はてなキーワード: 独り言とは
常に自担以外の誰かしらに沸いているし、自担以外の現場にも行くし、
なんなら〇〇くんに担降りしよっかなーが口癖でもある。
「まだAくん担…でいいんだっけ?」
のように紹介される事が多い。
正直に言うと「まだAくん担だっけ?」と聞かれて「うん、まだなんとか」って返すのはまんざらでもない。
自担は彼氏ではなく、ただ一方的にこっちが好いてるだけの存在なのに、
勝手に彼氏臭を出して返事をするのがぶっちゃけすごく楽しいのだ。
そこでよく言われるのが「掛け持ちしないの?」というワードだ。
人によって自担、DD、掛け持ちなどおたくワードに対する意味の捉え方は違う。
そしてこの考え方がひとりひとり違うからこそ、おもしろいのだろう。
これはもちろん私自身の考えであって答えではない。
この考え方に納得がいかない、これは間違ってると思う人もいると思うが、
もちろんこの考えを人に押し付けるつもりはない。
ただ、私という人間のおたく活動においては、これがルールなのだ。
だから掛け持ちはしないのだ。
ここで勘違いのないように言っておくと、私は掛け持ちをしている人を否定している訳ではない。
現に仲のいい友人で掛け持ちをしている人もいるし、だからどうこうという事もない。
先述したように自担は彼氏ではなくて、ただ自分が一方的に好いている存在でしかないので、
何人好きであろうとすぐに乗り換えようとなんの問題もない。
言ってしまえば私も掛け持ちと言っていないだけで、好きなタレントの応援スタイルは掛け持ちをしている人とほぼ同じだろうし、
他の人から見たら「あの人掛け持ちしてないって言ってるけど完全にあれ掛け持ちじゃん」と思われているかもしれない。
ただ、私は1番をしっかりと決めたい性分なのだ。
掛け持ちになろうかと考えた事は何回もある。むしろそっちの方が楽なのでは…とも思った。
ただ私には、1人だけを自担と決めて、その他の人はお気に入りという形で熱意を注ぐのがぴったりの応援スタイルだったのだ。
ただ、それだけ。
だから私は掛け持ちをせず、DD(最近は特定の子にしか沸いてないしDDではないんでは?とも思い始めたが)としてこれからも楽しいおたくライフを送っていこうと思う。
ここからはわたしのきもちわるい独り言、匿名ダイアリーだからこそ書けることを書くのでそっと画面を閉じてください。
普段は全然沸かないし、髪形ありえないしか言わないけど、自担の事は大好きです。
好みの髪形であればすごく嬉しいけど、たとえ変な髪形をしてても自担は胸を張って世界一カッコいいと言えるし、そう思ってます。
世間ではスタイル補正とか言われてるけど、私は自担の顔がなによりも大好きな顔ファンです。
毎日トレーニングを欠かさなかったりときちんと努力をするところも、俺が俺がなところも、全て大好きです。
なにより自担にはファンサを求めない、見れるだけで満足してファンサを求める気持ちもなく穏やかにおたくしている自分が好きなので、ファンサとかいらない!見れるだけでいい!って思わせてくれる自担には感謝です。大好きです。これからも夢を見させてください。ありがとう。
Serial experiments lain という作品で『わたしは偏在する』というフレーズが出てきた。
作品に関してあれこれ考察してしまうとキリがないので、とりあえず短く最近実感した出来事について書く。
Serial experiments lain(以下lainと表記)はインターネットが現代のように身近な存在となり、わたし達の生活になくてはならないもの
として描かれた作品だ。(と思う)
作中では、インターネットによってつながり過ぎてしまった人達が、過度と言えるほどに不安に晒されるシーンがちらほらと見られる。
