-09-29

18歳も投票するのにわかりづらいのは「保守」がおかしいか

ウヨサヨ定義おかしいよって学者もいってて、じゃあってリべ保守対立軸に(マスコミは)したみたいなんだけど

改憲勢力って普通改革派でありリベラルなんだよね。

それを除いてもリベラル保守おかしいのは今から説明する。

いまこの国にはいろんな勢力がすんでる。

ざっくり勢力的に大き目なのは医師会とか官僚とか(自動車など)メーカー社員とか教育者とか主婦とか。

それを全部かかえている家族だってある。

しか政党とは細かく見ていくと利益代表団体なので、〇〇の問題にはガチ保守(現状を何一つ変えるな)で××の問題には改革を叫ぶってのがある。

同じ回答セットの人が多ければ多いほど政権党になる確率は多いが、意見は分かれる。

それを政治力wでまとめあげてる。

でも国ってのはどっか常に改革しないと、今さら縄文時代にもどって半農半漁で暮らすことはできないし、なんならグーグルマップがなくなったって大混乱。

それを細かくやってるのを

おおざっぱに「リベラル保守」でマスコミが呼び分けてもしょうがない。

日本にあるのは政権党野党だけ。

どれをえらんでも中身は同じです。

国民が注目してるのは防衛問題から防衛はちゃんとやりますと叫べば政権という甘いお菓子をもらえるとおもってる。

民進党という野党から希望の党という政権党に脱皮したいとおもってる。

政権党になれたってあいつら頭悪いか行政たる官僚に国のやり方教えてもらうだけですよ。

官僚官僚でやっぱり細かい利益調整はやってるけど、自分仕事がなくなるのはイヤだから「この仕事はもうしなくていい」とは絶対にいわない。

 

特に人気がとれそうな防衛問題昭和回帰型だけを保守と呼び他をリベラルと呼ぶことを決めるのもおかしい。 

 

もうね、ほんと科挙じゃないけど、なんとかならんのかね。

AIがいたらそいつ投票したいくらいだ。

2017-06-24

やっぱり憲法改正必要

これを見て思ったよ

https://twitter.com/take_off_dress/status/878188241194696704

憲法に書いてある既得権益のある職業の力を削ぐべきだ

既得権益のある職業とは、

  1. 裁判官
  2. 公務員

憲法に書かれている公務員国会議員のことだが、公務員全般を指す条文もある。

普通会社員会社が潰れれば職を失うし、そうじゃなくても首になったりするが、裁判官は一度なれば国会で弾劾されない限り首にならない。

貴族だよ貴族司法試験現代科挙って呼ばれるわけだな。

国会議員も会期中の不逮捕特権があるし、公務員一般一般企業に比べれば優遇されている。

憲法改正して、既得権益本丸に切り込もう!

2017-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20170207223033

面接とかで取る入試制度を取ってる大学もあるよ。全部が完全にペーパーテスト大学はかなり少ない。勿論難関大学でも私立はそうだ。

まあ、ほぼ合否に関係ない名目上の書類提出とかは勿論そういう入試形式でも有りうるけど。

しろ今の入試制度は、ペーパーテストだんだん軽視されつつある。

一般入試こそペーパーテストだけど、他の形式の占める割合が大きくなってきている。

僕も昨日今出川大学を受けてきたけど、私立入試は何回設けれるから「一発勝負」じゃないし。

地元で受けれるから負担も昔より減ってるし。まあ僕もちょっとあとにはW大受けるため新幹線を使わないといけないわけだけど……。

ただ、学問を学ぶ意義もないのに最難関大学就職のために行くってのが問題だってのはとても良く解る。

例えば論文高校生のうちに、仮に稚拙ものであっても「意欲」が図れるようなもを書く風習があったほうが良い気はしたし僕もそれを活用して大学を目指しただろう。

あとまあ国公立だとチャンスが限られてくるってのもアレかもしれん。


しかし、面接などで「意欲」を図るのは、ペーパーテストなどよりもよっぽど真の力が図りにくい。

時間に渡る試験でも図れないようなパワーを、数十分の面接でどうこうできるとは思えない。所謂コミュニケーション」出来るだけで、学ぶことの適性なき人間が有利になりかねない。

就職予備校は十分かもしれんが、学問を学ぶ場所としてのにそれはまずい。現状はペーパーテストが一番「マシ」なのだと思う。それを、推薦、AO特殊科目入試などで補っているのが現状だと思う。

なお、科挙廃止されたのは、アヘン戦争敗北から洋務運動・戊戌の政変などで「西洋近代化」が推し進められる中で、

科挙の出題科目は「儒学」であったことが、守旧的とみなされてなくなっただけのようにも思える。「古典を暗記して、解釈をする」だけが入試範囲だった。

今の入試は違う。どの科目も、なんだかんだ行って大学学問をやるには役に立つ。あと、科挙あくまでも「官僚採用試験」であり、官僚の適性を見るのが役目だった。それに古典しかないというのも問題だった。大学入試とは訳が違う。

まとめると、ペーパーテストはそれなりに合理的。回数を増やすことで、一発勝負不安定感も一応軽減している。

形式で、ペーパーテストで図れない力をみる入試もやっている。

それでもやはり、大学就職予備校とみなして、学問を学ぶためでないのに入ろうとする人達は困りものだしそういうのと学びたい人を分けることのできる仕組みはやっぱり存在したほうが理想ではあると思う。ただ、現実にはそれはとても難しい。

自分もまだ19歳、よくわかってないところもあるだろうけど、取り敢えず書き立ててみた感想ってことで。

2016-01-14

中国歴代王朝対策と結果」に期間と補足を追記してみました。

http://anond.hatelabo.jp/20160113194003

元増田面白かったので期間と()で補足を追記してみました。

王朝期間対策結果
257王が諸侯領地を与え、諸侯世襲でその領地を治める 諸侯の力が強くなって群雄割拠となる
19領地皇帝の直轄とし、皇帝が任命した官吏がその領地を治める 中央集権に対して地方から反発が起こる(陳勝呉広の乱)
前漢225中央は直轄とし、地方皇族世襲としつつ、徐々に皇族の力を削る 皇族の力が弱くなったことで外戚が専横(新朝建国
後漢161外戚の専横を抑えるため、宦官を重用する(皇太后竇氏の垂簾政治外戚に代わって宦官が専横
後漢36宦官の悪政に対する反乱(黄巾の乱)を鎮圧するため、地方豪族たちを登用する 地方豪族が強大化して群雄割拠となる(三国時代
19地方豪族の力を弱めるため、官吏地方人材推挙するよう改める 官吏人事権を握るようになり、上級官職を独占して貴族化する
26後継者争いを防ぐため、皇族の力を制限する 皇族の力が弱まったことで、国を有力貴族に乗っ取られる(高平陵の変)
39皇族の力を強めるため、皇族優遇する 皇族同士の内乱が起こる(八王の乱
12皇族同士の内乱に勝つため、異民族の助けを借りる 異民族に滅ぼされて群雄割拠となる(永嘉の乱
南北朝 84異民族が国を建て、統治のために漢民族同化する 異民族の気風を残す辺境軍閥が反乱を起こして国が分裂する(六鎮の乱)
南北朝 66軍閥の代わりに徴兵制に改めて、辺境防衛を任せる 領土が拡大すると遠く離れた辺境兵士を送るのが難しくなる
29貴族解体するため、試験によって官吏を登用するように改める(科挙教養のみを重視して実務を軽視するような文弱化を招く
289徴兵制では辺境防衛が難しいため、募兵制に改めて辺境軍隊を置く 軍閥化して反乱が起き、群雄割拠となる(五代十国時代
167軍閥が力を持たないよう、中央官吏の力を強める 文弱化して異民族に敗れる
89漢化して弱体化しないよう、異民族の気風を保つ 差別された漢民族の不満が溜まって反乱が起き、群雄割拠となる(紅巾の乱)
276外戚排除して皇帝独裁体制を構築する 暗君が続いて弱体化し、異民族に敗れる
268漢民族統治するために漢化する 漢化して弱体化した国軍では反乱(太平天国の乱)を鎮圧できず、代わって活躍した義勇軍軍閥化して専横

2015-06-28

議院内閣制」を廃すれば解決

世襲を廃止」というのは官僚制度において、機能している。すなわちフルオープンな試験制度による人材登用。歴史的に見れば中国科挙に始まりフランスバカロレアイギリスのGCE、アメリカSAT、そして、それらを越えて遥かに客観的で公平な制度として日本センター試験があった。

官僚制度はうまく機能しない場合もあるのだが、それはおおむね選抜方法を変えることで解決できたりもする。

たとえば科挙。千年にわたって有能な人材を引き上げる役割果たしてきたが、あくまで「古典」への知識のみを重視したため、近代の急激な世界情勢への変化に対応できなかった。ちなみに、いま日本センター試験制度を大きくいじろうとしているのは、おそらくそういう配慮だと考えられる。

さて、よく「自治体首長政治家は、選挙によって選ばれているので民主主義だが、公務員はそうではない。よって官僚権力をもたせてはいけない。」と、いわゆる「政治主導」を正当化する意見があるが、いわゆる三権分立のうち、立法民主主義原則に基づくことは当然のこととして、他の二つ、すなわち司法行政は、いずれも「法」に拘束されるという時点で既に民主主義を基盤としているであるから、その担い手必要資質は、それぞれの「法」に関する専門家である、ということだけではないだろうか。というか、そうでなければ物事はうまくいかないのではないか。従って、その構成員試験によって選抜されることが重要だと思う。

従って、行政における「政治主導」というのは、個人的には百害あって一利無しだと考えるし、特に行政」においてその根幹を成す議院内閣制というものには、大変納得がいかない。たとえて言えば、与党の長(しか法律のこと何も分かってない)が最高裁判所長官を兼ねて、政治の都合であんな判決やこんな判決を出せと言っているようなもので(まあ「任命権」を通してそれに近い状況は事実あるのだとしても)、極めて不健全であるし、何より、「立法」の府がかくまで世襲に覆われている現状において、深刻な機能不善をきたしているのではないかと考えている。

というわけで、世襲より先に「議院内閣制」をやめ、現状のような立法府の極端な優越を避けることで、ゆるやかに「世襲うまみ」を削っていくことの方が重要ではないかと思うのだがどうか。もちろん、「試験に受かっただけの公務員権力を増やすのは反対」という意見は、それとしてあるだろうが、それなら「公務員」の選抜方法・育成方法も、合わせて検討し(それはどうせ必要なことだ)、適宜改革すればよいと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20150628144540

2015-04-24

中国十大忠臣

諸葛亮

言わずと知れた宰相諸葛孔明

劉備亡き後の蜀漢をよく支えたが、志半ばにして五丈原に死した。

その判断公明正大で、諸葛亮によって流罪とされた者ですら、彼を恨まずその死を嘆いたという。

彼の手になる「出師表」は古今の名文とされ、「読みて涙を堕さざればその人必ず不忠」と言われるほどである

魏徴

唐の凌煙閣二十四功臣の第四位

もとは太宗の政敵である李建成の部下であったが、その剛直さを買った太宗が自身の側近として登用した。

皇帝となった太宗に対しても容赦なく諫言し、亡くなったときには「朕を写す鏡を失った」と太宗を嘆かせた。

そのやりとりが多く記録された「貞観政要」は帝王学の名著とされている。

寇準

北宋の名宰相

魏徴と同じく、性剛直にして諫言を多くすることで知られ、寇準がやってくれば百官が震え上がると言われた。

その性格のため周囲の恨みを買い、讒言により宰相を追われるが、死後に名誉回復がなされた。

小説「楊家将演義」にも登場して活躍する。

包拯

北宋政治家で、清廉潔白代名詞として知られる。

賄賂を厳しく取り締まったことで、貴族からは恐れられ、民からは慕われた。

その峻烈な性格は「包拯が笑う時は黄河が澄む時だ」と言われるほどだった。

死後、人気はさらに高まり、「包公故事」として劇や小説、あるいはテレビドラマの題材となった。

文天祥

南宋の三忠臣、亡宋の三傑と呼ばれたうちの一人。

弱冠にして科挙首席合格した傑物であり、「正気の歌」などの優れた詩を残す。

南宋首都が陥落したあとも抗戦したがモンゴル軍に捕らえられた。

彼の才を惜しんだクビライから、帰順すれば宰相にするとまで言われたが、「宋の宰相がどうして二姓に仕えようか」とただ死を望んだ。

やむなく文天祥処刑したクビライは、彼を評して「真の男子なり」と讃えた。

于謙

エセン率いるモンゴル軍に明軍が大敗し正統帝が囚われたとき、于謙はすぐさま正統帝の弟を皇帝に立て、徹底抗戦の構えを見せた。

首都である北京にまで迫ったエセンを撃退し、正統帝を取り返したが、のちに反逆者の汚名を着せられ処刑された。

地方官吏であった頃に、賄賂を受け取らずに都に戻る清々しさを詩に詠んだという故事は、「清風両袖」の語源となっている。

海瑞

道教に傾倒し政治を顧みない明の嘉靖帝を諌めたことで投獄された。

海瑞は、棺桶を買い、妻子に別れを告げ、死ぬ覚悟を持って直諫に臨んだという。

嘉靖帝の死後、釈放されてから要職に就けないまま役職転々としたが、その謹厳な性格は変わらなかった。

この海瑞のことを描いた戯曲が、文化大革命の発端となった「海瑞罷官」である

史可法

明末、抗清の武将

李自成の乱によって明の首都である北京が陥落すると、江南へ退避して亡命政権を打ち立てた。

揚州にて清の大軍と戦っていたがついに包囲され、熾烈な抵抗を行った末、落城時に自刎した。

それによって莫大な損害を被った清軍は、報復として揚州の八十万人を虐殺したと言われる。

鄭成功

同じく明末に活躍した抗清の武将

日本で生まれて七歳で明へ渡り北京陥落後は亡命政権の一つに拠った。

そこで隆武帝に気に入られ、国姓の「朱」を与えられたので、以降「国姓爺」と呼ばれるようになった。

父親が清に降ったのちも、鄭成功奮戦を続けたが、抗しきれず台湾へと渡った。

その地を支配していたオランダ人追放して独自政権を打ちたて、翌年に死去した。

林則徐

清の官僚として、地方農村の再建と腐敗した官吏処分を行い、名声を高めた。

道光帝によって欽差大臣に抜擢され、阿片禁輸の大任を託された。

その期待に応え、1425tもの阿片を没収して焼却したが、それをきっかけとしてアヘン戦争が勃発する。

持久戦に持ち込めばイギリスに勝てることを林則徐は見通していたが、親イギリス派の讒言によりあえなく失脚した。

2014-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20140510003704

ブクマで書き切れないのでちょろっと書く。眠くなったら途中ででも問答無用で寝る予定。

>険悪な関係を広げる中国ではあるけれど、かつては「中華」にふさわしく、東アジアのみならず、東南アジア西アジア方面制度文化を発信していた。

これは文化に優劣があるという誤解。実際には文化的に優れていたから広まったのではなく、単に国力で卓越していたから、その文化にも「力」があったように見えた、ということ。