日常アニメではSNSがキャラクターたちの会話をスムーズに進めたり、絆を深めたりといったシーンを目にすることがあるが、lainでは反対に、インターネットに囚われ、インターネットに怯え、繋がる恐怖に怯えてSNS中心のコミュニケーションに恐怖心を煽られる。
放送当時は1995年あたりだったので、とても新鮮に思えるかもしれないが、ツイッターやlineで簡単に、常に人間関係を意識せざるを得ない状況になってしまっていて、lainの舞台、そのままの社会に移り変わろうとしている。
『わたしは偏在する』
インターネットがある限り、わたし、という個人はどこにでも出現し、他者から意識され、認識される事になる。
私の周りでは、ツイッターというツールを使用している数多の若者がいる。
2ちゃんねるでの匿名性を帯びた人間からの風評被害が恐れられていたが、ツイッターは個人の延長として利用されるケースも少なくない。
ツイッターの簡易的なプロフィールに本名や学歴、生年月日を記入することが可能で、個人情報はいくらでも記載が可能となっている。つまり、2ちゃんねるのようなはっきりとした匿名性とは異なり、facebookのようなノリで、『自分(わたし)』という一定の人格が情報を発信させている人たちがいるのだ。
「〜ちゃん、ウザいよねw」
「〜つまんなかった」
「あの大学マジありえない」
「〜は嫌い!」
「〜キモイ!」
「〜は死ね!」
頻繁にかどうかはわからないが、ツイッターでみられる誹謗中傷の例だ。
ツイッターで嫌いな人が居たら、ブロックすればいい。見なきゃいい。てか、俺のツイート、ウザいなら見んなよw
なんていう人がいる。対面して出会った人達の中での人間関係(リアルの人間関係)で、こういう発言をする人達は、ツイッターでユーザーを簡単に『ブロック』しているのだろうか。
『ブロック』は存在をこちら側から消し去ることと同じだ。向こうから干渉することは出来ない。自分の世界(タイムライン)に存在を認めない事だ。
本当にそうだろうか。
あなたは『偏在する』のだ。
リアルの人間関係で思ったことをあなたはその場で、本人に向かって、先ほど挙げた例のような言葉を発信するのだろうか。
あなたが本人を目の前にしていようが、いまいが、あなたは『偏在する』
ツイッターの中だろうが、インターネットの中だろうが場所なんか関係なく、常に人間を目の前にしているのと何ら変わりないのではないか。
インターネットの中で、わたしたちはこれからも生活しなければならない。すぐそばには、一瞬で世界に繋がれるツールがある。
世界中の人に向けて、そして同時に特定の人間やコミュニティに向けて、あなたは目の前で「発言をする」。
偏在するわたしは『あなた』に向かってこれを伝えたいと思いました。
よく「会社員としてのエンジニアは給料安い」って声があがるけど、
派遣社員と同じで自分の単金が見えているから、そう思うんだと思う。
「単金60万円だけど、自分の給料は25万。35万もピンハネされてる!」って具合で。
有給や賞与、営業コスト・管理コスト、会社負担の社会保険料や研修費、業務が空いた時も給料が発生したり、
時には赤字のプロジェクトに採算度外視で人を入れざる負えないことがあったりすることも加味すれば、妥当だと思うけど。
個人事業主として60万円貰っている人は、人脈広げて営業やら確定申告やら自分でやっているし、
さらに必要とされる技術を自分で身につけなければあっという間に仕事がなくなるので、
それと比較しなければ「会社員としてのエンジニアは給料安い」とは言えないんじゃないかなぁ。
もちろん多重請負・偽装請負で、
お客さんから「あなたには100万払ってるんだから」と言われるのはまた別の話だけど。
もう少し少年兵をバカなDQNとして描いてくればよかったんだけど....