その上で冊封体制に参加すれば強烈なボーナス付きの貿易で莫大な経済的メリットまで約束されていた、という時期があった。

もちろん、中華帝国側にしたら、遙か彼方の蛮人たちまで皇帝威徳を慕ってやってくるんだ、とドヤ顔で言うために出費を負担していた、ということでもある。

実際には日本の諸制度聖徳太子ぐらいのタイミングで既に何か中国とは違う物になっているし、さくっと遣唐使を廃止してしまえたことから分かるように、中国からの影響は小さい。

遠すぎて経済的メリットが薄かったのと、なんだかんだで日本が案外豊かだった、というのが大きい。

伝統の「漢の文化」は、いかなる異民族に侵入されようとも、異民族文化を「漢化」した。

これも誤解。実際には三皇五帝伝説の中身からして、すでに異民族文化が混ざってきている。以後の中国史を見てても、外国から持ち込まれた要素と引き継がれている要素が常に混合し続け、常時アップデートされ続けている。

どっかで

中華文明が連綿と続いているというのも、異民族文化の影響を受けすぎて原型など残っていないと言っても、どちらも正解でしょう」

と書いた通り。

ただ、現代中国人孔子とかの時代漢文を読めない(補助記号足したら日本高校生でも何とか読めるようになるものが読めないってどういうことだってばよって感じだが)。その意味では一貫した中華文化が続いているというのは嘘ではある。

外来王朝漢化したように見える現象は、単に中国大陸主要部を支配するためのツールとして漢字儒教科挙制度が便利だったというのが大きい。文化的な魅力が大きいからそれによって「改宗」していたと思うと足元を掬われる。

まり

>優れた制度を持ち、華やかな文化を持ち、数千年に渡り威光を放っていた大陸国家は確かに存在していた。

というのは実は誤解に基づく幻想。問題はその幻想を大変多くの人たちが信じていた/いること。


共産主義の下、さまざまな伝統破壊され、今では巨大なマーケットか、トラブルメーカーとしてしか認識されていない。

文化大革命の時期とかは何かを破壊するのが流行ったことはあったけど、現在共産党政権(と先代の国民党政権)が歴代王朝と何が違うかと言われると回答に窮する。

あえて言えば科挙がないことと、皇帝位の継承血統でなく有徳者の禅譲によっていることぐらい。

共産主義に何か意味があるように誤解しているが、実際には何の意味もない。あえて言えば五斗米道とか白蓮教のような、たまに中国史に影響を与える宗教の一種、程度に過ぎない。

律令制度や、孫子兵法近代まで日本制度を構築し、

日本版律令制自体最初から中国のとは結構違うし、律令国家は早めに見れば平安時代、どう遅く見ても武家政権によって無効化されている。

孫子読んだら分かるけど、軍制の本じゃないので、影響がどの程度あったと言われると「あんまりない」としか言えない。

要するに中国文化が優れていた、制度が優れていた、周辺の大きな影響を与えていた、というのは誤解の要素が大きい。

地続きでもっとも影響を受けていたはずの朝鮮半島ですら15世紀にはハングル作ってるわけで、推して知るべしである

>昔は輸送手段が乏しく、中国のあるところにいた人を実際に見る事ができなかったからこそ、書物で伝えられる聖人君主が素晴らしく彩られていたのかもしれない。

がすべて、ということ。

この後の清の歴史解釈もいろいろ難がある。

日本が清にトドメ差したわけでもない。日本の行動はそれこそ劉邦を包囲して屈辱的な和平条約を強いた匈奴と大差なく、何かが変わるという類の物でもない。

列強による清の分割は既定路線で、日清戦争が与えた影響は、単にプレイヤーの一人として日本が名乗りを上げたという程度。

その後の義和団の乱によって、列強中国大陸を直接支配するのは効率が悪いと悟り利権だけを確保しつつ清は存続させる、という方針に切り替えている。

ロシアだけはやや違うことを考えていたが、日露戦争の結果としてそれもなくなった。

それ以後の中国史の不味い部分は、大体は中国側特に蒋介石無能日本外交下手によって引き起こされている。

>この国がやるべき事は、張り子の虎の様な振る舞いではなく、栄光ある後継国として腰を据えて国家を「再興」させていくことではないのだろうか。

これが一番大きな誤解。

歴代王朝普通は常時勢力の拡大を指向していた。つまり今の動きの方が普通。「対等な外交関係」の存在理解できないという致命的な欠陥を歴代王朝は持っていたが、それと同程度の話。

官の腐敗を止められないのも、村落共同体が武装していて警察力がその中に及ばないのも、私的所有権政府によってたびたび脅かされるのも、すべて歴代王朝にも見られる特徴で、何一つ変わってない。

あえて言えば鄧小平が生きている時代泰山に登って封禅ぐらいはやっとくべきだったかもしれない。

まり中国政府が今本当にやるべきこととは(過去の栄光などまったく関係なく)、歴史上一度も成功したことのない難事に挑むということである

2013-11-26

http://anond.hatelabo.jp/20131126165127

だがしかし、実際の話、アメリカでは、大学に入ること自体に物凄い金がかかるのが事実

学習費用、だけではない。

アメリカでは御存知の通り、入試はなく、学校の成績やそれぞれが受けた統一試験みたいな物の結果と、

あとは小論文や推薦状的な物がとても重視される。

その小論文等は金さえあればいくらでも高等な添削が受けられるし、むしろ他人が書いたって分からない。

さらに、学力以外のそれまでの「経験」が非常に物を言うわけだが、

それには「スポーツ」、「ボランティア」、などといった課外活動が強く重視される。

ただ、日本でも分かるように、「スポーツ」でそれなりに優秀な成績を残しながら学力でもそれなりの成績を残すのはとても難しい。

それを上手くやってのけるには結局カネかけて両方を効率よく指導して貰う必要がある。

ボランティア」等に至っては、近所を掃除しました、とかいレベルではなく、

外国へ行ってのボランティア経験だとか、金が物をいうものしか相手にされない。

基本、金をかけた「課外活動」しか相手にされない、というか話にならない。


さらに言えば、私立なんかはどうどうと親が同大人間を優先的に入学させる。

上の様な入試AO入試の様なもんで、大学側のさじ加減で簡単に決められるわけで、

「優先」どころか、はっきり行って入試の時の賄賂みたいなことは当たり前。

というか、むしろ、堂々と多額の寄付金を大学に払ってたら大学側も堂々とその子息を優先的に入学させることが出来るし、

逆に「裏金問題」なんて無いんじゃないか?(聞いたこと無いけど、知ってる人居る?)


そんな中、国のトップ大学が公立で、100%試験の結果だけで入学を決める日本システム一見科挙のような超時代遅れ制度にも見えるが、

現代ではその先の社会での自浄作用の働きを考えれば、実は生まれながらの格差を最小限にでき、結果国全体として優秀者を選出出来るという、

最も効率の良いシステムだと思うのだが。

これをアメリカに習ってセンター試験廃止、筆記試験廃止、などという馬鹿なことをやっていけば更に格差を広げ、一方的な社会になって行くのだが、

引っ張る側がもう、基本、親が優秀でたまたま金でなんとか上に上がってきた人間が多いので、そちらを優先すれば充分だという馬鹿思想しか持ち合わせてなくて危険である

2011-03-05

ネットカンニング

あちこちで行われている大学入試において、試験中にネット接続し、掲示板等に問題を貼り付け、他人に解いてもらうというタイプカンニングが表沙汰になっている。

これは、公開されている掲示板に問題を貼り付けたから、やっている事がバレたわけで、こっそりと、たとえば予備校裏サイトとかで、合格率アップの為にやるという組織的な手法や、家庭教師に問題をメールで丸投げして、答えを教えて貰うといった手法ならば、おそらくばれない。そういうことをやっている人がいるのを見て、あえて、公開掲示板に問題を貼り付けて、カンニング可能な事を示したのかもしれない。

携帯電話電波を妨害する装置試験所に設置するというのは、一つの方法となりえるが、科挙の時代からペーパーテストの一発勝負においては、カンニングの発生は不可避であった。

ましてや、その知識が将来においてはほとんど役に立たない知識となれば、まともに解く努力をするよりも、カンニングの為に知恵と人脈とお金を注ぎ込んだ方が効果的となってしまう。

ペーパーテストによる一発勝負は、多すぎる志望者を公平に絞り込む為の手法であって、少子化によって全入時代とすら言われている状況においては、不適切となる。

受験生が欲しているのは一流大学卒業の肩書きであって、学問や知識ではないという状況においては、学問や知識を求める学生を確実に入手する方法は、高校等からの推薦となるが、現状の学校教員日教組が多くて、まともな授業が行われていないと聞いている。ゆとり以降、まともな教育をやってもゆとりな教え方をしてもギャラは同じという事や、少子化DQN親の増加によって偏差値は変わっていないが全体のレベルが下がっているという問題が出てきている。

偏差値は、平均値からの隔たりであって、平均値自体が下がっている状態では、偏差値が変わっていなくても、レベルは下がっているのである

解けない問題はスポイラーを見て解きかたを教わるという、テレビゲームによる学習が、必要な知識はどこかに転がっていて、それをうまく見つける事が問題を解く事だという価値観を広げてしまっているというのもある。

もっとも、学問や知識の最前線に挑むような知性があっても、それを生かす場所日本には存在しないという根本的な問題がある。

人材が欲しければ、まずは隗より始めるべきであるし、育てるべきとなる。外から招くだけでは、既にいる人よりも優れた人を取るばかりとなって、鳳雛の類を見落とし易くなり、将来、人材を見る目が無かったと批判される事や、既に取り立てられた人が後から来た人に職を奪われない為に、知識の独占や後輩いびりといった事を行うようになり、組織は腐ってしまう。

腐った組織に入りたがる、腐った人材達のドタバタ劇という点で、ネットカンニングはお似合いの事態と言える。

2010-12-01

ぼくのかんがえたしょうしかたいさく

・基本的に、小子化の原因は「ガキ育てても養えねーよ、大学いかせらんねーよ、ニートになったらどーすんだよ」という現実にあると仮定する。

・じゃあ、とりあえずガキを生んでもなんとか育てられる、つまり働き先が一定数確保出来る世界になればいい。

しかしそれは現実的にむりだ。生産の拠点が日本に戻ることはありえない。これから先永久に無いと思う。

生産業があればね・・・。まぁ、ないものを考えても仕方ない。日本は死んだ、グローバル

・じゃあ、いっそのこと逆に「みんなまけぐみでいいじゃないか」という発想はどうか

・ようするに、「大学まで行かせなきゃいけない」という発想がおかしいという逆転の発想。

・つまり、全体の5%くらいし高等教育を受けられない社会にすればいい

・ほら、アフリカとか出生率いし民度犠牲出生率召還!ターンエンド!

大学教育までを全面無償化して、全体の5㌫くらいのガキは入れるように設定。

・「機会の平等」はあるよ!全然あるよ!バリバリあるよ!悔しければ科挙に受かればいいじゃない!

・「結果の平等」なんてありえないよね、大学に入れないのは自己責任

・そもそも、みんながホワイトカラーになりたいのがおかしいよ!頭が悪いやつは土を耕せ!

・まぁ、耕すほどの土も日本はないかもしんないけど。でも、みんな負け組みになることが明らかであれば結構セックスしやすいよね!

・結局、小子化の原因っていうのは「理性働かせ過ぎ」なんだよ!

・じゃあ、理性の働きにくい階層日本国民の95パーセントくらいまで高めればいい!

・つまり、何が言いたいか。日本に足りないのは「格差」だったんだよ!

・でもね、ここまで書いて思ったけどね。全然笑えないね、これ!結構「それはあると思う」って感じじゃないですかね。

・どーしようもない。

2010-04-11

どこまで親のスネを齧ってもよいものか

20代後半、男。

1人暮らし。

社会人になってずいぶん経つけれど、親がまだ

「車買ってやろうか」とか、「生活費足りなくないか?」

とか、そういう話をされる。

学生のうちは平気でかじれた。

学費の高い大学にいって、不自由ない仕送りを貰っていたけれども、流石に社会人になるとプライド邪魔してかじれない。

首相だって月に1500万貰ってたんだから、車くらい買ってもらったっていいかなっても思うんだけども、思いとどまる。

まあ、齧れるなら齧れるだけってのが日本経済のためなんだろうけど。

遊びをしらない親だから、死ぬまで貯めこむだろう。

いま齧らなくても、平均寿命まで生きられたら自分が定年の頃に相続でもらうわけだ。

なら若いうちに金銭的に優位なほうが、なにかと得だよね。

人生なにかチャレンジするにはお金がかかるし、お金があっても余命が短いとチャレンジなんかできないし。

っと理性でわかっていても、プライドってものがあってなかなか齧れない。

実家のほうの話を聞くと、親に車を買ってもらうとか、親に援助を受けて子育てだとか、家を建てるだとか、わりと普通らしい。

ゼクシィ首都圏版)の調査でも7割のカップルが親から援助を受けて結婚したとか書いてあったから、実家田舎だからってわけじゃなくて、二十歳過ぎても親に経済的に頼るのが当たり前、とは言わないまでもそこそこに一般的なのだろうか?

偏見かもしれないけど、

(親が)子女にどこまでお金をかけるか=(子女が)どれだけ親の老後の面倒をみるか

っていうことなんだと思ってる。

儒教の影響の強い中韓とかだと、親は教育熱心、子供は親を大事に、それが科挙制度の頃からずっと、っていうイメージ

自分の老後は自分でっていう欧米は、学費も生活費も自費で大学進学とかもフツーっていうイメージ

じゃあ今の日本はなんなんだろう。

親の世代の大半は息子娘に頼らなくても自分貯金年金で暮らせそうだ。

幸いに自分みたいに経済的に親に頼らなくても済む人間は、自分が老人になるころに親から資産を譲り受けて、同じように息子娘が老人になったころに息子娘たちに資産うつる

自分みたいな人間の割合はわからないけど、ニッポンの個人資産が1400兆とかあっても、市場にまわらないじゃん。

親のスネを齧らないと生きていけない層を通じてしか、個人資産市場に回らない。

一人前の労働力を有する成人のけっこうな割合が経済的に親に頼らないと車も買えず、結婚子育ても出来ずってのはちょっと変なんじゃないかと。

「車なんて贅沢!」っていうかもしれないけど、地方じゃ唯一代替不可な移動手段だし労働者が移動手段も自力で持てないってきついと思う。

うまくまとめられないんだけど、やっぱり年功序列はおかしいと思うの。

2010-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20100402204513

まーその主張は、労働時間短縮という労働組合としてのまっとうな主張だと思うけど。

考える力、ってので総合的な学習時間を導入したはいいけれど、実態は現場に丸投げでほとんど機能していなかったというほうが正しい。科挙じゃないけれど、大学入試論文試験必修にするぐらいじゃないと本格的に教育現場に導入されることはないと思うんだ。