まあ脚本家のIQや見識がそのまま作成キャラクターに乗っかるのが創作物だからしかたねーか。
大卒やそれに類する訓練を受けた文筆業のお偉い先生個人がトータルでやるんじゃなくて、キャラクターごとに性別や文系理系はもちろんエリートからたたき上げの高卒、DQNに至るまで、そのキャラクターが吐くセリフを日常的に使ってる奴を捕まえてきて、キャラクターの会話や行動まで担当させるというかロールプレイさせてそれを元に作り上げてくみたいな。
いくら創作物の骨子になる脚本というかお話の流れが、きちんとつじつまが合って伏線もきっちりひろって、エンディングを迎えたときにあらゆる回答が用意されてる完璧なものだとしても、それをつむぐキャラクターのパーソナリティが全員が全員脚本の先生と一致してて、先生のごっこ遊びが透けて見えるんじゃあお話になりませんって。
たとえばゲームのモーションキャプチャという技術がありますが、これはゲーム機の画面表示チップが2DのVDPから3DのGPUに変わったあたりで登場した技術です。
それまで職人とかもてはやされたグラフィッカーの方々が漫画的に描いたイラストを元にアニメーション作っていったのを、プロの格闘家やダンサーを呼んで実際の空間の中の動き~モーション~を取り込んで作るようになった。
これでキャラクターの動きがより滑らかになったり実際の動きに近いものが表現できるようになり、ゲーム版のアイマスや先日まで放送されてたトライブクルクルは、より人の動きの美味しいことを取り込むことができて、過去の似たような作品より一段上の表現が可能になった。
独りでやってたときは個人個人の癖とか色が如実にでてしまって、嘘くさい動きになったりどのキャラも似たり寄ったりになってたところに、一般性が持ち込まれたというかより自然になったというか。
2D時代は個人でやってた作業を複数人で大掛かりな機械を使ってやることになり、設備も人員も作業工程も爆発的に増えてコストが跳ね上がったことですけども。
脚本のほうでも似たような手法は取れるんじゃないかと思ってさ。
多数の人間を募って、考え方や行動のサンプルをとって、それをもとに複数人の人間でブレストかけていったら、主役とヒロインと犯人が会話してるのに、なぜかどっかのブロガーの独り言みたいに聞こえるようなこともなくなるんじゃないかと。
実際、攻殻SACでは毎回の脚本一本一本に対し、激しいブレストをやったという話じゃないですか。
実際のキャラクターのサンプルになるような人を呼んで、その人の人間像を元にしたとかまではやらなかったみたいですけども。
というわけで、そろそろ監督や脚本、キャラクターの内面作成ののクレジットに『チーム○○』とか『○○組』とかいう専門集団の名前がでてきてもいいころじゃないのかなと思ってさ。
ところで、今期のガンダムはとても面白く無条件に肯定してます。
とてもここ10数年の地上波ガンダムシリーズにあっていい作品とは思えないくらい。
どっちかというとファフナーみたいで最高に好みです。
わたしの好きな先輩。
無口だけどよく気が付く。仕事が早いし丁寧だし、けっこう面倒見がいい。(本人はだるい、といってるけど実は嫌いじゃないんだと思う)
おとなしいけど、口調は方言丸出しでじじくさい。ついでに言うと背中も丸いし、歩き方もちょっとひょこひょこしてるし、
腕も手も細いけど、血管が浮き出て指は節っぽい、男っぽい手だ。声もちょっとだみ声みたいで、笑い声が悪役っぽい。だけど唇は厚くて赤い。
そこから覗く歯はタバコとコーラとコーヒーの常飲でちょっとくすんでる。
眉毛はないし、メガネの印象が強くて素顔が思い出せない。だけどそのすべてがなんだかいとおしい。