2010-03-12

今年某国立大卒業してダメ院生になる俺にも一言ぐらい言わせてくれ

ああくだらん。

受験シーズンももうすぐ終わる。それはそれでいい。受験生の皆さんご苦労様と言いたい。

だがな、それに乗じて「新入生のためにアドバイスを」とかのたまう奴が胸糞悪い。

勘違いして欲しくない。ちょっと前に流行った「今年〇〇を卒業する俺が新入生にアドバイスしたい」系の、どんな部屋を選んだらいいとか、新勧にはどう望めばいいとか、ぼっちはやめろとか、そういうアドバイスをするのは一向に構わない。むしろどんどんやって欲しいと思う。だいたいこのエントリタイトルもそれをパロってるしな。

俺が気に食わないのは、「有意義な大学生活を送るには云々」とか言う奴だ。

だいたいお前ら、言うことが判を押したように同じなんだよ。「本を読め」「狭いコミュニティにとどまらず外に出ろ」あと「海外に行け」。この三つぐらいだろ。

同じことばっか言いやがって。予想できるから面白くないんだよ。意外性の欠片もないクズめ(と言っておきながら水戸黄門が結構好きな自分人間って不思議ですね)。

そういう奴に限って、「大学の四年間を無駄に過ごす人間が多くて残念」とか言うんだよ。

お前こそ、大学の四年間で何を学び、何を見て、何を考えてきたんだよ。

お前らが偉そうなことを言う背景には、お前らなりの「こうなりたい」と思う理想像があるんだろう。お前らのアドバイスは、その理想像に近づくための手段だ。それはそれでいい。

だがな、自分理想像が、無条件に誰にでも当てはまるもんだと思ってんのか?んな訳ねえだろ、ばーかばーか

外資コンサルにでも入って転職なんかもしちゃいながらキャリアを積んで、将来は独立してちょっとばかし社会に貢献なんかしたい。それがお前らの理想か? 大いに結構。

でもそれはあくまでお前の理想だ。万人共通の理想じゃない。むしろ万人共通の理想なんて存在しない。そんな世の中気持ち悪いわ。吐くぞ。ゲロゲロ

将来の理想像自分の望む生き方幸せのかたち。んなもん人によって全然違う。

大学ってのは、そういうことを学ぶ場じゃねえのかと俺は思う。

周りには自分とは価値観の違う人間がいっぱいだ。よく「大学入ったらもっと変な人間がいっぱいいるのかと思ったら、そうでもなくてがっかり」とかほざく奴がいるが、それはお前がボンクラなだけだ。外っ面ばっか見て判断すんじゃねえ。周りにいる人間は、全員、お前とは違う人間なんだよ。

話が逸れた。んでだ、偉そうに新入生にアドバイスなんかしちゃってるお前、お前は何を学んだんだ。「多様性」とか言うとなんかむずガユいが、お前はそれを理解してんのか? してねえだろう。してたら「こんな人間になってはいけませんよ」なんてしたり顔で言えるわけがない。

お前たちのやってることは、自分理想像を人に押し付けてるだけなんだよ。


でもう一つ言うと、お前らは一見すると外の世界に出て、世界が広がっているように見えるが、全然違う。まったく広がってなんかいない。

結局外に出ていろんな人と会ったところで、そいつらは結局お前らと同じ価値観の奴だ。もし本当は違ったとしても、お前らは自分価値観に沿った形でしか、そいつを理解しようとしない。

その証拠にだ、お前らはサークル活動にかまけて外の世界には出ず、休みの日は家にこもっていて、海外にも行った事がない。そんな人間から何か学べると思うか? せいぜい反面教師にするぐらいだろう。ちなみにこれらの特徴はすべて俺に当てはまるが、まあ気にするな。

俺には俺の信念があって、俺の論理があってこういう生き方をしている。これは自信を持って言えるが、お前らはそれを理解しようとはしないし、存在すら認めようとしない。だから「もっと外に出なよ」とか言っちゃう。言っちゃう。大きなお世話だ。

お前らは心の中の世界を狭くとってるんだよ。だから広い外の世界に触れても、心の中の狭い世界の範囲内でしか理解しようとしない。

心の中の世界を広くとれよ。だいたい何が「海外」だ。勝手日本とその他を区別してどうする。何が「海外行きたい」だ。「海外に行く」ために海外に行くな。寺マニアだから京都行きたい。科挙マニアだから(これは俺だ)北京行きたい(だが金銭面の理由からまだ実現していない)。どっちも同じだ。日本じゃないからって区別するな。

心の中にまで国境を作ってどうする。んなもんとっぱらっちまえ。

国が違うからって区別すんな。それじゃあ結局狭い世界論理の中でしか理解したことにしかならない。広い世界を持って、見るもの聞くものすべて、自分世界に取り込んじまえ。変なものが入り込んだら、後で取り除けばいい。


ちくしょうまた話が逸れた。だいたい俺の文章は長すぎる。もっと簡潔にまとめれんのかゴミが。

それでだ、こういうエントリが現れると大抵「すばらしい。一年生の時に読みたかった」とかほざく蛆虫野郎が湧いてくるのがまた胸糞悪い。

さっき「心の中の世界が云々」とか偉そうなこと言ったが、こいつらの場合、そもそも広いとか狭いとか言う前に、心の中の世界が「ない」んだな。

つまり信念がない。信念がない人間は後悔する。だからあんなコメントしちゃう。

信念のある人間は、反省しても後悔はしない。例え結果が悪かったとしても、それは自分の信じた道なのだから。

まあこういう類のつまらない人間は掃いて捨てるほどいる。お前らは判を押したように同じアドバイスを真に受けて、判を押したように同じ本を読み、判を押したように同じ会社に入り、判を押したように同じ人生を歩み、判を押したように死ね。このハンコ人間どもが。まあ時代はこれからペーパーレスだが、無能な役人と無能な政治家がはびこる今の日本なら当分ハンコは使われ続けるだろうから安心しとけ。


書いているうちに俺の怒りも消えてきた。言いたい放題言って実にいい気分だ。この文章が誰にも読まれなくても俺はもう満足だ。さすがに批判で埋まったら心が痛むが、それはしゃーない。

じゃあ最後に俺も偉そうに春から大学に入る新入生にアドバイスしちゃったりしよう。ああ恥ずかしい。厚顔無恥とはこのことだ。

とは言っても、すでに俺の言いたいことは書き尽くしてある。

心の中の世界を広くとれ。別に外の世界に出なくてもいい。もちろん出たきゃ出ればいい。海外なんて行かなくていい。もちろん行きたきゃ行きゃあいい。だが、家にこもっていたって、テレビの画面には、パソコンの画面には、漫画には、アニメには、お前の世界を広げてくれるものが山ほどある。それらをすべて飲み込んで、自分のものにしてしまえ。そうすればお前は、外の世界に出て海外にいっぱい行ってても結局は自分の狭い世界の枠組みでしかものを見ていないボンクラ野郎なんかより、よっぽど広い世界を手に入れることができるはずだ。

自分を持て。信念を持て。どんなグータラな生活でも「俺はこういう考えでこの生活をしている」と自信を持って言えるなら、それでいい。「その時楽しいと思ったことをする」でもいい。何なら『信念を持たない』という信念でもいい。だが安易に人に流されるな。人の意見はまず心の中の世界に取り込んでしまえ。それから従うかどうか判断すればいい。従ってもいいし従わなくてもいい。そこに信念があれば。

行動の第一原理は「~しなければならない」じゃなくて「~したい」にしろ。本なんて読みたくなけりゃ読まなきゃいい。もちろん、読みたきゃいくらでも読めばいい。本だけ読んで、他に何もせず過ごした大学四年間というのもなかなかステキだ。惚れるぜ。もちろん、「俺は将来〇〇したい。だからそのためには今〇〇しなけらばならない」というのは大歓迎だ。ただ闇雲に、何かの強迫観念のように「~しなければ」と思うのはやめとけ。ハンコ人間になりたくなければ。


以上だ。色々偉そうなことを言ったが、要はやりたいようにやりゃあいいんだ。人生なんて。もちろん他人に迷惑を掛けるのはよくない。と言っても人に全く迷惑を掛けずに生きてくことなんて不可能だが。たまには人の気持ちを考えよう。人にされたくないことを人にするのはやめよう。当然だな。幼稚園児でも知ってる。といいんだが。

最後に、このエントリを読んだ反応には、そもそも読まない、賛同する、顔を真っ赤にして反論する、「フンッ、判で押したようなこと言いやがって、つまんねーな」と鼻で笑う、などが考えられるが、俺が望むのはもちろん一番最後のやつだ。まあ現実には、もっとも多い反応は一番最初のやつだろう。いいさこんなの俺のオナニーだから。

言っておくけど、こんなくだらんアドバイス(なんて立派なもんじゃないが)、従いたきゃ従えばいいし、従いたくなきゃ従わなきゃいいんだからな。

2010-02-11

第66回「官民賃金格差地域の発展」(2007/12/10)

ttp://bizplus.nikkei.co.jp/colm/harada.cfm?i=20071206c3000c3

公務員の相対賃金が高ければ、ビジネス人材が集まらない

 むしろ、因果関係を逆にして考えるべきではないか。公務員賃金地域賃金水準よりも高ければ、有能な人材公務員になり、ビジネスには集まらない。だから、地域経済発展が遅れるのではないか。

 かつての中国には科挙制度官僚登用試験)があり、それゆえ、有能な人間がこぞって役人になろうとした。中国では、商人になったり、技術者になったりすべき有能な人間が皆役人になったので、経済発展も技術進歩も遅れた。共産中国になっても、有能な人間は党官僚になることを望み、ビジネス技術開発に向かわなかった。

 1970年代末に改革開放路線が採用され、有能な人間が党官僚になるだけでなく、ビジネス技術開発にも携わるようになった。そうなって初めて、中国は発展を始めた。

 日本の中で、改革開放路線以前の共産主義を実施していれば、発展するはずがない。地方も、改革開放路線に転換し、有能な人間をもっとビジネス技術開発に開放すれば、展望が開けるのではないだろうか。

2009-09-27

哲学

村の寄り合い哲学者が来る。村は腐ったところで、ひとりが科挙にうかるとそれにみんながたかって食っている。俺もそんなひとりだが、村を出たくてなにかを勉強していた。

哲学者は若かった。俺は話を切り出せず、愚劣な連中に囲まれている哲学者に話がしたくてじりじりしていたが、ようやくチャンスが来た。

俺は口火を切った。「あのですね、ベルグソンがわからんのです」

「すげー基本的なことなんですけどね」「ベルグソン空間てのは同時期のポアンカレとか物理屋数学者のものと大体同じものについて語ってるんでしょう?」

村の連中は「意気さかんな若者が質問をするのはいいことだ」と内容もわからずに互いに酒なぞを飲んでいる。

哲学者は笑いつつ当惑もした表情でこっちを見て、「いやあのね、ベルグソンは詳しくないんだけど、」といった。

話はカントからグノーシス主義に及んだ。

数日後、哲学者は村を離れる際に俺に声をかけ、「いやグノーシス主義はまじやばいので手をださないほうが」と一言言った。

2009-08-04

年功序列起源

2009-08-04 / Economics

城繁幸氏のブログに、台湾メディア日本年功序列が理解できなかったという話が出ている。年功序列儒教の「長幼の序」の影響だと思っている人が多いが、違うのだ。儒教の本場である中国にも台湾にも、年功序列はない。中国科挙は、基本的に試験だけで昇進を決めるので、10年以上受験勉強して中年になってから合格する人も多かったから、年齢で人事を決めることは不可能だった。韓国には日本以上にきびしい年功序列があるらしいが、日本のように入社の年次ではなく年齢による序列だという。

では日本年功序列は、どこから生まれたのだろうか。笠谷和比古氏によれば、徳川幕府にも年功序列はなかったという。武家の序列の基準は石高だったが、幕末には財政が苦しくなり、管理能力の高い下級武士が昇進するようになった。たとえば勘定奉行として日米修好条約を結んだ川路聖謨の家は「御家人株」を買って武士になった町人だった。勝海舟の家も、無役の最下級武士だった。このような能力主義を可能にしたのは、徳川吉宗のつくった足高制度だった。本来の石高とは別に足高として加算され、形式上の序列(石高)とは別に、実質的能力主義による俸給制度になっていた。つまり年功序列は、家柄とは別の経験や功績による序列だったのである。

ところが明治時代官僚制度ができたとき、高等官/判任官の身分制度や15段階の俸給制度ができ、昇給は年次によるものと(非公式に)定められた。これが戦後実質的継承され、Ⅰ種(戦前の高等官)は6級に編入され、「キャリア」と呼ばれる。民間では、長期雇用の定着と年功賃金は、ほぼ並行して広まったと考えられる。特に戦後、労使紛争が激化した1950年代に、安定した賃金を求める労働側の要求に対して定期昇給制度採用したことが年功賃金につながったとする説が多い。

つまり年功序列日本の伝統でも儒教の影響でもなく、官僚制度によって原型がつくられ、戦後の労使紛争の中で両者の妥協として大企業で成立した雇用慣行なのである。これは結果としては若い労働者に「強制貯蓄」させることによって、その忠誠心を高めてモラルハザードを防ぐ役割を果たした。しかし老人に生産性以上の賃金を払い続けることができるのは、企業が成長し、若者が増え続けるときだけである。賃金原資が減り始めると、ノンワーキングリッチに「配当」を払うことはできなくなる。

これは年金財政破綻と同じ構造である。日本企業組織財政も、戦後の高度成長を前提にしてつくられ、それに適応して相互補完的なシステムができ上がっているのだ。その結果、老人と若者の利害の対立する問題では、つねに組織内の権力を握っている老人の既得権を守る決定が下される。この構造の前提となっている成長が止まった今は、官民ともにシステムを見直さなければならないのに、問題を先送りしてきたのが「失われた20年」の根本的な原因である。