先輩の服のセンスは結構好きだ。明るすぎず、暗すぎない。自分が似合うものをちょうどよく着ている感じだ。それが仕事着であっても、
やっぱりセンスがいい。
仕事中、独り言で文句を言う。私が何かするたび、あきれたようにフッと鼻で笑う。好きなものはアニメとロック。
出不精で誰かに誘われないと外に出ない。食に無頓着。カルシウム取ってても、タバコと食生活がめちゃくちゃだよ。
書いてる自分でもどうしてこの人のことが好きになっちゃったのかよくわからない。
欠点も魅力に見えてしまう。一緒にいるとなんだか落ち着く。だからと言って四六時中好きなわけじゃない。
家族でもないし友達でもないけど、この人の前では嘘ついちゃいけないと思った。嘘つかなくても大丈夫だと思った。
一時期、これは運命の人か?とも思ったけどそうじゃなかった。多分、彼への好意は家族や親友と同じ好きなんだと思う。
なんていうか、それこそおじいちゃんとか親戚とか。とにかく今まで同性や近親者にしか持ったことのない情を彼に感じる。
それでも彼と恋人になれたら、それはそれで嬉しい。
もっともっと言えば、彼が私の夫になってくれたらとても楽で幸せだろうな。
彼とそういう関係になれなくても、私はそのままの彼が好きだ。
ああ、もうこれは確実に性愛じゃなくて親愛だ。
ニコニコ動画のゲーム実況動画。ささいなことで友人と喧嘩して、しばらく誰も誘ってくれなかたとき、家でハマったのが、ニコニコ動画のゲーム実況動画だった。
色んなゲームを実況しながらプレイするそのスタイルは、自分の部屋に友達がゲームをしに遊びに来たように、または自分がゲームをしている友人の家に遊びに行ったかのような心地よさがあった。たぶん「話しかけてくれている」という心地よさだったと思う。こちらに話を振るわけでもなく、でも決して単調な独り言でもなく、同じ時間を同じ目的に使っている共有感が心地よかった。
それは2人実況の動画で会っても変わらなかった。実況者達プラス「聞いている自分」という雰囲気で聞いていられた。
でも・・・最近多い「実況者同士の対決ものみたいな実況動画」はあまり好きではなく。というか・・・嫌いだ。
以下、順不同。
03. 人を物扱いすることで「都会に染まってしまった自分」的な感傷に酔う田舎者
07. いい年して萌えゲーに逃避するばかりの二重襟ディテールで無駄に主張してくるだせえシャツ着たSEみてえな奴
09. 「わたし黒人としかムリー」とかぬかすアメリカかぶれ女
12. AVあがりの評論家きどりの小賢しい女が、インタビュアーの質問に対してすまし顔を崩さず「んーそうですねー」と返す高めの声のうさんくささ
13. っていうか峰なゆか
14. 人んちのなぜか酸っぱくせえリンゴ
18. 混雑時にも扉近くでも頑として降りねえ奴
19. 一応降りるけど、ただ降りただけで邪魔なのにドヤ顔の奴
22. 可愛さの欠片もなくむしろ目にするたび不快感を煽るインチキロボットペッパーと、金のため迎合する腑抜けたマスコミ
23. ことあるごとに自社のアナウンサーを人気アナと喧伝する厚顔無恥な日テレ
24. ユーチューバー(あのバイリンガルの女はイタいけどエロいから許す)
26. 外タレに「日本は好きですか」「寿司は食べましたか」などありきたりな質問を投げる無能インタビュアー
27. じっと見つめながら嘘をつく女のなめた顔
28. 6年間週3で顔合わせてるのに初対面ぶってカードの有無を確認し続けるコンビニ雇われ店長
29. 便所で待たせてるのわかっててなかなか出てこない糞野郎
30. 便所で待たせてるのわかっててなかなか出てこない糞
ちょいすっきりした!
10年前。
10周年のツアー中はほぼすべての土日をファン活動に費やしました。
あの頃は震えるほどお金がなかったけど、ものすごく楽しかった。
チケットを探す時間を惜しまなければ、いくらでもいい席が見つかって、
コンサートにいけば、森田剛が笑ってくれたり、森田剛の手に触れることができたり。
席がよくなくても、森田剛が歌って踊ってる姿を双眼鏡越しに見るのが大好きだった。
みんなにとってそうだと思うけど、今思い出しても特別な感情がぐるぐるしてた特別な時間だった。
今はもう思い出せないけど、普通にしててもすごい好きだったんだよね。
愛おしさで泣けるくらい、好きだった。
ちゃんとカッコつけてくれるところ、
ていうか、踊ってる森田剛は何者にもかえられない。
踊ってればそれだけでいいのに。っていつも思う。
そんな森田剛が好きだったんです。
何かを好きになるってことの意味を知った、と勝手に勘違いしてた。
そんな10周年の思い出があって。
おそらく、ファンの年齢層的にも、グループの状況的にも、
と、今日のコンサートを観てて10年前を重ねることになっちゃいました。
濃さが違ったなって思う。
6人だって、一緒にいる時間が当時の方が圧倒的に長かったはずだし、
ファンも、当時は寝ても覚めてもV6大好き。って思ってた人多いと思うし。
そういう人がコンサート会場に集まってたんだもん。
今は、6人にも、ファンにも、個人の時間が増えてて。
みんながそれぞれ10年分大人になったので、しょうがないこと。
そこにいるすべての人の、10年分の経験が、コンサートの濃度を薄めてる。
10周年のときは20周年なんてもっとすごく好きになってそうで怖い!と思ってたけど、
そんなことは普通にあり得なかった。
こうやって、グループとそのファンが大人になってくんですね。
少しだけ寂しく思いつつ、少しだけホッとしている自分がいます。
森田剛が、「女の子に送ったメールを間違えてあいばくんに送っちゃった」って話したとき、
今なら、この人が誰か一人の女の人を愛する決断をしても、祝福できるって思った。
果ては生活習慣の改善(自己流)などをすすめてくる輩がいるが、
言う事を聞いてはいけない。
頭痛にはタイプがあり、原因によって効き目がある薬も対応策も違ってくるので、
本気で悩んでいるのであれば「神経内科」か「頭痛外来」がある病院を訪ねるのが一番だ。
健康保険も効くしね。
「頭痛日記」の確認と薬の処方(+投薬による副作用のチェックのための血液検査)だけになるので
「血液検査」や「脳ドック(CT、MRI)」などの精密検査を行うことになる。
怖い病気の前触れの可能性もあるから。頭痛を舐めてはイケナイのだ。
あと、大抵の頭痛は完治することはない。
定期的に起こる痛みとどう付き合っていくかという選択をすることになるので、
高い薬(しかもジェネリック薬がまだ出ていない薬が多い)の処方なこともあり、
どれだけ薬に頼らずに済む生活習慣を維持できるかという感じになっていく。
この夏、子供と行った水族館で「あのドド、パパに似ているね」という一言に絶望し、秋からランニングを始めました。
まだ太陽の光線が赤さを取り戻す前、身体を包むように流れるひんやりとした早朝の空気に清々しさを感じていました。
そんなわたしを追い抜いていく小気味のよい足音。
身体のラインがそのまま現れているかのようなピタッとしたウェアに身を包んだ、一切の無駄を感じさせないミニマルな肢体を持った女性でした。
それなりに走り込んでいるのでしょうか。
すでに背中からは汗がにじみ出ていたのですが、下着の防水性が高いのか、背中の一部を避けるように汗が広がっていたのです。
木漏れ日に照らされながら遠ざかっていく彼女の軽やかな足取りと相まって、わたしにはそれがまるで天使の羽のように見えました。
「これは朝から素敵な出会いをもたらしてくれた息子の一言に感謝しなくてはいけないな。」
思わずそんな独り言を口にしてしまうような、素敵な一日の始まりを予感させる出会いでした。
連絡がないまま2ヶ月半が過ぎた
最初の1ヶ月が過ぎた時点で「ダメだったんだ、諦めよう」と言って増田に書いた
なのに「いや、でもやっぱり」「もしかしたら」なんてグネグネ諦め悪く思い返す
秋めいて寒くなって「季節も変わった、次に行こう」、
2ヶ月経って「2ヶ月だ、さすがにもうない、次に行こう」。
けどその後やっぱり戻ってしまう「でもやっぱり」。
ほんとうに未練がましい
ネトゲで卒業宣言するプレイヤーは絶対戻ってくるという話があるけど、きっと同じ気持ちなんだな
自分は7年いたネトゲも宣言無しの自然消滅という卒業パターンだったけど
今は卒業宣言しつつ戻ってくるプレイヤーの気持ちがよく分かるよ
「ダメだったんだ、すっぱり忘れて次に行こう」
「いいかげん2ヶ月半だ、さすがにもうありえないから」