2008-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20080905201547

長子相続と均分相続の違いのほか、科挙制度も関係してると思う。

朝鮮科挙を受け入れたけど、実質的には貴族両班)層しか受けられなかった。日本科挙そのものを受け入れてないし、身分制もあった。

中国は均分相続科挙実力主義個人主義となって同世代間では年齢による支配関係は強くない。

日本朝鮮は長子相続+身分制で血統主義・長子優先社会となって、1歳や1学年の差でも気にするようになった。

という仮説。

2008-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20080602152724

儒林外史の内容は山川の世界史用語集には

「儒林外史」じゅりんがいし(11) 清朝長編小説。全55回。呉敬梓著。18C中頃に完成。科挙を風刺し官吏の腐敗ぶりをあばく。

とあるけど、悲憤慷慨で弾劾する調子は薄い。むしろ読後感は風雅な感じがする。

話の展開はオムニバスぽくて登場人物がころころ変わるので、全体を貫く明快なストーリーはなし。だれそれが科挙に受かったり、官吏に賄賂送ったり、遺産相続で争ったり、オカマ役者を集めて宴会やったり、などなど。清朝江南の雰囲気がよくわかる。

http://anond.hatelabo.jp/20080602151202

どんな内容なのか教えてくれれば、まだ探す気になるんだが、

流行らない理由は、特に目立ったストーリーや人物がない、科挙官僚制度がわかりにくいあたりか。

これだけでは。。。

儒林外史を読み終わった

儒林外史を読み終わった。他の人の読後感を知りたくなって、ネットを検索してみたら、どうもほとんど読んでる人がいないらしい。サイトは作りかけのが1つだけ、wikipediaに項目がない、2chスレもなし、はてなキーワードもなし。

知名度は「三国志」「水滸伝」「西遊記」「紅楼夢」には及ばないにしても、タイトル高校世界史でも出てくるし、そこそこメジャーだと思ってたのにがっかり。

流行らない理由は、特に目立ったストーリーや人物がない、科挙官僚制度がわかりにくいあたりか。

訳本が手に入れにくいのもあるかも(文庫で出てないので、平凡社中国古典文学大系(昭和43年)で読んだ)

読んでみるとそこそこ面白いので暇のある人は一読してみてください。

2008-05-21

国家機構の中のお公家となるには、戦前は三つの登竜門があった。東京大学陸軍士官学校海軍兵学校である。戦争に負けた結果、陸海のエリート士官)養成学校は廃止されたので、戦後60年、唯一の登竜門として君臨してきたのが、泣く子も黙る東京大学法学部である。

それとは別に、氏(うじ)はさまざまながら、きわめて自然にお公家さんに成っていくグループもある。政界とか大手企業の三代目がそれにあたる。

三代目の特徴は、いろいろあるが、「売り家と唐様で書く三代目」と江戸川柳にもあるように、まず経営能力(戦闘能力)が欠けていることを挙げることができる。企業でいえば、一代目が築き二代目が拡大した事業を、三代目でぶち壊す、というのが江戸期からの伝統的な有り様(ありよう)である。

彼ら三代目は極めて「ジコ中」であり、他人は自分に奉仕するために存在していると思っているようで、特に弱者へ配慮する心と言うのは、まったく育っていない。注意されても、その意味さえ理解できないように見受けられる。

また、「ボクちゃん、凄いんダゾ」症候群に冒されているのも多くに共通する特徴である。何しろ大物であった初代や先代の話を、子供の時から何かにつけて聞かされてきたものだから、そのイメージが頭の中に定着してしまっている。そのため、自分の力量を勘案せず、ついつい背伸びして、「ぼくちゃんだっておじいちゃんのようにすごいんだぞ!」と力みかえる癖が見に染み付いてしまっている。なにか目立つことをやりたくてたまらなくなる。たとえば、戦後60年、誰も手をつけられなかった憲法9条を「ぼくちゃんが改訂してやる」なんてリキミもその一つの現れである。

ともあれ、科挙試験東大法学部入試)を通ってきたお公家と、この生まれながらの金持ち貴族自然体で変身したお公家さんは、出てきたところが違うとはいえ、同じお公家として共通項をたくさん持ってるから、互いに連合して、やりたい放題やることになる。政官財、三位一体である。

2008-01-09

大蔵省財務省)の実質権力をめぐって

以下では、官の頂点にある旧大蔵省をとりあげ、行政権力の根を見ます。行政権の枠を決めるのは法です。法は国会が決める。国会議員国民が、代議員制度で選ぶ。

国民主権国民権力が至高だというのは、形式論です。実体論では、国民は統治される者であり、中央官庁が統治者であると言っても過言ではなかった。

国家公務員試験第1種とは何を試験するのか

キャリア官僚を選ぶ国家公務員試験第1種(上級公務員試験)には、昨年

38,841名が受験し、合格は1,228名。32倍の狭き門です。(試験は、隋・唐時代の、官僚選抜の科挙伝統を引く感じです)

約半数くらいは東大で、国公立、私立が続きます。毎年1200??1500名くらいのキャリア官僚生産され、現在5万人が在庫されていると見ていいでしょうか。

合格者の一次試験、二次試験の順位で、省庁への順列的な割り振りが決まります。各省庁は、競い合って成績上位者の確保を運動します。なぜでしょうか? ここに官僚生産する「商品」の特殊性が関係しているのです。

官僚の作業能力商品

1回のペーパーテストの成績が、能力やその後の仕事の成果と、どう相関するか?民間企業では、ほとんど無関係というのが結論でしょう。

企業が販売するのは「商品」であって、文書作成や言語能力ではないからです。

官僚商品とは?】

官僚の作業能力、そして行政権力のもとになるのは、文書作成と法の解釈能力、及び利害の調整能力です。それ以外に、商品はない。

官僚仕事では、

(1)論理付けを含めた「言語能力」、

(2)関係者の「調整能力」が必要であり、

(3)彼らが「生産する商品は文書」である、と言っていいのです。

(1)マスコミ野党から突かれる隙のない論理で武装した文書を作って、

(2)政治的な権力者関係者関係省庁に配布し、

(3)説得的に説明し、調整するのが官僚仕事であり商品です。

【上級公務員試験と入省年次】

ペーパーテストの上位者は、言語能力に優れていることが多い。

それで、公務員試験ではペーパーテストを重視するのです。

上級公務員試験の成績順位と、入省年次がその後付きまとい、事務次官候補のエース組みが選ばれ、将来のポジションの序列を決めます。その意味での「実力主義」です。次官競争での落伍者は、天下る。

成績トップクラスの入省先は、大蔵省です。大蔵省のみは官僚の中の官僚で、特殊ポジション

言語能力の優秀さで政治家と他の省庁を説得し、切れる頭脳で他を圧倒しなければならない。

(01年1月6日から、省庁再編で財務省になり、金融部分が金融庁に切り離されました。実態はさほど変わっていない。以下ではあえて大蔵省という、伝統的名称を使います)

大蔵の実質権

なぜ、大蔵省がこの国で特殊ポジションであったか、理由があります。

(1)80兆円の省庁の予算編成、配分権を持つ。(主計局)

(2)国債の発行権を持つ。(主計局)

(3)残高414兆円の財投の配分権を持つ。(理財局)

(4)民間金融機関の認許可、指導権を持つ。(銀行・証券・保険局)

(5)税を決め、徴収する権限を持つ。(主税局・国税庁

以上5つで、国家マネーの出入りの急所、及び民間銀行マネーの急所を、押さえていたのが大蔵省です。

他の省庁は、大蔵省に対して、一段低い予算申請団体の位置です。

信じられない位の、権限の集中です。

大蔵省官僚国税庁を含めると8万人。1%の800名がキャリア官僚。どの省庁でもノンキャリアは、1%のキャリア官僚の支配下にある。画然とした、不文律身分制度がある。

公式的には三権分立で、行政は法の執行であり、法と制度を決めるのは立法(国会)です。

ところが立法の実務、つまりほとんどの「法案、予算案の作成」は、各省庁のキャリアが行い、自民党の実力者との調整で決めますから、実質権力と言えるのです。

予算委員会という場の機能】

最も重要な「予算委員会」で、予算の中味の審議が行われますか?そこで、予算が変わりますか? 決まったことを通す、形骸化した儀式です。テレビ中継を見れば分かりますね。

質疑の内容は、マスコミが取り上げた問題や、大臣首相の発言の追求です。予算配分の調整が問題になった審議は、見たことがない。国会の各委員会は根回し、調整が終った後に、野党の顔を立て、国民マスコミへに対するガス抜きの場になっている。

野党が机を叩いて、口汚く叱責し正義の味方を演じる。

首相大臣は、その罵詈雑言に耐え、言い逃れをする。

▼ここで蛇足的な逸話:民間銀行に対する恐怖型支配

ある銀行の支店に大蔵検査が入った。検査官に混じって1人、入省2??3年くらいのキャリア組みがいた。銀行にとって、大蔵検査は鬼より怖い。次長が応対した。新米キャリア官僚が、銀行業務のイロハも知らないような質問をした。

次長は「これはどこの銀行でも同じでして・・・」と説明した。キャリア官僚は、「他行のことを聞いているのではない。この処理の説明をせよ」と、怒り始めた。無知をさらしたことを恥に感じたためです。そのキャリアは、怒りで手を震わせていたという。

次長は、思わず「こわっぱ役人が・・・」と小声でつぶやいた。それが聞こえたのか、後日、銀行に、「貴行の**支店で不穏当な発言があった」と伝えられた。その次長は、数日後に銀行退職した。

これに類する逸話は、多数です。当然、公式には明らかにならない部分です。法に基づかない、恐怖権力です。大蔵省銀行支配には、恐怖権力が根にあった。

省庁にタテをつくと、他の認許可や検査、指導のどこで仕返しされるか分からない。これが、民間企業が行政へ恭順を示す理由になっている。法や税法は、字義通りの執行を行えば、企業を潰すことくらいはできるからです。生殺与奪の権がある。

私の狭い経験からも、十分に首肯できる話です。

ソースは明かせません)

銀行の3分類

銀行頭取頭取含みの役員は、大蔵省系、日銀系、独立系に分けることができます。独立系に対する大蔵検査は、厳しくなる。(現在金融庁

大蔵権限の根は、銀行破綻した時、国家国民の預金を保証することです。つまり銀行は、民間企業として実態的には独立した法人ではない。真の株主は、大蔵省でした。

民間銀行天下りを受け入れるのは、行政指導と認許可で有利な取り計らいを受けること、行政のインサイダー情報の、取得のためです。

銀行は、箸の上げ下げに至るまで監視されていた。

大蔵権力に90年代後期から陰りが見えたのは、大蔵省銀行不良債権問題の深刻さ、巨額さを見誤ったことに起因します。

1997年の第一次金融危機が起こるまで、大蔵省不良債権の寡少見積もりをしていた。対策が後手に回り、銀行の信頼と民間の信頼を同時に失ったのです。

▼しかし今後の政策の、裏の意味を「憶測」すれば

ペイオフの裏】

2003年4月から開始される「ペイオフ」も、大和銀行NY支店の米国債ディーリングの巨額損失隠し事件が表面化した1995年から、事毎に、大蔵省に反発してきた銀行への、意趣返しといった面を含んでいると感じますね。

【95年の大和銀行NY支店事件】

大蔵省(西村銀行局長)は、大和銀行に<損失隠し>を指示していたことは明らかになっています。しかし、米国SECに叩かれると、大和銀行勝手にやったと押しつけた。行政のこうした時の指示は、口頭です。

この事件を契機に、銀行大蔵省関係にヒビが入った。

大和銀行NY支店の損失隠しは、象徴的な事件でした。

【ここまで言うと、危険でしょうか・・・】

2002年4月からのペイオフの実施では弱体銀行に預金引き出しが起こり、日銀特融、または政府資金投入、合併が必要になり、再度、世論マスコミバックアップに官の権力拡大をする機会を狙っているように思えるのです。

信用金庫地銀では、すでに、預金減少が現実に起こっています。

米国銀行でも、事実上ペイオフ金融システムの混乱の害が大きいので実施していない。米国情報は、選択的に利用されます。

不良債権問題の早期解決】

小泉内閣が掲げる不良債権の処理も、銀行自己資本利益での処理では不足することは、誰が見ても分かる。

金融システミック・リスクを避ける手段は、政府資金注入になる。分かり切ったことですね。

政府資金注入は、金融庁大蔵省日銀の権益、天下り先の拡大です。国民金融資産を守るために「やむを得ず」そうせざるを得ないというふうになるのが、一番望ましい。

こうして、時代、時代の世論マスコミ論調、学説を使い、予算をつけ権益の拡大を行うのが、省庁の自己肥大の基本手法です。

以上は「憶測」です。しかし憶測しか方法はない。

誰も、言わないからです。

世の中の事象は、実は、語られないことに重要なことがある。

ペイオフの後、不良債権処理の後、銀行の支配がどうなるかを詳細に見れば、憶測が正しいかどうかわかるでしょう。観察して下さい。

キャリア官僚の最終的な狙いを判断する時は、「推理小説の手法」が、役に立ちます。

「この政策と予算で、誰が、またはどのグループが最終的なゲインを得るか」との方法です。

現在の行政で生きている4つのイデオロギーを示します。

(1)高齢化社会に必要な「福祉」→福祉予算の拡大(極めて強い)

(2)国土の「均衡」ある発展→公共投資・公的事業の拡大(弱い)

(3)不況対策→公共投資・公的事業の拡大(極めて強い)

(4)社会資本欧米に遅れている(強い)

小泉構造改革では、以下のイデオロギーが加わります。

(1)金融システミック・リスク対策

(2)77の特殊法人、26000の公益法人の順次民営化

(3)地方分権

(4)失業者のセフティ・ネット職業教育

(5)郵政三事業の、公社化から民営化

(6)年金への401K導入

(7)証券市場での直接金融制度

これで、予算が動きます。具体策の起案は、官僚が行います。その時、世論マスコミガイアツをバックアップにした新たな公的セクターの、認許可、指導のための組織ができる可能性が高い。

現在、公的セクターでも就業人口が多い50代前半の世代の、今後の行き先が問題になっているのです。

組織拡大の技術者たち

(一部:30%)キャリア官僚は、組織拡大の戦略技術者であると認識したほうがいい感じですね。

構造改革合唱に乗り、構造改革での組織拡大が想定される。

今後3年間で、77の特殊法人、及び2万6000の公益法人から選択して民営化される<骨太の方針>は決まっています。

2000年12月、森内閣閣議決定で、民間への天下りが解禁されたのはご存知ですか?今後は、大臣が許可すれば、民間企業へ公然と天下りができるようになっている。

民営化された特殊法人公益法人のトップに天下るための決定でしょう。有力議員官僚に恩を売って、利権の範囲にあった特殊法人公益法人民営化をおこなうために、官僚との綱引き政治的取引をした結果と言われていますね。

加えて、今省庁が狙っているのは、官の文書のデジタル予算です。膨大な官の文書、図面のデジタルデータ化で、30兆円が見こまれている。当然そこには、民間会社の受注活動が絡みます。週刊ポストの「覆面座談会」で、キャリア官僚自身が発言している。<電子政府>の情報化予算無駄だと言う人は、まだいない。

民間会社なら、組織利権拡大は、英雄的な行動です。

官であることが問題ですね。官が食うのは<税>ですから。

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